・ アルノルフィーニ夫妻の肖像(ヤン・ファン・エイク) についてのあれこれ


今回は15世紀のフランドル絵画において、その素晴らしさと有名さに
ついても群を抜くと思われるヤン・ファン・エイク・Jan Van Eyck作の
「アルノルフィーニ夫妻の肖像」についてのあれこれを。

1-Van_Eyck_-_Arnolfini_Portrait.jpg

というのも、長年この作品をサイトで画集で見ながらも、
shinkaiめはこの作品についてまるで考えた事が無く、へへ、
描かれた2人の人物についても勿論のことで、
このアルノルフィーニ・Arnolfiniという姓がイタリア人を示す、
という事にも意識が向かなかったのでした。

勿論ヤン・ファン・エイクの作品は大好きで、北方絵画も大好きで、
その素晴らしさに溜息ともども見ていたのにでして、
猫に小判、豆腐にカスガイ、・・なんとでも仰ってくだせぇ、

それが暫く前に読んでいた本、高階秀爾著「ルネッサンス夜話」に、
メディチ家の銀行業務についての話の端に、
ジョヴァンニ・アルノルフィニ、ルッカの商人、「アルノルフィニ夫妻の肖像」、
ロンドンのナショナル・ギャラリーに永遠にその姿を伝えられている、
とあり、ガーン、一度に目覚めた、という訳なのですね。



第一、この絵の中に描かれた左の夫の顔を見て、
皆さん、即、これはイタリア人!と思われます?! ノー!ですよね。

2-Jan_van_Eyck_007.jpg

顔色青白く、大きな鼻をし、眉も瞼も薄い男性ですもの、
絵の出来以前に、shinkaiは正直な所、いささかの拒絶反応を
起こしていたのでした。




こちらは同じくヤン・ファン・エイクが描いた同人物像で、
1440年頃の作とみられ、29x20㎝の小さいものですが、

やはり同じ顔をしていますので、夫婦像の顔はたまたま、という訳では
ない事が分かります、・・というと少し変ですが、はは。

3-Jan_van_Eyck_-_Portrait_of_Giovanni_Arnolfini_-.jpg

上でご覧頂いた夫婦像の画の大きさは、81,8x59,7cm
絵を描かれる方には大体25号Pの大きさというと分かりやすいでしょうか、
上の小さな肖像画ともども、板に油彩の作品です。




という所であれこれ調べ始めましたら、大変謎の多い絵でもあり、
現在のロンドンのナショナル・ギャラリーに収まるまでの行程も興味深く、
また描かれた本人、絵の注文主でもあるジョヴァンニ・アルノルフィーニに
ついてもあれこれ分かりましたので、ゆるゆるとお話いたしますね。

主人公の名は、イタリア版ウィキにはGiovanni di Nicolao Arnolfini、
ジョヴァンニ・ディ・ニコラオ・アルノルフィーニ、
日本語ウィキにはジョヴァンニ・アルノルフィーニの従兄弟の
ジョヴァンニ・ディ・ニコラ・アルノルフィーニ、
トゥレッカーニ辞書には、ジョヴァン・アルノルフィーニ、
アッリーゴ・ディ・アルノルフィーニ・Arrigo の息子、と出ますが、

いずれにしても現在はこの絵の主人公の名は、
単純にジョヴァンニ・アルノルフィーニ で通っている、という事で。

で、大体1400年か、その少し以前にトスカーナ州の西、
ティレーニア海に近いルッカ・Lucca で生まれ、(1400-1472)
1420年にフランドル地方、現在のベルギーのブルージュに移った
商人兼銀行業務家、最初の苦しい状況を乗り切った後は、
宮廷にも出入りし、巨額の富を築いた、とされる男。

ルッカは当時絹織物で大変有名で、北ヨーロッパの各地に商人が出向き、
各地の宮廷とも取引をしていたと言いますが、


主人公ジョヴァンニ・アルノルフィーニが出向いた当時のブルージュは
ヨーロッパでも最大の商取引が行われていた町で、

4-mercanti_medioevali_bruges.jpg

メディチ銀行の最盛期にあたる1455年の時点でも、ヨーロッパ各地に
銀行の支店を持っていたメディチ家が、ブルージュには5人もの正規代理人を
置いていたそうで、これはアルプス以北において唯一の町だったという程の
繁盛ぶりだったのですね。

16世紀以降、ブルージュは運河に砂が入り込み船の運航が不自由となり、
急速に衰えたのだそうですが、当時の経済状況の繁栄をご想像あれ!




当時ブルージュを治めていたのは、ブルゴーニュ公フィリッポ3世善良公で、

5-220px-Philip_the_good.jpg

大のお気に入りとなり、その宮廷に出入りし、なおの事富裕な商人と。
というのも、どうやら高価な布やつづれ織りの商品納入のみならず、
ブルゴーニュ公自身が表には出れない取引、高利貸しなどにも
アルノルフィーニが大変巧妙に成り代わって働いたのであろう、という事。




こちらはフィリップ善良公の宮廷の様子を描いた、
ファン・デル・ウェイデンの細密画。

6-Miniatura di Rogier van der Weyden del 1447-8. Filippo e la sua corte.jpg

ブルージュの町の様子はこちらにご案内を。

こちらにはitosugiさんのご案内で。




という事で、再度ヤン・ファン・エイクが1434年に描いた夫妻像を。
どうぞゆっくり、細部に何が描かれているか眺めて下さいね。
これから一つづつ、その意味する所をご案内いたしますので。

大変に高価な衣装をまとった夫婦が左右に分かれて立ち、掌を重ね、
夫は右手を上げ、こちらに向かって挨拶をするか、または何か祝福を
与えるかのようにも見える様子で、

7-Van_Eyck_-_Arnolfini_Portrait.jpg

妻はジョヴァンニの最初の妻コスタンツァ・トゥレンタ・Coatanza Trenta.
夫と同じルッカの出身、2人は1426年に結婚し、
彼女はこの絵の描かれた前年1433年に亡くなっていますが、
絵の中では長い裳裾を重ねたのをお腹にあて、懐妊をほのめかした姿にも
見えますね。

夫は濃い色の簡素なチュニックを着用、上から柔らかいリス(マーモット)
の毛皮の如何にも高価なマントを羽織り、荘厳な儀式の時などに用いる
幅広の黒いフェルト帽を。

妻は当時フランドルで流行っていたゆったりとしたモードに身を包み、
それもアーミンの毛皮で縁取りされており、髪は入念に小さな角型に結い、
上からフリルで飾られた繊細なヴェールで覆い、
ネックレス、指輪、そして金の留め金のついたベルトを。

緑の色は当時肥沃、多産を表すものだったそうで、
でも彼女は子供を産む事なく、世を去っています。


2人のいる部屋には豪華な天蓋のついた赤い色のベッドがあり、
奥にはやはり赤い布のかかったどっしりとした椅子が。

ブルゴーニュ公の宮廷では、広間にもベッドがあって腰掛けたりもし、
また出産の女性の寝室にも祝福の為に客が通ったりしたそうですが、
この部屋は木の床張りで、そう広くもないのでやはり夫婦の寝室でしょうね。




2人の間に見える奥の壁の上部ですが、
7本の蝋燭立てを持つ真鍮の豪華なシャンデリアが下がり、
その内の夫側の1本のローソクには灯が灯り、右の妻側の一本は消えており、

8-1-Van_Eyck_-_Arnolfini_Portrait.jpg

その下に何か文字が描かれたのが見え、

その下には木製の絵の描かれた、絵はキリストの受難の場面で、
その木枠に入った凸鏡が部屋の内部を映しだし、
前面の2人の姿の間に、他の2人の人物が。

右の彫りのある木製の衝立かな、の支柱には小さな箒が下がり、
これは家事を示すそうで、

凸鏡の左には石英のロザーリオ、これは当時結婚祝いに
花婿に贈られたものだそうで、




これが壁に描かれた文字の部分。
「ヤン・ファン・エイク ここにありき。 1434年」と。

8-2-The_Arnolfini_Portrait,_détail_(6).jpg




これは彼の自画像と思われるもので、1433年作、赤いターバン姿で、
この事から凸鏡に映る奥の2人の内、左の赤いのが彼であろうと。

8-3-Portrait_of_a_Man_by_Jan_van_Eyck-.jpg

つまり夫婦の結婚を証言する、という意味合いで、2人の主人公と
向き合った姿で描かれたのではなかろうか、という推測がなされます。

ヤン・ファン・エイク(1390頃-1441)は当時やはりフィリップ善良公の
宮廷のお気に入りのお抱え絵師で、身分はもっと高かったようですし、
当然画料も高かった筈。

そういう画家に宗教画以外の家庭内の個人の肖像画を頼める、というのは
いかにアルノルフィーニが裕福な商人であったかもを示すものですね。


余談ですが、4年ほど前ロヴェレートに「アントネッロ・ダ・メッシーナ展」、
売り物は「受胎告知のマリア像」で、見に行きましたが、
ヤン・ファン・エイクの小品も何枚か来ており、失礼ながら私には
メッシーナが霞むほどに、ファン・エイクの凄さが感じられましたっけ。




こちらは夫の左奥の窓で、一番上のガラスには茶色、黄、赤、青の
着色ガラスが使われており、これは当時、到底一般の人間には
手の届かなかったものだそうで、

9-Van_Eyck_-_Arnolfini_Portrait - Copia (2).jpg

その下に細く開いた窓からは、サクランボが色づいて見える事から、
季節は春から初夏にかけて。





そして窓の前、テーブルの上にはオレンジが見えますが、これは北の国では
当時は大変に高価な果物で、アルノルフィーニの出身である
南国イタリアをもほのめかし、また北の国ではオレンジは「アダムのリンゴ」に
等しい意味を、つまり罪の果物、愛欲を示すものと。

10-Jan_van_Eyck_002.jpg




そして木靴2種。 これは夫の足元に見える質素な物で、底が汚れており、
外の世界に向いている事をも示し、

11-Jan_van_Eyck_004.jpg




こちらは奥の大きな椅子の足元、ベッドに近い位置にある妻の赤い、
飾りも付いた豪華なもので、床の上にはオリエントのカーペットも。

12-Redslippers.jpg

所で、この木靴というかツッカケは、家の中で使用するものではなく、
当時は素材の高価な快適な靴を守るために、靴を履いた上に穿き、
これで外を歩いたのだそう。

というので、夫の木靴の底の汚れの意味が分かります。



そして妻の足元にいる小型犬、愛らしい顔立ちで、忠実さを示しますが、
また一方、当時にあっては家の中に愛玩犬を持つというのは、
身分と共に裕福さをも示すものなのだと。

13-Jan_van_Eyck_009.jpg

という様に、様々な調度、衣装、飾り物が象徴的に物語るもの、
そして絵が描かれた年は、最初の妻が亡くなった翌年の作である事、
季節が初夏を示すにもかかわらず、荘重で豪華な冬の衣装を纏った二人、
などなどから、

今迄も何名もの研究家が様々な見解を示している様子ですが、

やはり、これはアルノルフィーニが亡くなった妻を偲び、
宮廷画家に頼んで描いて貰った、愛妻に捧げる絵 ではないでしょうか?

7年ほどの結婚生活の後に、2人が望んだ子供も生まれないままに世を去った
妻との愛情を思い、それぞれの品に思いの籠る絵を注文したのでしょうね。
そう考えると、すべてのつじつまが合う様な気がします。

彼はその後1447年、50歳近くなって2度目の妻、やはりルッカ出身の女性と
再婚しますが、彼女も子を産まないままに亡くなった様子。

アルノルフィーニはいつかルッカに戻る事を夢見、家の手配も始めた様ですが、
故郷に戻ることなく、ブルージュでのイタリア人の商人、銀行家の
グループの中で50年以上を過ごし、1472年9月11日に没。



で、この「アルノルフィーニ夫妻図」は、その後どのようにして
ロンドンのナショナル・ギャラリーに収まったのか、ですが、

これはサイトで大変興味深い記事を見つけたのが最初の切っ掛けですので、
その記事をご案内いたしますね。

です。 英語版はこちらに。  

筆者はバーバラ・アタナサイデス・Barbara Athanassaidis, ギリシャの生まれ、
作家、旅行家という事で、現在はギリシャとローマの行き来の生活と。
メールのやり取りの内、自分のトスカーナ案内のeBookのアドレス
知らせてくれましたので、 
興味のある方ご覧下さいね。


という事で、第2部の始まりですが、

勿論夫妻像の絵は描かれた後、アルノルフィーニの私物で、ブルージュの
彼の家にあり、訪問客に公開された程度だったのでしょうが、

子供が無いままに亡くなった後、この絵はブルゴーニュ公の宮廷にお出入りの
スペインの外交官ドン・ディエーゴ・デ・ゲヴァーラ・Don Diego de Guevara,
インテリで繊細、当時のコスモポリタンであった彼が購入。

14-don_diego_guevara - Michael Sittow.jpg




そして亡くなる少し前、1516年頃、ドン・ディエゴは当時のネーデルランド総督
でもあったオーストリア大公女、フランス王シャルル8世の妻、
マルグリット・ドートリッシュに贈ります。

15-margherita_daustria.jpg

彼女は私室の壁にかけ眺め、愛好していたようですが、




1530年に亡くなった後、彼女の姪であり、次のネーデルランド総督となった
マリア・フォン・エスターライヒ、ハンガリー王妃、ボヘミア王妃が相続を。

16-HabsburgMaria.jpg

彼女の父親はフィリップ美公で、母親はカスティーリア女王ファナと。
で、少しは繋がりが分かるでしょうか?
で、この絵はティツィアーノ作の様ですが・・!

彼女は馬に乗るのが好きな一方美術も愛好していたようですが、
彼女の兄であるカルロ5世が息子のフィリッポ2世に帝国を譲る事を決め、
スペインに戻る事にし、彼女にも一緒に戻るように勧めます。




で、彼女はコレクションの絵のどれをスペインに持って行くかを決めた中に
このアルノルフィーニ夫妻像も含まれ、
ガレー船での運搬中の湿気にも、北から南への天候の劇的な変化にもめげず、
無事にスペイン宮廷に到着。

17-Il Palazzo Reale di Madrid.jpg

が、マリーアは1558年に死去し、スペイン王フェリペ2世の財産になり、
続く年月をマドリッドの王宮に。


そしてナポレオンがスペインに侵攻占領、有名美術品は梱包され
パリに運ばれますが、アルノルフィーニ夫妻は残されたまま、宮殿の壁に。

そしてウェリントン将軍がスペイン解放にやって来て、1813年ボナパルトの
弟ジョセフ、スペイン王は小さな美術品をパリに持ち帰るべく出発しますが、

国境近くでウェリントンの軍隊と遭遇、戦闘に負け、ジョセフは騎乗で逃げ出し、
鞄も美術品の梱包も置いたまま!
勿論ウェリントンの軍隊が略奪し、アルノルフィーニ夫妻は有難いことに無傷で、
ジェームス・ヘイ大佐の手に、そしてロンドンに。


ジェームス・ヘイ大佐は絵をどうしたらよいのか見当がつかず、
知り合いを通し美術愛好で知られていた国王ジョージ4世に持ち込みますが、
当時古い時代のフランドル絵画はまだ評価されておらず、
国王も暫く壁にかけていたものの購入には至らず、再びジェームス・ヘイの手に。

こうして少数の人間のみが眺めたものの、徐々にフランドル絵画の愛好者も増え、
ヤン・ファン・エイクについての研究も進みだし、



暫く前に開いたロンドンのナショナル・ギャラリーが、フランドル絵画部門の
充実を図るために、1843年2月に購入を決定!

19-Thenationalgallery.jpg

20-The_National_Gallery_London;.jpg




購入金額は、ジョヴァンニ・ベッリーニ作の「総督レオナルド・ロレダン」と
同額の600ギニーだったと。

21-Giovanni_Bellini,_portrait_of_Doge_Leonardo_Loredan.jpg

それはまぁ、ベッリーニも素晴らしい画家ですが、このファン・エイクの
アルノルフィーニ夫妻像が同じ金額というのはですねぇ・・!
まぁ、当時の世間の評価はそんなものだった、という事なのでしょうね。




という事で、600年近くを経て、大きな損傷も受けず、海を渡ったり、
陸の長旅もしたりでしたが、無事にロンドンのナショナル・ギャラリーに
収まった「アルノルフィーニ夫婦像」

22-Van_Eyck_-_Arnolfini_Portrait - Copia.jpg

最初に書きましたように、私shinkaiめは始めこの絵の主人公の顔が
好みでない事から斜に見ておりましたが、はは、お許しを、

こうしてあれこれ調べ読んだ今となっては、とりわけ彼の亡き妻への愛情も
知り、大分見る目が違って来た事を白状しないといけませんですね、はい。

それになんとまぁ、ナショナル・ギャラリーの収蔵品の見事さ!
サイトを見て、これもある、あれもある、といささか、ムムム。

いつの日か、アルノルフィーニ夫妻にも、他の名品にも会える日が
shinkaiにもやって来ます様に!!

長いお付き合い、有難うございましたぁ!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。

非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。


*****


色鉛筆+水彩画ブログには、
アップしています。    
見てやってくださ~い!    

ご訪問、よろしくどうぞ!


*****

いつもブログご訪問、有難うございます!
応援も宜しくお願い致しま~す!