・ トスカーナの野に虹、 ヴァル・ダッソの白い道散歩

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  今回ご覧頂くのは3年前の9月中旬に回ったトスカーナの様子で、
  モンタルチーノの北、サン・ジョヴァンニ・ダッソに行く道の途中にある
  アグリトゥリズモ、ポデーレ・オリヴェッロに一泊した時の風景をどうぞ!

  上の写真は宿に着いてすぐに、賑やかな声が聞こえるので覗くとこれ、
  近くの農家の葡萄摘みが済んで、トラクターで運んでいく所だったのですね。




  場所は何処になるのか、地図をどうぞ。   
  西の山の上に位置するモンタルチーノ・Montalcinoから道を下って来て、
  分岐点であるトッレニエーリ・Torrenieriから北へ、県道14号線を
  サン・ジョヴァンニ・ダッソに向けて進みます。  
  赤点を打った所が小さくて分かりにくいので、アップすると下の写真。

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  モンタルチーノから東にサン・クイリコ・ドルチャ・San Quirido d'Orcia
  右にPiまで見えるピエンツァ、そして南のバーニョ・ヴィニョーニ・Bagno Vignoni
  はヴァル・ドルチャ・オルチャの谷なのですが、 

  トッレニエーリ辺りから北のサン・ジョヴァンニ・ダッソ一帯は、
  多分ヴァル・ダッソという範囲になるのだろうと思います。   
  どちらもオルチャ川、アッソ川の名から谷の名が由来します。

  トスカーナ全体のご案内は


  

  これがアグリトゥリズモ、ポデーレ・オリヴェッロ・Podere Olivelloの建物。
  大きな農家を改装してアパート2軒分になっていて、
  持ち主一家は、左手前に見える入り道横に大きな家があり、そこに。

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  昼間は曇り空の一日だったのですが、この午後遅めから晴れだし、
  一緒に旅行していた友人のmkちゃんと坂道を上って散歩に。

  なぜこのアグリトゥリズモを選んだかというと、この辺りに泊まるには、と
  衛星地図を眺め、広大な平野が広がるのを確認し、ここに。

  ポデーレ・オリヴェッロのサイトはこちら。

  県道からの入り口がちょっと分かりにくいかと思い、旅行前には
  ストリート・ヴューで探して覚えておきましたっけ、ははは。




  近くの農家の葡萄畑には、鶏が餌をあさっており、

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  mkちゃんはせっせと、あんた良い子ね、そう、虫を探しているの? 等と
  声を掛けながらスケッチ。 mkちゃん、鶏をナンパ中?!




  道は緩やかな坂道で徐々に目の高さも変わって来て、
  午後遅めの光に長い影。

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  オリーヴ畑も広がり、

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  道がTの字に左右に分かれる分岐点にあった礼拝堂。 
  今は既に放置されたままの様で。

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  眺めが広がります。  筋の見える緑の背の低い畑は葡萄畑で、
  左中程に見える薄い緑色のもこもこはオリーヴ畑。

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  同じ平野で、どうしてこんなに土色が変わるのかと不思議に思う時。

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  すでにかなり高い位置からの、雄大な眺め!

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  野葡萄になりかけかも、道脇に茂っていた葡萄と、

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  ちょっとピンボケで失礼、既に秋の色、実り。

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  白い砂利道はこんな風に続き、所々に糸杉のアクセント。

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  西側の眺めに、クレーターが顔を出します。

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  あっ、虹だよ、虹が出ているよ!!  

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  わぁ~お!、と言いつつ先に進んで行っても虹は消えず、
  わっ、2本になったよ、2本!!

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  本当に鮮やかな虹が長~く続き、おまけに、
  ほら、あそこから虹が出ている! というほどしっかり大地に届いていて。
  こんなに下の方が鮮やかな虹は初めて見ましたっけ。

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  虹を見ながらまだまだ先に進み、

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  北西に見える丘の緩やかな起伏が作る陰。

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  野の花。

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  突然東の下から機械音が響き、トラクターが上って来て降りて行き、
  また上って来て、どうやら向こう斜面を耕している様で・・。

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  車が来て通り過ぎ、舞い上がる白い土埃。
  そう、この道はトスカーナの白い道・ストラーダ・ビアンカ!

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  ストラーダ・ビアンカでの自転車競技の様子をどこにアップしたか、
  見事な土埃を探していますが、まだ見つからずで、残念!




  そろそろと引き返します。 道に影が長い尾を引き、
  先には、通って来た道に見えていた大きなヴィッラ。

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  そろそろ夕方の陽射しに変わり始め、

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  南に見える美しい山は、モンテ・アミアータ。

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  宿から見えた夕暮れ。

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  ブログご訪問、有難うございます!

  分家の絵のブログの引っ越し整理がなかなか片付かず、
  今月で古い方を解除しようと思いますので、多分今は見えている写真も、
  まだ整理がついていない2015年分以前は消えると思います。
  どうぞ、ご了承願います!

  少しでも早く通常のブログに、生活にも戻りたく、へへ、
  明日からお盆明け位まで、ブログをお休みさせて頂き
  整理に励むつもりですので、
  どうぞよろしくお願いいたします!!


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・ ロンガローネ、54年前のダム出水大災害の纏めを


  先回ドロミーティはアウロンツォの湖のエメラルド色を見て頂きましたが、
  その時の地図を見て、そういえばロンガローネ・Longaroneの新しい写真が
  そのまま、と思いだし、整理してご覧頂こうと。

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  ダム出水で飲み込まれたロンガローネの町の大災害については
  こちらにアップし、 http://italiashio.exblog.jp/5406116/
  多くご覧頂いておりますが、

  私自身があの辺りを通るといつも思い出すので、
  もう一度以前の記事の不足も補い、纏めたいと思ったのでした。

  上の写真はサイトから拝借の現在のロンガローネの町で、
  電車の窓からも、車で通っても新しいコンクリート造りの大きな建物が並び、
  つまりダムからの出水で壊滅的被害を受け、町は完全に新しく
  造り替えられているからで、
  
  現在の町の姿自体には美的な魅力を感じませんで、
  



  こちらは新しい教会、この地下は博物館式に災害の遺品の展示も
  あります。

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  で町から見るダム、というのが町の下を流れるピエーヴェ河超しの対岸、
  こんな風に狭い谷の奥、

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  一番奥に小さく三角にコンクリートの地平線が見える部分がダム、
  ヴァイヨン・Vajon川を堰き止めてのダムなのですね。

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  地図で位置関係をどうぞ。
  ロンガローネの町は東を流れるピアーヴェ河の高台に位置し、その東に
  ヴェネト州とフリウリ・ヴェネツィアジューリアの州境があり、
  道路をご覧になっても分るように、つづら折りのひどい傾斜の道を上った所に
  ダム・Diga del Vajontがあり、

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  北にあるカッソ・Casso、そしてエルト・Ertoの村が被害の大きかった一帯で、
  南にあるモンテ・トック・Monte Tocの北斜面がダムに崩れ落ちたと。





  ダムの横に出てくると、少し上に駐車場があり、そこから下って来た所に、

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  慰安礼拝所があり、

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  この一角に、左の碑  9 OTTOBRE 1963  ore 22.39 
  1963年10月9日 22時39分 とあり、

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  右の碑は1983年に追加されたもの。




  ここから見えるダムはこの様子で、下のダムの位置まで道が付いており、

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  ダムの上には渡れませんが、多分予約でガイド付き見学と、
  柵のある近くまで行け、
  崩れ落ちた山の土、現在は木々が生え育っているのが見えます。
  
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  ダムの深さと、落ち込んだ土の膨大さが分かりますね。




  この狭い谷にダムを造って電力を、というのは既に1900年代初頭から
  案が出ており、ただこの一帯の土地の脆弱さが常に問題だったのが、
  30年代から60年代にかけ様々なプロジェクトが生まれ、
  建設許可が出たのが1943年10月、
  ついに1957年工事が開始され、1959年に完成。

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  垬門の高さ261,6m、この種の物として当時世界一の高さ、
  現在でも無条件に2番目のものなんだそう。
  



  1960年に試験運転の開始で、水で埋められます。

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  がすぐに様々な危険信号、木々が傾く、土地や家にヒビが入る等などが
  あちこちに見られ始め、大災害が予知できたと言い、
  技術者たちの心配や、ジャーナリストのティーナ・メルリン・
  Tina Merlinが控訴したことも。

  1960年11月4日にはかなり大きな土砂崩れがあり、
  モンテ・トックの山の上部にはM字型の輪郭線が現れ、
  将来の剥がれが考えられたものの、
  誰もその膨大さと崩れのスピードが予想出来なかったのだそうで、
  一切対策が取られず、勿論住民の避難も考えられなかったのだそう。




  ダムに落ち込んだ岩山土砂の写真がサイトで見つかり、
  多分これが1963年10月9日の後と。

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  これは雑誌フォーカス・ストーリーの物だそうで、右上の白い大きな矢印が、
  モンテ・トックの北斜面から剥がれ崩れ落ちた土砂、2kmの幅で
  2億6千万立方の土砂がダム湖に落ち込んだのを示し、

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  この土砂量はもし100台のトラックで運ぶとすれば、一日に一回とすると
  なんと7世紀間もかかる量なのですと!

  ダムには約三分の一の貯水があり、落下の衝撃で波の上がった高さは
  ダムの高さと約同等の240mで、その波、流れは2方に分かれ、
  ひとつは250mの高さに上り北の斜面にあるカッソの村を襲い、
  その高さにあった家々は浚われ、
  これはカッソよりも奥にあった村エルトも同様で、たくさんの家が襲われ、

  もう一方の流れはダムを乗り越え、70mの高さ、時速70~100kmの速さで
  流れ下り、谷の対岸にあったロンガローネの村を襲ったのです。

  この大波がロンガローネの村を浚い、谷を流れ下るまでの時は4分間だったと。
  




  この狭い谷、高いダムから見えるロンガローネの町、 
  どんな勢いで大波が流れ下ったかをご想像ください。

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  根こそぎにされたロンガローネの当時の写真。

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  亡くなった方の数は1910名、その内ロンガローネに含まれる死者は1450名、
  一家族全てが亡くなったのも数知れずで、
  ロンガローネのみならず、一帯の村々でも数多くの被害でした。




  ダムの高さの横から見る礼拝所で、こうして見ると落下した山の土砂の高さが
  良く分かります。  

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  グーグルのストリート・ヴューで、ダムのすぐ北面にあったカッソの村の様子を
  見る事が出来ますので、写真を何枚か集めました。

  これは現在の村の入り口で、これより下にあった家々は今ありません。
  以前行った時の記憶にあった道端の祠があり、
  この高さまで波が上がったと説明がありましたっけ。

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  同じ場所から見る南のモンテ・トックの剥がれ落ちた斜面。
  M字型に今も跡が残り、手前は落ちた土砂。

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  村の中は、上記したようにこの一帯の地盤の脆弱さからの土地崩れの
  問題で、住人は少ない様で、

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  上の写真に見える「小マーケット」と書いた食料品店が1軒。
  お年寄りの住民たちの為にも存在している様子。
  以前行った時、10数年前にはこの店は無かったですね。




  以前エルトの村、ダムの溢れた水を横から受けた、カッソよりも東にある村
  ですが、歩いた事がありました。
  家は残っているのですがそのまま放置され、新しい村は現在上方に存在し、
  下の村は半ばゴーストタウンで、恐ろしい程の印象でした。

  この一帯を通り抜ける時、エルトの村の上方を通り過ぎて後、
  今は穏やかな村の姿を見て、ほっと一息つくshinkaiです。

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・ 暑中お見舞いを!  ドロミーティの山、アウロンツォの水の色


  皆さま、暑中お見舞い申し上げます!

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  梅雨も明けいよいよ猛暑の候、いかがお過ごしでしょうか?
  こちらイタリアは中部から南にかけ猛暑の様で、
  水不足で大変なニュースもTVに出ます。

  我が家のある北イタリアは適当に雨もあり、日中は暑くもありますが、
  テントを下し、鎧戸を殆ど閉めていると家の中はまだひんやりで、
  今朝は酷い嵐が通り過ぎ、今週は27,8度で過ごせそうです。


  という事で、今日はドロミーティの写真で涼しさをお届けです。

  上は、コルティナ・ダンペッツォの奥、ミズリーナ湖から東に下る道から。




  地図をどうぞ。
  コルティナ・ダンペッツォ・Cortina d'Ampezzoからミズリーナ湖・Misurinaへ。
  そして戻りは東に道を取りアウロンツォ・Auronzo di Cadoreに。

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  ドロミーティのトゥレ・チーメの自然公園・Parco naturale Tre Cime

  コルティナ・ダンペッツォのご案内 1と2 
         
  ミズリーナ湖  http://italiashio.exblog.jp/21940339/

  ピエーヴェ・ディ・カドーレは http://italiashio.exblog.jp/5353717/





  途中道脇にバール・レストランがあり、ちょうどこの凄い眺めが見え、
  右に順にアップを。

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  アウロンツォの町に着いて駐車し、歩いてだらだらと道を下り湖に出ますが、
  振り返って眺めるドロミーティの山々。

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  ミズリーナ湖から流れ下るアンシエイ川・Ansieiの、町の端に見える上流で、
  川原で水遊びをしている人々もいますが、

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  ちょうどアウロンツォの町の下でこんな湖になり、渡る橋の上から見る様子。
  水の色は素晴らしいエメラルド色!  

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  湖は細長く続き、確かここで夏はモーターボートの試合も行われたと。

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  北側の岸に見える遠くの教会と村落。

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  こちらはアウロンツォの町の東外れ。

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  湖の南側に散策道には、バカンス客たちがゆっくりと散歩を楽しみ、
  足漕ぎボートも行ったり来たりで、

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  家族団欒、ワンちゃんも。

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  昔このボートに乗った事がありますが、やはり川の流れがあるので、
  下るのは楽で早いですが、帰り道の上りはかなりの運動量でしたっけ。


  アウロンツォの村、以前のご案内は





  車に戻る前にもう一度、ドロミーティの山を!

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・ n.2 ヴェネツィア散歩  リアルト橋、ゴンドラ溜まり、バレテッリ橋


  先回からのヴェネツィア散歩のその2 を続けますが、
  今回はリアルト橋北隣の広場にある教会サン・ジャコモ・ディ・リアルト・
  San Giacomo di Rialtoからご案内を。

  リアルト橋の北詰め、道両脇に屋台店が並んでいる右の広場ですから、
  皆さんもよく、この姿をご存じと思います。
  前に張り出したポルティコがあり、大きな時計とアーケード型の鐘楼が特徴ですが、

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  調べてみると、ヴェネツィアでも一番古い教会になるのだそうで、
  カルペンティエーレ・骨組み作業の工員、職人が
  大火事の鎮静を願っての祈願からで、421年という年号!

  記録に出るのは1152年、1513年の近隣一帯が破壊された大火事から逃れ、
  1601年には床も高潮にも大丈夫な修復があったそう。





  何度も前を通り、ポルティコの下に座り込んでお昼のサンドウィッチをかじったり、
  その時には周囲を鳩に取り囲まれ、足の上にも乗って来られ、ははは、
  鳩の足からの温もりを感じたりした想い出はあるのですが、

  肝心の内部はいまだに拝見してない事を思い出し、ははは、
  ウィキペディアからの拝借でどうぞ。

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  前部のゴシック式ポルティコは、ヴェネツィアでも数少ない一つだそうですが、
  内部はルネッサンス風に改装されているそう。
  
  次回のチャンスには、ちゃんと内部拝見を。





  今回の行程の地図をどうぞ。
  1がサン・ジャコモ・ディ・リアルト教会、 リアルト橋を渡って2が元のドイツ商館、
  現在この上部テラスが無料で一般公開されている場所。
  3がサン・ルーカ広場、 4がバレテッリ橋

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  南にサン・マルコ聖堂、サン・マルコ広場で、





  サン・ジャコモ・ディ・リアルト教会から道筋に出て、リアルト橋の上り階段。
  この時はまだ朝早めで人が少なかったのですが、この一帯はいつも大賑わい。  
  有難いことに、橋の修復は済んでおりました!

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  ですが、今回は戻りにもう一度リアルト橋をご覧頂く事にして、

  橋の上から見る、大運河北側を。
  右端が元のドイツ商館で、現在ショッピング・センター、階上のテラスが公開。

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  さて、サン・ルーカ広場。 この時はコンタリーニ邸のカタツムリ階段に上り
  サン・マルコ広場に行くのにここに出て来たのですが、
  広場のこの正面の建物など、お気に入りです。





  上の広場の左側だったと思いますが、こんな壁龕の聖母像を見つけ、

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  スタイルが興味深くアップして見ましたら、
  MCMXIII CA PIERO BORTOLVZZI GRILLO とありました。
  1913年 ピエロ・ボルトルッツィの家

  で検索を掛けましたら、1875年生まれの画家で、ヴェネツィアのアッカデミアで学び、
  人物風景共に粘り強い描写で、絵画のみならずニューヨークのメトロポリタン・オペラ
  舞台装置などでも活躍したりの、多才な方だったようですが、 
  この家の内装をしたのか、ここに住んだのかは分かりませんでしたぁ。





  広場の店のウィンドウにあったコンサートのポスターなども眺め、

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  ははは、誰かのおでこが写ってる。





  運河沿いに出てきて、

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  すぐそこがサン・マルコ広場、 広場北西角の裏のゴンドラ溜まりに出て、

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  ゴンドラの意匠に目を配りながら、
  
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  金貨ザクザクの袋を抱えた幸運の女神に、なぜ目隠し? とライオン君。
  
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  真ん中のドージェ・ヴェネツィア総督を囲む2頭のライオンと、総督の冠。  

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  ゴンドラの上で一服のゴンドリエーレと、

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  左の若いゴンドリエーレの髪の毛! ははは。
  上だけ残して横を刈るスタイルはちょいちょい見かけますね。
  でも彼、本物の金髪!

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  この後サン・マルコ広場に出てぐるっと一回りの後、はい、パトロールを、
  ははは、

  時計塔の下の道からリアルト橋に向かって来た所で出会うこの橋
  バレテッリ橋・Baretteriと今回名前を知ったのですが、
  係留杭が赤いのと、大概何隻かゴンドラが係留している場所で、
  
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  運河沿いにレストランの窓が開いているのですね。
  描きたいとずっと良いチャンスを狙っている場所でして・・!

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  この時もまだ新しいゴンドラの、素晴らしい彫りを舳先に施したのがいて、

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  艫の飾り。 眺めていて気が付いたのは、艫の飾りは折れているのに
  よくお目にかかりますが、これは修復されたのが分かりますね。

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  で、再びリアルト橋に戻って来て、記念撮影されるのに合流し、ははは。

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  所で、ヴェネツィア名物のリアルト橋ですが、元は木製の橋だった、
  というのはご存知の方が多いと思いますが、

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  このカルパッチョの絵に見られる様に、15世紀末の姿、真ん中が吊り橋で、
  背の高い船が通る時は上に引き上げられたのだそうで。

  が、それ以前は舟を繋いでの橋だったのだそうで、
  そして12世紀後半杭の基礎の上に板を渡した橋が作られ、
  当時は橋の東近くに古い貨幣鋳造所があったので、
  貨幣橋・ポンテ・デッラ・モネータと呼ばれたと。

  リアルト橋の市場が重要さを増した1250年頃、木製の橋に架け替えられ、
  これが上のカルパッチョの絵に見えるスタイルで、これでリアルト橋の名に。

  1310年叛乱劇が起こった時破壊され、1444年にはフェッラーラ侯爵の
  花嫁の行列の際、大群衆の重さに耐えかね橋が落ち、1524年にも落下。

  で、橋の両脇に店が並ぶようになったのは15世紀の半ばなのだそう。





  16世紀になり始めて石の橋を架ける事が提案され、がなかなか決定せず、
  その中にはアントーニオ・パッラーディオの提案のこんな橋もあり・・。 
  皆さま、いかが、お気に召します、この姿?! 古臭いイメージでは?!

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  現在の姿のこの橋が完成したのは1591年で、最初の提案から約1世紀
  かかった事になりますが、美しい形ですよね?!

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  橋の全長48m、 大アーチ長さ28m、高さ7,5m、 幅22,1m
  設計はアントニオ・ダ・ポンテ、まさに橋という姓で、3年間の工事だったと。

  当時はこの大胆な一つのアーチ、という案に、落下するに違いない、と
  第2設計家のヴィンチェンツォ・スカモッツィなども言ったそうですが、

  はい、未だに健在で、ヴェネツィアの建築美のシンボルの一つですね。





  元ドイツ商館の階上のテラスに、パノラマを楽しむ人の姿も見えますが、

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  我らは薄日が射してきた大運河の眺めを、リアルト橋の上から!  

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  最後はウィキペディアから拝借の、夜のリアルト橋の姿をどうぞ。

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・ n.1 ヴェネツィア散歩  駅からリアルト橋に向かって

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  5月半ばにヴェネツィアに行った時の、朝まだ早くの様子、
  駅からリアルト橋に向かっての光景をご覧下さい。

  上の写真は駅前大橋から東に向かっての大運河の眺め。
  
  これはいつもの定番なのですけど、はは、撮らずにおれませんで、
  この写真は実はお昼過ぎに戻ってきた際の、少し陽が射した様子で、
  朝のは暗めなので、こちらをどうぞ。





  ちょっと行程を略しまして、この橋は、カンポ・サン・ジャコモ・デッローリオ・
  Campo San Giacomo dell'Orioから東に行った場所で、

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  地図をどうぞ。
  上の橋は左に囲ったサン・ジャコモ・デッローリオの教会南側、三角形の広い
  広場があり、そこを北西に。 赤丸をつけた場所の橋で、橋の名は分からず

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  そしていつも通る道を、サンタ・マリーア・マーテル・ドミニ広場から
  サン・カッシアーノ広場・San Cassianoに出て、
  広場からちょっと奥の小路を覗き、また元の道に戻り、大運河沿いに出て
  対岸のカ・ドーロを眺め、そして市場の様子を、という行程。

◆ 追記です。
  橋の名を分からず、と上記しましたが、
  Pescecrudoさんが教えて下さいました。
  メージョ橋・Ponte del Megio、メージョというのはヴェネツィア訛りで
  ミーリオ・Miglio・粟、キビの雑穀類をさします。
  


  昔はヴェネツィアの小路をどちらに曲がったら、と迷う事もありましたが、
   そんな時土地の人に聞くと、センプレ・ディリット!・ずっとまっすぐ!
   がお決まりの文句で、ええ、例えすぐ前に運河があってもね、ははは、
   まぁ、他の多くの人が歩くのについて行けば大丈夫という事で、
  
  が今頃は大概の曲がり角に ➡リアルト橋 ➡サン・マルコ 等と
  黄色い標識がついていますので大丈夫ですし、
  なに、狭い街の中ですから、大運河に突き当たったら戻ればOKですね。





  橋の上から振り返っての運河。 
  右奥に見える木々がサン・ジャコモ・デッローリオの公園の木々。

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  先に進んでまた運河、橋を渡り・・。 橋の上から覗けそうなお家の窓。

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  運河の眺め。 朝早くなので、まだ運河の水面も静か。

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  単純に「運河」と書いていますが、ヴェネツィアの街中を
  逆S字型に流れる大運河はカナル・グランデ・Canal Grande、
  文字通りイタリア語でも「大運河」ですが、
  その他はリオ・rioと呼ばれる小運河、大運河の支流で、
  グーグルの地図に出る様に、自然の「川」ではありません。

  勿論リオには川の意味もあるのですが、
  ヴェネツィアの場面で使われるとちょっと抵抗を感じます・・。

  



  そしてサンタ・マリーア・マーテル・ドミニ広場・
  Campo Santa Maria Mater Domini.
  
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  立派な井戸のある細長い広場の、西側を占めるこの古い建物が大好きで、
  特にこの大きな窓とその上のロンゴバルドの飾りが好きでして。

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  正面から眺めるとさほど感じませんが、広場の南にある橋の上から眺めると、
  壁の厚さが下の方がぐっと張り出し厚くなっているのが良く分かります。
  なので、窓枠なども上と下では厚さが違うのですよ。

◆ 追記を。
  この建物はヴェネツィアの古い家柄24家の内に入るザーネ家のもので、
  Case Zaneというそうです。
  こちらもpescecrudoさんが教えて下さったもので、
  詳細はコメント欄をどうぞ。





  広場南の橋の上から、向かい側の立派なお屋敷の扉。

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  そしてサン・カッシアーノ広場に出てきて、広場東端にある私の好きな橋。
  若い女性が座り込んで何かメモを。

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  ここはいつか描こうとずっと狙っているのですが、なかなか天気、時間、
  影の良いのにまだ出会わずで・・。

  橋を渡り見える赤い壁の家の向こうの小路は本当に細いのですが、
  カッレ・デル・モルト・死の小路という名と、何か謂れがありそう、
  今回橋の名を探していて知りましたが、橋の名は分からず

◆ 追記です。
  こちらもpescecrudoさんが、ポンテ・デ・ラ・キエーザ・教会橋と
  教えて下さいました。




  ここも細長い広場で、東側には広場の名の由来である教会があり、
  井戸もあり、広場にはトラットリーアのテラス席もありますが、

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  今回はこの写真に見える、広場南端の小路を西に覗いてみることに。





  こんな様子で、本当に狭い小路で、とりわけ奥右に背の高い立派な
  パラッツォがあるのでなお狭く感じますが、

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  入口の扉脇に、こんな風にずらっとインターフォン!
  24並んでいて、はは、そのうち名札のついているのが19。
  かっては貴族の大邸宅だったでしょうが、今はまさにコンドミーニオ。

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  その先から南への小路があり、その突き当りにまた大きな邸宅が見え、

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  小路を抜けてくると、このお屋敷。 ここも大きいですが、
  やはり入り口脇にたくさん並んだインターフォンが見えますね。

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  さて大運河脇に出てきて、お向かいに見えるカ・ドーロ・Ca' d'Oro。
  やはり大運河に面したテラスの円柱の並び、飾りがなんとも優雅で美しく!

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  現在はここの修復に生涯をかけたジョルジョ・フランケッティ男爵の
  名を冠した、国の美術館・Galleria Girogio Franchetti alla Ca' d'Oro.

  カ・ドーロのご案内、その1と2は

  以前のヴェネツィアのご案内は、こちらから





  テラスに何が下がっているのかとアップして見ると、
  オリエント絨毯展示会開催の様で、

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  見かけた案内板、セレニッシメ・トゥラーメ・
  ヴェネツィア共和国の緯糸、とでも。
  
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  サイトによると、15~16世紀の古いオリエント一帯の絨毯25枚の展示と、
  地中海貿易にしのぎを削ったヴェネツィア共和国の歴史を物語るものでもあり、
  また上記したジョルジョ・フランケッティが若き時代に、絨毯に対して大変な
  情熱を持っていた事にも献辞を捧げる展覧会なのだと。

  と同時に15~16世紀にかけてのヴェネツィア共和国領土内に関した
  絵画展も併設との事。

  案内には7月23日までとなっていますが、サイトで見ましたら
  9月10日まで延期されたと。  ひょっとして、見に行けるかな?

  サイトはこちら。





  カ・ドーロに並んでの建物と、右端に切れましたが、大型ゴンドラの渡し場。

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  こちら岸、突き出して見えるのは魚市場で、

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  覗きに行きます、家が近ければなぁ、と思いつつ、ははは。
  海老もマグロも新鮮なのがあるのですよねぇ。

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  最後のは、隣の野菜市場の向かい側に出ていた店で、
  branzini freschi・新鮮なスズキ、とか、scampi rossi・赤手長海老・・。





  野菜市場の屋台、新鮮でつやつや、美味しそうでしょう?!

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  5月半ばで、あっ、今年最初のサクランボを見た!と思いましたっけ。



  という所で今回を終え、その2に続きます。


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・ n.3 メラーノの町散歩 ・ サン・ニコロ教会(ドゥオーモ) ヴィア・ポルティチ

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  さて最終回のメラーノ・Meranoのご案内は、サン・ニコロ教会からどうぞ!

  この教会は一般に「メラーノのドゥオーモ」とも呼ばれている様子ですが、
  「ドゥオーモ」というのは司教座のある教会、という定義ですので、
  正式には教区教会に当たります。

  ちなみにトゥレンティーノ・アルトアディジェ州にあるドゥオモはというと、
  県都であるボルツァーノに、そしてトレント、ブレッサノーネの3つだそう。

  
  トップは、後陣背後からの鐘楼の姿で、
  見える鐘楼の下のアーチをくぐり、教会脇に行きます。

  後陣左脇、鐘楼手前に細めの塔が見えますね。
  この塔には教会内から連絡があり、鐘楼に上る階段が付いていると。





  これは後陣脇の壁に見えた碑のいくつか。 
  かって教会脇にあった墓地を、先回見て頂いたサント・スピリト教会脇に
  移した際のいくつか、という説明がありましたので、それかと。

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  鐘楼下のアーチ内にはいくつかの碑やフレスコ画がありますが、
  このピエタ像の他に2つあり、

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  これはしっかり残っていて、林の中で巡礼が、オリエントの男が示す十字架に
  祈りを捧げる姿1413年作、ボヘミアの画家ヴェンチェスラーオ・Venceslaoとみられ、

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  見直していて、後半部のご案内を忘れている事に気が付きました、あれま!

  このアーチにはもひとつ彼の作品とみられるのがあるのですが、
  色が落ち白黒のどこか怪しい雰囲気になっていて、曼荼羅の様なイメージで・・。





  教会南面の壁。

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  真ん中扉上部にある壁画、サン・クリストフォロですが、顔が分かりますか?
  左手に杖を持ち、肩の上に子供(実はキリスト)を乗せ川を渡る姿で、
  子供のキリストの下に顔が見えます。  が、これは19世紀末の物と。

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  ニッキの中の聖人像は、14世紀作のサン・ニコラ像。

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  聖人の衣服にも彩色の跡が見えますが、その左の壁にもフレスコ画の残りが見えます。
  多分かっては壁面にフレスコ画が施されていたのかも、ですね。





  この扉が現在主たる入口扉として利用されている大きな脇扉で、1430-1440、
  ゴシック式飾りが上に重なり見え難いですが、一番内側の下の層には
  聖母や子供のキリスト、聖人像が。

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  では、内部にどうぞ!
  
  この写真でお分かりになるかどうか、実はこの教会内部の内陣後陣部分と、
  手前の参拝者席部分との軸が真っ直ぐではありませんで、
  正面真ん中に見えるステンド・グラスからの線が、祭壇手前から左にずれています。

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  というのも、元にあった教会12世紀の物を、町が発展し重要になった事から
  1302年に拡張したのが大変にお高くつき、1世紀半以上も建設にかかったそうで・・!

  で最初1367年に、ロマネスク様式だった内・後陣を打ち壊しゴシック様式にしたのが
  完成、その後に参拝者席部を3廊式に、そしてこの時少しずらした形になり、
  多分地形の関係かと思いますが、最後、屋根部分は1450~60年に。





  後陣部分のステンド・グラスは15世紀のもので、ティロル式ゴシックの最たる物のひとつと。

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  振りかえって、入口正面壁側、合唱隊席部分を。
  南面に窓が多く、大変に明るい教会内でして、

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  薔薇窓。

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  そしてサント・スピリト教会と同じ様に、木製彩色による折り畳める
  祭壇式彫像がたくさんあり、

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  参拝者席の端には、それぞれの浮彫が施されており、

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  床はタイルと思うのですが、大理石を見慣れた目にはどうもイマイチでして・・。





  我々は入った脇の入り口から出て、そのまま広場の方に行きましたので
  正面を見ておらずで、はい、ウィキペディアから拝借の写真でどうぞ。

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  入口扉の隅切り飾りも、南面脇の扉の飾りの方が見事な程ですが、
  上部の三角部分タンパンにニッキ風の飾りが3段になっていて、
  屋根上の小塔式の飾りも少し厳つい感じで・・。

  という様に、やはりいつも見慣れている教会様式とはやはり違い、
  内部もフレスコ画がなく、北国の香りの濃い木彫彫刻類がたくさん、という様に。





  奥に見える鐘楼は高さ83mあり、アルトアディジェにおいて壮大な鐘楼の一つで、
  下の3層までは15~16世紀のもので、
  1617年に上層の8角形の物が加えられ、全体で約3世紀掛かったと。
  
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  教会の南西部にはこんな広場があり、周囲を囲む建物も中世の面影を残しますが、

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  広場の端のトランペット吹きが大変に上手く、一帯に心地よく響き渡り、

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  小路の一番奥に、ほら、最初の回でご覧頂いたボルツァーノ門の屋根が見え、
  その手前にも何か古いのがありそうで、ここを通れなかったのが残念でした!

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  で、我らは広場から西に延びる道、ポルティチ通り・Via Porticiを行きますが、

  まさに中世からの間口の狭い家並が続き、ポルティチもずっと続く道で、

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  そして道の奥に聳える、雪を頂いた高山!!

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  途中で角を曲がり、見えたこの建物の一番下にTEA SHOP とあり、
  茶 という字が見えますか? 
  で、この木の形は何?と考えていて、あ、鳥居のつもりなんだと、ははは。

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  最後に広場に出てきて、ここは町のご案内の最初に出た橋を渡った奥の広場、
  テアトロ広場で、

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  我らはパッシーリオ川脇の散歩道に出て、橋を渡りバスの駐車場迄行き、
  郊外の「シシーの庭園」に、という行程でした。

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  美しく明るいメラーノの町散歩、お付き合い有難うございました。
  お楽しみ頂けましたように!!



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・ n.2 メラーノの町散歩 ・ S.スピリト教会 冬の散歩道 サン・ニコロ教会


  メラーノ・Meranoの町ご案内その2は、先回正面入口をご覧頂いた
  サント・スピリト教会・Santo Spiritoの内部ご案内からどうぞ!

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  建設オリジナルは13世紀ですが、その後川の氾濫による破壊があり、
  現在見るこの姿は1483年に再建されたもので、

  内部はこの一帯のスタイルであるドイツ・ゴシック様式、
  9本の円柱による3廊式ですが、

  天井全体がご覧の通り、蜘蛛の巣の様なヴォールトである事、
  内陣後陣が一体となった丸い形なのでそちらに目が取られ、
  そうか、そういえば3廊式だよね、と



  そして内陣の祭壇の後ろ、十字架の掛かる円柱ですが、

  中央の円柱上部には、余り例を見ない三位一体像、
  暗くて見え難いですが、
  キリストを父なる神と聖なる魂が両方から支える形があり、

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  内陣の脇から祭壇の後ろに繋がる形で通路になっており、
  つまりこの中心の円柱を囲む回廊になっているのだそう。 
  気付かなく、確認せず・・。




  内部には木製彩色、折り畳み式の祭壇の形の像がいくつかあり、

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  こちらはピエタ像。  いつもは聖母とキリストのみ、が多いのですが・・。

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  壁にあった14世紀の十字架像。 こちらも脇にお供するのは女性像。

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  教会内部はとても暗く、写真で見て頂いているほど明るくなく、

  これは後陣のステンドグラスの細部。  多分後世の物と思いますが、
  細かい柄が良く写っていたので、ご覧ください。

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  教会南面の壁に、1450年の十字架像のフレスコ画があるそうで、
  画家の名もAmbrosuis Ganderと判明しており、
  これは1964年の修復の時に発見された物で、大変保存状態が良い
  そうですから、これからお出かけの方、どうぞ!
  


  という所で外に出て橋を渡り旧市街方面に戻りますが、

  橋の手前に小公園があり、そこにこのエリザベス皇后(シシー)の像が。

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  彼女はメラーノの町郊外にある城にも住んだり、のご縁なのでしょうが、
  これではほっそり美人だったというのは分かりますが、
  あまり美人に見えないので、はは、次のも。




  こちら、1867年のという、写真をどうぞ。 
  エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(1837-1898)
  オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。

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  17歳の時、姉の婚約者であったフランツ・ヨーゼフに見初められ結婚。
  が、姑は実の伯母の上、窮屈なウィーンの宮廷生活が苦手な彼女には
  大変だったとか、いろいろ逸話がありますが、

  何よりも自分の一人息子が愛人と心中し後継者が無くなり、
  甥を後継に決めた所がサラエヴォで暗殺、第一次大戦に突入となったり、
  自身もジュネーヴで暗殺される、という難しい人生でした。
  絶世の美人を謳われ、フランツ・ヨーゼフをイチコロにしたのも、
  こういう高貴な方にとってはどうだったのか、・・それぞれの人生は本当に様々。


  そうそう、後継者となった甥フェルディナンドも、後継となる以前体調が悪く
  (肺炎だったか)ここメラーノで療養し良くなったと読みましたし、

  また妻が王家の血筋ではない事から、オーストリア=ハンガリー帝国の後継に
  なる前に、妻と子供達は王家の後継にはなれない事を了承させられたり、と
  ・・こういう逸話を読みだすとまさにゴシップまみれで、終わりがなく・・!
  



  さてポスト橋を北に渡り、パッシーリオ川沿いの「冬の散歩道」を東に。

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  なぜ「冬の散歩道」なのか、多分川沿いの道に沿って、
  こんなアーケードがあるからかもですが、薔薇の花が咲き乱れ、




  小路の先にはバールなどもあり、心地よい散歩道が続きます。

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  ワンちゃんたちもたくさん連れられて来ておりましたが、

  ほらね、この子は、なんね、お前は? という目つきでしょう?

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  それが了解を貰って写真を撮り見せ、飼い主が「この子はバブーというの」
  「あれ、あんたはバヴーなの?!」と言った途端、
  大ニコニコ尻尾パタパタで、口にピンクの豚ちゃんを咥え、遊ぼう!って、ははは。




  こんな風に川のカーヴ辺りまで東に行き、北に入り込みます。

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  この先に古いローマ期からの橋があるそうですが、これも見ておらず残念!




  両方からの石塀が作る小路を通って行くと、

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  古くからの住宅街というのか、懐古的スタイルがあちこちに見られ、

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  窓から猫ちゃんが覗いたりの、はは、とても良い趣の一廓で、

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  道の十字の角にこの大きな木。 何の木と思われます、桑の木なんですよ!

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  我が村のあちこちにも大きな太い桑の木がありますが、
  こんな風に高く育った桑の木を見たのは初めてで、気持ち良い驚きでした。
  やはり養蚕があったのかな、とも思いましたが・・。




  そして辿るこの小路。

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  この道の中ほどに、こんな小さな碑が2つ埋められており、

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  この近くに住んでいたユダヤ人母子の名か、1943年、上のエーレナは6歳、
  翌年アウシュヴィッツで、フランチェスカは39歳で拉致され、殺害、と。

  ボルツァーノ県の大多数のユダヤ人はメラーノに住んでいたものの、
  すでに大多数が他に逃れ町には約60人ほどだったのが、1943年9月
  徹底捜査が行われ22名が逮捕、ここから絶滅収容所に。
  イタリア国内から収容所送りが行われた最初だったと。

  上の親子の小さな碑が語る、この町でも起こった暗い歴史のひとつ。
  



  さて広場に出てきて、

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  広場の西には、町の中心教会でメラーノのドゥオーモとも呼ばれる
  サン・ニコロ教会・San Nicolò の鐘楼、高さ83m、と後陣部分が見え、

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  後陣の斜め後ろに見えるこの建物、洗礼堂かと思うのですが、
  中に入って見れずで、右隣の、接触している建物はドゥオーモ博物館と。

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  入り口脇に見える、サン・クリストフォロのフレスコ画。

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  教会脇を通る道筋のカフェでは、すでにアペリティーヴォ・食前酒の時間で、
  
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  羨ましく眺めつつ、ははは、我らは後陣の脇から背後に見える鐘楼の下の
  アーチをくぐり、教会の入り口に回ります。



  という所で今回のご案内を終わり、内部のご案内は次回に続きます。



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・ n.1 メラーノの町散歩 ・ クアハウス パッシーリオ川 S.スピリト教会

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  今回から3回にわたり、5月に行って来た南ティロルのメラーノ・Merano
  の町のご案内、町散歩をご覧頂きますね。

  トップは、町に着き中心に向かって来た所で、パッシーリオ川・Passirioに
  渡る橋、旧市街に連絡する橋のひとつであるテアトロ橋の手前から。




  この右手に眺めを移すと、見えるこの城がティロル城。
  メラーノから北に7km程のティローロ・Tiroloにある11世紀に遡る要塞城で、
  ティロル伯爵の所領地、居城だった所で、これがティロル地方の名の由来に。

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  メラーノの地もティロル伯爵の元で中世に大きな経済発展を遂げ、
  13世紀「町」に昇格。 15世紀ティロル伯爵家の本拠はインスブルックに移りますが、
  19世紀半ば迄、公的にはティロル家所領地の首都であったと。

  


  サイトで見つけた写真で、現在博物館になっている様子の城の内庭。
  見えるマスティオ・主塔の壁の厚さは、基礎で5m以上あるのだそうで!

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  この城は、1420年インスブルックに伯爵家が中心を移すまでの居城で、
  現在見える建物群は19世紀に改修されたのだそうですが、




  こちらは8~11世紀のものとみられる礼拝堂の扉部分、素晴らしいでしょう?!
  これを見ただけで、次回のチャンスがあったら!と。

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  現在この城は歴史文化博物館となっていて、

  月曜休館で、3月15日より12月の最初まで、10時から17時。
  詳細はサイトに。  http://www.schlosstirol.it/it/home/




  町の中心部の地図をどうぞ。
  パッシーリオ川の最初の橋は地図の左端に赤点を付けた位置で、
  我々は東のテルメ・Terme Meranoの前を通り、テルメン橋を北に渡り、
  クアハウス・Kurhausの前、川沿いの散歩道を東に。

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  そして3番目の橋ローマ通りと出ているポスタ橋を南に渡り、赤点をつけた
  サント・スピリト教会を拝観、再度橋を渡りパッシーリオ川沿いの散歩道を東に。

  地図の一番右端よりも東で北への小路を辿り、古い住宅街を通り抜け
  サン・ニコロ教区教会に。

  その後教会前の道を西に辿り、中ほどで南に曲がりコルソ・デッラ・リベルタを通り、
  最初のテアトロ橋に出てきた行程でした。

  ボルツァーノとの連絡の鉄道駅は、コルソ・デッラ・リベルタを西に行った所に。




  これは最初のテアトロ橋から東の眺めで、右に見える大きなモダンな建物が
  温泉地メラーノの名を高める、テルメ・メラーノ。  

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  プール、サウナ、そして各種のフィットネスも出来る様で、
  サイトはこちら。 http://www.termemerano.it/it

  メラーノは温暖で穏やかな気候から、もともとは中高年者向け療養観光地として
  19世紀から有名だったそうで、冬などウィーンとは10度もの温度差があるそうで、
  ハプスブルグ家皇帝一族も、とりわけ皇后シシーもこの地を愛し療養もで、
  世界的にその名が知れ渡ります。

  と後先逆になりましたが、メラーノはイタリアの一番北に位置する州、
  トレンティーノ・アルトアディジェの自治県県都ボルツァーノ・Bolzanoから30km
  北西に位置し、海抜325m、周囲を1500~3000m級の高山に囲まれ、
  町の人口4万人弱。

  メラーノは、中世の名残が残る美しく小さな町と聞き、一度訪れたいと
  ずっと願っていたのでしたが、
  中世の面影が残り小さな可愛い町、という話から想像していた町とは
  かなりイメージが違い、明るく、そしてちょっとお洒落な保養地、という感じを受け、
  町自体がツーリストの受け入れに積極的でイメージを保つ努力をしている、
  という事を強く感じました。 

  ドイツ語・イタリア語の関係は、メラーノで約半数位という事でしたが、
  ガイドさんはドイツ語圏の方でしたね。

  南ティロルに関しては、単にドイツ語とのバイリンガルであるというだけでなく、
  かなり複雑な事情がある様子ですが、これについてはまた次回にでも。
  



  5月の中旬だったのですが、快晴の良いお天気で暑いほど!
  川辺で子供たちが遊んでいる姿も見え、

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  我々はこのテルメン橋を北に渡りますが、

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  川の斜め向こうに見えるのがクアハウス・Kurhausで、文字通りケアの家。
  最初のオープンは1874年11月、120以上のガス灯で、とあるので、
  きっと煌びやかなものだったのでしょう。

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  当初は現在の西側の棟だけだったそうですが、後に灯も電灯に代わり、
  新しい部屋も建設され、大変繁盛した様子で、
  1911年ウィーンの設計家フリードリッヒ・オーマン・Friedrich Ohmannが
  増改築改装に取り掛かりますが、第一次大戦の勃発で中断、
  現在見える2階のテラスのある入口建物などは1914年12月にオープンを。

  オーマンはユーゲント様式の設計家で、このクアハウスは、エレガントで
  モダンな印象を与え、リバティー様式の傑作のひとつとされているそう。
  



  正面入口の丸い建物部は、グーグルの発音ではクァザーイ・Kursaalと
  聞こえますが・・、何の意味だろ? コロッサール?

◆ 追記  ミ~タさんがKursaalの意味を教えて下さいました。
  クアハウスの、ホール、広間、という意味なんだそう。

  で、近くでガイドさんの説明を聞いていると、

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  2階のテラスに正装の男性、男優が3人現れ、見上げる我々に手を振ってくれ、
  ははは、
  
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  なぜ男優とすぐ分かったかと言いますと、前にチネテクニカと書かれた
  大きなトラックが止まっておりましたものね。

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  それはともかく、如何にもアールヌーヴォーの装飾が屋根の上にも見えますが、
  オーマンは単に建物の設計だけでなく、内部インテリアなどもしたそう。

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  現在は土地の滞在企業の事務所が国際的な催しに使っている、といい、
  元々の療養治療の方もと思うのですが、13の部屋で千人収容OKと。




  花壇にポピーが咲き乱れる川沿いの散歩道を行きますが、
  橋の脇にもコンテナーにいっぱいの花が咲き、

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  これはも一つ先の橋、ポスタ橋脇の広場にあった花壇で、
  見える紋章がメラーノの紋章・ティロルの鷲で、14世紀からのものと。

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  近くにあった遊具で子供達が遊んでいて、でもすぐ怖い先生がね、ははは。

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  その先に見える如何にも中世風の町の門・Bozener Tor・ボルツァーノ塔
  (これもミ~タさんからのコメントで)と、
  この名はここより南のボルツァーノに向かう道筋の旧市街の町の門なので、
  と、左奥に見える塔は町の教会サン・ニコロの鐘楼で、

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  その先にはこんな大きな建物、ホテルと思うのですが・・。

◆ その後グーグル地図のイタリア語版を見ていましたら、向こう半分の位置に
  INPS・全国社会保障保険会社(年金)と出ていましたので、少なくとも半分はその事務所。

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  パッシーリオ川の川音がかなり高く聞こえ、南に見えるのは郵便局。

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  ポスト橋、つまり郵便局橋ですが、向こうに古い由緒ありげな教会が見え、
  shinkaiは早く傍に行きたくてたまりません!

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  ガイドさんはイタリア語がスラスラではなく、ゆっくりと話し、おまけにマイク、
  イヤホンなしで少し離れるともう聞こえずで、プロ根性に欠ける、と
  口うるさい小姑どもが離れた所でごちゃごちゃと、ははは。
  
  ひょっとしてこのまま旧市街に向かうかもと、ゆっくりの説明を聞いて動かない
  仲間達を睨みつつ、一人で先に橋を渡って撮りに行ったほどで・・。




  が、ついに橋を渡り・・、 やったぁ!   この橋にも花鉢が。
  
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  橋の上から見る北西の山々。

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  ポスト橋という名前についての標識が橋の袂にあり、橋についての最初の記録は
  1271年で、当時橋の下に、上流からの木材が接岸する場所があり、
  ここから運河を通って製材所に運んでいたと。
  
  もちろん当時の橋は木製で、1889年になって鉄製の橋に架け替えられ、
  現在の橋は1909年のリバティー様式の橋なんだそう。  ・・そうだった?へへ。




  サント・スピリト教会。

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  13世紀に遡る、病院と共に建設された古い教会で、これが1419年に
  パッシーリオ川上流にある湖の氾濫で、多分山崩れが原因と、
  大破壊したのを1483年に再建された、この一帯のドイツ・ゴシック様式と。

  病院も一緒に再建されていたのが、1905年町に新病院が出来、
  元からの病人救済の役目が無くなり、1939年に取り壊されたと。




  正面からの姿。  脇壁にも見られる扶け壁が正面にもあり、上に小さな鐘楼。
  小さなバラ窓は1495年のもの。

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  入口の扉上の彫りが素晴らしいでしょう?!
  木彫風にも見える重厚な彫りで、「三位一体」が真ん中に。


  という所で今回のご案内を終わり、内部はその2に続きます。


 ***** 

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・ スコミーゴ村、夏の緑 ・ 葡萄畑、果実の色  n.2


  スコミーゴ村、夏の村散歩の様子、その2を続けます。

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  オリアーノ村から我がスコミーゴ村への下り道は、T字型になっていて、
  右、東に行くと、先回見て頂いた高速を越える跨線橋に出ますが、
  これは殆ど地元の人しか通らない道で、

  左、西に行く道は我が家への道でもありますが、葡萄畑の間を通りながら
  カルページカ、そしてヴィットリオ・ヴェネトにも続く道。

  そして、このT字になっている脇に、サン・ピエリン・San Pierinの礼拝堂
  18世紀、があります。
  サン・ピエリンというのは、サン・ピエトロの事で、
  
  この前庭で子供たちのお祭りの遊びがあったりの様子ですが、
  いつも通り過ぎるばかりで、何も知らず分からずで、
  検索を掛けたのですが、お祭りの話ばかりで、はは、由来などは何もなし!


  何せあちこちで出会う建物も、調べると大概が古い中世に遡るのが多いので、
  その感覚にこちらも慣れ、18世紀? なに、新しいじゃん、と・・、ははは、
  有難みを余り感じなくなっている、厚かましさです、すんまへんです。




  脇の壁には、こんな装飾の鍵なども、サン・ピエトロの天国への鍵ですね、
  見えるのですがぁぁ・・。

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  こちらが上記した「サン・ピエリンのお祭り」の立て札で、
  サイトにも、どんなバンドが来て、何が食べられるか、という話題だけで! ははは、

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  この立て札でも、ほらね、お祭りの期間は6月23日から7月2日と結構長く、
  魚フライの日の写真が見えるでしょう?
  はい、この日曜が最後で、夕方ゴミ捨てに出ましたら、
  礼拝堂とは反対の方角にある、サッカー場の方から音楽が聞こえましたっけ。

  スコミーゴ村の守護神は聖女エレナで、このお祭りも夏なんですね。
  shinkaiが来た当時はお祭りはもっと派手で、夜中遅く迄音楽が聞こえましたが、
  徐々に音が小さくなり、それから村はずれのサッカー場の方に移った様子。
  でも、花火は今もあります。
  と言っても夜中になるので、shinkaiは既に寝ておりますねぇ、最近は。




  いつも通る道を行くと、金網の内側、葡萄畑の脇に背の低いリンゴの木があり、
  リンゴがかなり大きくなっていて、むむ・・。

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  少し先から、葡萄畑の横道、草原に入り込みますが、
  遠くに見える刈った草を巻いたもの、牛ちゃん用ですね。

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  いつもの葡萄畑も、今はこんな具合に茂っていて、

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  ほら、粒はまだ小さめですが、しっかり房が育っています!!

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  とはいえ、まだ遅く出来かけの、赤ちゃんの房もたくさん見え、

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  まだまだ伸びる弦!  ムーヴィン・オーン、ムーヴィン・オン、という
  誰でしたっけ、の歌の文句が頭に浮かびます。

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  そして、この柔らかそうな、小さな可愛い芽も!

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  奥の雑木林に向かって、こんな風に畝が連なり、

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  葡萄畑から見る、オリアーノ村の教会と鐘楼。

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  この地に住むようになり、葡萄畑がすぐ傍にたくさん広がるのを目の当たりにし、
  その整然と広がる、杭はまっすぐにも斜めにもきちんと間隔が取られ、
  冬の葉のない時の葡萄畑は、まさに幾何学的に広がり、動いていきますし、

  この辺りの丘の起伏につれ、畝がうねる、はは、洒落ではありませんで、
  本当に畝がうねりながら伸び、丘を越えていく、

  その美しさに魅せられ親しみ、季節ごとの生育ぶりを眺めれる嬉しさも感じ、
  この地に住める幸せを思うshinkaiです。




  葡萄畑が丘の奥に続き、広がる空。

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  あの丘の上をコネリアーノからオリアーノを通り、ヴィットリオ・ヴェネトへの
  道が続きます。




  西に向かって。

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  西に広がる葡萄畑は、少し古く木の背が高く、しっかり茂っています。

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  ふと見ると、小さな小さな蜘蛛が巣を張っており。

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  奥の雑木林、背後に開ける草原が明るく、その間を湧き水が流れます。

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  草原の小さなクローバーの花。
  
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  そろそろ引き返そうと。  葡萄畑の上に広がる北の空。

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  お昼に食べ過ぎた重いお腹を抱えて、はは、そろそろと我が家に向かい、

  葡萄畑の畝の間から見る、傾斜地の畝と農家。

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  最後は、我がコンドミーニオに続く並木、シナの木の実。
  固く引き締まった小さな実で、頭に落ちると痛いほど!

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  という、スコミーゴ村の夏の色、緑、でした。



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・ スコミーゴ村、夏の緑 ・ 葡萄畑、果実の色  n.1

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  昨日2日の日曜、いつもの仲間から招集が掛かり、お昼に
  久し振りにオリアーノ村のピッツェリーアに皆が集まるから出てくる様にと。

  shinkaiは、夜は出ない良い子、ははは、いや、早く寝るので、
  と既に皆が知っていてのお昼のお誘いとなると、イヤとは言えずで、
  ついでに戻り道に葡萄畑の写真を撮ろうとカメラを下げて出かけました。

  お昼の様子はまた分家の方で見て頂く事にし、
  こちらでは夏の緑色で埋まった村の様子を、
  それもたくさん撮り、見て頂きたいのもたくさんありますので、
  2回に分けて見て頂きますね。 はぁ、無理にでも見て頂こうと、ははは。

  いやいや、葡萄の成長ぶりは、ワインのお味にも関わる重要さですから、
  はは、しっかり、ごゆっくり、どうぞ!


  トップは、オリアーノ村から見た東隣のコッレ・ウンベルト村。
  雲があり、陽が射したり陰ったり、でも少し蒸し暑い午後でした。




  やはりオリアーノ村から見るヴェネト平野の地平線!
  本当はもっと広く見えるのですよ。 素敵でしょ?!

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  北に向かっての眺め。 左に見える鐘楼がスコミーゴ村ので、
  その並び右端、階段状のコンドミーニオ、右から2段目1階にshinkaiんち。

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  坂道を下りながら見上げる、オリアーノ村教会の鐘楼。
  ピサの鐘楼ほどではありませんが、ここのもかなり傾いています。

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  かなり坂道を下って来ての、コッレ・ウンベルト村の鐘楼。
  右下の木立に囲まれている丸い屋根は、スコミーゴのサン・ピエリン礼拝堂。
  次回にご案内いたしますね。

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  坂道途中、右に広がる葡萄畑はデヴュー1年目。
  ひょろひょろと伸びて、小学校1年生という所でしょうか。

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  左側には少し雑木林が残っていて、こんな可愛い色の草の実や、

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  白い雪の結晶みたいな花。

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  この実はプラタナス、ですっけ?

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  小学1年生の畑の下、奥には古い農家。

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  坂道も一番低い場所になり、左側に広がるデヴュー3年目の葡萄畑。
  多分この秋は葡萄摘みが行われるのだろうと。

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  この畑に、春、北の国に戻る羊の群れが休んでいた様子は、




  端に湧き水が通る流れがあり、

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  こんな様子。 細い流れですが、透明な水が流れて行きます。




  最後はほんの少し上り坂となり、オリアーノ村からの丘の傾斜はこんな様子で、
  上に見えるのがデヴュー1年目、小学1年生の畑ですが、

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  手前もこの春デヴューしたてのほやほやの畑ですので、ご覧を。




  野原だったのを整地し、畝を作り、それからの苗の植え付けが遅かったのですが、
  今こんな様子!
  
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  本当に葡萄の木の赤ちゃんで、2枚目の写真の一番下左の苗で、
  葡萄の苗は、挿し木で育てているのが分かりますね。
  さて、この秋までにはどこまで育ちますか、またご覧頂きますね。

  昨年春まだ草原だった時、羊の群れが休んでいた様子は、




  ここから家に向かうのとは反対側、東への道を辿り、
  お家の庭先から飛び出しそうな、大きな大きなひまわりの花!

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  夾竹桃。 赤もあったのですが、うまく撮れず・・。

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  百合の花、これはこちらでサン・フランチェスコの百合、と呼んでいるものと。

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  前夜の嵐、その前にも何度も嵐があったので、それで落ちたのか、
  周囲にはたくさん実が落ち、甘酸っぱい香りが漂い・・。

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  プルーニャの実と・・。

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  名前は知らないのですが、これ、杏子みたいな味の果実。

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  地元の人しか通らないような道筋なので、お家の庭先ではパンイチで、
  ははは、日光浴しているのが見え、
  ついでにと初めての道にも入り込み、小さな葡萄畑が広がるのを見、
  道もジグザグに奥に続きますが、まぁ、あまり入り込むのは・・。

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  ヴェネツィアへの高速に掛かる跨線橋の上から見下ろす葡萄畑。
  三角地にしても、面白い畝の作り方でしょう?

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  丘の斜面に広がる、植え替えて2年目の葡萄畑、漸くに揃って来ました。

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  新しくデヴューする葡萄畑、古い木を引っこ抜き新しく植え替える、
  ここの所かなり激しく見られるこの一帯の現象なのですけど、
  これはすべて辛口発泡性白ワイン、プロセッコの木への変更なのですね。

  この一帯、コネリアーノから北西のヴァルドッビアーデネ迄は
  「プロセッコの土地」として認定されているので、それで。

  何年か前に、プロセッコはフランスのシャンパンの売り上げを抜き、
  不景気知らずという事で、それへの転換なのでしょう。
  



  さて今回の最後は、ヴェネツィアへ向かう高速のカーヴ地点。
  いよいよ夏が始まり車の往来もかなりで、はい、これでもね、ははは。
  
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  という所で、次回に続きます。



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  ブログご訪問、有難うございます
  先月末に漸くこちらへの引っ越しが済み、今日から再開させて頂きます。

  たった30記事なので大丈夫だろうと思っていたのですが、
  いざとなるとやはりあれこれ大変で、
  一番の問題は、サイトの仕組みがまるで違っている事でした。

  テンプレートの変更なども、絵の師でもある友人の二木一郎さんに
  あれとこれを変えて下さいとお願いしたり、
  HTMLもスタイル・シートもまるで分からない私では手の施しようがなく、
  本当にお陰様で、すっきり美しいスタイルで再開できました。
  有難うございました!!

  今年1月からの記事にコメントを頂いたのは消えまして、
  記事内容に関連したのは追記しましたが、
  コメントを下さった方々、ご容赦下さいますように。
  
   
  それと、今までは写真も多く一度にアップしていたのを、
  今回からは2度に、時には3度に分けることにし、1回分を軽く、
  
  これはスマートフォンで訪問下さる方がかなりの数になっている事も考えてで、

  その分、5日毎の更新だったのを、出来たら3日毎にと、
  まぁ、これは適宜に・・、へへへ。

  と言う様な変化もある、新しい出発でございます。

  またここでしっかり頑張り、10年続きますかどうか、きゃはは、

  まだリンクも出来ておりませんし、不足だらけなのですが、

  今まで通りご愛顧、そして応援頂けますよう、
  どうぞよろしくお願いいたしま~す!!
  


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  アップしています。    
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