・n.1 ボローニャ・チェントロ ・ 市役所見学と、マッジョーレ広場

 今回は少しドロミーティの夏山から離れ、都会の空気を吸いに!

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 ボローニャ・Bolognaには何度か出かけていて、ご案内も4度していますが、
 街の中心マッジョーレ広場の北側を占める市役所の大きな建物、
 ここの見学もしたままでご案内がまだでしたので、
 写真を整理してご覧頂く事に。

 上が市役所の建物・コムナーレ宮・Palazzo Comunaleですが、
 今こうして見えるのは全体の半分でして、この右側にもずっと続き、
 今右に見える2階部分の大きな窓、これが8つあり、
 その右にまだ別の建物が!





 そして長い建物であるのは何も正面だけではありませんで、
 こちらは市役所の西側を通るヴィア・クアットロ・ノヴェンブレ通り
 からの眺めで、
 そうなんです、如何にも中世の要塞風という西側の壁、建物が見られ、

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 通りから見る、表側の建物の角の塔の様子。 

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 通りからマッジョーレ広場に出て来てみる市役所の表側で、

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 真ん中のアーチの上にある銅像は、第226代教皇グレゴーリオ13世・
 Gregorio XIII(1502-在位1572-1585)
 グレゴリウス暦採用で知られた教皇で、ボローニャの出身なのですと。

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 左上にある15世紀後半、1478と見えますが、
 テッラコッタの聖母子像。 かっては金色と他の彩色だったと。

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 そしてコムナーレ宮の西端上に聳える時計塔ですが、

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 今回興味深い事を知りました。  これです!
 これは一見強面の木造人物像に見えますが、ははは、右と左端は
 マギの3博士のうちの2人で、左から2人目がトランペットを持った天使、
 で、馬上の人物はたぶん関連しているのであろう、という関係と。

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 塔の時計は1444年10月に市役所が注文したもので、
 その設置で塔も約10m高くされ、公共の時計は1451年8月2日から
 動き出したのだそう。

 で、文字盤の傍には4人の福音者と2人の天使が描かれ、
 時計の下には半円形の石の通路が付き、左側にはテッラコッタの天使、
 右には聖母子像が据えられ、・・ご想像くださいね!

 通路の小さな扉からトランペットを鳴らしながら木造の天使が現れ、
 マギの3博士が続き、左から右の聖母子の前まで動き、トランペットを吹き、
 鐘がチンと鳴り、4像は礼をし、銀色に塗られた星が上に下に動いたのだそう!!

 これが毎時の事で、全て連動したオルガンの自動演奏が伴い、
 4像が元に戻り消えると時計が時を告げたそうで、
 そうそう、木像は金色と多彩色で色付けされた1m少しの高さと言いますから、
 何とも見事なカラクリ付きの時計だったわけですね。

 で、この仕掛けが1451年から1796年まで続き、無くなった理由はです、
 ナポレオン軍が時計の仕掛けを変え、木の像も取り払ったのだそうで・・!!

 後年この木製の像が見つかったものの、マギの一博士像はどこかに消失し、
 他の3像と騎乗の人物の4像は、現在コムーネ宮のコレクションの部屋に
 公開されている、というのですが、・・残念、見逃しました!




 コムーネ宮の東に続く建物、元のサーラ・デル・ボルサ・Sala del Borsa、
 ここもコムーネ宮の一部となっていますが、もともとは市の穀類倉庫に
 使われたりの様で、、
 名前から考えて、かっては株の取引所でもあったのでしょうか。
 が、現在は多機能型の図書館になっていて、

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 壁に見える碑は、かってレジスタンス抗争で戦って亡くなった人々の顔写真。

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 パルティザン戦闘員数 14425  その内女性 2212
 パルティザン戦没者  2056   負傷者 945
 愛国者の逮捕者数  6543   愛国者で報復のため銃殺 2350
 愛国者の内ナチの収容所で亡くなった数  829
 後に軍の褒章を受けた者 金メダル 22名  銀メダル 40名 




 これが現在の内部の様子で、一見モダンですが天井のかっての意匠も美しく、
 床のガラスを通し、ローマ期から中世にかけての遺構も見ることが出来ます。
 左に大きく「bebè・赤ちゃん用の席」というのが見え、これは微笑ましい!

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 遅ればせながら、単にコムーネ宮・パラッツォ・コムナーレと書いている
 建物類ですが、もう一つ名前があり、
 パラッツォ・ダックルーシオ・Palazzo d'Accurusioと。
 ボローニャの法学者であり法律家であったアックルーシオの館だったのを
 13世紀の末に市が購入したものだそうで、
 歴史の変遷の中で何度か改修され、さまざまに活用されながら現在に至ります。

 また1920年11月21日には、このコムーネ宮、マッジョーレ広場を舞台に
 社会主義者、労働者たちとファッシスタ行動隊員との銃撃戦となった衝突があり、
 社会主義者側に10名の死亡、58人の負傷者というのもあったといいますから、
 戦後もずっと「赤いボローニャ」と呼ばれたこの街は、やはり社会主義の歴史も
 古いものなのですね。

 ボローニャ・チェントロ ご案内 ・ その1 

 サント・ステーファノ聖堂 ・ ボローニャ 





 コムーネ宮の横、マッジョーレ広場に続く細長い広場の真ん中にある
 ネプチューンの噴水、
 shinkaiが行った時は2度とも噴水が止まっておりましたが、
 ここは格好の待ち合わせの場所でもある様で、いつも賑わい、

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 斜め後ろに見えるのが、エンツォ王の宮殿で、



 こちらは広場の東側を通る道ヴィア・リッツォーリ側からの眺め。
 エンツォ王(1220-1272)は、神聖ローマ皇帝フェデリコ2世の息子で、
 戦争捕虜で囚われの身のまま、ここで23年間を過ごし亡くなったと!

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 さてでは、コムーネ宮の見学に参りましょうか、マッジョーレ広場に
 面している大きなアーチをくぐり、入ってくる内庭。 

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 本来はこの広い階段・スカーラ・コルドナータを上り、上階に行く訳ですが、
 shinkaiと友人は見つかったエレベーターに乗り、へへへ、直接上にね。
 この階段の段差がとても低いでしょう? これは騎乗、または馬車のまま、
 かっての貴人たちが上がるための物なのですね。

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 という訳で見なかった、ははは、
 2階にある、「市議会場・サーラ・デル・コンシーリオ・コムナーレ」。

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 ですが同じ2階の、「エルコレの間・サーラ・デルコレ・ヘラキュレスの間」は
 こうして撮っておりまして・・!
 凄いものがたくさんある場所に出ると、こちらの気持ちもいっぱいになり、
 満腹状態で撮る意欲が薄れるのかも・・。

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 こちらも見なかった、またはまるで意識に残らなかった
 「赤い部屋・サーラ・ロッサ」
 20世紀前半に今の様に改修された部屋だそうで、
 現在は市民結婚式会場なんですと。

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 ここから3階になり、この広い大広間は「ファルネーゼの広間・Sala Farnese」
 正面の大きな2つの窓から入る光が明るすぎ、逆に広間は暗く感じるほどで、

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 正面の像はファルネーゼ家出身の教皇パオロ3世像(1468-在位1534-1549)
 本名アレッサンドロ・ファルネーゼ、イエズス会の認可、トレント公会議を
 開催など等ですが、

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 暗くて顔が見えませんので、ティツィアーノ作の有名な肖像をこちらに。
 若い頃にはローマで放埓な生活をし牢に入ったりもあり、美貌の妹ジューリアが
 教皇アレッサンドロ6世のお気に入りとなり、彼は枢機卿になった、ははは、
 というエピソードも伝えられますが、彼自身やはり鋭い方だったのでしょうね。

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 ファルネーゼ家の素晴らしいカプラローラの大邸宅  1~3




 格子天井の装飾や壁のフレスコ画などは18世紀になって、同族出身の枢機卿
 ジローラモによって、隣の礼拝堂なども改修された様子ですが、現在のは
 19世紀末に再び元の様に修復されたルネッサンス様式のものと。
 現在この部屋は、市の行事の行われる部屋。

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 「レガートの礼拝堂」または「ファルネーゼの礼拝堂」と呼ばれる、
 市の行事使用でも一番重要な部屋だそうで、造られたのは15世紀中頃。

 ここで1530年2月24日神聖ローマ帝国のカルロ5世が、この日は彼の誕生日
 イタリア国王として「鉄の王冠」による戴冠式が行われたのだそうで、 
 その後にボローニャの大聖堂サン・ペトローニオにおいて、
 教皇クレメンテ7世による戴冠式が行われたと。

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 教皇領であった時代もあり、この街の教会、司教、枢機卿、教皇との結びつきの
 深い事に、読みながら改めて感嘆します。

 勿論こんな大戴冠式が行われる、という事自体が、その準備も含め大変な事
 でしょうし、皇帝、教皇共にこのコムーネ宮に滞在したというので、
 さぞ煌びやかで、そして警戒も大変だったのであろうと想像したり・・。

 現在も勿論ですが、イタリア半島の東西、南北の幹線通商道の交差点であり、
 最重要の都市の一つであり、繁栄し続ける人口37万人ほどの大都市ですが、

 我が泥縄の知識では到底及びませんが、それでも頑張ってこの街の凄さ、
 奥深さをお伝えできれば、と思います。




 大体の部屋の所在を示した写真がありましたので、こちらを。
 上(北)西に見えるOfficeが市役所の事務所部分で、
 手前真ん中部分の囲ったSala degli Svizzeriには、教皇アレッサンドロ7世 
 (1599-1667)の記念像があるそうで、
 パオロ3世の像のあったファルネーゼの広間は、グレイ色の屋根の見える西の縦部分、
 そしてファルネーゼの礼拝堂はサーラ・デッリ・ズヴィツェリの手前と。

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 サーラ・デッリ・ステンミ・Sala degli Stenmiは全部の壁が紋章で覆われた
 素晴らしいもので、こことその東に見えるサーラ・デイ・プリミティーヴィ、
 ここには市のコレクション作品があり、次回にご案内を。




 窓の大きさ、高さがお判りでしょうか?!

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 これは確かサーラ・デッリ・ズヴィツェリにあったかってのボローニャの街の姿。
 周囲を城壁で囲み、なんと180本くらいの塔があったのだそう!

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 この部屋の名前から、多分この部屋辺りはかって教皇様がお越しの時は
 護衛のスイス兵が駐屯していた部分なのではないかと想像しますが・・。





 これは「ファルネーゼの広間」から写した大聖堂サン・ペトローニオの眺めですが、
 逆光の上、窓ガラスが汚れておりまして・・! はは。

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 こちらは「エンツォ王の館」の入り口部分で、右下に「ネプチューンの噴水」の
 基礎が切れて見える位置ですね。

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 「エンツォ王の館」が見え、その向こうに見える通りがヴィア・リッツォーリ。
 この通りを南に、右に行くと現在も残るボローニャの高い塔に行きます。
 といいつつ、この写真の中でも3本ほど塔が残っているのが見えますが・・!

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 という所で今回のご案内をお終いにし、また次回に!

 以前のエミーリア・ロマーニャ州のご案内はこちらから。



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この記事へのコメント

  • pescecrudo

    shinkaiさん、こんにちは
    ボローニャは好きで何度か行きました。サント・ステーファノ教会裏のボルゴ・ヌオーヴォ通りでピエーロ・パーオロ・パゾリーニが誕生した事を示す碑を見た時は感動しました。当時仲間達との読書会でパゾリーニの詩集を訳し合っていたからでした。サン・ドメーニコ教会でモーツァルトも弾いたというオルガンを見たのも感動でした(碑があります)。それに天正の四少年遣欧使節がローマで拝謁した教皇はグレゴリウス13世でした。ここの生まれだったんですね。
    2017年08月28日 12:56
  • shinkai

    ★pescecrudo様、こんにちは! コメント有難うございます。

    そうですか、何度もボローニャにお出かけなのですね。
    パゾリーニがボローニャ生まれというのは知っていましたが、そうでしたか、サント・ステーファノ教会の近くなのですね。
    そういえば暫く前に、パゾリーニの死亡に関わったというので唯一有罪判決を受けたという男性が、確か死亡した、というニュースがありましたっけ。 もうご存知ですよね?

    はい、それにモーツァルトがやはりボローニャで演奏しているのですよね。
    どちらも見ていないので、次のチャンスに、と思います。
    あれだけ豊かな街で歴史があると、見所が多すぎて!!

    はい、グレゴリオ13世は天正の4使節がローマに到着するのを今か今かと待って、その後すぐに亡くなられたのでしたね。
    ちょっとブオンコンパーニ家についてみましたら、もともとはアッシジの貴族だったのが、経済的、政治的にも有利なボローニャに14世紀ごろに出てきて、
    彼はボローニャ大学の法学の先生でもあり、枢機卿でもあったようで、家系からは他に5人も枢機卿を輩出しています。

    それにしても、本当にこの街は豊かだったんだろうなと思うのは、教会との結びつきが、結局それが政治的にも強いのでしょうが、大きかったのをまざまざと感じます。
    ペトローニオ聖堂を、ローマのサン・ピエトロ聖堂以上の大きさにしようとしたのも、まさにと思う事でした。


    2017年08月28日 19:18
  • シニョレッリ

    shinkaiさん、こんにちわ!

    大好きなボローニャの記事なので、すっ飛んで来ました。
    その街の芸術の質と量は、その街の繁栄に比例すると言われますが、その好例がボローニャですね。
    何時行ってもボローニャ派画家たちの傑作に魅了されてしまう私です。アンニーバレはもっと評価されるべきと思うのですが・・・・・

    2,016年6月行って以来、ご無沙汰のボローニャです。ネプチューンの噴水は修復中でダメでしたが、修復は完了したのでしょうか?

    サン・ペトローニオ大聖堂に司教座が置かれていない所に、特に魅せられます。
    「鉄の王冠」による戴冠式はモンザ(モンツァ)のドゥオーモで行われると思っていました。
    2017年08月28日 19:47
  • shinkai

    ★シニョレッリさん、こんにちは! コメント有難うございます。

    はい、そうですね、ボローニャの絵画がお好きというのは良く分かります。
    まさに街が繁栄して、芸術もわんさか、という様子ですものね。 私にとっては古いものがあまり見られない、というのが少し寂しい所ですが、場所を選べば古いのも大ありなのでしょうね。

    アンニバーレがお好きですか。 そうですね、大変に上手い画家だと思いますが、上手過ぎてどのようにも描ける、というのが逆に彼独特の魅力がアピールできなかった、という気がしますが・・。

    ネプチューンの噴水は、表側の像などの修復は済んだのだそうですが、内側の管などの最後の修復中だそうで、7月27日付のニュースでは、今だと修復現場がガイド付きで見れます、というのがありました。
    商売上手ですねぇ!

    そうなんです、私も少し驚いたのですが、カルロ5世の戴冠式にはやはり「鉄の王冠」が使われたようで、教皇の威信をもって運ばせたのでしょうね。
    何せ「ローマ略奪」を引き起こしたクレメンテ7世ですから、カルロ5世とは仲直りしたかったのでしょう。

    2017年08月29日 04:23