クレモナの聖堂、鐘楼、洗礼堂の続き、その2をどうぞ!
参拝する女性の姿。

中央の交差部辺りから振り返る入り口扉部。
扉上の磔刑図は、ポルデノーネ作と。
それにしても何処もかしこも暗いのです!!

左が正面のバラ窓で、続く身廊部の交差ヴォールトにも
しっかり装飾が施され、

これは身廊脇のアーチ部の装飾。
何処もかしこもフレスコ画で埋められていて、
3人の画家による16世紀のものと。


上階に見えるアーチ、大体が2連のアーチですが、格子柄になっていて、
ここはかって婦人達の参拝席だったのですね。
勿論現在は使われておらず、撮った写真をアップで見ましたが、
格子柄は板に描かれたもので閉じているのが判明。
内部を分けるアーチとそれを支える円柱、
角柱の太さに魅せられましたが、


ここのは細部にも凝り、しかも金メッキなのでしたぁ!
脇廊のヴォールト部も、しっかり装飾。

クレモーナの聖堂の建設は12世紀ですが、
当時の街はポー河を利用しての商交易の流通、河の駅の繁盛で、
その少し前から自由都市になっていたこの街は、
北イタリアで最高の繁栄を誇る街だったそう。
その時の街の勢いを持ち、素晴らしい聖堂を一気に建設し、
その後の変遷において衰退期があっても、常に繁栄を取り戻し、
その時代時代の変化に合わせ、聖堂内部はつぎつぎと改修され、
正面はロマネスク様式であっても、内部はゴシック、ルネッサンス、
そしてバロック様式までの、隙間無く、
ぎっしりと装飾で埋め尽くされたドゥオーモなのでした。
各地で豪華に装飾された聖堂はたくさん拝見していますが、
このクレモーナのドゥオーモは、様々な様式の装飾が
渾然と溶け合う独特なもの、という印象を強く持ちました。
それにしても、街の歴史を読むと、到底頭に入らない変遷で!
ヴェネトの歴史などは大体15世紀に、一帯すべてが
ヴェネツィア共和国の下に入り、18世紀末までの
4世紀間を平和の内に過ごしているのとは大違いで!
自由都市、そして教皇派の皇帝派の都市内抗争、
ミラノ公国の下に入ると、今度はスペインの治世下にと。
そして最後はオーストリアの支配下に。
ですが、この時のオーストリアの行った税制改革により、
中世以来の組合構造が廃止され、街は経済的に蘇生し、
なんぞとあると、へぇ~と思ったり・・。
そういう様々な激変の中で生き抜いてきた、
現在もやはりちょっと特殊な街で、経済的に元気な街
であるのは、訪問してもとても良い感じですね。
入り口脇の豪華な礼拝堂前、灯された参拝客の蝋燭。
暗い聖堂の中で見る揺らめく蝋燭の火は、
寒い靄の日になおの事、赤く暖かく。

我々は翼廊を通り南側の出口から出て、
見上げる翼廊の正面。

そのまま正面に回ったので、見なかった後陣の後ろ姿。

そして広場の南側、ドゥオーモの脇にある洗礼堂に。
建設は1167年に始まり、1370年に完成した八角形で、
正式名はサン・ジョヴァンニ・バティスタ・洗礼堂・
San Giovanni Battista。
入り口にドゥオーモと同様、
玄関口を支える円柱を背の2頭のライオン像。

八角形の2面のみ大理石で装飾されていますが、
これもドゥオーモと同じ材料、同じ石の色。
高さは34m、直径は20,5mあり、中央に八角形の泉、
これはヴェローナの赤い大理石の塊からで、16世紀、
頂上にいるのは、復活したキリストの姿像。

8面の中央に2本づつ大理石の円柱があり、
そこに祭壇や十字架像があり、

周囲を囲む2段、2双の窓から光が差し込み、
天井の明かり窓に至る煉瓦の傾斜!
建設に大変苦労した様子。

と、明かり窓の、中央、大天使ガブリエーレの像。

堂内にあった、セイレーンの像が周囲についた洗礼鉢と、

聖ルーカのシンボルの牡牛像。
シンプルでとても美しく、逆にモダンでもあり、気に入りました。

入り口上にあった、木造の聖歌隊席。
入口入ってすぐ脇にある階段から上がる、と云うので、
きっと壁の中を通る狭い階段が続いているのでしょう。

洗礼堂の内部はびっしりとフレスコ画で埋められたのを
あれこれ見ているので、つい同様なのを想像していましたが、
ここのはドゥオーモの内装と逆に、大変シンプルな煉瓦壁でした。
夕方すべて見学を済ませ、ほんの少しの間広場に居た時、
やっと少し靄が晴れ、青空が見えましたが、
午前中の人出で賑わっていた市が片付き、
本来の美しさを見せてくれた様な、典雅なドゥオーモの姿。

ドゥオーモから鐘楼に続くロッジャ、テラッツァの上に
諸聖人の像が並びますが、
その中のひとり、大きな斧を頭に打ち込まれた聖ピエトロ。
ヴァティカンのサン・ピエトロではなく、殉教者サン・ピエトロ。

これを教えて貰ったのは、ここの鐘楼に上った時の事で、
入り口の管理のシニョーレに尋ねてという想い出の聖人像。
サイトで見つけた、クレモーナの街と、南を流れるポー河と。
かってはもっと近くを流れ、この河の輸送船の港で賑わい、
氾濫の被害を受けぬよう、街の一番の高所にドゥオーモを
建設した、というポー河。

イタリアで2番めの高さ、ヨーロッパで壁作りの鐘楼では一番高い、
この街のシンボル、トラッツォの愛称で呼ばれる鐘楼の夜の眺め、
で今回はお終いです。

サン・シジスモンド教会のご案内が残りましたが、
またいつかのチャンスに!
お付き合いいただき、有難うございました。
楽しんで頂けましたように!
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