・ 運河沿いの春 ・ トゥレヴィーゾ  n.2


  トゥレヴィーゾのチェントロの散歩、 その2をどうぞ!

  建物の間をぬい、広場を抜け、もう一本流れる
  ボッテニーガ・Botteniga運河沿いに。 ここにも柳の新緑。

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  ほのかなピンク色満開!

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  こちらの河岸にも鴨たち

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  オオバンがひょいっとお尻を持ち上げ、飛び込むのを撮ろうと
  狙うのですがぁ、
  う~ん、コンパクト・カメラはシャッター切れるのが遅くてねぇ・・。

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  この眺めを見るたび、いつか描くぞぉ!いつもと思いつつ、ははは。

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  細い運河越しのこのお家、かって詩人が住んでいた、と。

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  途中に架かる橋の上からの、逆向きに。

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  運河沿いの家の上階のテラス

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  通りに出てきて、  ・・この建物も古いのですよねぇ。

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  建物の下をくぐり、流れていく運河。

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  道はサン・ヴィトー広場に出て、広場には何軒かの店が出ており、

  花屋さんの鮮やかな春の色!

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  サン・ヴィトー広場の南にある銀行内に、かっての公営質店が
  興味深いので、どうぞ。





  斜めに横切り、トゥレヴィーゾの街の中心シニョーリ広場に。
       
  街の中心部は一般車は進入禁止で、まして土曜のお昼とあって、
  ゆっくりと行きかう人々で溢れていましたが、
       
  ここにはすでにお昼のテーブルが準備万端!

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  我らは、いやshinkaiはそれを睨みつつ、駅に戻ります。
  振り返るシニョーリ広場の建物と塔

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  う~ん、ジュリアーナとのお出かけは良い、楽しいのですが、
  彼女は写真を撮るのも、食べるのも関心がなく、・・それがどうも!
  という事で、結局この日のお昼はコネリアーノまで戻り、
  いつも行く彼女の家の近くのピッツェリーアでの、ピッツァでしたぁ!

  今年のパスクワ4月16日も、彼女とお出かけになりそうですが、
  う~ん、どこに行こうか、お昼をどうしようか・・・と、
  それがshinkaiの現在の悩みで~す。



 *****

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  この日曜の朝から「夏時間」となったこちらイタリアですが、
       
  土曜のお昼頃、あ、今夜寝る前に時計を直さないと、と思いつつ
  コロッと忘れ、何せTV番組を見ないのでお知らせも目に入らず・・、

  日曜の朝、歩こうと起きて窓を開けびっくり、まだ暗い!!
  やっと、そうだ、夏時間になったのだと気が付いたものの、
  ・・自動的に時間変更に対応する目覚ましはイギリス製で、
  目覚ましはいつもの通り5時半(実質4時半)に鳴ったということで、

  目に見える時計も、PCの時計も遅れたまま、頭の中も寝たまんま!
  で、6時に出かける筈の歩き時間の再度の計算ができず、
  いささかパニックに、ははは。     

  う~ん、だんだん対応が出来にくくなっているなぁ・・!
  あ~あ。



 *****        
       
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 ・ 運河沿いの春 ・ トゥレヴィーゾ  n.1

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  先回ご案内「印象派絵画展」を見に行ったトゥレヴィーゾ・チェントロ
  運河沿いに見かけた春の様子を見てやって下さいね。
       
  上の写真は、博物館から出てきて直の脇道に見えたお家の壁画。


  我が町コネリアーノも古い中心部はそうですが、トゥレヴィーゾも
  この一帯の古い建物には大概壁画、フレスコ画装飾が残っており、
  見てあれこれ想像するのが楽しいです。





  そろそろお昼時に差し掛かる時間ですので、どこからともなく
  美味しい匂いが漂い、気持ちがそぞろになりますが、

  運河沿いに見えたお店の中の電球

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  運河沿いに沿って角を曲がり、見えるかっての水車
  ここのはかなり古い様ですが、確か動いていなかったと・・。

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  同じカニャン・Cagnan運河の奥には、まだせっせと動く水車あり。





  水車の脇を抜けると中の島があり、運河はその両脇を
  かなりの水量で流れていますが、鴨たちがたくさん。

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  中ノ島には常設屋台市があり、

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  元もとは魚売り場だったのですけど、

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  今回見たチーズ売り場2軒! 
  かなり強い匂いのする、美味しそうなのがありました・・。

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  ふと屋台の後ろを見ましたら、鴨たちがたむろしていて、
  しかもメス1羽に、オス5羽!! ははは。これもハーレム?!

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  運河沿いの向こう岸、ここもフレスコ画が残る建物ですが、
  新しくバールが店開きしたみたいで、良い眺め。

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  中ノ島一帯に、観光客団体と思われるグループが何組もで、
  印象派絵画展を見つつのトゥレヴィーゾ観光なんでしょうね。

  我々もフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見にボローニャに、
  「メッシーナ展」を見にロベレートに行ったりするのですものね。
  ええ、トゥレヴィーゾの中心も、見どころの多い場所なんで~す!

  以前の街のご案内はこちらから。


       


  野菜市もたつ狭い通りを横切り、も一度運河沿いに。

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  初めてこの辺りに来た大昔、ははは、当時は右側の古い建物にも
  住人がおり、窓辺や運河に張り出すテラスにも鉢植えの植物が
  見られましたが、ついに閉じられたようで・・。





  薄日が差し、淡い新緑の柳が揺れ・・。

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  運河を渡る橋と、

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  運河脇の建物に残るフレスコ画。 
  かってはもっと華やかな眺めの街だったでしょうねぇ!

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  橋の上を行きかう人々。 
  土曜日とあって家族連れ、そして買い物帰りの人々。

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  運河脇のインテリア店、ショウ・ウインドウの中。

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  トゥレヴィーゾのチェントロ散歩、 その2に続きます。



 *****

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 ・ 印象派絵画展 ・ トゥレヴィーゾ行き

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  先週土曜に、友人のジュリアーナと一緒にトゥレヴィーゾに、
  今開催中の「印象主義の歴史」展を見に、行ってきました。

  上の入場券では、昨年10月29日~4月17日まで、ですが、
  5月1日まで日延されたので、気分ゆっくりで出かけました。

  が彼女といつも待ち合わせする新聞雑誌販売のエディーコラの主人
  ティーノが、予約してないと30分待ちとかの超満員らしいよ、と
  言ったそうで、あれま!とは思ったものの、まぁ、行ってみようと、
  9時開館に合わせ、8時半の電車に乗り、
  トゥレヴィーゾに到着したのが9時少し前。

  駅から会場のサンタ・カテリーナ博物館までは歩いて10分位でしょうか。      
  残念ながら、天気予報では晴れ、曇りが、かなりの曇り空で、



  駅から中心街に向かうのも、こんな空模様
  これは駅方面に向かって。

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  橋の西側、木々の新芽の柔らかい緑色も見えるのですが、
  少し靄もありどんより、残念!

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  橋を渡り、中心に向かい。  

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  ロッジャでは古本市が開催中
  博物館には街の中心に向かいながら、徐々に右にカーヴする方向。

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  西への道の隙間から見えるパラッツォ・デイ・トゥレチェント
  この前が旧市街の中心広場。

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  先に進みながら、広場横の銀行の建物装飾

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  レオナルド広場にある教会の上部

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  教会入口には「サンタ・リータ教会」と書いてあるのに、その上には
  「サン・レオナルド教会」とも書いてあり、広場はレオナルド広場!
  どっちが本当? ははは。





  博物館前広場、向かいの建物の壁にあった絵。
  空を塗る、のか、天井を塗るのか、可愛いでしょう?!

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  で、ちょっと見には、2色使いの絵かと見えるのですが、





  実はこれ、金網か、プラスティックの十字を切り取ったもので、
  濃い色に見える所は2枚重ねてあり、
  デッサンも上手く、アイディアも優秀でしょう?!!

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  という事で、右の大きなポスターが、印象主義の歴史展

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  脅かされていたにも関わらず、広場にも2,3人見えるだけで、
  入り口にいた管理のお兄さんが、予約済みかどうかを尋ね、
  では、切符売り場はそこですから、とすんなり入場。

  ほら~ね、とニンマリしながら荷物を預け会場に。

  内部にはかなりの人がいて、グループもいましたが、
  近くで見たい絵の前に人がいる時jは少し他を見て戻ればOKで、
  じっくり見ることが出来ました。




  会場内は写真禁止でしたので、
  サイトから拝借ので何枚かをご覧くださいね。

  ゴーギャンの作品2枚。 初期のと、タヒチに行ってからのもの。

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  初期の肖像は実物は顔色がもっと青白く、
  でも衣装の色や平面塗りにやはり後年の面影が。
       




  ヴァン・ゴッホの作品、4枚。 
  この肖像の背景は、これほど強い色でなく、

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  これは色もとても素敵だと思いましたが、太陽の描き方が私めには・・! 

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  ジュリアーナは今回この展覧会が2度めなのですけど、
  彼女はこの絵が大好きで、
  もう一度見るために私めに付き合ってくれたのでした。

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  これもゴッホ。 タッチは如何にもゴッホですが、
  全体の雰囲気が大変すっきりと明るく艷やかで、これは好きでした。     

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  ピサロ。 如何にもフランスの柔らかい光、を想像させるのですが、

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  がさつなshinkaiには正直、ちょっと物足らない感じで・・、失礼。





  セザンヌ。 静物が2枚あり、こちらが構図的に良いのでしょうが、

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  好きなのはこちら、はは。 
  この布、エクサン・プロヴァンスの彼のアトリエに確かあったと。
       
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  「セザンヌのアトリエ」の記事を見直していて、上の静物画の
  つるの掛かった鉢・花瓶がやはりアトリエにあったのに気が付きました。





  セザンヌの作品は、水浴図も、色が好きだった風景画も2枚かな、
  あったのですが、サイトでは見つからず、
  この風景画を。  

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  ルノワールを2枚
  
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  この風景の空気感が何とも素敵でした。 
  真ん中の道をゆく女性二人の衣装の黒が少し気になりましたが・・。  





  はい、これが来ておりました。 見れるとは知らずに行きましたが、
  やはり素晴らしかった!   

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  もう一枚小さな女の子の立ち姿があったのですが、
  こちらは如何にもで・・、失礼。





  モネ、5枚
  柔らかい色調で、溶け込むような風景を締める、手前の立木の影。
  こんな黒い色ではなく、濃い緑色。

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  エトルタの岩礁

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  藁山。 雪の影響
       
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  先日大快晴の日に、直射日光を浴びながら歩いた時、紫外線よけの
  メガネを通し、陰の中の色が赤くなるのを実際に体験した所だったので、
  この色は良く分かりました、はい。
  ただ雪景色とはいえ、この影の色が少し分からないのですが・・。





  睡蓮。 
  これは全体にもっと白っぽく明るく、とても美しかった!

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  岩礁の上の散歩

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  今回の展覧会で、いちばん好きだった絵。
  岩の陰の色が上手く働き、全体がとても明るい空気の中で、
  ピンクのパラソルがピッと効いていますねぇ。


  油絵を描き初めたむか~し昔、印象派の絵がやはり印象が強く、はは、
  画集で見てはため息をついたものでしたが、いつの間にか好みから外れ、
  逆に好きでは無くなっていたのでした。

  なんと、自分は印象派的なものを描いているではねぇの?!と気が付き、
  ははは、
  今度は学ぶ目で見はじめ、以前よりも良く分かる部分もあり、
  そうなるとやはりモネに惹かれるのですね。

  広がる世界、空気の明るさ、柔らかさ・・!!

  描くモチーフも使う画材も違いますが、学ぶ目で見れる絵があるのは嬉しい!
  日本よりも展覧会のチャンスも作品数も多いので、これも有難い事です。

       
  今回の展覧会に来ていた作品数は確か80点余りと。
  トゥレヴィーゾ生まれのマルコ・ゴルディン・Marco Goldinという
  敏腕の展覧会企画者がおりまして、
  彼が関わる、とりわけ印象派関係の展覧会は内容が濃く、
  成功していて、ブログには載せなかった作品も、



  所で昨年は日本とイタリア通商条約150周年記念で、様々な催し、
  展覧会が開催され、ミラノで浮世絵の大きな展覧会が有りました。
  友人と一緒に行こう、と言っていたのがなんとなしに潰れて残念でしたが、
  今回のこの展覧会に、浮世絵が何枚か一緒に展示されておりました。

  ゴッホなど浮世絵の模写をしているのでも有名ですが、
  当時のヨーロッパの画家たちに大きな影響を与えた浮世絵という事で
  展示になったのでしょうが、

  ミラノでこれは見たい!と思っていた葛飾北斎のこれが!

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  紙の色が焼けたようにかなり茶色になっていたのは残念でしたが、
  初めて実物を見ることが出来ましたし、




    
  広重の東海道53次のも何枚かあり、サイトで確かめましたが
  7枚は確実に見ており、他にもあれこれの作品を見ることが出来、

  この「御油」の宿の女中さん達の客引きの様子もジュリアーナに説明、
  大いに笑ったことでした!
       
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  改めて、初めて見るこれらの版画で、何とも美しい日本字に感嘆し、
  版画彫師、摺師のその腕にも思いが行ったことでした。





  じっくり2時間程を楽しみ、中庭に降りると薄日が射し始めており、

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  ゆっくり運河辺りに行こうか、と出てくると、





  きゃはは、表には長蛇の列が出来ており、うぁ~お!!

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  そうなんだ、やはりティーノの30分待ちというのは嘘ではなかったね、
  と満足し、ははは、
  まだまだ博物館に向かってくる人々の様子を見ながら、
  我らは博物館から引き上げたのでした。


  運河沿いの春景色は、次回に見て頂きますね。
       


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・ エンリコ・トーティ ・ イタリアの英雄、潜水艦と、その運搬  n.2


  英雄の名を冠された潜水艦について、 その2をどうぞ!

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  これは最初に彼の名が冠された1928年進水の潜水艦
  実習船、運搬を兼ねていた様ですが、
  1940年にイギリスの潜水艦の攻撃を受け沈没!
  イタリアの潜水艦で唯一敵艦に攻撃されて沈没したものだそう。


       
  それにしても、こういう艦にエンリコ・トーティという戦時の英雄の名が
  冠されるのが、如何にトーティがイタリアで親しまれた英雄であったかで、
  まして2代目の戦後初の潜水艦の名に受け継がれるというのも、
  何となく微笑ましい感じを受けるのは、私だけでしょうか?





  こちらが今回の主人公である、エンリコ・トーティ2代目
  第2次大戦後の平和条約により、イタリアは潜水艦造船を禁止され、
  漸くに造船を許され、自国の持つテクニックを最大権に活かし
  1965年に造った最初の潜水艦、エンリコ・トーティ S506.

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  長さ46m、幅4,75m、総重量536トン、潜水出来る深さ150m。 
  詳細については、日本語版ウィキペディアにありますので、どうぞ。   
  ただ名前が、エンリコ・トーチとなっていて、・・ちょっと切ない!
       

  所で、単純に「潜水艦」と書いておりますが、
  潜水能力によって2つに別れるのだそうで、
  このエンリコ・トーティは、Sommergibile・ソンメルジービレと
  呼ばれる型で、主に水上航海をし、潜水も出来る、というやつ。
  日本語ではどう呼ぶのでしょう?

  潜水艦・sottomarino・ソットマリーノ、
  英語で言うサブマリンは逆に、潜水航行が主で、水上航海も、
  という違いがあります。

  イタリアが戦後造船を許されたのは、そのソンメルジービレで、
  潜水進行の静かさが売り物で、NATOの共同演習等で大活躍だったと。
      
  約30年の現役サ~ヴィス、2万7千時間、137マイルの航海ののち
  トーティは1997年9月に退役となり、
  ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館に寄贈される事に。
     
  
  そしてここからの道のりが、長かったのです!!
       




  2001年潜水艦トーティは基地にしていたシチーリアの
  アウグスタ・Augustaから曳航され4月5日に出発

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  一旦ターラント・Taranto、ここに大きな軍港があり、に寄ってのち、
  85時間の航海後、ヴェネトのキオッジャ・Chioggiaに4月20日到着。
    




  5月4日、ここからこんな風に水門を通ったりしながら、ポー河を遡り、 

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  クレモーナの河の港に到着、5月6日。

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  こちらはクレモーナで水中から引き上げられたトーティの船体。
  写真でも見られるように、かなりあちこち草臥れている様子・・!  

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  ここでトーティはしっかりと整備され、余分は排除され身軽にもなり、
  第2の人生に向けてのお化粧直しもされますが、

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  ここでミラノへの、この超重量級運搬物の技術上の問題も含め、
  様々な問題解決が探られる間、トーティは4年間待ったのです!





  こうして遂に2005年8月8日トーティは陸路の航海を始めます。
       
  この写真で、どういう状態で運ばれたかがよく分かると思うのですが、
  この為に造られた2台のトレーラーと言ったら良いのか、
  700馬力、240のタイヤ付きに乗せられた458トンのトーティ、高さ7m。
  トレーラーは別々に向きを変えることが出来、これで道の角を曲がります。

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  艦橋というのか、上の部分は外され、後ろに別に積まれており、
  交通事情を考え夜の運搬で、昼間はご覧の通り大勢の見物人!




     
  興味が湧いて、どの道を通ったのか、ははは、地図を調べました。
  クレモーナからミラノの博物館まで大体95kmと思うのですが、
  車だと一般道路にしても2時間弱で走れる距離を、
  トーティは夜中の道を4日間かかって博物館まで運搬。

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  ピッツィゲットーネ・Pizighettoneや、クレーマ・Cremaの地名が見え、
  懐かしかった。 
  この辺りも行き、写真も撮っていますが、そのままになっていて・・!

  ミラノ郊外Via Rogoredo・ヴィア・ロゴレードは、地下水の集合管が
  走ってて、重量を支えきれないだろうと、仮の移動橋を掛けた所。
  Via Toffetti・ヴィア・トッフェッティは、
  ミラノ市内通過前夜の宿泊場所で、見物人がわんさか集まった所と。
   
  最後の赤点を打ったカーブは、これはYoutubeでご覧いただけますが、
  ここも地下を運河が流れているので、
  仮橋を造り渡リ、そして左折した最大の難関地点





  この仮の駐車場は、多分クレモーナから出発して
  最初のコルテ・マダーマ・Corte Madamaという田舎と思うのですが、
  30キロの距離を6時間かかって到着。

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  ここで2日間を過したそうで、
  日中は見物人が引きも切らず、押しかけた事でしょう!


  11日にはクレーマを通過する時ロータリーがあり、中央分離帯を
  飛び越すのに、用意していた木の棒を敷き、無事通過。
       
  翌12日は出発時間の21時は本降りの大雨となったものの、
  見物人は傘をさし減る事なく、ずぶ濡れになりつつ満足の見物を。

  今や通り過ぎる潜水艦を見る、というのが流行病になった様に、
  と書いてありましたが、
       
  これはこのトレーラーを運転していたジャンニ・Gianniと
  フランコ・Francoのベテランの運転手の長い経験においても、
  自分達の仕事ぶりをこんなにたくさんの人々の中で行い、
  見つめられるのは驚きであった様子で、

  警察、技師、博物館関係、運転手、テクニコ、軍関係、見物人、
  今や皆が一段の集団となり、お互いが顔見知りになった感も、
  とありました。

  ミラノの地下を、1407kmに渡って流れる運河の集合管地点を、
  仮の橋を渡し無事に通過、9時間5分かかり、
  13日の朝6時10分最後の宿泊地ヴィア・トッフェッティに到着。




  14日、これがミラノ市中入りを前にしたトーティの晴れ姿
  イタリア国旗の真ん中の白地に、かっての海軍都市ヴェネツィア、
  ジェノヴァ、ピサ、アマルフィの紋章が入ったイタリア海軍旗を付け、
  大勢の見物人に囲まれた、晴れやかな姿。

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  14日の夜から15日の朝にかけ、最後の行程、
  いよいよミラノ市中を、15万人のミラノ市民が迎える中を通り、
  トーティは無事、博物館に到着。
   
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  Youtubeはあれこれご用意いたしましたので、ははは、どうぞ!

  潜水艦がタイヤの上に。 迎えた博物館のヴィデオ。

  運搬を請け負ったファジョーリ・Fagioliのヴィデオ。 総まとめ的。
  トーティ、ミラノに。 8月の夜の旅。   5分間

  潜水艦トーティがミラノに。 10分弱。 仮の橋造りの場面や、
   日中の通りの様子も。


       
  ヴィデオを見ていると、舳先が先になって進んだり、
  スクリューが先になったりで、
  最初はなんで?!と意味がよく分かりませんでしたが、
  トレーラー2台が分離し、角を曲がる時は途中迄カーヴを切った所で、
  今度は逆に後ろだったほうが頭になって進む、という事だと了解。

  それで昔TVニュースで見て記憶していた、
  街中の直角のカーヴを長い潜水艦が見事に曲がった時は、
  真夜中にも関わらず集まっていた大見物人から大きな拍手が起こった!
  というのも、納得した次第。・・今更ですが、ははは。
   
  トレーラーのタイヤがそれぞれに動き、潜水艦がかなりトレーラー本体から
  乗り出す、外れた感じに見える場面が幾つかあり、見ていてハラハラしたり、
  ははは、 ・・shinkaiは、こんなの見るのが大好き!!
  
  でも、やはりロマンでしょ?! 
  引退潜水艦が陸の上を、しかもミラノの街中を行く、なんてね。





  という事で現在は、
  ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館に収蔵され、
  余生を送る、イタリアの戦後初の造船、英雄名を冠された
  エンリコ・トーティ潜水艦の姿を。

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  内部は大変狭いそうで、上が内部、下が魚雷の制御器。
  現在は内部見学も出来と

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  喋りっぱなしのヴィデオですが、内部の様子もちょっぴり見れるので、
  お暇な方どうぞ。 はは。




  と云うような、英雄と潜水艦、そしてその運搬のお話しでしたぁ。

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  いつかミラノで時間が取れる時は、博物館にトーティに会いに、
  まだ実際には見たことがない潜水艦内部も見たいもの!



◆ おまけ ◆
  トーティの運搬を請け負ったファジョーリという会社は、
  大物重量級運搬専門のようで、
  ヴェネツィアの大運河に掛かる第4の橋、ピアッツァ・ローマ前の
  橋の橋桁を運んだのもこの会社で、ヴィデオが見つかりました。

  大運河の南、デッラ・サルーテ聖堂の前から入り、アッカデミア橋、
  リアルト橋、そして駅前のスカルツィ橋を潜り、現場に到着し、
  橋桁を繋いでいく様子が見れます。

   

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・ エンリコ・トーティ ・ イタリアの英雄、潜水艦と、その運搬  n.1 

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  さて今日はちょっと変わったお話しを。
  というのも、先日来ご案内してきたクレモナ・Cremonaに関し、
  かってポー河を使っての商交易の河の港で大変栄えた、と知り、
  あ、あれ!と思いだしたもので、
  写真やYoutubeがあれこれ見つかりましたので、皆さんにも!

  タイトルのエンリコ・トーティ・Enrico Totiというのは、
  イタリアの第一次大戦時の英雄の名であり、
  上の写真の方。

  で、彼の名を関した潜水艦があり、
  その艦が退役後、ミラノの博物館に贈られ
  現在はそこで余生を過しているのですが、
       
  なにせ大きな潜水艦なので、運搬が一大事だったのですね。

  12年前、ははは、TVニュースでミラノ市中を運ばれた、を見たのを
  思い出し、それでYoutubeを探しましたらあれこれ見つかり、
  どの様に運搬されたのかを、シツコクしつこく、ははは、
  子供みたいに、なんで?どうやって?と読んだという・・。

  ご本人のエンリコ・トーティについても、
  戦時の英雄という以外にも、へぇ~!というような事を
  知りましたので、それも一緒に。





  エンリコ・トーティという方、上の写真をご覧になって、
  彼の左脚が付け根からない事に気が付かれましたか?
  そうなんです、仕事中の事故で左脚を失っている方なのでした。


  こちらの絵葉書をどうぞ
  エンリコ・トーティ - Ciclista・自転車乗り
  Futuro Bersagliere・後のベルサリエーレ  とあり、
  下に
  1882年8月20日生まれ、 両親の名と出身地があり、
   父親は鉄道員だった様子。

2-Toti03Simira.preview_GF.jpg

  ローマ下町の生まれで、15歳の時に見習い水夫として
  実習船に乗り込み、その後戦艦、巡洋艦と乗り継ぎますが、
  22歳の時紅海で海賊船との戦いに遭遇。
  後除隊し、国鉄に火夫として採用されますが、
   26歳の時に連結作業中の機関車に注油をしていた際、
  足を滑らせ左脚を挟まれ、病院で骨盤の下から切断に。

  仕事を失った後、幾つかの小さな発明品を作ったりしますが、

  ここで絵葉書の右の地図をご覧ください。
  29歳の時片脚で自転車を漕ぎながら、イタリアからパリに行き、
  その後ベルギー、オランダ、デンマーク、そしてフィンランディア、
  遂にはラップランド迄!
  戻りにはモスクワ、ポーランドと回り、1912年の6月にイタリアに。

3-Immagine2toti_GF.jpg

  どうやってアルプスを越えたのかと、それだけでも大変な
  冒険談英雄並と思うのですが、
  翌年1913年1月には、今度は南に向かって出発。
  エジプトのアレッサンドリアからスーダンとの国境まで!
  ここで当時駐在のイギリス行政からあまりにも危険であると
  止められ、カイロまで送り返され、イタリアに戻ることに。





  1914年の夏、第一次大戦が始まると、
  勿論徴兵から外されますが、彼は片脚で自転車にまたがり、
  直接に最前線のフリウリのチェルヴィニャーノに向い、
  民間志願兵にはなるのですが星章なしで、
  警察のパトロールに止められ、市民生活に戻されます。

  が2年後1916年1月に念願叶い、やはりフリウリは
  チェルヴィニャーノ・Cervignanoの民間志願兵ながら、
  ベルサリエーレ・bersaglieri・歩兵狙撃兵の
  自転車部隊連隊に。
  4月に戦闘が始まると、部隊の少佐からベルサリエーレの
  羽飾りの付いたヘルメットと星章を授かります。 
  トーティにとっては、心から待ち望んだ物だったことでしょう!


  そして8月イゾンツォ河の6回目の戦闘があり、
  トーティはモンファルコーネ東での戦闘で戦い、なんども負傷し、
  最後は「俺は死なないぞ!」と叫びながら松葉杖を敵に投げつけ、
  その後に撃たれ戦死。 34歳。

4-Beltrame_EnricoToti_GF.jpg

  この英雄的行為が、オーストリアからの独立を掛けた
  イタリア国民を奮い立たせたに違いなく、
  今もって彼の名は、知らぬ人なし、という感じなのですね。
       
  フリウリ一帯は第一次大戦の一進一退を続けた大激戦地で、
  今も無数の塹壕が残りますが、
  クオータ85・Quota85と名付けられたこの地点、
  林の中から海が望めるこの地に、彼の名誉を記した石碑があるそう。





  トーティが入りたかったベルサリエーレというのは、
  黒い鶏のつやつやの羽をヘルメットに付け、
  ・・一般兵士の羽の数は大体50本だそうですが、
  下士官、将官クラスは100本位と!!
  その軍楽隊は走りながらラッパを吹くというので有名で、
  大人気な部隊ですが、
  元々は狙撃部隊というのは、知りませんでしたぁ。

5-METTERE-20IN-20HOME-20PAGE_GF.jpg

  それにしても、黒い尾羽根を持つ鶏君、
  丸裸にされても一人分のヘルメットに十分な
  尻尾毛を持っているんでしょうかね?! ははは。





  という様に、彼はイタリアの英雄として有名でして、
  将軍などの偉い方ではなく、
  民間人の英雄としての意味が大きいと思うのですが、
       
  こんなふうな銅像とか、
  " NUN MORO IO " というのは、
  Io non muoio・俺は死なない、と叫んだ言葉。

6-Screenshot-2016-09-01-11.12.55_GF.jpg

  大都市などには彼の名を関した道路がありますし、
  shinkaiめも、ずっと以前から彼の名は知っておりました。
  第一次大戦時の、松葉杖を敵に投げつけて戦士した英雄
  と云うくらいの知識でしたが、
  今回はそれ以前の、片脚での自転車旅行などについても
  知ったという訳で、





  こちらはローマのベルサリエーレ博物館にある、
  彼の自転車と松葉杖。

7-La bicicletta di Enrico Toti insieme alla sua gruccia_GF.jpg




  という所で、潜水艦に話題が移る その2にどうぞ!



 *****

  水彩+色鉛筆画ブログには、
  アップしています。    
  見てやってくださ~い!    



 *****        
       
  いつもブログご訪問、有難うございます!  









・ ヴァイオリン博物館と、ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ n.2 


  クレモナのヴァイオリン博物館のご案内、その2をどうぞ!


  こちらが、アントニオ・ストラディヴァリの肖像。 
  300年前に彼の作ったヴァイオリンが、今も比類ない物と
  賞賛される人物。  (1644年~1737年)
  93歳の長寿を全うし、亡くなるまで作品を作り続け、
  現在残る彼の作品は、全制作の約半分の500~600とも!

15-1-Antonio_Stradivari_portrait_GF.jpg




  これがヴァイオリンの表板のF字孔から見える、
  ストラディヴァリの制作証明の紙片で、

16-51677_original_GF.jpg




  この2番めの、Antoniusu Stradivarius Cremonensis
  Faciebat Anno xx がそれで、

17-3-label3_GF.jpg

  Antoniusu Stradivariusというのが、
  Antonio Stradivariのラテン語名で、
  クレモナのアントニオ・ストラディヴァリ で、
  2行目が、1667年に作った、という証明書という訳。

  1番上のAntoniusu Stradivarius Cremonensis Alumnus
  Nicolaij Amati,Faciebat Anno 1666は、
  Nicolò Amatiの弟子であるアントニオ・ストラディヴァリが作った
  という意味で、
     
  この紙片がストラディヴァリがニコロ・アマーティの弟子であった、
  という唯一の証明なのだそう。


  それにしても、頭に166 迄が入った紙片を何枚印刷させて
  いたのか知りませんが、最後の6を8に変えたり、ははは、
  かなりしっかり使い尽くした、という感じですねぇ。

       
  と、最後に丸印がありますが、この形にご留意下さいね、後ほどまた。





  こちらがヴァイオリンの各部の名称で、

20-81306024013347_GF.jpg




  そして、ヴァイオリンのお腹の中! 
  これでバス・バー(力板)と魂柱の位置がよく分かります。

20-構造_GF.jpg

  バス・バーは表板を補強するために、そして低音の響きを強め、
  安定させると言い、
  魂柱は、駒を通って表板に達した振動を裏板に伝えるのだそう。

  この魂柱をイタリア語ではアーニマ・anima・魂と呼び、
  ヴァイオリン製作の一番最後にF字孔から入れる、というのは、
  友人のご主人、クレモーナでヴァイオリン製作を学んだ方から昔聞き、
  今回これを思い出し、
  どうやって入れるのかをYoutubeで探し回りました。

  この魂柱の位置をほんの少しずらすだけで、まるで音が違うそうで、
  その意味でも、まさに最後の一点の仕上げ、画竜点睛とでも言える、
  アーニマ・魂の呼び名に恥じない、
  7cm程の小さな棒ながら大きな働きをする物ですね。

  このヴィデオは後で、モミの木の所で一緒にご覧頂きますね。

  そうそう、ヴァイオリン制作に使う木材は膠で接着しますが、
  膠はウサギの膠とも、魚の膠というのも出て来ましたが、
  
  魂柱、駒、緒子掛け(ボタン)は膠で留めず
  とりわけ魂柱、駒は音の違いを聞きながら動かすのは
  上記の通りです。    
       




  という事で、ヴァイオリン製作のための、各パーツ
  これはクレモーナの店にあったお土産物の小さなセットで、へへへ。

21-1-DSC05885_GF_GF.jpg

  1.ヴァイオリンの型で、これによって横板の型を作ります。
    この中型方式がクレモーナ式、イタリア式なんだそうで、
    フランスでは外型から作る方法も考案されたとか。
  2.緒子掛の止め穴用。
  3.4.横板  楓板
  5.表板    モミ
  6.F字孔
  7.バス・バー(力板)  モミ
  8.魂柱    モミ
  9.裏板    カエデ
  10.竿受け (正しい言葉を知りませんで)
  11.縁飾り、象嵌細工
  12.13.14.15.ネック、竿の渦巻き  カエデ 
  16.糸巻き
  17.上駒
  18.指板   黒檀
  19.駒
  20.緒子
  21.緒子の留め板
  22.緒子掛の留めボタン エンド・ピン

  という事で、イタリアでは表板にモミの木、赤モミの板を用い、
  裏と横板にはカエデが多いようです。

  が、あるYoutubeでリュータイオ・liutaio・弦楽器製作者は
  一般にはカエデだがこれはポプラと、手元の一台を指しましたので、
  その辺りは製作者によって様々な様子。


  ヴァイオリンの製作工程については、あれこれYoutubeで見つけましたが、
  イタリア語版 https://www.youtube.com/watch?v=42nPLiwtjGQ 

  これは1時間近い長さですが、何とも素敵なヴィデオで惚れ込んだもの、
  猫ちゃんも登場です。





  モミの木は、北イタリア・トレントの山中、ヴァル・デル・フィアンメ
  Val del Fiammeから、というのをYouitubeで見つけました。

21-2-val del fiamme_GF.jpg

  このヴィデオの最初に、魂柱・アニマの説明、挿し込む場面がでます。 
  音楽がアフリカ系のが聞こえ、このあたりが?ですが、ははは。

  後半にヴァル・デル・フィアンメのモミの林が映り、
  この森は「響く森」と呼ばれ、
  モミを掌で叩くと見事に共鳴する場面があります。
  説明はイタリアのヴァイオリン奏者ウーゴ・ウーティ・Ugo Uti
   
  彼はストラディヴァリとグァルネーリの両方のヴァイオリンを使っていて、
  両者の音質の違いを、ストラディヴァリは明るく透明、太陽性であり、
  一方グァルネーリは強く暗い情熱を感じ、ロマンチックと言う様な説明を。
      
  
  このモミの木は伐採後、5年から10年を自然乾燥させたものを用い、
  5年以下の木材を使う事は無いそう。

  追記です。
  トレンティーノの山中に暮らしたマーリオ・リゴーニ・ステルン
  の本「野生の果樹園」みすず書房、この本も友人からの戴き物ですが、
  思いついてモミの木の記述を探しました。
  少し長くなりますが、抜粋を。
           
  ヨーロッパトウヒPicea excelsa、通称アカモミは人生を共にしたとも
  言うべき樹木で、いつも私のそばにあった。   中略
  子供の頃、植樹祭で、戦禍をとどめる広大な伐採地に植えられるのは、
  必ずアカモミの苗木だった。    中略
  種子はフィエンメ谷の森林から取り寄せた。一家言ある人達によると、
  そこはアルプスじゅうで最も美しい森であり、アルプスじゅうでもっとも
  優秀な種子を産するとのことだった。  中略
  独特の性質を持った、昔からずっと「響きの木」と呼ばれてきた種類が
  あって(樹皮を剥ぐと、幹に沿って一定の間隔で小さな突起がついて
  いるのがわかる)、この木は月の満ち欠けにあわせ、細心の注意を払って
  伐採し、寝かせ、挽く(伐るのは必ず満月の直後。数年、寝かせたのち、
  満月から新月にいたる間に挽かなくてはならない。生き物である木材を、
  より丈夫にする知恵である)。    
  こうして出来上がった板を使って、楽器職人は弦楽器の共鳴胴をつくる
     中略
  マツ科に属するアカモミは、都会の人に限らず多くの人から、誤って
  マツと呼ばれる。マツと云うのは、また別ものである。     
      
 ***


  ストラディヴァリは最初ニコラ・アマーティに師事し、彼の工房で働き、
  1680年36歳の時家を買い工房を持ち、ここでの制作を亡くなるまで。

  師のニコロ・アマーティが1684年に亡くなり、息子のジローラモ・
  Girolamoが跡を継ぎ、
  父親の最後の20年程仕事を救け重要な存在であったにも関わらず、
  それまでの工房の仕事の質を保ちつづけることが出来ず、
  重要な仕事の注文はストラディヴァリに自然に回ってきたと云う様子。
       
  同時代にアンドレア・グァルネーリ・Andrea Guarneriが
  活躍し始めますが、
  息子のバルトロメーオ・ジュゼッペ・アントーニオ
  Bartolomeo Giuseppe Antonio
  通称デル・ジェズ・Del Gesuの方が有名ですね。

  デル・ジェズという通称を、「神の如き」と説明しているのも見ますが、
  文字ではそうですが、
  これは上でご説明した、ヴァイオリンの中に付ける紙片の
  制作証明の丸印に、彼は IHS と記したことからなのだそうで、
  これはジェズ(キリスト)をギリシャ語で表した最初の3文字と。
       
      
  イタリア語で弦楽器製作者の事をリュータイオ・liutaioと呼びますが、
  これはリュート・liutoに由来し、リュートははじく楽器で
  ヴァイオリンはひきますが、同じ弦楽器ですので、
  同じ工房で製作者がつくっていたのに寄るのでしょうね。


  で、ストラディヴァリは約70年間を弦楽器の制作に打ち込み
  最初の妻との間に6人の子を儲け、54歳で最初の妻が亡くなると
  翌年再婚、この妻との間にも5人の子を、はは、お元気ですねぇ!

  息子のフランチェスコは全面的に父の仕事を手伝い、
  もう1人のオモーボノは部分的に。
  ですが父親は圧倒的に仕事を支配、息子に全部の仕事を
  任せることはほんの時々で、それも安い仕事をね、ははは。


  こうして1700年から1720年代に掛け
  彼が56歳から76歳の時ですが、いわゆる彼の黄金期で、
  仕事に脂が乗りきった、良い作品が次々に生まれます。

  師の影響から完全に抜け出し、彼独自の少し大きめの作品となり、
  ニスの色も師の柔らかい蜜色から、茶ーオレンジ色に。
  楽器の音も豊かに、力強く、表現がたやすく、と変わります。





  当時の作品で有名な、1704年のBetts 1715年のAlard

  そして、このメッシーア・Messiaなどがあり、
  現在イギリスのオックスフォード大学のアシュケナージ博物館収蔵と。

22-banner-messia_GF.jpg




  これは、イタリアの国宝並なんだとどこかで読みましたが、
  メディチェオ・Mediceoと呼ばれるもの、
  何処にあるのか写真のみ見つかりましたが・・、

23-mediceo(FjNILg--60_35_GF.jpg




  そしてクレモナ博物館のお宝、
  1715年作クレモネーゼ・Cremonese.

24-cremonese_GF.jpg

  これも元はバロック式ヴァイオリンだったのでしょうが、
  現代的に少し変えられている様子。





  shinkaiは「クレモネーゼ」の演奏が入ったCDを持ってまして、はい。
  10年前に前の博物館を訪問した時にブック・ショップで購入し、

25-img843 - Copia_GF.jpg

26-img843_GF.jpg

  今回の博物館見学で、実物を見て、名前を聞き、ン?!と驚き、
  実物もしげしげと眺め、そうか、これだったのか、あのCDは?!という次第。
  漸くに、長年猫に小判だったのが、自分の手持ちの真価を知ったと云う・・!


  これはあるヴァイオリニストの持ち物になっているのが知れたのが
  1877年で、その後も何度か持ち主が変わり、
  最後はロンドンのHillコレクションに入っていたのを1961年に
  クレモナ県の観光局が買い取り、クレモナ市に贈ったものだそう。


  1715年には10台ちょっとのヴァイオリンが制作されていて、
  Alard, Tiziano,Imperatore,Bazzini, Rode 
  などの名が上がるそうですが、

  この元の名をヨアヒム・Jpachim、クレモナ市に寄贈され
  その名をクレモネーゼ・クレモーナの、クレモーナ人
  と変えたこの楽器は、オレンジー金色のオリジナル。

  音量も素晴らしく、特上の活力を示し、音色の高音から低音の
  均一性優秀、などなど。       
  shinkaiには、この手の表現は言葉ではわかりますが・・!

       
  写真でもご覧頂けますが、顎が当たる部分のニスが薄くなっている、
  使い込まれているのが分かりますね。

  当時は顎当てがなく、直に顎に挟んでヴァイオリンを引いていた
  為なんだそうで、
  顎当ては1820年代になって発明されたものなんだそう。
  これにより随分と奏者は弾きやすくなったのだそうで、逆に言うと、
  当時弾きにくかった部分も楽になり、ヴィブラートも簡単になったと。





  収納曲はご覧の通りですが、

27-img844_GF.jpg

  博物館の音楽室でクレモネーゼを弾いているYoutubeが
  見つかりましたので、こちらを。 





  もう一枚ずっと大昔に買ったCDと収納曲はこちらで、
  アマティ、ストラディヴァリ、グァリネーリの音なんですね。

28-img845_GF.jpg

29-img846_GF.jpg

  どちらも暫く聴いておりませんでしたが、生を直接にの音ではなくとも、
  一段の有り難さを心がけて、聴くように致しますです、はい。





  こちらがグァリネーリ・通称デル・ジェズ作の、ニコロ・パガニーニ
  Niccolò Paganiniが弾き、彼がカンノーネ・Cannone・大砲と呼んだ物。
  現在はジェノヴァにある筈。

30-guarneri,_violino_cannone_niccolò_paganini1743_GF.jpg

  パガニーニはヨーロッパ各地で演奏し、その素晴らしく技巧的な曲と
  演奏で魅了し、
  共にイタリアのヴァイオリン製作者達の名を再評価させたと言われますが、





  プロヴァンスのニースに行った時見た、彼の住んでいた家の写真を。
  ニースの市場から近くだったと記憶していますが、

31-6711 - Copia_GF.jpg




  碑にはイタリア語で、1815年5月27日にこの家で亡くなった、と、
  彼の力倆ある魔法の音を讃えています。

32-6709 - Copia_GF.jpg

       
  これを見ていた時、隣りにいた仲間の一人が、彼は少女姦で
  監獄に入った事もあったのよ、と教えてくれたのでしたが、ははは。





  お邪魔するブログ「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」で、 
  たまたま取り上げられていた千住真理子さんの撮影、ヴァイオリン、
  などなどの他に、
  デイヴィッド・ギャレット・David Garrettがパガニーニを演じた
  映画の話題もあり、

  彼にはヴァイオリンについてあれこれYoutubeを探していて何度も出会い、
  いささか興味を持っていたので、すぐにDVDを探し見つけ、

33-30571_ppl_GF.jpg

  映画の予告編はこちらに。 
       
  はぁ、まぁ、特別の映画でもなかったですが、ははは、
  当代の速弾き、超テクニシャンの彼がパガニーニを演じたのは
  興味深かったです。

  彼がパガニーニのカンノーネを弾いたヴィデオは


  「JFK-World 世界の撮影・取材地トピック」さんが
  千住真理子さんの撮影関連の記事を載せられたのには、
  こちらから逆にお進み下さい。


  千住真理子さんがストラディヴァリの1716年作のデュランティを、
  2002年に思いがけない経緯で購入されたのは有名なお話の様で、
  ・・知らずでした。

  お話しの「300年近くを誰にも弾かれること無く」というのについては、

  顎当ての無い方、向かって右の下が楕円に少しニスの色が薄い様な
  感じを受けますし、裏板のニスも下の方が少し薄いような・・。

  と最初の持ち主であったと云うローマ教皇クレメンテ14世(1705-1774)
  が約20年間所有となると、彼が教皇であったのは1769年から5年間で、
  それ以前は1759年から枢機卿ですが、
  その前は1740年からローマのサン・ボニファーチョ寄宿学校の学長。 
  彼は貴族の生まれでなく、医者の息子で早くに父親が亡くなったと。
  音楽が好きで、購入したのかもですがが、その辺り少し曖昧に感じます。

  いぇ、悪口を言うつもりで書いている訳ではありませんで、
  教皇様の在位期間というのは一般にはとても短いので、
  それでちょっと気になって調べたのでした。

  また教皇様となると、何かと内輪の演奏会や迎賓の歓迎で、
  それほどのヴァイオリンをお持ちならば
  お使いになるチャンスは数あったと思いますし、

  その後フランス貴族デュランティの元にあったという200年間も、
  やはり同様では無かったでしょうか?

  ヴァイオリンは誰にも弾かれないとダメになると聞きますし、
  現在の博物館のヴァイオリンは毎日
  その為の係がおられて弾いていると聞きます。

  それほどのヴァイオリンを手に入れられ、千住さんご自身が、
  今までとはまるで違う、生き者の様な楽器で、
  新しく一から出直す覚悟で弾いている、
  と話しておられるヴィデオも拝見しましたので、

  楽器にしてもまさに自分の真価を発揮してくれる
  本物の演奏家を求めていたのかも、と思い、
  千住さんのこれからのますますのご活躍をも祈ります!





  と、少し横にそれましたが、

  上の映画で制作、主演したデイヴィッド・ギャレットが、
  Youtubeがありましたので、ご覧ください。
  
34-maxresdefault david_GF.jpg  
      
  彼は「クレモネーゼ」がとりわけ気に入った様で、3度も弾いてみます。
  その間にグァリネーリも弾くのですが、余り好きで無いようで、はは、
  勿論同じ製作者でも一台一台の出来があり、音はみな違いますが、
  これは興味深いヴィデオです。


  制作されて後300年近くを経て、元の木材の存在よりも
  楽器として長く生き、乾燥し、本当に軽くなるようなのですね。
  クレモネーゼについて、紙を弾いているような、という表現を
  他の演奏家がしていましたが、
  近くでは優しいその音が、遠くまで強く響き渡る、
  というその不思議さ!
      

  ストラディヴァリのニスについても、
  複雑さについてずっと昔から議論が絶えないようですし、
  逆に単純に松のニスに油だけ、という結論の方もおられる様で、
  こういうのも何処までも謎解きは続くと思いますが、
  まぁ、そういう事は、Shinkaiの様な単純な者には、さようか、でして、


  300年前の楽器製作者が命を込めて作った楽器が今も生き
  素晴らしい音色を響かせる、奇跡みたいな贈り物を有難く頂くのみ!!
      
  今回は博物館を訪問して後の収穫が、
  自分にとってはとても大きく楽しみました。

  皆さんにも少しはお伝えできましたよう、願います


◆ おまけ ◆
  
  ヴァイオリンの弾き方、弓を動かす難しさは皆さんも良くご存知と。
  習い始めのヴァイオリンの音は、まさに他人には拷問のごときもので、
  ははは。
  大人が習い始めて2年間の進捗具合のYouTubeを見つけましたので、
  ご本人はとても可愛い美人さんですので、お暇な方どうぞ!




 *****        
       
  いつもブログご訪問、有難うございます!     








・ ヴァイオリン博物館と、 ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ n.1 

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  クレモーナ訪問時に、2013年開館の新しいヴァイオリン博物館
  を見ましたが、余り時間が取れずで、
  おまけにストラディヴァリの視聴が出来る、と聞いていたのが無しで、
  いささかがっかりで戻りましたが、その後あれこれ調べているうちに、
  「ヴァイオリン」という楽器にすっかり嵌まりました!

  実際の演奏会には行ったことは少ないのですが、弦楽器全般、
  そしてヴァイオリンの音色は大好きで、今も毎日絵を描く時に
  BGM的に常にCDを掛けて聞きながらですので、

  今迄余り考えた事がなかった、ヴァイオリンという楽器そのものが、
  知り始めると大変に興味深く、
  もっともっととあれこれといつもの芋づる式に・・!

  という事で、何とか上手く纏まるよう、お伝えできるよう
   頑張りますので、よろしくお付き合いの程を!

       



  新しい、クレモーナのヴァイオリン博物館入り口

2-8761_01_GF.jpg

  上記した様に2013年秋オープンで、以前のストラディヴァリ博物館
  があったパラッツォ・アッファイターティ・Palazzo Affaitatiから
  移された楽器や、ストラディヴァリの遺品など10室の展示室
  そして新しい音響室と素晴らしいもので、
  ゆっくり時間があれば、と思ったものでした。





  前庭にあったストラディヴァリの像

3-8762_01_GF.jpg




  こちらは建物の中庭にある、五線譜を使った鋼鉄の像
  スペインのプレンサ・Plensaという人の作品とか。

4-DSC05912_GF.jpg

5-Opera-di-Plensa_GF.jpg

  下はサイトで見つけた写真ですが、
  ・・こういうのは、どうも、ですねぇ・・。





  「宝の宝庫・Lo scrigno dei tesori」と呼ばれる部屋。
  この博物館のお宝である、1715年ストラディヴァリ作の
  クレモネーゼ・Cremoneseを初めとして、アマーティ・
  Amatiや グアルネーリ・Guarneriの作品、
  1556年から1734年にかけての、全10点が収められた部屋。

6-maxresdefault_GF.jpg

  壁も床もしっとりと布張りで、一つ一つの楽器がガラスケースに入り、
  多分湿度調節とか様々な設備が施されているのでしょう。

  たまたま我々が行った時、最初のケースが空だったのですが、
  そのうちに一人の男性が持ってきてケースに入れ、
  それに続いて来た小グループにフランス語で説明しているのが
  聞こえましたから、視聴もあったのかも・・!

  博物館のお宝であるクレモネーゼは
  この部屋の一番奥の真ん中、ケースが明るく見えるのがそれで、
  後ほども少し詳細に。





  これはズッカ・カボチャと呼ばれる、ははは、ヴィデオ視聴室で、
  中は暗く、円形状にそって椅子が並び、
  天井に映る音楽ヴィデオを視聴出来ましたが、

7-sala_3_GF.jpg

  う~ん、いくら良い試聴室でも、ヴィデオではねぇ・・!





  新設の音楽室464人収容、真ん中で室内楽やソリストの
  演奏が出来、この設計には日本の技術者トヨタ・ヤスヒサさん
  という方が携わったと。
       
8-1369944661929_GF.jpg

      
  他に、楽器の科学的研究や診断も出来る工房が開設と。

  博物館のサイトは http://www.museodelviolino.org/
  日本語版もありますし、右にはヴァーチャル・ツァーも出ます。





  さて、ヴァイオリンという楽器の歴史ですが、
  
     
  イタリアでというよりも、歴史に残るヴァイオリン製作者の最初として
  名が挙がるのが、ガルダ湖畔サロ出身のガスパロ・ダ・サロ
  Gasparo da Salò、
  そしてクレモナのアンドレア・アマーティ・Andrea Amatiですが、

   これが上記YAMAHAのサイトの、1565年頃のアマーティの作品

9-anrea amati 1565circa_GF.jpg

  当時のヴァイオリンは現在のと比べ、指板、左手で弦を抑える板
  の部分、が短いのにご留意下さいね。
       
       
  で、上のヴァイオリン博物館のお宝の部屋には、
  1556年のアマーティの作品もあった、と帰ってきてから知る、
  見なかった馬鹿が感じるこのちょっぴりの無念さ!
       




  通常ヴァイオリン発明者と言われるガスパロ・ダ・サロについては、
  こちらに。  http://italiashio.exblog.jp/18861056/

  彼は20歳の頃父親が亡くなり、サロからブレーシャ・Bresciaに移り、
  当時音楽が大変盛んだったブレーシャで活躍した様子ですが、
  彼の作というヴァイオリン、これはまだ彼の作とは確定出来ていない
  様ですが、

  大変に美しいオレ・ブル・Ole Bullというのを見つけました。

10-Violino-Ole-Bull_GF.jpg

11-posteriore_violino-Ole-Bull_GF.jpg

  指板にも装飾が入り、少し長い様子で、裏板装飾も変わっていますが、
  ブレーシャではガスパロの作品としての研究が進んでいるようです。





  ヴァイオリンは15世紀に登場した時既に、現在の形とほぼ同じ
  故に後に改良されたのはほぼ僅かな部分と言われますが、
      
  古いタイプをバロック・ヴァイオリン
  新しいのをモダン・ヴァイオリンと呼び、
  それの違いは、これもYAMAHAのサイトの図がとても分かり易いので
  使わせて頂き、

13-structure_p02_04_GF.jpg

  かって室内楽で使われてちょうど良い音量であったヴァイオリンが
  大会場で使われ始めた事、と、
  高音が出やすいよう改良したのがモダン・ヴァイオリンで、

  高音がもっと弾けるように指板が長くなり、駒を高くし、
  ネックも少し傾いていて、
  これは弦の張力を増し、音量を高く、輝きを増す為なんだそう。
   
  と、胴の厚みは減り、かっては脇からすっと丸かったのが、
  現在のは一旦少し薄くなり、それから丸みを増している様子。





  これは1628年のニコロ・アマーティの作品で、
  彼はストラディヴァリの師匠として知られますが、
  これも指板が長いので、現代風に改良されている様子。

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  という所で今回をお終いにし、その2に続きます。




 *****

  水彩+色鉛筆画ブログには、
  アップしています。    
  見てやってくださ~い!    




 *****        
       
  いつもブログご訪問、有難うございます!     







・ クレモーナの聖堂、鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さと時代毎の改装  n.2 


  クレモナの聖堂、鐘楼、洗礼堂の続き、その2をどうぞ!


  参拝する女性の姿

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  中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部
  扉上の磔刑図は、ポルデノーネ作と。 
  それにしても何処もかしこも暗いのです!!

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  左が正面のバラ窓で、続く身廊部の交差ヴォールトにも
  しっかり装飾が施され、

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  これは身廊脇のアーチ部の装飾
  何処もかしこもフレスコ画で埋められていて、
  3人の画家による16世紀のものと。

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  上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっていて、
  ここはかって婦人達の参拝席だったのですね。
  勿論現在は使われておらず、撮った写真をアップで見ましたが、
  格子柄は板に描かれたもので閉じているのが判明。





  内部を分けるアーチとそれを支える円柱、
  角柱の太さに魅せられましたが、

31-DSC05836_GF.jpg

32-DSC05860_GF.jpg
       
  ここのは細部にも凝り、しかも金メッキなのでしたぁ!





  脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾

33-DSC05862_GF.jpg


  クレモーナの聖堂の建設は12世紀ですが、
  当時の街はポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
  その少し前から自由都市になっていたこの街は、
  北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそう。

  その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設し、
  その後の変遷において衰退期があっても、常に繁栄を取り戻し、
  その時代時代の変化に合わせ、聖堂内部はつぎつぎと改修され、

  正面はロマネスク様式であっても、内部はゴシック、ルネッサンス、
  そしてバロック様式までの、隙間無く、
  ぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモなのでした。

  各地で豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
  このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が
   渾然と溶け合う独特なもの、という印象を強く持ちました。
       
  それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らない変遷で!
  ヴェネトの歴史などは大体15世紀に、一帯すべてが
  ヴェネツィア共和国の下に入り、18世紀末までの
  4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
       
  自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、
  ミラノ公国の下に入ると、今度はスペインの治世下にと。
  そして最後はオーストリアの支配下に。

  ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、
  中世以来の組合構造が廃止され、街は経済的に蘇生し、
  なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。

  そういう様々な激変の中で生き抜いてきた、
  現在もやはりちょっと特殊な街で、経済的に元気な街
  であるのは、訪問してもとても良い感じですね。
       




  入り口脇の豪華な礼拝堂前、灯された参拝客の蝋燭
  暗い聖堂の中で見る揺らめく蝋燭の火は、
  寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。

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  我々は翼廊を通り南側の出口から出て、
  見上げる翼廊の正面

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  そのまま正面に回ったので、見なかった後陣の後ろ姿

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  そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に
  建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
  正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・洗礼堂
  San Giovanni Battista。
  入り口にドゥオーモと同様、
  玄関口を支える円柱を背の2頭のライオン像。

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  八角形の2面のみ大理石で装飾されていますが、
  これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
       




  高さは34m、直径は20,5mあり、中央に八角形の泉
  これはヴェローナの赤い大理石の塊からで、16世紀、
  頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。

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  8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、
  そこに祭壇や十字架像があり、

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  周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、
  天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
  建設に大変苦労した様子。

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  と、明かり窓の、中央、大天使ガブリエーレの像

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  堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、

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  聖ルーカのシンボルの牡牛像
  シンプルでとても美しく、逆にモダンでもあり、気に入りました。

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  入り口上にあった、木造の聖歌隊席
  入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、
  きっと壁の中を通る狭い階段が続いているのでしょう。

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  洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのを
  あれこれ見ているので、つい同様なのを想像していましたが、
  ここのはドゥオーモの内装と逆に、大変シンプルな煉瓦壁でした。





  夕方すべて見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
  やっと少し靄が晴れ、青空が見えましたが、

  午前中の人出で賑わっていた市が片付き、
  本来の美しさを見せてくれた様な、典雅なドゥオーモの姿

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  ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラッツァの上に
  諸聖人の像が並びますが、

  その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ
  ヴァティカンのサン・ピエトロではなく、殉教者サン・ピエトロ。

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  これを教えて貰ったのは、ここの鐘楼に上った時の事で、
  入り口の管理のシニョーレに尋ねてという想い出の聖人像。





  サイトで見つけた、クレモーナの街と、南を流れるポー河と
  かってはもっと近くを流れ、この河の輸送船の港で賑わい、
  氾濫の被害を受けぬよう、街の一番の高所にドゥオーモを
  建設した、というポー河。

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  イタリアで2番めの高さ、ヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
  この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め
  で今回はお終いです。

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  サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、
  またいつかのチャンスに!

  お付き合いいただき、有難うございました
  楽しんで頂けましたように!



 *****        
       
  いつもブログご訪問、有難うございます! 




    

・ クレモーナの聖堂、鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さと時代毎の改装  n.1

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  今回のご案内はクレモーナの街のドゥオーモと洗礼堂を。
       
  上に見る様に、まさに街の中心の中世の面影を残す広場にあり、
  美しいロマネスクの正面壁の白い装飾と、その左に立つ高い鐘楼
  そして聖堂の右に位置する洗礼堂

  こうして見ると街の通りが放射線状に、この広場に向かって
  集まって来ているのが良く分かりますが、
  手前の、ドゥオーモに向かって建つ塔が2本、
  内庭2つの建物がコムーネ・市役所

       
  10年前の訪問では内部を見なかったドゥオーモと洗礼堂ですが、
  今回内部を見てとりわけ驚いたのがドゥオーモ!
  街の繁栄の豊かさをたっぷり注ぎ込んだ装飾の豪華さ、素晴らしさで、
  たくさん撮った写真のどれを省くかで苦労したので、じっくりご覧下さい!





  先回の予告編で見て頂いた様に、訪問した日は一日中靄で、
  写真の発色がよくありませんので、
  欲しいアングルのを以前にあったらそれを使うことにしました、のと、
  右下に当ブログのサインの無いのは、サイトからの拝借です。

  ドゥオーモ、正確にはサンタ・マリーア・アッスンタ
  Santa Maria Assunta聖堂の正面を。
  建設は12世紀、正確には1107年8月26日に最初の石が置かれ、
  全部の完成は1491年の、ロマネスク様式の美しい正面壁。      

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  正面扉の色が鶯色っぽいですが、塗り直したのでしょう、
  今回は濃いグレイになっておりました。

  と云うようなご説明はおいおいに、という事で、





  広場が狭い上、鐘楼も聖堂も高く、どうしてもどこかが切れるので、
  サイトから拝借のこの写真でドゥオーモ前広場の、
  正確にはコムーネ広場・Piazza Comune、全体の様子を。

3-piazza-del-duomo-cremona-_GF.jpg

  左の鐘楼とドゥオーモ前をひと続きのロッジャが繋いでいますが、
  これらは13世紀末から14世紀にかけての物で、
       
  ドゥオーモの左側(北)には家々が迫っていたらしいのを
  20世紀の前半に取り壊し整備、現在はすっきりと美しい広場。

  このドゥオーモが建設されたここは、街で一番高い位置だそうで、
  理由は街のすぐ南を流れるポー河の氾濫から逃れるためで、
  現在はかなり街から離れている河も、かってはもっと近かかったと。





  そして広場の西側を占める、ドゥオーモと向き合うのがコムーネ
  市役所の建物。 1206年建設ですが、現在見る
  真ん中の白い帯や、窓の周囲の飾りは19世紀の改装と。

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  クレモーナの街のシンボルの、この高い鐘楼ですが、13世紀、
  トラッツォ・Trazzoと呼ばれ、高さは111m、イタリアで2番めに高く、
  壁・レンガ、石積みの鐘楼としてはヨーロッパで一番高いのだそう!

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  ではイタリアで一番高いのは何処に?と思いましたら、
  リウーリ州ウーディネ県のモルテリアーノ・Morteglianoという
  小村にある、細くて趣のない、失礼、戦後の1950年代に造られた、
  という鐘楼が見つかりました。

  高さは113,8mだそうですが、
  教会関係者でもこういう数字を競う方がおられるのですねぇ!





  鐘楼には、天体、星座表の付いた16世紀の時計があり、
  この種の時計としては世界で一番大きなうちの一つだそうで、
  直径8,2m、縁を入れると8,4m。 
  ちなみにロンドンのビッグ・ベンの直径は6,85m。 イェ~イ!

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  クレモーナに行ったのは2月22日で、これを写した時間は14時45分
  水瓶座から魚座に移った所で、上の尖った針が星座を注しているのが見え、

  で、14時45分というのは現在の冬時間で、本来は13時45分となると、
  上に見える丸いイガイガから出ている細い黒い針が、
  時間を示しているのでしょう。 ふ~む、かなり正確!!

  2月、というのも何処かに出ているのかな? これが分かりません。
  そして中心の黒い円の中に小窓が開き、白く見えるのが多分月齢。
       

  下の赤と白の横縞は、現在の紋章の一部に使われており、
  当時のクレモーナの街の紋章と。       
       




  鐘楼の頂上部、四角い塔の上に更に8角形の塔が乗り、
  頂上まで502段!
  フィレンツェのドゥオーモへの上りは463段で、あれより高い訳!

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  鐘楼頭頂記はこちらに。 
  ハァハァと、全部自分の足で上るだけの価値ある眺めが楽しめます!

       
  ところでこの鐘楼の上にある鐘は現在8つ、そのうちの7つは
  1744年に鋳造のメロディを奏でる鐘で、
  もう一つは1581年鋳造の時を告げる鐘。

  7つの鐘で奏でるメロディは素晴らしかろうと想像するのですが、
  残念なことに、現在は鐘楼自体の安定性の問題があり、
  奏でられるのは少しの機会に限られていると。


  高上り大好きshinkaiの頭頂リスト
  フィレンツェのドゥオーモ 463段  http://italiashio.exblog.jp/22133931/
      々   ジョットの鐘楼  414段  http://italiashio.exblog.jp/12472245/
      々   ヴェッキオ宮の秘密のコース  http://italiashio.exblog.jp/10363693/
  サン・ジミニャーノのトッレ・グロッサ 54m http://italiashio.exblog.jp/21296860/
  ラディコーファニの山上の要塞の塔    http://italiashio.exblog.jp/9701524/
  シエナのマンジャの塔 ちょっぴり    http://italiashio.exblog.jp/8296168/

  ローマのヴァティカンの上がまだ未経験! 脚の丈夫な内に・・。





  ドゥオーモの正面細部を、向いにあるコムーネ宮からの
  写真でご覧頂きますと、

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  大理石の白い石はカッラーラ産、赤い石はヴェローナ産、
  真ん中の正面扉の前、2頭のライオンの背に乗せられた
  柱廊式小玄関の上に
  聖母子像と、2聖人像、そして2層になったロッジャがあり、
  大きなバラ窓は13世紀のもの。
         




  正面入り口の、柱廊式小玄関部と、

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  柱廊式の円柱を背中で支える、両脇のライオン像

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  そして、これは入り口扉の左の壁上にあった碑
  右に禁断のリンゴを食べるアダモとエヴァ、左に楽園追放される図で、
  左のアダモのお尻がエヴァのより大きくて、ははは。

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  柱廊式入り口上のテラスの3像、中に聖母子、
  左に聖イメーリオ・Sant'Imerio、
  右にクレモーナの街の守護聖人オモーボノ・Sant'Omobono.

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  中央の聖母の首が、少し奇異な感じがするほど長く、
  下から見上げた時にちょうど良い感じに、と思ったのですが・・!





  この3像の下には、農民たちの月の作業、仕事具合でしょうか、
  様子を表す浮き彫りがあり、 
  この左側には、葡萄を摘んで搾ったり、豚を屠殺したり、
  の秋以降の作業が。

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  大きなバラ窓、13世紀

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  この頂部に、1491年4つのニッキ・壁龕を持ったルネッサンス風が追加
  他にもたくさんの細い塔が追加されていますが、
  正面壁は有難い事に、はは、ロマネスク風のオリジナルがしっかり残り。

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  では、内部をご覧頂きましょうか。

  3廊式の内部、身廊部と、内陣、後陣の様子

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  大変に暗く、曇り日だっただけでなく、建物の構造基本が古いので、
  照明器具で照らされにくい上部は本当に暗く、写しにくかったのですが、
  写真整理でかなり明るく見えるように訂正しています。





  後陣の祭壇画部分と、

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  その上部にある大きなフレスコ画、救世主キリストと聖人達と、
  手前上部に、受胎告知

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  ついでに内陣部分、左にあるオルガンは1984年製で、
  収められている箱部は、16世紀半ばの物。

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  内陣から後陣に向けて、半円形を型どります。

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  こちらは内陣の右側部分。

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  内陣の下に、我々は拝見せずしたが、クリプタ・地下礼拝堂があり、
  サイトからの写真でご覧を。

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  見事な装飾ですが、サイトで見つけた記事には、
  湿気から様々な問題が出ているそうで、早急の決着を、と。

  ポー河も近く、この一帯はとりわけ冬の霧が問題となっている様で、
  先に訪れたサン・シジスモンド教会でも、床石がかなり濃い柄になっており、
  これは長年の湿気による石の変化だと聞きましたので、
  さもありなん、と思ったことでした。





  こちらは内陣の横、左右にある礼拝堂。 左と右。

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  そして翼廊部分の通路、右と左
  いずれもどっしりと太い円柱に支えられ、脇に礼拝堂が並びます。

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  という所で、この回を終え、その2に続きます。



 *****

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 ・ 夜明けのスコミーゴ村 ・ 朝歩き再開


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  クレモーナの写真整理がまだですので、ちょっと一息入れ、

  先日朝焼けの綺麗なのが撮れたので、見てやって下さいね。

  昨年初夏頃から週2回、朝6時頃から家の近所を歩いていますが、
  9月の末迄は何とか頑張ったものの、朝明るくなるのが遅くなり断念、
  それ以降5ヶ月間午後歩いておりました。

  が、朝明るくなるのが徐々に早くなって来るのを見て、
  遂に先週の日曜から朝歩きを再開。

  とは言えまだ2回めのこの木曜は、6時半に家を出たのですが、
  出かける前に窓の外に素晴らしい朝焼けのバラ色を見、
  急遽コンパクト・カメラを首から下げ、ちょいちょいと撮って来ました。

  最初のは、コンドミニオから出てすぐの、鮮やかなバラ色
        




  即、空の広い方が見たく、いつもとは逆の方向に少し歩き、
  雲の多い、広い東の空の色

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  少し坂道を行くと、スコミーゴ村に現在1軒となったバールがあり、
  既に赤々と電気が灯り営業が始まっておりましたが、

  そこから左に折れ進むと、スコミーゴ村の教会があり、
  朝日にほんのり赤くなった鐘楼

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  急な坂を下り、いつもの道に出てくると、
  西の丘の上の空も、綺麗なバラ色に染まっており、

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  長い坂道を上り初めて見える北の山。
  先日の平地での雨は、山ではやはり雪になっていた様子。

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  途中で振り返ると、教会の後ろの空がバラ色に染まっており、

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  南の空は、バラ色、薄黄色、そして厚い雲のグレイと3色の層に。

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  この右手奥に、いつも尻尾を盛大に振って吠えてくれる犬がいるのが、
  この時間はまだ寝ているのか、まるで顔を出しても呉れず・・!

  先回の戻り道に覗き込むと、なんと庭の端に座ってボ~っとしており、
  手を振ってみてもそのままボ~!
  なんだぁ、と思いつつ通り過ぎると、後ろで吠え始め、ははは、怠慢だぁ!





  徐々に明るくなり始め、西の空にまだほんのり残るバラ色

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  北の山並み、ちょうど屏風のように北との境に並ぶ山並みですが、
  山の上を雲が流れ落ちているのが見え、
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  丘の上のフォルメニーガの教会。 ひと刷毛したようなバラ色!

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  葡萄畑はもうすっかりみな剪定され、春の芽吹きを待っています。





  だいぶ進み、北の山並みが広く見える所迄来て、
  まだ雲が山並みに沿って流れているのがあちこちに見え、

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  カルページカの教会前まで坂を上り、前庭でちょっと一息。
  中程の丘の上の道沿いにある糸杉の並び

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  日中はこの眺めはずっと順光なので、夏の間この糸杉の並びに
  気が付いたことがなく、秋の霧が出るようになって
  奥の丘との間が白く煙り、それで初めて気が付いたのでしたぁ!





  教会前から見下ろす、西の丘との境の風景

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  そして、丘の道

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  カルページカの教会前が一応の到達点で、ここから引き返しますが、
       
  だいぶ戻ってきた所で見る南の空、晴れて来そう!

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  スコミーゴ村の教会が見えて来て、
  葉が全て落ちたこの季節に気がついた小さな池か、灌漑用水。 

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  最後の道筋から見える、オリアーノ村の教会

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  夏、朝歩いて戻る道筋での7時に、まずカルページカの教会の
  ミサの鐘が鳴り始め、スコミーゴ村と続き、
  オリアーノの鐘が少し遠くで鳴っているのが聞こえます。

  そしてあちこちで、犬達が鐘の音に合わせて遠吠えするのが聞こえ、
  これを聞きながら歩くのがとても楽しみ、ははは。





  家の近くまで戻って、広告板をふと見ましたら、

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  左、フェスタ・デッラ・レンガ・ニシンのお祭り
  右、アンティーカ・フィエラ・ディ・ゴーデガ・ゴーデガの古い見本市

  shinkaiは左下のニシンがいっぱい下がる写真に目を取られ、
  グラン・フリット・ミスト・魚の唐揚げミックス、 パエーリャ、
  セッピエ・イン・ウーミド・イカのスープ煮、 
  ビザータ・イン・ウーミド・鰻のスープ煮(多分トマト・ソース)、
  ブランジーノ・アッラ・ピアストラ・スズキの鉄板焼き 
  などの献立に、気持がオロオロ! ははは。

  Tamai なる土地の名も聞いたことがなく、家に戻り早速検索、
  我が家からはかなり東のフリウーリ州になることも知って、
  う~~ん、ちょっと無理かぁ・・。

       
  ゴーデガの方はもっと家に近くなりますが、ここはずっと昔に一度
  行ったことがあり、農機具を主体にした見本市なのを承知で、
  まぁ、人が集まる日と場所には、必ず食い物もありますがね、ははは。

       
  と云うような、春の催し始まりの告知でした。

       
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・ クレモナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編  n.2


  クレモナ行きのご案内予告編 を続けます、どうぞ!


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  こちらがクレモナの聖堂。 12世紀からの建設で完成は15世紀、
  が、装飾は中世から完成後のバロッコ式にまで及びます。





  トラッツォと呼ばれる、クレモナのシンボルである高い鐘楼

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  同じ広場の南側にある洗礼堂

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  今回は聖堂、洗礼堂共に内部を見学したので、別にご案内を。

  鐘楼の上からの眺めは、こちらに。

  この3点の写真は、聖堂の向かいにあるコムーネの中からでして、
  この高さからだとちょうど眺めが良いですねぇ。
  お天気でなく、時間もなかったのが残念!





  こちらがコムーネの長い階段の先に見える入り口で、
  手ブレご容赦!

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  階段を上った左手がこんな広間で、奥にも展示室があり、

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  階段の奥に見えた入り口を入ると、左にこの広間

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  shinkaiは、シニョーラ、ここは写真はダメです、と言われ、
  隣の部屋から聖堂を写した後トイレに行き、戻ると仲間がおらず!
  この奥にどうやら市役所が保存しているストラディヴァリなどの
  展示室があった様子で! くやち!
  隣の棟も覗きに行ったのですが、見つからず・・、見逃しましたぁ。
       




  この後、一旦解散で自由にお昼ご飯を。
  shinkaiは、久しぶりに会った写真仲間のジョヴァンニと
  その奥方と一緒に、ガイドさんが教えてくれた
  聖堂脇の道を入った所のセルフ・サーヴィスの店で。

  魚、何の魚だったっけ、スズキかな、トマト・ソース煮と、
  野菜のグラタン風、珍しくお水と。 
  というのも、ビールが見つからなかったので、ははは。

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  この後店を変え、チョコレートのトルタと、これはとても美味しかった!
  と、オルゾ(大麦カフェ)でお腹いっぱいに!

  ジョヴァンニは今度、参加しているグループで写真講座を受け持つ
  様になったそうで、参加者への条件に、
  携帯は消す、事前に説明を読み、その都度の設定の質問はなし、
  としたと云うので、大笑い!
  というのもこの条件は、写真仲間のジャンナにすべて当てはまり、
  彼はいつも同じジャンナの質問、携帯に草臥れていたからで、ははは。





  この市の日に見かけた、しっかり積み上げたハム類と!

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  チーズの屋台のあれこれ、美味しそう!!

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  クレモナの街は世界に有名なストラディヴァリの街
  ヴァイオリン制作で有名な街ですが、
   
  これはコムーネの前にあったポスターで、
  ヴァイオリン博物館にお出で下さい。 と、
  ストラディヴァリ、アマーティ、グァルネリの最高品が
  お待ちしています、と。

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  コムーネ脇の展示窓

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  午後はトッローネ(ヌガー)のお店に行き、
  その後ヴァイオリン博物館に向かいますが、

  コムーネの脇から。 午後になってもまだ靄がかかったまま。

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  通りすがりの細い小路の奥に見える、聖堂の正面

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  小さな広場、通りがかりの道に見かける、
  リュータイオ・Liutaio・ヴァイオリン等の制作店
  クレモナには150近い店があるそうで・・。

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  こちらが新しいヴァイオリン博物館
  以前からの建物を改修し、5年程前にヴァイオリン博物館として
  オープンしたそうで、
  以前は街の中心から駅に向かっての博物館内に有り、

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  今回は時間が迫っていて、博物館内も十分に見れませんでしたが、
  戻って後に様々な疑問解決にサイトやYoutubeを見て回り、
  とても楽しく、すっかりハマりました!
  また皆さんにも、ストラディヴァリや、ヴァイオリン製作についての話を
  しっかり聞いて頂きますね、ははは。





  バスに乗る時間が迫り、聖堂前を通りかかると・・、  
  ああ、やっとの青空!!

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  が、帰り道はまたまた靄の道で、
  ブレーシャ近くで、ほんの一瞬見えた黄昏の薄いバラ色
   
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 *****        

      
  いつもブログご訪問、有難うございます!     







・ クレモナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編  n.1

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  先週水曜に、参加しているグループのバス旅行で
  ロンバルディア州のクレモナ・Cremonaの街に行ってきました。

  生憎の曇り空、おまけに終日靄と言うか、霧なのか、

  上でご覧のように、高速を走る間もすっぽりと霞んだ風景が続きました。

  靄の風景は、絵のブログの方でご覧頂くことにし、




  行程は往復ともこの様子で、
  ヴェローナ近くのサーヴィス・エリアでの短い休憩を挟み、
  片道3時間ちょっと。

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  街に到着しても、すっぽり靄に包まれ道も濡れており
  お年寄りが滑って転ぶのも見えたりし、

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  地図をどうぞ
  バスに乗り込んできた土地のガイドさんから、
  先にサン・シジスモンド教会に行きましょうとの提案で出かけます。
  街の中心から5~6km離れていますが、おそらく街で一番美しい教会と。

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  我々のバスが到着したのは、
  赤点を打ったピアッツァ・デッラ・リベルタ・Piazza della Libertàで、
  赤線で囲ったカッテドラーレ・ディ・クレモナ・Cattedrale di Cremona
  が街の中心、
  上の中央、グレイの線が重なっている所が鉄道駅、ブレーシャからの連絡。





  ついでにもう一枚、街の中心部の地図もどうぞ。

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  サン・シジスモンド教会見学の後、ピアッツァ・デッラ・リベルタ広場に戻り、
  歩いて街の中心まで、聖堂と洗礼堂・Battistero、
  そして市役所、聖堂の向かいにあるコムーネ・Comuneを見て、
  一旦お昼の放し飼いの後、
  街の名物トッローネ・ヌガーのお店に行き、最後は地図の左下に見える
  ヴァイオリン博物館・Museo del Violinoに。
       

  クレモナには10年ほど前に一度来たことがあり、
  その時の様子はこちらに。  





  サン・シジスモンド教会の前景は、すぐ前にバスが停まったため撮れず、
  サイトから拝借のこれで。

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  この教会は現在ドメニコ会派の女子修道院、それも立ち入り
  外出禁止の修道院だそうですが、

  元々あったサン・シジスモンドに捧げられた古い教会で、
  1441年10月25日ミラノ公爵ヴィスコンティ家の最後の後継者、
  唯一の女子後継であったビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ
  Bianca Maria Viscontiが、
  傭兵隊長であったフランチェスコ・スフォルツァ・Francesco Sforza
  と結婚したのでした。

  つまりここでミラノ公国はスフォルツァ家のものとなり、
  クレモナの街は、当時は田舎だったのでしょうが、
  ビアンカ・マリーアの婚資としてフランチェスコに捧げられたのでした。

  で、その22年後の1463年に以前の教会は打ち壊され
  新しく大きな教会となり、1535年以降、北イタリアにおける
  素晴らしいマニエリズモのフレスコ画で装飾され、現在に至り、
  今見る姿の教会で、2人は結婚したのではありませんです。
     
       
  まさに見事なフレスコ画と彫刻の装飾で全壁面が埋められており、
  この教会については、またの機会にご案内するつもりで、
  今回はほんの予告編を。

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  電気を点けるには、修道院に行き長~く待たされて許可を貰い、
  お金も払うんだ、とのガイドさんの説明で、
  曇り空、湿気のこもった冷え込む暗~~い教会内・・。
  どんな様子かご想像下さい! ははは。

      
  クレモナの街、ヴァイオリンの事がしっかり映りますので、どうぞ。

       



  さて再び街に戻り、街の聖堂に向かいます。

  こんなふうに装飾された家も何軒か見かけましたが・・。

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  お菓子屋さんの店先。 カルネヴァーレの最後の日々で、
  これはカルネヴァーレ時期の揚げ菓子。

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  古いお屋敷の多い街で見かける美しい門扉は、
  以前の時も撮っていましたが、やはり今回も目につき、

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  道は緩やかな坂道ですが、ガイドさんの説明によると、
  聖堂のある辺りが一番高く、緩やかに街全体が上下していてると。

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  綺麗な門扉、と思って撮ったのでしたが、右に案内板が見えるので、
  何か由緒あるお屋敷なのでしょう。
  グループのお出かけは、ちょこっとの寄り道も許されないのが残念!

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  細い脇道を覗き込みつつ・・

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  聖堂前の広場に出てきた所で、この日は市の立つ日で賑やか!
  右の向い側がコムーネ市役所で、
  奥はロッジャ・デイ・ミリーティ・Loggia dei Militi.

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  という所で、その2に続きます。


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