・ n.2 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の

先回に引き続きパルマのトッレキアーラの城、5世紀を経て今もその美しさと堅固さ、
そして城に秘められた中世の愛人たちの物語が語り継がれる城のご案内を。

先回は東南の塔の2階に位置する有名な「金の寝室」の半ばでお終いになりましたが、
まずは部屋の全体が想像出来るこれを見て思い出して頂き、

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壁の下部は陶板5種類の柄で装飾され、その上部が半円形で、2人の姿と
なれ初めからのお話を物語る4面のフレスコ画で、

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その上部が帆型というのか、十字に天井部のボールト部分に続き、絵柄は4面とも
ビアンカ・ペッレグリーニ (1417-1480)が、ピエール・マリーア・デ・ロッシ2世
(1406-1468) の持ち城を巡礼姿で訪ねて回る、という物なんですね。

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ビアンカの姓がペッレグリーニ・Pellegrini、つまり「巡礼」を表す事からでしょうが、
杖を持ち、幅広い帽子を背に、マントを纏い、貝殻も見えるそうで、まさに巡礼姿で、
ピエール・マリーアを求めて彼の城を訪ねて回る姿。

描かれている城はその細部の状況からよく特定できる様子で、16城が描かれ、
いずれも背後の奥にはアッペンニーノ山脈が見え、そこから川が平野に流れ、
農業が盛んな様子や植物群なども詳細に描かれていると。



フレスコ画の中央の2人の姿や城も素晴らしいのですが、shinkaiにはボールトを
支えるこの肋骨というのか、この部分の細工の繊細さと豪華さにも魅せられました。
大変に手の込んだ細工が施され、色も大変鮮やか!!

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これは先回も見て頂きましたが、中央部の2人の姿の脇には愛のキューピッドが遊び、
各背後にもピエール・マリーアの城が描かれており、この場面はトッレキアーラで、

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ベネデット・ベンボによって描かれた壁画の2人の姿と城ですが、これはとりもなおさず
ピエール・マリーア・デ・ロッシ2世の、素晴らしい勢力をも示されている訳です。

後16世紀末に城自体の改築も行われた事は先回に書きましたが、他の部分も
あれこれと後の幾多の城の持ち主による現在の姿への改築の変遷にもかかわらず、

この「金の寝室」のみは改装されず、20世紀の初めまで手つかずで残っていたと
いうのですね。 つまり出来の素晴らしさは誰もが認めたという事で。

所が1911年に国の記念物に指定される直前の1909年、当時の持ち主であった
トルローニア公爵・Torloniaが国に売り渡すまえに、調度品一切を持ち去り、
陶板から金箔を取り除いたのだそうで・・! せこい!

という事は先回書いた様に、単に陶板の重なるハート部分に金箔が張られていた、と
いうよりもっともっと多くの部分に金箔が使われていた、という事なのかも、ですね。
いやぁ、少しは金箔が残っているかと、結構目を近づけて眺めたのですが、ははは、
本当にピカッというかけらも残っていませんでしたから、長年の間にやられたのかと
思っていたのでしたが・・! 



この扉から、西に続く各部屋に連絡しますが、なんとも厚い壁で!

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ここから西には大きな部屋が4つ続き、フレスコ画は16世紀の末の物とみられ、
つまり2人の後の時代の物ですね。

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「金の寝室」から順に、暁の間、

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真昼の間

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黄昏の間

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そして、夜の間と続きます。

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剥落が酷かったりする部屋もあったですが、残った部分に見える人物の動きが
面白かったりしましたが、一応の様子を見て頂き、



部屋の扉、やはりこれも後の時代の物と。

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2階の内庭に面してのロッジャート、廊下部分で、

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内庭にある井戸を見下ろし。 井戸の深さは66mと。

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で、一番西端の部屋を出て、ぐるっと内側に回り込むように入った所からテラスが見え、
ガラス扉があったのでちょっと押してみると、なんと開いて! テラスに出れ、

「金の寝室」の外にもテラスが見えたものの、出れるとも思わず試しもしませんでしたが、
このテラスに出れたのは嬉しかったですねぇ。

ご覧の通り広いテラスで、

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快晴の、東から西への眺めを楽しみました!

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これは西の外側の城壁を修理している様子。

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東側のもう一つのテラスがこんな風に見え、

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あの内側に「金の寝室」が。



見下ろす、城の坂下からの入り口の門。

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2階の西側からはこんな風に細めの階段が1階に続き、

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途中でまた「金の寝室」を見に戻ったりしたものの、すっかり満足して、ははは、
階段を降りて後は厩舎を見て後、素直に来た道を戻り、城外に出たのでしたがぁぁ、



実は1階部分に見ていない部屋、大広間がたくさんあったようで!!

これは今回ブログの為に調べていて分かった事でして、ははは、
でもね、どこにも入口らしきものが見えず、扉にも入れそうな印も見えずで・・!
夏の、見学者が多くいて、出入りする姿が見える時期なら分かったのかもですが、
我らは見ずに帰った部屋の写真を少し。

台所もあり、これは1階の台所の様ですが、地下にも台所があり、召使たちの住む
部屋もあるのだとか。

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そして、勝利の広間の天井画。

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蔓棚の広間。

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紋章の広間。

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風景の広間、と呼ばれるグロテスク模様の部屋。

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これらはいずれも天井部が樽型と呼ばれる形の部屋で、後の時代の装飾ですね。

まぁ、負け惜しみかも知れませんが、shinkaiは城の守備態勢の見事な構造と
佇まいの美しさ、そして「金の寝室」を見れただけでも本当に満足でしたので、
残念とは思っとりませんで~す、はい。



さてこちらは城から下って来て、坂下からの最初の門を入っての東側にある、
ふるくからの村落部、または家臣たちの住居だったのかもの古い住居の固まりで、
道が2本通る家並が残ります。

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ハム類や土地のお菓子を売る店が一軒店を開いており、他はワイン販売店の
様なのもありましたが閉めていて、



可愛い猫ちゃんが一人、ご挨拶を。

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集落から見上げる、お城の東南の塔。 あのテラスの内側に「金の寝室」が。

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所で、ピエール・マリーア・デ・ロッシ2世がトッレキアーラの城を建設したのは1446年
からで完成は1460年、単にビアンカとの愛の巣の為のみではなく、パルマ一帯の
敵対する領主たちに対する守備堅固な、14年間をかけての城建設だった訳ですが、

実は1440年頃ミラノのスフォルツァ家の宮廷で知り熱愛し始めたビアンカを、
ピエール・マリーアがパルマの自分の領地に連れて帰り、トッレキアーラの城建設の
後に造った城、ロッカビアンカ・Roccabiancaという城があります。

地図をどうぞ。 一番南にトッレキアーラの城があり、

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こちらロッカビアンカは北のポー河に近い所にあり、デ・ロッシ家の本拠である城もある
サン・セコンド・San Secondoからそう遠くありません、10km程でしょうか。

この地はピエール・マリーアの一番の敵であったパッラヴィチーノ家に対する要所であり、
彼をお気に入りだったフランチェスコ・スフォルツァから1449年に改めて領地に拝領し
築いた要塞・ロッカで、1450年から1465年にかけて建設。

トッレキアーラの城建設の1446~1460年に重なる訳で、デ・ロッシ家の財政の
豊かさも想像できますが、
ロッカビアンカという名は、そこに住むようになった愛人のビアンカからとも、
要塞の外側をピエール・マリーアが白く塗ったからだとも言われますが、はは、

こちらです。

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ビアンカはこの城で冬を過ごし、トッレキアーラは夏の住まいだったのだそうで・・!
トッレキアーラの方が寒いから、というのではないと思うのですね。 
なにせポー河の近くですから、マントヴァの様に霧が発生し、寒かったのではないかと。
となると、本城に住むピエール・マリーアから近いからとか?と・・。



そしてこちらがデ・ロッシ家の本拠の城、サン・セコンドの城。

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以前、まだ城訪問前に書いたトッレキアーラの記事に、当時読んだままに、どこで
読んだものか今回探しても分からなかったのですが、

ピエール・マリーアの妻、7歳年上のアントーニア・トレッリは良く出来た妻で、夫が
ビアンカを連れて戻ると、自分は修道院に引きこもった、という様に書いていますが、
今回読んだ所ではこれは無かった様で、すぐ近くに愛人の住む城がある、という事にも
よく耐え、最後までサン・セコンドの城に住んだ様子で、1468年62歳で亡くなります。

彼女の慎重さと忍耐を讃えた唄もある様で、ピエール・マリーアが戦傷した時なども
しっかりと傍らで尽くした妻だった様で、彼女が亡くなった後も愛人のビアンカとは
結婚せずのままでしたから、その辺りは若い頃とは違い、熟年となった後の2人の
それぞれの気持ちは、後年の我々は勝手に想像するばかりですが・・。


ビアンカは、ピエール・マリーアと知り合った時、23歳、既に既婚で2人の子があり、
3人目の男子オッタヴィアーノは多分ピエール・マリーアとの子であると言い、
後にフランチェスカ・Francescaが生まれていて、1480年頃63歳でトッレキアーラで
亡くなり、城内の教会に葬られます。

一方ピエール・マリーアの運命、またデ・ロッシ家の運勢は、ミラノ大公であった
フランチェスコ・スフォルツァが亡くなり、長男のガレアッツォ・マリーア、残忍な圧政者として
知られ後に暗殺、の後まだ幼いジャン・ガレアッツォ・マリーアの摂政の1人ともなる程の
重要人物になりましたが、

ジャン・ガレアッツォ・マリーアの叔父ルドヴィーコ・イル・モーロが実権を握ると大きく変わり、
イル・モーロはピエール・マリーアと敵対する側と手を組み、1480年遂にミラノ公となると
デ・ロッシ家は反逆者とされ、1482年スフォルツァの軍がサン・セコンドを取り囲み戦争に。

ピエール・マリーアは既に69歳、健康状態も良くなく、が息子のグイドともに良く戦い1年間
持ち堪えます。 そしてロッカビアンカの要塞が落ちた後秘密の抜け道から担架に乗り
武装兵に囲まれてトッレキアーラの城に移った後1482年9月に亡くなり、
城内の教会に既に葬られていたビアンカの傍らに。


デ・ロッシ家の子孫のその後ですが、当然反逆戦争で負けた後は財産没収、
追放となりますから、主として戦ったグイド・Guidoなどはヴェネツィアに逃げ、
これが可笑しいのはピエール・マリーアはかって5度もヴェネツィア共和国との戦争に勝って
いますが、彼らがミラノ公国を相手に戦い始めると、国境線の問題となりますから、
ヴェネツィア側は大っぴらには軍を出さないものの、財政的にずいぶん助けたのだそうで、
ヴェネツィアに逃げたグイドは貴族の位も与えられますが、1490年に亡くなります。

先回サン・セコンド侯爵ピエール・マリーア・デ・ロッシ3世の、パルミジャニーノ描く肖像
ご覧に入れましたが、ちょっとややこしい話ですが、
この方はピエール・マリーア2世の長男ジョヴァンニの、父親と意見が合わず喧嘩も多く、
長男ながら父親から廃嫡追放され、フランス王に仕えていたのが、
イル・モーロが失脚した後ルイ12世から領土を返却して貰い、サン・セコンドに戻り
1502年に亡くなった、その孫に当たり、つまりピエール・マリーア2世のひ孫に当たる方。

12世紀に始祖を持ち、パルマ一帯に散らばるたくさんの領土を持っていたデ・ロッシ家
ですが、一番長く続いた直系に当たる家系も1825年に、他にもペルージャ、ナポリ、
ラヴェンナ、マンドヴァ等に散っていたロッシ家もすべて消滅しているとの事。

という、戦乱の時代を傭兵隊長として戦い、生き、また大いなる愛の人生を生き抜いた、
とshinkaiは思いますが、ピエール・マリーア・デ・ロッシ2世とビアンカ・ペッレグリーニ、
そして妻のアントーニア・トレッリのお話、
そしてその舞台となった、美しいトッレキアーラの城のお話でした。



最後は、お城を出てから少し下った下の道を行き、見上げた姿を。
同じ道の先にやはり同じような撮影のための車が2台止まり、撮っておりました。
これはねぇ、もう見えたら撮らずにはおれませんよねぇ!

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そしてサイトから、照明された姿と、夜の写真をどうぞ。

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今回はあれこれ読む資料が多く大変でしたが、知る事がとても楽しかったです。
長いお付き合い、有難うございました。 楽しんで頂けました様に!
そしてチャンスがありましたら、是非お出かけ下さいね!!

***

◆ 版画作品展のお知らせ ◆

大阪に住む古くからの友人の味埜与志子さんが、福島図書館で
数年前から取り組んでおられる銅版画の展示会をされる事になりました。

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柔軟な発想イメージと熱情で作品に取り組み、世界各国のミニプリント展に
応募、そしてその入選経験も度重なり、どんどん発展しつつある味埜さんの
初めての個人での昨品発表会です。

どうぞお知り合いの方にもお勧め頂き、お出かけご覧頂けるよう、
私からもお願い申し上げます。

 
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記録庫ブログには、  
シエナとその周辺 を 7記事  スコミーゴ村 を 2記事
アップしております。
ご訪問よろしくお願い致しま~す。

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色鉛筆+水彩画ブログには、
猫ちゃん の絵の手直し と、 イワシのサオール、ヴェネツィア風レシピ を  
アップしています。  
見てやってくださ~い!    
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・ n.1 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の

9月下旬の快晴の日、かねてより念願のパルマの南にあるトッレキアーラの城を
訪ねることが出来たので、今回と次回の2度に分けて様子をご覧頂きますね。

まずはかなり離れた国道筋を行きながら右手に見えて来た城の威容を。

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小高い丘の上に位置し、朝の陽を浴びすっくと立ちあがる素晴らしい姿で、
これが見えた時は、おお!とちょっとした感激!



こちらは城の下の駐車場からの眺め。

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地図をどうぞ。 パルマからだと19km程の距離で、車で24,5分でしょうか。

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トッレキアーラから北に囲った、フェリーノ・Felino、サーラ・バガンツァ・Sala Baganza、
ノチェート・Noceto等に、トッレキアーラの城を築いたピエール・マリーア・デ・ロッシ2世
Pier Maria de'Rossi II(1413-1482)の持つ要塞、城があった土地で、

伯爵デ・ロッシ家の本拠地、城はパルマの北サン・セコンド・San Secondoにあり、
ここに妻アントーニア・トレッリ・Antonia Torelliと、彼女との間に生まれた10人、
息子7人と娘3人が住んでいて、

も一つ北に見えるロッカビアンカ・Roccabiancaにも城があり、トッレキアーラと共に
ピエール・マリーアの愛人として5世紀後の今も名が残るビアンカ・ペッレグリーニ・
Bianca Pellegriniの冬の住まい、として知られている物。

とのっけから少しややこしい事を書きましたが、それらは徐々にご説明を。

実はトッレキアーラの城、2人の愛人について、こちらに一度書いてますのでどうぞ。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462632651.html



駐車場から城への坂道をゆっくりと上り、

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右手上に城が見えてきた所。

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見下ろす耕された平地の畑。

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坂道を突き辺りまで上り、折り返してまた少し上に、そしてここに城の門が。

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大きなアーチの門は馬車、荷車や騎乗が通り、左の小さなアーチは歩兵、一般人用
でしょうが、いずれも跳ね橋の跡が見えるので、元々は手前に堀があったのですね。

この高台の地には13世紀に既に要塞があり、パルマ一帯の領主たちが築いたり、
攻められ破壊されたりが何度か繰り返された、戦術的に有利な地だった訳ですね。
そして1448年から、当時パルマ一帯に5分の1の領土を持つピエール・マリーアが、
自分の力を示威する城を築き始めた訳で、街道筋から見えたあの素晴らしい威容も
良く納得できる場所、姿であり。

このトッレキアーラの城は美しさと共に、とりわけ愛人との愛の巣としての評価が先に
大きく出て、勿論それも城の内装の美しさに関係しているのですけど、

武人として大変に優秀で、「マニーフィコ・Magnifico・偉大なる、素晴らしい」と
称賛されたピエール・マリーアが築いた、一帯の敵対する領主達に対する守備固めも
十分な、単なる領土内の美しい城では無かった事をまず見て頂きますね。



門を入るとこんな様子で、右に見えるのが城の教会サン・ニコーデモ・San Nicodemo、
ここにピエール・マリーア、そしてビアンカも葬られているとの事で、

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城に行くには左のアーチをくぐり、



中はトンネル状のかなり急な坂道を上ります。

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城全体の様子が良く分かる上空からの写真をどうぞ。
城、要塞の中心は一段と高い位置にあり、海抜278m、その周囲を城壁が囲み、
最初の門が左下に見え、門から左下の道に沿って土地の高低を利用した壁が続き、
右下には元々からあった集落、また家臣たちの屋敷でもあったのかがあり、
かってはこの周囲も城壁で囲われていて、つまり3重の城壁に囲まれていた訳ですね。

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上でご覧頂いた様に門をくぐり教会前広場に出て、長いトンネル状の坂道を上りますが、
ここは2階部分が住居になっていて、後程、で右下の塔、城中心部への入り口に当たる
リヴェッリーノの塔・Rivellinoの前に出ます。
塔の前に橋が見えますが、ここも元々は跳ね橋で、右にほんの少し堀が見えますね。

塔の門をくぐると、ここから左側に城中心部の壁を見上げつつの長い坂道となり、
奥の角を左に曲がった所に、城中心への入り口があります。

つまり中心部に達するには、坂の下から上って来て、門を通り、トンネルを上り、門を通り、
また坂道、曲がって漸くに入口、という、戦術的にも良く考えられた行程が続きます。

中心は4隅に塔を持ち、北西の角が一番高い主塔のレオーネの塔・Leone、日本の城で
言う天守閣に当たり、最後のいざという時は城主家族の避難所にもなる所で、 
40mの高さ、他の3つの塔と同じ高さの上に6mの上階が。



こちらがトンネルの2階部分に当たる住居で、多分兵士たちの詰め所でもあったかと。

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トンネルを出て来て、見上げる城郭部の高さ。

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こちらが中心部への入り口のリヴェッリーノの塔で、やはり2つの入り口と跳ね橋の跡。

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上部の窓、つまり兵士たちの見張りの窓でもあった訳ですが、その下の切れ込み部分、
とても美的なアクセントでもあるのですが、上部をご覧になると、板張りで穴が開く様に
なっており、ここがいわゆる狭間で、弓を打ったり、上から石や熱湯を落とす場所ですね。

他の壁に見える小さな細い隙間は、石弓を打つための物と言い、
跳ね橋も全部で3つというのですが、一つは記憶になく、ただ北西の主塔がドンジョン、
というので、上階に上る前に何かそれに相当するものがあったのかも、と。



そして塔の手前の深い堀の跡。 現在はここしか残っておらずですが、当時はぐるっと
中心部を取り囲んでいたと言い、これらの改修は16世紀の末に行われたのだそう。

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堀は空堀だったそうで、それもピエール・マリーアの、外からの侵入者が堀の水に隠れて、
というのを恐れての空堀だったと。

16世紀末の改修で、城壁も一番外側のは取り壊され、2周目のは低くされたそうで、
現在見える南側の外に付き出した大きなテラス2つも、その時に増築されたものと。
つまり愛人たちの時代には、外で月を見る、という様な事は無かったのですね、はい。



塔の下の門をくぐると、こんな石畳の坂道で、も一つ上に門が見えます。
現在は塔の内側の右に切符売り場が。

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坂道を上りながら、見上げる城郭。 ここにもすべて見回りの道が付き、狭間も。

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こんな風に上って来て、角を回ると、

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北西の塔の角で、そして南の角に。 

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塔の間を繋ぐ壁に2つの入り口が見えますが、



北側の入り口内は厩舎で、両側にこんな風に上に飼い葉入れと、横に木の水入れ、
全部で8~10頭の馬がOKになっていたと。

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入り口前の細長い広場もかなり位置が高く、西の風景がこんな風に。

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東西に細長い内庭、「コルティーレ・ドノーレ・栄誉の内庭」。 南側は1階2階とも
ロッジャになっていて、現在はこの内庭でコンサートなども開催されているそう。

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北側には大きなアーチで開け、ここから我らは2階に。

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上がって、資料展示室のような所で見た、城の姿がぐるっと回る3D方式の奴で、
なんと呼ぶのか言葉が出ず、へへ、 余りサイトでも見れない城の北側の姿を。

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そこから続いていた部屋が、ジョコリエーリの大広間・Salone dei Giocolieri.
曲芸師たちの大広間、とでもいうのか、広間の周囲の壁一面に軽業、曲芸師たちの
遊ぶ姿が描かれていて、

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真ん中にこんな甲冑の展示も。 見事な装飾が施された甲冑ですが、
やはりいつも思うのは、当時のイタリア人達の体の小さかった様子ですね。

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続く部屋が、見たかった「金の寝室」で、まずは全体の様子が分かりやすいこれを。

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中央の扉が「ジョコリエーリたちの大広間」に続き、その左の扉が西の部屋部屋に連絡。

実はイタリア版ウィキの東西南北の説明が間違っていて! うん、もうっ! 塔の位置や
この寝室のフレスコ画の位置を確かめる為にも、グーグル・マップも開き、通った道順、
行程を思い起こしつつ、はぁ、大汗だったのです。

なぜって、この部屋のフレスコ画の下の半円の部分は一連の彼らの物語ですから、
最初のなれそめの場面と、結末がある訳でして・・!



これは西側で、部屋の下側はこんな風に陶板装飾で埋められ、その上が半円の彼らのお話、
そしてその上が帆型に区切られ、ビアンカが巡礼姿で、ピエール・マリーアの持ち城を
尋ねて回るという・・、大変に煌びやかで美しい装飾なのです。

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部屋は東西に長いので、陶板、フレスコ画の長さはこんな風に変化しますが。

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東側、まずはなれそめのお二人で、中央に目隠しをしたキューピッドが弓に矢をつがえ、
その先にビアンカ(1417-1480)がいて、向かいにピエール・マリーア。 彼女に恋した彼。

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2人がミラノの、ヴィスコンティ家の最後の女性、フランチェスコ・スフォルツァと結婚した
ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティの宮廷のお付きお供で、1440年頃に知り合った様で、

彼女は既にメルキオッレ・ディ・アルルーノ・Melchiorre di Arlunoの妻で、夫はかなり
年長だったと書いたのもあり、子供3人、
うち最後のオッタヴィアーノ・Ottavianoは、多分ピエール・マリーアの子であろうといい、
事実ピエール・マリーアは1464年の遺言で、トッレキアーラの城を彼に残しますが、
先に亡くなり・・。
ビアンカは当時23歳、そして彼は27歳。

ピエール・マリーアは1428年、15歳の時にアントーニア・トレッリ・Antonia Torelliと
結婚しており、花嫁は7歳年上の当時22歳!で、上記した様に既に10人の子持ち!!

フランチェスコ・スフォルツァのお気に入りで、彼の下で傭兵隊長として優れた働きをし、
ヴェネツィア共和国との戦いにも5回も大きな勝利をおさめるという、素晴らしい騎士で、
そんなこんなで、2人は激しい恋に落ちたのでしょうね。 彼がパルマに戻るのに、
いつかは分かりませんが、ビアンカは従います。



半円形の中心に2人の主人公が描かれていて、その両脇には愛のキューピッドが
様々に遊んでおり、その背後にピエール・マリーアの持ち城が描かれていますが、

上の場面の右側は、こんな風にトッレキアーラの城なのですね。 キューピッドが
遊んでいるのはクジャクなんだそうで。 

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ただフレスコ画装飾のみでなく、真ん中の浮彫も使った様子、そして周囲の縁取り
部分の漆喰細工の細かさにもご留意を。



西側、右に跪いたピエール・マリーアが自分の剣をビアンカに捧げ、忠誠を誓います。

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そう、まさに中世の騎士道物語で、実在の人物のお話がこうして描かれている、と
いう点でもイタリアに唯一の例なんだそうで、はぁ。
それにこの場面も真ん中の浮彫りの建物の中には彫像も収まり、両脇には陶板も。



北側、ビアンカが跪いたピエール・マリーアにローリエの王冠を授けている所。
合戦で勝利を収めた彼を讃えているのでしょうか。
窓の格子にはラテン語で「aeternum・永遠に」と書かれていると。

35-DSC01129_GF.jpg



そして南側、「曲芸師たちの大広間」から入ってくると正面に見える部分で、
両脇に立つ2人は正装で、ビアンカは花嫁姿で冠を被っており、
2人の間には窓が描かれ、その丘の上にトッレキアーラの城が見えるのだそう。

36-DSC01128_GF.jpg



という、まさに永遠の愛を誓う2人が繰り返し描かれていて、画家はクレモナの
ベネデット・ベンボ・Benedetto Bemboが、1462年に描いたものだそうですが、

ビアンカの顔はいくつもが黒く変色しており、多分白色の成分が化学変化を起こした
ものと見られ、それも残念。

そして当時「マニフィコ」と呼ばれた程のピエール・マリーアがどんな顔をしていたのか、
肖像画も見つからず、当時彼が有名な金細工師に注文したという、2人の肖像メダルも
散逸しているのだそうで、

この最後の正装姿の彼の顔が少し見えるのを幸いに、切り取って見ましたが、
これです、どんなでしょうか、多少はね、ははは。 彼は49歳、彼女45歳、ふ~む。

37-DSC01190 - Copia.JPG

既に20年一緒の2人で、未だにこの熱愛純情というか、愛を誓う間柄ね、はぁ。



所で、あれこれ写真を探していて、こんなのを見つけ、ぎゃ!と言いそうでしたが、
はは、落ち着いて調べて見ると、これは同じピエール・マリーア・ロッシでも3世で、

38-2-Facebookpersonaggi1.jpg

(1504-1547)サン・セコンドの侯爵、伯爵になった方で、我らのピエール・マリーアの
ひ孫に当たります。 
ちょっと家系の経緯がややこしいのでここでは詳細を省略しますが、



上の絵はパルミジャニーノの絵から抜き出し、また反転させて使っていて、
実物が素晴らしいので、こちらに。 

38-3-Parmigianino,_ritratto_di_pier_maria_rossi_di_sansecondo_01.jpg

1539年パルミジャニーノ作で、妻のカミッラ・ゴンザーガと3人の子の肖像と共に、
マドリッドのプラド美術館に収蔵との事で、これもまた不思議な経由ですね。



最後に「金の寝室」のテラコッタの陶板の壁装飾についてですが、金の、と言われる元は
この陶板に金箔が貼ってあった事に由来します。

アラベスク模様の様にX字形の物が一番多く、これが一枚おきに置かれ大きな斜めの模様を
作り、ライオンが後ろ足で立つ姿は、ピエール・マリーア・デ・ロッシの紋章。
城の塔が見えるのが、ビアンカ・ペッレグリーニの紋章、そしてリボンが巻きついた物で、

41-P27_5583_GF.jpg

リボンに書いてある文字は、「Nunc et semper・今も、そして ずっと」。



ライオンの立ち姿の陶板の、ライオンの首の所に青い色が見えますね。なのでライオンに
金箔をはってあり、周囲は紋章通り、青い色に塗ってあったのではないかと。

42-DSC01144_GF.jpg



これが有名な重なる二つのハートで、周囲に見える文字はDigne et in aeternum、
「真実、そして永遠に」。  ハートに金箔が張ってあったのでしょうねぇ。

43-DSC01143_GF.jpg

上部のフレスコ画も華やかですが、所々の金箔が小さくキラキラというのも、
本当に素敵だったことでしょうね。



部屋の南西隅に小さな窓があり、壁にも別の人物像が描かれているのが見えますが、
多分ここは仕切られた小さな部屋で、ピエール・マリーアの小さな書斎だったと。

44-2-sala oro.jpg

壁の陶板の位置も木製で、蝶番で開く様になっていて、多分物入れですね、
壁のモノクロの人物像はラテン語の詩人ヴィルジーリオとテレンツィオ、そして
神話的な大力の主エルコレとサムソンで、つまりピエール・マリーアの知性と体力の
強さを語るというのですが、彼の理想だったのかも。

木のパネルは人物像で埋められており、ダンテ、アリオストロ、プラトン、ソクラテス等で、
引き出せる板には小さな絵があり、「そう、男だ」と。

傭兵隊長として次々の戦争、合戦に出かけ、怪我もし、晩年には大きく運が傾く
彼の人生ですが、こんなモットーを読むと、如何にも己を律し続ける騎士道精神の
男の姿が垣間見えるようで、

「愛の巣」というのも、単なる若い頃の愛人との生活のみでなく、
彼の人生を支え続けたビアンカの姿も思いうかびます。

という所で、今回を終わり、次回に続けま~す。


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トスカーナの道 途中経過と、 ビオのビストロで友人とお昼を を  
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・ パルマと その周辺で食べた旨いもの! と、店を探して幾千里、ははは

イタリア中に大雨、強風、大洪水の被害が続き、あれこれ日本のニュースにも
出ている様子ですが、お陰様でこちら、と言っても我が家の辺りは特別な大雨も、
被害もなく過ぎております。 ご心配頂き有難うございます、大丈夫です!
***

今日は9月末に出かけたパルマで食べた旨いもの、と、お昼を食べるのに
探し回った城と店、そして結局食べた店も美味しかった! というお話を。

パルマで泊まったホテル・サヴォイ・Savoy、旧市街の中にあり、見所にも近く
とても便利、部屋はとてもモダンで快適、そしてお値段もお高くなく、という
パルマにお出かけの方にお勧めのホテル。

1-ssav3.jpg

サイトはこちら https://www.hotelsavoyparma.com/it/



翌朝の朝食も品ぞろえが多く、とても良かったですよ。

2-ssav1.jpg



地図をどうぞ。 上に囲った場所にホテルSavoyがあり、美術・博物館があるピロッタ宮・
Palazzo delle Pilottaにも、パルマの聖堂・Cattedrale、洗礼堂などにも
4~500m という近さです。

3-trovatore.JPG

ちょうどお昼前に到着し、鞄を預けた後お昼を食べに。 ご一緒したMMさんは、
日本の方がお勧めを書いていた生ハムの店に行きたいと言われ、少し遠くにまで。

shinkaiはホテル近くの店をピックアップし、ピッツェリーアとかを外して2軒の内、
ホテルのフロントでどちらが良いかと尋ねると、こっちが美味しい、と教えて貰ったのが、

ホテルから50mほどの「トロヴァトーレ・Il Trovatore」という店。
地図に印が付いていますが、実際は道の反対側にあり、



こんな感じに、道脇に細長いテラス席もある店。 大きな看板は出ておりませんが、
表のこの囲われたテラス席で分かりますね。

4-tro7.jpg



ここが多分shinkaiも食べた入り口脇の小さな部屋で、壁にはヴェルディの顔、顔。顔。
他には大きな部屋も2つあるそうで。

5-tro1.jpg



道に面して座っての様子。 隣には6人位の男性たちが楽しそうに食べ、飲みで、
よそ見は遠慮し、へへ。

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まずは、突き出しが出て。 トマト・ソースに浮き実の、さっぱり味で、
上に見えるパンも自家製のあれこれで、これもとても美味しかったですね。

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メニューに魚がたくさんあって嬉しく、頼んだのはスズキで、付け合わせに
ポテトとプチ・トマト、オリーヴと。
かなり大きな身でしたけど、美味しくペロっと食べ、勿論ビールも一杯ね。

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カフェならぬオルゾにグラッパを入れたのを頼みましたら、この一口サイズのクッキー類が。
これもまた可愛く美味しく、いくつか頂き、この時点でお昼御飯としてはお腹いっぱいに。

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2時に聖堂、洗礼堂で待ち合わせのMMさんとも上手く会え、お互いのお昼の成果を
話し、彼女の方は量は多かったけども味は大した事が無かったというので、
では夜にもう一度「トロヴァトーレ」に行こう、という事になり、ははは、行きましたぁ。
お店の人はしっかり覚えていて、何人にもにっこりと笑いかけられましたっけ。


夜は外のテラス席に座り、付き出しもお昼と同様にでて、前菜に彼女は
「ナスのパルミッジャーノ」を。 これはどこでもいつでも美味しいのですよねぇ。

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shinkaiは、ホタテと、アスパラガス。 これは美味しかった! 
ホタテ貝は貝殻に乗せたグラタン風よりも、この様に焼いた方がさっぱり美味しいですね。

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彼女は未だお昼の生ハムが応え、軽くと、shinkaiがお昼に食べたスズキを。
ですが、それでも多かったようで!



shinkaiは海老のパスタを。 これも美味しかったですねぇ。

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お昼の時も感じたのは、この店は街の常連が多く通う様で、昼のお隣の席もそうでしたが、
夜も我らの奥に座った女性は、今日はお肉を食べに来たの、とあれこれ話しながら、
かなり融通を効かせて貰った注文をして、しっかり食べていましたね。
そして、この街の落ち着いた深い裕福さ、という様なものも感じた店でした。



サイトで見つけた、店の料理を少し。 生ハム。

12-2-tro3.jpg



手長海老のリゾット。

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そして、お肉。

12-4-tro8.jpg

量も特別に多くは無く、お皿や盛り付けの様子もちょっと洒落ているでしょう?!


さて翌日は、かねて念願のパルマから南に位置するトッレキアーラの城に行き、
十分に楽しみ撮り、これはまたご案内致しますね。

そして郭内にあるレストランで食べるにはまだ時間が早く、では城の下の方にあった店に
行こうかと行って見ると、パニーノしかないと言い、教えてくれた店が良く分からずで、
結局パルマ方面に向かって進み、十字路の所から奥に見えた集落に向かって進み、

13-castel felino.JPG

近くの町の駐車場で止め、この辺りにどこか食べれる店はないか、パニーノではなく、
と尋ね、ははは、shinkaiはパニーノが苦手でして、近くにはバールしかなく、で、
教えて貰ったのが、カステル・フェリーノ・Castello di Felinoにレストランがある、と。

で、かなり先に進み、地図で見るT字の突き当りで戻って来て、フェリーノ・Felinoの
町の集落で城への矢印が道の右側に出ているのが見え、おお、あった、と。



そして道を辿り、最後はかなりの坂道も上って着いたのがこの城!

14-DSC01204_GF.jpg

周囲にはレストランの案内も無く、が跳ね橋を渡って内庭に入るときちんと整備され、
厨房もあり、何か博物館も併設しており、でも尋ねると今レストランはしていないと。
では下の坂道の案内にあった「レオーニ」という店はしているかと聞くと、している、と。

では、そこに行こう、と矢印が示す方向にどんどん進みますが、進めど進めど、無い!!



こんな風景も見て進みますが、あっ、あれかな、と思うのも近寄ると違っていて、で、
かなり進んだのち遂に断念し、また下の振出しのフェリーノの町に。

15-1-P27_5637_GF.jpg

家に戻ってから調べると、このフェリーノの城は古く、かなりの実戦経験の城の様で、
そんなあれこれを分家ブログに纏めましたので、見てやって下さい。



下に赤い菱形を付けた所がフェリーノの城への道で、そこを突っ切り入って行くと
町の駐車場があり、上の左側の赤の四角で、近くにいたシニョーレにこの辺りで・・と
尋ねると、

15-2-felini.JPG

自分はここの者ではないので知らないが、自分は今から「レオーニ」に友人と
行くので、ここで待ち合わせをしているんだ、あそこはとても旨いんだ! と、
右の親指と人差し指、中指をつまんで合わせ、口元でチュッとやる、美味しさの仕草を!!

あちゃぁ、我々はそこを目指して探し、でも見つからなかったんです、と、
また探しに行くのも面倒で、別の人を探して尋ね、あの先に見えるテントの店が良いよと。

で教えてくれた店が右に見える「パーネ・エ・サラーメ・Pane e Salame」という店。



所で我らが捜し見つからなかった店「レオーネ」ですが、今回検索して見ると、
なんと、やはりあったのですよねぇ!!  しかもすぐ近くまで行っていたのも!!

16-leoni.JPG

フェリーノの町から、城への道を辿り、中程にあるのがフェリーノの城で、
そこからどんどん南に、緩やかな坂道だったり、カーヴがあったりで、かなり高い位置で
風景も開けている道で、
我らは最後のカーヴの所、赤い印をつけた所まで、ははは、行ってたのでした!

ストリート・ヴューで道の様子を確かめ、近くに店への矢印も無い事も確かめましたが、
なので、もし先に進んでいたとしても白い道を先に辿っていた筈で、ここのカーヴで
道がどこかで違ったんだ、と思って引き返したのでした。

なんともはや、イタリア人はかなり遠くまで食べに行くのは良く知ってますが、
地元の人なら土地勘もあり、聞いただけで分かるのでしょうがね、
いやぁ、恐れ入りましたぁ! 

城を過ぎての先に地図に囲った風景は、上でご覧頂いた丘の風景で、
道は間違ってはいなかったのですね、最後の引き返しの所までね、ははは。



で、こちらが幻となった「レオーニ」の店、チビちゃんがベロを出していて、ははは、

17-leo1.jpg

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トリフのたっぷり乗ったパスタと、

19-leo2.jpg



口の中でとろけそうなお肉、そしてワインはナブッコ! やはりヴェルディのお膝元。

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で、我らがお昼を食べた店は、こんな感じで入口は小さいのですけど、
隣に高い大樹が聳えているのにご注目を。

21-DSC01225_GF.jpg



入り口横にあった「パーネ・エ・サラーメ  エノテカ・コン・クチーナ」、
つまりパンとハム類、ワイン蔵と料理、とある店で、

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入り口から左に、つまり表から見えたあの大樹が、このテラス式に囲った中に根を下ろし、
なんとも良い雰囲気を醸し出している場所で、奥にも大きな部屋がある様でしたが、

23-DSC01218_GF.jpg



付き出しのパンと小さなハム、

24-DSC01220_GF.jpg



MMさんは様々なお米を使ったリゾットを。 味見をさせて頂きましたが、
むっちりとお米の味がする、という感じのリゾットで、いつものリゾットとは違い・・。

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shinkaiはオリーヴ、ケッパー、プチ・トマト、野菜の入ったパスタを、美味しかった。

26-DSC01222_GF.jpg



そしてデザートに、クレーマ・カタラーナを頼みましたら、これが出て来て、あれ!
普通はプリンの様に作ったものを上からお砂糖をかけてバーナーで炙ったのが出るのに、
こういう出方は初めてで、お味は悪くは無かったですがね、少しイメージが違いました。

27-DSC01223_GF.jpg



店のサイトからの写真では、どうも古くからある店の様で、伝統にプラス斬新さ、と
いう様な文句がありましたが、

パンとサラーメ、という店の名に恥じない、ハム類の写真を。

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という、あれこれ冒険付きの、ははは、パルマで食べた旨いもの、店、のお話でした。


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