・ ホーフステルヴィッツ城 見学 ・ オーストリア中世の重要な城

今日のご案内は、オーストリア南西に位置するカリンツィア(ケルンテン州)にある、
オーストリア中世の城の中で最も重要な城の一つと言われる
ブルグ・ホーフステルヴィッツ・Burg Hochosterwitzの様子をどうぞ。

こちらはサイトで見つけた絵葉書で、懸崖要地150mの高さに位置する城と、
そこに至る14に及ぶ門が良く分かります。

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我らが最初にバスの中から見た様子はこんなで、

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村の中の坂道を上り、近くに行きますが、

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駐車場についての眺めはこんな様子で、わぁ~お!!
エレヴェーターの線路が伸びる様子が何とも脆弱に見えません?!

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右下に見える建物が、スーヴェニール・ショップ兼エレヴェーターの切符売り場
であり、歩いての城への通行には店内をぐるっと通過せねばなりません!


オープン:2019 4月1日~10月31日  ワン君OK!
     毎日10時から17時  入場は15時30分まで
     1人訪問は 4月1日~5月14日 9月15日~10月31日
料金:大人 15エウロ  子供6~15歳 8エウロ
   エレヴェーター 1人9エウロ!!

1人での見学は期間限定と細かく、おまけに入場料、エレヴェーター料が
かなりお高いと思われません?! 値引きについての決めも細かいもので・・。



で、我らはエレヴェーターに乗って上まで行きますが、狭い狭いエレヴェーターの
許容人数が14名とあり、1人づつ切符をかざし、ピッと緑のランプが点くのを待ち
入りますが、10名ほどで既に満員で、14名詰め込まれるとぎゅうぎゅうで
身動きできない程! 動くんかや? 上るかな?と心配に。

イワシの缶詰だ!とあちこちで皆がぼやく声が聞こえ、でっぷりのドイツ人団体だと
どうなるんだろ?!

で、なんとか上に動き始め、下から見上げる仲間たち。

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上からの眺め。

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ほぼ城の高さにまで登って来て、

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上からの眺め! 

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到着して後、この様子だと次の便が来るまでにはかなり時間があるとみて、
城館周囲を見て回ります。

城はほぼ楕円型に北西面に向いて位置し、これは北向きでの平野の眺め。

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北側の壁で、下側濃い色で見えるのは、元からの岩場をそのまま使っている場所で、

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角の塔の手前の、



この部分、これは絶対にトイレですねぇ!

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城の南面はエレヴェーターの付いた、写真でご覧の通り天然の絶壁で、
こちら北側のかなり緩やかな傾斜を利用し、行きつ戻りつの連絡坂道が
上の城館迄続き、城壁から見下ろすと下の道、要所の見張り所が見えます。

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この面が北西面の長い壁で、

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見下ろす眺め。 右寄りに四角く囲い、真ん中に小さな家があるのが見えますが、

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こんな感じで、なんだろうかと思ったのでしたが、全体の建物地図での説明は
動物園・Zooと。

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写真をアップして見ると、建物はかなり傷んでいるので、かっては馬の訓練とか、
そう言ったものにでも使われたのか、と。



さて、これがエレヴェーターを降りてからの城入口への道で、

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城壁にあるちょっと高い部分には、すべてこの様に上下に銃眼が付いており、

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城壁に囲まれた端の部分にちょっと開けた位置があり、日時計のついた塔の横に
城中庭への入り口があり、

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今日のご案内写真は、サイト名が入っているのがshinkaiの写真で、
そうでないのはサイトから拝借の物。



で、その角地には井戸があり、

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左横のアーチの奥を覗いてみると、



鍛冶屋。 やはり一番重要な仕事場だったのでしょうね。

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建物の下をくぐる様にして上ると、奥に中庭が広がります。

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左手に続く建物の中程に博物館の入り口があり、正面はレストランとあり、



この中庭では何かのイヴェントの時、こんな火縄銃の発砲も見れる様子。

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庭奥隅の井戸。 イタリア語では、井戸・チステルナ・cisternaですが、
Zisterneとあり、20mとあるので、これは深さと分かりますね。

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中庭の太いマロニエの樹。 まだ新芽がこの位でしたが、葉が茂る夏には
きっと素晴らしい中庭になるのでしょうね。

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中庭南側。 左に見えるアーチが入ってきた所で、今見える明るい青のスカートが
この城のガイドをしてくれたカルメン嬢。

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名前を聞いた時、なんとまぁ、名前そのものの服装をしているなぁ、と感心しましたが、
ははは、我らは皆ダウンのコートなのが、彼女のスカート布地の薄い事!
上は皮のコートでしたが、下は胸の開いたシャツで、髪の毛はヒッピー式に編んだのを
束ねており・・。 

それよりも何よりも、先回絵のブログに書いたように、彼女のイタリア語はshinkai
以上酷いもので、自分で「アウト・サーヴィス」と言いましたが、まさにガイドには
不適格というか、こういうガイドには初めてお目にかかりましたが、
午後のグルクのドゥオーモのガイドも負けず劣らずで、ははは、不毛の地でしたぁ。



中庭の二面がこんな風にアーケードとなっていて、その角柱に柄が描かれ、

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こんな顔の怪獣が。 怖いぃ! ははは。

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我らが博物館に入る時になり、オーストリア軍兵士たちが集まって来て、

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我らが出てくると内庭のテントの下での食事が済んだ所の様子で、
城と博物館見学にでも来たのだろうか?


所でこのホーフステルヴィッツ城ですが、海抜750mの地に150mの高さの城で、
天気が良いと30kmの位置からでも見えるというのですが、

歴史に最初に記されるのは860年の事で、フランス東部の王ルドヴィーコ2世が、
自分の領土のいくらかをザルツブルグの司教に贈った、という中にあり、

11世紀にザルツブルグの大司教からスパンハイム家・Spanheimuに封土として
与えられ、13世紀初頭伯爵スパンハイム家はカリンツィアの公爵となり、
オステルヴィッツ・Osterwitz家が世襲のコッピエーレ・coppiereに任命されます。

今回新しく知った「コッピエーレ」という言葉ですが、コッパ・coppaでカップの意。

つまり主人の領主にコップ・酒杯を運ぶ、酒を注ぐ専任係、つまり毒殺を防ぐ為の
信任厚い家来の仕事で、宴会における会食者にも酒を注ぐ毒見係をも兼ねており、
単なる召使ではなく高い貴族の家柄から、主人自らの任命だった様子。

所が1476年コッピエーレのゲオルグ・ディ・オステルヴィッツがトルコ軍侵入で
捕らえられ、世継ぎのないままに牢死し、一族で唯一残ったハンス・シェンク?・
Hanns Schenkは皇帝に対し巨額の借金があり、

こうして1478年城は皇帝フェデリコ3世の手に戻りますが、相次ぐトルコ軍の侵入
の前に30数年、城は荒れ果てます。

1509年皇帝マッシミリアーノ1世はグルク、ドゥオーモをご覧頂いたグルクの司教に
担保の形で、司教は修復できる見込みがあるとの事で預け、

1541年未来の皇帝フェルディナンド1世はホーフステルヴィッツの城を、地方総監?・
governatoreのクリストフ・ゲーヴェンヒューラー・Christof Khevenhüllerに授け、
1571年伯爵ゲオルグ・ゲーヴェンヒューラー・Georg Khevenhüllerが
要塞を買い取り、これが現在の城の持ち主に続いていて、

彼はトルコ軍の侵略に備え、兵器庫を作り、現在見られる14の門を1570年~
1586年にかけ築き上げたのが、今見る城の姿となっています。

つまりこの要塞堅固な城は、中世の近くの領主との戦いが最初にあったのかもですが、
それよりは対トルコの侵略に対しての備えで、後程記しますが現当主の話によると、
村民たちも襲撃の際にはここに逃れたりで、徹底的に軍事目的の、兵士の駐屯の為
の城要塞であったそうで、博物館の武器展示にもトルコの武器がありました。

いつもの事ながら城にまつわる時代の逸話には、興味深い物がありますね。



博物館内は写真禁止ですので、サイトからの写真で幾つかご覧頂きますが、

甲冑の並んだ一番右手前の大きなのは、実際にいつの時代か忘れましたが、
2m25cmという身長の兵士がいたのだそうで・・!

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と、甲冑のお腹の部分が尖っていますね? あれをどこで見てもいつも不思議に
思っていたのですが、カルメン嬢に尋ねると、槍で突かれてもあのでっぱりで
槍が脇に逸れるからとの事で、長年の疑問解決でしたぁ。



こちら正面に見える祭壇はルネッサンス式の物で、前に額ずく人物は城を買った
現一族の、この城の初代ゲオルグと、

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立っているのが当代の城の持ち主の伯爵カール・ゲーヴェンヒューラー・メッチ殿・
Karl Khevenhüller-Metsch、発音は何度も聞き直しましたが、大丈夫かな?
姓の2番目のメッチは婚姻によって増えた物ですね。 彼については最後に。
 
上記に、1571年ゲオルグは伯爵と記述しましたが、今回読んだ現当主の記事では
男爵となっているので、皇帝の覚えめでたい手柄を立て、伯爵に叙任されたものと。



中庭側から博物館に入った時は1階だったのが、この建物の端で外に出ると、
このテラスは2階の位置で、あの先のバルコニーは崖に突き出す形!

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皆足を踏み入れる前に、大丈夫かな、とトントンと踏み、少し躊躇い、ははは。

所でこの博物館で我々が少し驚いたのは、どの説明書きもドイツ語のみで、
英語の記述もなく、見当がつかない事も多かった事。
今時英語の説明もない、というのは少し番外編ではないですか?




博物館の窓から外を写したもので、今見える道が外からの連絡道、14の門に至る
城の出口に当たり、後ろに見えるのが城の教会。

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城の図面をどうぞ。  15が中庭で、黄土色になっているのが建物部分で、
黒の点線が1から14までの門を通り、地上との連絡道。

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城を出て来て最初の14の門部分は屋内ですが、

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出て来た隣に庭園になっている部分があり、多分これは後世に手直しの物と。

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そしてこれは背後に見えた教会の内部と。

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坂道をだらだらと下りながら、振り仰ぐ城館の高さ。

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門は大体こんな様子で、少し小さい、低いもありますが、2つ、3つ目は大きくと、
襲撃されても、決して侵入を許さない、という気迫の感じられる一連の門で、
確かに、この城は落ちなかったそう。

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これら14の門は全て名前を持ち、礼拝堂も兼ね、フレスコ画が描かれた物。



漸く芽生えた木々の枝。

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ここは何か修理道具らしきものも見え、

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西に延びる道。 この道と思いますが、1k程先にあるニエーデロステルヴィッツ・
Niederosterwitzという所に1560年に城を買い取ったゲオルグが建てた居館があり、

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そこに領主一族は住んでいるのだそうで、何度か再建改装され、20世紀初めに
大きな改装があったそうで、現当主一家もそこに住んでおられると。

ガイド嬢が見える、と言ったので、ちらっと見える木立の中のがそうなのかも。



門の中には、谷を越えるもの、揚げ橋が付いているのもあり、

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先に見えた桜の木と花。

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この門は通り過ぎてから、後ろから誰かが、shinkai! と呼んでくれ気が付いたもの、
そう、ゲオルグの像がありました。

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北の村落に延びる道。

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張り出しの要塞部。 天然の岩場を利用しているのが良く分かりますね。

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最後の門、歩いて上るには1番の門ですが、両脇でランツクネヒト兵が旗を振る姿。

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こうして何とか雨を逃れ、バス会社提供のお昼をしっかり食べ、
次の予定地グルク・Gurkに向かいましたが、

走り出したバスから見えた、城の姿。 あのジグザグ道を下ったのでした。

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上で現当主カールの姿をご覧頂きましたが、彼は10年前に父親が亡くなり、
伯爵となっているのですが、実は長男ではなく3男なんだそうで、

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長男の方は現在ローマに住んでおられ、今の仕事を放棄する意思はなく、
跡を取るのを拒否、次男の方はこれまた南アメリカに住んでおられ、同様に。

で3男のカールがマドリッドに住んでいたのが、奥方もスペイン人で、4人の子供と
一緒に引っ越してこられたのだそう。

で5世紀に渡り先祖が受け継いで来た城を次代に渡すべく、城主というよりも
マネージャーとなったつもりで仕事をされているそうで、

毎年6万人程の訪問者があり、増えているものの、毎年40万エウロの維持費が
かかり!、到底入場料金では賄えず、援助金を得るのは難しく、
本業の、電力を風車で起こす事業、設置などの方から補助しているのだそう。

そんなこんなで、何か城でのイヴェントがあると甲冑を身に付けたり、踊ったりもし、
観光客を喜ばす事をしている、と仰っておられるそうで、ははは。

それでも城に来ると、先祖代々の息遣いを感じると言いますから、
その辺りはやはり並みの庶民とは育ちの違いがあるのでしょうね。

彼のインタヴュウーの載った記事は



こちらは、お祖父さんの狩った動物のトロフィーがある居館の階段と、

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この城での一族の初代となったゲオルグが作らせたつづれ織りのある部屋。

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なる程、ワン君が番ですね。

という様な、優に千年以上の歴史を持つ、懸崖上の要塞城のお話でした。

***

次の日曜21日は復活祭、パスクワで~す。 
ブオーナ・パスクワ・ア・トゥッティ!

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