・ n.2 チヴィダーレ・デル・フリウリ再訪 ・ 世界遺産 ロンゴバルドの小寺院


チヴィダーレ・デル・フリウリ・Ciuvidale del Friuliの再訪記、
今回はロンゴバルドの小寺院・テンピエット・Tempiettoという名で
良く知られている、大変に美しい小さな礼拝堂のご案内です。

ロンゴバルドの小寺院、と書きましたが、正式の名は
オラトーリオ・サンタ・マリーア・イン・ヴァッレ・
oratorio di Santa Maria in Valleと言い、
ずっと以前訪問した時とは入り口が変わっておりました。

ドゥオーモから南側の道を左に折れ入って行くと、
通りからアーチの門越しにサンタ・マリーア・イン・ヴァッレの入り口が見え、

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ここが入り口というか、切符売り場の入り口で、

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表の入り口にも書いてありましたが、現在小寺院の合唱隊席の
木製品部分の修復中でして、

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透明なプラスティックで仕切られた広い場所で、男性2人がせっせと修復中で、
その様子を眺める事が出来ますが、
多分この大きな部屋は、かっての教会だった部分だろうと。

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ここはサンタ・マリーア・イン・ヴァッレという修道院だったのが、
現在は博物館になっていて、
この小寺院は2011年からユネスコの世界遺産に指定。




こちらはディスプレイに写る木製品の細部の様子。

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そこを抜けるとかなり広い回廊を通り抜けるようになっていて、

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これは外にあった平面図で、下側の実線の濃い部分が小寺院。

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回廊部分から右側をぐるっと迂回する形で下側の通路に出て、
平面図の左側の小さな入口を入ると受付、ブックショップ。
そして右側にある入り口、から内部に。

小寺院はいわば長方形で、図面上側の正方形になった部分が合唱隊席、
とありますが、参拝人も座ったのだろうと、でないと座る場所がありませんものね、
で現在の入り口である手前側が内陣部分。




で、中に入り、手前の内陣部分から見る、正方形の広い部屋側の
正面の壁部分で、ここに素晴らしい漆喰の装飾と、女性像が。

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いわば3層に分けられた形で、女性像・聖女像は一番上の段にあり、

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左から右に、3人ずつの聖女像で、等身大よりも少し大きいと・・。
柔らかい微笑を浮かべ、手に十字架や王冠とみられるものを持ち、
衣服の襞の流れもとても美しいもの!

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◆ 追記です ◆

ミ~タさんがコメントで、この6人の聖女像の中、漆喰製の中には
麦藁が芯に入れられていて、地震などからの崩壊を免れたのだ、と
教えて下さいました。
ミ~タさん、有難うございました!



段毎に装飾の帯の仕切りが入り、この柄はロンゴバルドの典型的な物といい、

中の段には、半円をかたどった葡萄の葉と房の柄があり、
半円内にはキリストと、大天使2人の姿のフレスコ画。

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ここの葡萄の葉と房の装飾が美しく素晴らしいものですが、
上と下の半円形の中には、ガラスを使った球状の物が嵌められていたのも
良く分かりますね。

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ほぼ完全な状態で現在まで残っているのが信じられないようなものですが、

この礼拝堂が造られたのは8世紀の中頃で、この場所にはもともと当時の
この町の貴族、町の領主でもあったガスタルド・Gastaldoの邸宅があった場所で、
いわば貴族の宮廷の礼拝堂として造られたものの様子。

後に、(今は既に無い)修道院となったここには、ロンゴバルドの執政官の
事務所や住居もあったのだそうで、

現在小寺院内の、元の合唱隊席の木製部分が修復中で取り払われている
部分の床下部分の調査では、
ローマ期後期から初期のカトリック文化時代の構造も残っているのが分かったとか。




中層の半円部分の横に残る、様々な後世のフレスコ画部分。

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こちらが現在修復中の木製部分がすべて取り払われた跡で、

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かなりの臭気があり、shinkaiはひょっとしてお墓があったのかと!
受付の女性に尋ねた程でしたが、
上記したように古い建物構造が残っていたのだそう。




こちらが元あった姿で、昔尋ねた時は、受付の人懐こい女性が、
こちら側にも入らせてくれましたっけ!

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現在は入り口が内陣側の横から入り、逆にこちらを眺める格好ですから、
一瞬どうなっているのかと掴みにくい感じもするのですが、

この写真で見える様に、本当はこちらの入り口、回廊側に開いている
入口から、以前は入ったのでしょうね。




広い側の天井部分と、

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正面に向かっての左の壁、そして右の壁。

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これはサイトから見つけた写真で、逆向きに見た内陣部分。
かまぼこ型のアーチが3つ並び、

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真ん中の大きなアーチの天井部分には玉座のキリストと、
右側が3博士の礼拝と、左側は諸聖人たちかな?

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内陣の3つのアーチの仕切り部分の円柱と、仕切りの装飾。

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床には様々な石が敷き詰められていて、大きさも色も様々。

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外に出て、現在のショップ、元は聖具室だったとみられる部屋の
美しい女性で、撮らせて貰いましたぁ。

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本当に久し振りに素晴らしい小寺院の内部に再会、満足して外に出て、

すぐ脇を流れる美しいナティゾーネ川・Natisoneの流れと、
奥に見える古い造りの家並。

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お天気が曇りでとても残念!
昔来た時は、あの家並の道も奥にずっと辿り、葡萄畑などで楽しみましたっけ。


せめても、お天気の良い日の写真を見てやって下さいね。




見学を済ませ、出て辿るナティゾーネ川沿いの崖の細い通路。
かってはこちら側からが入り口でしたっけ。

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で、広場に出てきて正面に見える教会、サン・ビアージョ・San Biagioと
いう名前を今回調べましたが、

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この壁画は昔の写真の中では殆ど色が落ちていて見えないのが、
今回はかなり鮮明で、修復されたのが分かりました。

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鐘楼の下、右端に見える丸にIは、「ここはイタリア」の標識で、
このフリウリの地や、トリエステの山手の方に行くとよく見かけます。




この広場で出会った、肩に黒猫ちゃんを乗せて散歩中のシニョーラ。
ほんのちょっと触らせて貰えましたが、かなり警戒の目つきで、ははは。
それにシニョーラのコートは、爪のひっかき傷があちこちに!

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ドゥオーモの方に戻りますが、
町自体が古い造りを感じますが、とりわけこの一帯、如何にも中世からの建物、
という重厚な石造りの建物がそのまま残っているのをあれこれ見かけ、

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これなど、この日は閉じていて、土日に開きます、という張り紙の見えた
ロンゴバルドの装飾を模したアクセサリー店で、建物は13世紀からの物と!

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で、サイトを探していて、この建物の2階が「中世の家」として
公開されているのが分かりました。 
備えられた設備品などは新しすぎて少し興ざめですが、
それでもかっての中世の家の大きさを感じるには良いかも。
時間がちょうど良い方、どうぞ。





道も壁も家も、すべてがっしりとした石造りで、ちょっと威圧感も受けるほど。

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一応、町の有名な「悪魔橋」にも行き、橋の右側(東)と、

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左側、 モミジの赤が美しく、

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ナティゾーネ川の、本当に澄んだ美しい水、エメラルド色なのです!

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お昼を食べに近くのトラットリーアに。
曇り空で、寒い日ではなかったのですけど、
ミネストローネのスープを、パルミッジャーノをたっぷりかけて頂きます。

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そして、ポレンタを敷いた、香草入りの卵焼き。

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デザートには、この町のお菓子グバーナ、シュトゥルーデル式の味、

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と、カフェを飲まないshinkaiは、オルゾ・大麦カフェを。

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お昼を食べている内に漸くに晴れてきて、

チヴィダーレ再訪の最後は、ドゥオーモの隣にある国立ロンゴバルド博物館に。

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ですが大急ぎの見学で、余り写真もないので、
分家の方の第2部で見て頂きますね。

チヴィダーレからバスで行ける信仰の地カステルモンテの様子は


11年ぶりかの再訪で、最初は驚いた新しい駅周辺でしたが、
町の中心部は以前と変わらずの、落ち着いた豊かな雰囲気と、
見学場所はかなり整理された、という感じを受けました。
多分ユネスコの世界遺産指定が影響しているのでしょうね。

ウーディネから近いので、是非時間を取ってお出かけを!


*****

◆ お知らせ ◆

ロマネスクの教会を訪ねて、スペインのカタルーニャ地方から
国境を越えてのフランス南部をめぐる旅行記が
クリスさんのブログで始まっています。

なかなかshinkaiも行けない場所ですが、
素晴らしい教会のご案内に楽しませて貰っています。

どうぞ皆さまもご訪問を。
こちらから、どうぞ。 https://4travel.jp/travelogue/11301596


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・ n.1 チヴィダーレ・デル・フリウリ再訪 ・ ドゥオーモとその博物館


10月の下旬近く、チヴィダーレ・デル・フリウリ・Cividale del Fuliuri
に何度目かの再訪問を。

我が町コネリアーノからはまずウーディネ・Udine迄電車で約1時間、
そしてウーディネ鉄道に乗り換え約30分で到着ですが、

こちらがウーディネ駅のホームに入って来た電車、折り返し運転で、
2両ではなく1両の、ははは、でも新しくなった車両です。

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両側に広がる平野の畑の中、ロマンツァッコ・Romanzacco とか、
モイマッコ・Moimaccoとか、語尾にッコと付く独特の地名を通りながら
チヴィダーレの駅に到着。

で、あれ、改装された?!という第一印象でホームに降り、どこか変、うん??
と思いつつ、新しいガラスの大きなドアを抜けた途端に浦島タロコ!!

まず駅の斜め向こうに見えたのがこれ! な、何、これ?!

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後で分かったのは、これはフリウリ銀行だったかな、で、左手奥の方には
大手のスーパーも出来ており、めったやたらに広い駐車場が目についた
新しい駅前広場一帯。




shinkaiの頭に残っているチヴィダーレの駅は小さく古く、駅舎脇から抜けると
すぐ前は大きな木々のある公園で、そこから町の中心に行くには・・、
だったのですが、

なんと辺り一面大再開発で、どこもかしこが広々とし、新しい広い道が走り・・、

漸くに気を取り直し、ははは、広い道を横切り、駅舎を振り返って撮ったのがこれ。
ね、新しい、そっけない、はは、駅舎でしょう?!

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ちょうど歩いて来た若い女性に、チェントロに行くには?と尋ね、
どうやら間違った町に来たのではないらしい、と確信し、ははは、
と共に、あの先に見える小さな建物が、元の駅舎らしい、と見当が付き、

有難いことに、この旧駅舎が残されていて、「第一次大戦博物館」と表に。

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そうなんですね、この辺りはスロヴェニアの国境に近く、南へは約10k程の距離、
北東に車だと30分ほどの距離に、第一次大戦でイタリアが大敗した
カポレット・Caporettoが、という位置にあります。


いったいいつこの再開発があったのかと調べましたら、
新しい駅のオープンは2008年というので、ちょうどこの年の秋に
町の中心と、町の北にある国立農業学校を訪問しているのですね。
ただ午後の訪問で、駅近くには行っていないので見ていなかったのだと。

それ以前にも2度ブログに載せておりますが、写真は2006年以前の物で、

そして11年ぶりにもなる今回は残念ながら曇り日で、撮れなかった
良い色の風景が以前の分にありますので、どうぞご覧下さいませませ。




という事で、その後まるで地理が変わった事を知らずにおりましたので、
ご容赦頂き、ここに駅からの地図をご案内。

左に駅があり、赤点を打った辺りで東に進んで突き当りまで、この地図では
道が途切れておりますが、実際は単に道を横切ればOKでして、

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広い整備された道を進み、中頃のちょっとした広場辺りから、左手に入る
古い道を辿って行くと・・、 はい、この辺りからshinkaiは漸くに感を取り戻し・・、




こんなカフェの席が並んだ広場に出て来て、

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奥に見える広場も健在!

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手前の広場の、カフェから真っ直ぐに南に下る道を辿ると、(写真は逆向き)

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ずっと変わらずのチヴィダーレの旧市街の建物で、

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市役所のロッジャの角に出て来ます。

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旧石器、新石器時代からの歴史を持つこの地に、ヴェネト族、ケルト族と
続き、そして起源2世紀の中頃ローマ人がやって来て、
ジュリオ・チェーザレ(シーザー)がこの一帯の都と定めたのが、町の起こりと。

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6世紀中頃にロンゴバルド族が到着、ここをイタリアで最初のロンゴバルド公国の
都と定めます。
その後北の蛮族の侵入もあり、奪略焼き討ちもあり、アクイレイア大司教が
ここに本拠を定めたり、・・到底shinkaiの頭には入りきれませんが・・、
8世紀には再びカロリンガとロンゴバルドの侵入があり・・、

11世紀には神聖ローマ帝国の自由都市となり、15世紀頃まで
フリウリ全体の広大な地域における政治と商業の中心地だったと。
で、この町に修道院や邸宅、塔など、フリウリ一帯における主要な一族の
住居なども集まったのだそうで、
その様子が今に残るこの小さな町のどっしり感、に繋がるのだと思います。



市役所の向かい側にあるチヴィダーレのドゥオーモ・
サンタ・マリーア・アッスンタ・Santa Maria Assunta.
1502年に以前の教会が崩壊し、その後に現在のルネッサンス様式で
再建築されたもの。

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正面入り口の扉で、右脇の扉から入ります。

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内部は3廊式の広い、堂々たるもので、

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正面の高い祭壇の奥に、金色に光る碑が見えますが、




こちらがその、「ペッレグリーノ2世の祭壇画・浮彫・Pala di Pellegrino II」
と呼ばれるもので、1200年にアクイレイアの大司教ペッレグリーノ2世が
献呈したものと。

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銀の板を打ち出して浮き彫りにしたものに金メッキの素晴らしいもので、
聖母子と両脇に大天使が従いますが、光輪部分に宝玉も使われていますね。

そしてラテン文字が打ち出しになっているのも見えますが、
これは一字づつの印字を打ち込んだ、活字印刷の初期の技術でもあり、
その意味からも、この祭壇浮彫画は、
絵画美術の歴史の見地からも、活版印刷歴史の面からも重要作品なんだと
いう事ですが、
そんな能書きに関わらず、一目でこれは見事なものと分かりますよね!

今迄何回かこのドゥオーモに入っているshinkaiですがぁ、
今回初めてこの作品の重要さを知りましてぇ・・、
少し高い遠い祭壇上ではありますが、次回のチャンスにはちゃんと拝見を、はい。




祭壇手前にあった古い美しいオルガンですが、
あれこれ探しても説明が見つからず、でした。

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左側側廊にあったニコロ・ドナート大司教・Nicolò Donatoの記念墓碑
16世紀と、

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残る壁画。  

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ですが、あるというパルマ・イル・ジョーヴァネ・Palma il Giovane17世紀や、
ポンポーネ・アマルテオ・Pompone Amalteo16世紀の絵は
まるで見ておらずです・・。




聖堂を出て脇に入り込むように曲がって行くと、博物館があり、

ここに素晴らしい祭壇、ラキス公の祭壇・duca Rachis があります。

正面側、玉座のキリストが両脇に大天使を従え、それを囲むアーモンド形を
4人の天使が支えているもの。

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shinkaiはこの祭壇をずっと、石棺と思い込んでおりまして! ああ、もう・・。
両脇の天使とキリストの膝の辺りが濃く、何かの色が残っている様子ですが、




今回初めて見た新しい展示方法で、彩色されたのが写りまして、
これです! 

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驚きの色でしょう?! なんとも派手やかで、明るい彩色で!
上部にあるラテン語の文字もハッキリ見えますね。

そうなんだ、かっての人々はこんな色付きのを見ていたんですねぇ!


この「ラキス公の祭壇」と呼ばれるラキス公は、ロンゴバルドの王であり、
イタリア王でもあり、744~749年、756~757年、

この祭壇が737~744年に造られたものと分かり、
この時代ラキスがフリウリ公であった時代なのでそう呼ばれるものと。

祭壇の大きさは1,44x0,90x0,88m。




2側面 の片側は、3博士の礼拝で、

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もう一面は、聖母マリーアが従妹のエリザベッタを訪問する図。
エリザベッタは洗礼者ヨハネの母、ザッカリーアの妻、ですね。

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いずれの面も彫りの深い力強い作品で、稚拙ながら見事な物。





そして、こちらが背後側の装飾。

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で、この博物館にあるもう一つの素晴らしいものは、この洗礼盤。
730~740年作の物とみられ、白い石灰岩で8角形、高さは354㎝。

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730~740年の10年間は、ロンゴバルド芸術の歴史において、
それまでは常に彼らの北方感覚での表現であったものに、
形や古いスタイルのローマ期の芸術を取り入れ始めた時代なのだそうで、
ここから常に伝統的芸術が継続していくことになったのだそう。

で、この祭壇と洗礼盤は、この時代の最高傑作とみられると。



上部と下部の彫り。

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そして、いくつかの彫りの入った碑の展示品。

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ロンゴバルドの装飾はとても個性的で、独特な形と思うのですが、
以前は、この柄を刺し子などに利用できないものか、と考えたりもしましたっけ。




いくつかのフレスコ画の名残ですが、 これは多分後世の物と。

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本当はです、博物館は写真禁止になっていたのですが、受付の管理の女性が長々と
電話で喋っているのを幸いに、以前は撮れなかった分まで撮りまして、へへへ。




これは隣の部屋の素晴らしい天井画。

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隣の部屋にもいろいろ展示品があったのですが、一つのみ撮ったこの椅子、
何せ管理人のいる部屋でしたので、はは、
石の椅子ですが、この説明が見つからず・・。

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という事で、聖堂を出て
「ロンゴバルドの小寺院・テンピエット」を見学に行きます。

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という所で、今回はお終いで、次回に。


*****

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・ 4世紀を越えての、水車小屋 ・ モリネット・デッラ・クローダ

                      
先月半ばに友人たちと出かけた「栗祭りの村 コンバイ」の戻りに、
近くのモリネット・デッラ・クローダ・Molinetto della Croda の水車小屋
に寄ろうという事になり、山道を通って水車小屋に至る道に到着。

ここは周辺の景色がとても美しいのも評判で、
ヴェネトの紹介記事にもよく登場する所なので、日本からの友人にも
紹介しようという事で、エレオノーラとも意見が一致したのでしたが、

さて駐車場に到着して見ると、こんな看板が。

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ちょうど翌日曜と次の日曜に村のお祭り、「かっての庶民の服装で新収穫を祝う」
がある、という看板で、まぁ、一日前の様子という事で・・!

古い写真に見る水車小屋は変わっていませんが、
ロバの背中に袋を積んで運んでいる姿や、村人のお祭りの姿も見えます。




駐車場から道を辿ると、こんな風に水車小屋が見えてきて、

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モリネット・デッラ・クローダはどこにあるか、地図をどうぞ。
コネリアーノからは北西の方向に、車で30分ほどの距離で、  
我らはコンバイ・Combaiから、13世紀の修道院のあったフォッリーナから東に、
ロッレ・Rolleを通り到着。  

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以前に2度ほど訪問していますが、その時の様子を少しこちらに。

と、ロッレは大変に美しい古い葡萄畑が広がりますが、その一部をこちらに。




この地を流れる川はリエルツァ・Lierzaで、ロッレ近くからの湧き水で
全長約20km、ソリーゴ川に注ぎ、そしてピアーヴェに合流する、

この辺りでは小川、に見え、何羽かガチョウたちが遊んでいましたが、
以前はもっとたくさんここで騒いでいたのですね。

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近づいてみる水車小屋で、有り難い事に開いておりました。

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サイトからの写真で、前の入り口辺りを。

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実は、このいつもは半分眠っているような穏やかなリエルツァ川なのですが、
3年前の2014年8月2日の夜、大災害を引き起こしたのでした。

この写真は昨年の物の様ですが、これと同様か、もっと凄まじい洪水となって
この水車小屋の横、高さ12mあるそうですが、ここを流れ落ちました。

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そしてこちら側にある広場で、大テントを張り、中でこの一帯の男性たち、
他所に働きに行っている人や、この地に根っこを持っている男性たちが集まって、
恒例の「男たちのお祭り・フェスタ・デイ・オーミニ」をやっている所を一撃され、
4人の死者、8人の怪我人が出るという大惨事となりました。

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川縁には石組の高い塀があったのを越え、1m高さに土砂が流れ込んだのですね。

ニュースでは、中で飲み歌い食べていた男性たちが、侵入してくる水に
ベンチの上に上がって騒いでいる姿が出たり、腰まで水に浸かって避難している
ヴィデオなども出ましたが、信じられないような豹変した川の姿でした。

後には、長年の間に積もった泥や屑が橋のアーチを塞ぎ、それを越える鉄砲水と
なった事なども指摘されましたが、
近辺全て葡萄畑となって、土地を抱える力が無くなっている、という指摘も。




そんな近い記憶のある土地だけに、以前の通りに、以前以上に整備されている様子に
半ば安心して水車小屋に向かいましたが、

上から樋を伝わって来て、水車を回している水。

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この水車小屋は出来たのが1630年で、徐々に管理人一家の住まいも追加され、
家畜小屋、そして穀物蔵と増築されていったのだそう。

名前のモリネットは、小さな水車、クローダは、岩壁ですから、
まさにこの岩肌にへばりつく様な水車小屋を表していますが、

遠く人家から離れたこの地で、何世紀も水車の力で粉を引き、第一次大戦の爆撃も
やり過ごして来た水車小屋も、1941年1953年と洪水に襲われ、
ついに2度目の洪水の後は閉じられて、荒廃したのだそう。

それを1991年にこの地のレフロントロ市・Refrontoloが買い取り修復、
博物館となり、子供たちの見学場所ともなっていると。




で、我々も梯子段みたいな狭い急な階段を上り、2階の居住部分の見学を。

ここが台所兼居間で、

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かっての炉は閉じられ、横にストーブも付けられていて、これは暖かくもあり、
上で調理も出来る優れもので、今でも良く使われているもので、
この家族の歴史も垣間見えますね。





隣の小部屋は流し場で、きっと横の樋から水を汲み、
使った水は横に流していたのでしょうね。

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部屋の壁にはあれこれ、かっての生活道具が並び、

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窓辺の小テーブルの上にあった写真、ジローラモ・モルガン・Girolamo Morgan
1869年生まれ、モルガン家の家長と。
きっと厳しい時代を生きた方なのでしょうね。

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天井の灯、今は蛍光灯ですが、電灯の笠を飾るレース編み。
色といい、形といい、懐かしい趣ですねぇ。

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窓辺にあった、ツバメの巣かな、

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隣の部屋は一段高くなっていて、入り口脇にあった小さなベッド。
子供用で、お丸も見え、

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奥にはダブル・ベッド。
修復された折に壁などもすべて塗り替えられ、整理されたと見え、
ちょっと小綺麗になり過ぎていますが・・。

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無料拝見はここまでで、部屋の中には入れず、階上にも行けませんで、
残念、下に降ります。




1階部分では、シニョーレがせっせと粉を引いていて、

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上から順調に落ちていくように、ときどき手で混ぜていて、

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こんな風に、ざっ、ざっと、白い粉が手前に落ちて来ます。
明日からのお祭りに備えて、トウモロコシを挽いているのだと。
明日のポレンタはきっと美味しいでしょうねぇ!!

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下を覗き込むと、回る水車からの横棒が回り、歯車に動力を伝えているのが見え、

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横に下がるトウモロコシ。

20-DSC07289_GF.jpg

これはまぁ飾りでしょうけど、新収穫を祝ってのお祭り、といっても、
今年のトウモロコシはまだ挽けないよね? と思ったのですけど・・。
どなたか、どのくらいの期間で乾燥するかご存知でしょうか?




横の部屋を覗くと、倉庫で、いろんな雑貨があって興味深く。
右奥には、葡萄絞り器も見え、大きな盥や、手前にはツトで囲った瓶も。
この大きなのには何リットル位入るんだろ?!

21-DSC07282_GF.jpg




隣の小屋の軒下のトウモロコシや牧草、籠、
そして、窓の飾りつけ。

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23-DSC07293_GF.jpg




お祭りの写真を探しましたら、こんな懐古調の服装の子供や、
台の上に並ぶ木底の履物、

24-il-mulino-e-il-suo-tempo-1.jpg




そして、大鍋で作っているポレンタ・トウモロコシの粉の練り物、などが
見つかりました。
お天気の良い日が続きましたから、きっと大賑わいのお祭りだったことでしょう。

25-molinetto1_0.jpg




最後は、美しい雪景色の水車小屋をどうぞ。

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・ n.3 カスティリオーネ・オローナ、 マゾリーノとヴェッキエッタに会いに


先々回先回と引き続きご案内してきましたカスティリオーネ・オローナの 
一連のマゾリーノとヴェッキエッタの作品も、いよいよ最終回。

今回はこれらの最後を飾るに相応しい、マゾリーノの美しい壁画、
洗礼堂のご案内です。

教会入口から奥に、建物に沿っての小径が続き、

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突き当りのこの小さなロッジャの、右側にお目当ての洗礼堂が。

2-C17_1136_GF.jpg

ここは元々城跡の角の塔があったのを利用した建物なのだそうで、
今に残る壁画は1435年の作ですが、
19世紀には道具置き場として使われていた事もあったそうで・・!




中に入るとこんな様子で、一番奥の壁の壁画と、

3-DSC07665_GF.jpg




中が狭くて全体の様子が撮れずで、こちらは小冊子から、
奥とその手前の右側の壁の壁画。

4-DSC08290_GF.jpg

向かって左の壁は、残念ながら殆ど剥落していて見えずですが、
一連の壁画のモチーフは、洗礼堂にふさわしく、「洗礼者ヨハネの生涯」のお話。


マゾリーノ・ダ・パニカーレ・Masolino da Panicale(1383-1440)は、
ウンブリア州西部、トスカーナに近いパニカーレ生まれ、若い頃の記録がほぼ無く、
1422年すでに39歳、にフィレンツェに家を借り、翌年画家の組合でもあった
薬と薬草組合に登録、というのが残ります。

同じ組合にマサッチョは前年1422に加盟しており、そんな事からも一緒の仕事を
した様子ですが、マサッチョよりも18歳年上のマゾリーノは、
力量ある若いマサッチョとそりが合わず、描き方がやはり全然違いますし、

一緒の仕事はかなりの負担だった様で、影響もされつつ苦しみ、
若くしてマサッチョが1428年に26歳で亡くなった後は、
漸くに彼自身のスタイルを取り戻し、
このカスティリオーネ・オローナの仕事は彼の最高傑作となったと。

そしてその5年後、フィレンツェで57歳で亡くなっています。





最初の全体の写真でお分かりの様に、手前のアーチの所に、左右に渡る
鉄の棒があり、それがちょうど洗礼中姿のキリストの高さになるので、
これは床に座り込んで撮ったもの、

5-DSC07625_GF.jpg




上部に洗礼者ヨハネから洗礼を受けるキリストの姿があり、
左に衣を持つ天使たち、そして右に既に洗礼を受けた新信者たちの姿。

6-DSC07626_GF.jpg

奥の空の色はグレイに見えますが、これは酸化によるものだそうで、
実際は元は水色であったのだろうと。

中を流れるヨルダン川は、ずっと奥から左右の山と平野の間を手前まで流れ、
いわば少し上空から鳥の視点で眺めるような構図の中、
これは一緒に仕事をしていたヴェッキエッタとの関係もあるだろうと言い、

一方、手前右側の新信者の男たちの姿はかなりリアルですが、
これはマゾリーノがフィレンツェのブランカッチ礼拝堂(サンタ・カルミネ教会)で
一緒に仕事をしたマサッチョ・Masaccioの影響によるものであろうと。




細部を2枚。
見ると、水の流れの表現や、フレスコ画を描く時は、一日の分量を見積もり
その部分のみ下塗りをして描き上げますが、
下の写真など、とりわけその範囲も見えて興味深いです。

7-DSC07668_GF.jpg

8-DSC07669_GF.jpg

ずっと昔、はは、画集でこの洗礼を受けるキリストの絵を見た時に、
このエメラルド色の水の美しさ、透明度にすっかり魅せられ、
いつか必ず見たいもの、と念願していましたが、
図らずも今回漸く、何十年ぶりに見る事が出来たのでした!





この部屋の部分の天井画、父なる神と天使たち、と、
手前のアーチの部分には、東方教会の博士、の姿なんだそう。

9-DSC07627_GF.jpg

10-DSC07632_GF.jpg




これはアーチ上部に描かれた、美しい天使。
マゾリーノの、こういう天使像というか、女性は本当に美しいですねぇ!

11-1-DSC07638_GF.jpg




下段の一番向かって右にあるのは、こんな様子で殆ど見えないのですが、

これは洗礼者ヨハネの父ザッカリーアが、大天使ガブリエーレから、
お前は子供を授かり、その子は偉大な者となるであろう、というお告げを受ける場面と。

11-2-DSC07639_GF.jpg

ヨハネの母親の名がエリゼベッタというのは知っていましたが、父の名が
ザッカリーアとか、お告げを聞いた、という聖書のお話は知らずでしたので、
説明書の意味が良く分からず、聖書のお話の部分も読んで納得、という・・。




その左に続く場面で、右正面側は、ヨハネが説教をし、向こう側にキリストの顔も
見える、という・・。

12-1-DSC07630_GF.jpg

12-2-DSC07671_GF.jpg

ただこの山の中に、手前の人物が溶け込んでしまっていますね。
これも使った絵の具の種類による、経年の作用でしょう。




中央の窓を挟んでの右側。 背後から兵士が抱え込んでいるので、
ヨハネが捕らえられ、ヘロデ王の前に連れてこられた所と。

13-1-DSC07629_GF.jpg




窓の手前の壁に牢内のヨハネが描かれ、・・この構図はちょっとした
アイディアですねぇ、そして扉を開けようとする兵士の姿。

14-DSC07631_GF.jpg

マゾリーノは、光背や兵士の甲冑などに金属の薄片を使っているそうで、
オリジナルでは光輝く、かなりのインパクトもあった事でしょうね。




そして斬首。

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こちらが手前の部屋、右側の壁全体で、

16-DSC07633_GF.jpg




左側、ヘロデ王の宴会場面。 
宴会にしてはテーブルの上が寂しいですが、ははは。

17-DSC07634_GF.jpg




右側に立つ人物の一番手前に腕組みをした女性がいて、
これがヘロデ王の妻、サロメの母親ヘロディア。
はぁ、腕組みをして、酷薄そうな眼をしていますねぇ! ははは。

18-DSC07667_GF.jpg




画面右側。 透視図法を使った長い回廊の手前、
この遠近感も素晴らしいですが、これもヴェッキエッタの協力があるのではと。

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ヨハネの首を、サロメから受け取るヘロディア。 背後に恐れおののく侍女2人。

20-DSC07636_GF.jpg

娘サロメはヨハネの首を所望したとは思えぬ純情そうな娘に見え、
一方の母親ヘロディアの、なんとも言えない妖艶な美しさ!

21-DSC07666_GF.jpg

まさにこの場面も長年見たいと願っていたヘロディアの美しい顔で、
白色の下地に塗っているはずの緑色が透けて見え、ほんのりの頬のピンク色と
あいまって、本当に美しく、・・念願が叶いました!
             
shinkaiは昔からこの手の女性の姿に弱い、というか、好きなのですねぇ!
美しいけれども生身を感じさせない、という所が好みなのかも、ですが・・、はは。




こちらは背後の山の中に小さく描かれた、ヨハネの埋葬場面。

22-DSC07642_GF.jpg




入口脇の場面ですが、これは説明書を読んでも出ておらず、分からず・・。

23-DSC07640_GF.jpg




ただこの扉上にある町の風景、これはローマだそうで、

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いくつかの建物が特定でき、パンテオンなども、とあるのでアップして見ましたら、
確かにちょうど中ほどに!




こちらは入り口側の部屋の天井画で、4福音者の像。

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そして、洗礼盤。

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29-DSC07651_GF.jpg




一旦外に出て、ロッジャ部分を挟んでの左側の建物内にあった壁画で、
受胎告知の、天使と聖母。

30-DSC07659_GF.jpg




この壁画は本来は洗礼堂の入口扉の両脇に描かれていたものだそうで、
1964年に剥がされて保存されているのだそう。

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かなりの部分が剥落、残る絵の具もひび割れているのですが、
今なお朧に見える天使と聖母の美しさ!!

32-DSC07662_GF.jpg

33-DSC07661_GF.jpg

内部の壁画も美しく大満足だったのですが、これはも一つおまけに貰った
何とも言えない美しいもの、でした!!





最後にもう一度内部の壁画に挨拶し、

35-DSC08290_GF - Copia.jpg




コッレッジャータのある坂道を下ります。

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途中、右に下る石段道から見えた、下の町並み。

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下の広場に着く前の道脇で出会った猫ちゃん。
どうだった、上の壁画は?という尋ね顔にも見え、ははは、

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チッ、チッと舌を鳴らすshinkaiに応え、お腹を見せ、肉球パー!もの
カスティリオーネ・オローナの猫ちゃん。

39-DSC07694_GF.jpg


ミラノからだと約1時間ほどの距離の小さな町、というより村のイメージですが、
ここにひっそりと埋もれている一つの教会と洗礼堂。
そして、パトロンであった枢機卿ブランダのお屋敷、

彼はそれまでの功績により1411年、61歳の時に枢機卿に任命されたのだそうで、
70歳を過ぎ、自分の家系の出身地であるこのカスティリオーネ・オローナの
地に目を向け、文化や恩恵を持ち込んだ跡が確かに今も残り・・、
実際、田舎のオアシスのようなイメージを受けました。

どうぞ、チャンスがありましたら、是非都会の喧騒を離れ、
この地に緩やかに流れる美しい空気を吸いに、お出かけをお勧めです!

3度にわたってのお付き合い、有難うございましたぁ。


◆ 追記 ◆

教会、並びに洗礼堂の開館時間
 夏時間 4月1日~9月30日  火曜~土曜 10時から13時 15時から18時
 冬時間 10月1日~3月31日  火曜~土曜 9時半から12時半 14時半から17時半

 日曜と祭日 10時から13時  15時から18時
 月の第一日曜 10時から18時

 月曜 休館


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・ n.2 カスティリオーネ・オローナ、 マゾリーノとヴェッキエッタに会いに


先回に続き、ロンバルディーア州のカスティリオーネ・オローナ・Castiglione Oloa
訪問の2回目、今回は坂道を上った上にある教会、コッレッジャータ・Collegiata
という名で知られているデイ・サンティ・ステーファノ・エ・ロレンツォ教会を。

1-DSC07589_GF.jpg

この内部は先回同様、マゾリーノ・ダ・パニカーレ・Masolino da Panicale と、
ヴィッキエッタ・婆ちゃん・Vecchietta の通称の方が有名な、
ロレンツォ・ダ・ピエトロの美しい壁画で埋められているのですね。

上の写真は、坂道を上り始めた所から見える鐘楼。




そして道脇にあった泉。
如何にも、の中世の顔なのですけど、石の色が少し新しすぎるかなぁ。

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最後の家並みからアーチが張り出し、その下にあった道の名・枢機卿ブランダ通り、
と、祠風にした聖母子の絵。 

3-C17_1111_01_GF.jpg

この実物は教会博物館にあった16世紀のロンバルディアの画家、というのですが、
ご覧の通り、これも丁寧な、なかなかの作品でしょう?





かっての城の遺跡あとに、ブランダ枢機卿が1425年に建設した教会、と
いうのが納得できる坂道で、道の左側オローナ川が流れる谷を美しい黄葉が埋めます。

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ちょうど教会の門の手前に大きなトラックが止まり、工事の残骸等を運び出し中で、
うんうん唸るモーター音や、大きな声が響いており、道の見通しがきかず・・。




近づいて見えてくる鐘楼と教会の建物。
で、道からはこれしか見えないのですが、

5-C17_1116_GF.jpg




サイトで見つけた横の広さ、大きさをご覧ください。
コッレッジャータという名で知られる、と書きましたが、かってはコレッジョ・寄宿学校が
あったというのが良く分かる広さですね。

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こちらが坂の上、教会横にある門。 
この頑丈さから見て、これはかっての城跡の門を利用しているのではないかと。

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教会正面。 15世紀のロンバルディーア様式と。

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正面扉上の半円の像。 この中にブランダ枢機卿も居られるというので
買って戻った小冊子を読みましたら、子供のキリストが祝福を与えている、
その前に膝まづいているのが枢機卿で、両脇に膝まづいているのが
この教会が捧げられたサン・ロレンツォ、左と、サント・ステーファノ像、右。

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聖母子の背後のお二人は、サンタンブロージョと、サン・クレメンテと。

上の薔薇窓の下にも修復の跡が見えますし、この半円の像も余りにも新しく見え、
取り換えたのかと思うほどでしたが、どこにもその記述が見つからず、
単に1428年作と。 修復がつい最近なのかも。




正面扉前の、敷石のモザイク。

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教会と洗礼堂が開くのは2時半か3時、と聞いて来て、教会前の広場で待ちますが、
本当にぴったり2時半に係りの女性2名が来られ。

建物全体の大きさが良く分かるこの写真もどうぞ。
教会正面とその前広場、教会に並んで左に白いアーチの門が2つ、
そしてその手前にある建物が切符売り場兼ショップになっています。

11-590x438.jpg

教会の奥横に続く建物の一部が現在博物館になっており、
その左端の高い建物が、今回お目当ての洗礼堂で、




教会への入場は、係りの女性が鍵をもって来て内陣横の扉を開けてくれ、

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扉の内側にあった、壁に埋め込み式の聖水入れ。

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そして見る、内後陣とヴォールトの素晴らしい壁画!!

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ヴォールト(天井部)の6画面はマゾリーノ作の、「聖母マリーアの生涯」。

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受胎告知、

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聖母戴冠、

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マリーアの結婚、

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3博士の礼拝、

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一番左に「マリーアの誕生」があり、他は順不同のモチーフの並びですが、
如何にもマゾリーノ描く所の優しい顔立ち、姿と雰囲気、そして全体の彩の
柔らかな明るさ、が特徴ですね。

とりわけ「受胎告知」の場面がシンプルで、それでいて匂い立つような品が
あると思います。
それに、背後に見える壁の中の棚が開いているのが、とても微笑ましく。

フレスコ画が描かれたのは教会建設すぐ後の1428年なのですが、
その後18世紀に何故か、上から水漆喰の層で白く隠されていて、
再発見されたのは1843年の事なのだそう!

このマゾリーノの天井部分のみならず、内後陣全体が隠されていたのだそう。




壁の部分の壁画は、上部に半円形、そして下部の絵と別れますが、
左側がサン・ロレンツォのお話で、右側がサント・ステーファノ。

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ヴェッキエッタの作品は左側(サン・ロレンツォ)と中央奥だそうで、
上部の半円形すべてと、右の壁の最初の場面はパオロ・スキアーヴォ・
Paolo Schiavo(Firenze 1397~1478 Pisa) という事で、

こうして見ると、ヴェッキエッタの左の壁の絵が殆ど見えなくなっていて残念ですが、
左下は、サン・ロレンツォの殉教と、その右中央に窓がある部分には
サン・ロレンツォの埋葬場面。




これは買って戻ったパンフレットにあったサン・ロレンツォの埋葬場面、
縦窓の左側ですが、
左側2人の人物像には、ヴェッキエッタの名前の由来を証明するように、
人物の頬の皺がかなりはっきりで、ははは、笑えます。

21-vecchietta-san lorenzo.jpg





こちらは上部、パオロ・スキアーヴォの描くサン・ロレンツォの、
施しの場面と、皇帝デーチョの前のサン・ロレンツォ。

22-DSC07614_GF.jpg




左の壁一番下にある、ブランダ・カスティリオーニ枢機卿の棺。
1443年93歳で亡くなられた枢機卿はここに眠られ。

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中央から右側はパオロ・スキアーヴォ描く所のサント・ステーファノのお話で、
キリスト教徒の最初の殉教者であるサント・ステーファノの逸話の場面で、

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縦窓右側には、石打ちの刑で殉教された場面。

23-3-DSC07623_GF.jpg

窓脇の壁の深さに入り込む面にもしっかり描かれているのにも、今回目が行き、
その部分をいかに活用するか、画家は大いに考えたのだろうな、と。


こうして、とりわけヴェッキエッタの作品と並んでいると良く画家の個性の違いが
分かりますが、パオロ・スキアーヴォの方が伝統的というか固い作風で、

ヴェッキエッタの方が気持ちが赴くまま、というのか、とても個性的。
ちょっとエキセントリックな部分もある感じで、多分人柄もそんな風で、
若い画家のそんな個性をブランダ枢機卿は愛されたのだろうという気がします。




これら一連の壁画の下に、壁板部分というのかがあり、そこは色分けのみされて
いたのですが、一枚人物像があるのを撮っていまして、

これがちょっとピンボケで、アホがぁ、

24-2-DSC07689_GF.jpg




たまたまウィキペディーアにあった写真を拝借してこちらに。
で、これがヴェッキエッタの自画像だとありました。

24-3-sVecchietta_self-portrait.jpg

1435年頃にここの壁画の仕事をしていたヴェッキエッタですから、
シエナ生まれ1410年の彼は当時まだ25歳の若さで、流石に頬の皺もなく、ははは。
彼の描く人物像は手が小さいのですけど、自画像のこれもですね。

彼は画家として活躍の後、50歳くらいになって後彫刻も始め、後には建築や
軍の技術者としても働いた様子で、シエナで70歳で亡くなっています。




教会内は3廊式で、こちらは左側廊の祭壇部分で、像は砂岩に彩色。
窓枠部分の飾りが美しいでしょう?

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そしてこちらは奥、右側廊奥の祭壇部分と天井画。

26-DSC07598_GF.jpg




これは内陣と身廊部分を分ける上部のアーチ部、「聖母の旅立ち」がモチーフで、
これで一連のヴォールトの「聖母の生涯」のモチーフの完結ですが、

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作者はマゾリーノではなく、パオロ・スキアーヴォであろうという事で、
ここも水漆喰の白い塗りで隠されていたのが、2003年に発見されたと。




教会入口側から見る内部全体の様子と、

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一番内陣に近い天井画と、その中央。

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説教壇。

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そしてこれら身廊、側廊部分の壁画は、19世紀末に後期ゴシック様式で装飾
されたものだそうで、その優雅さと巧緻に魅せられましたので、様子をどうぞ。

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床の石模様。

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教会の見学を終え、奥の洗礼堂に向かって進みながら、
振り返ってみる教会入口と鐘楼。

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という事で、今回はお終いで、
次回の洗礼堂のご案内、マゾリーノの素晴らしい壁画をお楽しみに!


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・ n.1 カスティリオーネ・オローナ、マゾリーノとヴェッキエッタに会いに


ついに11月になり、今年もあと2か月ですねぇ、頑張って参りましょう!

先月中旬、ロンバルディーア州のカスティリオーネ・オローナ・
Castiglione Olona迄、日本からの友人と1泊で出かけて来た時の
様子をご覧下さいね。


1-1-DSC07588_GF.jpg

この小さな古い町、15世紀の面影を残すかっての中心であった一廓に、
このジュゼッペ・ガリバルディ広場・Piazza Giuzeppe Garibardiがあり、
ここまで車のナヴィ、トムトムに導かれて無事到着。

コネリアーノから約4時間半、ちょうどお昼の12時半に到着、
車を広場の駐車場に、グーグルのストリート・ヴューで予習した通りに、ははは。



カスティリオーナ・オローナという柔らかい響きの名を持つこの町は
どこにあるか、地図をご覧ください。
ミラノからだとちょうど1時間前後の距離で、

1-2-castiglione map.JPG

我々はこの日は北に13㎞のヴァレーゼ・Vareseに泊まりましたが、
翌日はコモ・Comoにより、古い教会を2つ見学して戻りました。




まずは広場の左に見える小さな教会を見に行きますが、
ヴィッラ教会・Chiesa di Villa、15世紀半ばの物との事で、
前庭の鉄柵は開いていたものの、扉は閉まっていて内部は見れず。

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正面の像2体の内、右側のサン・クリストフォロ・San Cristofolo.
川の渡しをしていて、肩に載せた子供がどんどん重くなり、
実はキリストであった、という中世の優しい大男、という聖人像。

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古い教会の表に彼の像を、フレスコ画でも描かれたりで、よく見かけます。
きっと昔の徒歩旅行者にとっての守り神的存在であったのだろうと想像しますが。




内部には木造彩色像やあれこれの聖人像もある様子ですが、
こんな古い扉が閉まっておりました。

5-DSC07570_GF.jpg




教会左脇にある建物、前庭の柵が共通なので教会司祭用の建物なのかもですが、
上階左側に小さなフレスコ画が残り・・。

6-DSC07569_GF.jpg

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広場のバールに行き、上の教会は既に12時半で閉まった事、開くのは2時半か3時、
というのを聞き、ではここでお昼を、と中に。

バールと、いくつかのテーブルがあり、パニーノなどもありましたが、

8-DSC07576_GF.jpg




我らはナスのパルミッジャーノ・ナスとチーズのグラタン、を。 
お昼はやはりパニーノよりもこういうのが良いですよねぇ!

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メニューにもちゃんと冷凍食品、と書いてありましたが、今頃はこういうのが結構多く、
それなりに美味しく、量もたっぷり目で、ビールと共に美味しく頂きましたぁ。




お昼の後、広場の向かい側に見える建物、市の博物館の様子を見に。

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市博物館ブランダ・カスティリオーニ、
ちょうど修復中でしたが、ここは市のインフォメーションも兼ねていて、

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ここは14~15世紀の建物、枢機卿ブランダ・カスティリオーニの住居だったもので、
広場から坂道を上って行く、今回お目当てのコッレッジャータ・Colleggiata
にあるマゾリーノの壁画がここにもある、というので帰り道に寄る事にし、




建物の外側の様子を偵察に、はは。

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簡素ですが、門のアーチには繊細な装飾も見え、

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丸石敷の道と入り口脇の石のベンチ。 良い趣でしょう?!

15-DSC07585_GF.jpg




という事で、上の教会見物の後に寄ってみた建物内の様子を先にご案内しますね。

本来は召使用の入り口だったと思われる部分が現在の入り口になっていて、
切符を買い、3エウロ、入り口に居られた係りの若いシニョーレに、マゾリーノの壁画は
何処にありますか、などと聞いている内に思いがけない収穫を!

マゾリーノの壁画の他に、ロレンツォ・ディ・ピエトロの壁画がある、という事から、
通称ヴェッキエッタ・Vecchietta・婆ちゃん、彼はヴェッチェッタとヴェネト訛風に
言いましたが、ずっと疑問だった、この通称が彼の事と思い出し、
どうしてその通称が生まれたか、というのも彼の説明で分かったのですね。

「ヴェッキエッタ」、シエナの大聖堂前にある現在はスカーラ博物館にあるという
まだ未見の彼の壁画や、オルチャの谷の村カスティリオーネ・ドルチャで見た
彼の生地である、という碑などからなぜそんな通称なのかをあれこれ調べたのですが、
今迄は、なぜかは分からない、という説明だけだったのが漸く解決!
しかもこんな思いがけない土地で!! はい、謎解きは後程のお楽しみに。



展望台式テラスを通る階段を上り、

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テラス部分の天井画。 「立ち上がる獅子」がカスティリオーニ家の紋章で、
右端には、深い友情で結ばれていたというミラノのヴィスコンティ家の紋章も。

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下の壁に見えるフレスコ画。 ちょっとした騙し絵風に。

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全体の建物は2棟に分かれ、道沿いのshinkaiが撮った棟の南側の大きな部屋。
一族カスティリオーニ家の人々や、教皇たち、親しい貴族の肖像画のコレクションで
埋められ、正面にはルネッサンス風の大きな紋章付きの暖炉。

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この建物は2004年から市の持ち物になっているそうで、
きっと様々な催しが行われる部屋なのでしょう。


カスティリオーニ家というのはミラノ貴族の家柄で、
枢機卿ブランダは1350年2月4日ミラノの生まれ、長男だったのを宗教界に入り、
ミラノとパヴィーアで学び、大変優秀な方だった様で、最初は大学で教えていたのが、
じきに教皇の意向を受けて外交官的な意味も含め、各地に枢機卿として赴きます。

ミラノのヴィスコンティ家とも、フィレンツェのメディチ家との友情も厚く、
ハンガリアの王とも大変つながりが深かったともあり、
当時フィレンツェで主流となっていた人文学者たちの集まりを、
ロンバルディーア州で始めた最初の方だったとか。

大変に長生きもされ、93歳没、1425年にはこのカスティリオーネ・オローナに
コッレッジャータを作り、後には住まいであるこの建物もフレスコ画で装飾させ、
のみならず近辺の子供たちのための学校や、当時としては大変まれな図書館、
女子の為の修道院設立などもされ、

この地に文化と芸術、信仰を運び込まれた、当時の宗教界の君子でもあり、
芸術家とこの町にとってのパトロンであり、理想の町にされようとした
この町のこのお屋敷で1443年に亡くなられたと。




こちらは同じ棟の北側に当たる部屋で、床の嵌め木細工、

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扉の上の趣ある装飾、

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天井の凝った細工と、シャンデリア。

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こちら側の部屋は、後世に改装されたものと思われますね。




こちらは南に向かって伸びる棟にある、「枢機卿の寝室」と呼ばれる部屋。
広い部屋の壁全部がこの赤色を背景に、木登りして遊ぶ子供達で埋められ、

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作者はロンバルディーアの作家とみられるそうですが、



この木に梯子をかけて上り果物、ザクロかな、を取る図は、後に
シエナのスカーラ病院、現在博物館のシンボルとなっているそう。
暖炉の上の紋章が、カスティリオーニ家の紋。

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壁の下部には、こんな数々の標語で埋められた顔や植物柄があり、

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天蓋付きのベッド。 柱の柄も凝っていますが、ベッドの幅がとても狭く・・。

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これがマゾリーノとヴェッキエッタの共同作である、「ハンガリーの風景」、
1435年作と。

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こちら右側がマゾリーノ・ダ・パニカーレ・Masolino da Panicale作で、

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左側がヴェッキエッタ作と。

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多分現在残る、見えるこの色は、下描きの色のみが残っているのだろうと思いますが、
緑色の山と平地があり、山の上に要塞や城、そして麓に町が。
ハンガリーのヴェズプレムかな・Veszprémという、1410年からの枢機卿の
任地でもあった思い出の地で、

1425年マゾリーノもハンガリーに出かけており、出会いもあったのと思いますが、
この絵が当時としては大変に貴重なものであるというのは、
宗教的な人物像、物事、建物類が一切なく、単純に風景画である、
という点なのだそう。

ウィキなどにはマゾリーノ作、と出ますが、左半分は色合いも描き方も違うのが分かり、
左半分はヴェッキエッタ作であるというのは、受付の若いシニョーレのお話、
買って戻ったパンフレットに因ります。




地球儀と、

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会議室、かな。

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一旦下に下る階段の所まで戻り、そこから逆向きの階段を下ると、

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地下の、1階に当たるのかも、の礼拝堂に行き当たります。
塗りつぶされていたここの壁画が陽の目を見たのは1982年なんだそうで、
枢機卿の個人礼拝堂であったサン・マルティーノの礼拝堂。

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この礼拝堂の壁画がヴェッキエッタと呼ばれるロレンツォ・ディ・ピエロ作で、
1437~1439年作、ヴェッキエッタが27歳から29歳という若い時期の作品。

ヴェッキエッタ・婆さん、と呼ばれるようになったのは、受付のシニョーレによると、

彼は聖人や偉い枢機卿などを描くのに、頬っぺたに深い皺を入れて描き、
それが「如何にもお婆さんの様に見える」と枢機卿はとても喜んだのだそうで、ははは、

そこから通称が「ヴェッキエッタ・婆さん」になったのだそう、
という、shinkaiにとっては何年振りかの疑問解決のニックネームのお話、でしたぁ!!

一時塗りつぶされていたせいなのか、少し細部が見え難いのが残念ですが、

最後の2枚は、頬っぺたの皺が良く分かるかなぁ、というのをどうぞ。

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という、カスティリオーネ・オローナ訪問の第1回目、
次回からはいよいよ念願だった坂道の上の教会、洗礼堂と続きますので、
宜しくお付き合いをお願い致します。



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