・ ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家  n.1


  ここの所春めいた陽射しの日が続いている、
      こちら北イタリア、ヴェネトです。

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  日曜にヴェネツィア・メストレに出かけるので、家に戻る前に
  以前から気にかかっていた「ティツィアーノの家」、
  近くのコッレ・ウンベルト辺りにあるらしい家を探そうと思いつき、
  土曜の夜調べましたら、何と近い! 
  では! と寄り道し、見つけました。

  今回はそのご報告と、ヴェネトの春の野ののどけさを!

   
  上は日曜の朝歩いた時に見た満開の八重桜と、藤の咲きかけ
  陽が昇った後じきの色です。





  さて、「ティツィアーノの家」と呼ばれるものですが、
  ウィキのイタリア版で見る写真はこれで、赤い矢印の家。
  背後の山並みから見て、これは南側から撮ったものですね。

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  「ティツィアーノ・Tiziano」という名前だけで通じる
  16世紀のイタリアの大画家。

  学び、工房と家を持っていたヴェネツィアが彼の本拠地だったわけですが、
  ちょうどヴェネツィアとカドーレの中間に当たるカステッロ・ローガンツゥオーロ
  Castello Roganzuooloにも家を持ち、
  旅の行き戻りに寄り、気候温暖なこの地で保養していた、というのですね。

  がその後に知った事は、この家はカステッロ・ローガンツゥオーロの
  教会の祭壇画を描き、その支払の一部として受け取った、というので、
  支払いの一部?! 家を?!と驚き、
  尚の事、どこにあるのか興味を持っていたのでした。





  家は、現在の持ち主から「ヴィッラ・ファブリス・Villa Fabris」と呼ばれ、
  グーグル地図で検索しましたら、何の事はない、簡単に即見つかりまして、       
  我が家(Casa)から車で8分! 歩いても行ける位置!

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  地図の右下、カステッロ・ローガンツゥオーロと赤線で囲った上に打った赤点、
  ここにティツィアーノが祭壇画を描いたという教会。


  コッレ・ウンベルトへの道を途中で曲がって、それから・・、と頭に入れ、
  木々や丘で隠れていないと良いけれど・・と願いつつ、出かけました。





  心配することは何もなく、田舎道をゆるゆると進むうち、
  進行方向右の丘の上に、あっ、あれだ!と見つかり、

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  間の木々が邪魔ですが、今はまだ殆ど枯れ木ですので良く見えます。





  同じ丘の上に並ぶ家、大きな農家もこんなふうに見え、

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  周囲は春爛漫という感じで、花が咲き乱れ、

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  道を挟んでの向こう側の葡萄畑の畝の間には、タンポポが満開!
  まさに春は黄色から!  

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  立木の上に見える泥棒カササギの巣。 

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  立木越しの姿以外には近寄る方法は無さそう、
  また出直してもと車に戻り、ほんの100~150m程行った所に
  ちょうどこのスペースが有り、ここから奥、畑の脇を通れそうな感じ! 

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  表示版があり、この辺りはハイキングコースとしても利用され、
  11~12kmのコースで水車があるとか、有名なヴィッラとか・・。   

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  立木の隙間から見る辿ってきた道。 のどかな風景でしょう?!
  右奥の大きな農家も、窓の作りなどから見て、古いかなりの農家。

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  ちょうど道のカーヴの所に白い標識が見えますね。
  あそこまでがコッレ・ウンベルトになり、今このshinkaiのいる場所は
  カステッロ・ローガンツゥオーロ。
  そして車を止めた道脇のすぐ先10mほどには、サン・フィオール・San Fiorと
  お隣のコムーネの標識が見え、
       
  このティツィアーノの家のある丘 コル・ディ・マンツァ・Col di Manzaは、
  コッレ・ウンベルトとサン・フィオールの隙間に細長く飛び出している位置。





  道の左側にも、古い農家が細長く続くのが見えます。

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  しめしめ、ここからだとよく見える、とヴィッラを目指し進みます。

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  同じ丘の並びの大きな農家も、この位置で見え、
  傾斜地には葡萄畑と、手前は麦畑。  

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  かなり歩いて、建物全部が見える奥まで入り込み、

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  左の大きなのが、多分最初に建てられたティツィアーノの家・ヴィッラで、
  右に続くのは後からの建て増し部分かも。
  一番右に離れて見えるのが、家の礼拝堂部分と。 

  どの窓も皆閉じられていて、右に見える入り口の張り出し屋根の上に
  一つだけ明り取りに細く開けられた鎧戸が見えるのみで、

  こういう感じではいくら厚かましくとも、丘を上る気にはなれませんね。
  まして、公開されているヴィッラではありませんので・・。    
    
  まぁ、長年気にかかっていたティツィアーノの家が見つかった、で納得



  上記した教会の祭壇画の支払いの一部としてこの家を、というのは、
  近年研究が進んで分ったそうで、詳細が見つかりましたのでご説明を。

  ティツィアーノの画料は大変高かった、というのはいささか承知でしたが、
  このカステッロ・ローガンツゥオーロの教会から依頼された
  この祭壇画の画料は200ドゥカート

  これが現在においてどの程度の価値になるのか、
  ご存知の方ぜひお教えくださいませ!!
  あれこれ探しては見ましたが分らずで、他の絵の画料についてでも
  宜しいので、教えていただけると有難いです!

 ***

  嬉しい事に、シニョレッリさんがコメントで教えて下さったので、
  忘れずにコピーしたのを、ここに掲載させて頂きます。

  ヴェネツィア金貨の価値ですが、手っ取り早い所では早稲田大学の
  林要一先生の「ルネサンス期の傭兵隊長」の論文が良いと思います。
  「林要一『ルネサンス期の傭兵隊長』」で検索すれば、そのpdfが
  ダウンロードできます。
  その中で6万円と記述されていますが、日伊の物価差を考えないといけないと
  書かれていたかと思います。
  私の友人の検討に拠れば、10万円と考えておけば間違いはないと言ってます。
  ティツィアーノの画料ですが、ヴェネツィア共和国から依頼された仕事の一部に
  付いては契約書が残っているそうで、肖像画で300ドゥカートだったとの記録が
  あるそうですが、原資料に当たる術がないので、お聞き流し願います。

  という事で、1ドゥカートが約10万円と考え、200ドゥカート、の
  代替の目安が付き、約2千万円ほどですか、
  これだと3階建てのヴィッラと土地、+アルファ、というのも納得ですね!

  シニョレッリさん、再度お礼を申し上げます

  ***


  祭壇画は1543年に注文、6年後の1549年に納入されましたが、
  これはティツィアーノが64歳の時で、
  すでにイタリアのみならず国際的にも名を成した画家が、
  ちょうどこの1543年に、この一帯から2枚の注文を受けていまして、


  カステッロ・ローガンツゥオーロよりも遅く1552,3年に納入された、
  ドゥオーモの大祭壇画が、 456x270cm、こちらです。

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  ティツィアーノがこれら2件の絵画注文を受けた理由として
  3点考えられるそうで、

  セッラヴァッレのサルチネッリ家、コネリアーノにもサルチネッリ家の
  邸宅があり、現在は市の絵画展の催しに使われている邸宅で、
  つまりお金持ちの一族。
       
  で、このセッラヴァッレのサルチネッリ家・Sarcinelliに、
  ティツィアーノの愛娘ラヴィーニア・Laviniaが嫁いでおり、
  ここカステッロ・ローガンツゥオーロからだとほんの数キロの距離で、
  会いに行けるという理由、

  そしてヴェネツィアと生地カドーレとのちょうど中間地点、気候温暖、
  風光明媚のこの地の注文を受け、ここを基地にしようとした、という理由。

  基地というのは、画家ティツィアーノはここで保養しながら、

  その片割れの実業家ティツィアーノ、また彼の一族ヴェチェッリオの
  事業の中心管理事務所としての基地なのですね。

  すでに生地ピエーヴェ・ディ・カドーレから南に下ってきた所に
  一族が持つ製材所が2軒あり、、
  ここでの材木をヴェネツィアに運び販売するための管理。

  そしてこのカステル・ローガンツォーロの農製品、穀類、ワインを
  自家消費以外をヴェネツィアで販売する事、などなど。



  どうやら最初の契約では祭壇画の画料として、土地と家を、という事
  だった様ですが、
  大雑把だったのを、ティツィアーノにうまくやられたのではないかと・・!

  1554年8月祭壇画が納入された後、9月にも分割金も受け取らず、
  1556年に教会の管理者との支払いについての話し合いが漸くにつき、
  今後8年間に渡って支払う事、という物品明細があり、

  ・1スターロ・staro値8リーレの、穀物を5スターロ =416,585リットル
  ・1コンツゥオーリ.conzuoli値55リーレの、ワインを
   16コンツゥオーリ  =1248リットル
  ・建築のための資材をフレゴーナ・近くの石材のある所から運ぶのに、
   工人一日の賃金を4ソルドとして、各人に支払う事
       
  とあり、最後にティツィアーノへの支払額が26リーレ不足になり、
  支払われたと・・!!


  上記したスターロ、コンツゥオーロというのはいずれも計量の分量基準で、
  ローマ期からのものだそうで、
  スターロは町によって基準が変わり、ヴェネツィアでは83,317リットル、
  コンツゥオーロは約78リットルだそうで、 

  shinkaiが計算機を叩いて出た数字が、上の=で、これを8年分!!

  8年間というのは、ヴィッラ建設を8年間で、という事からの様ですが、

  それにしても、本当に、計算に強い!という気がしません?
  まさに、偉大な画家でありますが、頭の中の働きは実業家!

  こうして彼はこの後24年間を安楽に生き、86歳で亡くなります。
       
       



  丘の上のに広がる林、そして空と雲

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  大快晴の日のお昼時、逆光でコンパクト・カメラのディスプレイでは 
  何がどれくらい写っているのかも確認できないほど・・!

  う~ん、この雲はティツィアーノというよりは、ゴッホだなぁと、ははは。





  畑の向こう、葡萄畑越しに遥かに見えるオリアーノ村の教会と鐘楼

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  その右の奥には、はるかフォルメニーガの教会も。

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  という所で、その2に続きます。



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