・n.2 ボローニャ・チェントロ ・ 市役所見学と、マッジョーレ広場


 先回に続き、ボローニャの中心、マッジョーレ広場にある市役所、
 パラッツォ・コムナーレのご案内を。

 ですが、まず、ネプチューンの噴水の東側を通るヴィア・リッツォーリの奥に
 見える有名なこのアジネッリの塔・Asinelliと、手前左の低い方は
 ガリセンダ・Garisenda48mの眺めを。

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 アジネッリの塔の高さは97,2mで、2,23mも傾いているそうで!
 498段の階段で上に登れます。

 この塔の上からの眺めは http://italiashio.exblog.jp/4275811/

 この塔からは、7つの教会とも呼ばれるサント・ステーファノ聖堂がすぐ。 


 ボローニャ ・ Bologna ・ 美食と意外性の街

 ボローニャ・チェントロ ご案内 ・ その1 




 そしてこの塔の足元に残る、この中世の面影。
 古い建物を修復し、しっかり残しているのが素晴らしいと思います。
 家でも古いのを修復する方が、新しく建てるよりも断然高くつくのですものね。

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 さて、コムナーレ宮の見学に戻りまして、
 これは市のコレクションを集めているサーラ・プリミティーヴォの、中世の作品。

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 コレクションの部屋は、19世紀から20世紀の初めにかけての絵画、家具の
 収集とか、部屋自体が18世紀末に装飾された部屋とか様々、17室あり、
 目についた物を撮っていて、どの部屋の物かはご説明できませんが、
 関係ある枢機卿や街の統治者たちの部屋も含まれ、美しい見事な部屋もありました。

 これらは天井のフレスコ画が素晴らしいと思ったもので、

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 赤い絹張りの部屋、調度品も見事でしたが、

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 この素晴らしい天井画が気に入りましたです。

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 こちらは渋いグレーの絹張りの部屋。

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 このワン君の像は18世紀の物。
 注文主のワン君への愛情が感じられるような・・。

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 あずまや風に設えた部屋。

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 絵画作品には、ルーカ・シニョレッリ、ティントレット、アルテミジーア・ジェンティレスキ
 などもあるという事ですが、済みません、あまり注意して見ておらず、へへ、
 気に入ったのは、このアイエツの「ルツの像」

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 アイエツの作品が好きというのではないですが、これはパッと見て・・。
 多分暗い絵がたくさんある中で、この明るく上品な色合いに惹かれたのかも!

 と、タイトルを見、麦穂が描かれているのからも、ああ、あの旧約聖書のルツだ、
 とすぐわかり、
 というのも、ずっと以前TVで昔のハリウッド映画「ルツ」を見て、
 姑と仲の良い嫁ルツが未亡人となり、姑があれこれ知恵をつけて再婚させる、
 その孫だったか、ひ孫だったかがダヴィデ王に、というのを覚えていたので、
 それもあって親密感が湧いたのかも。

 まぁ、それにしてもアイエツという画家は、女性の乳房を上手く見せますねぇ!
 いやらしく感じさせず、その上になお顧客のお好みに上手に応える、
 その辺りも上手い画家だったのでしょうね、ははは。




 こちらがサーラ・ウルバーナ・Sala Urbanaと呼ばれる、壁全面が紋章に
 覆われた部屋で、内部には入れませんでしたが、カーテンの隙間から見つけ、
 はは、薄暗い中のを必死で撮ったのでしたぁ。
 見事でしょう?!

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 部屋が出来たのは1630年頃といいますが、18世紀の中ごろに壁全体を
 約200位の紋章で、14世紀からの街の統治者、そして街に関連した教皇たちの
 紋章をフレスコ画で描いているのだそう。

 が、皆同じスタイルに揃えられ、上部などに陰影が見えますね。
 なので多分、型紙を作りどれもが同じ寸法にするのはもちろん、
 色数も同系色で揃えたのでしょうし、 
 ここまで紋章で埋められると、素晴らしい迫力になりますね。

 天井画も見事ですが、ここも円柱や張り出した半円形のテラスなどを騙し絵の
 手法で描いていますね。




 最初にコムナーレ宮の見学を、と思ったのは、ここにボローニャ生まれのモランディ・ 
 Morandi、白い瓶などの白い静物画で有名なモランディの博物館もあると知り、
 それを見たかったのが大きな目的の一つだったのでしたが、

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 ボローニャ行きを決めて調べたところが、モランディの作品類は駅から北西の
 MANboというボローニャの現代美術の博物館に移っていると知り、
 そちらも見に行きました。

 モランディの一見とてもシンプルに見える白い静物画の素晴らしいのは、
 あちこちの美術書や雑誌で見てお馴染みで、それを楽しみにして行ったのですが、
 正直な所、あまり素晴らしいと思える作品がありませんでした。
 というのも、考えてみると、彼の素晴らしい作品はとっくにどこかの有名な美術館
 などに収まっているのだろうな、と。

 まぁ、実験的な18㎜フィルムの作品とか、ドキュメンタリー・フィルムなども
 見る事が出来て、それなりに楽しんだのではありましたが・・。




 こちらは降りた階段ですが、やはり段差の低い階段になっておりました。

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 一階の中庭の回廊部分と、見上げる階上の窓。

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 そして、マッジョーレ広場の西側を占める大聖堂・サン・ペトローニオが目につきます。
 サン・ペトローニオ・San Petronioはボローニャの第8代の司教(500年代)
 サント・ステーファノ教会の創設者でもある、町の守護聖人に捧げられた大聖堂。

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 街の守護聖人にまつられたのが1253年で、建設が始まったのが1390年。
 一応の完成を見たのが1663年で、ご覧の通り正面壁の下部だけ大理石で
 覆われた、煉瓦作りの未完の姿なのですね。

 何せローマのヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂以上の大きなものを、と取り掛かり、
 途中で資金不足、並びに教皇庁からの有無を言わせぬ大きさ制限もあった様子で、
 それでもゴシック式の煉瓦作りの教会としては世界最大の大きさ!

 長さ132m、幅60m、穹窿の高さ44,27m、正面壁の高さ51m、という
 ヨーロッパの教会の中で6番目の大きさ!
 勿論一番大きいのはヴァティカンのサン・ピエトロ聖堂で、次にロンドンのサン・ポール、
 セヴィリアの聖堂、そしてミラノのドゥオーモフィレンツエのドゥオーモなんですと!




 ですが、未完の姿で煉瓦が剥き出しで見える、というのも、
 なかなか渋くて良いではないかと私などは思うのですが・・、

 3年前はまだ少し修復が残っていたせいなのか、正面扉は開いておらず、

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 向かって左側の扉が出入り口になっておりました。

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 内部は写真禁止で、おまけに管理人がかなり厳しく見張っておりまして・・!
 サイトからの1枚を。

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 内部には素晴らしい礼拝堂、とりわけ壁画の素晴らしいボロニーニの礼拝堂・
 Cappella Bologniniや、大変正確な日時計などもありますので、
 ボローニャにお出かけの時は市役所ともどもの見学をどうぞ!
 あっ、市役所見学は無料ですが、日曜日はお休みです。

 そうそう、この大聖堂は街のドゥオーモ、司教座のある教会ではなく、
 ボローニャの街の主たる教会、という位置なのですね。
 これもいささか不思議な感がありますが・・。




 マッジョーレ広場はいつも人出でにぎわい、何やかやと催しもある様子で、
 男性二人が大きなシャボン玉をふくらませていたり、

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 広場の南部分ではコンサート会場の準備に大わらわでしたっけ。

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 我らは広場から市場の通りに入り込み、お総菜屋さんが出していた
 小さいテーブルと椅子に座り、美味しそうなものをあれ、これと指さしてお皿に
 載せて貰い、お昼を。

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 mkちゃんはブロッコリとズッキーニ、そして少しのカポナータ・ラタトゥイユかな、
 shinkaiのはカポナータをたっぷりと、ホウレンソウが入った卵焼き。
 このカポナータの作り方はです、
 料理の上手いルイーザから聞いたのですが、鍋で作らず、さっと野菜類を
 炒めた所でオーブンに入れて水分を飛ばしながら作るのだそうで、
 これが断然美味しいのですが、手間がかかるのですよね。

 写真整理をしていて、このカポナータを見て食べたくなってお昼に作りましたが、
 横着して鍋でそのまま作りましたら、やはりあの味ではなかったで~す!




 朝6時前の電車に乗って出かけて来たボローニャでしたが、
 お昼を食べ、この後モランディの博物館に向かうべく、駅方面に。

 市役所前のアーチにも大道の演奏家達が出ており、この3人は何を
 演奏していたのだったっけ? 上手い、と思ったのは覚えておりますが・・!

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 都会生活を楽しめる、という調査ではいつも上位を占めるボローニャですが、
 食べ物も美味しく、文化的な施設、催しも充実している街、
 人口は37万人を超す大都会なのです。

 モランディの絵をあれこれ見て、夕方近くにフィレンツェに向かいましたが、
 ボローニャの駅で電車に乗るのに、地下にどんどん降り、2,3回エスカレータで
 降りて行き、ゆったりと時間通りに入ってきた電車がちょっとした新幹線のイメージで、
 おお、イタリアにもこんな電車があるんかいな!

 で、宿についた所で、博物館に身分証明書を預けたままを思い出し・・!
 荷物預けを使うのに、身分証明書と引き換えだったのですね。
 それを言うと宿の主人が即博物館に電話してくれ、二日後の午後戻る時に
 寄って受け取る、という様なドジがあったのを思い出しました! 
 へへへ、いつもの些細なドジでしたぁ。


 以前のエミーリア・ロマーニャ州のご案内は



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・n.1 ボローニャ・チェントロ ・ 市役所見学と、マッジョーレ広場

 今回は少しドロミーティの夏山から離れ、都会の空気を吸いに!

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 ボローニャ・Bolognaには何度か出かけていて、ご案内も4度していますが、
 街の中心マッジョーレ広場の北側を占める市役所の大きな建物、
 ここの見学もしたままでご案内がまだでしたので、
 写真を整理してご覧頂く事に。

 上が市役所の建物・コムナーレ宮・Palazzo Comunaleですが、
 今こうして見えるのは全体の半分でして、この右側にもずっと続き、
 今右に見える2階部分の大きな窓、これが8つあり、
 その右にまだ別の建物が!





 そして長い建物であるのは何も正面だけではありませんで、
 こちらは市役所の西側を通るヴィア・クアットロ・ノヴェンブレ通り
 からの眺めで、
 そうなんです、如何にも中世の要塞風という西側の壁、建物が見られ、

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 通りから見る、表側の建物の角の塔の様子。 

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 通りからマッジョーレ広場に出て来てみる市役所の表側で、

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 真ん中のアーチの上にある銅像は、第226代教皇グレゴーリオ13世・
 Gregorio XIII(1502-在位1572-1585)
 グレゴリウス暦採用で知られた教皇で、ボローニャの出身なのですと。

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 左上にある15世紀後半、1478と見えますが、
 テッラコッタの聖母子像。 かっては金色と他の彩色だったと。

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 そしてコムナーレ宮の西端上に聳える時計塔ですが、

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 今回興味深い事を知りました。  これです!
 これは一見強面の木造人物像に見えますが、ははは、右と左端は
 マギの3博士のうちの2人で、左から2人目がトランペットを持った天使、
 で、馬上の人物はたぶん関連しているのであろう、という関係と。

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 塔の時計は1444年10月に市役所が注文したもので、
 その設置で塔も約10m高くされ、公共の時計は1451年8月2日から
 動き出したのだそう。

 で、文字盤の傍には4人の福音者と2人の天使が描かれ、
 時計の下には半円形の石の通路が付き、左側にはテッラコッタの天使、
 右には聖母子像が据えられ、・・ご想像くださいね!

 通路の小さな扉からトランペットを鳴らしながら木造の天使が現れ、
 マギの3博士が続き、左から右の聖母子の前まで動き、トランペットを吹き、
 鐘がチンと鳴り、4像は礼をし、銀色に塗られた星が上に下に動いたのだそう!!

 これが毎時の事で、全て連動したオルガンの自動演奏が伴い、
 4像が元に戻り消えると時計が時を告げたそうで、
 そうそう、木像は金色と多彩色で色付けされた1m少しの高さと言いますから、
 何とも見事なカラクリ付きの時計だったわけですね。

 で、この仕掛けが1451年から1796年まで続き、無くなった理由はです、
 ナポレオン軍が時計の仕掛けを変え、木の像も取り払ったのだそうで・・!!

 後年この木製の像が見つかったものの、マギの一博士像はどこかに消失し、
 他の3像と騎乗の人物の4像は、現在コムーネ宮のコレクションの部屋に
 公開されている、というのですが、・・残念、見逃しました!




 コムーネ宮の東に続く建物、元のサーラ・デル・ボルサ・Sala del Borsa、
 ここもコムーネ宮の一部となっていますが、もともとは市の穀類倉庫に
 使われたりの様で、、
 名前から考えて、かっては株の取引所でもあったのでしょうか。
 が、現在は多機能型の図書館になっていて、

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 壁に見える碑は、かってレジスタンス抗争で戦って亡くなった人々の顔写真。

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 パルティザン戦闘員数 14425  その内女性 2212
 パルティザン戦没者  2056   負傷者 945
 愛国者の逮捕者数  6543   愛国者で報復のため銃殺 2350
 愛国者の内ナチの収容所で亡くなった数  829
 後に軍の褒章を受けた者 金メダル 22名  銀メダル 40名 




 これが現在の内部の様子で、一見モダンですが天井のかっての意匠も美しく、
 床のガラスを通し、ローマ期から中世にかけての遺構も見ることが出来ます。
 左に大きく「bebè・赤ちゃん用の席」というのが見え、これは微笑ましい!

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 遅ればせながら、単にコムーネ宮・パラッツォ・コムナーレと書いている
 建物類ですが、もう一つ名前があり、
 パラッツォ・ダックルーシオ・Palazzo d'Accurusioと。
 ボローニャの法学者であり法律家であったアックルーシオの館だったのを
 13世紀の末に市が購入したものだそうで、
 歴史の変遷の中で何度か改修され、さまざまに活用されながら現在に至ります。

 また1920年11月21日には、このコムーネ宮、マッジョーレ広場を舞台に
 社会主義者、労働者たちとファッシスタ行動隊員との銃撃戦となった衝突があり、
 社会主義者側に10名の死亡、58人の負傷者というのもあったといいますから、
 戦後もずっと「赤いボローニャ」と呼ばれたこの街は、やはり社会主義の歴史も
 古いものなのですね。

 ボローニャ・チェントロ ご案内 ・ その1 

 サント・ステーファノ聖堂 ・ ボローニャ 





 コムーネ宮の横、マッジョーレ広場に続く細長い広場の真ん中にある
 ネプチューンの噴水、
 shinkaiが行った時は2度とも噴水が止まっておりましたが、
 ここは格好の待ち合わせの場所でもある様で、いつも賑わい、

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 斜め後ろに見えるのが、エンツォ王の宮殿で、



 こちらは広場の東側を通る道ヴィア・リッツォーリ側からの眺め。
 エンツォ王(1220-1272)は、神聖ローマ皇帝フェデリコ2世の息子で、
 戦争捕虜で囚われの身のまま、ここで23年間を過ごし亡くなったと!

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 さてでは、コムーネ宮の見学に参りましょうか、マッジョーレ広場に
 面している大きなアーチをくぐり、入ってくる内庭。 

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 本来はこの広い階段・スカーラ・コルドナータを上り、上階に行く訳ですが、
 shinkaiと友人は見つかったエレベーターに乗り、へへへ、直接上にね。
 この階段の段差がとても低いでしょう? これは騎乗、または馬車のまま、
 かっての貴人たちが上がるための物なのですね。

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 という訳で見なかった、ははは、
 2階にある、「市議会場・サーラ・デル・コンシーリオ・コムナーレ」。

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 ですが同じ2階の、「エルコレの間・サーラ・デルコレ・ヘラキュレスの間」は
 こうして撮っておりまして・・!
 凄いものがたくさんある場所に出ると、こちらの気持ちもいっぱいになり、
 満腹状態で撮る意欲が薄れるのかも・・。

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 こちらも見なかった、またはまるで意識に残らなかった
 「赤い部屋・サーラ・ロッサ」
 20世紀前半に今の様に改修された部屋だそうで、
 現在は市民結婚式会場なんですと。

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 ここから3階になり、この広い大広間は「ファルネーゼの広間・Sala Farnese」
 正面の大きな2つの窓から入る光が明るすぎ、逆に広間は暗く感じるほどで、

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 正面の像はファルネーゼ家出身の教皇パオロ3世像(1468-在位1534-1549)
 本名アレッサンドロ・ファルネーゼ、イエズス会の認可、トレント公会議を
 開催など等ですが、

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 暗くて顔が見えませんので、ティツィアーノ作の有名な肖像をこちらに。
 若い頃にはローマで放埓な生活をし牢に入ったりもあり、美貌の妹ジューリアが
 教皇アレッサンドロ6世のお気に入りとなり、彼は枢機卿になった、ははは、
 というエピソードも伝えられますが、彼自身やはり鋭い方だったのでしょうね。

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 ファルネーゼ家の素晴らしいカプラローラの大邸宅  1~3




 格子天井の装飾や壁のフレスコ画などは18世紀になって、同族出身の枢機卿
 ジローラモによって、隣の礼拝堂なども改修された様子ですが、現在のは
 19世紀末に再び元の様に修復されたルネッサンス様式のものと。
 現在この部屋は、市の行事の行われる部屋。

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 「レガートの礼拝堂」または「ファルネーゼの礼拝堂」と呼ばれる、
 市の行事使用でも一番重要な部屋だそうで、造られたのは15世紀中頃。

 ここで1530年2月24日神聖ローマ帝国のカルロ5世が、この日は彼の誕生日
 イタリア国王として「鉄の王冠」による戴冠式が行われたのだそうで、 
 その後にボローニャの大聖堂サン・ペトローニオにおいて、
 教皇クレメンテ7世による戴冠式が行われたと。

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 教皇領であった時代もあり、この街の教会、司教、枢機卿、教皇との結びつきの
 深い事に、読みながら改めて感嘆します。

 勿論こんな大戴冠式が行われる、という事自体が、その準備も含め大変な事
 でしょうし、皇帝、教皇共にこのコムーネ宮に滞在したというので、
 さぞ煌びやかで、そして警戒も大変だったのであろうと想像したり・・。

 現在も勿論ですが、イタリア半島の東西、南北の幹線通商道の交差点であり、
 最重要の都市の一つであり、繁栄し続ける人口37万人ほどの大都市ですが、

 我が泥縄の知識では到底及びませんが、それでも頑張ってこの街の凄さ、
 奥深さをお伝えできれば、と思います。




 大体の部屋の所在を示した写真がありましたので、こちらを。
 上(北)西に見えるOfficeが市役所の事務所部分で、
 手前真ん中部分の囲ったSala degli Svizzeriには、教皇アレッサンドロ7世 
 (1599-1667)の記念像があるそうで、
 パオロ3世の像のあったファルネーゼの広間は、グレイ色の屋根の見える西の縦部分、
 そしてファルネーゼの礼拝堂はサーラ・デッリ・ズヴィツェリの手前と。

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 サーラ・デッリ・ステンミ・Sala degli Stenmiは全部の壁が紋章で覆われた
 素晴らしいもので、こことその東に見えるサーラ・デイ・プリミティーヴィ、
 ここには市のコレクション作品があり、次回にご案内を。




 窓の大きさ、高さがお判りでしょうか?!

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 これは確かサーラ・デッリ・ズヴィツェリにあったかってのボローニャの街の姿。
 周囲を城壁で囲み、なんと180本くらいの塔があったのだそう!

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 この部屋の名前から、多分この部屋辺りはかって教皇様がお越しの時は
 護衛のスイス兵が駐屯していた部分なのではないかと想像しますが・・。





 これは「ファルネーゼの広間」から写した大聖堂サン・ペトローニオの眺めですが、
 逆光の上、窓ガラスが汚れておりまして・・! はは。

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 こちらは「エンツォ王の館」の入り口部分で、右下に「ネプチューンの噴水」の
 基礎が切れて見える位置ですね。

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 「エンツォ王の館」が見え、その向こうに見える通りがヴィア・リッツォーリ。
 この通りを南に、右に行くと現在も残るボローニャの高い塔に行きます。
 といいつつ、この写真の中でも3本ほど塔が残っているのが見えますが・・!

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 という所で今回のご案内をお終いにし、また次回に!

 以前のエミーリア・ロマーニャ州のご案内はこちらから。



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・n.2 ドロミーティ 2000m級の高地の散歩 カティナッチョ連山


  先回に続きまして、アルトアディジェ州のドロミーティの高山、
  カティナッチョ連山の麓、2000mの高さまでロープウェイで上り、
  そこから奥の山小屋までの散歩の様子をご覧くださいね。

  ロープウェイで上った平地から西周りに山際の道を歩き、
  そろそろもう着くかなという感じになって来て見える、奥の山。

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  我らの前を歩いていた家族連れのボクが、脇の傾斜地を下り
  ポーズを取り、パパの写真に納まっているのを見て、私も良いですか
  と許可を貰い撮った1枚。
  ボクはパパの時は両手を上げていたのですけどね、ははは。

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  上の道に上って来たのに、名前はと聞くと、ダヴィデ・Davide君7歳で、
  ついでにお兄ちゃんの名前はダニエーレ・Daniele君と知り、
  ついでについでに、はは、ブログに載せても宜しいか? 勿論!!
  と言う様な事で、家族皆一緒の一枚も!!

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  歩き始めるとお兄ちゃんがパパに、ブログって何?と聞くのが聞こえ、
  奥さんが言われるのに、親族の女性が日本男性と結婚し東京に
  住んでおられる事、夫君はトリノにデザインの勉強に来ておられて、
  今も椅子のデザインをされていると。

  そう、ちょいちょい、こんな日本とイタリアの縁組の話が聞かれますね。




  セルジョが、ほら、着いたよ!と。
  でも、今見えるあの建物は廃業で閉まっていて、その奥に行きます。

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  こんな道路標識が要所要所にあり、
  我々が目指すガルデッチャ・Gardecciaは、一番下、この先、すぐ、
  中は、ロープウェイ・Funivia、山小屋チャンペディエ・Ciampedié 45分、
  あれ、来る時には50分って書いてあったのに、と思いましたが、
  確かに戻る時の方が少し時間が短かった、少し下り坂だったのかも。
  一番上には、ここから2時間以上かかる峠道の標識。

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  さて周囲を見渡すと、こんな山々に取り囲まれた形となり、

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  すぐ上の写真は、北西側の一番奥の眺めですが、山麓に凸凹に突き出している
  少し色の濃い岩山があり、 その左の岩の上に山小屋があるのが見えますか? 




  これです!
  ここまでセルジョとドナテッラは上った事があるのですと!
  で、ドナテッラの話では、上について歩いた時に、頭がクラっとなったと。
  確かに、この高さだとちょっとした高山病的な事が起きたのかもですね。

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  この上の山小屋もオープンしています、という張り紙があったのをついでに。
  バール・レストラン・宿もあるというのが、イタリア語とドイツ語で、
  ここまで行くとこんな風にパノラマが広がるのですね!

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  イタリア語ではカテナッチョ・Catenaccio連山のカテナッチョの意は、
  柵とか閂、サッカーでのゴール前の守備なども表すのですけど、   
  ミ~タさんがコメントで、ドイツ語では「ローゼンガルテン・薔薇の庭」
  という名だと教えてくれました。 
  きっと朝焼け、夕焼けの時に岩山が薔薇色に、から来たのでしょうね。
  セルジョも、ドロミーティの岩山の夕焼けは凄く美しいのだと。

  山小屋の名はRifugio Paul Preuss・ポウル・プレウスで、
  1913年からオープン、海抜2243m、ベッド数10、
  お湯の出るお風呂もあると!
  山小屋のサイトは、  http://www.rifugiopaulpreuss.com/ 

  この山小屋の奥にもう一つ別の山小屋があるのも地図で見えましたが、
  下のガルデッチャからは1時間半ほどの上り坂、これは凄そう!


  標高2000m ドロミーティの山々と、マルモッタ 

  ドロミーティの景観 ・ 山小屋サン・マルコ 

  トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレード ・ ドロミーティの景観 

  ドロミーティ全般のご案内

  


  さて、これがガルデッチャの山小屋群で、大変な賑わいでしょう?!
  山小屋が全部で5つほどもあり、他にも土産物店とか屋台もあり、
  我々は中ほどに見えるバール・レストランの2階でお昼を

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  お昼を済ませた後、傾斜地に広がる平地の上方に上り、周囲を。
  北西にあるこの傾斜地の、モミの木でしょうか、自分たちの
  繁殖地の最高の高さまで頑張って生え、後は草地、
  そして岩山となる見本のような・・。

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  こちらはロープウェイで上って来た平地が、左側に少し見え、
  背後に見える山が凄いすごい!! 

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  傾斜地に広がる平野はこんなで、子供用の遊び台が所々に設置され、
  風がかなり強く吹き抜けていきますが、家族連れ、カップル、
  皆さんそれぞれにくつろぎ。
  お昼のレストランもどこもいっぱいでしたが、
  殆どはパニーノなどを持参で、皆でのんびりお昼を。

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  上のレストランの前の木のナイフとフォークの前に座ったセルジョ、
  撮れ、撮れ!と。 彼は本当にこういうのが好きなのですよねぇ。

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  空に真っ黒な雲が湧き、広がって来たのを見て、では戻ろうと
  いう事になり、
  その前にちょっと高台にある小さな教会に。

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  中心の聖母子を囲んで右の聖人はサン・ベルナルド、
  左はサン・クリストフォロ。

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  気にかかった黒い雲もいつの間にか消え、山のお天気は変わりやすく、
  出発地点の平地まで戻って来て、ほら、あそこ、と見えた
  ガルデッチャの山小屋ですが、見えるのは一番高い場所にあった山小屋。

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  プレダッツォから通ってきた町並みの見える場所に連れて行ってくれ、
  ロープウェイの下の乗り場ヴィーゴ・ディ・ファッサの西はずれが左に、

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  奥がモエーナ・Moena、大変綺麗な町だそうですが、夏はごった返すと言い、
  手前の人口池が見える左がソラーガ・Soraga。
  来る時には人工池をめぐり、綺麗なレストランやホテルが点在しておりました。

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  とっくに花が散ったサンブーコ・ニワトコ。 
  この味の飴ちゃんはとても美味しい。

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  平地のバールで一休み。 脇にあったこれは上に聖母子があり、
  下の穴それぞれに角度が付いていて、覗くと脇に書いてある場所が見え、
  中央3つある真ん中の穴からはガルデッチャの山小屋が。
  柱の脇側にも穴があるのですが、一番上の穴には背伸びしても届かず・・!

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  連れてこられたワンちゃんも、夏山を楽しみ、ゴロンゴロンと草原を楽しみ、

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  さて、ロープウェイで下ります。  
  下るにつれ見えてくるパノラマを西から東に。

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  ヴィーゴ・ディ・ファッサの海抜は1382mだそうで、
  600m程の差をあっという間に下り、

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  俗世間に戻りましたぁ!
  
  山歩きは好きでない、と言いつつ、本来なら行きそうにもない
  ドロミーティの高山散歩を楽しんだ、という夏休みでした。
  何せユネスコの自然遺産なんですものね、 セルジョ達に感謝を!



 *****

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・n.1 ドロミーティ2000m級の高地  カティナッチョ連山

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  お盆休みに出かけて来ましたドロミーティ山系の麓の村ですが、
  今日はそこから奥に、2000m級の高地にロープウェイで上り、
  山小屋までの小道を歩いた様子をご覧くださいね。

  トップの写真は、ロープウェイに乗るための村ヴィーゴ・ディ・ファッサから
  見下ろした隣村で、
  この村の奥にも、こちらとは反対向きへのロープウェイがあった様子。




  ロープウェイ乗り場にあった図をどうぞ。
  カティナッチョ連山・Catinaccio の近くに行く為に乗ったロープウェイは、
  図の左に見えるヴィーゴ・ディ・ファッサ・Vigo di Fassa
  から2000mの高地まで連れて行ってくれますが、

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  セルジョは本当はもっと奥のペーラ・ディ・ファッサ・Pera di fassaから
  リフトに乗り、3本乗り継ぎ、一番奥の高地まで行くつもりだったのですね。
  高山の山懐に入った様な感激を味わえるから、と。

  所が土曜日大快晴のこの日、15キロ以上もの停滞の道をペーラにたどり着くと、
  なんと2年前からここのリフトが停止されており、新しい道路建設とかで、
  仕方なくヴィーゴまで引き返したという訳。

  で、ロープウェイで上の高地まで行き、そこから奥に囲った山小屋の位置まで
  歩いた、歩かされた、ははは、shinkaiは山道を歩くのが好きでないのです、
  古い町の中をカメラ片手に歩き回るのは大好きなんですけどぉ・・、
  という訳です。

  図に見えるオレンジの線は、それぞれの山道を示し、ずっと奥の高山まで
  トレッキングの道が付いているのが分かりますし、
  ちゃんと何時間で、という表示もありましたので、
  山歩きの好きな方には溜まらないでしょうねぇ!


  ドロミーティ全般のご案内




  さて、待つ間もそんなになく、上からロープウェイが降りてきて、
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  一箱というのか、かなりの人数が乗り込める広いもので、ゆるゆると上り始め、
  下の広い草原に点在する家。

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  山肌に近い所を上り始めると、やはり凄い景観で、

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  歩いて上る小道も付いていて、所々でこんな風にすれ違い、

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  さて、上の平地、2004m!!

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  右から順に見える高山は、

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  平地の向こうに覗いて見えるので、そんなに高くも感じないのですけど、
  見えるこの下に2000mがあり、それにプラスの高さ、なんですよねぇ!!

  上の図をアップして見ると山の名もあるのですが、正確にどの山がそうなのか、
  角度が違うと分かりにくく、いずれにしても
  2300m~2600m 2900m級の山なのでした。




  風が強く吹き、爽やかでもあり、暑い夏日でもあるのですけど、
  半袖Tシャツの若者もおり、我らの様にTシャツ、上着、そしてカッパと着ても
  暑くはなく、

  強い風で雲が動くのが早く、その度に見える山の表情が変わります。

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  上の平地から西に向かってこんな下り坂で、奥の眺めはこんな様子で、

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  いったん下り坂があって、その上に山小屋が見えますね。
  
  下り坂の前に標識があり、一番上に見えた「ガルデッチャ・Gardeccia 0,50」
  を指しながら、セルジョが一番近いここに行こうか、行けるかい? 
  山道にはうぶなshinkaiは500mかと思い、ははは、




  こんな下り坂! 帰りには上らなくちゃならない、とそれだけでウンザリですが、

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  ここまで連れて来てくれた2人の手前、嫌とは言えず、まぁ、あの小屋までかと、
  うん、歩けるよ、と言ったのでしたが、

  下まで行って分岐点で、上の小屋ではなく、右奥の小路を辿り50分と知り・・!!
  あ~~ぁん、もうっ!!




  上の平野からは見えなかった奥がこんな風に見え、見える山の形も変わります。

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  道はこちらの山際を通り林の中を抜けていくのですが、
  時にこんな風に眺めが広がる個所もあり!

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  スキー用のリフトもあり、道も付き、時に人工雪の施設も。




  家族連れが一番多く、3世代位が一緒に山歩きを楽しみ、
  子供連れは乳母車を押したりもあり、彼らにとっては
  決して特別な山道でないのですね。

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  小道は特別な傾斜の坂は少ないのですが、上って降り、の繰り返しで、
  やはり砂利道が多く、そして時にぬかるみもあり、
  
  若いカップルが子供を連れ、乳母車を押したり引いたりで行くのには感心!
  ワン君たちもたくさん行きかい、子供たちは元気元気!!




  花がもっと咲いているかと思ったのですが、殆ど花が無く、小さな野草の花が少し。

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  このリンドウ風のは花の大きさが1㎝ほどの小ささ!


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  所々に説明があり、これは「ハイ松・チェンブロ松の長い旅路」について。
  オリジナルはシベリアのハイ松が何千年も前の氷河期にここまでやって来た、
  というのも、種が大きく丸く、風に飛ばされるのではなく、ホシガラスの好物で、
  食いしん坊の彼らは年中食べられるように運んできて隠すのだそう。

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  それが運搬飛行中に落ちたり、隠れ場所を忘れたりするが幸いして、
  遠いシベリアからここドロミーティにまで長い旅路を経てたどり着き、
  ずっとこの高山で繁殖し続けていると。




  近くに見えた、綺麗なまだ若いハイ松。 植物は本当に偉いですねぇ!

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  かなり大きな木が根こそぎ倒れているのも見え、

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  小さな祠も見え、

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  最初、上の平地から見た時は右上から左下に流れる傾斜が、
  こんな風に右正面に見える位置にまで近づきまして、
  
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  という所で今回はお終い、次回に続けますね。



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・ ドロミーティでの夏休み ・ ロッレ峠を越えて


  皆さま、こんにちは!
  お盆休みも済み、いかがお過ごしですか?
  きっと良い夏休みを過ごされた事でしょうね。

  私は10日から3日半ほどドロミーティの麓の村シロール・Sirorにある
  義理の息子セルジョ-Sergioの家に出かけ、
  そこから奥のドロミーティの町々、そしてロープウェイで2000mの
  高地に上り、歩いて奥の山小屋に、というのもして来ました。

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  今日はひとまず写真整理が済んだ、ロッレ峠・Passo Rolleを越えて
  プレダッツォ・Predazzoの町に、をご覧くださいね。

  シロールの山の家については、その1と2

  ドロミーティ全体のご案内は


  まずはシロールの村から山道をぐんぐん上って行くところ。
  今回は2度ロッレ峠を越え、一度はプレダッツォの町から戻ったのですが、
  この日は雲が多く、時に雨、という残念なお天気で、

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  2度目はもっと奥、ドロミーティのカティナッチョ連山迄行きましたが、
  この日は大変良いお天気でしたので、
  これはまた別にご覧頂きますね。




  所で、シロールは何処にあるか、地図をどうぞ。
  スコミーゴの家から辛口白ワイン、プロセッコの葡萄畑の道を抜け、
  ヴァルドッビアーデネからフェルトゥレ・Feltreに出て、
  そこから一路北、という方法もあるのですが、

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  簡単まっすぐに行ける、ははは、高速でベッルーノ・Bellunoの手前まで行き、
  そこからずっと西に向かいフェルトゥレに、という行程を取り、
  ちょうどシロールに2時間で到着。

  数日前に買った新しいナヴィゲーター、トムトムは、ベッルーノ近くから北の
  山中に入り込む道を指示し、一番の近道だというのですが、
  これは一度通って知っていますが、地道ばかりの酷い上り下りカーヴで!  
  シロールのすぐ隣のトルナディーコの村に降りてくる道で、眺めは良かったですがぁ、

  またこの道を通るつもりはなく、何度も右に曲がって、と元に戻させようとする
  指示を無視しながら、ひたすらフェルトゥレを目指し、ははは、
  そのうちに諦めて我が意図と同じ道を教えてくれるようになりました。

  古いトムトムは10年使い、新しい道もどんどん出来ているので、
  新しく改訂版を入れようかとサイトに行きましたら、
  へへへ、すでに各当モデルも見つからず買い替えたという具合でして、
  光線が当たってもディスプレイはちゃんと綺麗に見え、
  イタリアのみならずヨーロッパ全般を含んでいるそう!
  う~ん、もうちょっと若かったらねぇ、では、アルプスを越えて、なんて、ははは。
  



  で、この地図は今回の動いた範囲で、
  シロールの家から北に、サン・マルティーノ・ディ・カストロッツァ・
  San Martino di Castrozza,
   そしてロッレ峠・Passo Rolleを越え西に下り、プレダッツォに。

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  ここはヴァル・ディ・フィエンメの中心的町で、ヴァル・ディ・フィエンメというと、
  ヴァイオリン作り、ストラディヴァリも使い、今もこの谷の赤モミの木が有名な所。  

  翌日はプレダッツォから北に、こちらはヴァル・ディ・フォッサ・Val di Fassaで、
  ヴィーゴ・ディ・ファッサ・Vigo di Fassaからロープウェイで2000mの高地に。

  緯度の高さとしては、ヴィーゴ・ディ・ファッサから北西に山を越えていくと
  ボルツァーノに出る、という様子です。




  さてサン・マルティーノ・ディ・カストロッツァの町を通り抜けて行きますが、
  この町は夏の避暑地でもありますが、冬のスキー場で大変有名な所で、
  地図を見ると町の周囲に何本ものリフトがあるのが見えますし、
  ホテルも大きなお高そうなのが幾つもあり、町は大変な賑わい。

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  ちなみにシロールの海抜は765m、サン・マルティーノ・ディ・カストロッツァは
  1487m、ここから越えていくロッレ峠は1984mで、
  プレダッツォの町は1018m。




  サン・マルティーノ・ディ・カストロッツァの町を下に見て山道を上り始め、

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  しばらく行った所でセルジョが、あっ、鹿がいる、と言い車をバックさせ、
  薄暗い森の中に2頭の鹿がいて、
  3枚撮ったのに、どれもひどいブレでして・・、残念、何とかマシな1枚を。

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  この日はお天気があまり良くなかったので、10時前のこの時間でも
  こんな道路の近くに出ていたのでしょうね。




  その先、そろそろ峠に差し掛かるかという場所で出会った乳牛の移動! 
  ちょうどカーヴの角で、若い牛飼い二人と牧牛犬というのか1匹が付いていて、
  我らの後ろにじきに他の車2台も止まり、

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  車が止まると、カランカランと首のベルを鳴らしながら牛たちがすれ違って行ったのですが、
  ほら、上の道にまだ一頭、白茶が残っているのが見えるでしょう?

  中の写真でもまだ上の道にいて、最後の写真で、カーヴの道を下らず近道で下って
  いるのが見えますが、ははは、

  撮っている時はこの横着な牛に気が付かず、かなりの数の牛たちが通り過ぎ、
  車が動き始めた時になって、後からのそのそと歩いて来るのに出会い、ははは、
  多分彼女はいつもこんな風に一人で行動し、後から付いて行くのでしょうね、
  牛飼いたちも特別に待っている、という風ではなかったですもの。

  セルジョが言うには、上の牛小屋で乳を搾った後移動しているのだそうで、
  も少し道を進んだうえに、確かに山小屋がありました。




  ロッレ峠は上記したように海抜1984m、地図でも見えますが
  つづら折りの峠道で、目では見えますが撮れずで、

  峠の上に来るとこんな風に雲がはれて陽が射したり、また動いたりで、
  日に当たると暖かいものの、かなりの風で雲の動きも激しく・・。
  リフトが付いているのが見えますね。

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  一本道が伸び、右奥に見えるバール・スーヴェニール店で休みましたが、
  左手の真ん中の店の表に赤いのが見えますか?
  ここで真っ赤なパイルの上着を買い、今回の山行きでとても重宝しましたっけ。

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  シロールの家の中でもいつも20度以下で、夜はもっと下がりますから、
  寝る時は厚い毛布を2枚掛けでちょうど良く、
  こうして出かけてくると、持参の上着では寒かったのですね。




  これはかなり大きなホテルが廃業した後で、他にも何軒かホテル、レストランがあり、
  小さな教会もあり、

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  ここには以前経済省の軍が駐屯し、行き来するのを取り締まっていたのだそうで、
  そう、アルトアディジェ州の、かっては国境の道でもあったのですね。

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  これが峠の東に見えた一番高い峰、シモン・Cimonと言ったかな、
  雲が激しく行き来し、一番の峰はしょっちゅう隠れていましたっけ。

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  峠を下り始めると、こんな様子で平原も広がり、

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  道脇の山小屋風レストラン。 土地の料理、そしてチーズもありますと。
  確かにこの先にかなり有名だという、「臭いチーズ」の山小屋もあり、
  帰りにセルジョが買い、家で味見させて貰いましたので、またご報告を。

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  ヴァル・ディ・フィエンメ・フィエンメ谷に含まれると思われる一帯を行きますが、
  本当に素晴らしい見事な森が広がり、

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  通り抜けていく村の脇に、ロバが放し飼いにされており、

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  また次の村に行き、見事な森と、少し離れた所に小さな教会が見え、

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  ここには鹿が出てくる野があり、柵で囲ってあるので鹿が出てくるのですね。
  柵まで行っておいで、というので近寄り、

  この位置からだと6頭ほど見えましたが、ほら、背中の上に小鳥が止まってるのが
  見えますか? 
  毛並みの間の虫を食べるのでお互いに了承なんだそうで、
  プロヴァンスのカマルグでは白馬の上に白いトキの姿も見ましたっけ。

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  一番奥に、見事な角を持った牡鹿がいるのが見えるのですが、
  窪地なので、近寄ると顔が見えずで・・。




  これはかなり近くにいた雌鹿。

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  木の幹もこんなに太く、深い森が奥に広がります。

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  下から撮ったセルジョ。

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  道に上がると、奥の牡鹿が見えたものの残念顔が見えず。
  でも、柵の手前の人々の様子に笑いました。
  だって皆携帯を見ていて、ははは、鹿を眺めているのは2人だけ!

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  こんな見事な森を見ると、この夏中部から南イタリアの猛暑と共に
  大変な数に上った放火で損失した森、林に思いが行き、
  北にはそんな事件災害が無いのを有難く思わずにいられません。

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  そしてまた風景が変わり、海抜によって植物体系が変わるのが良く分かる様な。

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  馬の放牧があり、

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  古い家のキリスト像が残るのも見え、

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  そして、プレダッツォの町に到着。
  壁に汽車の絵が見えますが、手前右にちらっと見える屋根の建物が元の駅舎で、
  ここに1917年から1963年までボルツァーノ近くのオーロという町からの
  鉄道連絡があったという記念で、この付近は今駐車場に。

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  という所で、ドロミーティの夏のご案内その1、でした。
  


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・ イタリア中部大地震から1年  その後の復興状況は


  昨年夏8月24日、そして10月26日と続けて起ったイタリアの
  中央山岳地一帯での大地震からちょうど1年が経ちました。

  TVニュースを朝のみですが再度見始めいて、つい先日の事
  マッタレッラ大統領が地震の中心被災地となったアマトゥリーチェ・
  Amatrice、そしてアックーモリ・Accumoliを訪問されたというニュース、

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  そして続いてアマトゥリーチェのリストランテ・ローマが再開というニュース、
  カステルッチョのレンズ豆の収穫が始まった、というニュースも見ましたので、

  まだお盆のお休みを、の最中なのですが、はい、
  被災地の復興の様子をすこしでも皆さんにもお伝えできるかと
  写真を探しました。

  アマトゥリーチェの方は、多分ローマからの道が復興しているのでしょう、
  あれこれ写真も見つかり、
  カステルッチョのレンズ豆収穫のは、収穫の日のが見つかりましたが、

  ほとんど壊滅状態になった村の様子は見つからず、他の町のは
  ヴィッソも、プレーチも、アックーモリも復興の写真は見つかりませんでした。

◆ が、アックーモリでは何軒だったか、木造の家が住民に、というニュースが聞こえ、
  これはアマトゥリーチェでもどんどん進んでいる様子なので、
  他の被災地でも同様と思われます。


  で、まずアマトゥリーチェの様子から。
  トップの写真は、どの町の入り口にもある標識なのですが、
  "海抜955m"  越してきた冬は厳しかったことでしょうね。
  そして下に、
  "スパゲッティ・アマトゥリチャーナの町"




  スパゲッティ・アマトゥリチャーナという美味しいトマトソースのスパゲッティの
  発祥地でもあるのですが、
  
  地震の後の、ホテル・リストランテ・ローマの様子はこんなでした。

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  そして大統領訪問で映った町の様子、レストラン再開で見た町の映像、
  多分、以前の町の外に新しく建設されている町は、
  丸く棒が並んだモニュメントを真ん中に、周囲に広がる木のモダンな建物類。

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  そしてこちらが再開されたリストランテ・ローマ。

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  サイトによると、フード地帯、とでも名付けられた7,8軒のメンサ・共同食堂
  や他のレストランもあるのか、の一廓で7月29日から再起、再開された様子。





  ニュースではオーナーの、店再開の感激の声もあり、

  リストランテ・ローマのスパゲッティ・アマトゥリチャーナの写真。
  多分、以前のレストランのだとは思うのですが。
  どう、大盛でしょう?!

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  ではついでに、リストランテ・ローマのスパゲッティ・アマトゥリチャーナのレシピを。
  5,6名用  
   スパゲッティ・デ・チェッコ 600g
   グアンチャーレ・豚のほほ肉 200g
   トマト1kg (で、トマト・ソースを作っておく)
   ペコリーノ・チーズ  胡椒または唐辛子 塩

   グアンチャーレをオリーヴ・オイルほんの少しで炒め、こんがりとさせ、
   それにトマト・ソースを加え、塩、胡椒、または唐辛子を加えて
   約10-15分煮る。 最後にペコリーノ・リーズのおろしたのを加える。

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  グアンチャーレ・豚のほほ肉、というのは、普通のパンチェッタ・ベーコンよりも
  脂分が強いのだそうで、それとペコリーノ・チーズ(ヤギのチーズ)とで、
  味が濃厚になって美味しいのでしょうね。 
  日本だとグアンチャーレの入手が難しいのかもで、ベーコンをお使いの時は
  ラードなぞをちょっぴり加えたら味にコクが出るのかも、と考えたりしますが、
  どうぞ皆さんもお家でお試しを!!




  最後は、フォルツァ・アマトゥリーチェ・頑張れアマトゥリーチェ!の垂れ幕を。
  "明日を思い、救える命を救い、石を置き、今日できる事を"

  ニュースの中に、ドイツが病院建設をプレゼント、というのがあり、
  嬉しいニュースで、他の町にも他の国の援助がありますように!!

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   フォルツァ、アマトゥリーチェ!!

  再度の復興の願いを込め、 地震被災地への追悼を




  そして、カステルッチョ・Castelluccioのレンズ豆収穫が始まったというニュース、
  確か6日の日曜のニュースで見たのでした。
  広い広い大平原がこんなに黄土色になっていて、大きなトラクターが何台も!

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  これが有名な、小粒で美味しいカステルッチョのレンズ豆・レンティッキア。
  スープにも使いますが、クリスマスの肉料理の付け合わせにも欠かせずの豆、
  shinkaiはご飯を炊く時にちょこっと混ぜたりしています。

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  ただ、レンズ豆収穫の様子は見れたのですが、肝心の町の様子は映像に出ず、
  昨年の地震の後の上空からの様子が再度流されただけで・・。

  トラクターについていた抗議の張り紙などもちらっと見え、
  道が無くては・・、と読めましたので、多分まだ肝心の道の復興がなっておらず、
  一般人が入り込めない状態なのであろうと。 残念です。


  今回の地震の断層が見つかったモンテ・シビッリーニ一帯の
  美しい風景を、ジョヴァンニの写真で。

  カステルッチョの美しさ 1と2

  雨と霧のカステルッチョ 




  ノルチャの様子も探しましたが、見つかったのは今年3月のこの1枚、

13-20170324_130236_GF.jpg

  ヨーロッパ議会の各国代表がノルチャで会議を開いた際の物で、
  横の像は、修道院生活の範を定め、ヨーロッパの守護聖人でもある
  このノルチャ出身のサン・ベネデット像で、背後は修復の骨組みの中の聖堂。


  ノルチャとカステルッチョを。

  世に評判の、ノルチャの旨いもの店は




  マルケ州のヴィッソ・Vissoも新しい写真が見つからず、
  寄付お願い、のこれだけ。

14-donazioni-per-visso_GF_1.jpg


  このヴィッソの町から山越えでカステルッチョに連絡する道が、地震の際の
  山崩れで未だに開通していない、というのを読んだので、
  そのままになっているのでしょう、で、一帯のプレーチも、その奥の小さい村落も、
  そしてヴィッソの町自体も、まだまだ復興は遠い状態なのかも、です。

  ヴィッソのご案内は
  
  プレーチ・Preciと、サンテウティツィオ教会、一帯の村など。
  プレーチのサンテウティツィオ教会は崩壊した後のニュースが分からず・・。

  大地震の後の、 歴史遺産と町の修復保存に付いて


  大地震に2度続けて襲われ、壊滅的な被害の出た一帯ですが、
  なんとか復興の兆しは見えるものの、まだニュースにも出ない町が多く、
  それが気にかかっております。

  が、何とか皆さんがお元気で、復興への希望を失っていない事を祈ります!!



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