ヴェネトの春、ティツィアーノの家、 その2をどうぞ!
さて戻ろうかと振り返る畑の脇道、と言っても麦が植わっていない端、
という事でして・・!
立木にも新緑の芽吹きの色が見え。
来る時は殆どヴィッラばかりを眺めて入り込んで来たのを、
戻りは足元も見つつで、
たくさん土筆もあるのに気が付き! 日本のよりずっと大きいのですよ。
後ろに濃いめの色で見えるのは、立木の向こうの溝で、
湧き水が流れているのですね。
これはなんという花でしたっけ?
葡萄畑の畝の先頭に、勢い良く新芽が伸びる薔薇の株。
葡萄畑の薔薇の木は、何も美的要素の為ではなく、
葡萄の木とよく性質が似ているので、葡萄の病気の早期発見に
役立つのだそう。
可愛い新芽が出てきていて、
葡萄の新芽を見ると、こちらも何となしに微笑みそうな可愛さ!
辿ってきた道をもう一度。
そして、タンポポの黄色、木々の新芽の色。
車に戻り、道がどこに出るのか分かっているのでそのまま進み、
道幅が広くなった所で見つけたこの古い家。
奥には大きな新しい家が2棟あるのですが、これは前庭に。
下の写真が入口側で、
脇には、藤が咲き始め。
そして辿る道の名は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ通り。
気候温暖なこの一帯、道脇にはオリーヴの畑。
スコミーゴ村の上り坂の前まで戻ってきて、
満開の白い花と、広がる葡萄畑。
家に戻り、ヴィッラ・ファブリスへの接近方法を再検討、はは。
グーグルの衛星写真で確かめると、shinkaiが近づいた北東側は
家の裏側で、やはり表側、南側には車寄せの前庭もあり、
左に伸びる並木道が、一般道からヴィッラへの並木道で、
他にはヴィッラへの接続道はなく、やはり近寄れないなぁ、との結論。
所で、肝心のティツィアーノが描いた祭壇画ですが、これです。
最初見た時、えっ、何、これ?! と驚いたのですが、
理由を知り、納得もいきましたので、ご説明を。
聖母子と、左にサン・ピエトロ、右にサン・ピエトロ、
画布の大きさは、両聖人が190x57,190x70cm、
聖母子部分が240x80cm。
祭壇画は注文を受けた6年後の1543年に納められた後、
ずっと教会にあった訳ですが、
サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会と知り、教会は知っているけど
えっ、絵は見てないよね、と少し泡を喰って、
以前の教会内のブログ記事を見直したほどですが、ははは。
第一次大戦の勃発で、当時の教会の司祭殿がオーストリア軍に
奪われては大変と、画布を教会の天井の下に隠したのだそう。
司祭は尋問を受け逮捕もされたのだそうですが、
隠し場所は発見されず、無事に!
終戦後、無事だった絵も天井下から運び出されたのですが、
なんと湿気のため、絵の具が剥げ落ちた酷い状態になっており、
修復しても取り戻せないほどの落剝ぶり!!
で現在は教会にはなく、
ヴィットリオ・ヴェネトのディオチェザーノ聖美術博物館にと。。
何とかオーストリア軍の没収を逃れようと隠したものの、
こういう結末になるとは?!
本当に残念ながら、ティツィアーノらしい切れ味がまるで見られず、
ぬるっとした肌合いの、そこらの地方画家の絵の出来具合の様で、
本当に残念!
最初はヴィットリオ・ヴェネト(チェーネダ)に見に行こうと考えましたが、
これでは見に行くほどの魅力を感じませんで・・、失礼。
あれほどの高価な祭壇画でしたのに、
勿体無いというか、逆に可笑しくもあり・・!
という所で気分を変え、
お口直しにイタリアの白い桜をどうぞ! 美しいでしょう?!
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