・ アーニョロ・ドーニの肖像画 ラファエッロ作 の周辺事情を

実は先日絵のブログの方に「ラファエッロ没後500年 ローマ展が再開」
しています、という簡単な、出品絵画の主たる作品の写真のみを
アップした時に、
過去にあまり類を見ない程の充実した展覧会の様で、出品作品を
見ただけで、これは見たいなぁ、と思う程で、

中に1枚、これは見たい!と書いた作品があり、これでした。

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はい、日頃余りラファエッロの作品に関心を持つこともないのですが、
なぜかこの作品にはとても惹かれたのですね。

ええと、正直に言いますと、絵が幾ら高価で有名な作品とされていても、
どこか自分にはピンとこない作品もたくさんある訳で、はい、

その点この男性の顔と存在感にとてもイタリア男性を感じ、
そうなんです、どこかで見た感じ、とても感じの良い、お喋りしても楽しい、
楽しませてくれる、かなり雄弁でそつのない、そんなイタリア男を感じたのですね。

そしてこの存在感!!  これはもう500年前の男性というよりは、
大変に高価な時代衣装を着た現在の男性を感じる程で、
そんなこんなで逆に、ラファエッロはやはり凄いなぁ、と思ったのでした!!



で、この肖像画は誰? と興味を持ち検索すると、あっけなく

アーニョロ・ドーニ・Agnolo Doni(1474-1539)というフィレンツェの
大変裕福な布商人、芸術のパトロンでも有名だったらしい事が分かり、

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おまけに、というと失礼ですが、はは、マッダレーナ・ストロッツィ・
Maddalena Strozzi(1489-1540)という、フィレンツェの著名な貴族、
銀行家、商人としても大変裕福で、一時はメディチ家と並ぶ程の家系の娘と
結婚した所。

で結婚で記念の贈り物、として2人の同寸の肖像画をラファエッロに
依頼したものであるのが分かりました。

彼らの結婚は1504年1月31日。 で、逆算すると、アーニョロは30歳、
マッダレーナは15歳、という事に。

両肖像画は、同じ大きさの63,5x45cm  板に油彩の作品。



マッダレーナの肖像は、一見かなりふくよかな女性に見え、勿論衣装も高価な
ダマスコ織で、大きな雫形の真珠のついた、上に一角獣のついた金のメダルに
ルビー、エメラルド、サファイアの宝石が埋め込まれた大変高価な首飾りを付けていて、

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首飾りの一角獣、というのと、両手の位置、指輪も分かり易くと、アップで。

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もし現代風に2人の肖像があったらという、奇特な方がアレンジして下さった様子の
写真も見つかり、こんな感じの若いご夫婦で。

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彼女の方は一見もっと年長に感じるのですけど、きっとこれは当時の衣装と
高価な装飾品に包まれ、髪も纏めているのが、まだ少女期を抜けない
ふっくらさに、年長の印象を与えているののだろうと思います。

多分この肖像画は結婚後1年ほどした1504~1506年位の作、というので、
裕福な貴族の家で奥深く育てられた少女が、15歳年上の世間慣れした
男性と結婚し、
1504年の秋には彼らの長女マリーアが生まれた、というそんな結婚の喜びも
含めての2人の肖像をラファエッロも描いたのだろうと思います。

2枚の肖像画の内、先にアーニョロを描いたものが、と言われていますが、
レントゲン検査によると、先にマッダレーナの作品に取り掛かっており、
というのも、彼女の背景に見える風景の高さについて確かめている様子があり、

この背後の風景は2人の肖像において、繋がる感じで描かれている風景で、

アーニョロの肖像に関しては、その迷いがなく、すっきりと仕上がっている、
との事で、彼女の肖像の下描きで確かめたのを確信をもって
先に仕上げた、のかも、という気がします。


ラファエッロ(1483-1520)は生まれ故郷のマルケ州のウルビーノから出て、
ウンブリアで仕事を始め独立し、フィレンツエに出て来たのが1504年頃、
つまり21歳で、フィレンツェですぐ受けた注文がこの2人の肖像画だった事に。

当時のフィレンツェには、1500年頃から1506年頃にかけてレオナルド・ダ・ヴィンチも
滞在しており、ミケランジェロもローマから1501年頃から一時戻り、ダヴィデ像を
完成させたのが1504年、
そしてやはりアーニョロ・ドーニから受けた結婚記念の「聖家族」を1507年までに
仕上げている、という時期で、

なんとも素晴らしい芸術環境というか、ラファエッロは敬愛するレオナルドの作品から
大変大きな影響を受け、吸収し、彼独自の技法を発展させ、という時期に当たります。



で、現在このドーニ夫妻の肖像画が展示されているウッフィッツィ美術館の
第41室はこんな様子なんだそうで!

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素晴らしく明るく広くモダンで、この部屋は「ミケランジェロとラファエッロの部屋」
と呼ばれる部屋で、
真ん中には上記した様に、ミケランジェロがアーニョロ・ドーニから注文を受けた
「聖家族」の丸い作品が。 この作品については後程。



という事で、この広い部屋にはラファエッロの他の作品も。

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かっては「聖家族」は、他の部屋にあるのを見た記憶がありますし、
ドーニ夫妻の肖像画もピッティ宮殿のパラティーナ美術館所蔵だったのですが、
2018年6月5日からこの様に、ウッフィッツィ美術館の新装の部屋でのお目見えだそう。

ウフィッツィ美術館とは思えない様なモダンな部屋で、改めてフィレンツェに
出かけ、おめもじしたくなりますね!



所でマッダレーナの姿勢は、このレオナルドの「モナリザ」に似ていると書かれて
いるのが多く、斜め位置からこちらを見つめ、手も組んでいるのは同じですが、

9-Mona_Lisa,_by_Leonardo_da_Vinci,_from_C2RMF_retouched.jpg



手の組み方から言うと、こちらのラファエッロの作品「ラ・ムータ」の方が
もっと近いと思われませんか?

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余談になりますが、shinkaiはこの絵をウルビーノのドゥカーレ宮の美術館で見た時、
あ、この女性はラファエッロの好みでなかったに違いない、という第一印象を。

「ラ・ムータ」というのは、「口のきけない人」の事で、実際にそういう方だったのか、
あるいは絵の雰囲気から後世にそう呼ばれる様になった絵なのか、

実際のモデルについて読みましたが、フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロの娘で、
ジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレの妻だったジョヴァンナ、という様な事で分からず。

実際にラファエッロがフィレンツェに滞在していた時に、彼女もフィレンツェに居たようですし、
高額の支払いであったに違いない事を思うと、かなり高位の人物であったろうと。

顔はラファエッロが好みそうな丸顔でも、愛嬌のある顔でもなく、さらっと描かれ、
それに反し衣装の質感、手の描写がなんとも素晴らしく、生っぽく、
当時のshinkaiは仰天したのをはっきり覚えています!



横道にそれるのがお好きな方、へへ、この絵について読んでいた時に見つけた、
「ラ・ムータ」修復のYoutubeを. 

まずひょっとしてまだ残っているかもの虫を殺す為の除菌から始まり、
塗られたニスの除去、そして虫食いの穴を埋め、上から修復という様子をどうぞ。  
途中、虫食い跡の穴の上に貼られる白い紙は和紙ですと。
https://youtu.be/OEW_WWt8tJw



所で、こうして今ウフィッツィに展示中の2人の肖像画はアクリルの透明ケースに
収められ、背後に回れるようになっていますが、

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アーニョロの絵の背面には、こちら「神の洪水」つまりノアの洪水図が、

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マッダレーナの背面には「デウカリオーネとピッラ」。 

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この背面画はラファエッロではなく、マエストロ・ディ・セルミード・Serumidoと
呼ばれれる画家が描いており、

意味する所は、子供を持たない高齢配偶者デウカリオーネとピッラに、神が
いかにして洪水から身を守り、後に人類を復活させることを許可したかを伝え、
つまり、ドーニ夫妻の子孫繁栄を祈る、事なのだそう。

が、上記した様に、ご夫妻の最初の子が女の子でマリーア、3番目が幼くして
亡くなった男子で、名はジュゼッペ・Giuseppeというのが分かった全てです。



この両肖像画は大変な評判を取り、ドーニ家の子孫たちも代々絵を伝え守り、
現在もフィレンツェのコルソ・デイ・ティントーリ 4・Corso dei Tintori、
アルノ河の北側、ポンテ・ヴェッキオのもう1本東のポンテ・アッレ・グラツィエを
渡り1本北の通りに残る、パラッツォ・ドーニ・ドーニ邸に残されていたのだそうで。

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そして1826年になり、トスカーナ大公レオポルド2世により、遂にドーニ家の
手を離れ、ピッティ宮のパラティーナ美術館の持ち物となった訳ですね。

建物自体も、アーニョロ・ドーニとマッダレーナが結婚した際の当時の様子を
残していたのが、19世紀末に不動産業者が介入した時(持ち主が変わった、
という事と)玄関近くに掲げられた碑に、

アーニョロ・ドーロがマッダレーナ・ストロッツィとの結婚に際して
建設したこの家に、1505年、彼らを描いていた時に
ラファエッロ・サンツィオを客として滞在させていた

とあるそうで、子孫の語った当時の様子を碑に残したものの様ですね。

アーニョロの方は1539年に65歳で、マッダレーナは1年後の1540年に
51歳で亡くなった様で、幸せな結婚生活であった事を願います。



さてこちらは、やはり結婚記念にと、アーニョロがミケランジェロに依頼した
「トンド・ドーニ・ドーニの円形」と呼ばれる「聖家族」。

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直系120cmの板に、油分の強いテンペラで描かれたもので、
完成した数少ないミケランジェロのパネル絵。

「ダヴィデ像」を完成させ、その後またローマに戻るまでの数年間の
滞在中に彼自身は余り好きでなかった絵画の仕事で注文を受け
仕上げている訳で、
如何にアーニョロからの依頼仕事が断れない程の支払い額だったか、
想像に難くありませんね。

ミケランジェロは後年システィーナ礼拝堂の天井画に取り掛かりますが、
その下準備になったかもしれない色鮮やかな衣類と、
マニエリズモの人物像の描き方で、

見事な額は、ミケランジェロ自身のデザインであったろうと言い、
洗礼堂の扉に残るギベルティの「天国の扉」の様に、
ポコッと頭を出すキリストと4福音使徒に、植物や、人間、悪魔?の顔、
またストロツィ家の紋の月も見える、というのですが、shinkaiには見つからず・・。



アーニョロは始末出来る事は始末し、その半面芸術に関しては
惜しみなく費やしたらしく、

今回書いている彼らの生没年も、ウフィッツィ美術館のサイト記事で
漸く見つけた程で、生前の彼らの逸話は本当に見つからず、
こうして見事な絵画が3枚今に残る、というのが彼らの生きた証に。

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という様な、ラファエッロの素晴らしい作品「アーニョロ・ドーニの肖像画」
から始まった、3作品の周辺事情のあれこれでした。


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