・ n.2 メディチ家の 世界遺産 ボーボリ庭園と、ブログお休みのお知らせ

トスカーナのメディチ家の12のヴィッラと、2つの庭園が2013年に世界遺産に
指定されているので、少しでも観光のお役に立つかと、自分の為にも、
興味の湧く所からご案内をしていますが、はは、
 
先回のポッジョ・ア・カイアーノのヴィッラに続き、今回はフィレンツェの中心、
アルノ河向こうのピッティ宮殿の背後に広がる広大なボーボリ庭園・
Giardino di Boboliを。

ピッティ宮・Palazzo Pittiには一度膨大な絵画コレクションを見に行った
事があり、はぁ、既に10年前になるのにも気が付きましたが、

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その時にこの「アンマンナーティの内庭・Cortile dell’Ammannati」を通り、

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正面上に見える噴水が、今回調べていて「カルチョーフィの泉・Fontana del
Carciofo」と知り、



こちらがピッティ宮の中から撮ったと思う「カルチョーフィの泉」と、
その奥に広がるボーボリ庭園の眺めで、

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内庭から見上げたピッティ宮の内部

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そして内庭からボーボリ庭園に行くための階段で、

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階段、石段が嫌い、暑い時に庭園の坂道を上るのも苦手、見るべきものが
多すぎるフィレンツェの街ではゆっくり庭園めぐりをしておれない、等などから、
この石段前で退散したのでしたが、へへ、



これは左手奥に見えた「大洞窟、ブオナタレンティの洞窟・Grotta Grande・
La Grotta del Buonatalenti」の入り口。

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という様な事で、庭園に入る前のほんの序奏から見て頂きましたが、
今回参考にしたサイトは  「Il Giardino di Boboli」.

ですが、写真の色が余り良くない事や、あれこれ読んでいて疑問になった事を
調べたりで、新たに見つけた写真も集めてご覧頂きますね。


ボーボリ庭園は単なる庭園ではなく、フィレンツェの街の歴史を物語るものでもあり、
街の中心にある緑の肺・緑地帯であり、
トキワガシの古い大樹、、彫像、泉、ヒンヤリと心身を爽やかにする場所が
ピッティ宮の背後に広がる、青空の下の博物館であり、四季ぞれぞれの趣を呈する。

このボーボリ庭園のオリジナルの案は、ヨーロッパのたくさんの王宮庭園から、
とりわけヴェルサイユ宮殿の庭からインスピレーションを受けたもので、
実現は15世紀から始まり4世紀間、1900年台にまで及ぶもの。

土地は1549年にエレオノーラ・ダ・トレード・Eleonora da Toledo、
トスカーナ大公国の初代コジモ1世の妻によって、ルーカ・ピッティ・Luca Pitti
から購入されたもので、

ボーボリ庭園の名の謂れは、それ以前のボルゴーロ家・Borgoloがこの一帯の農園、
庭園の持ち主であった事からの由来の様子。

で、ニッコロ・トゥリボーロ・Niccolò Triboloの設計で始まったものが、彼の早い死で、
1550年の後は、ヴァザーリ・Vasari、そしてfランチェスコ1世の下でアンマンナーティ・
内庭に名の残る、奇想天外なブオンタレンティ・大洞窟を作った、の名が上がります。

で、それぞれに有名で、またお好みの場所があると思いますが、ここでは一応主要な
アンフィテアトロ・Anfiteatro、ヴィットローネ・Vittolone、
プラート・デイ・カヴァリエーレ・Prato dei Cavaliere、コーフィハウスの緑の塔・
verde torre della Koffeehouse、グロッタ・グランデ・Grotta Grande
のご案内を。

じっくり見て回ると、優に3時間は掛かるそうですので! 行程をお考えにね。



という事で、まず図面をどうぞ。
1. ピッティ宮・Palazo Pitti
2. ピッティ宮南館・Palazzina della Meridiana
3. アンマンナーティの内庭・Cortile dell'Ammannati

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4. バッコ広場・Piazzale del Bacco
5. ブオンタレンティの洞窟・大洞窟・Grotta del Buontalenti
6. マダーマの小洞窟・Grotticina di Madama
7. アンフィテアトーロ・Anfiteatro
8. コーフィハウス・Kaffeehaus
9. ネプチューンの泉・Fontana del Nettuno
10. カヴァリエーリの庭園・Giardino dei Cavarieri
11. 陶器博物館・Museo delle Porcellane
12. ヴィオットローネ・Viottolone
13. アンナレーナの洞窟・Grotta di Annalena
14. リモナイア・Limonaia
15. 林とモスタッチーニの泉・Ragnaie e fontana dei Mostaccini
16. 島の池・Vasca dell'Isola
17. 円柱の草原・Prato delle Colonne

図に見えるA B C D は、各入口



まずアンマンナーティの内庭の上に見える、石段を上った所のカルチョーフィの泉を。
八角形の泉とその中心に噴水があり、その手前に見えるのがそうだと思うのですが、
王冠の形になった青銅の百合の花、と。

8-fontana-del-carciofo-da-moderna.jpg

どうも百合の花には見えませんが、ははは、フィレンツェ人の辛辣な悪口を浴び、
百合の花ならず、カルチョフィ・アーティチョークの泉と呼ばれるそうで、ははは。



噴水の中心で、こちらは良いですよね?!

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そしてここから開ける、7.アンフィテアトロ・円形劇場。 実際は競馬場の一部と。 

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かってピッティ宮の後ろは採石場で、ヴェッキオ宮建設にも使われた強固な石・
ピエトラ・フォルテの採石場だったんだそうで。

そして中心に見える巨大なオベリスクは、エジプトのルクソールから1789年に
運ばれてきて、ここに据えられたものと。



アンフィテアトロから坂を上った頂上にあるのが、これ、9.ネプチューンの泉。
手には三叉の鉾ですが、フィレンツェ人に言わすと、フォーク、なんですと、ははは。

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左手上に見えるのは、



この女性像「豊かさ・アッボンダンツァ」と名付けられ、フランチェスコ1世・
トスカーナ大公2代目の妻、ハプスブルグ家からお輿入れのジョヴァンナ・ダウストリアを
モデルにしたジャンボローニャ・Giambolognaの作が、庭園を見下ろします。

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が他で読んだ所によると、彼女は痩せっぽっちで、フランチェスコは彼女が好きで
なかったそうで、それを「豊かさ」に表現する、このヨイショの精神、ははは。



で、彼女の位置辺りから見下ろす、庭園とピッティ宮の眺め。

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で、図に従い、この上にある 10.カヴァリエーリの庭園に。
1529年ミケランジェロが設計した古い稜保の場所に設置されているのがこの庭園で、
ボーボリ庭園の中でも一番高い位置の1つで、南方に向けての眺望が広がる場所。

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この庭園の下に貯水池があり、鱒の池、とも呼ばれますが、ボーボリ庭園全体への
貯水池で、当時としては先進的な設備が備えられていたそう。



さて図の右側の真ん中を貫く、12.ヴィットローネと呼ばれる道。 ピッティ宮より
南にある、街の城壁のローマ門・Porta Romanaに続く下り坂の道。

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両脇にはトキワガシの木が生い茂り、中に入り込み涼しい場所でお喋りしたり、
本を読んだり、かっては宮廷の貴婦人や音楽家たちとね。



糸杉の立ち並ぶ道を行くと、16.島・oasi dell'Isolottoと呼ばれる、
周囲を水に囲まれた島があり、半身が見えるのはペルセウスが軍馬に跨り、
後に彼の妻となったアンドロメダを救出に行く所と。

15-1-giardino-boboli-isolotto 00003.jpg



真ん中には「大洋の泉・fontana dell'Oceano」ジャンボローニャ作、があり、
周囲を取り巻く3像はガンジス河、ナイル河、そしてユーフラティスと、大河の寓意像。

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そしてアンフィテアトロの左上、8.のコーヒーハウス。  メディチ家の跡を継いだ
ロレーナ家の遺した18世紀の緑色の塔と建物で、庭園散歩で美味しいカフェを、の
珠玉の建物と。

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2013年に漸くに長年の修復が済み、一般公開される様になったそうで、フレスコ画
装飾の部屋は一見に値すると。  同時代に、14.リモナイヤ・レモンの温室と、
2.の南館の、現在衣装館となっている部分の建設もと。



最後は 5.ブオンタレンティの大洞窟を。 ここは内部、外部供に鍾乳石と、
凝固物で作り上げられ、当時は独創的な水遊びの出来る装備で、

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入り込んだ光で、というのは写真を見て納得したのですが、天井に近い部分に穴が開き、
そこから光がほんのり射しこむ様になっていて、水槽には様々な種類の魚が泳いでいて、
多分水が揺らぎ、それに光が反射し、雰囲気溢れた洞窟内だったのだろうと・・!

そしてこの内部は3つの部屋に分かれていて、最初の部屋は上の写真の物で、
内部の壁はフレスコ画で装飾され、周囲には動物たちが群がりというイメージで、、



壁に埋め込まれた像はミケランジェロの「奴隷たち」で、アッカデミア美術館に
移される前はここにあったのだそうで、現在のはコピー作と。

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そして真ん中奥に見えるのが第2の部屋で、パリスとヘレネ像。 
つまりトロイの王子であるパリスが、スバルタ王の妃ヘレネを誘惑した事が
トロイ戦争勃発の元となったという・・。



そして第3の部屋、一番奥の隠れた部屋で、ヴィーナスの水浴の姿!

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この写真で、表の部屋からの様子と、壁に描かれた植物のカーテン、そして
光の入り方が分かるかと思ってこの写真を選んだのでしたが、
水盤に手をかけ、盗み見る姿もあり、ははは。

つまりこれらの主題の選び方は全く偶然ではなく、2代目のトスカーナ大公
フランチェスコ1世の秘密の逢瀬の為に、暗示と納得を生じさせる為の物と、はい。

フランチェスコの興味は錬金術と、愛人、後に妻となったビアンカ・カッペッロのみ、
と読みましたが、他にもグラマーな貴婦人たちをあれこれ、だったのかもですねぇ。



もし夏の酷暑にフィレンツェにお出かけの時は、芸術、お話、涼味を提供できる
場所はボーボリ以外他には無く、ロマンティックなトキワガシの林の中に秘密の場所を
見つけたり、コーヒーハウスで本を読んだり、休憩も。


そして庭園散策の最後には、大理石の亀の背中に跨った「ナーノ・モルガンテ・
Nano Morgante」像に、「チャオ!」の挨拶と、記念の写真1枚をお忘れなく!

24-Fontana-del-Bacchino-1024x683.jpg

ナーノ・モルガンテ・いわば偉大な小人、とでも、実在した人物で、16世紀中頃の
トスカーナ大公コジモ1世の、ピッティ宮宮廷にいた5人の小人の内で一番有名で
人気のあった人物なのだそう。

では皆さま、ブオーナ・パッセッジャータ!・良いご散策を!


入場料: ピッティ宮、11の陶器博物館、バルディーニ庭園・ボーボリ庭園の東、
     アルノ河沿いにある、と共通で、

     3月1日~10月31日 10エウロ、 割引5エウロ
     11月1日~2月末 6エウロ  割引3エウロ

     月の最初の日曜は、無料!
     年間切符25エウロ 最初の入場から365日間有効

時間: 毎日8時15分から  
     閉時: 3月と10月 17時半  4月5月、9月10月 18時半
         6月~8月 19時半   11月~2月 16時半
     閉館: 月の第1と、最後の月曜、  元旦、 クリスマス

という事で、ボーボリ庭園のご案内をお終いに。 
あれこれ読みながら、大いに興味が沸いたshinkaiです。 次のチャンスには!


そして、今回のブログを最後に、9月はお休みをさせて頂きま~す
また10月1日に! よろしくお願い致しま~~す!!


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・ スコミーゴ村一帯を駆け抜ける自転車競技 ・ 第19回 コネリアーノ杯

フィレンツェ周辺に点在するイタリア遺産の、メディチ家のヴィッラのご案内を
一旦お休みし、

この18日日曜に行われた地元での自転車競技、「第19回 コネリアーノ杯」の
様子をご覧下さいね。

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こちらは8月15日がフェッラゴスト・Ferragostoと呼ぶ、夏の絶頂点の祭日で、
続く18日日曜がこの夏のお休み最後、的な日となり、

友人連中からコネリアーノのお城横にあるレストランでお昼はどう?と
いうお誘いで、久しぶりに仲間と会い、お城横の公園にあるレストランで
素晴らしい眺めを愛でつつ、お昼を一緒に食べのんびりとお喋りし、
じゃぁまたね、と2時半頃家に戻って来たのでした。

所が家を出かけにも見た何となしの人出の多さで、スコミーゴ村のお祭りだろうと
思っていたのが、戻り道では何と隣のオリアーノに近づくにつれ停滞する程で、
道端にかなりの人々が出て待ち構えており、木陰で椅子に座りの長期戦の人も。

何、これ、何があるん?とオリアーノのロータリーで車を止め、
車のドアを開けたまま何か記しているシニョーレに、何があるのかを尋ねると、
スコミーゴを出発しての自転車競技があり、自分はその記録係である、と。

もう出発したのですか? もう始まっているけど、周回競技でまだ続いている。
なんというタイトル? コネリアーノ杯の19回目。 グラーツィエ・シニョーレ!!


よっしゃぁ、と家に戻りカメラを持ち、さてどちらの方向に向かったら良いか、と
一瞬考えていると、すぐ上の道の方から拡声器の大きな声! OK, 分った!

で、朝歩きの行程通り、東に出た所でこの眺め! わぁお、賑やかになってるやん。

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思う間もなく、「自転車競技始まり」のオレンジの旗を立てた車が通り、
後ろに続くフェッラーリのテスタ・ロッサ2台。 ロッサ・赤ではなく、
黄色と濃いグレイですが、グワッ、グワッと派手に吹かしながら通り過ぎ。

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まだ見物人も少ないので道の中程にでて、「ARRIVO・ゴール」を撮り、

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するうちに、先頭の3人が通り過ぎ、

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2人が通り、そして大集団到着。

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ここは家の脇の歩道が1人分の幅の狭さなので、こんな感じにグループが通り過ぎ、

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いつもの様に、替えの自転車を積んだフォロー車も通り過ぎます。

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ちょうど整理に当たっていた女性に、あとどの位回ってくるのかと尋ねると、
ちらっと道上の櫓を見て、まだあと7周するし、直に回って来るよ、というので、

じゃぁ、ゴールの上のカーヴの所にしよう、と坂道を上ります。

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ええと、この櫓、適切な日本語が出てこない! に見える数字は8になっていますが、
下から選手達に見える数字は7で、その裏の関係か、こちら側には1つ多い数字が。

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座っている縞のTシャツの関係がひっきりなしに、歯切れよく状況を説明し、よう喋る!
その間中ディスコ・ミュージックが大音量で流れるので、待ち時間の退屈無し!!



20分程の間があると思い、すぐ隣のバール、スコミーゴ村の坂の上にはここ1軒で、
はは、アイス・キャンディーを買い、食べて待つうちに、

あと7周の、競技始まり、の車が通り、その後ろにフェッラーリが2台。

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そして先頭グループ5人のあと、グループが長くなって続きます。

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忘れない様にと、大雑把にメモしたのを確かめていますが、最初の回が3時5分頃で、
あと7回めのが3時25分頃、なので大体20分で回って来ている事になりますね。

近くのシニョーレが最初は何キロを何回、そして後何キロを何回と教えてくれたのですが、
正しい数字は、スコミーゴを出発・ゴールとし、オリアーノからもっと先まで行っての
12kの距離を10回、そして8,5kmを5回、計163kがこの競技なのだそうで、

つまりshinkaiはあと8周の所から見始めた、という事になり、12kの距離で17~20分、
この時間は全然正確ではありませんが、はは、8,5kになると大体12分ほどで回っていて、
サイトで見た記録だと、平均時速が41,202kとの事。

で、この「コネリアーノ杯」というのは、アマチュアの23歳以下の選手の参加で、
今年は141名が参加との事。


この夏のスコミーゴを通る自転車競技は、ずっと昔一度見かけた事がある程の記憶で、
ははは、まるで頭に残っていなかったのですが、毎年行われていて、
そりゃぁまぁ、選手たちを鍛えるには持って来いのカーヴと坂道の連続コースですし、

イタリアの大手のアイス・クリーム・メーカーのサンソン・Sansonの創業者が
スコミーゴ村出身で、shinkaiが住んでいるコンドミーニオもカーザ・サンソンと
言うとタクシーの運転手も知っているという訳で、大スポンサーの様子で、
名前も冠されているという訳です。



1回カーブの所で、炎天下の夏日を頑張ったのですが、余りにも暑く、後ろの
家の陰で暫く涼んだりも。でも徐々に人出が増えて来るので場所確保の為戻り、粘ります。

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あと6周の始まりで、

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この時は先頭がすでにグループとなっていて、

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このカーヴを過ぎると、突き当りにスコミーゴ村の教会があり、そこを右に、
そしてすぐ左に急な下り坂があり、そこを過ぎると朝歩きするshinkaiが通る
葡萄畑の脇を抜けて行く緩やかな上り道に。

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最初のグループが過ぎた後に、また大グループが。

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結構数多くリタイアする選手がいて。 

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まぁ、夏の炎天下の坂道の上り下りが激しいコースなので、とも思うのですが、
今回先頭が2名3名とか、時に5名とか、そして大グループになったりと変化が多く、
先頭を抜けて行く選手もいつも違う顔ぶれで、

その辺りからも、まだまだこういった競技に参加する選手達のアマチュア振りというのか、
自分の実力、体力が良く分かっていない連中なんだろうな、と思った事でした。

ジーロ・ディターリアにしても、トゥール・ド・フランスにしても、必ずトップを
走って行く選手何人かがいますが、そんなに顔ぶれが変わる訳ではないですしね、
トップが数人になったり、急にグループになったりという事はないですものね。

まぁ、こういう地元の競技にあれこれ参加し、経験を積み、プロになる選手が育ち、
抜ける人は抜けて行く、という事なのでしょうね。 



後ろの、最初に見て頂いた垂れ幕の下の舞台では、選手の上がる表彰台に使う
木の切り株を並べようとしているのですが、1の数字のついた一番大きな高いのが
物凄く重い様で、ははは、2人がかりでヨイショヨイショと。 ぎっくり腰注意!

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という事で出来上がった表彰台。 なんだか商品が少ないなぁ、と思っている内に
あっちこっちの箱から追加され、

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大きなプロセッコの瓶も1本立ち、

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最後はTシャツや、ワイン瓶、なんだかんだと並び賑やかなものに、やれやれ、ははは。

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さてあと5周の始まり。 ここから距離8,5kとなり短くなりますが、

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選手達はあと6周目の12kを終えた所で、先頭がかなり多めのグループ。

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で、盛んに拡声器からモンテ・ネーロという地名が聞こえる様になり、どこだろと思い
地図を探して分ったのは、shinkaiも良く知っているお隣オリアーノのロータリーに
出て來る道で、どちらから通っても底まで下っての上り、それも酷い傾斜の道で、
あそこかぁ、と思わず笑いましたよ、選手虐めね、ははは。

こちらにちょっぴり写真が  オリアーノ村 傾斜地の畑と坂道
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20161005-1.html



さて、あと4周の始まり。

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先頭、イタリア語ではテスタ・頭と呼び、最後はコーダ・尻尾で、2人。

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ここで種明かしをしますと、今回の競技で優勝したのは今見えるこの赤いヘルメット、
黒と緑のシャツ、胸にZalfと入ったチームの1人で、番号11 マルコ・ランディ・
Marco Landiだったのですが、



ほらね、この選手は8番。

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そして大グループが続きますが、

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ほらね、グループの最後の方に赤ヘルの11番が。

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あと3周にかかります。 有難い事に少し曇り加減となり、人も増えて来て。

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写真の左背後に丘の線が見えますが、あの丘がオリアーノからコネリアーノに続く線で、
オリアーノの海抜は152m、我がスコミーゴは127m、って、あれ、低くなったん?!
140m位あると思っていたけど、という事はあり得んよね、ははは。



先頭は先回と同じ、2人の様ですが、

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グループの中に赤ヘル、黒と緑のシャツが見えますが、番号が見えず。

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この手を挙げている人は、スコミーゴ村のすぐこの近く住んでいる様子でしたが、
アレッサンドロ・デ・マルキ・Alessandoro De Marchiと言い、現在プロの、
2008年にこの競技で優勝しプロに転向した様子。

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今年トゥール・ド・フランスの9日目の行程でかなり酷い骨折怪我をし休養中と。

マンマがプロになるのを勧めてくれて、という様な事も話していましたが、
大人の男性の口から「マンマが」と聞くと、つい内心ニヤッとしそう。

隣の縞が中継解説のアナウンスの男性で、ほらね、腕に何本の
ブラッチャレット・腕輪をしているか見て!!



背後の2階のテラスから観戦中の家族とワン。 これがときどき吠えるのよねぇ。

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さて、あと2周となり、

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先頭はこの2人、どちらもZalfの2人で、左が11番のマルコ・ランディ。

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そして最後の1周になる時、それ迄は競技開始の車の後ろについていたフェッラーリが
2台並んでゆっくり走り、皆さんに手を振ってご挨拶を、そして、グワッ、グワッと。

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はい、最終周回の始まりで、ガンガンガンガンと鈴が鳴り、

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先頭はZelfiの1人ですが、

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番号は13。  前回トップだった11の片割れでもなく、

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まぁ、こういうのはチームとしての平均点を上げるにはOKですが、
どうもそういう感じでもなさそうで・・。



続くグループの中程に見える真ん中の赤ヘルが11ではないかと。

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そして勝利者の到着を待つ、ほぼ満員となったゴール近く。 
何となく、嵐の前の静けさ、のイメージでしょう、ははは。

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競技開始の車が通る頃には、雲の間から陽が射し、

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ゴール地点で待つ人々もくっきり! スコミーゴ村唯一のバール、イーヴォ・Ivo、
イボではござらぬよ、はは。

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そして到着。 最後の坂を歯を食いしばって、上って来ます。

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そして、ゴール!! サッカーなら、Goooooool!! と画面に出る所。

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こうして見ると、かなり2,3位との間が開いていますねぇ! サイト記事にあった、
「恐ろしいモンテ・ネーロの坂をこなし」マルコ君、頑張りましたぁ。おめでとう!

背後に見える左のピンク、2位がユーリ・コロンナ・Yuri Colonna
右の白黒横縞が3位のマッティア・バイス・Mattia Bais.

ちょうど5時少し前のゴールでした。



インタヴューを受けるマルコ君。 ボローニャの人だそう。
今年3度目の優勝と聞きましたから、粘りのある、かなり優秀な人材なのかも!

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ヘルメットを取った横顔には、白く、ヘルの紐痕が残っていましたっけ。



表彰台の彼らの様子を最後に、

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いずれも年齢が見つかりませんでしたが、23歳以下であるのは間違いなく、
彼らは勿論プロになるのを夢見ているのでしょうから、
いつかジーロ・ディターリアでも名前が出る迄に成長するかも、ですね。

長いお付き合い有難うございましたぁ!



Zalf・ザルフ、というのはどうやら家具類メーカーの様で、サイトはこちらに。
選手たちの顔も見れます。
http://www.zalfeuromobildesireefior.com/


所であれこれサイトを探していて、23歳以下の選手で開催されるジーロ・ディターリア
の競技が行われているのを知りました。 全く知らずで・・!

以前は27歳以下の選手で開催されていたのが、2012年から5年間休止され、
2017年から再開されるに伴い、アンダー23歳となったそうで、
やはりアマチュアの選手参加と。 とはいえ、半プロの生活だろうと思いますが。
競技のサイト   http://www.giroditaliau23.it/tappe-2019/

歴代の優勝選手なども、こちらのウィキで。
https://it.wikipedia.org/wiki/Giro_d%27Italia_Under-23

眺めていて、1992年の優勝者にマルコ・パンターニ・Marco Pantaniの名を
見つけ、おまけに彼は1990年から続けて3位、2位、1位と名が出ていて、
流石だなぁと思い、あの時代の彼の活躍をTV中継で見た事を思い出しました。

海賊・イル・ピラートというニックネームで親しまれ、ジーロ・ディターリアと
トゥール・ド・フランスと同年2連覇の偉業を成し遂げた一連の最後の選手だったと。

「アンダー23のジーロ・ディターリア」は毎年6月に9日間の日程で開催される様で、
後にプロで活躍したとみられる人の名も多くあるので、自転車競技に興味を
お持ちの方々、来年は6月の競技のニュースにもご注目下さいね。


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・ n.1 メディチ家のヴィッラ ・ ポッジョ・ア・カイアーノ

先回トスカーナ州の7つの世界遺産登録地のご案内をした時に、最後
2013年に登録されたのがメディチ家の12のヴィッラと2つの庭園であると知り、
shinkaiはどのヴィッラも訪問した事がないので興味も沸き、どんな様子かを
知りたくもなり、そんなこんなで調べた事からご案内を。

で、第一回目は、名前だけ知っていて以前からいつか!と思っていた
ポッジョ・ア・カイアーノ・Poggio a Caianoのヴィッラのご案内を。

1-villa-poggio a caiano.jpg

参考にしたサイト、引用の写真は

Alla scoperta della Villa Medicea di Poggio a Caiano」と、

ウィキペディア・イタリア版「Villa medicea di Poggio a Caiano」からです。



ポッジョ・ア・カイアーノのヴィッラはどこにあるか、地図をどうぞ。

2-map1.jpg

ご覧の通りフィレンツェから北西に20km程で、プラート市に含まれますが、車で45分
とグーグル地図に出ましたが、いやぁ、20kの距離に時間がかかるのですねぇ!
流石都会というか。 最後に電車、バスでの行き方を。


このヴィッラはロレンツォ・デ・メディチ・Lorenzo de’ Medici(1449-1492)、
イル・マニーフィコ・偉大な男と呼ばれ、フィレンツェが最盛期を迎えた時代の事実上の
支配者でもあったロレンツォが、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ・Giuliano da Sangalloを
設計者に、1480年頃から建設を始めたもの。

ポッジョとは丘の意で、文字通りカイアーノの丘の上に、古い要塞跡もあった様ですが、
そこに古代様式も取り入れたメディチ家の夏のヴィッラ・別荘を作った訳ですね。

ロレンツォが1492年に43歳で亡くなった後、跡を継いだ息子ピエロは失態から
フィレンツエ追放にもなったりで一時ヴィッラの建設は1495年から1513年頃まで
中断されますが、メディチ家は再度街に戻り、ヴィッラの再建もピエロの弟ジョヴァンニ、
後の教皇レオ10世によって引き継がれます。

中断当時は建設は約3分の一が出来た位の所だったらしいのですが、元の設計通りに
進められ、1520年の末頃に完成した模様。



こちらが2階にある、多分「レオーネ10世の広間」と呼ばれるかまぼこ型の
ご覧の様に見事な漆喰細工が施された天井と、一面のフレスコ画装飾の部屋。

3-poggio-caiano-ballroom.jpg

フレスコ画の画家は当時16世紀トスカーナの有名な画家ポントルモ・Pontormoや
アンドレア・デル・サルト・Andrea del Sartoの手によるもの。



このヴィッラはメディチ家の夏の別荘として、勿論賓客の持て成しにも使われたのも勿論、
外国からお輿入れの姫を迎えての結婚式にも使われたのだそうで、

こちら1539年、トスカーナ大公のコジモ1世と、ナポリからのスペイン、アラゴン王家
副王の娘エレオノーラ・ダ・トレード・Eleonora da Toledoの結婚式の際の到着図。

4-Poggio_a_caiano_stradano.jpg

その他の結婚式としては、コジモ1世の息子フランチェスコ1世と、最初の妻である
オーストリアからお輿入れのジョヴァンナ・ダウストリア・Giovanna d'Austria・
ハプスブルグ家のヨハンナ、1565年12月結婚、12年の結婚生活。

兄であるフランチェスコ1世の没後、枢機卿であったフェルディナンド・Ferdinandが
トスカーナ大公位を継ぎ還俗し、クリスティーナ・ディ・ロレーナ・Cristina di Lorena、
フランス王アンリ2世と結婚したカトリーヌ・ド・メディチは彼女の祖母に当たる、と
1589年5月に結婚。

後にメディチ家の家系が途絶えた時に、このポッジョ・ア・カイアーノのヴィッラも
ロレーヌ家のものとなりますが、ここで結びつきがあったのですね。

他にもう一つ、傍系であるコジモ1世にメディチ家の流れが移る原因となった、
暗殺されたフィレンツェ公アレッサンドロ・Alessandroディ・メディチ(1510-1537年)も
この別荘で結婚を。
彼の父は教皇クレメンス7世、ロレンツォ・イル・マニーフィコの弟、パッツィ家の乱で
殺害されたジュリアーノの遺児。

アレッサンドロはこの別荘で1536年に、マルゲリータ・ダウストリア・Margherita、
父は神聖ローマ皇帝カール5世、の庶子で、
結婚1年後に夫アレッサンドロが暗殺された後、彼女は1538年パルマの
オッタ-ヴィオ・ファルネーゼと再婚。 オッタ-ヴィオは2代目のパルマ公、
兄はアレッサンドロ枢機卿、祖父が教皇パオロ3世。

そしてこのヴィッラでの結婚式はありませんが、他にメディチ家にお輿入れしたのが、
ルイ14世の従妹でもあるマルゲリータ・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=オルレアンス・
Margherita Luisa d'Orléansが、1661年にトスカーナ大公7代目のコジモ3世に。
彼らの息子フェルディナンド、早世した彼がこのヴィッラが大のお気に入りだったそうで。

済みません、あれこれの関係を書くのはshinkaiの忘備録を兼ねておりまして、へへ。

それにしてもこうして縁組の相手を書き出してみると、フィレンツェのメディチ家が
如何にヨーロッパにおいて大きな存在であったかが良く分かりますね。



こちらは「テアトロの間」劇場を設えた部屋。

5-poggio-caiano-villa-theater.jpg



現在ポッジョ・ア・カイアーノのヴィッラは国の持ち物となっていて、
内部に2つの博物館を抱えます。 
一つは「アッパルタメンティ・ストーリチ・歴史的住まい」というか、

メディチ家の時代が過ぎた後、ロレーナ家の持ち物となりますが、

19世紀にはエリーザ・バチョッキ・Elisa Baciocchi、ナポレオンの妹で、
トスカーナ大公国の君主でもあり、ここが気に入りお住まいに。
そのベッド・ルーム。

6-poggio-caiano-elisa-bedroom.jpg



そして同じ19世紀1865年から1871年の6年間、フィレンツェがイタリア王国の
首都となった際、国王ヴィットリオ・エマヌエレ2世がここを田舎の居として
様々な改装をします。

こちらが「玉突き・ビリヤードの間」に改装されたもの。

6-poggio-caiano-gameroom.jpg



そして「接客の間・Sala da ricevere」

7-1-Appartamento_di_vittorio_emanuele_II,_sala_da_ricevere.jpg



こちらは「聖餐の間・Sala dei pranzi」

7-2-Sala_dei_pranzi,_02_GF.jpg

他に国王ヴィットリオ・エマヌエル2世は狩りと馬が好きで、新しい厩舎も造っており。



そして3階にはもう一つの「静物画の博物館」があり、メディチ家のコレクションだった
静物画、殆どが小品で一番大きなのでも100x75cm、の約200点が揃っているそう。

8-poggio-a-caiano-still-life.jpg

9-natura morte.jpg

画家の名もそうそうたるもので、ドューラー、ダ・ヴィンチ、ラファエッロ、
ルーベンス等など。

各博物館の見学はそれそれが約1時間ほどという事ですが、ゆっくりすると約半日、
メディチ家の遺したものを味わえるという訳ですね。



そして上に書き出したのは結婚式でしたが、ここで結婚したトスカーナ大公2代目の
フランチェスコ1世と、その2番目の妻ビアンカ・カッペッロ・Bianca Cappelloは、
このヴィッラで1587年10月8日、一日フランチェスコの弟フェルディナンド、
当時枢機卿、後にトスカーナ大公3代目、と狩りをした後夕食を取り、

始めにフランチェスコ、続いてビアンカが止む事のない高熱と嘔吐に苦しみ、
11日後にフランチェスコが、そして一日置いてビアンカが亡くなりました。

熱病、マラリアによる死と発表されたものの、一緒にいたフェルディナンドは無事で、
彼により2人は毒殺されたと噂をされたと言います。

近年になり2004年の検査により、どちらも肝臓からヒ素が検出されたという
報告があったのですが、2009年に新たに行われた検査ではマラリアの熱による死、
とヒ素による毒殺説を覆す報告が。
どちらが正しいレポートか分かりませんが、状況はかなりキナ臭さが残る様で。

いずれにしてもヴェネツィア貴族出身のしかも結婚していた女性が、
フィレンツエはメディチ家のトスカーナ大公、こちらも妻子持ちと愛人関係になり、
最初の妻が亡くなった後結婚し、トスカーナ大公妃となった、という経緯は、

それはもうメディチ家のみならず、当時の大スキャンダルであり、彼らは内密に
していたものの最初から噂と中傷の対象でしかあり得ずだったのですね。

で、フィレンツエにもピッティ宮にほど近く、ビアンカ・カッペッロの
住んでいた館がありますが、このポッジョ・ア・カイアーノにもフィレンツエから
身を隠したビアンカが住んでいた事があり、そのアッパルタメントが
残っているのですね。

階段というよりは、テラスの様ですが、この住まいは1階に。

10-Villa_di_poggio_a_caiano,_scalone_di_Bianca_Cappello.jpg



そして「暖炉の部屋」の暖炉。

11-Villa_di_poggio,_appartamenti_di_bianca_cappello,_sala_del_camino,_tel,_02.jpg

日本からの天正少年使節が1585年にフィレンツェを訪問した時には、
フランチェスコ1世が大舞踏会を開き持て成したそうで、豊満なビアンカが
伊藤マンチョと踊った、というのを読み、こちらも楽しくなりましたっけ。



庭園は最初は特別の物ではなかったようですが、こちらは後に設けられた
レモン園の建物と。

Villa_Medicea_058.jpg



最後は、入り口の古典的スタイルのタンパン部、そしてその下のフレージョ・
軒下の帯飾り、青白緑のデッラ・ロッビア製テッラコッタが良く見える写真を。

VILLA_MEDICEA_Poggio_a_Caiano_GF.jpg


見学についてのご案内。

Villa Medicea di Poggio a Caiano e Museo della Natura Morta
住所: Piazza de' Medici 14, 59016 Poggio a Caiano (PO)
Tel.  +39 055877012

開館: 毎日  
休館日: 月の第2、第3月曜 元旦、5月1日、クリスマス
時間: 8時15分~16時半 1月 2月 11月 12月
    8時15分~17時半 3月 夏時間になると18時半まで
    8時15分~18時半 4月 5月 9月
    8時15分~19時半 6月 7月 8月
    8時15分~18時半 10月 冬時間になると17時半

館内見学、 歴史的アッパルタメントは  8時半から 毎時
      静物画博物館は 9時から 毎時  13時の訪問は無し
      管理人が付き添います。

      静物画博物館の方は要予約  
      Tel. +39 055877012 に開館時間内にか、
      villapoggioacaiano@beniculturali.it に。

入館料  無料
ヴィッラの中に、軽食ポイントあり。

行き方: 電車でプラート迄、そしてバスの CAP Lam 青の
     ポッジョ・ア・カイアーノ行きで。

     またはフィレンツェ駅横のサンタ・マリーア・ノヴェッラ近くのバス駅から
     COPIT か CAPの 51番で。

という事で、ロレンツォ・ディ・メディチの面影を偲び、フランチェスコとビアンカの
ロマンチックで、ちょっと可哀そうでもあるロマンスも思い出してのビッラ訪問、
フィレンツエ観光から一歩足を延ばしてどうぞ!!

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・ トスカーナ州 7つの世界遺産登録地を、改めてご案内

「トスカーナ」という言葉の響きを聞いた時、あなたは何を思い浮かべます?

フィレンツェのあの素晴らしいドゥオーモを始めとする建物と街並み?
ウッフィッツィ美術館の見事な絵画作品やアッカデミア美術館のダヴィデ像?
ビステッカ・フィオレンティーナの大きくて、美味しいやつ?
それともシエナの街並みとパリオ? それともヴァル・ドルチャの波打つ緑の大地?
それともそれとも、サン・ジミニャーノのあの古い中世そのものの広場と小路?

そう、これらの歴史と文化芸術、そして美しい大地、美味しい土地の産物、
暗い長い中世からの決別を告げた、人間復帰のルネッサンス発祥の地、
これらがすべてトスカーナ州、なんですよね。

その土地に立ち、世界全体の遺産である美しさに触れ、更に新しく発見し、
元気を貰って戻り、生き、再び会いに行く、そんな地の一つがトスカーナ州と。

で、トスカーナ州にある世界遺産登録地は7つだそうで、・・ご存知でした?
今日はそのおさらい編をね。
     
参考にしたサイトは「Il Patrimonio UNESCO in Toscana」.

ご覧頂くのは世界遺産登録の年代順で、写真ももう一枚追加でご覧を。
懐かしく思い出される街、土地もおありでしょうし、もう一度、次回には是非!
と、どうぞ。

1. フィレンツェ・Firenze  1982年登録  ルネッサンス揺籃の地 
  トスカーナの文化的アイデンティティの基点

1-dome-6.jpg

フィレンツエは世界で最も魅力的で豊かな芸術、歴史、文化の一つである
ルネッサンス芸術発祥の地と万人が認めていますが、
レオナルド、ミケランジェロ、ジョット、ドナテッロ、ブルネレスキ等など、彼らが
14~15世紀のフィレンツェに一気に輩出したなんて、信じられないような、ですよね。

彼らを擁護する大財力がフィレンツェの街にあったからでこそで、お陰でフィレンツェの
中心街はまさに青空の下の博物館、美術館ですね。

ウッフィッツィ美術館・Galleria degli Uffizi、ヴァザーリの回廊・
Corridoio Vasariano、アッカデミア美術館・Galleria dell'Accademia、

1-venere.jpg


そしてサンタ・クローチェ教会・Snta Croce、サンタ・マリーア・デル・カルミネ教会・
Chiesa di Santa Maria del Carmine、 サンタ・マリーア・ノヴェッラ聖堂・
Basilica di Santa Maria Novella、 サン・マルコ教会・ 
Basilica di San Marco、と枚挙にいとまがなく、

シニョーリア広場・Piazza della Signoria、ロッジャ・デ・ランツィ・
Loggia dè Lanzi、ポンテ・ヴェッキオ・Ponte Vecchio、ecc ecc.

フィレンツエの街が抱える芸術を良く識り評価するには、一生では足らないけれど、
フィレンツェに恋をするには、最初の出合いの5分間で十分!


オルサンミケーレ教会 ・ フィレンツェ
http://www.italiashiho.site/archives/20171007-1.html

フィレンツェの眺め ・ クーポラの上から
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466189390.html

クーポラ登頂と、建設のあれこれ ・ フィレンツェのドゥオーモ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466188299.html

フィレンツェのドゥオーモ ・ 朝の眺めと内部
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466187830.html

サン・ジョヴァンニ礼拝堂 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466187077.html

花のサンタ・マリーア大聖堂 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466186883.html

ヴェッキオ橋 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464157105.html

メディチ・リッカルディ宮 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464156876.html

サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464150189.html

n.1 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html

n.2 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html



2. ピサ・Pisa  1987年登録  ミラーコリ広場の純白の素晴らしさ

2-campo-dei-miracoli-pisa.jpg

ピサのミラーコリ広場・Piazzo dei Miracliには、11世紀に建設が始まった
ピサ・ロマネスク様式の素晴らしい典型とされるドゥオーモ・Duomoと洗礼堂・
Battistero、そして鐘楼・Campanile、カンポサント・Camposantoがあり、

それこそ世界的に有名な斜塔・Torre Pendente、13~14世紀、が登録対象。

斜塔は建設が始まった当時から傾きが始まったという記録もあり、長年の修復工事
を経て、現在は何百万の観光客が押し寄せているそうで。

2-CampodeiMiracoliPisa_edit.jpg

shinkaiはウン十年前に訪問したままで、斜塔に上った時の印象、カンポ・サントの
回廊の素晴らしい壁画など、しっかり覚えていますが・・、
最近とみに再訪したい気が! 



3. サン・ジミニャーノ・San Gimignano  1990年登録  中世の塔の数々

3-torri-arghindelli.jpg

サン・ジミニャーノの町は小さくて独自で、美しい周囲の風景の中にトスカーナの
エッセンスみたいに、中世の町の中に閉じこもっている様な。

確かに町の歴史を見ると、繁栄から取り残された事が、中世のままの姿で残った原因
という事のようで。

素朴でエレガントで、かっては72あった塔のうち現在残るのは13で、周辺から見る
その姿は世界で唯一の物。

そしてこのサン・ジミニャーノの有名なワイン、ヴェルナッチャ・Vernacciaも、
メイド・イン・トスカニーとして世界に知られている物の一つ!

3-san-gimignano-wine-tour.jpg


聖女フィーナと、収穫のお祭り ・ サン・ジミニャーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467078290.html

美しき塔の町 サン・ジミニャーノ ・ 塔の上から、そして
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467078009.html

サン・ジミニャーノの朝 ・ 雲海の朝焼け
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466797663.html



4. シエナ・Siena  1995年登録   La Bella・美しき街

4-siena-palazzo-pubblico-pan.jpg

パリオ・Palioの街として有名で、毎夏2度の競馬がカンポ広場で開催されるが、
何世紀も続く昔からの伝統行事で、街の特徴を形作る事に貢献していると思われる。

シエナの街は中世イタリアの、ゴシック建築の素晴らしい一例であり、
カンポ広場・Piazza Campoは扇形に広がり、トスカーナの著名な芸術家たちの
作品を収めるドゥオーモと共に、街の最高の素晴らしさを誇っている。

4-libreria-piccolomini-duomo-siena.jpg


いやぁ、昨年春に久し振りにシエナの街を訪問し、市博物館を訪問した時の
第一印象が、えっ、シエナって、こんなにゴシックづくめだったっけ?!と。
他のあちこちを見た後の目には、ゴテゴテのゴシックの街に見えたのですね、
いぇ、これは嫌いで言っているのではなく、大好きです!

ルネッサンス前期のシエナ派の素晴らしい作品は、ピナコテーカ・ナツィオナーレ・
ディ・シエナ・Pinacoteca Nazionale di Sienaに。


「天国の門」 ・ シエナのドゥオーモ
http://www.italiashiho.site/archives/20180716-1.html

シエナのドゥオーモ博物館 と ファッチャトーネの上から
http://www.italiashiho.site/archives/20180711-1.html

シエナの朝  カンポ広場からサン・ドメニコ聖堂へ
http://www.italiashiho.site/archives/20180701-1.html

シエナ点描  小路と、黄昏どき
http://www.italiashiho.site/archives/20180626-1.html


n.1 シエナのパリオ ・ 2008.7.2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466779099.html

n.2 シエナのパリオ ・ 2008.7.2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466779309.html

n.3 シエナのパリオ ・ 2008.7.2          
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466784900.html



5. ピエンツァ・Pienza  1996年  人間の大きさにあった理想の町

5-pienza-skyline-duomo.jpg

幾つかの著名なワインの葡萄畑の中を行く、快い、波状にうねる丘の中に位置する
ピエンツァの町。
15世紀の偉大な学者であり、知識人であった教皇ピオ2世が、自分の生地に造った
「最初の、人間の大きさにあった理想の町」ピエンツァ。

1459年に建設の、教皇の夏の館であるピッコローミニ邸・Palazzo Piccolomini
があり、高台から眺めるオルチャの谷の美しさ!

ピッコローミニ邸に隣接のドゥオーモ、そしてその隣のボルジャ邸・Palazzo Borgia
等の旧市街の中心がユネスコの登録対象となったもので、
多分教皇の死により、町の改革は途絶えたものとみられるものの、
東西に広がる小さな素朴な町の美しさも、素晴らしい居心地の良さ。

土地の産である豚肉製品やチーズは素晴らしく美味しく、世界に知られている!

5-pienza.jpg


映画「グラディエイター」の道
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20180302-1.html

樹齢370年の大きな樫の木  オルチャの谷ピエンツァ
http://www.italiashiho.site/archives/20180606-1.html

花のピエンツァ点描 ・ 再訪できた喜び!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461453714.html

ピエンツァ ・ ピオ2世の夢の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461278750.html



6. ヴァル・ドルチャ・Val d"Orcia  2004年  トスカーナの絵葉書

6-landscape-9.jpg

トスカーナ州の南に位置するこの一帯の風景の美しさは、トスカーナ風景として
一番絵葉書に溢れていいて、地平線に広がる甘美な丘のうねる風景で、
色は黄土色か緑で、
そう、まさにこのヴァル・ドルチャの風景で、その点景として長く細い糸杉が見られる。

東のピエンツァ、サン・クイリコ・ドルチャ、西に位置するモンタルチーノの町が
一番有名で、ワインの産地でもあり、チーズ、豚肉製品、蜂蜜など土地の伝統産は
メイド・イン・トスカニーで世界にも大変有名。

6-valdorcia-cypresses-flowers.jpg


オルチャの谷は サン・クイリコ・ドルチャの宿の窓から
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20180601-1.html

n.1 サン・クイリコ・ドルチャ 再訪 ・ 中世街道の主要地点
http://www.italiashiho.site/article/468352658.html

n.2 サン・クイリコ・ドルチャ 再訪 ・ 中世街道の主要地点
http://www.italiashiho.site/article/468494561.html

オルチャの谷を南に、そして古い巡礼道ヴィア・フランチェージナと会う
http://www.italiashiho.site/archives/20180616-1.html

オルチャの谷風景 ・ 緑の大地が恋しくて
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462560072.html

オルチャの谷の春 ・ 糸杉の林あれこれ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462396257.html

モンタルチーノ ・ 歴史と、ブルネッロ・ワインと
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461362974.html

サン・クイリコ・ドルチャ ・ 中世街道の分岐点
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279240.html



7. メディチ家のヴィッレ・別荘と庭園・Le ville e giardini Medicee
  12のヴィッラと2つの庭園が、2013年に遺産登録されたもの。

7-villa-la-petraia-view.jpg

ヴィッラ・ディ・カファッジョーロ・Villa di Cafaggiolo
ヴィッラ・デル・トゥレッビオ・Villa del Trebbio
ヴィッラ・ディ・カレッジ・Villa di Careggi
ヴィッラ・メディチ・ディ・フィエーゾレ・Villa Medici di Fiesole
ヴィッラ・ディ・カステッロ・Villa di Castello
ヴィッラ・ディ・ポッジョ・ア・カイアーノ・Villa di Poggio a Caiano
ヴィッラ・ディ・;ラ・ペトゥライア・Villa di La Petraia
ヴィッラ・ディ・チェレット・グイディ・Villa di Cerreto Guidi
パラッツォ・ディ・セラヴェッツァ・Palazzo di Saravezza
ヴィッラ・ラ・マジーア・Villa La Magia
ヴィッラ・ディ・アルティミーノ・Villa di Artimino
ヴィッラ・ディ・ポッジョ・インペリアーレ・Villa di Poggio Imperiale

ジャルディーノ・ディ・ボーボリ・Giardino di Boboli
ジャルディーノ・ディ・プラトリーノ・Giardino di Pratolino

7-boboli-3.jpg

7-villa-poggio a caiano4.jpg

この地で、バッカスの腕に抱かれ、丘の柔らかな風景の中で心地良い眠りに包まれる、


という事で、トスカーナ州の7つの世界遺産登録ご案内はお終いです。

名前だけ知っているヴィッラもありますが、shinkaiはボーボリ庭園も行った事なし!
で、今回の発見を機に、メディチ家のヴィッラのご案内も考えてみますね。

トルカーナ州の素晴らしさは、決してこれでお終いではなく、
勿論我々の旅もずっと続いて、続いて、続いて・・。


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・ ストリート・アート ・ 世界の街角を彩る、見事なアート10点

今日ご覧頂くのは、タイトル通り、まさに仰天のストリート・アートの写真を。

ほら、ストリート・アートというと、どこか都会の道路上で画学生等がちょっと腕前を
ご披露し、お布施を頂くのにチョークで絵を描いたり、を想像しますが、

今回ご覧頂くのは、プロがきっちりと取り組んだ、見事な仕上がりの作品です!
参考サイトは「10 IMMAGINI INCREDIBILI DI STREET ART (PRIMA E DOPO)
DA RIMANERE SBALORDITI!」

実際shinkaiも見て、わぉ!と驚いたもので、単なるストリート・アートというよりは
サイトにある様に「都市芸術」と呼ぶのが正しいと思う作品類。

一般にはスプレー缶の色を使ったりで、最初はストリート・アートから始まったのが、
ウェヴ上で有名になった芸術家も多く、ギャラリーでも高額で取引される世界的な人達
Bansky, Obey, Haring, Bluもいるのだそうで。

今回は、とりわけ大都市に多いグレイの壁、放棄されたままの家、コンクリート建ての
素っ気ない建物、離れた公園、手入れのされない小路等など、

そこに彩と明るさ、暖かさを与え蘇った感のある様子を、使用前、使用後で、はは、
ご覧頂きますね。 どうぞ!

1. アテネ・ギリシャ ・ Atene Grecia

街角の小さな放棄されたままだった家が、

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すぐ近くから見つめる華麗な梟に変身!

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2. モンペリエ・フランス ・ Montpellier Francia
モンペリエはフランス南部のスペイン国境にも近い、中世からの学園都市。

素っ気ないコンドミーニオの壁に、

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トランプルイユ・騙し絵的な手法で描かれたもの。

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右端には、鳩の巣の塔まで描かれ、それぞれの窓の住人が暖かさを添えますね。



3. ポズナン・ポーランド ・ Poznan Polonia
ポーランド西部の最古の都市の一つ、中世ポーランド王国の首都でもあった街と。

ほら、こんなに何という事のない普通の建物の壁が、

3-street-art-3.jpg



なんと、3Dの驚きの壁に! どこでどうなっているの、実際の家は?!

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4. ル・ピュイ=アン=ヴレ・フランス ・ Le Puy en Velay Francia
フランス南部に近く、オート=ロワール県の南から北に流れるロワール川上流にある街。

古いグレイの汚れたままだった壁が、

4-s.jpg



わぉ! 旗と祝宴のテーブルに彩られた、祭りの小路に変身! 

4.jpg

この遠近描写も凄いなぁ!!



5. ブリーヴ=シャランサック・フランス ・ Brives Charensac Francia
上と同じオート=ロワール県にあり、Brivesは橋を意味するそうで、
ガロ=ローマ期の最古のシャルトルーズ橋は完全に現存しているそう!

脱線しますが、見つけて来ました。 

5-Brives-Charensac_(Haute-Loire,_Fr),_vieux_pont_sur_la_Loire.jpg



と、中世に架けられた橋はアーチが2つ現存、というのがこちらと。

5-Panorama_de_deux_pont_a_brives-charensac.jpg



で本題に戻り、  眺めたくもない壁が、

5-street-art-5.jpg



かってのロアール河の眺めが奥に見える小路に。 信じられない! 

5.jpg

こういう変身は、詩情も誘いますねぇ、素敵。



6. ベルリン・ドイツ ・ Berlino, Germania

14階建ての建物の、この巨大な壁面が、

6-incredibile-disegno-street-art.jpg



巨大な、胸毛にはあれこれ描き込まれた、青い鳥に変身! 

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7. パルミタス・メキシコ ・ Palmitas, Messico

7-street-art-7.jpg


Pachuca・パチューカという街の一番の貧困地区の一つであるパルミタスの変身で、
2015年にジャーマン・クリュー・German Crewというグループ、いずれも
13年以上のグラフィティの経験を持つ若者集団が、
2ケ月以上をかけ、209軒に及ぶ家を、2000リットルを超すペンキで塗り上げた物で、

お見事の一言!!

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横とか小路はどうなっているんだろう、というshinkaiの見つけた詳細写真もどうぞ。

7-gettyimages-483321360.jpg

7-gettyimages-483325430.jpg

7-gettyimages-483321362.jpg



8. ブリストル・イギリス ・ Bristol, Regno Unito
ブリストルはイギリス西部の港湾都市で、ロンドンから169kの距離と。

貴方の宿は少し印象が退屈?

8-street-art-8.jpg



これなら、顧客もスタイルに魅かれ、お泊りになりますよ。  

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既に夜空だもんね。



9. グラスゴー・スコットランド ・ Glasgow, Scozia
グラスゴーはスコットランド南西部に位置し、イギリス全体では4位、
スコットランドでは最大の人口の街。

この場合、リアリズムの手法で描かれ、

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裸の壁が、完璧な絵、人目を引く写真、となった。   

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小鳥は、ペッティ・ロッシ・胸赤・ヨーロッパ・コマドリ。



10. ブダペスト・ハンガリー ・ Budapest, Ungheria
ハンガリーの首都ブダペスト。

子供の遊び場公園には、少し寂しいね。

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ファンタジー溢れるこのアートで、今は緑に囲まれ、湖面もある彩豊かなものに!

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これは何度も上下の写真を見比べ、絵の中の水面や地面の高さと、
実際との確認をしたほどで。

今回は上で何度も3D的発想にも驚き魅せられ、またそのイメージの豊かさにも
感嘆しましたが、あれこれ眺めて楽しくなりました。

個人的に気に入ったのは、1.のアテネ、 2.のモンペリエ、 3.のポズナン、
4.のル・ピュイ=アン=ヴレ、 5.ブリーヴ=シャランサック、 7.パルミタス、
10.のブダペスト ですが、 皆さんは? 楽しんで頂けました様に!

これほど質の高い作品は、やはり一度実際に見て見たいものですねぇ。


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・ n.2 サン・クイリコ・ドルチャ 再訪 ・ 中世街道の主要地点

先回に続き、トスカーナはローマに至る街道筋の主要地点であった
サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orciaのご案内を。

町中を通り抜ける現在のダンテ・アリギエーリ通りは、かってイギリスの
カンタベリーからローマに至る大巡礼道のヴィア・フランチージェナ・
Via Francigenaが通りましたが、

今日はその通りの北の端近くにあるパラッツォ・キージ・Chigi邸のご案内から。

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ご覧の様に、古い中世の町中にあってちょっと場違いな印象も受ける建物ですが、
第2次大戦時に爆撃を受け、長い15年の年月をかけて修復された後現在は市役所と
なっている物で、17世紀のバロック様式の由緒ある物。内部見学できます。



建設注文主は枢機卿フラービオ・キージ・Flabio Chigi(1631-1693)この方。

1-2-Cardinal_Flavio_Chigi_by_Jacob_Ferdinand_Voet.jpg

教皇アレッサンドロ7世(1599-1667 237代教皇就任1655-)の甥にあたり、
叔父さんのファビオ・キージが教皇になった翌年宗教界に、その翌1657年には
枢機卿にという方で、36年間の枢機卿在任の間に5回のコンクラーヴェ・
新教皇を選ぶ選挙に参加したものの教皇にはなれず。

常に「カルディナル・ネポーテ・Cardinal nepote」と呼ばれた方だそうで。
「ネポーテ・ニポーテ・甥」に関わらず、教皇が一族の身内を引き立てる事を
ネポティズモと呼びますが、どうやら彼もそういった一人であったのかもですね。


キージ・Chigiという姓はシエナ出身の貴族で、15~16世紀にかけての大銀行家、
実業家でもあったアゴスティーノ・キージ・Agostinoが大変有名ですが、

現在ローマに残るヴィッラ・ファルネジーナ・Villa Farnesina、
後に偉大なる枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼによって買い取られ、
ファルネジーナの名で呼ばれる豪華な大邸宅、現在アッカデミア・デイ・リンチェイ、
と呼ばれる建物は、元々アゴスティーノ・キージが建てたもので、
当時はヴィッラ・キージと呼ばれ、 また絶世の美女インペリアとの関係が有名で。

実業家としては、羊毛の染色に必要な明礬鉱を発見した事が、それ迄は
明礬は輸入に頼っていたのが地元産が使えるようになり、これが
フィレンツェの羊毛産業の発展に大きな貢献をした事が挙げられる、
そのキージの一族、という事になります。

アレッサンドロ・ファルネーゼの n.1 ファルネーゼ邸 カプラローラ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467879883.html

n.2 ファルネーゼ邸 カプラローラ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467880189.html

n.3 ファルネーゼ邸 カプラローラ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467880454.html



で、サイトで見つけた記事「サン・クイリコ・ドルチャ、封土のリサーチ・枢機卿
フラーヴィオ・キージ、教皇になるのを夢見て」を読んでいて、
彼自身についてよりも周辺事情があれこれ分かり、ちょっと興味深かったのでそれを。

フラービオ・キージ枢機卿、キージ家が1677年にサン・クイリコ・ドルチャと
バーニョ・ヴィニョーニの土地と侯爵位を、メディチ家のコジモ3世から拝領し、
サン・クイリコを大巡礼道ヴィア・フランチージェナを通る事からも、
ここに大きな屋敷を作ることを思いつき、

なぜならローマへの巡礼道は単に貧しい庶民の巡礼が通るだけでなく、
大公、貴族も通る道だからで、豪華な貴族的ご接待は喜ばれると同時に
次の交際発展にも繋がりますものね!

最初はホルティ・レオニーニの庭園内に造る案もあった様ですが、
広い土地が取れず、現在の位置に落ち着いたのだそう。

と、現在ホルティ・レオニーニの中央にあるコジモ3世メディチの彫像は、元々は
パラッツォ・キージにあったものなのだそうで、はい、感謝のヨイショね。

建設は1679年に始まり、ローマから設計のカルロ・フォンターナ・Carlo Fontana
が呼ばれ、フレスコ画装飾などにも画家のチームがローマからと。

サイトで見つけた内部の礼拝堂と、廊下の装飾を。

1-3-cappella palazzo chigi.jpg

1-4-Palazzo_Chigi_Zondadari_(San_Quirico_d’Orcia)_Interno_10.jpg

サイトで読んだ枢機卿のお好みは、壁の色は朱色、これは枢機卿の衣の色で、
カーテンは深紅、フレスコ画のモチーフは12星座と神話から、銀とルビー色の
なめし革で覆われた壁等とありましたが、なめし革の壁、はあり得たかもで、
オリジナルが残っていたらねぇ!

トゥレヴィーゾの銀行内に見た革細工の部屋を。
モンテ・ディ・ピエタ(公営質店)と、革装飾の部屋
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465575896.html


このパラッツォ・キージから東南の方に小路を入って行くと、かっての町の城壁、
町の門がそのまま残っている様子も見る事が出来ます。 古いご案内で。
サン・クイリコ・ドルチャ ・ 中世街道の分岐点
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279240.html



少し長い脱線となりましたが、はい、小さなほじくりゴシップ大好きshinkaiで、はは、

さてすぐお隣にある教会コレッジャータ・collegiata、聖堂ではない物の、
それに続く位の教会で、正式にはコレッジャータ・デイ・サンティ・クイリコ・
エ・ジュリエッタ・dei Santi Quirico e Giulietta. 

1-5-S22_2734_GF.jpg

この姿はかっての巡礼道に向いた教会脇側で、入り口扉が2か所ありますが、
これはいずれも13世紀後半に行われた増改築の際に造られたもの。

元々は8世紀に遡る洗礼堂の後に建設されたピエーヴェ・Pieve・教区教会で、
現在見る姿は12世紀末の物で、一番古い壁は多分北に向かっている正面壁と
大きな入り口であろうと。

ピエーヴェ教会からコレッジャータに昇格になったのは1644年と。

で、こちら側は13世紀後半に増改築された時の物で、入口扉はジョヴァンニ・ピサーノ・
Giovanni Pisanoの作という事で、ちょうど当時シエナのドゥオーモ建設中だったそう。



この扉は手前側、つまり翼側に少し飛び出した所の扉で、

2-S22_2739_GF.jpg



その奥、内廊への大きな扉の右手にある、shinkaiの好きな装飾。

3-S22_2742_GF.jpg



窓の上の動物たちと、

4-S22_2743_GF.jpg



この、なんとも良い笑顔の男。 背負わされている柱の重みなんてへっちゃらさ。

5-S22_2744_GF.jpg



こちらが大きな素晴らしい脇扉で、

6-S22_2745_GF.jpg



彫りも繊細な美しい物。

7-S22_2749_GF.jpg



柱を支える下のライオン君と、上の左右2体の像。 こちら側の扉はいずれも
現在は閉じられていて。

8-S22_2750_GF.jpg



こちらが12世紀に建設のオリジナルであろうという、北に向いた正面壁。
前夜大雨の後の曇り空だったのが少し残念な写真ですが、まだ閉まっていて。

9-S22_2751_GF.jpg



薔薇窓の下が少し削られ入口のアーチになっているのが、計算違いだったのか、
単純に改築だったのか、疑問ですね、はは。

10-S22_2755_GF.jpg



脇の入り口のライオン像、左右の男性像2体、そしてこの左右のライオン像、
背の上に乗る結んだ柱の色、壁に使った白い石と色が違うのが、少し疑問でもあり。

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いつも見て、これ可愛いなぁと思うのが、向かい合った2匹の鰐で、その上の小さな
サン・クイリコ、町の名にも冠されている聖人の姿も。

12-S22_2753_GF.jpg



撮って来た写真を見ていて改めて気が付いた周囲の装飾の面白さ、素晴らしさで、
脇の円柱の柱頭飾りを大きく切り取ってみましたので、どうぞ。

中世風の顔や、植物、また逆に動物や鳥が向き合っている姿で、向かって左側。

13-S22_2753_01_GF.jpg



そして入口の柱の厚みの部分には。

14-O05_1817_01_GF.jpg



こちらは向かって右側。 この2枚は以前撮っていた物で、扉も開いておりました。

15-O05_1818_01_GF.jpg



向かって右の柱頭飾り部。 右端の女の顔、上の向かい合う動物たち、
そして鰐の尾の上に、向かい合う人魚の姿、可愛いでしょう?!

16-1-S22_2753_02_GF.jpg



以前訪問した時は扉が開いていて入ったのですが、写真禁止とあり、かなりな人で、
内陣部分までも進まずさっと出て来たので、これはサイトで見つけた写真を。

16-2-san quirico.jpg



所でウィキの説明では、正面祭壇の左側にあるというこの14世紀の祭壇画が
とても素晴らしいので、どうぞ。

16-3-sPolittico_di_Sano_di_Pietro.jpg

サーノ・ディ・ピエトロ・Sano di Pietro(1406-1481)というシエナ派の画家、
細密画家の作。 20世紀の初め、多くの画家の中でも彼の作品が世界的に
骨董収集家の中で欲しがられた、という画家だそう!

う~ん、何度か行って慣れてしまい、その目で見てない自分が悔しい、アホが!


所でこの祭壇画にもサン・クイリコが描かれているそうですが、どの方か分からず、
今回初めて、聖クイリコってどんな方?と調べました。

サン・クイリコ・Quirico、304年に殉教されたという、半ば伝説的でもあり、また
東方においても有名な方なのだそうで、その謂れとなると、
コレッジャータに冠された名の、サン・クイリコとジュリエッタの
ジュリエッタというのは彼の母親の名で、

ジュリエッタは由緒ある家柄の出の裕福な寡婦で、現在はトルコのイコーニオ・
Iconioに住んでいたのが、当時治世に当たっていたローマ皇帝ディオクレティアヌス・
Dioclezianoのキリスト教徒迫害で、キリスト教徒になっていた彼女は危機を悟り、
家財産を捨て、3歳の息子クイリコと女召使2人を連れて逃げ出します。

が、タルソ・Tarsoという町で発見され捕まり、転宗を迫られ、拷問を受けるものの
受けつけず、総督の前に連れ出され、棒叩きの拷問に遭うも揺らがず、
それどころか総督の膝の上にいた息子クイリコに、私もキリスト教徒だ!と言う様にと。

この言葉を聞いた総督は年少の子供を裁判所の階段に投げつけ、頭を打ち死亡と
なりますが、母親は動じず、逆に、神の栄光に先んじた感謝の祈りを捧げたため、
遂に斬首刑に、という母子の殉死の様子。

生き残った召使の1人が2人の亡骸を隠し、後年キリスト教が国教となった時に
逸話を明らかにしたというお話ですが、
ふ~む、なんとも凄い母親というか、信仰心というか・・!

という様な事を知ると、コレッジャータの北正面の扉上の、
小さなサン・クイリコ像の謂れも分かる様な気がしますし、
祭壇画の下に小さく描かれたのが、サン・クイリコの姿なのかとも。



町の北入り口から眺めるコレッジャータ。 そう、町の入り口から見えるのです。
北からはるばるやって来た巡礼たちが町に辿り着いた時にすぐ見える、という図。
感慨は一際の物だったでしょうね。

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壁に書かれた「SAN QUIRICO D’ORCIA」の文字は以前は自然に薄くなった
趣深い物だったのが、きっちりと塗り直され逆に味気ないものに、ははは。



手前脇に猫ちゃんがきちんとお座りしていて、おお、良い子だねぇ、目を開けてやぁ、

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あ~ん、あんたぁ、その目はダメよぉ! 恨めし気やんかぁ、なんぞとやっていると、

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奥からご出勤の車がやって来て、ひらっと行ってしまいましたぁ。



教会前に戻って来た時、一瞬射しこんだ朝の光。

21-S22_2766_GF.jpg



そんなこんなでダンテ・アリギエーリ通りを戻り、最初の
サンタ・マリーア・アッスンタ教会にまで戻りますが、

22-S22_2767_GF.jpg



この教会斜め前に「オスペダーレ・デッラ・スカーラ・Ospedale della Scala」
13世紀が残っていて、

23-S22_2768_GF.jpg

オスペダーレ・デッラ・スカーラというのは、シエナのドゥオーモの真ん前にある
古くからの巨大な病院で、現在は博物館となっている、かっては広大な領土を持つ
封建領主同様の存在だったのですね。



入口のアーチをくぐった所に内庭があり、手前に16世紀と彫られた井戸、
向かい正面の建物には左脇からの階段があり、

24-S22_2769_GF.jpg

 

こちらが東側、上のロッジャに続く階段があり、

25-S22_2772_GF.jpg

以前は閉まっていた階段下奥が整備され、この区域ボルゴ・Borgoの事務所か
集会所になった様子。



こちらが上のロッジャに続く階段ですが、

27-S22_2774_GF.jpg

以前来た時にも上って覗いてみたいと思いつつ、私有地・PPの標識があるのと、
上に洗濯物が干されているのが見えたりで、いつも断念、残念。
イタリアのサイトを見ても、いつもこの内庭のみの写真なのですね。



井戸のある背後にはこんな風に階段が付き、後ろのアーチ、多分納屋だったろう、
と思われる部分の壁が塞がれていますが、

28-S22_2771_GF.jpg



今回こんな写真を見つけました。 トーリング・クラブ・イタリアーナの名が入り、
いつの年代か分かりませんが、ほら、井戸のすぐ後ろの階段がないでしょう?

29-s58539_ca_object_representations_media_4306_page.jpg

きっとアーチの壁を塞ぎ、道路側からの店か何かに改装し、上の住宅用に階段を、
という事なのでしょうね。



以前見た説明板を写しているのを再度読んでみると、

シエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院のグランチャ・Granciaであると
同時に、サン・クイリコの主要な病院施設でもあり、
オスピーツィオ・Ospizio・徒歩旅行者の接待収容、病人、貧者の世話の
古くからのグランチャの建物が壁となり、大きな内庭、井戸、他の建物類、
そして2階に大きな梁の渡ったロッジャート・Loggiato、長い回廊がある、と。

そうなんだ、やはり今目の前に見えるだけの単なるスぺダレット・Spedaletto、
徒歩旅行者達の世話をするだけでなく、
オスペダーレ・病院で、グランチャでもあったんだと。



グランチャというのは病院が持つ広大な領地の管理をし、その収穫物などを
収める蔵も持つ、要塞を兼ねた大きな建物であるので、

きっと内庭を囲む周囲の建物はかって管理下にあった建物で、2階のあのロッジャ
だけでは無い筈、と思い、グーグルの衛星地図を調べました。

30-ssan quirico ospedale1.jpg

斜め向かいにサンタ・マリーア・アッスンタ教会があり、道に赤い印をつけた所が
アーチをくぐる入口で、内庭の向かい側の建物の屋根が背後に続く大きな物で、
その後ろには庭園も見えますね。
なので内庭の右側からの建物が奥に続き、庭園を囲む一帯がグランチャを成すもの、
だったのだろうと納得しました。


色々検索を掛けましたが余り資料が見つからずで、次回に訪問チャンスがあったら
土地の本屋さんで探してみる手もあるなぁ、と。

グランチャの大きさ、内容については。 狙いたがわず! モンティージの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461831429.html

トスカーナで見た病院・荘園・要塞跡
http://italiashinkai.seesaa.net/article/459842925.html

古い公証人書類に残るグランチャの僧侶の姿。ファブリアーノ・イタリアの紙の郷
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029550.html



こちらがダンテ・アリギエーリ通り、かってのヴィア・フランチージェナからの、
古い病院跡への入口アーチ。

31-S22_2783_GF.jpg



最後にもう一度町の地図を載せまして、

32-San-Quirico-Map.mediumthumb.jpg

という様な、サン・クイリコ・ドルチャの再訪記、今は一見半分眠っている様な
古い田舎町に見えるのですが、その実は奥深い様々な歴史を持ち、
繁栄した町だったのを知りますね。

オルチャの谷訪問にお出かけの時は、少しお時間を取ってご訪問下さいね。

今日の分家・絵のブログには、サン・クイリコの町のレストランご案内を。


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記録庫ブログには、 ドロミーティに 7記事 を
アップしています。

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色鉛筆+水彩画ブログには、
トスカーナの朝霧風景手直しと、サン・クイリコ・ドルチャの最良レストラン10店 を
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