・ n.1 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式


 漸くに写真整理を済ませ、へへ、3年め、トスカーナはチェルタルド・
 Certaldoの町を、今回から3回に分けてご覧頂きますね。

 行ったのはちょうど9月14日秋晴れの大変気持ちの良い日で、
 サン・ジミニャーノから出かけましたが、

 これがこの町チェルタルドを故郷とする14世紀(1313-1375)の
 イタリアの詩人・作家、ジョヴァンニ・ボッカッチョ・Giovanni Boccaccio.
 大古典として学校で教わった「デカメロン・Decameron」の作者の像。

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 この像は下町の駐車場近くにあり、道を横切ると
 上の町・アルトに行くケーブル・カーの駅。




 所でチェルタルドの町は何処にあるか、地図をどうぞ。
 フィレンツェから南西に約50㎞、車でも電車でも約1時間の距離。

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 懐かしい町々の名が出て来ましたので、北から
 レオナルド・ダ・ヴィンチの生地 ヴィンチ村・Vinci 
 そして、フィレンツェ・Firenze  




 で、こちらの薄いピンク色がチェルタルド市ですが、細長い区域を抜ける
 州道429号を挟み広がる平野の新しい街並みで、
 我らが目指すボッカッチョの故郷である旧市街は、四角く囲った小さな一廓、
 町の高台にある部分。

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 こちらがチェルタルド・アルト・高い町と呼ばれる城壁に囲まれた部分で、
 この一帯が中世のまま残っており、
 3.4 ボッカッチョの家 博物館、図書館
 6.7 サンティ・ヤコポ・エ・フィリッポ教会 ここにボッカッチョのお墓
 8.9 プレトーリオ宮・カステッロ   南隣にサン・トンマーゾ教会
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 10.11 町の一番古い通り、居住区で、塔の家がいくつか
 12の横 ポルタ・アル・ソーレ 町から南に向かう門
 2の南 アンヌンツィアータ広場
 F 図の左上 下町からのロープウェイの連絡駅 

 町全体の人口は約1万6千人ほどと言いますから、
 この旧市街の人口はさて・・?!




 さてケーブル・カーに乗り、上の町にほぼ到着の所。

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 上の町に到着し、町の東西を横切る目抜きのボッカッチョ通りに出てくると、
 緩やかな坂道が一直線に続き、一番奥にプレトーリオ宮・Palazzo Pretorioが
 見える、素敵な眺め!

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 下を振り返っての眺め。 突き当りの蔦の這う建物の所を右に曲がると
 ケーブル・カーの駅。

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 右手に広がるアンヌンツィアータ広場・Annunziata.
 一見何という事もない広場ですが、隅に庇屋根を持つ小さな泉があり、
 広場に射し込む光からか、本当に豊かなイメージを受けた印象が今も残ります。

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 広場から見るボッカッチョ通りの14世紀の建物。 

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 通りを右に曲がって行くと、ボッカッチョの家・Casa del Boccaccio、
 塔のあるこの建物があり、

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 入口の扉を入った所。

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 「ボッカッチョの家」と呼ばれ、かってボッカッチョが晩年を過ごし
 (多分ここで1375年62歳で)亡くなった、とされているこの家ですが、

 18世紀の初めに詩人の侯爵夫人カルロッタ・レンツォーニ・デメディチ・
 Carlotta Lenzoni de'Medici、ジャコモ・レオパルディやバイロンとも
 友人であった彼女が購入し家具なども揃え、ボッカッチョになぞらえたフレスコ画
 なども描かせたものなんだそう。

 多分メディチ家とも縁筋に当たる富裕な侯爵夫人、ボッカッチョに傾倒していた
 方が、土地でそういう謂れの残っていた家を買われた、というのかも知れませんが、
 大変大きな家で塔などもあり、
 まぁ、現在ボッカッチョ関係の事務所がここに、という事で。

 第2次大戦の時には、友軍の爆撃でほぼ壊滅状態になったのだそうですが、
 確かに建物の煉瓦は新しく、
 上記のフレスコ画は奇跡的に残ったそうで、後程お目にかけますね。




 ボッカッチョ関係の資料などの展示と共に、彼の肖像画も。
 左下の絵はフィレンツェの一連の裁判官や公証人を描いたフレスコ画の中に
 あるものだそうですが、彼の生前の物ではなく後年の物と。

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 ジョヴァンニ・ボッカッチョ、彼について書くのは私にとっては手に余り、
 たくさん書かれたものがありますので、ここではちょっと興味を持った
 彼の父親について少し。

 ジョヴァンニは1313年裕福な両替商であった父親ボッカッチョ(ボッカチーノ)・
 ディ・ケリーノ・Chellinoの庶子として、貧しいフランス人女性との間に。

 父親は兄のヴァンニ・Vanniが1297年から始めていた両替業に
 若くから携わり、共に職業柄長い旅に出る事が多く、パリにも足を延ばし、
 その活躍ぶりは美王フィリップの本の中にも見出せるほどで、
 ジョヴァンニの母親は貴族であるとか、ついには王の娘ジョヴァンニで
 あるとかの説も生まれた様子。

 が、実際は上記の通り貧しい生まれの気晴らしの相手だった様で、
 こんなことからパリで生まれた、という説も生まれた様子ですが、
 とにかく兄弟は1314年にはフィレンツェに戻り、
 1320年5月16日付けでジョヴァンニの市民権が得られます。

 父親ボッカッチョの生まれ故郷チェルタルドでは多分この事件の
 経緯から軽蔑され、地元税の支払いでももめた様子ですが、
 ジョヴァンニが7歳位までは父親の最初の妻が面倒を見た様子。

 その後父親は仕事を広げ、ナポリ、アンジュー家が統治していたナポリに
 1327年バルディ銀行から派遣という形で出かけ、ジョヴァンニも同行。

 当時は栄えているとはいえ一都市に過ぎなかったフィレンツェに比べ、
 世界各国の文化が入り込む混沌とした都であったナポリは
 ジョヴァンニの勉学にとっても大きな刺激になった事でしょう。

 父親は最初は自分の仕事の跡継ぎにしたかった様子ですが、好まず、
 法律を収めるのに学びだしても結局は文学の世界を目指し、

 その後フィレンツェに戻ったり、バルディ銀行の凋落、破産があり、
 1348年のペストの大流行で父親は亡くなった様子。

 時に既に35歳になっていたジョヴァンニは父親の2度目の結婚の子の
 面倒も見、学問の評判から外交官的な仕事もこなし、

 ダンテの「神曲・Divina Commedia」も、最初は単に「Commedia・喜劇」
 とのみだったのに、
 「神の・ディヴィーナ」とつけ呼びならわしたのは彼だと言いますし、

 師でもあり友人でもあったペトラルカから多くを学び、影響を受け、
 イタリア文学における3本の円柱と見なされるジョヴァンニ・ボッカッチョ。




 上階の陳列室。 周囲に見える本棚には世界各国から集まった
 ボッカッチョの作品、とりわけ「デカメロン」が集められており、

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 こちらは下の階でしたが、サルヴァトーレ・ダリの作品の挿入されたもので、

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 これは上階テーブルにあった池田満寿夫の挿絵のもの。

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 上記したメディチ家一縁の侯爵夫人が描かせたというボッカッチョの姿と。
 画家は18,9世紀のピエトロ・ベンヴェヌーティ・Pietro Benvenuti.

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 部屋の隅にあった椅子。 こういう古い家具は直接にかっての住人に関係なくとも、
 なぜかしら懐かしみを感じられません?

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 展示品は余りしっかり眺めませんでしたけど、へへ、上階から塔に上れる
 階段を見つけ、早速に。  高上り大好きshinkai。

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 さて、塔の上からの眺め。 町の目抜きのボッカッチョ通りの中ほどにある
 この塔から東側に当たる中央部、

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 そして北側、奥に見える小さな集落、そしてその奥の浸食地カランキ。
 手前に見えるポコポコ丸い木はオリーヴ畑。

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 真ん中から南側、中央奥のプレトーリオ宮から南に続く辺り、
 この町の一番古い居住区があったそうで、古い塔の建物がいくつか。

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 突き当りのプレトーリオ宮の前に大きな黒塗りの結婚式用の車が止まり、
 今花嫁が降りた所で、左にはやはり飾りつけされた小さなフィアット!

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 塔の上でスケッチをする、という友人mkちゃんと別れ塔を降り、
 博物館から出てプレトーリオ宮に向かって歩き出すと、

 なんと、先程見えた小さな可愛いフィアットが、花嫁とお父さんを乗せ。
 豪華な黒塗りの大型車も良いですけど、これはまた何とも微笑ましく!!

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 ボッカッチョの家の博物館に入る時、入り口の切符売り場で、
 今朝はプレトーリオ宮で結婚式が2組あるので、見学は・・時からと言われ、
 我らより先に来ていたカップルが、両方見学出来る切符の値段をまけろ、と
 ははは、長い間掛け合ったいたのでしたが、
 まさに結婚式2組のお目出度い日に行き合わせたのでした!




 道脇には、結婚式、披露宴に参加の人々、友人たちがあちこちにいて、

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 井戸のある狭い広場のシニョーレ。 左に見えるテーブルでこの後お昼ご飯を。

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 黒塗りの車を覗き込むシニョーレにつられ、shinkaiめものぞき込み、はは、

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 細い握りのハンドルに黄色い皮がかぶせてあり、細い丸いチェンジが
 ハンドルの軸から飛び出し、金属がピカピカ光るあれこれ丸い計器盤があり、
 丸い時計まで付いていましたっけ!




 さて、ついに坂道の突き当り、町の一番高所にあるプレトーリオ宮・
 Palazzo Pretorioに。

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 プレトーリオ宮、またはデイ・ヴィカーリオ宮・dei Vicario・代理者の、
 と呼ばれる、往時の執政官の執務所であり住居であった建物で、
 最初の記録が現れるのは1164年。
 フェデリコ・バルバロッサに領主としての任命があったアルベルティ伯爵・
 Albertiで、ここに居城として建設されたのだと。




 たくさんの15~18世紀にかけての執政官達の紋章の彩色陶板、
 フィレンツェのデッラ・ロッビア工房作が美しい彩を添え、青空に映えます。

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 という所で内部や町の様子などは次回のご案内に。



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この記事へのコメント

  • 2017年10月23日 19:14
  • pescecrudo

    shinkai さん、こんにちは
    チェルタルドが群馬県の甘楽町と姉妹都市になっているのをご存知でしょうか。NHKラジオ伊語講師の先生が長年この町の通訳をされ、日伊の町が毎年交代でお互いの町を訪ねるイヴェントの事を講演されたのを聴講したことがあります。姉妹都市と言えばナーポリと鹿児島が有名ですが。2015年には、石巻市と姉妹都市のチヴィタヴェッキアに行きました。伊達政宗の命でスペインに行った支倉常長が、教皇に会いに地中海を船で行き、1615年チヴィタヴェッキアで上陸したのです。
    1611年の東北地震により大津波で海岸は大被害だったそうで、政宗は貿易で復興しようと常長を1613年石巻から船出させました。メキシコからスペインへ。1615年ローマに向かったのです。現在この町には常長の銅像が建っています。2015年は400年記念で日本人に扮した時代行列がありました。長崎の西坂で磔刑になった26聖人を祀る教会もあります。
    天正の少年遣欧使節にしろ支倉常長にしろ、日本とイタリアの深い絆を感じます。
    2017年09月26日 20:07
  • shinkai

    ★pescecrudo様、こんにちは! コメント有難うございます。

    はい、チェルタルドと甘楽町との姉妹提携の事は知っています。
    プレトーリオ宮の奥の庭には確かその関係だったと思うのですが、贈られた茶室があり、友好の碑もありました。

    長い歴史を持つチェルタルドと遥か日本の町が繋がっている事はとても興味深いことですね。
    やはりしっかりそれに関わってお世話して下さる方がおられるお陰だと思います。

    支倉常長の、そうですか、訪欧、訪伊の目的もやはり貿易、日本の開国だったのでしょうに、天正の遣欧使節にしても、その後の日本の鎖国が目的を閉ざしたのですね。

    あの日本の島国から、世界に飛び出していきたいと思っていた人々は、西欧の大航海時代と同じようにたくさんいたでしょうに残念な事でした。
    と共に、それが日本独自の物を作った事にもなるのでしょうが。

    ああ、そうですか、チヴィタヴェッキアには長崎の26聖人を祀る教会もあるのですか。
    あの磔、殉教のニュースは西欧では当時としては衝撃のニュースだったと言いますが、時代行列にしろ、そうやってイタリアでも伝えられているのは嬉しい事ですね。

    2017年09月27日 13:47
  • なおこ

    町並みも風景も博物館もすてきですね。とても興味深いです。ピエモンテに車で行くとき、フィレンツェ周辺の高速道路の渋滞を避けて、普通の道を通ってピサ方面に向かうとき、近くを通るので、ボッカッチョの生地という案内標示も見かけて、いつも気になっていました。生地と言っても特に何かあるか分からず、行きも帰りも道のりが長いので通り過ぎていたのですが、記事と美しい写真を拝見して、いつかぜひ行ってみたいと思いました。今調べてみたら、ペルージャからは車で2時間ほどで行けるようですし、ずいぶん昔に訪ねたサン・ジミニャーノや大聖堂がいつも修復中だったシエナも途中にありますもの。すてきな記事をありがとうございます。
    2017年09月28日 20:38
  • shinkai

    ★なおこさん、こんにちは! こちらを訪問して下さり、コメント有難うございます。

    そうなんですよ、ボッカッチョの故郷、というキャッチフレーズに関わらず、こじんまりとした、珠玉の町ともいえるとても素敵な所でしたよ。
    是非立ち寄ってみて下さい!

    ウンブリアも、そちらを拝見していると、良さそうな素敵な小さな町がたくさんありますし、トスカーナも本当にそうですね。
    訪ねてみたい小さな町村がたくさんあります。

    サン・ジミニャーノは、私は大昔に訪ねた時の良い思い出があり、それを期待して出かけましたが、
    世界遺産になっての観光客の多さで道が見えないほど、素朴さがまるで消えてしまって、かなりがっかりしたのでした。
    世界遺産になるのも良いですが、逆にこういう小さな町村は、なると町が殺されるなぁ、と思った事でした。
    難しい所ですね。

    こちらこそ、有難うございました。


    2017年09月28日 23:27