クレモナのヴァイオリン博物館のご案内、その2をどうぞ!
こちらが、アントニオ・ストラディヴァリの肖像。
300年前に彼の作ったヴァイオリンが、今も比類ない物と
賞賛される人物。 (1644年~1737年)
93歳の長寿を全うし、亡くなるまで作品を作り続け、
現在残る彼の作品は、全制作の約半分の500~600とも!
これがヴァイオリンの表板のF字孔から見える、
ストラディヴァリの制作証明の紙片で、
この2番めの、Antoniusu Stradivarius Cremonensis
Faciebat Anno xx がそれで、
Antoniusu Stradivariusというのが、
Antonio Stradivariのラテン語名で、
クレモナのアントニオ・ストラディヴァリ で、
2行目が、1667年に作った、という証明書という訳。
1番上のAntoniusu Stradivarius Cremonensis Alumnus
Nicolaij Amati,Faciebat Anno 1666は、
Nicolò Amatiの弟子であるアントニオ・ストラディヴァリが作った、
という意味で、
この紙片がストラディヴァリがニコロ・アマーティの弟子であった、
という唯一の証明なのだそう。
それにしても、頭に166 迄が入った紙片を何枚印刷させて
いたのか知りませんが、最後の6を8に変えたり、ははは、
かなりしっかり使い尽くした、という感じですねぇ。
と、最後に丸印がありますが、この形にご留意下さいね、後ほどまた。
こちらがヴァイオリンの各部の名称で、
そして、ヴァイオリンのお腹の中!
これでバス・バー(力板)と魂柱の位置がよく分かります。
バス・バーは表板を補強するために、そして低音の響きを強め、
安定させると言い、
魂柱は、駒を通って表板に達した振動を裏板に伝えるのだそう。
この魂柱をイタリア語ではアーニマ・anima・魂と呼び、
ヴァイオリン製作の一番最後にF字孔から入れる、というのは、
友人のご主人、クレモーナでヴァイオリン製作を学んだ方から昔聞き、
今回これを思い出し、
どうやって入れるのかをYoutubeで探し回りました。
この魂柱の位置をほんの少しずらすだけで、まるで音が違うそうで、
その意味でも、まさに最後の一点の仕上げ、画竜点睛とでも言える、
アーニマ・魂の呼び名に恥じない、
7cm程の小さな棒ながら大きな働きをする物ですね。
このヴィデオは後で、モミの木の所で一緒にご覧頂きますね。
そうそう、ヴァイオリン制作に使う木材は膠で接着しますが、
膠はウサギの膠とも、魚の膠というのも出て来ましたが、
魂柱、駒、緒子掛け(ボタン)は膠で留めず、
とりわけ魂柱、駒は音の違いを聞きながら動かすのは
上記の通りです。
という事で、ヴァイオリン製作のための、各パーツ。
これはクレモーナの店にあったお土産物の小さなセットで、へへへ。
1.ヴァイオリンの型で、これによって横板の型を作ります。
この中型方式がクレモーナ式、イタリア式なんだそうで、
フランスでは外型から作る方法も考案されたとか。
2.緒子掛の止め穴用。
3.4.横板 楓板
5.表板 モミ
6.F字孔
7.バス・バー(力板) モミ
8.魂柱 モミ
9.裏板 カエデ
10.竿受け (正しい言葉を知りませんで)
11.縁飾り、象嵌細工
12.13.14.15.ネック、竿の渦巻き カエデ
16.糸巻き
17.上駒
18.指板 黒檀
19.駒
20.緒子
21.緒子の留め板
22.緒子掛の留めボタン エンド・ピン
という事で、イタリアでは表板にモミの木、赤モミの板を用い、
裏と横板にはカエデが多いようです。
が、あるYoutubeでリュータイオ・liutaio・弦楽器製作者は
一般にはカエデだがこれはポプラと、手元の一台を指しましたので、
その辺りは製作者によって様々な様子。
ヴァイオリンの製作工程については、あれこれYoutubeで見つけましたが、
これは1時間近い長さですが、何とも素敵なヴィデオで惚れ込んだもの、
猫ちゃんも登場です。
モミの木は、北イタリア・トレントの山中、ヴァル・デル・フィアンメ・
Val del Fiammeから、というのをYouitubeで見つけました。
このヴィデオの最初に、魂柱・アニマの説明、挿し込む場面がでます。
音楽がアフリカ系のが聞こえ、このあたりが?ですが、ははは。
後半にヴァル・デル・フィアンメのモミの林が映り、
この森は「響く森」と呼ばれ、
モミを掌で叩くと見事に共鳴する場面があります。
説明はイタリアのヴァイオリン奏者ウーゴ・ウーティ・Ugo Uti。
彼はストラディヴァリとグァルネーリの両方のヴァイオリンを使っていて、
両者の音質の違いを、ストラディヴァリは明るく透明、太陽性であり、
一方グァルネーリは強く暗い情熱を感じ、ロマンチックと言う様な説明を。
このモミの木は伐採後、5年から10年を自然乾燥させたものを用い、
5年以下の木材を使う事は無いそう。
追記です。
の本「野生の果樹園」みすず書房、この本も友人からの戴き物ですが、
思いついてモミの木の記述を探しました。
少し長くなりますが、抜粋を。
ヨーロッパトウヒPicea excelsa、通称アカモミは人生を共にしたとも
言うべき樹木で、いつも私のそばにあった。 中略
子供の頃、植樹祭で、戦禍をとどめる広大な伐採地に植えられるのは、
必ずアカモミの苗木だった。 中略
種子はフィエンメ谷の森林から取り寄せた。一家言ある人達によると、
そこはアルプスじゅうで最も美しい森であり、アルプスじゅうでもっとも
優秀な種子を産するとのことだった。 中略
独特の性質を持った、昔からずっと「響きの木」と呼ばれてきた種類が
あって(樹皮を剥ぐと、幹に沿って一定の間隔で小さな突起がついて
いるのがわかる)、この木は月の満ち欠けにあわせ、細心の注意を払って
伐採し、寝かせ、挽く(伐るのは必ず満月の直後。数年、寝かせたのち、
満月から新月にいたる間に挽かなくてはならない。生き物である木材を、
より丈夫にする知恵である)。
こうして出来上がった板を使って、楽器職人は弦楽器の共鳴胴をつくる。
中略
マツ科に属するアカモミは、都会の人に限らず多くの人から、誤って
マツと呼ばれる。マツと云うのは、また別ものである。
***
ストラディヴァリは最初ニコラ・アマーティに師事し、彼の工房で働き、
1680年36歳の時家を買い工房を持ち、ここでの制作を亡くなるまで。
師のニコロ・アマーティが1684年に亡くなり、息子のジローラモ・
Girolamoが跡を継ぎ、
父親の最後の20年程仕事を救け重要な存在であったにも関わらず、
それまでの工房の仕事の質を保ちつづけることが出来ず、
重要な仕事の注文はストラディヴァリに自然に回ってきたと云う様子。
同時代にアンドレア・グァルネーリ・Andrea Guarneriが
活躍し始めますが、
息子のバルトロメーオ・ジュゼッペ・アントーニオ・
Bartolomeo Giuseppe Antonio
通称デル・ジェズ・Del Gesuの方が有名ですね。
デル・ジェズという通称を、「神の如き」と説明しているのも見ますが、
文字ではそうですが、
これは上でご説明した、ヴァイオリンの中に付ける紙片の
制作証明の丸印に、彼は IHS と記したことからなのだそうで、
これはジェズ(キリスト)をギリシャ語で表した最初の3文字と。
イタリア語で弦楽器製作者の事をリュータイオ・liutaioと呼びますが、
これはリュート・liutoに由来し、リュートははじく楽器で
ヴァイオリンはひきますが、同じ弦楽器ですので、
同じ工房で製作者がつくっていたのに寄るのでしょうね。
で、ストラディヴァリは約70年間を弦楽器の制作に打ち込み、
最初の妻との間に6人の子を儲け、54歳で最初の妻が亡くなると
翌年再婚、この妻との間にも5人の子を、はは、お元気ですねぇ!
息子のフランチェスコは全面的に父の仕事を手伝い、
もう1人のオモーボノは部分的に。
ですが父親は圧倒的に仕事を支配、息子に全部の仕事を
任せることはほんの時々で、それも安い仕事をね、ははは。
こうして1700年から1720年代に掛け、
彼が56歳から76歳の時ですが、いわゆる彼の黄金期で、
仕事に脂が乗りきった、良い作品が次々に生まれます。
師の影響から完全に抜け出し、彼独自の少し大きめの作品となり、
ニスの色も師の柔らかい蜜色から、茶ーオレンジ色に。
楽器の音も豊かに、力強く、表現がたやすく、と変わります。
当時の作品で有名な、1704年のBetts 1715年のAlard
そして、このメッシーア・Messiaなどがあり、
現在イギリスのオックスフォード大学のアシュケナージ博物館収蔵と。
これは、イタリアの国宝並なんだとどこかで読みましたが、
メディチェオ・Mediceoと呼ばれるもの、
何処にあるのか写真のみ見つかりましたが・・、
そしてクレモナ博物館のお宝、
1715年作クレモネーゼ・Cremonese.
これも元はバロック式ヴァイオリンだったのでしょうが、
現代的に少し変えられている様子。
shinkaiは「クレモネーゼ」の演奏が入ったCDを持ってまして、はい。
10年前に前の博物館を訪問した時にブック・ショップで購入し、
今回の博物館見学で、実物を見て、名前を聞き、ン?!と驚き、
実物もしげしげと眺め、そうか、これだったのか、あのCDは?!という次第。
漸くに、長年猫に小判だったのが、自分の手持ちの真価を知ったと云う・・!
これはあるヴァイオリニストの持ち物になっているのが知れたのが
1877年で、その後も何度か持ち主が変わり、
最後はロンドンのHillコレクションに入っていたのを1961年に
クレモナ県の観光局が買い取り、クレモナ市に贈ったものだそう。
1715年には10台ちょっとのヴァイオリンが制作されていて、
Alard, Tiziano,Imperatore,Bazzini, Rode
などの名が上がるそうですが、
この元の名をヨアヒム・Jpachim、クレモナ市に寄贈され
その名をクレモネーゼ・クレモーナの、クレモーナ人
と変えたこの楽器は、オレンジー金色のオリジナル。
音量も素晴らしく、特上の活力を示し、音色の高音から低音の
均一性優秀、などなど。
shinkaiには、この手の表現は言葉ではわかりますが・・!
写真でもご覧頂けますが、顎が当たる部分のニスが薄くなっている、
使い込まれているのが分かりますね。
当時は顎当てがなく、直に顎に挟んでヴァイオリンを引いていた
為なんだそうで、
顎当ては1820年代になって発明されたものなんだそう。
これにより随分と奏者は弾きやすくなったのだそうで、逆に言うと、
当時弾きにくかった部分も楽になり、ヴィブラートも簡単になったと。
収納曲はご覧の通りですが、
博物館の音楽室でクレモネーゼを弾いているYoutubeが
見つかりましたので、こちらを。
もう一枚ずっと大昔に買ったCDと収納曲はこちらで、
アマティ、ストラディヴァリ、グァリネーリの音なんですね。
どちらも暫く聴いておりませんでしたが、生を直接にの音ではなくとも、
一段の有り難さを心がけて、聴くように致しますです、はい。
こちらがグァリネーリ・通称デル・ジェズ作の、ニコロ・パガニーニ・
Niccolò Paganiniが弾き、彼がカンノーネ・Cannone・大砲と呼んだ物。
現在はジェノヴァにある筈。
パガニーニはヨーロッパ各地で演奏し、その素晴らしく技巧的な曲と
演奏で魅了し、
共にイタリアのヴァイオリン製作者達の名を再評価させたと言われますが、
プロヴァンスのニースに行った時見た、彼の住んでいた家の写真を。
ニースの市場から近くだったと記憶していますが、
碑にはイタリア語で、1815年5月27日にこの家で亡くなった、と、
彼の力倆ある魔法の音を讃えています。
これを見ていた時、隣りにいた仲間の一人が、彼は少女姦で
監獄に入った事もあったのよ、と教えてくれたのでしたが、ははは。
たまたま取り上げられていた千住真理子さんの撮影、ヴァイオリン、
などなどの他に、
デイヴィッド・ギャレット・David Garrettがパガニーニを演じた
映画の話題もあり、
彼にはヴァイオリンについてあれこれYoutubeを探していて何度も出会い、
いささか興味を持っていたので、すぐにDVDを探し見つけ、
映画の予告編はこちらに。
はぁ、まぁ、特別の映画でもなかったですが、ははは、
当代の速弾き、超テクニシャンの彼がパガニーニを演じたのは
興味深かったです。
彼がパガニーニのカンノーネを弾いたヴィデオは
「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」さんが
千住真理子さんの撮影関連の記事を載せられたのには、
こちらから逆にお進み下さい。
千住真理子さんがストラディヴァリの1716年作のデュランティを、
2002年に思いがけない経緯で購入されたのは有名なお話の様で、
・・知らずでした。
お話しの「300年近くを誰にも弾かれること無く」というのについては、
顎当ての無い方、向かって右の下が楕円に少しニスの色が薄い様な
感じを受けますし、裏板のニスも下の方が少し薄いような・・。
と最初の持ち主であったと云うローマ教皇クレメンテ14世(1705-1774)
が約20年間所有となると、彼が教皇であったのは1769年から5年間で、
それ以前は1759年から枢機卿ですが、
その前は1740年からローマのサン・ボニファーチョ寄宿学校の学長。
彼は貴族の生まれでなく、医者の息子で早くに父親が亡くなったと。
音楽が好きで、購入したのかもですがが、その辺り少し曖昧に感じます。
いぇ、悪口を言うつもりで書いている訳ではありませんで、
教皇様の在位期間というのは一般にはとても短いので、
それでちょっと気になって調べたのでした。
また教皇様となると、何かと内輪の演奏会や迎賓の歓迎で、
それほどのヴァイオリンをお持ちならば、
お使いになるチャンスは数あったと思いますし、
その後フランス貴族デュランティの元にあったという200年間も、
やはり同様では無かったでしょうか?
ヴァイオリンは誰にも弾かれないとダメになると聞きますし、
現在の博物館のヴァイオリンは毎日、
その為の係がおられて弾いていると聞きます。
それほどのヴァイオリンを手に入れられ、千住さんご自身が、
今までとはまるで違う、生き者の様な楽器で、
新しく一から出直す覚悟で弾いている、
と話しておられるヴィデオも拝見しましたので、
楽器にしてもまさに自分の真価を発揮してくれる
本物の演奏家を求めていたのかも、と思い、
千住さんのこれからのますますのご活躍をも祈ります!
と、少し横にそれましたが、
上の映画で制作、主演したデイヴィッド・ギャレットが、
Youtubeがありましたので、ご覧ください。
彼は「クレモネーゼ」がとりわけ気に入った様で、3度も弾いてみます。
その間にグァリネーリも弾くのですが、余り好きで無いようで、はは、
勿論同じ製作者でも一台一台の出来があり、音はみな違いますが、
これは興味深いヴィデオです。
制作されて後300年近くを経て、元の木材の存在よりも
楽器として長く生き、乾燥し、本当に軽くなるようなのですね。
クレモネーゼについて、紙を弾いているような、という表現を
他の演奏家がしていましたが、
近くでは優しいその音が、遠くまで強く響き渡る、
というその不思議さ!
ストラディヴァリのニスについても、
複雑さについてずっと昔から議論が絶えないようですし、
逆に単純に松のニスに油だけ、という結論の方もおられる様で、
こういうのも何処までも謎解きは続くと思いますが、
まぁ、そういう事は、Shinkaiの様な単純な者には、さようか、でして、
300年前の楽器製作者が命を込めて作った楽器が今も生き、
素晴らしい音色を響かせる、奇跡みたいな贈り物を有難く頂くのみ!!
今回は博物館を訪問して後の収穫が、
自分にとってはとても大きく楽しみました。
皆さんにも少しはお伝えできましたよう、願います。
◆ おまけ ◆
ヴァイオリンの弾き方、弓を動かす難しさは皆さんも良くご存知と。
習い始めのヴァイオリンの音は、まさに他人には拷問のごときもので、
ははは。
大人が習い始めて2年間の進捗具合のYouTubeを見つけましたので、
ご本人はとても可愛い美人さんですので、お暇な方どうぞ!
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いつもブログご訪問、有難うございます!