・ 記憶の日 ・・忘れないために!  1月27日


毎年1月27日は、「記憶の日・ジョルナータ・デッラ・メモリア」。

1-giornata-della-memoria-SITO.jpg

この日1月27日は、1945年1月27日、ポーランドのアウシュヴィッツの
絶滅強制収容所が解放された日にちなみ、
ヨーロッパの国々が、ナチの殲滅作戦によって起こったユダヤ人を始めとする
600万人もの大量殺戮を忘れない為に制定された日。

2-1-giornata_della_memoria.jpg




少し見難いのをご容赦頂き、
白い四角が強制収容所、正確には収容者の絶滅収容所が
あった場所で、赤い点が強制収容所があった場所。

2-2-P7140038-730x1024.jpg

下に、1200万人、男、女、子供が収容所に連行され、
その内の1100万人が殲滅され、その半分がユダヤ人、 とあります。

というのも殺戮されたのはユダヤ人だけでなく、同性愛者、ジプシー、
知的に遅れた人々、政治犯もが含まれていた訳です。




大小様々な収容所は全部でヨーロッパに2000以上あったという事ですが、
その内イタリアには4つありました。

イタリアではムッソリーニが政権を握り、1938年に「人種法」が制定され、
これ以降国内でのユダヤ人の迫害が始まり、政治犯など共に
収容所への連行が始まったわけですが、

4つの収容所の内ひとつはエミーリア・ロマーニャはモデナの北、
フォッソリ・Fossoliに。

3-fossoli2.jpg

4-fossoli.jpg

5-Panoramica_del_Campo_di_Fossoli.jpg

1943年10月、ローマからのユダヤ人1022人がアウシュヴィッツに送られ、
この内の839人がガス室で亡くなり、生きてイタリアに戻ったのは17人。

1944年2月、650人がアウシュヴィッツに送られ、このうちの23人、女8人、
男15人が生還し、この中にプリモ・レーヴィ・Primo Leviが。

フォッサリからは全部でアウシュヴィッツに貨物列車で2445人が送られたと。




これはボルツァーノにあった収容所で、ここもナチの収容所への移送を
待つ場所だった様子。

6-1-bolzano.jpg

6-2-lager-Bolzano-1.jpg




ピエモンテ州クーネオの、ボルゴ・サン・ダルマッツォ・
Borgo San Dalmazzoの収容所。
最初はミューラー隊長によって造られ、後にイタリア政府に任された。
全ての収監者はアウシュヴィッツに送られ、ほんの少しの生存者があった、と。

7-slide_26.jpg




アルプス兵の兵舎が収容所に使われたようで、壁に見える文字は、
決して裏切るな、 皆は一人の為に、1人は・・、と。

8-alpina+di+Borgo+S.jpg




アウシュヴィッツに向かって出発した貨物車の鉄道駅が整備されており、
ここに見える説明に、

1943年11月21日と1944年2月15日、ボルゴ・サン・ダルマッツォの
鉄道駅に355人が集められ、男、女、子供たちが貨物車に乗せられ、
絶滅収容所のアウシュヴィッツとブッケンワードに連行、335人が
殺害された。ユダヤ人、イタリア人、そして外国人で・・。

9-san dalmazzo cuneo.jpg

イタリアから絶滅収容所に送られた人々の数は全部で約7500人とみられ、
その内826人が生還できた、と事。




これはイタリアに唯一存在した絶滅収容所、トリエステのサン・サッバ・
San Sabba. 元々は精米工場だったものを改造したもので、
写真真ん中に見える建物の跡が、ナチが退却前に爆破した
死体焼却炉のあった場所。

10-Risiera-S.Sabba_-1024x768.jpg

私本人もこの後訪問しましたが、鳥肌が立ちました。



内部の様子を。

11_Risiera_San_Sabba_2.jpg

12-cp_Risiera_S_Saba_024.jpg




今朝のTVでは、明日27日の記念日について取り上げており、
各地で様々な催しが行われる様子ですし、
数日前から、これらの主題を取り扱った映画が色々TV放映されるので、
ああ、記念日が近い、と思い出します。

中でもやはり記憶に残る映画としては、

13-35577.jpg





14-02488506.jpg




アンネの日記   ここに載せた写真は今夜放映される1959年制作の物で、
監督がジョージ・スティーヴンス、瞳の美しいミリー・パーキンスがアンナ役を。
DVDを持っていますので、今夜はTVではなくこちらを。

16-The-Diary-of-Anne-Frank-19591.jpg

shinkaiが中学生の時、この映画が製作中という記事が英語雑誌に載り、
担任が英語の先生だったもので、彼は初めて知った内容に興奮し、
我らに関連事項を詳しく語り、それが頭の中に深く根を下ろした最初でした。

戦後14年目にして作られたこれは、まだまだ近い深い傷の記憶が
残っている中での作品で、新しくあれこれ作られる当時を描く映画は、
余ほどの製作費をかけたものでないと、作品自体に緊張感がないなぁ、
という印象を受けます。
それだけ当時の記憶を持つ人々も少なくなり、時代が過ぎた、
という事なのでしょう。



世界中、未だ人種問題、人種間の争い、国の間の戦争も尽きず、
新しいナチズムの台頭についてもニュースで見ますが、
7,80年前に起こったこの信じられないような大犯罪、悲劇を通し、
我らが学んだ事は大きな筈!
少しでも将来が良い方向に向かっている様にと、
いささかの楽観性を持って願っているshinkaiです。

最後に、イツァーク・パールマンのヴァイオリンで、
「シンドラーのリスト」のテーマ曲を。

sangavino-5.jpg


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。

非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。


*****


水彩+色鉛筆画ブログには、
アップしています。    
見てやってくださ~い!    

ご訪問、よろしくどうぞ!


*****

いつもブログご訪問、有難うございます!
応援も宜しくお願い致しま~す!



スポンサーリンク