・ 「武器よさらば」  若きヘミングウェイの戦場体験  n.1

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  ヘミングウェイの「武器よさらば」は皆さんよくご存じと思います。
  あの簡潔なヘミングウェイの文体も素晴らしいですし、
  映画にも2度なっていますので、そちらもご存知かと。

  第一次大戦のイタリアの戦場で脚を負傷し、ミラノの病院で手術。
  その病院で知り合った看護婦と恋に落ち、脱走し、
  マッジョーレ湖をボートで漕いでスイスに逃れ、
  そこで彼女は出産するも子供共に亡くなる、という粗筋。

  これはヘミングウェイのイタリアでの戦争体験が元に、
  というのも有名ですが、

  4年前の春、「ヘミングウェイのヴェネトでの足跡」を巡るツァーに参加。
  漸くにその時の写真を整理しましたので、へへ、ご覧ください。

  上はイタリア軍の軍服を着たヘミングウェイ、19歳(18歳)
  



       
  当日最初に行ったのが、トゥレヴィーゾ南にあるカジエール・Casier
  というコムーネに付属のドッソン・Dossonという町。
  そこにあるヴィッラ・デ・レアーリ・Villa de Reali、17世紀。

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  おっちょこちょいのshinkaiはバスから降り標識を見て、
  えっ、レアーレ?!(王室の?!)かと驚いたのですが、

  いいえの、デ・レアーリ・de Realiという姓のジュゼッペ・マリーア、
  当時の著名な政治家が、元々はベネデッティーノ派の修道院を
  改装したこのヴィッラを購入。
  その後、その息子のアントーニオ、上院議員、が大きく再建築し、
  13平米の庭を整備したものなんだそう。





  母屋の主体はこんな感じで、

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  庭の奥隅に礼拝堂も見えます。

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  ウィキペディアから拝借の写真で、
  礼拝堂の正面と建物の様子を。

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  翼側の建物

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  広大な庭園。 

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  が、どうも良く分からないまま、何となしに奥の方に行きそびれ、





  ちょっとした考古学博物館式になっているロッジャの下なぞや、

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  開いている窓から部屋の中を覗いたり・・!

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  この日ガイドして下さった方は、地方歴史家というのか、
  第一次大戦におけるヴェネトの激戦地についてや、
  今回のヘミングウェイの足跡についての研究家の様子で、

    つまりこのヴィッラは特別ヘミングウェイに関係があるというのではなく、
  戦時中にここは兵隊の駐屯地にもなっていた様子で、
  その時に、彼もここに来て野営した、という関係だった様子・・!

  はぁ、まぁ、ヘミングウェイついでに、ヴィッラ拝見、とでも。





  漸くにヴィッラの中に入れ、お部屋を見れました。
   
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  古い貴族のお屋敷を拝見では、大抵懐かしい趣の写真があり、
  そんなのを見るのが好きですが、今回も美人さんがおられ、
  懐かしいジョヴァンニ・パオロ2世教皇のお顔も!

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  で、この方ではないと思いますが・・、

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  デ・レアーリ家の最後の後継者テレーザが、1900年に
  侯爵ジュゼッペ・ディ・カノッサ・Giuseppe di Canossaと結婚、
  1937年からこのお屋敷はカノッサ家の財産になっているのだそうで、
  現在の所有者はグアリエンティーナ・グアリエンティ・ディ・カノッサ・
  Guarientina Guarienti di Canossa.

  カノッサって、あのカノッサ?! と思われた方、
  はい、左様でございます。 
  あのカノッサ、10世紀からの貴族の家系、トスカーナ辺境伯、
  マティルデ女伯の下で「カノッサの屈辱」事件もあった、
  あのカノッサ家ですが、
  現在の上の麗々しいお名前の方はどの分枝か、存じませんです。


  「モンテクリスト伯」に、カヴァルカンティ・ディ・カヴァルカンティという
  イタリア貴族の騙りが登場しましたっけ、ぷっぷ。
        




  これは美しいお部屋でしょう?

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  でも、この小部屋の感じの方が好きだなぁ・・!

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  これは門扉の所にあった標示で、
  ほらね、「グアリエンティ・ディ・カノッサ」が見えるでしょ?!

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  見送って下さる管理人、掌に入るほどのチビわんこを抱いて、
  やれやれ、野蛮人どもが帰るわい、という所、ははは。

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  我らはそれからバスで少し走り、地図で見ると多分シーレ河
  Sileと思うのですが、その川岸を歩きながら、ガイドさんの説明を。

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  ですが、川岸の細い道でグループ全体が細い列になっていて、
  ガイドさんの声はまるで通らず、後ろから付いていく我ら不良どもは、
  ははは、好き好きに写真を撮り、時間の過ぎるのを待つばかり。





  多分、このあたりにも若きヘミングウェイが出没したのでしょうが・・!

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  そう、「若きヘミングウェイ」、本当に若かったのです!
       
  1899年7月21日、現在のシカゴ生まれ。 
  父親は医者、母親は元オペラ歌手志望。
  小学校へはあまり熱意なく通ったものの、ハイスクールで彼が
  文学に向いていることを発見した良き教師2人に出会い、
  彼らに励まされ、初めて学校新聞に発表。

  1917年卒業後大学には行かず、カンサス・シティでモダンで斬新、
  公平な記事を特徴とした地方紙「カンサス・シティ・スター」で働き始めますが、
       
  この年4月6日アメリカは第一次大戦に参戦、彼も仕事を捨て
  ヨーロッパでの戦いに志願するものの、視力の問題から、
  赤十字の救急車の運転手としてイタリアへの派遣が決まり、
  2週間の教練と10日間のニューヨーク滞在の後、1918年5月23日
  フランスのボルドー行きに乗船、5月29日上陸。
  ヘミングウェイ18歳!

  当時アメリカ側から参戦志願した若者たち、大学生の中には、
  ウィリアム・フォークナーやフランシス・スコット・フィッジェラルドなども。

  5月31日パリに。 ドイツの大砲で被害を受けた街並みを見た後、
  汽車でミラノに。
  何日かを緊急隊で働き、この時に近郊で、空爆を受けたくさんの
  女性工員が死んだ工場を見、
  彼にはこれが最初に直接に見た戦争での死者だったそう。

  そこからヴィチェンツァに、国際赤十字アメリカ部門のスキーオに
  配置されたものの、もっと戦争貢献と自分の記述のためを考え、
  短期間ながらもゴリーツィア、トリエステ近くのまさに最前線にも。

  が彼の所属していた部門はかなり平穏だったため、
  もっと実際の戦場に近い場所への配置転換を願い、
  こうしてピアーヴェ河の下流、フォッサルタ・ディ・ピアーヴェ
  Fossalta di Piaveの近くに、塹壕の補助員として配置に。



  という所で、その2に続けます。


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