・ 冬枯れの丘、色  オリアーノ村散歩

  
  先週の日曜の朝お天気が良いので、隣のオリアーノ村へ散歩に

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  いつもプールへの行き帰りに眺める冬枯れの色が良いのと、
  日曜だと車の通りも少なく歩くのも良いかと寒いのを我慢し、
  車は元旦の朝置いた村の家並みの外れに置き、
  コネリアーノ・Coneglianoに向かって歩きました。

  ちょうど朝の9時過ぎ、この時間だとコネリアーノに向かう
  方角の、南から東は逆光になるのは分かっているのですが、
  道の西側は綺麗に見えるからと折り合いをつけ・・。

  上の写真は、村の外れにある農家、廃屋なのですが、高台で、
  隣の犬に吠えられつつ、やかましい、お前はぁ! ははは、
  丘に少し登り、北の雲一つない青空と一緒に。 
       
  オリアーノからコネリアーノへの秋の道は

  スコミーゴ村の四季のカテゴリからもどうぞ





  南東に向かって。 
  逆光の葡萄畑のはるか向こう、地平線が
    
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  コネリアーノへの蛇行する坂道を行きながらの西側。
  葡萄畑の向こう、点在する農家と雑木林
      
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  年明け頃より少しは寒気が緩んだようですが、
  それでも毎朝殆ど零下で、
  道脇の地道には薄く氷が張ったのも見え。

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  道路脇の標識 「鹿に注意
  そう、こんなのも有るんですよ、と皆さんにお見せしたく
  撮ったのですがぁ・・、  この後、本当に・・!!
       
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  緑の季節には見えない、気がつかない家並も見えます!

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  真ん中に一列に続く家並みの前を、プールの近くから入り込み
  オリアーノ・Oglianoの裏側に出てくる道が通っていて、
  昨年の夏の暑い盛りに仲間と一緒によく歩きましたっけ。





  その少し北側。  丘が幾重にも重なリ、農家が点在

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  東に入り込む道。 
  奥にアグリトゥリズモがあるようなのですが、まだ行ったこと無し。

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  丘の稜線に並ぶ並木と、手前の葡萄畑

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  ここは2年ほど前まで草原だったのですね。 
  そして奥にあの小屋がぽつんと。
  いつか描きたいなぁ、という雰囲気だったのですが・・!

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  脇の段差の陰には、霜が降りて真っ白!

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  道は幾度も緩くカーヴしながら進み、この辺りで一旦平地に。
  向こうの家並みを過ぎると、最後の上りでコネリアーノの町に。

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  日曜の朝とあって、恒例の自転車のグループ!

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  ゆるい坂道を行くと、突然斜め左後ろからダ、ダ、ダ、ダッと
  走って来る音がして、
  なんと目の前の幅広の溝を鹿達が飛び越え、葡萄畑の中に!!

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  4頭!! で、続けざまに溝を飛び越えたのを3枚撮っており、
  最初のは逃し、2,3頭目はすでに葡萄畑の中に
  頭を突っ込んでいて上手く撮れておらず、これは最後の一頭

  家の近くの道を夜仲間と車で通っていた時、
  パッと大きなものが横切り、
  あの大きさでは鹿だね、という経験が一度ありましたが、
  まぁさか、この日中、朝の10時頃に鹿達を見ようとは!!

  後ろから来た車が驚いて止まり、その後そろそろと徐行して
  通りましたが、やはり道路標識どおり居るんですねぇ!

  まだ居住出来る自然が有る、と言えるのか、
  どんな所に居るんだろう、流れ者かな、ははは、とか、
  あれこれ考えた事でした。





  この辺りまで道を下ってきたのは、
  ここから見るオリアーノが山を背景に美しいからですが、

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  う~ん、手前に広がる葡萄畑の雄大さと一緒に、と思うと、
  教会鐘楼が小さくなりすぎで、思うようには・・!





  フォルメニーガ・Formenigaの教会が正面からの姿で奥に。

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  我が家から斜め北に歩いて、
  長い丘の稜線の一番高い所に横からの姿で見えるのですが、
  この眺めもなかなかでしょう?!





  そろそろと戻り道の坂にかかり、西一面に広がる葡萄畑

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  小道に入り込み葡萄畑の中を覗くと、
  剪定された枝が間にまだ放置され、
  太短い幹と、枝を支える針金、支え棒のみの林!
  初夏になり葉っぱがしっかり茂ると、この針金はまるで見えなく。

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  道脇のお家の前には、季節に先がけ新芽が伸びており、

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  北との境の山の上には、2週間前の雪がまだほんの少し。

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  こちらはすでに綺麗に剪定済みの葡萄畑と、奥の雑木林。

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  上まで宿り木がまとい付いた太い木の幹と、

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  豆の鞘の残りがぶら下がる枝

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  またもや自転車のグループ。 今度のは車の伴走付き!

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  後ろに付いている太めのシニョーレ達も一緒に、
  オリアーノへの最後の坂道

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  山の凹みの向こうに見えるフリウリ州の高山の嶺は、
  いつもは大概真っ白ですが・・!

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  フリウリの奥、スロヴェニアの遥かな山々は雪を被り
  望遠でこんな感じ。

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  オリアーノの教会前まで戻り

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  東のコッレ・ウンベルト・Colle Umbertoの村。

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  葡萄摘みが始まって

  春を探しに





  これは我がスコミーゴ村・Scomigoの教会と鐘楼

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  最後は、ヴェネツィアに向かう高速の流れを。
  ああ、またここを通って、出かけて行きたいなぁ!

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 ・ プラーリア修道院 ・ パドヴァ  その2


  パドヴァ南西、プラーリア修道院のご案内 その2をどうぞ!


  そしてキオストロ・ペンシレ、屋上テラスの回廊。
  周囲の屋根からの雨水はすべて濾過され
  井戸水として使用される方式。
     
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  ここの回廊周辺がすべての僧侶たちにとって
  一番使われている部分なのだそうで、

  脇のこの部屋はロープが張ってあるので現在使用されておらずで、
  真ん中に書台があるので、多分「カピートロの間」と呼ばれるものと。
  この部屋に僧侶たちが集まり、
  会則の一章を読み、会議などもしたのだそう。

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  廊下にあった16世紀の手洗いの泉
  大変美しい大理石の嵌め込み柄。

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  細長い大きな部屋レフェットーリオ・Refettorio、
  直訳すると食堂なのですが、
  素晴らしい作りと飾り付けで、会議室でもあったでしょうか。

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  廊下の出っ張り部分から眺める外の様子
  奥は葡萄畑のようですが、
  手前は、現在の薬草畑ではないでしょうか?

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  そして、手前の植え込み部分

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  回廊の見学を終え、廊下を行く、
  左がガイドをして下さった僧侶。

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  廊下の上から見下ろす、
  修道院生活の会則を定めたサン・ベネデット(480-547)。

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  傍らに、ちょうど開いていた月下美人、と思うのですがぁ、
  ちょっと蕾の形がちがうかな・・。

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  この日の見学で見せて貰えなかった場所の写真を探しまして、

  こちらが国の記念建設物とされている、素晴らしい図書館

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  そしてキオストロ・ドッピオと呼ぶ、大きな回廊も見ませんでしたぁ。





  有名な古書の修復ですが

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  1951年の秋から始められ、紙、羊皮紙、初期の印刷刊行本、
  版画、写本、手稿本、地図、教皇や皇帝の勅書、著名人の
  手紙類、と全てに及び、
  正確な数字は控えていないものの、多分2万5千点に及ぶ数と。

  1966年フィレンツェのアルノ河の氾濫時には数日後から運び込まれ、
  すべてで約2500点、ヴェネツィアからのも2000点程を救ったそうで、

  インクや色、ニス、埃と湿度による菌やバクテリア、そして虫やネズミの
  被害などから、価値ある古書を救い、
  できるだけ長く生命を保たせ利用、享受できるようにと。

    Tel. 049 9999480 – Fax 049 9999311   
    E mail: restauro.libro@praglia.it 
    と連絡先も。





  葡萄畑での収穫

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  さて、最後の見学は聖堂内を
  我々は横の入口から入ったのですが、
  まずは正面入口側からの様子を。

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  祭壇前の大理石の模様
  「薔薇の風」と呼ばれる風見を示すもの。

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  聖堂の前から。 この聖堂は16世紀のものと。

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  聖堂は一段と高い位置にあり、聖堂前広場から見る前庭
  塀の中と、咲き乱れる薔薇の花。

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  近代になり様々な混乱期も経た様子ですが、
  それでも千年近い歴史を生き抜き、この長閑で温暖な地で
  営々と農業を営み続け、今に至る修道院

  元々の親元であるサン・ベネデット・イン・ポリローネ修道院は、
  ポー河の度々の氾濫、開墾、マラリアと様々な問題を抱えていたのに対し、
  この修道院は特別に歴史の表に出ることもなく、
  僧侶たちは祈りつつ、平穏の内に各自の日常の仕事をこなし、
  過ごして来たのでしょう。

  ・・と書きつつ、改めて修道院生活なるものについて考えています。

  修道院のサイトのこのページの下にヴィデオが2つあり、
  上のヴィデオで修道院内、日常の様子が見られます。     




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 ・ プラーリア修道院 ・ パドヴァ  その1

  
  すでに随分前の事になりますが、パドヴァの南西に位置する
  プラーリア修道院・Abbazia di Praglia に出かけました。

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  このヴェネト一帯に於いては大変有名な修道院で、
  11世紀の創設と言いますからすでに千年近くの歴史を持ち、
  内部装飾などに特別有名画家の収蔵作品などないものの、

  国の記念物指定を受けている素晴らしい図書館
  そして古書籍の修復 、並びに修道院の特製食品、
  化粧品、ワインなど、その活動でも大変有名な修道院です。

        
  プラーリア修道院のアップはまだなの?とかって友人から催促を
  受けた事もあったのですが、ヘっヘっへ、
  忘れただろう頃に整理し直す横着shinkai。
  改めて資料を読み、今回ご案内を!

  上の写真は、パドヴァの平野を行き、その姿が見えて来た所





  近くには大きなヴィッラも見える、
  気候温暖な土地柄でも知られるパドヴァの南西部

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  道を回り込んで近づき、正面の聖堂が見えてきた所

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  それにしても、素晴らしい威容でしょう?! 
  高い城壁を兼ねた建物群が、ぐるりと周囲をめぐります。





  プラーリア修道院はどこにあるか、地図をどうぞ。
  パドヴァの南西約15kmほど、パドヴァからの古道が南に下り
  エステ・Esteに至る、
  県の自然公園コッリ・エウガネイ・Colli Euganeiの北に位置。

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  少し南東には有名な温泉保養地アーバノテルメ・Abano Terme、
  南に下ると、イタリア文学史上ダンテと並ぶ14世紀の詩人・学者の
  ペトラルカ・Petrarcaが、晩年を過ごし亡くなった
  古い城のあるモンセーリチェの町も近く、大変長閑な美しい土地。       





  さてこちらが聖堂正面ですが、観光客は右奥の入口から。
       
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  入り口脇に咲いていたツツジの花、はい、ちょうど5月でした。
  内部参観は、僧侶のガイド付きで時間指定があり、
  この時はかなり待ちました。

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  待合室から内部の回廊が見え
      
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  壁にあった聖家族のフレスコ画、なんぞも時間待ちに写し・・、

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  部屋の一郭にあった修道院特産品のウィンドウなんぞも覗き!
  左に蜂蜜、真ん中薬草酒、右化粧品、

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  様々な薬草の詰まったのも見え、右は化粧品。

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  勿論販売もここの店でしているのですが、オンライン・ショップも有り、
  サイトはこちらに。





  待ち時間が長く、表にでて建物に沿って西奥に行ってみましたが、
  城壁のような背の高い壁に圧倒されます!

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  どこもきちんと整美され、ゴミなど勿論落ちておらず! はい。

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  軒下に見えた陶板飾り

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  1箇所、こんな風に壁の開いている場所がありましたが、
  手前に柵があり、近くまで寄れず・・。

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  山側には、養蜂の箱

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  待合室にあった、プラーリア修道院の全体の写真。
  サイトで見つけた平面図と見比べましたので、
  大体の位置をご説明いたしますね。

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  写真の下側が北向きで、聖堂はお分かりですね。
  その左に見える細長い煙突のある3階建ての部分、
  火のある一般の部屋(台所、食堂?)
  そしてその左に大きな回廊、キオストロ・ドッピオ
  回廊部分が2重になっているのだそう。

  その右側、聖堂の奥に小さな回廊が2つ並びますが、
  左はキオストロ・ペンシレ・屋上テラスになっている回廊で、
  左側の屋根がちょっと高くなっている部分はレフェットーリオ
  食堂・会議室。

  右の小さな回廊はキオストロ・ボタニコ・かっては薬草栽培を。
  一番右奥の大きな回廊は・キオストロ・ルスティコ
  かっては麦打ち場や煉瓦の乾燥場
  にも使われ、農機具置き場でもあったのだそう。
  外側の壁が開いていたのは、多分この部分ではないかと・・。

    
  所でこの修道院の創設は11~12世紀にかけてで、
  マントヴァの南サン・ベネデットポーにある大修道院
  に従属する形だったのが、  
  14世紀の初めに独立をしたものの上手くいかず、
  15世紀中頃パドヴァのサンタ・ジュスティーナ教会の下に入り、
  19世紀まで。

  1810年にナポレオン軍がやって来て修道院の開放をし、
  僧侶たちは追放されますが、
  4年後にオーストリア軍の下で再び修道院活動を再開。
  が1867年イタリア国となって後、再びすべての修道院廃止となり、
  当時は修道院の管理のために2,3人の僧侶が残ったのみで、
  他は殆どが当時まだオーストリアの下にあった現在のスロヴェニア、
  イーストゥリアの修道院に逃れたという混乱の時代が約1世紀間続き、
      
  1904年の春に2人の僧侶が戻ったのを始めとして、
  同年10月に再び現在のような活動が始まったのだそう。

       
  カンティーナも持つほどのワイン製造もしているので、
  この写真にも見える周囲の葡萄畑は
  多分すべてこの修道院のものと!


  サンタンティモ修道院
       
  サン・ガルガーノ修道院

  プロヴァンス  セナンク修道院 1と2





  さて漸くに見学の時間が来て、
  待合室から見えていたキオストロ・ルスティコの回廊を通り

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  聖堂の斜め後ろにある鐘楼も見えます。

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  見学時間前に外から見た建物の軒下の陶板飾りと同じですが、
  こちらに残るのはきっとオリジナルですね。
  適度に剥落し、とても良い色合いになっています。

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  ここがキオストロ・ボタニコ、薬草の栽培をしていたという
  回廊部分ですが、現在はきれいな植え込み風景に。

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  廊下に見えた「聖母子と天使像」
  多分これはテッラコッタ製と。

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  という所で今回をお終いにし、次回に続けます。



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・ 春5月 シエナのクレーターの道を行く その2 


  トスカーナはシエナのクレーターの道を行く、その2をどうぞ!



  鉄道線の上を越え

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  ひ弱な育ち具合の畑の色!

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  ね、同じ谷なのに、緑の色がみんな違うでしょう?!

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  道を進みグルっと回って、
  再び見えた先程の農家の丘の続き

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  坂道を上っていくと、こんな所に止まっている先客があり、
  上の写真の眺めを見つめて休んでいる中年カップルがいて、
  ほら、足が見えるでしょう?

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  眺めが良いのでshinkaiも車を止め、何枚か撮りました。

  トヨタ車ですが、どこから来たのかな、イタリアの車ではなく、
  それにしても、車全体が土埃にまみれており・・!





  雄大な眺めに、雲が遊び、どこまでも広がり・・!
  こんな風景を見つめていると、本当に我を忘れます!!

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  少し先に小さな池

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  遠くで犬の吠える声を聞き、どこにいるんやぁ?と
  望遠でやっと見つけたワン君!!
  警戒警報ではなく、他人を見たのが嬉しかったのかも、ははは。

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  遠くに羊の群れを見つけ、

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  谷の下にも群れがいて

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  さっき見えた羊の群れの所まで辿り着くと、池があり

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  アザミ種かな、の花が咲き、
  右の茎に、誰か卵を産み付けたのか、泡が見えます。

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  また小池があり、羊が順に水を飲んでいるのですが、
  水草が物凄く繁殖しており、
  飲めるのかな、飲んでも大丈夫なのかな・・、
  そして、食用蛙の大きな濁声の鳴き声が周囲に響き渡り!

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  雲が動いて行きます

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  暫く走り、再度大きく開けた平野に出て、これは右側、

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  左側には鉄道線が見え

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  この後、次第に集落に近づき、アシャーノから辿ってきた
  「白い砂利道」は、
  トッレ・ア・カステッロ・Torre a Castelloでお終いに。

  砂利道で高低差もありましたが、心配していた程の悪路でもなく、
  オルチャの谷の雄大さとはまた別の趣の風景が楽しめました。

  次回また通るチャンスがあったら、
  通る季節と時間を大いに考えて、と。
  へへへ、喉元過ぎれば熱さ忘れる・・! 




 *****

 ◆ 個展のお知らせ ◆

   広島にお住いの田谷行平先生が、この21日から29日まで
   並木通りの「ギャラリーたむら」で、個展を開催されます

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   どうぞお出かけご高覧頂けますよう、ご案内申し上げます




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・ 春5月 シエナのクレーターの道を行く その1


  イタリアは夏と秋に地震が起こり、大きな災害が続いたのでしたが、
  同じ中部のアブルッツォ州を震源とする地震が、この18日に再び
  ほぼ同じ一帯を覆う地震で、マグニチュード5クラスの揺れ、
  建物崩壊の下になった老人の死亡報道がありました。

  南イタリア一帯はおまけに先日来からの大寒波、そして大雪と
  大変な様ですが、これ以上の災害が起こらぬよう、
  そして、暖かい春の訪れを待ち望んでいる今日この頃です。


 *****

  ヴェローナのご案内が続きましたので、今回は少し離れた
  トスカーナの、春5月の緑をご覧頂きますね。

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  3年前の春、トスカーナのオルチャの谷一帯からの戻り道、
  ピエンツァから北に13k程にあるモンティージの町に再度寄り、  
  そこから北上しアシャーノ・Ascianoを目指しました。

  というのも、アシャーノからシエナには普通国道438号を通りますが、 
  暫く前に見つけた、
  13kmほどのシエナのクレーターの地道を通ってみたかったのですね。


  上の写真は、まだアシャーノに着く前の平野の向こうに見えるのは、
  ガッリコの城Castelo di Gallico といい
  一度由来を調べたことがありました。 
        




  他にも、いかにも荘園風、城館風という建物も見かけ、

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  こちらもなかなか良い感じの農家でしょう?

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  大きな小さな起伏の丘を行く、これは何をしているのか、
  後ろに箱型の漏斗風を付けたトラクター、
  種まきするには時期が遅いと思うのですが、
       
  起伏に左右上下ガタガタと翻弄されながら、ゆっくり進みます。

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  この年の春は、春先の雨が多すぎ、暖かくなるのが遅く、
  土地により小麦の育つ緑色がまだまだ薄い所があったのですが、

  この辺りは綺麗に緑色が広がり、小池も見えます。

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  当時はまだ写真をRAWで撮っておらず、緑の発色が良くなく、
  今回大急ぎで整理したものの、少し靄が出ていた事もあり、
  なかなか・・、という言い訳でご容赦を!





  大体この辺りでアシャーノの町横を過ぎ、
  町外れから狙っていた道に入り込み・・
  という事で、どの道を通ったのか、地図をどうそ。

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  赤い点々を打った道がそれで、地元の人々が通る道、
  また途中に何軒かアグリトゥリズモをしている農家もあるので、
  それへの連絡道という感じの地道で、
  一般には左側に白く見える道SS438を通ります。

  なぜこの道を通ってみたかったかと言いますと、
  サイトで見つけた何枚かの素晴らしい写真に魅せられたからで、
  自分が行ける距離で、自分が通れる道なら、
  一度見たい!と思ったのでした。

  こちらにそれらの写真を少し纏めています。
  う~ん、これらの写真を見ると、
  彼らは如何に時間帯も狙っているかが良く分かりますし、
  時に写真ソフトで色を大幅に弄っているのも、ね。





  トスカーナの丘の不思議な眺めの一つが、
  こんな風に同じ丘の続きでありながら、
  この場合は小麦畑が、なぜこんな風に色違いの帯になるのか?!
  厳密に言うと、味にも差ができるのではないかと・・。

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  丘を流れ下る水路によって、と思いますが、木々の育つ場所もあり、
  生育が良い所、少しはげちょろけの所、色々様々!

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  アシャーノ一帯は、シエナのクレーターと呼ばれる侵食地が
  顔を出しているので有名な土地なのですが、ここにもかなりの広さで。

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  アシャーノ近くの大クレーターの脇の小さな村キュズーレ





  そして丘の向こうに、かなりの町並みが見えます。 
  何処だろ?

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  丘の起伏の波打ち、そして、薄いピンクの花の色

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  アグリトゥリズモの看板が道端にでていましたが、
  農家の姿はまるで見えず、かなり離れた奥にあるのでしょうね。

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  この凸凹の丘!

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  種まきのトラクラーが通った跡が縱橫に残り・・!

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  黄色い花が咲き誇る谷もあり、

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  鉄道線が谷を渡るのが見えましたが、
  現在この線は季節の特別列車が走るのみの様子。

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  これを撮った時の様子はよぉく覚えています!!
  というのも、砂利道でおまけにズルズルっと行く傾斜がひどく、
  とても車を止めて外に出る勇気がなく、ははは、これは車の中から!

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  急坂を少し外れると眺めが広がり、前方の丘の上に家が1軒!

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  ですがその前に、こんな廃屋の農家の横も通り

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  色違い、生育違いの丘の起伏も眺め

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  先程の丘の農家を。 横並びの丘の上にもまた別の農家。

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  この丘の上の農家の写真はサイトですでに親しんでおり、
  ああ、これだったんだぁ!と。

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  ここはモンテ・サンテ・マリーエ・Monte Sante Marieの辺り、
  なにせ村の標識が見えたのが、ここだけだったもので・・!



  という所でこの回はお終いにし、次回に。



 *****        
       

  いつもブログご訪問、有難うございます!     







・ n.3 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ

   
  ヴェローナのカステルヴェッキオのご案内 その3を続けます。 

  こちらはナポレオン棟の展示室で、長い展示室が続き。

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  この黄金背景の綺羅びやかな絵、ピサネッロと思いますが、
  天使たちが飛び交う花園の中の聖母子像は、
  多分スカーラ家の城郭部の方にあったのとは思いますが・・、

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  これはベッリーニでしょうか?

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  マンテーニャの作品ですが、かなり工房の弟子の手が・・。

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  この「落書きを見せる少年像」は気に入って撮ったのではなく、ははは、
  当時でも、こういうのもありだったんだなぁ、と思って撮ったのでしたが、

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  何と3年後の2015年11月19日夕方、閉館近くの博物館に入った
  強盗が盗み去った17点の中に含まれており・・!

  2016年12月23日に無事戻りましたが、

       
  作品はコレクションする人間の希望にそって選ばれたと見られれる、
  というのを読み、
  う~ん、私ならこういうのは要らないなぁ、ははは、失礼!と思うものが多く、
  もっと良いのが他にいっぱいあるじゃぁないの!!と・・。 きゃはは。





  とは言え、このルーベンスも持ち去られた内の一作品で、
  ええ、これはねぇ、素晴らしい作品ですねぇ!

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  こちらはマティルデ・ディ・カノッサ・Matilde di Canossa
  (1046-1115)の肖像画。
  「カノッサの屈辱」事件で有名なカノッサ城を所領に持つ、トスカーナ女伯
  と言っても、書いている本人shinkaiにもあまりピンときませんが、ははは、

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  彼女の遺骸がかってあった(現在はヴァティカンに)という
  マントヴァの南にあるサン・ベネデット・ポーという町の大修道院
  を訪問した時この絵(の複製)を見ていたので、
  あれ、実物はここにあったんだと少し驚き・・。    





  収蔵展示品は他にも見くたびれるほどあり、余り写真を撮っておらず、
  上からの眺めなども見て頂きたいので、これでお終いとしまして、

  これは展示室から見える橋の眺め

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  そして、お待ち兼ねの「カングランデ騎馬像

  鎖帷子を付け、翼を持つ犬がついた兜は後ろに撥ね、
  にっこり笑った笑顔!
  愛馬も頭部は主人と同じ兜、ダマスコ織りの踝まで届く盛装をし、
  それが一陣の風にひらめいている、という素晴らしい騎馬像!

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  多分右手には鞘の剣を持っていたと見られ、これは平和を示し、
  笑顔には温情が見られると。

  この像は元は彼のお墓、スカーラ家墓所・アルケ・スカリージェレの
  横にある彼の棺所の上にあったのだそうですが、
  現在墓所にあるのはコピーだそう。


  カングランデという名を持つ人物はスカーラ家に2人おりまして、
  こちらがスカーラ家一番の隆盛を築き、
  盛名高かったカングランデ1世(1291-1329)
       
  洗礼名はカン・フレンチェスコ・Can Francescoだったようですが、
  彼の幼少からの目覚ましい成長を認めての通称が
  カングランデ・大きなカンとなったと。

  勢力争いの激しかったヴェローナで、敵方からも
  1年後にはイタリア王になるだろう、と言われ、
  スカーラ家に招かれ身を寄せていたダンテも賛美を惜しまなかったと。

  頭脳明晰、武力に秀で、雄弁快活、謙虚な信心深さももち、
  芸術にも関心を持ち、
  一旦決めたことにはためらいなく、鉄の意志を持って向かう、という
  まさに君主になるべくして生まれた人物

  皇帝フェデリコ2世と縁戚の父を持つジョヴァンナ・ディ・ズヴェーヴィア・
  Giovanna di Sveviaが、ドイツにまだ見ぬ夫との結婚に向かう途中、
  スカーラ家の当時の当主バルトロメーオ1世の妻となっていた
  姉のコスタンツァの元に逗まった時、
  彼女を見たカングランデは一目惚れし17世で結婚! 
  彼女の方が11歳ほども年上だった様ですが・・。
  ですが、この結婚からは嫡子を得ず、
  カングランデの8人の子供はすべて庶子(男子4名)!

       
  そして彼は38歳の夏7月22日トゥレヴィーゾに於いて突然の死を。
  トゥレヴィーゾの政情不安のため乗り出し攻略に成功、
  町に入ったのが18日で、司教館に滞在しますが、
  4日後の22日の朝司教館の部屋で、
  健康に問題なかった壮健盛りの突然の死を迎えます。

  トゥレヴィーゾに向かう途中、湧き水の冷たい水をガブ飲みしたのが
  原因と見られ、ほんの少し毒殺の声もあったものの、
  近年まで自然死と見做されていたのでした。

  が、2004年に墓所から遺骸を取り出しての科学的検査が開始、
  遂にジギタリス(和名キツネノテブクロ)による毒殺と判明!

  ジギタリスはピンクの筒型が集まった美しい花で、
  心不全の薬として現在も用いられているそうですが、意図して
  適量を越すと毒薬にもなり、まさにこれが原因だったと判明。       
  多分彼の侍医によるものと見られますが、
  この医者は後に絞首されたそう。
       
  誰もが予想しなかった一代の英雄の死が起こったのでしたが、
  彼の嫡子はなく、甥のアルベルト2世がスカーラ家の当主となり、
  その次代は彼の弟マスティーノ2世と続き、
  こうして徐々にスカーラ家は衰退の道を辿り始めます。


       


  この素晴らしい衣装は、棺の中のカングランデが纏っていた
  絹の高級織物を再現したものだそうで、
       
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  生前の身長は175cmほど、髪は明るい栗色、顔は長く、
  下顎がひときわ出っ張っていた特徴ある顔だったと、
  2004年の検査が明らかにしています。

  カステルヴェッキオから北西にある、
  サン・ゼーノ聖堂の後陣に描かれた人物像の内、
  ひときわ出っ張った顎を持ち高官にある人物の衣服を付けたのが、
  多分彼を描いたものであろうと。
      




  城の見学順路には、かっての物見兵士たちのパトロール道も含まれ、
  ここはナポレオン棟のアディジェ河を見下ろす通路。

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  昔、これによく似た通路を通った記憶が・・!





  向こう側の岸で記念撮影中のカップルも見え、

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  この高さから橋が見え、向こうに見える鐘楼はサン・ゼーノ聖堂

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  ローマ兵士も、ははは、休憩中なのが見え、

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  これは主塔の横に出てきた辺りからの眺めで、
  橋の上、そして鳩でいっぱいのナポレオン棟の屋根の上。

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  物見パトロール道は、この後写真の右に見える城壁、
  橋に続く城内の通りの右横のコルテ・ダルミとの境の
  城壁の上も通ることが出来、

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  こんな様子のパトロール路で、

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  時計塔の中に入り、
  展示のマスティーノ2世・MastinoII(1329-1351)の騎馬像。

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  カングランデ騎馬像と同じような作りなのですが、
  やはり少し及ばずの感がありますねぇ。

  マスティーノ2世の時代に一旦所領はぐんと大きくなるのですが、
  フィレンツェと組んだヴェネツィアと戦う羽目になり、結局領土は
  ヴェローナとヴィチェンツアのみになり、スカーラ家の勢力は徐々に下り坂。

  カングランデ2世(執政1351~、カンシニョーリオ、パオロ・アルボイーノ、
  バルトロメーオ2世、アントーニオと、1387年まで君主制が続きますが、

  スカーラ家のレジーナ・Reginaと結婚していたベルナボ・ヴィスコンティ
  ・Bernabò Viscontiがパドヴァ、フェッラーラ、マントヴァと組み、
  妻の財産相続を口実の攻略を始め、
  ヴェローナは激しい戦いを乗り切り独立を守るものの、
  これによりアントーニオ・デッラ・スカーラは引退し、

  125年間12代に及ぶスカーラ家の王朝は終わりを告げたのでした。





  時計塔の横には小さい芝生があり、夏の暑い時にホッと。

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  こちらが初回の最初に見て頂いた城の正面側の城壁で、
  向こうに広がるのがヴェローナの旧市街地。

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  時計塔を出て街に接した城壁の上を歩き、いや、パトロールし、はは、

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  こんな現代の街中の喧騒も見
  ・・次にはあの2階建てバスに乗って回ろうとか計画し、ははは、
     
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  博物館入口に戻って、見学はお終いです。
       
  3度に渡っての長いお付き合い、有難うございましたぁ!!





  最後はサイトから拝借の、橋の夜景を。

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  ほぼ6世紀に渡っての変遷を生き残り
  今も見事な中世の城塞を見せてくれるカステルヴェッキオ。 
  いやぁ、やはり見事なものでした!!



 *****

  水彩+色鉛筆画ブログには、
  アップしています。    
  見てやってくださ~い!    



 *****        
       
  いつもブログご訪問、有難うございます!     






・ n.2 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ

   
  ヴェローナのカステルヴェッキオのご案内 その2を続けます。 

  さて、橋を渡って戻り、博物館の見学に
  この棟がナポレオン軍支配当時に増築された兵舎で、
  その後中世風に修復されたもの。

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  上の写真の左下に見える遺構ですが、
  これも多分アディジェ河の水を引き込んだ堀の一部と。





  博物館の建物の左端、2階部分に見える騎馬像は、
  スカラ家の一番隆盛を極めた領主カングランデ像・Cangrande.

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  昔博物館に入らずに庭からこの像を眺め、本当に憧れたものでした、はぁ。
  今回は中からじっくりカングランデの顔も、
  お馬君の顔も眺めることが出来ましたので、次回のご案内で。





  城壁の飾りが映る博物館の窓。 
  多分これは東側、事務所図書館側の窓と。

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  前庭の山羊かな、を形どった小さな泉と、
  奥が博物館入口。

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  ほっと一息の、前庭に咲いていた鮮やかな花

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  入り口脇にあった碑。 どこから来たのか、
  日時計のようでもあり、飾りの碑のようでもあり・・。

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  かっての城の一部と兵舎を利用して博物館にする大改修は
  1958年から1974年にかけて行われ、
  監修はカルロ・スカルパ・Carlo Scarpa。
  すっきりと見やすい30室ほどの陳列室で、彫像、絵画、武器、
  貴金属などなど、見きれないほどの収蔵品の博物館となっています。


  日本の建築美に傾倒した著名な設計家カルロ・スカルパの
  有名作品の一つ、トンバ・ブリオンのご案内は





  博物館に入り左側、1階は彫像の展示でローマ期から始まり、

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  そしてshinkaiの大好きな中世。 気に入った女性像のみを数点
  ご紹介しますと、

  まずは輪のサンタ・カテリーナ

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  アレキサンドリア(エジプト)の聖女カテリーナ(287-305)を指し、
  その美しさから王に仕えるよう、改宗するよう説得されるのを受け付けず、
  刃のついた車輪で拷問死刑を受けるものの車輪が壊れ、
  遂には斬首に、という聖女です。





  昔から写真で見て憧れていたこの背中! 
  男性的でもあるこの存在感!

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  初めて正面からお目にかかりましたが、
  音楽の守護聖人サンタ・チェチーリアかな?

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  こちらも背中ですが、はは、渋く素晴らしい緑の彩色で、

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  何という事! 今回写真を整理していて気が付きましたが、
  前面から撮っておりませんで・・、バカがぁ!!




  きっとこちらの素晴らしく優しい雰囲気の聖女像
  先に目が行ったのでしょう。

  優しい目つき、ふっくらの頬、口元、細かい衣装の彫り、
  素晴らしい!!

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  サンタ・リベーラ・Libera像、サンタナスターシャ教会のマエストロ達の作で
  あろうと云うことで、14世紀半ばの作品と。





  という所で、博物館のご案内はいったん止め、

  城の中から連絡して北のアディジェ河を渡る橋について
  ちょっとお話をさせて下さいね。

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  上の写真はグーグルの衛生地図から切り取ったもので、
  橋の3連アーチの位置がよく分かると思い・・。

  ちょうどアディジェ河が街中に来て大きく蛇行する位置に城と橋があり、
  河のほぼ真ん中に、最初の城からの長いアーチの橋脚があり、
  後の距離をほぼ半分にして、もう一つのアーチがかかります。

  つまり、同じ幅のアーチではないのですね。
       




  こちらをどうぞ。
  横からその差がよく見える写真をサイトで見つけまして、

  橋の全長119,9m、城側の一番長いアーチ部分が48,69mで、
  あとのは29,15mと、24mと。

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  城から最初のアーチの頂上部分まで少し上り坂で、
  そこから緩やかな下り坂で北に渡ります。


  説明には、ヴェローナの中世において一番大胆で見事な作品であると。
  確かに、アーチ下部を支える白い石と上の赤い煉瓦の色の対比も鮮やかで、
  城の防御の一部としての造りも頑丈な、見事な橋!

  建設は城と同じグリエルモ・ベーヴィラックワの名が上がり、
  1354年から56年にかけ、城が完成した後に引き続いての事と見られ、
  万が一に備えての、北への逃亡路でもあったと。

       
  こうして5世紀を無傷で経た橋は、北側にあった塔と橋の上のレース飾りが、
  主塔の上を削られたと同じようにフランス軍に寄って削られ、
  その後のオーストリア軍占領時に再建設された事もあったのですが、





  が一番大きな損害は
  1945年4月24日、撤退するドイツ軍によって爆破された事!

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  これはこの橋のみならず、アディジェ河に掛かる街のすべての橋が
  爆破されたのだそうで、
  ドゥオーモの北東にあるローマ期のピエトラ橋も爆破されたのでした。





  戦争終了後即、街の他の重要な記念物、橋共に再建が決められ、
  上の写真で見るように、
  大爆破にも関わらず基礎の大事な部分が残っているのを幸いに、
  新しく全部掛け替えるのではなく、その部分を修復して掛ける事に決定。

  最初の仕事が始まったのは1945年末で、まさに戦後数ヶ月、
  河床の残骸を除くことから始まり、

  1949年から新しい無傷の切石がオリジナルと同じ場所に
  置かれ始めたのだそう。
  これは幸いに爆破前にされた測量と写真があったのが役立ったといい、

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  おまけに石の色彩研究から、中世の石切場のどこから
  この橋の石が切り出されたのかも突き止めることが出来、
  つまりヴァルポリチェッラ・Valpolicellaのサン・ジョルジョ
  San Giorgio一帯の石であるのもわかったのだそう。

  ヴェローナの有名なワインにヴァルポリチェッラ、同名の赤ワインがありますが、
  同じくヴェローナの赤い大理石の産地でもあるのですね。
  ヴェローナの北西、山地に掛かる一帯で、サン・ジョルジョはそのやや南西に。

  こうして新しく赤いヴェローナの石が切り出され、橋の下部に使われ、

  一方煉瓦は、粘土があちこちのもので大きさも不揃い、
  各地で焼かれている事から、解体された建物から新しい煉瓦を取り出し、
  またヴェローナやマントヴァの違う煉瓦工場から取り寄せたそうで、      
  こうして無事に架替工事が終了したのが1951年7月20日の事。


  爆破された当時の写真からも見えるように、
  アーチの基礎は5角系で、上流側は尖った形に張り出し、
  3連のアーチの広さも様々の、長さ120m,幅6mを越す、
  アディジェ河の水の流れもよく研究された、
  中世14世紀の橋がこうして蘇ったのでした。


  修復や建設工事の際の様々な研究努力を読むと、つい興奮し、
  何とか皆さんにもお伝えしたいと、ははは、お分かり下さいますよねぇ?!


  とこの城が「カステルヴェッキオ・古い城」と呼ばれる所以ですが、
  この城の後アディジェ河を挟んだ北の山手側にサン・フェリーチェ・
  San Felice とサン・ピエトロ・San Pietro(現考古学博物館)が
  築かれて後、古い城・ヴェッキオと呼ばれることになったと。

  そしてもう一つお断りですが、
  先回スカラ家と書いておりましたが、Scalaの発音はスカーラですので、
  やはりスカーラ家と書くのが正しいと思い、
  先回の分から訂正させて頂きましたので、よろしくご了承願います。




  さて、博物館内見学に戻って頂きまして、

  1階の彫像展示室から出て、
  スカーラ家の居城だった一郭の展示室に移動する際、
  上階の角に展示のカングランデ像が見え・・。

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  スカラ家の居城であった部分にも展示室がある事も頭になく、
  順路に従い自然に移動したのでしたが、

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  今になって知ってみると、この奥が城郭部分だったのでしょうねぇ! 
  もっとしっかり見ておくんでしたぁ!!





  宝石類を使った装飾品があり、美しいと思ったのを数点写しましたが、
  ピンぼけご容赦!
  首飾り、ベルト、ブローチでしょうか。 美しい貴族の品々!

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  とにかく展示品の数が多く、ぱっと見に良いな!と
  思った物だけ撮っていて、

  これは旧約聖書の絵解きですね。

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  スカーラ家の城郭部の展示室は、
  こんな風に部屋の形も真四角でないのがあり、
  天井下にはスカーラ家の紋章、梯子・イタリア語でスカーラ、と
  両脇には立ち上がった犬の紋章が描かれ、
  その下は装飾柄のフレスコ画で埋まります。

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  なぜ紋章に犬なのか、またなぜ一族にカングランデ・大きな犬とか、
  マスティーノ・マスティフ犬などの名があるのか、
  ずっと疑問だったのですが、
  現在では時に余り良い意味を持たない「犬」も、
  中世においては「犬」には良い意味があり、価値とか賞賛を示し、
       
  スカーラ家がかってトルコ系の軍の長であるKhanと縁戚になったとか、
  カングランデが生まれる前に、
  母親は犬の唸り声の中で犬が生まれる夢を見たという伝承もあり、
  とりわけカングランデの偉大さが知られて後は、
  家系と犬を結びつけたのであろうという事。

  カングランデについては、後ほど騎馬像の所で改めてご説明しますが、
  ここでスカーラ家についてちょっとご案内させて下さいね。

  最初の記録にスカーラ家が登場するのが1180年
  布、織物商アルドゥイーノ・デッラ・スカーラ・Arduino della Scala
  が南の方から移って来たように申告があり、

  その息子ジャコミーノ・Giacomino またはヤコピーノ・Jacopino 
  毛織物商、彼が後に続くヴェローナの君主の始祖と見做されます。

  ヤコピーノの息子マスティーノ1世・Mastinoは特別の金持ちでもなく、
  貴族の称号も持っておりませんでしたが、
  残虐で知られるエッツェリーノ3世・ダ・ロマーノの占領から逃れて
  間もないヴェローナ市民に受け入れられやすい平和志向の男で、

  大変に政治的にも優秀であった弟のアルベルト・Albertoとともに、
  当時の街の政治を動かしていた富裕な羊毛組合の中で自然に長となり、
  特別な闘争なしに、
  マスティーノが1262年にヴェローナの君主となり、1277年まで。

  ついで弟のアルベルトが、1277年-1301年まで、
  3代目はアルベルトの息子バルトロメーオ・Bartolomeoが1301-1304年
  4代はアルベルトの息子、バルトロメーオの弟
  アルボイーノ・Alboino1304-1311年

  そして5代目がスカーラ家の一番の繁栄期、絶頂を迎えた
  カングランデ1308-1329年という事になります。
       

  という所で、今回のご案内を終え、次回その3に



 *****        
       
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・ n.1 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ 

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  ヴェローナのご案内が続きますが、今回は3度に分けて
   カステルヴェッキオ・Castelvecchio・現在博物館になっている
   14世紀からの城と、城内を通りアディジェ河を北に渡る
   3連アーチの美しい橋、のご案内を。

   トップは、18世紀のヴェネツィアの画家ベルナルド・べロット
   Bernardo Bellottoの描いたカステルヴェッキオと橋の眺め。
   河に張り出した漁のためと見られる突堤や小屋以外、
   城と橋の眺めは現在とまるで変わりません。

  ベルナルド・ベロットと聞くとご存じないかも知れませんが、
  ヴェネツィア風景で有名なカナレット・Canaletto
  という画家はご存知でしょう?
  カナレットの本名はジョヴァンニ・アントニオ・カナル(1697-1768)といい、
  彼の妹がベルナルドの母親で、つまり甥になります。
  よく似た作風で描いていますが、北ヨーロッパでの活躍が多かった様で、
  最後はポーランドのワルシャワで亡くなっています。





  カステルヴェッキオはどこにあるかの地図は、
  先回のサンタナスターシャ教会ご案内にありますので、そちらをご覧に。


  城城壁の正面全体が写っている写真が見つからず、サイトから拝借し、

  アディジェ河がヴェローナの旧市街の出っ張り部分を
  大きく湾曲して包み込む、
  その西の端にある14世紀建設のカステルヴェッキオの正面
   
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  ご覧のように高い塔が3つあり、真ん中の塔が現在の博物館への
  正面入口で跳ね橋が見え、これは手前右の塔にも名残が見えますが、
  かってはアディジェ河から水が引き込まれた堀が城をめぐり、
  各塔の下にある門はすべて跳ね橋があったそう。

  が、堀は現在すべて空堀、または埋められています。
  奥に見える塔には時計が見え、その通りに時計塔と。





  塔の間を繋ぐ城壁の上は物見の通路となっていて、     
  上にはメルレット・レースと呼ばれる飾り兼銃眼、狭間付きの壁。  

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  こちらが正面の塔と跳ね橋で、

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  この門の扉と、

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  門の内側にあった井戸。 

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  今回は先に橋の様子をご覧頂くので、また表に出て頂き、はは、

  こちらが時計塔。 

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  カステルヴェッキオは現在ヴェローナ市の博物館となっていて、
  その切符に城と橋の上空写真があり、分かりやすいのでご覧を。

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  先程の真ん中正面の塔は、一番東の塔よりも細く見えますが
  幅があり、跳ね橋を渡って中に入っての様子もお分かりですね。
       
  中庭は大内庭・コルティーレ・マッジョーレ、または武器の広場・
  コルテ・ダルミと呼ばれ、
  見える河寄りの建物が現在の博物館で、
  正面白く見える壁の部分に図書館や事務室、
  で、この建物角部分、アディジェ河寄りにもう一つの塔。
       
  そして正面側の3つの塔の手前(下側)に、高い城壁に囲まれた通路、
  ここが橋に至る城内を通る通路で、
  左側、河の手前に見える高い大きな塔、これがマスティオ・主塔
  呼ばれる塔ですが、この横を抜けて橋に連絡します。

  この写真では切れて見えませんが、正面の塔のつながりの一番下に、
  もう一つ低めの塔があり、ここから斜め下左に城壁が伸び、

  この部分の城壁は2重になっており、その内側、つまり
  主塔の手前に見える建物類、ここがかってのスカーラ家の城郭だった
  レッジャ・スカリージェラと呼ばれる一郭。




       
  所でこの写真に見える現在の城は、築かれた当時、
  そして18世紀後期までとは違う姿なのですね。

  というのもこの平面図をどうぞ。
  これは1801年の城の平面図で、2のスカラ家の城郭部分、
  3の主塔部分は同じですが、1のコルテ・ダルミと呼ばれる
  右の広場の河よりの部分、現在の博物館棟がありません。

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  ここは実はナポレオン軍が統治時代に、兵舎として建て増しを
  した部分で、ナポレオン棟と呼ばれることもありますが、
  土手や砲台がヴェネツィア共和国時代にも築かれた事はあったものの、
  ずっとアディジェ河に向かって開けていたようです。

  ですから、正面側の入口の門から入って見える姿は随分違って、
  兵士や兵舎が多分並んだ、殺風景な要塞城の姿だったことでしょう。
       




  さて、橋に行きましょうか。

  時計塔の左下に橋への通路口があり、入り口からの眺めは
  こんな様子で、奥に見えるのが主塔の下部分。

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  右側の城壁は内庭との境の壁ですが小さな通路口があり、
  上空からの写真で見えたスカーラ家の城館部分との境の城壁は、
  左の内側に高く見える城壁です。





  ここが主塔の横を通り橋に抜ける部分で、奥に橋が。

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  抜けてきた正面を振り返り、
  見える塔が正面城壁の一番西端の低い塔

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  緩やかな上り坂の通路左側、主塔の内庭部分は一段低く、
  こんな井戸も見え、

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  大砲の弾というか、弩砲の石の球!も積んであるのが見え、

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  これは主塔の窓、テラスで、左奥にちらっと見える壁が
  スカーラ家の城郭だった壁の一部。

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  かっての城の様子を見て頂いた所で、ちょっぴりこの街と城の歴史を
  ですが、長い歴史の変遷を持つ街と城ですので、ほんの要約を。

  現在のヴェローナは、ミラノとヴェネツィアを結ぶ幹線上の一都市、
  に近い存在になっていますが、
  かってのヴェローナは、アディジェ河に沿って北に向かい、
  アルプスを越え北ヨーロッパの国々とを連絡する
  通商交易で重要な街道の基点地であり、

  先史時代からすでに集落があり、紀元前のローマ期には
  現在の旧市街地区がきちんと整理された都市であり、
  ローマ期の主街道の交差点でもあり、
  テアトロやアレーナも現在に残っているのは、よくご存知と。

  そして中世に入り自由都市となり、ロンゴバルドの下、
  また封建領主の影響も受け、
  13世紀に頭角を現しヴェローナの領主となったのがスカーラ家
  Scalaで、1262年から1387年にかけての125年間、
  この街を支配したのでした。

  スカーラ家の要塞城として建設されたこの城は、1298年から
  形となり始め、かっての自由都市時代からの城壁も利用し、
  最終的に完成したのが1354年。
       
  建設を任されたのはグリエルモ・ベーヴィラックワ・
  Guglielmo Bevilacquaという名が上がり、
  同時にアディジェ河に掛かる橋の建設も。

  城と一体になっているこの橋は、
  万一の際の北への逃亡にも備えたものであり、
  スカラ家の居城でもあり都市要塞でもあるこの城が、
  更に主塔マスティオの建設を加え、南西側が少し引っ張られた、
  全体として大きな台形の城が完成したのが1376年。

       
  ヴェローナの君主としてのスカラ家の時代の後、
  1404年この街はヴェネツィア共和国の下に。
  その下での平和の時代が4世紀ほど続き、
  この城は兵舎、武器庫などなどに利用され、
  その後ナポレオン統治の下に、
  上記したようにアディジェ河の眺めを塞ぐ長い棟が出来、
  現在の姿になります。

       



  さて、アディジェ河に掛かる橋に戻りまして、

  橋の上はこんな様子で、観光客のみでなく、地元の人々の
  生活の通路でもあり、自転車も通り抜けて行きます!

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  橋の上から振り返る主塔。 

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  この主塔は、カステルヴェッキオの歴史の中の変遷とともに
  変化を遂げ、ヴェネツィア共和国時代には東側の面に、
  大きなサン・マルコのライオン像のフレスコ画があったそうですし、

  ナポレオン軍が駐留していた時代には、
  上部を削られ低くされた事もあったそうで、
  その後に占領したオーストリア軍により元の姿に。
  塔の中ほどでレンガの色が違って見えますね。 
  多分あの高さにされたのだろうと・・!

  で、一体どれほどの高さがあるのかと調べましたが見つからず、
  かなり意地になりましたが、ははは、遂に見つからず!! 
  まぁ、教会の鐘楼程度かなと思いますが・・。
            
  今、買い物袋を下げた地元の人も通って行きます。 
  この橋を渡って真っ直ぐ行くと、アレーナの前のブラ広場に出ますし、
  地元の人々には北と南を繋ぐ便利な橋なのですね。





  橋から見る現博物館の建物、ナポレオン軍が兵舎として
  建て増しした部分の裏側で、 
  一番上階は見張り兵士の通り道になっており、
  カップルがアディジェ河を見下ろし・・。

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  橋から眺める街の東側。 見える橋はポンテ・ヴィットーリア、
  右の鐘楼はサンテウフェーミア教会・Sant'Eufemiaで、
  左奥がドゥオーモの鐘楼。

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  アディジェ河はトレントの奥、アルプスから流れ全長約410km。
  イタリアでの最長の河ポー(652km)より少し北でアドリア海に注ぎますが、
  ここヴェローナでもとうとうと流れ河幅も広く、
  城から掛かる橋の長さは119,9mもあるそう。
       

  所で、スカリージェロ・Scaligelo(複はリ・li)という言葉も
  ガイドブックによく出ますが、
  ポンテ・スカリージェロ、カステッロ・スカリージェロなどなどですが、
  スカリージェロというのは、スカラ家の、という形容詞。
  shinkaiはややこしくならぬよう、なるべく使わず、
  スカラ家とご説明していますので、ご了承願います。





  この部分は橋から張り出す、アーチの基礎部分の上にあり、
  この尖った3角形は上流側に向かった部分で、下流側は四角形。

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  かっては物見兵士の通路だった道も、
  今は観光客の格好の撮影ポイントで、ははは、大賑わいですね。
  ローマ兵士の格好をした、撮影お供のモデル氏もいますです。

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  橋を渡りきっての北からの眺め

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  橋の北の袂にある、ローマ期のものだったと思う碑。 
  可哀想に落書きされ!
  以前説明を読んだ記憶があるのですが、今回見つからずで・・。

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    所でこの橋は、グーグルのストリート・ヴューで渡れます!
  しかも白バイ2台を先導にですから、ははは、ぜひお試しを!!
       


  という所で、この回をお終いにし、
  次回に博物館内部のご案内を。

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 *****

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・サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ その2

  ヴェローナのサンタナスターシャ教会のご案内 続けます。

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  こちらはその右隣にあるロザーリオの礼拝堂、なのかどうか少し不明です。
  というのも今回この絵が3段の絵画の真ん中に収まリ、
  立派な礼拝堂に安置された写真が見つかったのですが、
  この背後に見られるのとはちょっと違いまして・・。
  という事は、仮の姿でここに安置されていたのかも。
       

  礼拝堂は祭壇脇に2つずつ、そして脇壁に添って別の祭壇もあるのですが、       
  ピサネッロを見ただけで十分に満足してしまい・・!





  主祭壇の前、左側の壁のフレスコ画
  開いている扉は、聖具室への扉だったと。

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  祭壇に向かって左側の壁中程にあったオルガンの周囲

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  オルガンを挟む形で前にある2本の円柱の右、
  写真の中で一番右の円柱に見える
  立ちあがったライオンの紋章、これにご留意を。





  床の大理石模様。 床は建設当時15世紀中程のままだそう。
  白と黒はドメニコ会派の僧服の色であり、赤はこの教会が捧げられた
  殉教者サン・ピエトロの血の色を現わすと。

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  こちらは右の壁にあったと記憶する祭壇画
  全体に大変装飾の素晴らしい祭壇で、絵も美しいでしょう?!

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  脇にあった小礼拝堂の形を取るもので、
  絵もはげ落ちさだかではありませんが、上部の飾りが素晴らしく、
  下部の大理石は、ひょっとして古い石棺のリサイクル・・?
     
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  これは教会入り口近くにあった聖水入れと、支える男の像

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  左右にあり、こちらは手を膝に置いていますが、






  もう一方のは、片手を頭に置いている姿。  サイトから拝借。
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  訪問したのが夏の盛りとあって、入り口付近は大変明るかったのですが、
  照り返しの陽の中で、
  大変清楚な美しさだった左側の壁のフレスコ画装飾の礼拝堂の上と下

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  そして、全体の姿をサイトから拝借し、ボルディエーリ・Bordieriの祭壇と。

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  他にもたくさんの祭壇、そして祭壇画、彫像などもあったのですが、
  自分の好きなものを主に選びまして、これで失礼を。





  参拝者たちの捧げる蝋燭の明かり

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  15世紀からの古い木製の扉を通り、外に

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  最初の写真左側に見えた教会前広場の様子で、
  右側教会からの接続部に見える門扉と、その上の柩

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  門扉の奥の中庭は、現在音楽学校なんだそうですが、

  石棺と上の館の屋根はこんな形で、
  この中の主はグリエルモ・ダ・カステルバルコ・Guglielmo da Castelbarco,
  (生年不明-1320)

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  カステルバルコ家の一番の繁栄時の領主ですが、
  当時の習わしとし、権力と財産を持つ人物のみができた教会建設の援助、
  このサンタナスターシャ教会の建設に大きな援助をし、
  後には同じヴェローナのサン・フェルモ教会・San Fermoの建設にも関わったと。

  彼はここに葬られる事を願い、この形で埋葬されていますが、
  これが後にヴェローナの領主として君臨したスカラ家の墓所、
  「アルケ・スカリージェレ・Arche Scaligere」の姿となったと。
     

  アルケ・スカリージェレの写真はこちらに
  
  ヴェローナの街の中心ちょっぴり

  ヴェローナ全体のご案内は、こちらから



      

  最後はエルベ広場のランベルトの塔の上から見た
  サンタナスターシャ教会の姿を。

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  これだと左奥の鐘楼も良く見えるでしょう?
  高さ72m、鐘楼の鐘は15世紀に5つだったのが、
  19世紀にヴぇェローナの名家からの寄贈で現在9あるそう。

  一番大きなのは1787Kg 直径が145cmもあるそうで、
  これだけの鐘が揃うと、かなりのメロディーを奏でる事が出来るそうで!

       

  ヴェローナのエルバ広場で日本人観光客の評判を聞いたことがありますが、
  ミラノからヴェネツィアに行く途中に、10分間だけね!って。 ははは。
       
  いやぁ、なんのなんの、見所がいっぱいの街で、しかも都会、お洒落です
  次回のチャンスが有りましたら、ごゆっくりどうぞ!

  私はカステル・ヴェッキオのご案内を纏めることに。
      

       
 *****


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・ サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ その1 


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   今回のご案内は、以前訪問したまま纏めておらず、
   時に思い出して気にかかっていたヴェローナの
   サンタナスターシャ教会・Sant'Anastasiaを。

   ここに皆さんも良くご存知の、ピサネッロの傑作「サン・ジョルジョと姫」
   のフレスコ画があり、30年程も前の訪問時に見ているのですが、はは、
   その後こちらに来て後何度かヴェローナに行った時は教会自体が修復中。

   焦がれていたピサネッロのフレスコ画に再会できたのは4年前の夏。
   暫く以前から美しくすっきりとなった教会正面を見てウズウズしていたのでした。

   という様子で、写真も整理し直しましたのでご覧くださいね。

   上は、中心のエルバ広場からまっすぐ教会に向かい、正面に見えてくる時
   この遠い位置からだと左奥の鐘楼が見えるのですが、
   教会正面からは見えませんので、最後にご覧頂く事に。




   サンタナスターシャ教会はどこにあるか、地図をどうぞ

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   ヴェローナの旧市街、ローマ期からの町があった突出部、
   アディジェ河・Adigeが大きく湾曲する、地図番号の位置に。

   ちなみにがドゥオーモで、がエルベ広場、
   が野外劇場・アレーナ、がカステルヴェッキオ、
   はサン・ゼーノ聖堂





   さて、こちらが正面
   12世紀末の建設で、正面扉の周囲は大理石で整備されているのですが、
   それ以外は建設時のままの煉瓦の見える姿です。

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   教会前広場の左手にも一つ教会らしきものも見えますが、
   サンタナスターシャ教会との接続部に見える棺についても最後に。

   右手はヴェローナの有名ホテル、ドゥエ・トッリ・Due Torriで、
   13世紀からの由緒ある館だそうで、一度泊まったことがありますが、
   貧乏shinkaiにはまれな経験で、ははは、
   ロビーなどはやはり素晴らしいものでしたぁ!





   正面扉周辺の5連の大理石アーチは、白とヴェローナの赤い大理石、
   と、黒と説明されていますが、実際は青いグレーに見える石を使っていて、
   如何にもサンタナスターシャ(聖女アナスターシャ)という教会名に相応しい感じ。

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   が、このサンタナスターシャという名は、現在の教会の建設以前にあった教会で、
   13世紀に建設されたのは殉教者サン・ピエトロと呼ばれる、
   ヴェローナの守護聖人でもあるドメニコ会派の僧に捧げられたものなんだそうですが、
   街の人々はずっとサンタナスターシャ教会と呼び習わしているのだそう。

   扉上部の横枠の真ん中、円柱の上に聖母子像、右に輪のサンタ・カテリーナ像、
   そして左に見えるのがサンタナスターシャと。





   夏の強い日差しの下の写真で、扉脇の聖人像も霞んで見えますが、
   扉は15世紀のものと。

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   扉右脇にある碑は、
   この教会が捧げられた殉教者サン・ピエトロの生涯を描き、
   上に13世紀半ばの殉教時の姿がありますが、
   その左下、頭に大きな斧みたいなのを受けた姿が分かりますか?

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   ドメニコ会派の白と黒の僧服を身につけ、頭の真ん中に大きな包丁、
   という殉教者サン・ピエトロの姿は絵画の中、また像でも時々見かけ、
         最初は驚き!でしたが、名前を知ってからは、あ、ここにも居られる、と。 
   ローマ・ヴァティカンのサン・ピエトロとは別人で、
   殉教者サン・ピエトロです。
   
    



   さて、中に入ります。
   ご覧の通り大変煌びやかで、長い世紀のうちに何度か改修されたそうで、

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   天井はこんな様子

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   主祭壇の内陣と後陣
   木製彩色の十字架のキリスト像があり、
   その背後にステンドグラスの長い窓が見えますが、
   このステンドグラスは20世紀になってからの物と。

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   で、脇の壁には、





   右手にはこのフレスコ画が見られ、「最後の審判」のテーマと。

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   左手には、この教会の特色の中でも抜きん出た
   コルテジーア・セレーゴ・Cortesia Serego(1335頃-1386)
   の記念墓碑、15世紀初頭があり、
   上の写真でお分かりのように、壁面いっぱいの大きなもの。

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   棺の上に騎馬像が見えますが、棺の中には何もない記念墓碑で、
   棺部分には正面に5つと、両脇に1つずつの壁龕が見えますが、
   ここにはセレーゴ家の業績を示す青銅像が納まる筈であったそう。


   セレーゴ家というのは、ヴィチェンツァ出身の傭兵隊長で、
   コルテジ―アの時代にヴェローナに出て、
   スカラ家の軍指揮官として活躍した人物の様子。

   この記念墓碑を作ったのは彼の息子のコルテジ―ア2世で、
   騎馬像に跨るコルテジ―アが手にしているのは、指揮を取る棒。

   棺の両脇に立った兵士が重たい緞帳を掲げ、右側の兵は帽子を取って
   敬意を示し、緞帳の一番上にも抜き身の剣を持った持った兵士。

   写真では少し見え難いのですが、緞帳の締め具の一番下の部分、
   赤い部分には剣が3本描かれ、これがセレーゴ家の紋章なんだそうで、
   一番上の兵士の剣も納得です。

   周囲を取り巻くのは金色の枝とアカンサスの葉、そして肉厚の大きな白い花。
   どうやらこれらは当初は彩色されていた様子で、ご想像下さい、
   背景のブルーの中でひときわ鮮やかであったろうと。





   上部は両脇に建物が見られ、空に浮かぶのは「天国」だそうで、
  
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   下の方に天使がいるのは判断できますが、
   なにせ見た時はそこまで意識して見ていませんで・・。





   この主祭壇の右にあるのが「カペッラ家の礼拝堂・Capella Pellegrini
   アントニオ・ペッレグリーニが1492年に礼拝堂を作るよう
   遺言で依頼とお金を残したのだそう。

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   主祭壇のアーチの上、左右に見える梯子の紋章は、
   ヴェローナの繁栄の領主、スカラ家の紋章。
       



   そしてここにお目当ての、ピサネッロの傑作
   「サン・ジョルジョと姫」のフレスコ画が!

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   30年ほど前にやはりこの絵を目当てにやって来て、
   が、絵を見たのはこの場所ではありませんでした。

   今の聖具室だったか、普通の部屋の天井の高さで、その下にあったと、
   暗い部屋の中で見つめていると、たまたま入ってきた教会関係者と思われる
   シニョーラが電灯のスイッチを入れてくれ・・、という思い出があり、

   その記憶が余りにも強く残っていたもので、今回
   この高い位置にあるのに気が付くのに、かなり時間がかかりました!

   そうなんですね、ちょうど絵の中心が山形にくびれており
   考えてみれば、まさにこの礼拝堂入り口のアーチにぴったりで、
   この場所に納まる事を条件に描かれたのだと、納得した事でした。





   右側の「サン・ジョルジョと姫 1436-1438」の部分。
   2人の間に白い馬の大きなお尻があり、背景の煌びやかな町の建物、
   そして左に見える2人の吊るされた男、とどこか謎めいた構成。

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   姫の横顔は、如何にもピサネッロの描く女性の横顔で、
   額が素晴らしく出た白く繊細な細面、大きな装飾の被り物と美しく、

   良く見る構図、龍退治のサン・ジョルジョの横に添えものの姫、とは
   一線を画した構成。
   それに引き換え、サン・ジョルジョが余り男前でないのを
   いつも疑問に思うのですが・・、ははは。


 ◆ 追記と写真追加です。
   shinkaiはずっと、サン・ジョルジョは姫とは馬を挟んだ左側の、
   金髪の男と思っておりましたが、

   そうではなく、姫の右側、綺羅びやかな馬具を付けている
   白馬の上に見える顔、
   兜をつけ、馬に跨る姿がサン・ジョルジョなのだと知りました!!

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   あれま、こんな所に誰かがいるとは気が付いたこともありませんで、
   そう知って見ると、確かに凛々しい顔の男性です!
   それに、右手に長い槍と思われる武器も持っています。

   大変、失礼をば!
   が、そうすると、姫とは反対の方を見つめている事になり、
   誰もが視線を合わせない事にもなり、
   尚更不思議な構図だとも思います・・。

       
      


    ◆ 再追記 

   サン・ジョルジョは姫の左側にいる男性か
   それとも姫の右側の馬上の男性か?

   改めてmitsuさんから質問を頂きましたので、もう一度
   あれこれサイトから関連した記事を引き、読んでみました。

   サン・ジョルジョとして出てくる男性の顔は、
   上に載せた兜をかぶった騎乗の顔がいくつかあるのですが、
   このフレスコ画描写にうんちくを傾けている中に、
   こんな説明を2つほど見つけました。


   姫と馬のお尻を挟んでいる左側の男性の部分をどうぞ。

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   つまり左の男性は、左手を馬の鞍に掛け、左足を馬の鐙に置いていて、
   姫に別れを告げ、龍との戦いに出かけるため、
   今まさに騎乗の人となろうとしている所、と。
   少し呆然としているかにも見え、ほんの少し口を開け歯もみえる、
   光輪にも似た金髪の髪と。
       
   確かにそう指摘されて見ると、
   左手と左足の位置は、まさに馬に乗る前の姿で、
   やはりこの左の男性がサン・ジョルジョとして、
   ピサネッロは描いているのですね。
   そして姫は彼を見送っている姿。
   で、右の騎乗の男性は、サン・ジョルジョの侍者が槍を持っていると。

   そうですね、イタリア版ウィキには右側の騎乗の男性とありましたが、
   左の男性がサン・ジョルジョと考えたほうが、
   姫とも向き合う形になり、主題がはっきりしてきますね。

   mitsuさん、コメントに疑問を書いて頂き、有難うございました!!
   お陰様で納得の行く答えを得られ、とても嬉しいです。

       
   所であれこれの記事を読んでいて、改めて知った事を幾つか。

   絵画の歴史において、ピサネッロが初めてこのフレスコ画において、
   馬を正面から、お尻から描いたのだそうで、
   これによって絵の奥行きが得られている。
   それまでは常に横側からの姿、この方が描きやすくもあり、
   だったのだそう。

   そして、右側の馬の顔を見た時、ちょっと鼻がおかしいな、
   とは思ったのですが、
   これは中東に於いて、馬が走った時に空気が吸い込みやすいようにと、
   かっては馬の鼻孔を切り取っていた!のだそうで、
   ピサネッロはどこかの宮廷において見かけた馬をデッサンしていたのだと。

   今回あれこれ写真を探している時に、ピサネッロの様々なデッサン
   纏めてご覧頂きますね。



   真ん中に美しい空色の海が広がり、帆船の姿も見え
   この色で全体が残っていたら、さぞや素晴らしく煌びやかであったろうと!


   左側は、龍退治、または既に退治された龍であろうと思うのですが、
   残念ながら森の動物たちの姿と、左下に頭蓋骨が認められる位・・。

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   それにしてもこれだけの素晴らしい絵が、こんな高い場所に!
   少し高すぎる、のが残念ですね。



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   という所で「サンタナスターシャ教会 その1」を終え、
   次回に続けます。



   いつもブログご訪問、有難うございます!







・ 新春のお楽しみは・・、 映画とDVD! 

   
   皆様、新年明けましておめでとうございます!

   どうぞ、今年が良い年でありますように。
   そして、
   本年もどうぞ宜しくお願い致します!!

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   今日のトップは、今朝7時過ぎから家の近くを移動しつつ撮った
   正真正銘、2017年1月1日の日の出、オリアーノ村からです。

   良い事がありますように!!



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   さて本年第一回のブログは、「新春のお楽しみ・ 映画とDVD」を。

   映画大好きshinkaiですが、この所余り映画館には出かけなくなりましたが、
    夕方遅く晩ご飯前に出かける、という時間帯が余り好きでなく、
    なぜなら、早めの晩御飯にしても車を運転する直前には飲めませんし、
    映画を見て戻っての晩御飯は、食いしん坊には遅すぎます。

   とあれこれの理由よりも、
    まず仲間が選ぶ映画は余り興味が持てない物が多く・・、
    これに尽きます。 
    彼らは余りアメリカ映画を好まず、選ぶ映画は私めには余り興味がわかない、
    中近東やアフリカの貧しい人々の問題点、と云うようなのが多いのですね。

    とはいえ、まずはクリスマス後に久しぶりに仲間と出かけた1本から、です。



    ◆ マダム・フローレンス! 夢見る2人

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         英・2016年
         監督 スティーヴン・フリアーズ
         主演 メリル・ストリープ
            ヒュー・グラント
            サイモン・ヘルバーグ
       
     日本でもすでに公開されたでしょうね、これは。
     アメリカの大富豪の婦人が、夫の絶大な協力の下に歌劇歌手を目指し、
     遂にはカーネギー・ホールで大コンサートを開く、という、
     実在の人物フローレンス・フォスター・ジェンキンズ婦人を描いた映画ですが、

     問題は、彼女が素晴らしい絶大な音痴だったこと!!

        

     映画の中では、彼女が最初の夫から梅毒を移され、ピアノの天才少女と言われた
     当時の夢を体調に気遣いながらずっと追いかけ、歌手になるためのレッスンを受け、
     貧乏でお人好しのピアノの伴奏者も付け、レコードも吹き込み、

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     夫は新聞評を良くするために音楽評論家を買収し、常に彼女を励まし、
     協力を惜しみませんが、
     その一方、若い愛人と別の家を構え、時々旅行にも出かける、
     という姿も描きます。


       

     コンサートでは大笑いする人々も、
     遂には彼女のその熱度と純真さに打たれ、大盛況で終えますが、
     彼女がカーネギー・ホールのコンサートを満席にしたのは、
     なんと、76歳の時の事!

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     最後にはニューヨーク・ポストに載った唯一の反対記事、
     買収されなかった記者の書いた、ひどい音痴である、
     というのを読み、遂には真実を知る彼女ですが、
     「私が良く歌えなかった、とは言えても、歌わなかったとは言えないわね」と。

         
     過去のカーネギー・ホールの音楽記録で一番のリクエストは、
     彼女のレコードだそう!
     実際にその場に居合わせたらどんな反応を示すか、私自身も分かりませんが、
     まぁ、生き方としたら見事かな、とも思いますです。

     映画のヴィデオはこちらに。

     実在のフローレンスの歌声はこちらでどうぞ。






    TV放映される映画のプログラムを見ては予約録画し、
    ゆっくりと楽しみますが、最近見直して、やはりこれはすごい映画だ!と思った

       ◆ アラビアのロレンス


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         英・米 1962
         監督 デイヴィド・リーン
         主演 ピーター・オトゥール
            アンソニー・クイン
            オマー・シャリフ
            アレック・ギネス
            ジャック・ホーキンス

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     オスカーを7つも撮った名画でもありますが、
     アラブを独立国に、という自分の夢も重ねてトルコと戦い、
     最初はアカバの奇襲などで成功を収めるものの、
     徐々に政治情勢に巻き込まれ、押しつぶされていく姿。

     また個人的にもトルコの上官に拷問され餌食にされた恐怖感から逃れられず、
     民族虐殺の支持をも出してしまう弱さ。 アラブ諸民族間の軋轢。
         


     当時の情勢を追いかけるだけでも難しく、
     映画のメッセージが本当に分かっているのかどうかも疑問ですが、

     スクリーンの中で見る砂漠の表情、ピーター・オトゥールの白い美しい衣装、
     映画の素晴らしさ、美しさを再度満喫しました。

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   予約録画して見た最近の映画で、とても興味深かったのを2本ご紹介。

       ◆ カワイイ私の作り方 全米バター細工選手権! 

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     オリジナル・タイトルは、バター・Butter ですが、
     なんでこんな変な日本語タイトルにしたのですかね?!
     このタイトルだったら、絶対見たくないですねぇ!

         米 2011
         監督 ジム・フィールド・スミス
         主演 ジェニファー・ガーナー
             ヤラ・シャヒディ  

     アメリカはアオイワ州で、毎年秋に開かれる州の物産市で開催の
     バターを使った彫刻コンクール

     10歳の女の子デスティニーは、何度か養子縁組のトライに出るものの、
     なかなか正式養子になれずにいるのが、今回の家庭は上手く行きそうな・・。

     そんな彼女が才能を見せ始めたのが、このバターの彫刻コンクールで、
     最終審査に残り、生みの母親を偲んだ大傑作を物しますが・・、さて。

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     最後に彼女と2人残ったのは、政治にも野心満々、彼女の夫が
     過去15回ずっとこのコンクールで優勝しているローラ。

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     コンクールに応募した一人、ストリップ・ダンサーのあっけらかんかんの彼女。
     それでも率直な優しい人柄が笑わせてくれます。
     彫刻すべきバターに、口紅でちょろっとね、ははは。

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     バター彫刻、と云うのに興味を惹かれ、検索しましたら、
     映画にもでたものの、何とも大きな像が作られるのにまず驚き、

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     やはり牛の像が多いとは思ったのですが、こんなのもあり!

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     ですが、これはshinkaiのツボに嵌って笑いましたぁ!

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       ◆ 砂漠でサーモン・フィッシング

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         英BBC 2011

         監督 ラッセ・ハルストレム
         主演 ユアン・マクレガー   ・・フレッド
            エミリー・ブラント   ・・ハリエット
            クリスティン・スコット・トーマス
            アムール・ワケド



     スコットランドでの鮭釣りの楽しさが忘れられず、自分の国
     アラビア半島の南の端にあるイエメンに、鮭の放流をしたいという大富豪。

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     最初は飛んでもない冗談のように思い、鼻にも掛けない応対をした
     英国の役所務めの水産学者が、
     間に立つ投資会社の女性と接し、大富豪とも話し、実際にイエメンを
     訪問してみると、南部の山岳地帯に湧水は冷たく、案外行けるかも・・!と。

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     すでに灌漑対策のダムも完成していて、その下流に鮭を放流する溜池が作られ、
     英国から運ばれた養殖育ちの鮭も、帰巣本能に従い上流に遡る事も確かめられ、
     万事順調に行くかに見えたプロジェクトですが・・・。



     暑い暑い砂漠の国、というイメージのみがあるアラビア半島ですが、
     イエメンにはそういう面があるのですねぇ、と興味深かったのですが、

     映画の中で可笑しかったのは、政府の報道官長である彼女の強引な働きぶり!
     クリスティン・スコット・トーマス、彼女の達者な役者ぶりには笑いましたぁ!

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       ◆ ウィンブルドン

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         英 2004

         監督 リチャード・ロンクレイン
         主演 キルスティン・ダンスト  ・・リジー
            ポール・ベタニー     ・・ピーター




     予約録画したのが、最後の盛り上がりの最終試合になった所で切れ、
     くそめ、と、ははは、DVDを買ったshinkaiですが、
     大変面白く楽しめた1本です!


     スポーツの世界にはワイルド・カードというのがあり、
     つまり追加の特別参加枠制度を示すそうですが、
        
     この映画の主人公、世界ランキング11位という設定の選手が、
     遂に最終試合に出るまでに残る、というお話にはモデルが有るのだそうで、

     クロアチアのGoran Ivaniševićという選手が、
     当時は肩の問題で120位にまでなっていたのが、ワイルド・カードで
     2001年のウィンブルドンに出場、見事優勝した、というのを下敷きにしていると。


     映画の中では、久しぶりに勝ち残っているイギリス選手になっており、

     彼には、妻と上手く行かず、木の上の小屋で一人ラジオで試合中継を聞く父親がおり、

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     夫のテニス気違いには興味が無いふりをするものの、耳をそばだてて聞く母親、

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     兄貴の出る試合では、その相手に賭ける弟がいて、ははは、

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     アメリカの優勝候補でもある彼女と愛し合うようになり、

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     遂には最終試合! 

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     昔は試合中継も見る程でしたが、球を打つあの乾いた音が何とも素敵ですよね。
     スポーツ試合に興味がある方には、とても楽しめる映画と。





     時に、ずっと以前に見た映画が頭によぎり、何とかもう一度見たいと思うのがあり、
     これがその一つで、タイトルも忘れていたのを探し出し、DVDを買ったもの。

       ◆ 名誉の問題

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         米 1997
         監督 ケン・オリン
            ドン・ジョンソン
            クレイグ・シェッファー
            ロッド・スタイガー

         
     アメリカの西部劇映画によく登場する騎兵隊。
     西部開拓時代に活躍し、様々な映画の中で活躍しましたが、
     あの騎兵隊がどのような最後を迎えたか、考えられた事がありますか?
     実はこの映画、TV映画だったようですが、この中でそれが描かれています。

     というよりも、あの騎馬隊の馬たちはどうなったか、という実話に基づいてるそうで、
     TV映画とはいえ、しっかりした俳優を揃えていて、
     馬たちの最後を知らなかったshinkaiは、胸が詰まる想いで見たのでした。


     1930年代の不景気で、ヨーロッパが戦雲に包まれていた当時、
     最新兵器への移行を考える軍部にとっては、騎兵隊の馬はすでに重荷以外の何物でなく、
     500頭からの馬を殺傷し、騎兵隊の存在を無くす事に。

     テキサスにあった部隊の馬を集め、殺傷し始めた時、遂に見かねた隊長が
     命に背き、400頭の馬を3人の部下と共に引き連れ脱走、北に向かいます。

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     定年退職で職を去る隊長に、ロッド・スタイガーが扮していて、
     ほんの少しの登場でしたが、彼の顔を見れたのは嬉しかった!

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     見つからないように夜走ったり、中には走れなくなる馬もいたり・・。
     ですがひたすら北を目指し、カナダ国境に。

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     様々な情報から軍部は彼らの位置を順次突き止めており、
     最後はカナダとの国境に大砲を並べ待ち構え、
     国境の河の向こうにはカナダの騎乗兵が迎え入れに待っており・・。

     集合、進軍ラッパを聞くと散らばっていた馬たちは一斉に耳を立て
     向きを変え揃って歩き初め、そして疾走の合図に従い、
     最後は一団となって、大砲の球の飛んでくる中を走り抜け河向こうに!!

     馬たちがラッパを聞いて耳を立て、一斉にすっと向きを変える様子を、
     shinkaiは背筋がゾクッとする思いで見つめ、
     大砲の角度をわざと馬たちに当たらない様に指図するのも見、
     その中を駆け抜けていく馬たちに、またもや涙を流したのでした。

     映画自体は第一級とは言えない小品でも、
     あの騎兵隊の子孫の馬たちが、何とか生き残れたのを知ったのは嬉しかったし、
     動物たちが哀れな映画はたまりませんので、率直に、良かった!!





       ◆ プロヴァンスの夏

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         仏 2014
         監督 Rose Bosch
         主演 Jean Reno
            Anna Galiena


     プロヴァンスでオリーヴの木を育て、オリーヴ油の採取をしている
     もはや若くない夫婦の所に、パリから彼らの娘の子供、孫達がやって来ます。

     頑固な夫・祖父には、孫達だけがやって来ることを話していないらしい祖母に
     呆れ、また余りにもの田舎に驚く彼らも、次第にプロヴァンスの良さ、
     田舎の良さに惹かれ始め、次第に祖父との中も縮まります。
         
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     とりわけ一番のチビ君、耳の不自由なテオはお祖父ちゃんが好きになり、
     大きな手の中にそっと小さな手を滑り込ませ、一緒に遊ぶように!

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     最後は迎えに来た母親、夫婦の娘と祖父の間に立ち、
     2人がぎこちなく話をするのを順に見つめながら、
     いつ抱擁するのか見守るテオ!

         
     特別な事もない映画ですが、何とも可愛いテオ!
     そりゃぁ、こんな可愛い孫だったら、鬼みたいなお祖父ちゃんだって負けるよね、
     ははは、本当にこんなに可愛い男の子もいるのねぇ!! でした。

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     テオ・Théoに扮したのは、Lukas Pelissierというそう。
     またどこかでお目にかかるかもで、成長ぶりを見たいものです。

     日本では公開されていないかもですので、ヴィデオをどうぞ。




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 水彩+色鉛筆画ブログには、5月の朝 描き始めと、 2017年 初日の出 を
 アップしています。    
 見てやってくださ~い!    



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