・ ヴェローナ観光  10の、どうしても見逃せない物は

皆さんが「ヴェローナに行こう!」と思われた時、何がまず頭に浮かびますか?
シェークスピアのあの甘く切ない「ロメオとジュリエッタ」の愛のお話の街?
それともユネスコの世界遺産指定を受けている歴史ある街?
それともあの有名な「アレーナ・野外劇場」とか、ロマネスク建築の
「サン・ゼーノ聖堂」、「カステル・ヴェッキオ」、はたまた「ジュリエッタの家」?

イタリア観光でまずミラノに到着された場合、大雑把な動き方としては
ミラノ ⇒ ヴェネツィア ⇒ フィレンツェ ⇒  という様に徐々に南に下り、
またローマからだと逆に北上するわけですが、

このミラノからヴェネツィア間の幹線上にヴェローナとパドヴァがあり、
やはりこの2つは外せない重要な街でして、今迄様々にご案内していますが、

今回はヴェローナ観光について全体の要点はこう、というのをご覧頂こうと。
参考にするサイトは、10 Cose da vedere assolutamente a Veronaで、
本日のタイトル通り。  ではどうぞ!  街の地図は最後に。

1. アレーナ ・ L'Arena

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アレーナはヴェローナのシンボルで、これはもう外すことが出来ない物!
野外劇場、闘技場として紀元後1世紀に造られた物で、大きさとしては
ローマのコロッセオ、カプア・Capua・ナポリ近くにある、に次ぐものですね。

中世においては、この巨大な建設物が古代の人間によって建設されたのが信じられず、
悪魔の仕業となっていた様ですが、
2000年を超えた今も、この3万人収容のアレーナは様々な演劇、公演会場として
使われ、音響効果抜群な事からも夏のオペラ公演で有名な事はご存知の通り。

オープン:火曜~日曜 8:30-19:30  月曜 13:30-19:30
     但し公演がある日は公開時間が短くなり、7月~9月には月曜午前の公開も。
料金: 10エウロ、シニアとグループは7,5エウロ  公演料金は別



2. ピアッツァ・ブラ ・ Piazza Bra

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ピアッツァ・ブラ・ブラ広場はヴェローナの歴史地区への入り口で、世界各国からの
人々があちらからこちらに集まり移動し、そう、かってはゲーテもその一人だった場所!

アレーナが聳え立ち、その向かい側西には17世紀のパラッツォ・デッラ・グラン・
グワルディア・Palazzo della Gran Guardia・各種展示会や講演会場であり、
写真右側に見えるのはパラッツォ・バルビエーリ・Palazzo Barbieri・市役所で、

ブラ広場の北西端の道、カステル・ヴェッキオに続くヴィア・ローマを行くとじきの
ラピダーリオ・マッフェイアーノ博物館・Museo Lapidario Maffeiano・
石碑博物館も近くに。



3. カステルヴェッキオとポンテ・スカリージェロ・Castelvecchio e Ponte Scaligero

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カステルヴェッキオは要塞として14世紀に建設され、スカリージェリ家のカングランデ2世の
時代に居城となったもので、大きく2つの部分に分けられ、一つは大きな内庭のある部分と、
も一つは居城、領主たちの住んでいた部分ですね。 

これらは現在市博物館で、この2つの間を抜け、要塞の一部分として北にアディジェ河を渡る
スカリージェリ橋があり、これは市民の通行に大いに利用されている橋でもありますが、
第2次大戦末期に引き上げるドイツ軍に爆破されたものを1950年代に復元されたもの。

橋から眺めるパノラマは素晴らしく、取りわけ夕暮れ時の眺めはロマンチックなもの!

オープン: 月曜 13:30~19:30  火曜~日曜 8:30~19:30
      月曜午前、元旦、クリスマスの午前もお休み
切符: 6エウロ  シニア、グループ 4,5エウロ



4. ポルタ・ボルサーリ ・ Porta Borsari

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建設は紀元前1世紀で、当時ローマの植民市の位置にあった街の、ポストゥーミア街道・
Via Postumiaからの唯一の門で、梁部には紀元後3世紀のガッリエーノ皇帝・Gallieno
による、町の城壁の拡張を祝う言葉が彫られているそう。

現在の名「ボルサーリ門」の由来は、中世において門の護衛兵士たちが司教への税金を
徴収していた事に由来するそうで、つまりボルサ・袋、富とかからの派生語の様子。



5. ピアッツァ・デッレ・エルベ ・ Piazza delle Erbe

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ローマ期の町においてここにフォーロ・Foro・行政の中心、市民広場があり、現在も
広場の周囲にはパラッツォ・デル・コムーネ・市役所、カーザ・デイ・ジューディチ・
裁判官の家、カーゼ・マッザンティ・広場の東側を占める一連の家並で、広場に
面した壁がフレスコ画装飾で埋められている、パラッツォ・マッフェイ・
広場の北を占めるエレガントな屋敷、カーザ・デイ・メルカンティ・商人の古い組合の建物、
などで〆られている。

広場中央にはヴェローナのマドンナ像のある泉があり、近くにトゥリブーナ・Tribunaと
呼ばれる14世紀の天蓋風の物、これは当時の司法長官がここに座り、儀式をしたり、
また法務官たちが誓いを立てたりしたのだそう。

以前調べた時にはここにゴーニャ・晒し台があったとあり、確かに鎖のついた手錠が下がり、
やはり通常は罪人たちの晒し台にも使われたのだろうと・・。

広場南側には高さ80mのランベルティの塔・Torre di Lambertiが聳えているのが見え、
これは内側の広場側から上れ、素晴らしい街の眺望が楽しめます。



6. ジュリエッタの家 ・ Casa di Giulietta

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シュークスピアの戯曲「ロメオとジュリエッタ」で世界中に知られ、入り口の
アーチの壁は全て訪れたカップルや観光客の愛の言葉、誓いの言葉の書き込み、
落書きで埋めつくされ! 家の中も、かの有名なバルコニーも訪問できます。

ゆっくりと夢の愛の世界に浸った後、立ち去る前には中庭のジュリエッタ像の
写真を撮り、左の胸を触ると幸運を、とりわけ愛の幸運を運ぶそうで、お忘れなく!

はぁ、シェークスピアの書いた戯曲が完全に一人歩きし、現実世界となっていて、
余りにもピカピカ光るジュリエッタ像を見ると、可哀そうに!という気も・・。

ジュリエッタのお墓は13世紀のカプッチーニ派の修道院、Via del Pontiere 35 に。

一方、ロメオの家の方はジュリエッタの家程の賑わいもなく、個人の家で、
スカリージェリ家のお墓のアルケ・スカリージェレ・Arche Scaligereの近くに。

オープン: 月曜 13:30~19:30  火曜~日曜 8:30~19:30 
      月曜午前と、元旦、クリスマスの午前はお休み
切符: 6エウロ  グループ、シニア 4,5エウロ  
    10月から5月の第一日曜は1エウロ!



7. ピアッツァ・デイ・シニョーリ ・ Piazza dei Signori

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ピアッツァ・デッレ・エルベから東にアルコ・デッラ・コスタ・
L'Arco della Costaを抜けると、このピアッツァ・デイ・シニョーリに。

ここは街の権力と行政の中心で、広場を囲む建物はすべてアーチの続くロッジャで
連絡し、広場中心には、フィレンツェを追放されヴェローナに身を寄せた
ダンテ・アリギエーリの石像が。

所でエルベ広場と連絡するアルコ・デッラ・コスタには、クジラの肋骨が下がっていて、
伝説が伝えるには、正直で純真な心を持った人がこの下を通ると、骨は鎖から外れ、
落ちる、というのだそうですがぁぁ、まぁだ下がったままと。 なぜ?!



8. アルケ・スカリージェレ ・ Arche scaligere

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シニョーリア広場から進むと、サンタ・マリーア・アンティーカ教会の中庭となり、
ここにヴェローナの領主であったスカーラ家の墓所、アルケ・スカリージェレが。

大変に豪華な記念墓所で、ここにはスカーラ家の領主の中でも重要人物の墓があり、
写真の左に一際立派なのがマスティーノ2世・MastinoIIの物で、
他にカンシニョリーオ・Cansignorio、そしてダンテが「神曲」の天国編に謳った
カングランデ1世・CangrandeIのは、右手奥に見える石棺がそれと。

鋳鉄の素晴らしい柵が取り囲んでいますが、6月(7月?)から9月までは開けられ、
内部訪問も出来るとの事。

オープン: 7月~9月 10時~18時  月曜休み



9. テアトロ・ロマーノ ・ Teatro Romano

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短い時間でも訪問できればその価値があるという、紀元前1世紀建設のローマ劇場で、
サン・ピエトロの丘の下、アディジェ河の河向こうの位置に。

埋もれていたこの劇場跡が見つかったのは19世紀の事で、観客席と石段、そして
多くのアーチのロッジャと遺跡が残り、現在は1948年から夏のシーズンに公演が
行われています。

但し、舞台公演以外の一般公開はないのが残念です。



10. サン・ゼーノ聖堂 ・ Basilica di San Zeno

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この聖堂はカステルヴェッキオからも少し西に入った所にあり、街の観光地図からは少し
離れた場所にありますが、12世紀建設のロマネスク様式の北イタリアにおける素晴らしい
見本とされている物。

聖人の遺物が残るほか、たくさんの彫像、マンテーニャの有名な祭壇画
「玉座の聖母子と聖人たち」を始めとする絵画が収蔵されています。

オープン:冬季11月~2月 10時~13時 13時半~17時 日曜 12時半~17時
     夏季3月~10月 月曜~土曜 8時半~18時  日曜 12時半~18時
切符: 2,5エウロ  グループ、シニア 2エウロ



という様に、ヴェローナでこれは欠かせない、という場所をご案内してきましたが、
街の地図をどうぞ。 番号はご案内番号と同じですが、5のピアッツァ・デッレ・
エルベの位置が間違っていましたので、訂正しています。

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ご覧の様に、見所としてはアディジェ河が大きく迂回した中に出来ている半島みたいな
旧市街地に見学場所が集まっているので、この中を歩きながら見学するのが
一番良い方法と思いますが、

ヴェローナの国鉄駅はかなり離れた南にあり、健脚の方は歩いても十分大丈夫な
位置ですが、shinkaiも以前は往復とも歩きましたっけが、
駅前のバス駅からブラ広場まで11、12、13、51、52が連絡するので、
ご利用になったら良いかと思います。

と、ヴェローナ・カード・Verona card というのがあります。
24時間有効-20エウロ で、 48時間有効-25エウロ、いずれも最初の利用からで、

このカードで見学できる場所は、
アレーナ、ジュリエッタの家、カステルヴェッキオ、ランベルティの塔、
アルケ・スカリージェレ、サン・ゼノ聖堂、サンタナスターシャ聖堂、サン・フェルモ教会、
ドゥオーモ、パラッツォ・デッラ・ラジョーネの現代絵画館、
ラピダーリオ・マッフェイ博物館、テアトロ・ロマーノの考古学博物館、
ジュリエッタのお墓のフレスコ画博物館、などなど。

開館時間と、ご自分の持ち時間を検討されると大変有効なカードと思います。
カードについて、また観光についてのヴェローナ市のサイトはこちらに。英語版も。
http://www.turismoverona.eu/nqcontent.cfm?a_id=38678
他に様々なヴィデオも見れますのでどうぞ。

今後のご案内予定としては、ヴェローナの一日観光ではどこを見るべきか、
ここでは様々なツァーのお勧めもご紹介しますね。

またヴェローナで是非味わうべき料理、経済的で美味しい店はどこか、なども
考えていますので、またお楽しみに!

今迄のご案内はこちらに。
n.1 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ 
http://www.italiashiho.site/article/451136618.html

n.2 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ 橋の修復について
http://www.italiashiho.site/article/451137634.html 
     
n.3 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ 
http://www.italiashiho.site/article/451138584.html

サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ その1
http://www.italiashiho.site/article/451117387.html

サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ その2
http://www.italiashiho.site/article/451118711.html 
   
ヴェローナ ・ 旧地区 探訪  ピエトラ橋からサン・ピエトロの丘 アレーナ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417582.html

n.1 ヴェローナ 中心部 ・ Verona Centro 
       アレーナ エルベ広場~ジュリエッタの家
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462245546.html

n.2 ヴェローナ 中心部 ・ Verona Centro サン・フェルモ教会 
   サンタナスターシャ教会、ドゥオーモ カステルヴェッキオ サン・ゼーノ聖堂
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462246409.html

ヴェローナ ・ 夏の夜の 野外オペラ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462245377.html

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色鉛筆+水彩画ブログには、
モンティキエッロ 途中経過と、ロレンツォ・イル・マニーフィコの通称と・・ を  
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・ 湖畔の、新石器から青銅器時代の杭上生活復元公園を訪ね

21日復活祭の日に、お天気が良くなりそうな予報で、この緑の素敵な時期、
どこに出かけようかと考え、友人のジュリアーナとコネリアーノから北に30分弱の
距離にある、ラーゴ湖畔の古代住宅復元村訪問を思いつきました。

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このラーゴ一帯は緑の美しい所で、四季それぞれに美しい風景が広がりますが、
今の新芽の時期、さぞ美しかろうと思ったのと、
予てから一度湖に張り出した杭の上の古代住宅を見たくもあったのですね。

案をジュリアーナに話すと大賛成で、朝の内はまだ少し雲がありましたが、
お天気になりそうな気配の中を出かけました。

10時からオープン、との事で少し早めに着き、車を止めた後近くを歩きます。

この何とも柔らかい緑色の雑木林が広がる一帯で、

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花も咲き出していて、

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草原も、野草の花、たんぽぽの落下傘部隊で埋まっています。

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湖畔脇を通る道は西に続き、すぐ北を屏風の様に山並みが伸び、
村落が点在する、とても美しい一帯なのですね。

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古いご案内ですが、どうぞ。
レーヴィネ・ラーゴ ・ Revine Lago の聖所
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784153.html

枯れ色の風景、そして蒼 ・冬の湖
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461343626.html



10時にオープンし、10時半からガイド付きツァーが始まるので、それまで
散歩しながら待っていてください、との事で、入り口から入りゆっくりと歩きつつ、
東には湖が広がり、若々しい緑の風景が広がり、

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こちらの復元住宅公園には入って来ずとも、湖畔を散歩する人びとも見え、

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公園の名は、杭上生活村考古学公園-Parco Archeologico Didattico del Livelet
とでもいうか、子供たちへの説明、案内、また様々な実習を含めての教育、という事で、
遊んで学べる広い地域に様々な施設建物があり、所々にこんな説明板も。

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こちらが一帯の地図案内で、左側の赤点の入り口を入り、水路、これは湖から
引き込んだ様子ですが、その右側に様々な施設があり、一番奥に古代住宅が。

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お浸しにでも出来そうな、はは、柔らかい新緑の芽吹きを愛でつつ、

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湖畔風景を眺めつつ進み、

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一番奥にこんな風に見えて来て、あ、あれだよ。

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手前右に白いカマクラ状のものが見えますが、



こんな形で、手前に火焚き場所を思わせるものもあり、

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中にこんな風に描かれた動物や人間の形も見え、おお!

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ですがね、これは後で尋ねると、子供たちが潜って遊べるように作ったもので、
絵も、他の場所でものを描いたので、ここのではないとの事。

明るく写った写真を見ればすぐに、あ、これは、と分かったのでしょうが、
暗い穴倉の奥の壁に何か見えた時は、この地の物の復元かと思ったのでしたぁ!



近くには、バード・ウォッチング用の塔も見え、

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奥に見える復元住居跡が覗け、手前に陸上の住居、そして左奥には、

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この様に湖上に杭を打った上の住居が見え、

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手前の陸上住居の奥に隠れもう一つ、半分陸上、半分水上の住居の3つが、
ここに復元されているのでした。



このラーゴ一帯の様子をどうぞ。 ラーゴ・湖は2つあり、西がラーゴ・ディ・ラーゴ、
家の印の見える所に我らが行った公園があり、
東に見えるのがラーゴ・ディ・サンタ・マリーアと呼ばれ、真ん中の茶色に見える部分、
コルマッジョーレ・Colmaggioreと呼ばれる村の部分で湖が東西に分かれています。

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この湖は太古の氷河期の物なんだそうで、2つの湖を繋げるために真ん中地区で
運河を掘った1923年に、青銅中期、紀元前6世紀の物と思われる青銅の剣が、
続いて紀元前15世紀の短い剣が、そして紀元前13世紀の短剣が発見。

そして1987年になり同地区の発掘が始まり、最初の住居跡が見つかった事で
この一帯が注目を集め、1992年、1997年の発掘が行われ、

紀元前約4500年の新石器時代、続いて銅時代、紀元前2300年の
青銅時代の初めに至る住居跡と分かり、おまけに青銅中期から以降にかけても
散在しているというのが分かったのだそう。

重要なのは、縦に杭を打ち込んでいる跡が確認された事、燃えた木々の破片、
杭の打ち込みの基礎としての石、バラスが見つかった事で、
つまり湖岸に工事を施したらしい事が分かった事なのだそう。

で、現在の杭上の住居跡は、こういった考古学の発見意義を高める為に、
この湖の西に2007年に出来たもので、
ジュリアーナは1度訪問しているそうで、その時と比べずっと設備が整っていると。



さて時間が来てガイドさん、ダニエレ・Danieleという男性で、上で見て頂いた
一番手前に見えた「地上にある家」から見学が始まり、
つまり時代として一番古い新石器時代の物に当たります。

これは横幅も広い大きな家で、入り口は南側に。

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屋根は平均30cmの厚さに、湖畔の葦を刈ったものを並べてあり、
この厚さで悪天候が防げるそうで、確かに家の中は3軒ともしっかり乾いておりました。



壁は葦を横に組み、その上から藁、粘土や砂を混ぜた天然の漆喰で塗ってあり、
如何にも手作り、という感じの指の後などが見て楽しく、

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造られた時には考古学者たちも子供達みたいに楽しんだのではないかと、ははは。
屋根の葦の辺りには、小さな昆虫やハチみたいなのが飛び交っていましたが、
人間たちに向かってくるわけではなく、家の中にも入り込んではいませんでしたね。



入口扉もこんな形で枝を指し違いに通したもので、勿論実際の生活では
やはり冬など毛皮をかけたりで工夫したろうと思いますが。

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屋根の勾配の下は貯蔵庫として利用したとの事で、寝るのは下で。 というのも
中で火を燃やすので、その煙が上に上がるからと。

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ここでは家が大きく真ん中に大きな柱があるので、火焚き場所を横にずらして
作ってありましたが、本当は家の真ん中にあった事の説明があり、

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火打石を打っても見せてくれ、炉石の上の茶黒の山形の物、これは茸の一種の
乾いたものだそうで、その粉を使ってその火花が火になり易い様にもしたのだとか。

石を削って様々な形にする為に、左側の手前に見える広めの石ので削るのに
砂を撒いたとか、様々な石器時代の石を使っての道具類の作り方の説明も。



壁にある棚の上段、右から2つ目の壺ですが、なんと口が四角で驚きましたが、
この北の地域にのみ見られ、ですが直にすたれたそうで、

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農具や狩りの道具も触らせてくれたり、説明も分かり易く、
家族と一緒に来ていた子供たちも学校の授業の補修みたいでしたね。



こちらが最初の家の背後にあった、少し時代が下がり青銅時代に入っての物で、
杭上の家ですが、半分地上、この写真では分かりにくいですが、家の右側は地上で、
左は水の中、という分類に。

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家の入口扉も木に代わっていて、入り口が凝っているでしょう?
こういうのを見ると、復元に当たって如何に考古学者たちがどの様にしたら、と
考えたんだろうなぁと思われ、それも楽しくなりますね。



家の中は水辺に張り出した方の屋根の下は、常に水面の光が反射して揺れ、
今見える服の胸元には、銅で作った飾り模様とか、ピンなども見え、

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つまり布を織る原始的な機織りがあり、それ以前に勿論糸をつむぐ器具もあり、
魚を捕まえる原始的な簗、銅を溶かす原始的な炉、小さな囲炉裏端みたいな
設備も作ってあり、



右に見えるのが機織りの原始的なもので、実際に動かしてみてくれたのですが、
経糸を交差させる部分の動きがこの機の姿ではイマイチ納得できずで・・!

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原始的な機織り機は、新石器時代の家にもも少し原始的は幅の狭い物が
ありましたし、確かに植物繊維を使って機を織っていたのでしょうが・・。

左に見える太い丸太を使った階段が、これは他の地域の工夫を模して
ここに作ったのだそうですが、これはアイディアで受けていましたね。



この青銅期に移行する家、地上と半分水上の家の水中部はこんな様子で、

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勿論実際には当時はこんなに太い木を杭に使ったり打ち込んだりは出来ずで、
もっと細い木をたくさん打っていたとの事ですが、

様々な生活上の工夫を長年に渡り重ねていたのだろうと思い、それが感嘆の元で。



そしてこちらが水上の杭の家、青銅期ですが、真ん中の家よりも少し後期と。

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銅を溶かし、錫を混ぜ青銅を作り、それで様々な生活道具、戦道具も作った、
と言うのは簡単ですが、銅を溶かすには1100度位の温度に上げる、というのを聞くと、
本当にあの時代に、そんな高温迄上げることが出来たのだろうか、とまずそれに感嘆!
前の家にも小さな炉がありましたが、ここでは奥に見えるフイゴも登場で、

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炉を囲む鋳型の石は、実際に発見された剣や道具類の鋳型を模したものだそうで、
本物の剣はコネリアーノの博物館にあります。 
という所でジュリアーナと2人顔を見合わせ、コネリアーノの博物館ってどこにある?!
尋ねると、お城の中にというので、ああ、あそこね、見に行こうかと。 ははは。

それにしても最初は炭を積み上げて隙間から管を差し込み口で吹いたのが、
フー、フーと吹く間が開くと温度が上がらないので、2人で交互に吹く事から始め、
吹く管に工夫を凝らしたりで、炭の色が赤色から真っ白に見える位になるとOK、
つまり1000度を超える、なんぞという事を何千年も前の人達が経験から知り、
次々と越えて行ったのかと思うと、頭が下がります、はい。

各仕事も徐々に分担、専門的になる事も出て来たり、武器をとって戦う事もで、
見た事も無い武器の姿もあったりで・・。



棚の上段に見える動物の姿は、犬ではなく、馬なんだそうで、
こんなのも出現したのですねぇ。

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これは窯、説明の為に動かせるよう、箱型に収めてあると言いましたが、
手前の蓋を取ると、奥に楕円の空間があり、パン的なものを焼いたのでしょうね。

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やはりここでも寝るのは床の上で、中二階は貯蔵庫だったそうで、
衣類も以前よりもしっかりした形になり、そうそう、ズボンの2本脚姿は未だなく、
片側づつ履いて止めていた、というのも知りました。

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杭上の家復元で使った杭の木はカラマツで、これは水中での耐久力からで、
実際にはこの緯度の地域には存在しない事や、
他の木材は実際に遺跡から出土した木の種類で、栗、樫、ハシバミ、ミズキなどと。

発掘品には狩りに使ったらしい柳の枝を尖らせたものとか、緑色岩を研磨したもの、
何に使ったかは記載なし、陶器の破片、紡錘とか織機の重しとか、
農耕作用の半月鎌とか、上記した火打石、挽き臼、そして牛や豚、羊、ヤギの
飼育も行われていた様子が分かっているそう。

これよりずっと北西に位置するトレント(ボルツァーノの南)のフィアヴェ・Fiavé
というトレントから南西に36k程の山間の村には、やはり氷河期に出来た湖の傍らに、
世界遺産に登録されている杭上の住居跡、そしてヨーロッパで唯一と言われる
たくさんの素晴らしい紀元前3800年から3600年の出土品の博物館があるそうで、

というのも、このラーゴの杭上住宅はこのフィアヴェの記録を参考にしている、
というのが今回読んでいて分かった事で、

特別考古学に興味を持っているわけではありませんが、やはり本で読むよりも
実際に目の前に見れ、説明して頂くと成程なぁ、と思うタイプなので、はは、
見学のチャンスがあればきっと楽しい事だろうと思った事でした。



それにしても、こういう美しく穏やかな場所を定住地に定めた我ら人類のご先祖様たち。
この穏やかな美しい日に訪問すると、なぜかとても親密感を感じたのでした。

約50分程のガイド付きの見学で楽しく過ごした後、
新緑に囲まれた美しい湖を眺め、

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オオバンの水中飛込を楽しみ、

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ジュリアーナも今迄まるで知らなかった事を知った、と大いに喜び、
ガイドをしてくれた大変優秀で丁寧だったダニエレさんに感謝し、

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彼の眼は周囲が濃い茶色で、中がグレイに少し緑が入った素敵な色で、
良い目だなぁ、と眺めましたっけ、はは。



さてとカフェを飲みながら、ではお昼を食べに行こう、と話していると、
shinkai! と声がかかり、なんと以前何度か見学でガイドをしてくれた
ファビオ・Fabioで、顔が見えたから挨拶しようと待っていた、と嬉しい事を!

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彼も今、ここで働いているのだそうで、サイトのスタッフ紹介を見ると、
どなたも皆それぞれに考古学や文化紹介などの専門を卒業しての優秀な方々で、
土日、祭日のオープンですが、子供たちのみならず大人も参加で楽しめる、
楽しい考古学公園なのでした。

サイトのスタッフ紹介ページでファビオが使っている顔写真は、
shinkaiが以前撮った物なので、笑いましたっけ。

公園のサイトはこちらに。
http://www.parcolivelet.it/villaggiopalafitticolo.php



ラーゴの村の家並を望み、

43-L21_8056_01_GF.jpg

44-L21_8057_GF.jpg



この辺りは美しいからまた来ようと、湖の眺めを見納めし、

45-L21_8059_GF.jpg



駐車場の車に戻って来ると、なんと我が車のウインドウの上にバッタ君!

46-L21_8060_GF.jpg

この冬は我が家で3匹のバッタ君、いや、雌だったのが後に判明、が
無事に冬を越し、それぞれ2月27日と3月3日に旅立ちして行きましたが、
・・shinkaiはバッタに好かれるタイプなの?! ははは。

動き始めてもなかなか動かずでしたが、やはり少し走った所で飛んで行き、
我らは当日のお昼ご飯、コネリアーノのインド料理店に向かったのでしたぁ。


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・ ホーフステルヴィッツ城 見学 ・ オーストリア中世の重要な城

今日のご案内は、オーストリア南西に位置するカリンツィア(ケルンテン州)にある、
オーストリア中世の城の中で最も重要な城の一つと言われる
ブルグ・ホーフステルヴィッツ・Burg Hochosterwitzの様子をどうぞ。

こちらはサイトで見つけた絵葉書で、懸崖要地150mの高さに位置する城と、
そこに至る14に及ぶ門が良く分かります。

1-sasiburg_2.jpg



我らが最初にバスの中から見た様子はこんなで、

2-DSC02669_GF.jpg



村の中の坂道を上り、近くに行きますが、

3-DSC02672_GF.jpg

4-DSC02677_GF.jpg



駐車場についての眺めはこんな様子で、わぁ~お!!
エレヴェーターの線路が伸びる様子が何とも脆弱に見えません?!

5-DSC02680_GF.jpg

6-DSC02682_GF.jpg

右下に見える建物が、スーヴェニール・ショップ兼エレヴェーターの切符売り場
であり、歩いての城への通行には店内をぐるっと通過せねばなりません!


オープン:2019 4月1日~10月31日  ワン君OK!
     毎日10時から17時  入場は15時30分まで
     1人訪問は 4月1日~5月14日 9月15日~10月31日
料金:大人 15エウロ  子供6~15歳 8エウロ
   エレヴェーター 1人9エウロ!!

1人での見学は期間限定と細かく、おまけに入場料、エレヴェーター料が
かなりお高いと思われません?! 値引きについての決めも細かいもので・・。



で、我らはエレヴェーターに乗って上まで行きますが、狭い狭いエレヴェーターの
許容人数が14名とあり、1人づつ切符をかざし、ピッと緑のランプが点くのを待ち
入りますが、10名ほどで既に満員で、14名詰め込まれるとぎゅうぎゅうで
身動きできない程! 動くんかや? 上るかな?と心配に。

イワシの缶詰だ!とあちこちで皆がぼやく声が聞こえ、でっぷりのドイツ人団体だと
どうなるんだろ?!

で、なんとか上に動き始め、下から見上げる仲間たち。

7-DSC02687_GF.jpg



上からの眺め。

8-DSC02691_GF.jpg



ほぼ城の高さにまで登って来て、

9-DSC02695_GF.jpg



上からの眺め! 

10-DSC02696_GF.jpg



到着して後、この様子だと次の便が来るまでにはかなり時間があるとみて、
城館周囲を見て回ります。

城はほぼ楕円型に北西面に向いて位置し、これは北向きでの平野の眺め。

11-DSC02700_GF.jpg



北側の壁で、下側濃い色で見えるのは、元からの岩場をそのまま使っている場所で、

12-DSC02703_GF.jpg

角の塔の手前の、



この部分、これは絶対にトイレですねぇ!

13-DSC02705_GF.jpg



城の南面はエレヴェーターの付いた、写真でご覧の通り天然の絶壁で、
こちら北側のかなり緩やかな傾斜を利用し、行きつ戻りつの連絡坂道が
上の城館迄続き、城壁から見下ろすと下の道、要所の見張り所が見えます。

14-DSC02704_GF.jpg



この面が北西面の長い壁で、

15-DSC02707_GF.jpg



見下ろす眺め。 右寄りに四角く囲い、真ん中に小さな家があるのが見えますが、

16-DSC02710_GF.jpg



こんな感じで、なんだろうかと思ったのでしたが、全体の建物地図での説明は
動物園・Zooと。

17-DSC02711_GF.jpg

写真をアップして見ると、建物はかなり傷んでいるので、かっては馬の訓練とか、
そう言ったものにでも使われたのか、と。



さて、これがエレヴェーターを降りてからの城入口への道で、

18-DSC02712_GF.jpg



城壁にあるちょっと高い部分には、すべてこの様に上下に銃眼が付いており、

19-DSC02713_GF.jpg



城壁に囲まれた端の部分にちょっと開けた位置があり、日時計のついた塔の横に
城中庭への入り口があり、

20-Eingang-zum-Burghof-BA-760x570 (2).jpg

今日のご案内写真は、サイト名が入っているのがshinkaiの写真で、
そうでないのはサイトから拝借の物。



で、その角地には井戸があり、

21-DSC02714_GF.jpg

左横のアーチの奥を覗いてみると、



鍛冶屋。 やはり一番重要な仕事場だったのでしょうね。

22-DSC02716_GF.jpg




建物の下をくぐる様にして上ると、奥に中庭が広がります。

23-DSC02718_GF.jpg

24-1-DSC02719_GF.jpg

左手に続く建物の中程に博物館の入り口があり、正面はレストランとあり、



この中庭では何かのイヴェントの時、こんな火縄銃の発砲も見れる様子。

25-bild-veranstaltungen.jpg



庭奥隅の井戸。 イタリア語では、井戸・チステルナ・cisternaですが、
Zisterneとあり、20mとあるので、これは深さと分かりますね。

26-DSC02723_GF.jpg



中庭の太いマロニエの樹。 まだ新芽がこの位でしたが、葉が茂る夏には
きっと素晴らしい中庭になるのでしょうね。

27-DSC02721_GF.jpg



中庭南側。 左に見えるアーチが入ってきた所で、今見える明るい青のスカートが
この城のガイドをしてくれたカルメン嬢。

28-DSC02720_GF.jpg

名前を聞いた時、なんとまぁ、名前そのものの服装をしているなぁ、と感心しましたが、
ははは、我らは皆ダウンのコートなのが、彼女のスカート布地の薄い事!
上は皮のコートでしたが、下は胸の開いたシャツで、髪の毛はヒッピー式に編んだのを
束ねており・・。 

それよりも何よりも、先回絵のブログに書いたように、彼女のイタリア語はshinkai
以上酷いもので、自分で「アウト・サーヴィス」と言いましたが、まさにガイドには
不適格というか、こういうガイドには初めてお目にかかりましたが、
午後のグルクのドゥオーモのガイドも負けず劣らずで、ははは、不毛の地でしたぁ。



中庭の二面がこんな風にアーケードとなっていて、その角柱に柄が描かれ、

30-DSC02730_GF.jpg



こんな顔の怪獣が。 怖いぃ! ははは。

31-DSC02732_GF.jpg



我らが博物館に入る時になり、オーストリア軍兵士たちが集まって来て、

32-DSC02724_GF.jpg

我らが出てくると内庭のテントの下での食事が済んだ所の様子で、
城と博物館見学にでも来たのだろうか?


所でこのホーフステルヴィッツ城ですが、海抜750mの地に150mの高さの城で、
天気が良いと30kmの位置からでも見えるというのですが、

歴史に最初に記されるのは860年の事で、フランス東部の王ルドヴィーコ2世が、
自分の領土のいくらかをザルツブルグの司教に贈った、という中にあり、

11世紀にザルツブルグの大司教からスパンハイム家・Spanheimuに封土として
与えられ、13世紀初頭伯爵スパンハイム家はカリンツィアの公爵となり、
オステルヴィッツ・Osterwitz家が世襲のコッピエーレ・coppiereに任命されます。

今回新しく知った「コッピエーレ」という言葉ですが、コッパ・coppaでカップの意。

つまり主人の領主にコップ・酒杯を運ぶ、酒を注ぐ専任係、つまり毒殺を防ぐ為の
信任厚い家来の仕事で、宴会における会食者にも酒を注ぐ毒見係をも兼ねており、
単なる召使ではなく高い貴族の家柄から、主人自らの任命だった様子。

所が1476年コッピエーレのゲオルグ・ディ・オステルヴィッツがトルコ軍侵入で
捕らえられ、世継ぎのないままに牢死し、一族で唯一残ったハンス・シェンク?・
Hanns Schenkは皇帝に対し巨額の借金があり、

こうして1478年城は皇帝フェデリコ3世の手に戻りますが、相次ぐトルコ軍の侵入
の前に30数年、城は荒れ果てます。

1509年皇帝マッシミリアーノ1世はグルク、ドゥオーモをご覧頂いたグルクの司教に
担保の形で、司教は修復できる見込みがあるとの事で預け、

1541年未来の皇帝フェルディナンド1世はホーフステルヴィッツの城を、地方総監?・
governatoreのクリストフ・ゲーヴェンヒューラー・Christof Khevenhüllerに授け、
1571年伯爵ゲオルグ・ゲーヴェンヒューラー・Georg Khevenhüllerが
要塞を買い取り、これが現在の城の持ち主に続いていて、

彼はトルコ軍の侵略に備え、兵器庫を作り、現在見られる14の門を1570年~
1586年にかけ築き上げたのが、今見る城の姿となっています。

つまりこの要塞堅固な城は、中世の近くの領主との戦いが最初にあったのかもですが、
それよりは対トルコの侵略に対しての備えで、後程記しますが現当主の話によると、
村民たちも襲撃の際にはここに逃れたりで、徹底的に軍事目的の、兵士の駐屯の為
の城要塞であったそうで、博物館の武器展示にもトルコの武器がありました。

いつもの事ながら城にまつわる時代の逸話には、興味深い物がありますね。



博物館内は写真禁止ですので、サイトからの写真で幾つかご覧頂きますが、

甲冑の並んだ一番右手前の大きなのは、実際にいつの時代か忘れましたが、
2m25cmという身長の兵士がいたのだそうで・・!

33-burg-hochosterwitz-web11.jpg

と、甲冑のお腹の部分が尖っていますね? あれをどこで見てもいつも不思議に
思っていたのですが、カルメン嬢に尋ねると、槍で突かれてもあのでっぱりで
槍が脇に逸れるからとの事で、長年の疑問解決でしたぁ。



こちら正面に見える祭壇はルネッサンス式の物で、前に額ずく人物は城を買った
現一族の、この城の初代ゲオルグと、

35-altare.jpg

立っているのが当代の城の持ち主の伯爵カール・ゲーヴェンヒューラー・メッチ殿・
Karl Khevenhüller-Metsch、発音は何度も聞き直しましたが、大丈夫かな?
姓の2番目のメッチは婚姻によって増えた物ですね。 彼については最後に。
 
上記に、1571年ゲオルグは伯爵と記述しましたが、今回読んだ現当主の記事では
男爵となっているので、皇帝の覚えめでたい手柄を立て、伯爵に叙任されたものと。



中庭側から博物館に入った時は1階だったのが、この建物の端で外に出ると、
このテラスは2階の位置で、あの先のバルコニーは崖に突き出す形!

36-sterazza.jpg

皆足を踏み入れる前に、大丈夫かな、とトントンと踏み、少し躊躇い、ははは。

所でこの博物館で我々が少し驚いたのは、どの説明書きもドイツ語のみで、
英語の記述もなく、見当がつかない事も多かった事。
今時英語の説明もない、というのは少し番外編ではないですか?




博物館の窓から外を写したもので、今見える道が外からの連絡道、14の門に至る
城の出口に当たり、後ろに見えるのが城の教会。

37-DSC02726_GF.jpg



城の図面をどうぞ。  15が中庭で、黄土色になっているのが建物部分で、
黒の点線が1から14までの門を通り、地上との連絡道。

38-burg-hochosterwitz-map.jpg



城を出て来て最初の14の門部分は屋内ですが、

39-DSC02733_GF.jpg

40-DSC02734_GF.jpg



出て来た隣に庭園になっている部分があり、多分これは後世に手直しの物と。

41-DSC02736_GF.jpg

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そしてこれは背後に見えた教会の内部と。

43-Burg-Hochosterwitz-2.jpg



坂道をだらだらと下りながら、振り仰ぐ城館の高さ。

44-DSC02743_GF.jpg



門は大体こんな様子で、少し小さい、低いもありますが、2つ、3つ目は大きくと、
襲撃されても、決して侵入を許さない、という気迫の感じられる一連の門で、
確かに、この城は落ちなかったそう。

45-DSC02746_GF.jpg

これら14の門は全て名前を持ち、礼拝堂も兼ね、フレスコ画が描かれた物。



漸く芽生えた木々の枝。

46-DSC02748_GF.jpg



ここは何か修理道具らしきものも見え、

47-DSC02753_GF.jpg



西に延びる道。 この道と思いますが、1k程先にあるニエーデロステルヴィッツ・
Niederosterwitzという所に1560年に城を買い取ったゲオルグが建てた居館があり、

48-DSC02754_GF.jpg

そこに領主一族は住んでいるのだそうで、何度か再建改装され、20世紀初めに
大きな改装があったそうで、現当主一家もそこに住んでおられると。

ガイド嬢が見える、と言ったので、ちらっと見える木立の中のがそうなのかも。



門の中には、谷を越えるもの、揚げ橋が付いているのもあり、

49-DSC02755_GF.jpg



先に見えた桜の木と花。

50-DSC02756_GF.jpg

50-DSC02760_GF.jpg



この門は通り過ぎてから、後ろから誰かが、shinkai! と呼んでくれ気が付いたもの、
そう、ゲオルグの像がありました。

51-DSC02763_GF.jpg

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北の村落に延びる道。

53-DSC02766_GF.jpg



張り出しの要塞部。 天然の岩場を利用しているのが良く分かりますね。

54-DSC02769_GF.jpg



最後の門、歩いて上るには1番の門ですが、両脇でランツクネヒト兵が旗を振る姿。

55-DSC02772_GF.jpg



こうして何とか雨を逃れ、バス会社提供のお昼をしっかり食べ、
次の予定地グルク・Gurkに向かいましたが、

走り出したバスから見えた、城の姿。 あのジグザグ道を下ったのでした。

56-DSC02778_GF.jpg



上で現当主カールの姿をご覧頂きましたが、彼は10年前に父親が亡くなり、
伯爵となっているのですが、実は長男ではなく3男なんだそうで、

57-1-schloss-hochosterwitz (1).jpg

長男の方は現在ローマに住んでおられ、今の仕事を放棄する意思はなく、
跡を取るのを拒否、次男の方はこれまた南アメリカに住んでおられ、同様に。

で3男のカールがマドリッドに住んでいたのが、奥方もスペイン人で、4人の子供と
一緒に引っ越してこられたのだそう。

で5世紀に渡り先祖が受け継いで来た城を次代に渡すべく、城主というよりも
マネージャーとなったつもりで仕事をされているそうで、

毎年6万人程の訪問者があり、増えているものの、毎年40万エウロの維持費が
かかり!、到底入場料金では賄えず、援助金を得るのは難しく、
本業の、電力を風車で起こす事業、設置などの方から補助しているのだそう。

そんなこんなで、何か城でのイヴェントがあると甲冑を身に付けたり、踊ったりもし、
観光客を喜ばす事をしている、と仰っておられるそうで、ははは。

それでも城に来ると、先祖代々の息遣いを感じると言いますから、
その辺りはやはり並みの庶民とは育ちの違いがあるのでしょうね。

彼のインタヴュウーの載った記事は



こちらは、お祖父さんの狩った動物のトロフィーがある居館の階段と、

57-2-schloss-hochosterwitz.jpg



この城での一族の初代となったゲオルグが作らせたつづれ織りのある部屋。

58-tappetto.jpg

なる程、ワン君が番ですね。

という様な、優に千年以上の歴史を持つ、懸崖上の要塞城のお話でした。

***

次の日曜21日は復活祭、パスクワで~す。 
ブオーナ・パスクワ・ア・トゥッティ!

*****
   
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・ オーストリア、カリンツィア(ケルンテン州)へ ・ 城と、ドゥオーモを観に

10日の水曜にグループで、オーストリアは国境を越えてのお隣のカリンツィアに。

日本語ではどういうのかも知らずで調べましたら、カリンツィアはケルンテン州、
オーストリアの一番南にある州で、風光明媚な事でも知られていますが、
ここにあるお城と、近くの町のロマネスク様式のドゥオーモを見学に。

かなり以前に申し込んでおり、風光明媚で、湖のある、という先入知識から、
芽吹き始めた緑の美しい景色を愛でに、と思い込んでいましたら、
なんと、雨、時に豪雨、寒い、という予報で・・!!

カッパ、傘を用意し、ちゃんと着込んでの出発となりました。
とはいえ、窓に当たる雨粒も何のその、広いフリウリ平野の眺めを楽しみつつ。

1-DSC02583_GF.jpg



地図をどうぞ。 目的のお城は、ホーフステルヴィッツ・Hochosterwits。

2-castello di hochosterwits.jpg

この様に教えて貰ったものの発音が難しく、グーグルの翻訳サイトで何度発音を
聞いても少し違い、どの様にカタカナで表記したらよいのか分からずで、
はい、どなたかお教えください!

コネリアーノから東にポルデノーネで高速を一旦降り、北に向かい、途中から再度高速に。
7時に出発し、途中トイレ朝食休憩をはさみ、到着は10時半過ぎだったと。



フリウリ平野の新緑、

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ターリアメント川・Tagliamentoを渡り、一路北に。

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生ハムで有名なサン・ダニエレ・San Danieleを過ぎ、

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生ハムの サン・ダニエレ・デル・フリウリ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970208.html



雨が降ったりやんだりの、雲間から射す光。

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次第に狭まる行く手の谷にかかる雲。

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ジェモーナ・Gemonaの町が見え、

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下の写真の町並みの東端に近く、こんもりとした丘の上に見えるのがお城跡で、
その右下奥に長く見えるのがジェモーナのドゥオーモですね。
懐かしい!  長い事行っていません。

ジェモーナ・デル・フリウリ ・ ロマネスク教会のある
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462969861.html



川沿いの新緑が美しく。

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迫ってくる東の谷。

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西側の谷に、一時陽が射し。

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谷の斜面に咲く白い花が、あちこちに。

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谷が一旦開け、川沿いを走ると見えた水の色は、少し白いエメラルド色。

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奥の高山はまだまだ雪が白く。

15-DSC02613_GF.jpg



谷底に開ける小さな集落。

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国境手前のサーヴィス・エリアで休憩を。

18-DSC02618_GF.jpg



あった地図で。 左に見えるTu sei quiが我らの位置で、
上の写真がタルヴィーシオ・Tarvisio、国境の町、国鉄最後の駅があり、

19-DSC02617_GF.jpg

右側4つの写真はこの一帯の有名な観光地で、上からボスコベルデ・Boscoverde、
フジーネ湖・Laghi di Fusine、下右山小屋ザッキ・Rifugio Zacchi、
下左はプレディルの鉱物公園かな?・Parco Geominerario del Predil. 

フジーネ湖と山の道 ・ 逝く夏を惜しんで
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463997687.html



サーヴィス・エリアからの眺め、北側。

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で、お気づきになりました? 雨は止んでいるのですね。 



サーヴィス・エリアから直に国境で、いやにゆっくりと進む、と思いつつ
屋根のある場所を過ぎ、私の側からは車を誘導する警備員が一人見えただけで、
止まる事無くゆっくりと通り過ぎ、
暫く行って見えた、イタリアへはターンだよ、の標識かな?

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日本人には「国境」というのはやはりちょっと特別な感慨をもたらしますけど、
こちらに来てスイスに、スロヴェニアに4回かな、フランスに、そしてオーストリア
でも今回で3回目となると、段々に皆さんが普通に越えていく、越えられるのも体験し、
特別ではないと分かりつつ、

が、やはり国境を越えると違う景色が広がるのも確かで、
こちらはオーストリア! 

23-DSC02627_GF.jpg

イタリア東北部 国境の町 ・ さまざま
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462967545.html



緑の平野の広がり方も少し違い、

24-DSC02629_GF.jpg



カリンツィア(ケルンテン州)の州都クラーゲンフルトに近づくと、湖の広がる
眺めが見え始め、これは晴れた日であれば、本当に素晴らしかったろうと。残念。

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高速道路も、どこかゆったりした感じで、

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湖畔に立ち並ぶ家並にもどこか余裕がある様なイメージを。

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再度田園風景となり、細くとがった教会の鐘楼。

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村の広がる手前に、波打ち広がる畑。

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村に入り教会の脇を通り、向こう側の席から、あっ、あの城だよ、の声が聞こえ、

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私の方からは見えないままに、村の中に入って行き、

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遂に見えた城、素晴らしい高みにある、これがホーフステルヴィッツの城!!

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お城見学の様子のご案内は次回とし、ここではお城の下の駐車場でピクニック式に
お昼を食べ、次の見学地グルク・Grukに向かった道の風景を。

お城のレストランが開いておらず、パンにハムや焼き肉、チーズ、カルチョッフィを
挟んだもの、赤、白のワイン、食後酒、デザートのトルタ、カフェと、バス会社が
用意してくれたのを頂き、
shinkaiはワインを2杯半飲み、だってパンを食べるには何か飲みたいでしょう?!

有難い事に雨が降らずで、お喋りしながら皆がのんびりと食べ飲み、
食後ゆっくりと出発、グルクに向かったのでしたが、

いつという間もなくshinkaiめは意識不明となり、バスが到着し、隣のジュリアーナに
揺られて起こされるまで、ははは、とても良く眠ったのでしたぁ。

38-1-DSC02779_GF.jpg

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こちらがグルクの有名なドゥオーモで、ここのご案内は今回の絵のブログの方で。

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ここからは、グルクを出発しイタリアに向かっての戻り道。 山間の平地に広がる
農村地帯の様子で、やはりイタリアの田舎とは違う、ゆったり感がある様な・・。

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流れる川沿いの、新芽の木々。

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雨続きの最近でもあるのですが、畑の緑がどこもとても鮮やかで。

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細い川にかかる、屋根付きの橋。 もう一つ長い屋根付き橋も見ましたっけ。
屋根付きの橋というのは、なぜかロマンチックなイメージで良いですよね?

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屋根の大きな、どっしりとした農家の風景。

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教会を中心に何軒かの集落、村の様子。 でお終いに。

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イタリア内で動くのも楽しく、美しい風景に見飽きる事がありませんが、
たまにこうしてすぐお隣の国に出かけるのも、また新しい興味が湧きますね。
美しい湖水地帯を美しい陽の光の下で、またいつか見たいものです。


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・ ベルガモ観光 ・ ”絶対に見落とせない10” をサイトからもう一度

ベルガモの様子を、とりわけ歴史的重要な「ベルガモ・アルタ・上の町」のご案内を3回に
渡って致しましたが、ベルガモは人口12万にも及ぶ大きな街で、ベルガモ・アルタより
グンと現代的で広い「ベルガモ・バッサ・下の街」もありで!

1-1-mura-bergamo-patrimonio-unesco.jpg

という事で、ベルガモ観光の最後は、「ベルガモで絶対に見るべき10の事・
10 Cose da vedere assolutamente a Berbgamo」
https://www.travel365.it/bergamo-cosa-vedere.htm
のサイトを参考に、shinkaiのご案内に出なかった見るべき場所のご案内を最後に。

サイトでは順番に1~10までがあるのですが、上の町、または下の街に含まれるものは
それぞれに纏めてご覧頂きますね。 その方が行かれる時の検討に楽でしょうしね。

そして既にご案内済は簡単に示す程度に致します。




ですが、この最初の一つは別、大物で、はは、

1.ヴェネト(ヴェネツィア)の壁・ベルガモ・アルタの城壁、 世界遺産

1-2-patrimonio-della-citta-e-non-solo,-le-mura-venete.jpg

ブログ n.3の最後に少し触れましたが、16世紀にヴェネツィア共和国によって
造られた上の町を囲む城壁で、上の町の繁栄を護った5kmにもなる堅固で素晴らしい壁。
現在世界遺産に指定されていて、ベルガモ・アルタの南端、バッサとの境に。
これはぜひお見落としなく!

下に地図を載せますが、一番真ん中下に尖っている9の位置、ケーブルカーの上の駅から
斜め下、南西に下って来る道にあるサン・ジャコモ門から出て来た所が絶景の様子!



ここから、ベルガモ・アルタに含まれる場所のご案内を。
2.ヴェッキア広場・Piazza Vecchia
  周囲を市の図書館、中央にコンタリーニの泉、カンパノーネ・Campanoneと
  呼ばれる市の塔、ロンバルディーア州に存在する一番古い行政庁の
  パラッツォ・デッラ・ラジョーネ・Palazzo della Ragione、などが広場の周囲に。

2-tutto-il-fascino-di-piazza-vecchia.jpg

ここはもう、ベルガモ・アルタに行かれたら通らずには、見ずには済まされない広場で、
ご案内は、ブログの n.2と n.3に。



3.ドゥオーモ・ディ・ベルガモ・Duomo di Bergamo
  街の守護聖人のサンタレッサンドロ・Sant'Alessandroの名が冠された聖堂で、
  元は15世紀の物ですが、内部、外部ともに改装され、バロック様式、
  外観は白大理石の19世紀の新古典様式。

3--etereo-duomo-bergamasco.jpg

サイトの説明にも、すぐ傍らにあるサンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂には
負けるだろうけど、一見の価値はある、と!
ここはshinkaiも外から眺めただけでした。



4.サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂・Basilica di Santa Maria Maggiore
  豪華絢爛で豊か、よく手入れのされた聖堂で、ドゥオーモのすぐ傍らに位置する。
  12世紀の元の教会が17世紀にバロック式に改装されたもので、ベルガモ生まれの
  作曲家ドニゼッティの記念墓碑もここに。

4-i-sontuosi-interni-di-santa-maria-maggiore.jpg

ご案内はブログ記事 n.3に。 はぁ、凄い聖堂でした。



5.コッレオーニ礼拝堂・Cappella Colleoni
  ブログn、2でご案内の、傭兵隊長バルトロメーオ・コッレオーニの建設した礼拝堂、
  彼の廟。 ルネッサンス様式建築のの最高傑作ともされる素晴らしいもので、
  その多色大理石による装飾や、後の時代にも加えられた様々な芸術作品が見られます。

5-la-particolarissima-cappella-colleoni.jpg

開館:火曜~日曜 9:00~12:30  14:00~16:30  無料



6.ドニゼッティ博物館・Museo Donizettiano
  ベルガモ生まれの著名な作曲家ガエターノ・ドニゼッティ・Gaetano Donizetti
  (1797-1848)の記録、写真などなど、ドニゼッティについて知りたい方、
  ファンの方には見逃せない博物館。  地図位置10.
  
6-interessante-la-visita-al-museo-donizettiano.jpg

サイトは https://www.museodellestorie.bergamo.it/luogo/museo-donizettiano/
開館: 火曜~金曜 10:00~13:00  土、日、祭日10:00~13:00 15:00~18:00
料金 3エウロ  



7.自然科学市博物館・Museo Civico di Scienza Naturali "E.Caffi"
  地図位置11.
  この博物館はとりわけ子供たち向けに考えられたもので、文字通り手で触って見れる、
  分かる、動物のはく製や化石なども触れるのですと、という鉱物学から考古学に至る
  博物館。 すぐ近くには植物園もあるそうでお勧めと。

7-i-mammuth-sono-i-simboli-incontrastati-del-museo-civico-di-scienze-naturali.jpg

写真に見えるマンモスの親子像はぬいぐるみだそうですが、こういうのは目の前で
見る事でその大きさを実感できるので、shinkaiも行って見たい所。
開館:火曜~金曜 9:00~12:30  14:30~17:30 
    土、日、祭日 10:00~12:30  14:30~17:30
料金 3エウロ  18才までの子供は無料



ここで地図をどうぞ。  
ベルガモ・アルタに含まれる、今回初出の物を赤線で囲みました。
2は、ご説明3.のドゥオーモ、 10は、6.のドニゼッティ博物館・Museo Donizettiano、
11が、上の7.でご説明の自然科学博物館

8-img20190407_18252392.jpg

左上12は町のサンタレッサンドロ門ですが、ここを抜けて2本目の道を右に曲がると、
ドニゼッティの生家があり、内部が博物館になっていて、見学できる様子。
サイトは https://casanatale.donizetti.org/it/

そして地図右、城壁から出た所の19が、アッカデミア・カッラーラ・
Accademia Carrara、
20がすぐ近くにある現代美術館・Galleria d'Arte acontemporanea ですが、



で、こちらバッサ・下の街の地図をどうぞ。
アルタ・上の町で町の城壁外に位置するアッカデーミア・カッラーラ・
カッラーラ美術館が9に。

9-img20190407_18262661.jpg

ベルガモの鉄道駅・Stazione Feが地図の右寄り一番下にあり、
駅前から真っ直ぐに北西に辿ると真ん中にマッテオッティ広場・Piazza Matteottiがあり、
また真っ直ぐに行くと、アルタと連絡するフニコラーレ・ケーブルカーの駅に。

駅前から上の町に連絡するバスもありますが、駅からケーブルカーの駅までは
歩いて20分程。
shinkaiも昔ベルガモにミラノから来た時は駅の近くの安い宿に泊まり、
ケーブルカーの駅まで歩きましたし、
カッラーラ美術館にも確か上の町訪問で足を延ばした記憶がありますので、

上の町訪問から下の街に下るのは歩いて、カッラーラ美術館にも寄り、
現代美術のお好きな方はカッラーラのすぐ近くに現代美術のガッレリーアもある事で、
パノラマを楽しみながらぶらぶらと、がお勧めです。



という事で、下の街に関連の場所を。

8.アッカデミア・カッラーラ・Accademia Carrara
  1794年から開館の素晴らしい絵画館で、ラッファエッロ、ボッティチェッリ、
  マンテーニャ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ロレンツォ・ロットなどの作品もあり、
  15世紀から19世紀にかけての作品収蔵が豊富。
  近年全体に大改修された様子を紹介映画で見て、行きたくなっていた美術館です。

10-la-pinacoteca-della-citta-,-accademia-carrara.jpg

サイトはこちらに https://www.lacarrara.it/en/
HPからThe collection、そしてMasterpiecesと進むと、有名作品が大きく見れます。

開館: 月曜~日 9:30~17:30
料金: 10エウロ  毎週月曜5エウロ!



9.マッテオッティ広場・Piazza Matteotti
  ベルガモ・アルタが歴史的なものに満ち、その中心がヴェッキア広場であるのに対し、
  この新しい平野に開けている下の街の中心がこのジャコモ・マッテオッティ広場で、
  ナイトライフ、ショッピング、いわゆる世俗的なものに満ちている場所がこの一帯。

11-il-fulcro-della-citta-bassa,-piazza-matteotti.jpg

駅からも近く、アルタと連絡のケーブルカーの駅への途中に位置し、地図に囲った
6はテアトロ・ドニゼッティ。



10.ヴェンティ・セッテンブレ通り・Via XX Settembre
   地図に見えるマッテオッティ広場から西に続くヴェンティ・セッテンブレ通りが、
   ベルガモ人のショッピング通り。 たくさんの種類の店が立ち並び、
   なんでもある通りと!
   ウィンドウ・ショッピングも楽しめそうですね。

12-la-strada-dello-shopping-a-bergamo,-via-xx-settembre.jpg

という事で、ミラノからのチャンスには是非ベルガモ訪問をどうぞ!


*****
   
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色鉛筆+水彩画ブログには、
トスカーナの丘風景 仕上げに向けてと、フォルリで開催中のイタリア絵画展 を  
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・ n.3 ベルガモ行き 世界遺産の街 ・ S.M.マッジョーレ聖堂~下の街に

ベルガモのご案内3回目、今回は上の町・アルタのヴェッキア広場から、
先回後陣の外側や、入り口のプローティロ・柱廊式玄関を見て頂いた
サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の内部、そして下の街に歩いて下りつつ見た
古い教会2つなどをご覧下さいね。

まずはベルガモ・アルタの中心にあるヴェッキア広場を、サイトから拝借の
全体が見える様子を。

1-piazza vecchia_GF.jpg

ラジョーネ宮側から見ていて、向こうよりの位置にコンタリーニの泉があり、
奥正面に見えるのが、市の図書館アンジェロ・メイ。

この広場では様々は催しが行われる様子で、サイトで見ると、広場全体が
緑の植木や芝で埋められたりの写真も見えました。



図書館の建物は18世紀、ヴィンチェンツォ・スカモッツィ・Vincenzo Scamozziの
設計で、名前が冠されているアンジェロ・メイ・Angelo Maiは枢機卿の名と。

スカモッツィはヴェネト一帯に様々な著名な建築物を残したアンドレア・パッラーデオ・
Andrea Palladioの跡を継ぎヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコを完成させた事でも
有名ですが、建築に関しての著作でも知られている様子。

1階の広場に面した部分はポルティチになっていて、昼食後の一時を過ごす人々でいっぱい。

2-B13_7809_GF.jpg



こちら側から見る正面のラジョーネ宮、一階のロッジャ部分を通して背後にある
コッレオーニの礼拝堂が見えますが、

正面アーチ3つの左側、2つ目のアーチとの間に見える白い石像は、

3-B13_7810_GF.jpg



こちら、16世紀の詩人トルクワート・タッソ・Torquato Tasso(1544-1595)だそうで、

4-DSCF1257.jpg

彼はソッレントで生まれローマで亡くなっているのですけど、彼の家系は
元々ベルガモ出身の貴族なんだそうで、この広場のすぐ彼の像の横にある15世紀からの
カフェ・デル・タッソの名も彼に捧げられたものと。

カフェ・デル・タッソで我らはカフェとオルゾを立ち飲みして出て来ましたが、
奥に部屋もあり、広場にもテーブル椅子があり、食事もできる様子で、




さて、午後2時半には約束があるので、昼食後2時20分には必ず泉の所に集合するように、
という事で見学に向かったのが、

サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂で、コッレオーニ礼拝堂横の柱廊玄関から入ります。

5-B13_7768_GF.jpg



入っての驚きが、今まで見た後陣や柱廊玄関ののロマネスクとは打って変わった
バロック様式で!

左に少し見える濃い茶の部分が玄関入り口の内部ですが、その横の壁辺りに残る
フレスコ画部分位が、残ったほんの少しの古い部分で、

6-B13_7834_GF.jpg



こちらが玄関内部の上部分で、絵も像も壁装飾もこれでもか、という様なバロック式で。

7-B13_7835_GF.jpg



こちらが天井部で、元々の聖堂は12世紀からの物が17世紀に大幅に改装されたのだそう。

8-B13_7826_GF.jpg



で、我らは脇の扉から入り、そこから広い幅で真っ直ぐに、左手に祭壇部、右手に身廊部
の間を抜ける空間があるので、なぜか位置感覚が一瞬おかしくなったのでしたが、

こちらが内陣、後陣に向っての身廊の位置からで、

9-B13_7848_GF.jpg

今中央に人が立っている両側に2つづつ赤く見える部分がある位置をご記憶に。



内陣と後陣上部の装飾と、手前に天蓋式に覆われた中に十字のキリスト像。

10-B13_7824_01_GF.jpg



後陣のマリアの姿と、キンキラの装飾!

11-B13_7832_GF.jpg



そしてクーポラ・大屋根の内部装飾。 中央の図は聖母被昇天ですね。

12-B13_7823_GF.jpg

普通は丸天井で内部も丸い形が多いのですが、写真を確かめて見ましたら、
ここの大屋根部分はやはり四角く2重になっているのが分かりました。



中央祭壇の両脇に、この形の説教壇があり、

13-B13_7829_GF.jpg



その上にぐるっと綴れ織りで飾られたパイプ・オルガン席があり、下が合唱隊席と。
この綴れ織りは古そうですね。

14-B13_7830_GF.jpg



そして17世紀末作の十字架のキリスト像。 肋骨や、脚の傷跡などかなり生々しい表現で。

15-B13_7846_GF.jpg



こちらが上に表記した、内陣との境を仕切る囲い、合唱席でもあると思うのですが、
その下の板壁部分が左右に2つづつ、4枚あり、

16-B13_7866_GF.jpg



普段はこんな図柄の、木製象嵌と言ったら良いのか、各種木材の色を使ってのはめ木細工
になっていて、このデザインがロレンツォ・ロット・Lorenzo Lottoなんだそう。

17-B13_7853_GF.jpg



上にかかっている4枚はいつも見れる図なのが、外すと旧約聖書の逸話が描かれていて、
ユダヤの民のエジプト脱出の際の、モゼの紅海を渡る図。

18-B13_7856_GF.jpg

 映画「十戒」での見せ場、だ~つと海が割れ、こちら側には渡り切った民がいて、
中程に海が元に戻り溺れる兵士たち。右手の突き出した岩の上で祈るモゼが見えますか?



こちらは大洪水のノアの箱舟。 右手に並んで箱舟に入って行く動物たちが見え、
左に荒れる海を漂う箱舟、中央上の雲の中から指し示す神かな、下に祈るノア。

19-B13_7858_GF.jpg

私はノアの箱舟のお話、多種多様のたくさんの動物たちが箱舟の中でどうやったんだろう、
喧嘩したり、食べたり、また排泄はどうしたんだろう、と半ば本気で心配していたのが、
はは、ラッセル・クローの半分SF映画の中で、薬草を燃やして眠らす場面があって、
そうなのか、と何とか説明を頂いたようで安心したのでした、はい、素直でして!



ユディスとホロフェルネス。 ホロフェルネスの率いる軍に囲まれたベツリアの町の
ユディットが、ホロフェルネスに攻略方法を教えると近づき、彼女の美貌に惹かれた彼が
酔いつぶれるのを待ち構え、召使と共に首を切り落とした、という場面。

20-B13_7861_GF.jpg



ダヴィデとゴリーア。 中央まだ子供みたいなダヴィデがパチンコでゴリーアの額を
石で打ち、左で倒れたゴリーアの上に跨り剣を振るい、首を落とす場面。

21-B13_7864_GF.jpg

中央の館の中が大変に遠近感が強く出ていて、ここだけ本当に飛び出している様に
見えますね。
ロレンツォ・ロットという画家は、構図をちょっと一ひねりするというか、少し突飛にも
見える作品がありますが、これらが彼のデザインというのは、大きな動きとか、如何にも
その場面を想像させる背後の様子とかで、大いに納得できる気がします。

1522年から1555年にかけての作品なんだそうで、はめ込み細工師の
ジョヴァンニ・フランチェスコ・カポフェッリ・Giovan Francesco Capoferriの名が
挙ります。

何種類もの木肌の色を使う訳ですが、ぼかしとか景色の深さなどを現すには、
つまり1片の中での変化が欲しい時には草を煎じたり(液に浸すのかな?)、
砂を熱くしたものを使うのだそう。

ガイドさんが2時半の約束がある、と言ったのは、これらを見る為の物で、別の方が
来て表板を外し説明し、済むとまたさっさと嵌めて行かれました。

クリスマスとか復活祭などの時には、特別に御開帳になるのでしょうかね?



古い石像があり、

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14世紀初めの、枢機卿グリエルモ・ロンギ・Gulielmo Longhiの墓碑、

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ベルガモ出身の音楽家ガエターノ・ドニゼッティ・Gaetano Donizetti(1797-1848)
の記念墓碑。 50歳の短い生涯だったのですねぇ。

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70曲ほどもオペラ作品があるそうですが、有名なオペラ・ブッファ「愛の妙薬」の中から
「人知れぬ涙」をどうぞ。 彼の作品では唯一知っているものでして・・。



バロック様式の豪華な木製の告解室、1704年。 どなたが懺悔したのですかね? 

25-B13_7851_GF.jpg



背後に見えるいずれも大きなつづれ織りは、フィレンツェで16世紀に織られたものだそう。

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聖堂全体が余りにも豪華絢爛で、凄いねぇ、という声と、こういうの好き?というのが
仲間での囁き声でした。 余りにも、だと敬虔な気持ちにはなれそうもないshinkaiで。



聖堂の南西側の扉。ドゥオーモ広場側の「赤いライオンの扉」に対し、
「白ライオンの扉」と呼ばれれるそう。

27-B13_7875_GF.jpg



一番上の装飾も見事な物。

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裏道を通り、こんなお屋敷前の装飾を見たりしながら、

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サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂は3.で、本日最初の出発点、真ん中下の太緑の
ケーブルカー駅前の広場まで戻り、

30-1-simg20190316_18180867.jpg



歩いてケーブル駅の下まで下りつつ、16.サン・ミケーレ・アル・ポッツォ・ビアンコ教会 
17.元サンタゴスティーノ教会と見学し、8.ポルテ・ヴェネツィアーネ・ヴェネツィア門を。

30-2-B13_7621_GF.jpg



16.サン・ミケーレ・アル・ポッツォ・ビアンコ教会・San Michele al pozzo bianco.

31-B13_7888_GF.jpg



元は8世紀、ロンゴバルドの時代に出来た古い教会で、名前の由来の「白い井戸」は
多分白大理石の井戸が教会前にあったのだろうという事ですが、今はなく、

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教会内祭壇部のフレスコ画は16世紀の物で、

33-B13_7892_GF.jpg

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それ以前の古いフレスコ画の名残が周囲にたくさん残っているのですが、

35-B13_7898_GF.jpg

36-B13_7903_GF.jpg

この頃になるともう既に頭の中は満杯で、余り受け付けなくなっており・・!



またまたこんな風な丸石舗装の坂道を下ります。

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じきに地図の16.の上に見える野球のベースの様な形の広い公園に出て、

38-B13_7906_01_GF.jpg



午後遅めの陽を浴びる、白い満開の花。

39-B13_7909_01_GF.jpg



街を囲む城壁が境で、

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ゆったりと傾斜地が広がり、下ります。

41-B13_7914_01_GF.jpg



広場の向こう側にあった13世紀から18世紀の、元サンタゴスティーノ・
San’Agostinoの教会跡は、

42-B13_7907_01_GF.jpg

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現在、大学の一部として使用されておりました。

44-B13_7922_GF.jpg

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ぐるっと城壁内を辿る形で下って行くと、かっての8.ポルテ・ヴェネツィアーネ・
ヴェネツィア門。 流石威容で、サン・マルコのライオン君が、
おお、頑張ってるねぇ、という感じ、はは。

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ベルガモの城壁の中でも、ヴェネツィアの壁、ヴェネトの壁と呼ばれる
ヴェネツィア共和国が16世紀中頃から築いた城壁で、

48-B13_7928_01_GF.jpg

6km以上に及ぶ城壁がそのまま残っているそうで、14の堡塁、2つの台座(細長い部分?)
100もの銃眼、2つの弾薬庫、4つの門とあり、上の8.の門はその一つ。
とりわけ下の街に面する部分になるので、夕方の散歩などロマンチックなんですと。



下への坂道が開いた場所も通り過ぎ、

49-B13_7931_01_GF.jpg



見事に続く城壁ですがこれは内側の壁で、道の左手下にヴェネツィアの壁が聳えます。

50-B13_7932_01_GF.jpg

51-B13_7933_01_GF.jpg



という所でベルガモの一日の見学が済み、バスでコネリアーノに向け帰りますが、
どの辺りだったか、ヴェローナ辺りかな、夕陽が始まり、

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後続のトラック群の影になる、電線が多い、木々が邪魔などの障害と戦いつつ、ははは、

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ジュリアーナと何枚も撮り続け、遂に落日。

54-B13_7948_01_GF.jpg



日没後の素敵な空の色。 今日も素晴らしく素敵な、良い一日でしたぁ!

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という所で、我らの見学場所はお終いですが、ベルガモにはまだまだ見るべき素晴らしい
場所がありますので、それらをサイトからのご案内でもう一回どうかな、
落穂ひろいを次回に、と考えています。


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