・コロナヴィールス ・ n.3 パオロ・ウッチェッロ「サン・ロマーノの戦闘図」  周辺あれこれ

◆ 3月13日 朝のニュース ◆

まずは現在のイタリアのコロナヴィールスについての様子を
お知らせしますが、相変わらず感染者、志望者共に増加で、
入院、集中治療室におられる方が7000人を超える状態だそう。

お医者さん、看護婦さんからも50人ほど感染者が出ているそうで、
対応されている医療関係の方は本当に大変だろうと、感謝を!

昨日迄の感染者 15113人 +2651人  死者 1016人 +199人 
治癒された方 1258人 +213人

フランス、ベルギーでも学校閉鎖が始まったそうで、全ヨーロッパが
何とも大変な事になりそうな様子です。

次回のブログアップの際に、また様子をお知らせいたしますね。

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◆ スマホで訪問して下さる皆さんにお願いを。

スマホ画面で見て頂くと、少し不都合が起こる場合もある様ですので、
一旦画面の下までスクロールし、PC版を見る、をクリックして頂けると、
ちゃんと見て頂けると思いますし、宣伝も少なくご覧頂けすので、
宜しくお願い致しま~す。

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さてパオロ・ウッチェッロの著名大作、板絵テンペラ画3連作の
サン・ロマーノの戦闘図」ですが、今日は真ん中部分、

フィレンツエ・ウッフィッツィ美術館収蔵の美しい、闘いの真最中の場面
「ベルナルディーノ・デッラ・カルダの落馬」を。

1-Cattura.jpg

この部分は2008年から4年の歳月をかけて修復され、色が明るくなり、
白馬の肌も見事に白く蘇って、現在ウフィッツィに展示されている様子。



ベルナルディーノ・デッラ・カルダ・Bernardino della Carda、
またはベルナルディーノ・ウバルディーニ・デッラ・カルダとも記される、
(1389-1437) ウンブリアからマルケにかけての一族出身で、
彼はグッビオ生まれの傭兵隊長。

その類まれな勇気からフィレンツエ共和国から
「マニーフィコ・偉大なる男」のニックネームを貰ったほどの男。
この1432年6月1日のサン・ロマーノの戦いの時は43歳、

シエナ、ミラノ側のルッカ共和国軍の隊長ですが、
顔が見つからないので、せめても彼の紋章を。

2-Coa_fam_ITA_ubaldini8.jpg



ウッチェッロ描く場面は、左からニコロ・ダ・トレンティーノ率いる
フィレンツェ勢が押し寄せ、騎士が付き出す黒い槍に、

3-Cattura (3).jpg

右側で応戦するルッカ勢の、白馬に跨るベルナルディーノ・デッラ・カルダが
槍を受けてのけぞり、落馬する寸前の姿。



グッと鐙に足を踏ん張り、のけぞっているのは分かるのですが、
彼の頭がどこにあるのか見極めにくく、良く見えるのを探しました。

4-1506346462379635-paolo-uccello-san-romano-anteprima.jpg

これだと分かりますね。 槍を右のお腹下に受け、左手は馬の手綱を握り、
右手は武器を手放し指を広げていて、頭は左手、肩と辿って見て下さいね、
ほぼ馬の尻尾の付け根の近い位置に、のけぞった兜の頭頂が丸く見え、
目の穴、鼻筋が見えます。

背後には、前面で戦う騎乗の騎士ではなく、歩兵の戦う姿や、
ウッチェッロが好んで描いた、円筒形の柄模様の帽子や、
画面上部、槍が立ち並ぶ左奥には、引き揚げて行く騎士たちの後姿も。

で、白馬の手前には別の馬と騎士が倒れているのも見え、



この騎士は完全に胸に槍を受けている様に見え、青い馬体にも驚きで、

5-uccello-battaglia-san-romano-uffizi.jpg



画面右側には、大将の落馬に驚き、浮足立って引き上げ始めるルッカ勢が。

6-Paolo_Uccello_-_Bernardino_della_Ciarda_Thrown_Off_His_Horse_.jpg

shinkaiは初めてウフィッツィ美術館を訪問した36年前、きゃはは、
今でも大変印象に残っている絵がたくさんありますが、
このウッチェッロの絵では、この真ん中にお尻の見える、後ろ足を蹴上げた
ピンクの馬に驚き、あっけにとられたのをよく覚えています。
わぁ~お、ピンクの馬だよ!と、ははは。

先回のニコロ・ダ・トレンティーノの突撃開始にも見えた、青光り、
緑色がかった黒馬の印象も強かったですが、ウッチェッロにとっては茶色の馬より、 
うん、この白馬2頭の間、そして手前の青い色の馬、背後の甲冑の前では
馬の色はピンクだ、という画家の考えで決めたのでしょうね。
で、これに跨っている騎士の長槍は、赤というより濃い目のピンクで、ははは。



背後の平野で、狩りをする若者たちに駆り立てられた兎や、前に逃げる兎を
追いかけるグレーハウンド犬、そのまた後ろをまるで兎が犬を追い駆ける様な、
あれこれ細部も興味深いですが、

丘の下の道を左から回り込んでいく長槍のフィレンツェ勢も見えますね。

7-unnamed (1).jpg



で、画面左下の、緑枠で囲った所、ここに

8-Cattura - Copia.jpg



長槍の折れた部分と見えるものが地面にあり、ここにパオロ・ウッチェッロの
サインが、PAVLI VGIELI OPVS と記したのがあります。

9-Cattura.jpg

真ん中の1枚にのみサインしたのかどうか、他の絵にはサインが無い様子で、
これもウッフィッツィ美術館がこの絵を手元に置きたかった理由の1つかも。

それにしても、やはりこの真ん中の1枚は構図が大きいと云うか、
緊張みなぎる、そして華麗な、3枚の内でも一番華麗な絵と思います。

私めは「落馬・ディザルチョーナメント・disarucionamento」という
難しい、はは、単語を覚えましたぁ。



この絵の主役となったベルナルディーノ・ウバルディーニ・デッラ・カルダは、
サン・ロマーノの戦いの落馬では死亡しておらず、
5年後フェッラーラの西に位置するステッラータ・Stellata、ここは
いわゆる国境で要塞があり、そこで重病を得てフェッラーラに運ばれた所で、
48歳で亡くなっています。

所で、彼が1420年31歳の時結婚した相手がアウラ・ダ・モンテフェルトゥロ・
Aura da Montefeltroとあり、 にゃに、モンテフェルトゥロ?! 
とアンテナが立ち、読みましたら、

彼女はウルビーノの伯爵グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトゥロ・
Guidantonioの庶出の娘で、
1420年15歳でベルナルディーノ・ウバルディーニと結婚、1422年6月7日に
生まれたのがフェデリーコ・Federico.

この孫に当たるフェデリーコを、2年後に父親のグイダントーニオが
教皇マルティーノ5世に頼み「自分の子」として嫡子にします。

というのもグイダントーニオはレンガルダ・マラテスタ・Rengarda Maletestaと
1397年に結婚したものの子供が生まれず、庶子の長女アウラのみだったのですね。
で、娘の産んだ子を自分の子として嫡子とし、後継ぎとした、という説を今回
見つけ読んだのでした。

このフェデリーコというのが後のウルビーノ領主2代目となり、ルネッサンス文化を
ウルビーノの宮廷に持ちこみ、名君の誉れも高いこの方、
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ。

10-sPiero,_Double_portrait_of_the_Dukes_of_Urbino_02_480.jpg

という事は、フェデリーコの実の父親は「サンロマーノの戦闘」で落馬し、
パオロ・ウッチェッロに描かれた事により後世にまで名の残る
ベルナルディーノ・ウバルディーニ・デッラ・カルダ、という事になります!

今迄はフェデリーコはグイドバルドの子で、妻のレンガルダのお付きの女性
エリザベッタ・デッリ・アッコマンドゥッチ・Elisabetta degli Accomanducci
との関係によって生まれた、というのが通説だったのですが、
新しい書類が発見されたとみえ、この2通り、というのをあちこちで読みました。


今回は取り分け、いわゆる傭兵隊長なるもの同士の横繋がりの関係が
どんどん広がるのが大変興味深く、
ついでにあれこれ読んで仕入れた、はは、お話のご披露も。

ほじくり返して出て來る古い時代のゴシップは、1行の文章から
ご本人が立ち現れてくる様な親密感も覚え、ワクワクしますものね、へへ。

グイドバルドの最初の結婚、つまりレンガルダとの27年間の結婚生活は、
宿敵関係のモンテフェルトゥロ家とリミニのマラテスタ家の繋がりを
良くする為にの政略結婚だった訳ですが、子が生まれないまま、
1423年に病弱の彼女は世を去り、
夫の婚姻外の子を育てた良き妻であった様ですが、

1424年に、彼は46歳でカテリーナ・コロンナ・Caterina Colonnaと
再婚します。 彼女の生年が分かりませんが、2人の間に6人の子が
生まれ、待望の嫡出子オッダントーニオ・Oddantonioが1427年に。

フェデリーコにとっては腹違いの弟という訳で、
オッダントーニオは父グイダントーニオの跡を継ぎ、初代ウルビーノ公になりますが、
1年も経たずに家臣の反乱の為殺害され、これは勿論だれのそそのかしか
分かりますよね、で、フェデリーコがウルビーノ公になるのですね。


私が少し笑ったのは、1424年にフェデリーコを嫡子とするのを認めた教皇
マルティーノ5世は、グイダントーニオの再婚相手カテリーナの叔父さんで、
しかも彼女は2年前の1422年にはミラノのフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ
公爵の許嫁だったというのです。
 
この辺り、グイダントーニオのお金と、教皇である叔父さんの計算が
しっかり働いている様ですねぇ、 という、脱線でした。


という所で、次回はパリのルーヴル博物館所蔵の
ウッチェッロの最後の1枚のご案内を。 お楽しみに!


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記録庫ブログには、 ポルトガル を 5記事 アップしています。
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色鉛筆+水彩画ブログには、
コロナヴィールスによる、イタリアのからっぽの広場 の様子 を
アップしています。

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    s2019誕生日 - Copia.jpg

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