・ 古きロンゴバルド教会と、 ティツィアーノの家始末記  N.2


  古い教会のご案内から、ティツィアーノの家に、 その2をどうぞ!

       
  所で同様のアーチの飾りがカステッロ・ローガンツゥオーロの教会
  そう、ティツィアーノの祭壇画を依頼した教会にもあった事を思い出し、

  そうだ、あの教会の前からだと、ティツィアーノの家も見えるかも、と
  解散後、まだ陽が高かったのもあり、寄ってみる気になりました。


  まずこの一帯の地図をどうぞ。
  薄いピンクで塗り分けられたのが、今回のカッペッラ・マッジョーレで、
  見学した教会は、東南端に近く、小さな赤丸のついた場所にあり、

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  北東にサルメデ・Sarmede、毎年国際児童絵本原画の展覧会が開催
  北西にヴィットリオ・ヴェネトがあり、http://italiashio.exblog.jp/i8/10/
  南に、我が村スコミーゴ、星のついている所に我が家、http://italiashio.exblog.jp/i12/
  そしてオリアーノ・Ogliano、http://italiashio.exblog.jp/23811624/
  一番下端にカステッロ・ローガンツゥオーロ http://italiashio.exblog.jp/9036585/





  これはオリアーノの丘の上、教会前から撮った
  カステッロ・ローガンツゥオーロの教会と鐘楼。

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  小高い丘の上に、こんな風に張り出した形ですから、ここからだと、
  例のティツィアーノの家が良く見えるかも、と思ったのでした。





  さて、カステッロ・ローガンツゥオーロの教会の、
  狭い入り口前の庭から見る、オリアーノの教会。

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  午後遅めの太陽光線が強く、逆光で色が良く見えませんが、





  高台にある教会の周囲から見るカステッロ・ローガンツウオーロの村は、
  新緑に彩られ、美しい畑、農家が広がります。

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  で、確かこの方面と見るコル・ディ・マンツァ・Col di Manzaの
  ティツィアーノの家が見当たらず・・!

  で、たまたま通りかかったシニョーレに尋ねましたら、
  おお、よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりのうっぷん交じりに、

  北向きにこの風景の、右の大きな一群の建物

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  これ、屋根にあるパネルで、赤と青に見える屋根の建物ですが、

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  その奥に続く、家畜小屋といったか、これに遮られて、
  ティツィアーノの家が見えなくなったのだそう!!
  つまり、手前の長い屋根の奥に見える、
  茶の瓦葺きの屋根だけ見えるのがティツィアーノの家なんだそう!

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  いつから、と聞くと、大体20年かそこら前からで、農業関係組合か
  なにかの建物だそうで、本当に悔しそうに話してくれましたぁ!





  たまたまこの日の午後、教会でお葬式があったのを下の駐車場
  で見かけましたが、それの片づけでまだ教会が開いており、
  我々が話している所に出てきたシニョーラも加わり、

  幸運にも彼女はガイドをしている方の様で、
  例のティツァーノの絵のコピーが中にありますからどうぞ!と。
  
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  左の絵が見える礼拝堂にティツィアーノの祭壇画が。





  これがそう。 ヴィットリオ・ヴェネトのチェーネダの博物館にある
  修復画ではなく、これは修復画を基に近くの画家が描いたコピーで、
  額はこれがオリジナルなんだそう。

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  サイトで見た修復画の写真では良く分からなかった聖母の目元、
  肩の感じ、キリストの首の座り、なども、ああ、こういう感じなんだ、と。

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  右のサン・パオロ像は、多少はティツィアーノらしき面影があるように
  写真では見えたのですが、こうしてみると、
  ティツィアーノの男を描くときの鋭さは見えずで・・!

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  丁寧にあれこれ説明してくださったシニョーラによると、
  聖パオロが剣を持った形で描かれているのは、彼は大変舌鋒鋭く、
  言葉で人を切る、と言われたことの表現なんだそう。





  こちらは額の上部に取り付けられていた、蘇生するキリスト像。
  これもティツィアーノ作とは見えませんが、質問するのを忘れ・・、

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  これは上の絵の前にある、平常は閉じられている扉で、
  復活祭の時に開かれ、見ることが出来たのだと。

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  この絵と扉は、チェーネダの博物館にはない、というのをサイトで
  読んでおりましたので、ああ、これの事かと納得。


  ティツィアーノに払ったのは、記事に書いた契約の物品だけでなく、
  ニワトリや卵や野菜やと、とせっせと皆が運んだのだそうで、ははは、

  ティツィアーノの絵をオーストリア軍の略奪から守るために、
  巻いて天井裏に隠した当時の司祭さんは、絵の行方を尋ねられ、
  イタリアにある、とだけを答えたので、
  オーストリア軍人はローマにあるのかと、ローマまで調べに行き、
  見つからずまた戻り、司祭さんは監獄に入れられたとか。


  そんなにまでして描いて貰った、守った絵が修復しても元に戻らずで、

  その間に祭壇にあったフレスコ画、フランチェスコ・ダ・ミラーノの絵も
  綺麗に修復されたりで、

  結局、このフレスコ画のままが良い、という事になって、
  ははは、ある意味可笑しいでしょう?!
  ティツィアーノの絵は脇の礼拝堂に収まっている、
  という始末記でしたぁ!





  こちらがグーグルの衛星地図で確かめた様子。
  右下に教会、左上にティツィアーノの家ヴィッラ・ファブリスがあり、
       
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  そうですね、確かに教会からだと前を塞ぐ形に、大きな建物があり!

  シニョーラも言われてましたが、現在は個人の所有のヴィッラで
  勝手に近寄れず、
  shinkaiが見たように、裏から見る姿しか見えない、という事で、

  リンク先に載せたウィキペディア・イタリア版の最初の写真も、
  何十年も前のもの!という事で。





  教会前からの長閑で美しい風景をもう一度。

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  ティツィアーノも愛で、欲しがったこの土地の美しさと便利さ。
  残された絵も今はこんな状態で、
  家も手前の家の大屋根の上に半分だけ見える、
  という・・、歴史の変遷のお話でしたぁ。

       

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