
昨年春の南ラツィオの旅の、
今回は最後のご案内になるガエータ・Gaetaを。
この地には昔から思い入れがありまして、
というのもず~っと昔見たガイドブックに
浜辺にそってパステル・カラーの低い家並みの続く写真
「ガエタ」が1枚あり、
当時のshinkaiにはとても魅力的に見え!
いつか行ってみたいと思っていたのでした。
さて実際に、長い年月の後に訪問してみると、
やはり思い込みとは大違いで、ははは、写真を整理しつつ、
この町の一番の印象は何だったろう、と考えました。
古いガイドブックの「貧しい海辺の町」ではまるでなく、
多分ここより西の「スペルロンガ」と混同しているのかも・・。
ローマから南に120km,ナポリから北西に80kmの距離、
長い紀元前からの歴史を持ち、港を持った繁栄の地であり、
何度も異民族に襲撃されながらも、城壁を築き
町全体を要塞化して備え、現在は明るい陽光のもとに、
海辺の小さな町の良さを満喫している、とでも・・?!
そんな町の印象がお伝えできますかどうか・・。
と、今回の写真は何故か呆けピンが多く! 馬鹿がぁ、
必死に修正しましたが、
どうぞその辺りはご容赦下さいますように。
今回も写真の数が多くなりましたが・・、
なかなかこの辺りまで行かれる方は少ないであろう、
・・でも、shinkaiのブログはそういう方にも、
旅の、町の雰囲気を味わって頂いている筈と、
ははは、そう考えてご案内しておりますので、
ごゆっくり楽しんで頂けますように!
上の写真は町の中程の海辺沿いでバスを降り、
港の南方面を見た所で、
角度を少し変え、海岸沿いの続きはこんな様子。
高い鐘楼が見えますが、これがガエータの聖堂。

ガエータ湾をはさみ北東方面、
山上に見える町はマラノーラ・Maranolaと。

南ラツィオのご案内全体は、こちらからも。
ガエータの町の位置と、中心部の地図をどうぞ。

町は湾を挟み北西にも伸び、南の浜辺も含まれますが、
右に突き出した半島の先っちょ、
色が少し濃くなった辺りが旧市街の位置。

訪問した教会、聖堂2つの位置と、
町の上に見える城の位置を示しましたが、
実は中心街に行く前、左下に囲ったサンティッシマ・トゥリニタ・
SS.ma Trinità という聖所を訪れ、教会や、
岩山の裂け目にある礼拝堂などを拝見し、はぁ、
ついでに右下に赤丸で囲んだ「トルコ人の洞窟」なるもの、
なに、トルコの海賊たちが隠れ家にしていた深い洞窟で、
shinkaiはお金を払ってまで階段を下る気はなく、はは、
そんなあれこれと、
そして南の海岸沿いの浜辺のパノラマを見たりしました。
ついでに町との間に挟まる
山上のオルランド自然公園に赤丸も打ちましたが、
この辺りにはローマ期の貴族の聖廟もあり、
ここからの町の旧市街の様子が絶景!の様。
我らは行きませんでしたが、
本日最後にここからの様子をお目に入れますです。
という事で、上の地図の海辺に沿った位置、
2つの教会に挟まれた真ん中辺、緑色が駐車場兼公園で、
この辺りからの眺めが上の海岸沿いの写真であり、
右手の上に見えるのが、このサン・フランチェスコ教会。

ここには行きませんでしたが、1222年聖フランチェスコが
ガエータに滞在した折に基礎をした教会で、
14世紀に再建築、19世紀に上部を追加という形だそう。
そしてそれより北、海岸沿いに近い低所にあるのが、
サンティッシマ・アンヌンツィアータ・SS.ma Annunziata、
ここも聖所、教会。

手前に高い城壁が一部残っているのが見えますね。
現在は中心の方のは無くなっているようですが、
かっての海賊、蛮族襲撃に備えて要塞化された町の名残。
ここは後ほどご案内を。
そしてちょうど真上辺りに見えるのが、町の城・要塞。
四角い城を左右2つ繋いだ形に見えますが、時代が違い、
右の少し低い方が、13世紀フランスのアンジュー家が
占領していた時代ので、
左の高い方が、16世紀スペインのアラゴン家
カルロ5世が拡張したもので、

カステッロ・アンジョイーノ-アラゴネーゼ・
Castello angioino-aragoneseと呼ばれ、
広さは1万4千平米に及ぶ広いもの。
アンジュー家の方は近年まで監獄に使われており、
現在は市の持ち物で、未来は海洋大学となる予定と。
アラゴン家の方は戦前はカラビニエーリ
(かっての国王警備から派生したイタリア警察、軍隊組織を
持ち、イタリア警察とは別組織)の学校だったのが、
現在は経済警察(フィナンツァ)の海洋学校が入っているそう。
こうして見て頂くと、海岸沿いからの天然の地形を活かし、
階段状に町が高く重なるのが良くお分かり頂けると。
町の聖堂に向いつつ、
真ん中に見えるのが教会サン・ジョヴァンニ・ア・マーレ・
San Giovanni a Mare・海のサン・ジョヴァンニ教会

クーポラの形がアラブ式になっていて、
きっとかっての漁民たちの守護教会でもあったのでしょう、
海に面していて、10世紀建設を
1213年の地震の後に再建したものだそう。
今は無くなったものの城壁の外、海のすぐ傍にあるため
高潮の時に海水が内部まで入り込むのが流れ出るよう、
床は微かに傾斜していると。
海岸沿いを行きますが、
大きな建物のこんな形は、今は住居とは言え、
以前は何だったのかと思うほどで、

こちらナポリを思い出す造りで、
生活が窺えるでしょう?!


道であったワンちゃん。
あんたのお父さんは、お猿さん?! ははは。

遥か彼方からも素敵な威容が見えた町の聖堂の鐘楼、
こちらが脇、祭壇の脇に出る、の入り口。

鐘楼は12世紀、ニコロ・デッランジェロ・
Nicolo dell'Angeloの作で、彼はスートゥリ・Sutriや、
ローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ教会の仕事も。
美しい鐘楼の細部をどうぞ。
アラブ・ノルマン形式の影響を受けたロマネスクで、3層、
2つの窓で、一番上は8角形。


緑色の丸いお椀型や、平の四角形など、緑色濃淡の
釉彩を使ったものがたくさんはめ込まれ、光を受けて輝きます。
平らな薄目の煉瓦の組み方も工夫されているのが見え、
白と黒の石をアクセントに、
同じロマネスクとはいえやはり表現が違うなぁと・・。
鐘楼の下に、聖堂への脇入り口の上り階段があり、

現在の聖堂は、7世紀の以前あった教会の後に建設された
11世紀のもので、この入口はかっての教会の入口で、
聖堂の正式の名はサンティ・エラズモ・エ・マルチャーノ・
Santi Erasmo e Marciano.
アーチの左右にライオン像が見えますが、

向かって左側は正面から見た時、横向きの顔と思ったのが、
何処かからライオン像だけ持ってきてはめ込んだのか、
怖い顔して空飛ぶライオン、みたいで、思わず笑いましたぁ!

鐘楼の基礎部の石積み部分。
あっちこっちからのリサイクル利用の石が混じっていて楽しく!

入口部分にも柄が入った石がいくつも見かけられ、
これは階段途中、左右の壁にある石棺。


ローマ期の物でしょうか、この波打つ柄は左右どちらにもで、
実は後で見て頂く内陣の祭壇もこの柄なのです。
海に近い土地柄なのか、何か理由があるのか、
それともロンゴバルドの柄の影響なのか、
どなたかご存知でしたら、お教え願います。
と、上の竜に羽が生えた様な動物、左右に対でありますが、
これは竜? それとも鯨?
というのも、右側のは人間を(ヨナ?)を飲み込む柄かとも・・。
内部全体を撮っておらず、これはサイトから拝借。

古いかっての円柱がはめ込まれた形で残っていて、

内陣と後陣部分が高い造りになっていて、
その下に4福音者のシンボル像と、コジマ式装飾。


そして、波模様の石棺利用の祭壇と、
脚代わりのライオン像。

という所で、その2に続けます。
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