・ グロレンツァの町 ・ 「イタリアで一番美しい村々」の一つ  n.2


  グロレンツァの町のご案内、その2に続きます。


  shinkaiは広場からも一つ南の道を西に入り込み、
  この角は靴屋さん、と言ってもバッグなども売っておりました。

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  今回気が付いたのは、店の看板は張り出した鉄製の飾り看板も
  ありますが、大概は壁に書かれた文字である、というイタリアとの、
  ははは、ここもイタリアですが、違いに気が付きました。

  その意味では、イタリアの方が派手というか、
  ドイツ語圏の方がやはり質実剛健!ですね。

  どこか違うなと思ったのが、5月中旬なのに窓辺の花が殆どなしで、
  少し寂しく、店の前に木や枝の鉢植えは見ても、花鉢は本当に少なく、
  それもあって猶の事「質実剛健」という言葉が頭に浮かんだのと、

  イタリアでの「一番美しい村々・・」の町村の壁は石積みが見えたり、
  趣、味わいを感じるのが常ですが、
  ここ南ティロルとなると、頑丈一式、イタリア式趣とは違う、
  というイメージを受けたのでした。

  が、今回これを書くのにグーグルのサイト・ヴューを見ましたら、
  10月の撮影でしたが、窓辺にたくさんの花々が見え、・・?!
  5月半ばだとまだ花鉢には遠い季節なのでしょうか? 
  夏が本当に短いのかも!





  道を入っていくと突き当りに見えた納屋の壁と、右に住居。
  そしてすぐ左は城壁内の道が通ります。

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  今回あちこちで見かけた、扉のこのチョークの文字を見かけ、

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  ちょうど家の扉前を掃除中のシニョーラに、イタリア語が話せますか?
  と声をかけ、あちこちで見るこの扉の文字は何の意味かと尋ねました。

  シニョーラのイタリア語は訛ってましたが、お互いになんとか通じ、ははは、
  中のK+M+B は、この一帯は毎年1月6日に東方の三博士に扮した
  人物が家々を祝福に回り、扉にこの文字、キリストが祝福を与える、
  という意味を書きつけ、
  頭の20と、最後の消しては書きが、今年の(20)17なんだそう。

  町中のレストランの扉の上にも見えたこの文字の意味、
  なるほどなぁ、と納得し、シニョーラにお礼を言った事でした。





  城壁と間の細い道。 塔のひとつも備えている場所。

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  近くで仲間のエレオノーラやレオナルダと出会い、一緒に行きますが、

  小さな家の角から葡萄の枝が壁を這い、飾ったようになっていて、

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  あんな小さな角の土からこんなに?!と、ちょっと可哀そうでもあり・・!

  上の写真に見える城壁沿いの枝も、ほんの小さな土地からなんですよ!
  こういうのも、葡萄が質実剛健なのかな?! ははは。





  城壁の上に上れそうな階段を見つけ、レオナルダが最初に上り始め、
  狭く少し傾いた、そしてかなり高い急な階段をはぁはぁと上り、

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  見えた景色がこれ! 左から右に、

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  そして南の奥。 一番奥の白い3つ並びのは何だろ? 
  左のには小さな鐘楼風のが見えるのですが、教会と住居かな?

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  これはすぐ前の建物の屋根の瓦で、他も大概この形の瓦で、
  細い筋が入った平板な瓦なんですね。
  この方が積雪に強いのかな?

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  銃眼から覗く外。

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  城壁の上のパトロール道。  
  そんなに長い距離は開いておらず、途中に柵がありましたから、
  夜間には閉まるのでしょう。

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  でも、満足して下に降り、





  中心広場に向かいますが、

  これは薄い浮彫を施した扉。 勿体ないですねぇ、これは!

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  泉があり、小さな花鉢と、反射する影と光。

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  一旦広場に戻り、

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  教会横の、低いアーチの続く道を戻りつつ、

  如何にも古い、厚い頑丈な壁に落ちる影に見とれつつ、

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  道角にあった小さな鄙びたカフェかな、トラットリーアかな?

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  ちょっと寂しいのは殆ど町の人の姿を見かけない事で、
  2,3人の男性がたむろしているのを見かけたのみ。



  所であれこれ読んでいて、大変可笑しな逸話を
  グロレンツァの町に1510年民事裁判所が置かれ、
  1519年10月21日にSimon Fliessというステルヴィオ・Stelvio、
  グロレンツァより南の山村の住人が訴訟を起こします。

  一帯のネズミ(普通のよりも体の大きな種)が畑や草原に
  大きな損害を出している、と。

  これにはグロレンツア側からネズミの弁護人も付き、論戦が行われ、
  判決が出たのは翌年1520年5月2日。
       
  それによると、ステルヴィオの住人に有利な判決となり、
  ネズミたちはその一帯を立ち退かねばならない事。

  但し弁護人の異議申し立ても通り、ネズミたちが立ち退くのに際し、
  嫌がらせや被害を受けないよう、犬や猫は家に閉じ込めること。
  そしてネズミたちが立ち退きやすいように、川や流れには橋をつける事、
  という判決だったそう!

  ははは、なんともユーモアのある判決ですが、
  さて、ネズミたちに立ち退きを申し聞かせるには、実際にどうしたのか?!
  ネズミの皆さんは、無事に立ち退いたのでしょうかぁ?! ははは。






  乳母車を押した女性と年上の女性、大きな黒いワン君が戻り、
  扉を開けると、最初にワン君がすっと入っていく姿が見え・・。

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  古い重厚な壁の前、自作の額に入った絵と写真、なんだろ、これ?
  単純な装飾かな? 扉の上には、ここにも祝福の印。 

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  最初の町の門に戻って来て、今度は内側を通り抜けてみると、
  こんな様子で、かなり広く。

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  外に出てバスの駐車場に戻る時、お家の庭に咲いていたアイリス。
  やっとお花を見た感じで、目に鮮やか、美しかった!

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  そして町の外にある工場越しに見えた、コイラの城。
  グロレンツァに来る前に見学したのでしたが、興味深い城でした。

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  グロレンツァにはメラーノから鉄道が連絡しており、
  小さな可愛い客車が走っているのも見ました。

  夏のシーズンには賑やかで華やかな可愛い町の姿を見せる様子で、
  また11月2日にはかっての商業交易で栄えた町の姿を偲ぶ
  「Sealamorkt・魂のメルカート」というお祭りがあり、
  クリスマス市も賑やかな様子。
  入口門脇の広場も整備中でしたし、夏にはきっと様々な催しが。


  という事で、南ティロルの小さな歴史ある古い町のひとつ、
  グロレンツァのご案内でした。
       


 *****

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・ グロレンツァの町 ・ 「イタリアで一番美しい村々」の一つ  n.1

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  先回ご紹介のメラーノから西に続くヴァル・ヴェノスタの
  西の端にある小さな町グロレンツァ・Grolenza.

  駆け足で見て回ったのでしたが、
  常に見る「イタリアで一番美しい村々」とはまるで雰囲気が違い、
  南ティロルにおける6世紀の歴史を滲ませる小さな町でした。
       
  そんな様子をご覧頂けますように!

       
  トップは、町の門。 正式名かどうかはっきりしませんが、
  トゥーブレ門・Porta di Tubreが町への門とあり、多分これ、
  メラーノ方面から来ての町の門に当たります。

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  車もバスも通り、人間は門の横の通路から通り抜けも出来、
  通った所にインフォメーション。 我らが行った時は既に閉店でしたが、
  門の塔の上にも上がれる様で、かっては住居にもなっていた様子。





  グロレンツァの町の位置地図は先回載せましたので、
  町の中心部の地図を。
  1.2.3.に町の門があり、上の門は1の門で、
  まっすぐ行った4に中心の広場、5は教会、
  6はず~っと続く古いアーケードの道。

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  町の南を通る水色の線は、アディジェ川で、
  7は町の教区教会サン・パンクラツィオ・S.Pancrazio





  さて町の門1から入り、まっすぐ中心に向かって進みますが、

  見えるすぐの家、煉瓦の窓の様子からどうやら納屋の様ですが、
  その壁にGLORENZA と書かれたのが剥げかけて見え、
  並んでドイツ語表記のGLURNS・グルルンスはほぼ消えて・・。

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  ちなみに町の標高は907kmで、人口は900人足らず、
  ドイツ語を話す人の割合が96%を越す比率なんですと!
  この町からスイス国境までは約10kmほど。





  せっせと歩きながら道の左右を見回し、脇道も覗き込み、撮りつつ、

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  今回知り合ったグループの一人が話しかけてきて、
  自分の従弟はカトリックの神父で日本に既に50年も行っている。
  日本が気に入ってる?
  とても!! 3年に一度ちょっと戻るけど、日本をとても愛していて、
  きっと日本で満足して死ぬだろう、と。
  日本のどこにいるの? 
  最初は大阪で、そのあとはあちこちと転勤で・・。

  そんな嬉しい話を聞きながらも、せっせと撮って行きます、ははは。





  これは地図5の教会。 全体の様子は通り過ぎてからのものですが、
  16世紀の再建だそう。

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  オスペダーレ教会・Ospedaleという名の様で、
  元々は徒歩旅行者達の救済も兼ねた教会だったのかもですね。





  入口と内部。

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  教会の横、東並びに見えた長い通り、ポルティチ・アーケードの通り。
  建物の前側下を低くくり抜いた道で、頑丈そのものの太いアーチの柱!
  冬の積雪の深さが想像されますね。

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  道はちょっとカーヴして、奥の中心広場に続きますが、

  この建物の看板文字に、Gasthof Steinbock とあるのは、
  ホテル・カモシカというのは、絵解きでもあるのでOKですが、はは、

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  出窓にリストランテ、マチェッェリーア・肉屋とあるのに一瞬ギョ!
  ・・まぁさか、肉の生き作りというのは無いよね?! とひ弱な日本人・・。 





  横の壁に見た、にっこりティロル衣装の僕。
  お祭りの時には大人もこんな衣装なんでしょうね。

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  道の向かい角の建物。 これが町で一番派手な装飾だったと。

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  グロッレンツァの町が記録に最初に登場するのが1163年。
  既にオーストリア、スイス、そしてロンバルディーア(ミラノ)との通商交易の
  街道の要所として栄えており、1304年(1309年とも)「町」に昇格。

  現在でもヨーロッパで一番小さな町のひとつだそうで、
  上に人口900人足らずと書きましたが、町の城壁内には400人程と。

  で、スイスの独立を掛けたシュヴァーヴェン戦争、
  スイス連合側とオーストリアのハプスブルグ家との戦争のいくつかの
  戦闘のうちの、1499年のカルヴァ・Calvaの戦いの際、
  敗北したこのグロレンツァの町は完全に破壊されつくし、

  「私の宝石」と呼び、町を愛していたオーストリ皇帝マッシミリアーノ1世、
  この方はインスブルックの町の広場の「金の屋根」を造られた方ですが、
  破壊された町を再建し、その際に城壁をめぐらし、スイス側との国境近い
  この町をハプスブルグ家の橋頭保とした、という事で、

  現在残るこの町をめぐる城壁は当時のままの姿を保ち、
  最初にご案内の様に3つの門を持ち、城壁の上には巡回の兵士通路
  があり、350の銃眼、7つの角に塔、といった具合。

  上記の様に、町は東西南北の通商道の要所として栄えてきて、
  とりわけインスブルック近郊のハル・イン・ティロル・Hall in Tirolo
  からの岩塩の取引の町として長い世紀の繁栄があったと。





  町の中心広場から、東の門と、その右に橋が見え、

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  門の入口上に見える町の紋章。
  やはりこの門の塔の上にも上れるようす。

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  橋の向こうに見えるのが町の教区教会サン・パンクラーツィオ。
  鐘楼の玉ねぎ型の頂上は17世紀に加えられたものですが、
  鐘楼自体はロマネスクのもの。

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  鐘楼の北の壁には、15世紀末の大きな「最後の審判」のフレスコ画が
  あるそうで、残念、見ておらず。

  屋根がチカチカと見えるのは、ボルツァーノやウィーンでも見ていますが、
  様々な色の丸い(うろこ型)の小さな瓦を張り付けたもの。

  町の人々の言葉には、
  町が小さすぎるので、我々は教会のミサに行くのに城壁の外に
  行かなくてはならない、というのがあるそう!





  通常の橋の横に、こんな木製の屋根付き通路があり、
  これもきっと冬の積雪の際の通り道なんでしょうね。

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  ここを流れる、この慎ましいのがアディジェ川!

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  ヴェローナの街横を滔々と流れるアディジェ河とはえらい違い、ははは。






  外側から見る町の門。 堂々としているでしょう?!
       
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  城壁への渡り廊下に見えるPaul Flora・ポール・フローラというのは、
  この町生まれの画家、イラストレーターで、
  この塔の中にも展示会場があるのだそう。





  町の中心広場に戻り、仲間はバールのテラス席で一服中。

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  奥に北側の門が見えますが、
  後程この横の城壁の上に上り、この門の所に出てきた様子も。

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  という所で、その2にご案内を続けます。


 *****

  
  水彩+色鉛筆画ブログには、
  アップしています。    
  見てやってくださ~い!    


 *****


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・ 南ティロルの風景と、小さな町ナトゥールノ  n.2


  南ティロルの町の様子、その2に続きます。 どうぞ!


  北の山々と、山腹の家。

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  本屋さんのウィンドウを覗くと、ほらね、全部ドイツ語の本!

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  うん、ALL IN ONEは分かったですが、ははは、
  BUCH、ブックね +KARTE、カルテ、地図ね +APP 
  neuは、NEWではなく、ここだけドイツ語ね、ははは。
  ガーデンはGARTENね、はいはい。





  少し北に坂を上った所で見えた小さな要塞式城館。

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  下って、道を西に行き、少し高台より南を。

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  古い建物、再び十字架。

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  最初に少し上った道の先に小学校があるらしく、
  あちこちの道から通学の子供たちが出て来てすれ違います。

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  親に付き添われた小さな子もいますが、殆どは自転車か歩きで、
  中にはキックボード(昔はスクーターとか言いませんでした?)
  を漕ぐ子も何人かおり、上りの坂道をはぁはぁ言いながら・・!

  たまに目が合うと、ちょっと恥ずかしそうに挨拶してくれるのですが、
  なんと言っているのか聞き取れず・・。で、こちらはにっこり「ボンジョルノ!」





  ここも古い建物なのでしょう、
  壁には聖人が描かれ、バール・カフェ・ビストロ。

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  大きなビッレリア、レストラン。  

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  緩やかに蛇行する狭めの道を通勤車、通学の子供達が行きかい、

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  狭い道が1本町中を抜け、道に沿って商店があり、
  脇道にそれると家が何軒かという具合で、
  家も表通りと同じようなちょっと小奇麗な修復された家ばかりで、
  他には特別に何もなし!
    




  古い、多分売り家の前にあった、自動貸本屋!

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  両脇の門柱の上部が祠式になり、聖人の絵が描かれており、
  上はどの聖人なのか、水を汲んで(注いで)いる姿ですが、
  下のは、自分のマントを分け与えた聖マルティーニ。
  それにしても絵が、如何にもドイツ表現主義式のちょっとエグイもので・・。





  さてホテルに戻り朝ご飯を食べ、のんびりと9時に出発ですが、

  町中の道を行き始めてすぐの写真にこれが。

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  ナトゥールノに泊まったと書いたら、クリスさんが「サン・プロコロを見ましたか?」
  とコメントを下さったのでしたが、
  残念、もうちょっと東の外れまで行った所にあったのでした。





  ウィキペディアにあった写真はこれで、7世紀に遡る古い建物が火事で
  崩壊した後に建てられた8~9世紀の教会と。

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◆ 追記です ◆

  クリスさんが教会のサイトを教えて下さったので、開館時間を追記です。
       
  2017年4月1日から11月4日まで、火曜から日曜まで
  10時から12時半  14時から17時半まで
  閉館は、祭日と重ならない月曜日
  拝観は大人4,5エウロ。

  隣接して博物館があるそうですが、開館は教会と同じ。





  内部には9世紀のカロリンガ期のフレスコ画が残されているそうで、
  すっきり明快、ブランコに乗っているのか、楽しい姿も。

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  朝見た要塞の姿、東からの眺め、

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  ナトゥールノの町を過ぎ、東、メラーノに向かいます。

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  山腹の農家にも目が行きますが、

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  ついに谷を出た、という感じで、これよりどんどん坂道を下り、

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  ここは前日の上り道でも目についた大きな一連の建物群で、
  古いのでしょう、様々なフレスコ画の装飾も目につき、渡り廊下もあり、

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  最後にBEERという文字が見え、ビールを飲ませるレストラン? 醸造所?
  まぁ、宿も兼ねた全部なのでしょうね。

  コルサさんがコメントで教えて下さったのは、
  ここはForstという、ティロルの誇る歴史的ビール醸造所だそうで、
  ・・そういえばと、こちらのスーパーでも見かけるのを思い出しましたが、
  ここのは昔からある醸造所で今はレストラン、裏に工場がならんでいると。
  道を挟んだ向かいはビアガーデンで、夏はステージもあり一日盛り上がると、
  ははは。 ソーセージやザワークラウトが美味しく、リーズアブルなんですと!





  平野が開け始め、

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  もうすぐメラーノの中心に!

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  という、南ティロルはヴァル・ヴェノスタの風景でした。



 *****


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・ 南ティロルの風景と、小さな町ナトゥールノ  n.1



  今日ご覧頂くのは先週出かけてきた南ティロル、
  メラーノから西にヴァル・ヴェノスタ・Val Venostaを1時間ほど行った
  グロレンツァ・Glorenzaの町から、
  宿を取ったナトゥールノ・Naturnoの町に向かっての山と村の景色、
  そして翌朝のナトゥールノの町の様子と、メラーノに向かっての道筋の風景です。

  上はグロレンツァの町を出てすぐの、平地から見える南の連山の眺めで、
  雪が真っ白に輝くのに、皆が見惚れたのでした!

  夏山スキーが出来るゲレンデが幾つもある、というのも大いに納得!

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  地図をどうぞ。
  左に見えるグレーの線がスイスとイタリアの国境線で、
  メラーノからカステル・コイラ・Castel Coiraの古城と、
  グロレンツァの町見学に。

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  谷の南側に高山が連なる様子もお分かりと思いますが、
  ヴェローナに流れ下るアディジェ河・Adigeはこの谷が水源なのですね。

  「イタリアで一番美しい村々」に登録されているグロレンツァと、
  千年近い歴史を持ち、未だに個人所有のカステル・コイラのご案内も
  いずれ頑張って・・!
       
  メラーノの北に見えるティローロ・Tirolo・ティロルは、
  今我々がティロル(地方)と呼ぶ語源となったティロル伯爵が、
  中世にここに城を持ち、一帯を領有していた事に端を発します。





   ヴァル・ヴェノスタの西の端にあるグロッレンツァから徐々に下りつつ、
  行きは北側の眺めを、この戻りは南の眺めをわぁ~お!と感嘆して眺め、

  山の麓に小さな集落が広がり、そこには必ず鐘楼が見える教会があり、
  山の中腹には森を切り開いての草地と農家が点在し・・。
  山の中腹に孤立して生きる彼らの生活はどんなだろう、と考えます。

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  たぶん放置された古い教会跡。

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  すでに午後6時過ぎで、かなり陽が西に傾き、山の影が高く濃く、
  そして集落から離れ山腹に点在する農家。

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  道路工事中の臨時の信号機で停車した時の、道脇のリンゴ畑。
  畑は殆どリンゴ畑、または梨とか杏子だそうですが、
  リンゴの木も日本のとは違い、畝を作って並びます。

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  道中あちこちで盛んにスプリンクラーでの散水が目につきましたが、
  翌日のガイドさんの説明によると、単純に水やりの為のみでなく、
  スプリンクラーで細かい霧状を作り、それによって冷害の被害を防ぐ、
  花が凍るのを防ぐ意味があるのだそう。

  それにこの冬は雪が少なかったので、水不足も心配されており、
  コムーネによって水の配給が決められるのだそうで、
  ガイドさんの住むメラーノ近郊では、2週間に一度の水やりなんだと!
  かなり厳しいですね。
       




  そしてまた白い峰。

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  地図で見るとカステルベッロ・Castelbello辺りなのか、
  いったん大きく山間の平地が広がる部分があり、

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  道脇で休憩中のサイクリングのカップル、

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  また狭い谷の道を行き、それでも道脇に家並が繋がる様になり、
  ナトゥールノの町、宿に到着。





  翌朝起き抜けにテラスから見た、南の山々の峰にさす陽と月。

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  宿の前は広場になっており、これは南側の向きで、
  右が我らの宿のカフェとレストランのテラス。

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  グーグル・マップの衛星地図で、ストリート・ヴューを見ましたら、
  2011年のが出て、我らが泊まった宿はまだ古い建物でしたぁ。




  正面に、1階にスーパーや店の入った建物と、左に古い建物

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  6時半過ぎ、朝日の道を自転車で通勤していくシニョーラ。

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  こちらは広場の角にあった古い建物の宿で、

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  カフェ、レストランもあり、そして
  今回本当に町筋でよく見かけた十字架のキリスト像。
       
  イタリアでこれ式のを見かけるのはやはりドロミーティに多く、
  町中では壁に小さな祠式が多いので、今回よく目に留まりました。
  北国の習慣的なものなのか、雪国の生活の過酷さ、
  または街道筋の、保護を祈るためなのか・・。




  北側の山々。

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  そして南側。

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  道を少し東に行った所に見かけた大きなホテル。
  他にも道を少し入った所には、大小さまざまなホテルが。

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  小さな道脇の広場にあった泉と、脇のマロニエかな、の大木。

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  ナトゥールノの町は、ウィキペディアによると、
  海抜が528m、人口が5700人ほど。
  青銅器時代からの移殖の痕跡があるそうで、
  記録に出るのは千年以降ですが、多分元は初期ローマであろうと。
  この町から北にも南にも山道を辿り、古い灌漑用の水路を訪ねたり出来、
  夏には避暑地として、トレッキングの基地として賑わうのでしょう。


  という所で、その2に続きます。


*****

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  見てやってくださ~い!    

   
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・ メラーノ行きで食べた旨いものと、 美味しくなかったもの  n.2


  南ティロルで食べた旨いもの、その2に続けます、どうぞ!


  午後は2か所、それもバスで1時間ほどの距離の所を見学し、
  宿に戻ったのが8時前、即、手だけ洗って夕食。

  日が長いので、食堂の窓から見える高山の頭だけ、陽が当たり・・。

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  これは翌朝に撮ったホテルの写真、創業120年と言ったかな、
  ですから建て直ししたのでしょう、内部も部屋も綺麗で新しかったです。

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  メラーノはホテルが満杯、団体は無理という事で、メラーノから西に
  30分弱のナトゥールノ・Naturnoという小さな町でした。
  町の名はイタリア語ですが、朝朝食前に散歩がてら歩きましたら、
  出会う人や通学への子供たちが掛けてくれる挨拶が皆ドイツ語!でした。





  で、ここの夕食が、上のタイトル通り、美味しくなかったのです!!ははは。

  肉食人達に出たのは、まずラザーニャ。
  前の席のジャンナに「美味しい?」と聞くと、「マ、・・インソンマ・まぁね」

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  そして、肉の焼いたのと、ジャガイモとトマトのグリル。
    
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  これは何の肉? 豚肉だろうね、という言葉があちこちで聞こえ、ははは、
  2切れ全部食べた人はわずかで、量は多くとも美味しくなかったのでしょう。





  そしてベジェタリアンには、ペンネのトマト・ソース。
  このトマト・ソースが全く、缶詰を開けてそのまま上からかけたのか、
  というお味でして、缶詰トマトが悪いというのでなく、
  ちっとも手をかけていない感じの味なんすよぉ。

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  そしてそして、大きなお皿に茹で野菜と、チーズ。

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  この茹で野菜がです、お湯の中に放り込んだだけ、みたいに、
  味もそっけもない味でして、はぁ。

  どうやって美味しく食べるか、という事を一つも考えていない味ね、
  と言ったら、ジュリアーナが、まったく!と同意を。

  オリーヴ・オイルをかけ、塩胡椒して半分ほど食べましたが、
  う~~ん、もう!
  生野菜を茹でたなら、も少し野菜本来の味もあるでしょうに・・。


  そして一番皆が驚いたのは、飲み物、単にビールやワインだけでなく、
  水までも注文することで、

  水1Lが4,4エウロ、shinkaiが頼んだビール小は4エウロでしたぁ!

  今までイタリア圏で、・・はい、ここもイタリア圏ではあるのですが、
  グループ旅行ではワインは頼まずとも最初からテーブルに、
  カラフか壜で白、赤共に出ており、
  不足だと黙っていても追加してくれ、水代も勿論払った事なし!

  そういえばと思いだしたインスブルックの宿は、水は出ていましたが、
  ワインは注文でしたっけ。

  イタリアが良い!!とshinkaiが言うと、
  皆が笑いながら同意したのは勿論でしたねぇ、ははは。





  デザートはパンナコッタ、の小さいやつ、ははは。

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  これで部屋が狭く古いと、もひとつ文句が出たでしょうが、
  有難い事に部屋は広く綺麗で、ベッドも大きく、
  毛布ではなく、インスブルックのホテルの様に、夏蒲団ほどの
  厚さのダウン1枚。 そして、ヴィデが無かった!       
  やはり文化圏の違いを感じましたです。

  インスブルックのホテルの食事、部屋事情など





  翌朝6時に目覚ましで目が覚め、ベランダから見ると、
  ちょうど朝日が山に射している所で、月も。

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  顔を洗い、朝食前にカメラをもって散歩がてらに出かけます。

  我らのホテルのある斜め前に、こんな古いタイプのホテルがあり、
  こんなだと、泊まってみるにも興味深いでしょうに・・。

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  1時間近く近所を歩きましたが、普通の田舎町とはいえ、
  いつもとは古さの感じ、町並みの様子も違い興味深かったので、
  また次回にでもご案内いたしますね。

  宿に戻ってくると、朝食の時間が始まっていて、各自てんでに。
  で、shinkaiのはこれ。
  たくさんハムやソーセージ類が並んでおりました。

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  9時出発、少し早めにバスに乗り込み、あれこれ喋っている時に、
  2席前のレオナルダが振り返った顔を見て大笑い!!
       
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  きゃはは、6つ目だぁ!  すると前席のエレオノーラが、8つ!!と訂正。
  なぜかというと、彼女はコンタクトをはめているんですと、ははは。

  今回は参加者がいつもよりも少なめの38人だったそうで、
  お陰でとてもゆっくり感があり、いつもこうだと良いね、と、ははは。

  38名だとバスはゆっくりですが、それでも見学するには多く、
  最高35名くらい、出来たら20名ね、と後ろの席で言いたい放題!





  メラーノの街に到着、3時間以上をガイドさんと共に周り、

  その後バスで郊外の「シシーの庭園」、オーストリア帝国の最後の皇帝妃
  エリザベス(シシー)のお気に入りだった、7か月間ほども住んだ城もある、
  庭園に行き、午後の5時まで解散。

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  道を挟んでこちら側に入口、駐車場があり、
  ここから高架橋を渡り、大庭園に。





  レストランと、バール・スナックがあり、我らはちょうど中央に見える
  白い屋根のバール・スナックでお昼を。

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  ブルスケッタを何人か。 
  トマトにバルサミコ酢がかかっているとジュリアーナが。
  
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  ジュリアーナ・ミランは、アスパラとスペックのニョッキ。
  隣のshinkaiにまでスペックの匂いが届く程で、美味しかったと!

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  shinkaiは、モッツァレッラのカプレーゼとビールの小を。
  暑い日には、こんなのが美味しい!

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  何人かが頼んだジェラートと果物の盛り合わせ。
       
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  この後山肌に沿って広がる大庭園の上まで上ったり下ったり歩き回り、
  しっかりと大晴天と種々数々の花の盛りを、香りを楽しみ、
  まだ明るい8時半前に我が町コネリアーノに戻ったのでした。





  いやぁ、メラーノのあの抜けるような青空の下、
  木陰のテントの下でのお昼は、きっと、ずっと忘れないでしょう!

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 *****        
       
  いつもブログご訪問、有難うございます!     





・ メラーノ行きで食べた旨いものと、 美味しくなかったもの  n.1

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  今週の月曜火曜に1泊グループ旅行で、メラーノ・Merano と
  その手前にあるラーナ・ディ・ソット・Lana di Sotto、
  メラーノから西へ谷を辿り、カステッロ・コイラ・Castello Coiraと
  「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれている
  グロレンツァ・Glorenza などを訪ねてきました。

  大変な好天に恵まれ、暑いほどの2日間で、
  初めてのメラーノの街も美しく、13世紀からの古い城も大変興味深く、
  最後の半日を過ごしたメラーノの街近郊の「シシーの庭園」にも満足!

  この一帯は「イタリア国」ではあるものの、ドイツ語とのバイリンガルで、
  バイリンガルとはいうものの圧倒的にドイツ語圏、
  オーストリア文化の元にある事を強く感じた2日間でした。

  大急ぎで、恒例の旨いもの編のみ纏めましたので見てやって下さいね。
  がぁ、タイトル通り、美味しくなかった物もあったのですぅ!

       
  上はメラーノに到着しバスを降り、お昼を食べるべく中心街に向かい
  橋を渡る手前から見た様子。

  今まで見てきた山々よりも高く、雪を頂いたのが背後に迫り、・・おお!!





  地図をどうぞ。
  コネリアーノを朝6時に出発、細い谷の隙間を抜けながらトレント・Trentoに。
  ここから高速に乗りボルツァーノ・Bolzanoを経て、
  途中でラーナ・Lanaで古い教会の、中央ヨーロッパでは木製祭壇の
  一番大きい高さ14m以上、というのを見て、メラーノに。

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  午後に出かけたメラーノから西への地図は次の機会にご覧頂きますね。

  冬、クリスマス前に通った時、道の様子は





  橋を渡ってまっすぐ行った辺りが旧市街になりますが、

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  我らは橋を渡った岸辺の道を右に折れ、 この写真は西向き、

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  ここはずっと散歩道になっており、傍らには店が並び、
  並木道の下は花壇になっていて、様々な花が咲き乱れ、

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  次にバールやレストランなどのテントが並び、我らは
  左上にちょっと見える店名、ブルーノ・Brunoという店に。

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  こちらのグループ旅行では、朝食と夕食はホテルで代金込み、
  昼食は各自が好きな仲間と好きな所で、という放し飼いで、ははは、

  この日もいつもの仲間と一緒で、ジュリアーナとロレダーナは、

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  パスタ・ペンネのルーコラのソース、店の手製なんですと。
       
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  ジェノヴェーゼのソースはバジリコで、見た目は似ていても味が違い、
  こちらの方がちょっとピリッとした感じとでも・・。
  はぁ、味見させてもらいました。





  ジュリアーナ・ミランと、レオナルダ、そしてエレオノーラは、

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   クヌーデル・パンをふやかしたものの中に肉などを混ぜて丸め、
  これは焼いたのかな、にバターがかかっているもの、美味しかったそう。
  これは北国の料理ですから、やはり本場ものというのかも。

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   それにエレオノーラはポテトの唐揚げを頼み、ロレダーナとshinkaiも
  二人で一皿を。 が、とても平らげられず皆に助けてもらい・・、
  うん、ポテトはいつも美味しい!

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  shinkaiは、アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ。
  オリーヴ油がものすごくたっぷり、パスタの量も多かったぁ! 
  ドイツ的な量!
      
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  ストゥルーデルに生クリームを載せたのをデザートに、何人か、
  これも大きなスゥルーデルで、味見させて貰い、美味しかった!

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  アイスクリームとイチゴ、生クリーム。 エレオノーラとレオナルダかな。
  皆、量が多い!と言いつつ、ちゃんと綺麗に平らげ、ははは。

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  ウェイターのお兄ちゃん、イタリア人が3人か働いていて、とシニョーラ。
  お勘定を一人ひとり払い、カメラを向けたらニヤッと笑ってくれ。
       
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  あっちこっちにピーシングしているのが見えますか?
  スカーフを巻くお天気ではなかったので、shinkaiの推察では、
  首のあたりにちょっと凄い刺青があるのではないかな、と、へへへ。

  ここでの支払いは、shinkaiがビールの中と、スパゲッティと
  ポテトの唐揚げ、そしてオルゾとで18エウロ位だったと。

  次回またオーストリアとかドイツ圏に行くチャンスがあったら、
  やはり迷わずに、店名がイタリア名になっている所に行こうと、
  今回学んだ事の一つで~す。  
  (夕食の部をお読みになると、よぉく分かりますです、はい。)


  という所で、その2に続きます。


 *****


  水彩+色鉛筆画ブログには、
  アップしています。    
  見てやってくださ~い!    



 *****        

       
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・ ヴェネツィアの新名所 ・ コンタリーニ・デル・ボーヴォロ の階段 n.2


  コンタリーニ家のカタツムリ階段からの眺め、その2をどうぞ!

  
  昨年暮、リアルト橋南横の元ドイツ商館テラスからの眺めを楽しみ、
  今思い出し比べてみると、サン・マルコの鐘楼、聖堂なども
  建物の屋根越しに見える高さはほぼ同じ様子ですが、

  こちらは大運河の眺めが見えない代わりに、サン・マルコにぐんと近く、

  聖堂、鐘楼の眺めがこんな様子に。
       
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  鐘楼を、グングングンとアップしますと、

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  ほらね、展望台に上っている人々も、

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  塔の頂上、百合の花を持つ大天使ガブリエレも。
  この像は風見になっていて、クルクルと回ります。       
   
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  漸くに、少し薄日が射してきて、

  聖堂の正面、入口一番上のサン・マルコ像、その下のライオンも見え、

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  そして、鐘楼の右横に(左横にも)、ドゥカーレ宮の壁まで見え! 
  南側の壁真ん中の、裁きの女神像も!! 

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   パラッツォ・ドゥカーレ宮のご案内 1~4




  少し離れて、写真の中では右に、
  運河越しの、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の鐘楼の上も!

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  展望台にも陽が射し、お日様に当たると本当に暖かく!
  でも雲が多く、またすぐ隠れたり・・。

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  南には、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂の大クーポラ!

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  西には、サント・ステーファノ教会の傾いた鐘楼!
  う~ん、だいぶ傾いていますねぇ・・。

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  鐘楼が傾くのは何もピサの斜塔のみではありませんで、
  この近くではブラーノ島の教会鐘楼もかなり傾いていますし、
  ・・我が隣村のオリアーノの鐘楼も少しね。

  こちらにサント・ステーファノ教会、鐘楼について。
       




  ああ、もうちょっと早く陽が射してくれたら良かったのになぁ、
  と思いつつ下り、

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  ヴェネツィア共和国の旗を出しているお家の窓を眺め、

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  3階まで下った所で、奥の本館側の扉が開いており、覗くと
  展示会場で、 展示は見たものの、はぁ、私のタイプではなく、ははは、

  これは壁にあった古いフレスコ画。

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  細長い部屋の奥に、ドゥカーレ宮のマッジョール・コンシーリオ大広間
  にあるティントレット作の大壁画「天国」 世界一大きな油彩壁画
  22mx7,5m 1558~1592年の、下絵なんだそう。

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  下の写真は少し明るめにしましたが、とにかく彼の絵は余りにも暗くて、
  ゴテゴテで、いくら素晴らしい絵であると聞いても読んでも、
  注意して見た事がありませんで・・、失礼を。





  ここで漸く、階段の塔と、こちら本館とを繋ぐ構造に目が行き、はは、

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  ちょうど説明文の掲示もあったのも写して置き、読みましたら、

  階段構造の真ん中を一直線に通るのは、イーストゥリア・Istriaの石、
  26mの1本の石なんだそうで、
  これに階段の踏み石がはめ込まれ、鉛で固定されていると。
  はい、周囲の景色にのみ気が取られ、所々で、
  うん、鋲で留めている、とは思ったのですが、確かに。

  4階部分で天井の木組みの写真の右側に見えるのが、
  円柱の一番上部で、ここでは飾りが施され、細くなっておりました。





  そしてここにのみ残っていたフレスコ画なのですが、
  最初は階段内外側にも、全部フレスコ画の装飾があったと!
       
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  とすると、大いに人目を惹き評判をとり、庶民の話のタネにもなり、
  即、あのカタツムリ階段のコンタリーニ、となったのでしょう!





  前庭に置かれている井桁のコレクション。

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  私の好きな細かい柄の井桁と、
  あの入り口の細い小路の女性を撮った写真をどこかに載せたはず、
  と探し回り、ははは、やっと見つけました。
  お暇な方、どうぞ!





  これが階段部分の一番下、1階部分。
  階段の中心円柱は、下の白い円柱の上から始まっているのが見えます。

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  という事で、ヴェネツィアの新名所、
  コンタリーニ・デル・ボーヴォロのカタツムリ階段のご案内でした。

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  開館は今年1年間という事ですので、
  今年ヴェネツィアにお出かけの方、高上りがお好きの方、是非どうぞ!

  リアルト橋横の元ドイツ商館のテラスは無料ですが、
  こちらはも少し近くからサン・マルコ聖堂や、デッラ・サルーテも見えます。



 *****        

       
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・ ヴェネツィアの新名所 ・ コンタリーニ・デル・ボーヴォロ の階段 n.1


  先週水曜午後にヴェネツィア・メストレに出かける用があり、
  天気予報を見ると朝は曇り、午後から晴れるといい、
  用が済んだら即家に戻りたい、朝8時前だとまだ駅裏の駐車場がOK、
  などなど条件をあれこれ考えつつ、
  なにかヴェネツィアで展覧会の良いのがあったら出かけよう!

  見たサイトはこちらで、  http://www.veneziatoday.it/eventi/
  なんと、カンポ・マニン近くの、コンタリーニ・デル・ボーヴォロの階段が
  公開されているというのです!!

  なら少し曇り空でも朝一番に出かけ、10時からの開館で上って見て、
  ついでにサン・マルコ広場の様子も見て・・、とたちまち計画完了。

  翌朝は7時半の電車に乗り、8時半にすでにヴェネツィア歩き開始で、
  ちょうど9時55分にコンタリーニ・デル・ボーヴォロの前に。

  そうです、邸の名前はご存じなくとも、上の写真をご覧になると
  ああ、あれか、とご存知の方はたくさんおられると思います。





  コンタリーニ・デル・ボーヴォロ邸はどこにあるか、地図をどうぞ。
  リアルト橋から西に、運河で切れる手前の小路を南に入っていくと、
  カンポ・マニン・Campo Maninの広場に出ますから、
  広場の南側真ん中あたりの小路を入っていき、突き当りを左に、
  そして案内が見える小路を右に。 分かりやすいと思います。
       
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  地図には、リアルト橋南、元のドイツ商館の上階のテラスから
  見晴らしも出来る場所と、
  今回のコンタリーニ・デル・ボーヴォロの場所、
  そしてサン・マルコ聖堂と、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテにも印を。

  コンタリーニ・デル・ボーヴォロからサン・マルコ聖堂の位置は、
  正面側を北西から見る、というのにご留意を。





  ここがカンポ・マニン、私の居る位置の左に南に入る小路があり、

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  更にもう一つの細い小路を入り込んできた所が、ここ。
  右側に邸宅があり、左に建物の各階を連絡するエレガントな
  らせん階段があり、
  コンタリーニ・デル・ボーヴォロのボーヴォロ・bovoloは
  カタツムリ、らせんの意。
      
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  以前来た時は無かった看板が出ており、
    ヴェネツィアの隠れた宝石 コンタリーニ・デル・ボーヴォロの階段
    開館は、毎日10時から13時30分  14時から18時
    入場料は私めシニアで、確か6エウロだったと。

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  暫く前に修復が済んでいたのが、漸くに今年の1月末から公開で、
  現在サイトでは、今年2017年12月31日まで公開、との事。





  柵が開かれ、入り口に。 切符売り場は右に入った事務所で。
  この日はshinkaiがトップで、ははは。 
  同じ時間帯に10名足らず、写真には珍しく!誰も写っておらず。

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  さて、勇んで階段を上り始め!

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  くるくると回りながら上ります。

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  天井部は、上の階段の裏側という訳で、こんな様子。

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  3階辺りで見えた、サン・マルコの鐘楼!  おお、見えたぁ!!

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  階は5階までで、4階から見上げる天井部は丸く木組みが見え、
  真ん中に1874.REST. この年に修復された、という意味かな?

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  はい、この木組は1874年のものだそうで、その前は無かったかも・・。
       

  コンタリーニ家・Contarini家というのは、ヴェネツィア貴族の中でも
  古く著名な家柄で、最初の記録に残る家系の最初は853年と言い、
  千年を超す歴史の中、全部で120代のヴェネツィアのドージェに
  8名が選出されており、

  様々な分枝がある中、このコンタリーニ家は少なくとも13世紀に
  名の出てくるサン・パテルニアン・San Paternianの家系で、
       
  15世紀末、ピエトロ・コンタリーニがこの14~15世紀からあった住居に、
  この特徴的な外階段とロッジャを付けたことにより、

  コンタリーニ・デル・ボーヴォロ・カタツムリのコンタリーニ、
  という呼び名が付いたのだそう!





  4階から5階には、この狭い直線階段を上り、

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  現在のこの階段は19世紀に、という事は4階の、
  展望台の下の木組みと同時の改装だったのかも。





  表側の細い開けた通路を通り、

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  先っちょの開けた展望台部分に!

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  サン・マルコの鐘楼も、このように!

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  展望台の真ん中に展示のもの、パッと見に、
  ドージェ・ヴェネツィア総督の帽子? と思い近寄りましたら、

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  なんと、絵付けされた便器でありましたぁ! ははは。
  ちょうど3階の本館の方で、何とか言う方の、ははは、
  コラージュと絵の展示会があり、どうやらその人の作品らしいと
  見当をつけましたが、・・こういうのもアート?!

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  さて、展望台からの眺めを!

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  と言いつつ、これは通路からですが、
  下の広場と内庭、入り口辺り。

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  近くの古い家並、屋根の色も壁の感じも趣あるのが見え、

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  手前の屋根上に3つ明り取りのある教会は、サン・サルヴァトール・
  San Salvator.
  右奥の正面少しと丸いドゥオモが、サンティ・ジョヴァンニ・パオロ、
  一番右端、中華鍋で少し隠れているのが、
  サンタ・マリーア・フォルモーザの鐘楼。

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  お天気が良いと、こちらからは家並の奥に、ヴェネト平野の奥から
  フリウリに広がる高山の山並みも見えると。     


  という所で、展望の続きはその2に。



 *****


  水彩+色鉛筆画ブログは、今回パスさせてやって下さ~い。
  新しいのを描き出していますが、やっとペンでの下描きが済んだ所でして・・。
  次回には見て頂けるよう、頑張りま~~す!
          



 *****        
   
    
  いつもブログご訪問、有難うございます!     





・ ヴィッラ・ピサーニ ・ リビエーラ・ブレンタの、ヴィッラの女王  n.2


   ヴィッラ・ピサーニのご案内を続けます。 その2をどうぞ!


  そしてナポレオンの後、彼の妻ジョセフィーヌの連れ子であった
  ウジェーヌ・ボアルネ、イタリア王国の副王であった、とその妻の住居
  となり、ヴィッラのかなりの部分が、新しい皇帝趣味に替えられたそう。

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  1814年ヴィッラの持ち主はオーストリアのハプスブルグ家に代わり、
  王室の別荘であり、ヨーロッパ各国の王侯貴族を迎える場所となり、
  スペインのカルロ4世、ロシア皇帝アレッサンドロ1世、
  両シチーリア王フェルディナンド2世などが訪問しているそう。

  後に漸く、はは、1866年ヴェネトがイタリア国に併合され、
  ヴィッラ・ピサーニは国の所有となり、1884年に博物館になり、

  1934年最初の公的な、ヒットラーとムッソリーニの会合の場にも。

  という事で、以下のサイトで見つけた写真は、当初のヴィッラとは
  いささか趣も設えも変わっているのをお考えの上、ご覧下さいね。

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  イタリアであちこち大きな邸宅、城、王宮などを見て気が付くのは、
  廊下は必ず、大概、部屋の外側に一直線に通っており、
  部屋の端を通り抜けながら隣の部屋に、という様子なのですね。
       
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  余りプライヴァシーはなかったのではないかと気になりますが、
  そんな様子の廊下を一枚撮っておりまして、見える脚は管理の方。


  ヴェネトのヴィッラのいくつかをご案内。

  ラ・ロトンダ訪問

  ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ

  ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール

  ヴィッラ・エモ
      
  ヴィッラ・コルデッリーナ





  が庭園の眺めは撮れまして、庭越しの厩舎の眺め。

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  この庭園はフランスのヴェルサイユ宮殿を模したフランス式を、
  ヴェネト風にしたものだそうで、ははは、
  向かって左のこんもりした林は、ナポレオン時代にイギリス式庭園風に
  増やされたものと。

  細長く続く池は、20世紀初頭パドヴァ大学が水の研究で掘ったもの、
  でもちょうど良い眺めになっていませんか? はは。

  手前側の楕円部分には、水連が花を咲かせます。





  それにしても、これが厩舎とは! 
  まぁ、高級車のガレージと運転手の住まい、と考えると納得ですが・・。

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  庭園側からの建物の眺め。 屋根の上の像以外はすっきりのデザイン。

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  この庭園は2008年「イタリアで一番美しい公園」に選ばれたそうで、
  西側のこんもりとした林に対し、東側にはハプスグルグ家の当時に
  植物園式が取り入れられ、ゆったりとした散策が楽しめるように。

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  そして、「イタリアで一番大きな美しいラビリント」で有名ですが、

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  植木による迷宮・ラビリントは、こちらでご案内。




  黒歌鳥メルロ。 どこにでもいて、本当に良い声で歌います。

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  これはバラのトンネルだったか、他には藤のトンネルもあったと。

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  庭園のあちこちに彫像がおかれ、隠れ、

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  右奥のカフェ・ハウス近くには、あれこれの設備もあり、

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  これは氷室。 夏は涼しい空気が下から吹き上げ・・、優雅!

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  大木がうっそうと茂る部分もあり、根元は苔むすほど。

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  行ったのは5月初めの暑い日だったのですが、
  木漏れ日のこんな光、広い庭はとても心地よく、素晴らしいものでした!

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  軒下のこんな顔や、灯に送られ、ヴィッラに別れを告げ、

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  駐車場に着いたところで、結婚式のカップルに。

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  花婿は2度目の結婚で、すでに小学校高年の息子がおり、
  若く美人の花嫁は東欧女性の様で、既にお腹が少し大きく!
  撮った写真を後日送りましたら、お礼のメールが届きましたっけ。
  今も、今後も、どうぞお幸せに!!



 *****        
    
   
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・ ヴィッラ・ピサーニ  ・ リビエーラ・ブレンタの、ヴィッラの女王  n.1

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  先先回見て頂いたヴェネト州リビエーラ・ブレンタ・
  ブレンタ川沿いにある大小さまざまなヴィッラ・邸宅の内でも、

  とりわけ素晴らしく美しく、壮大なヴィッラ・ピサーニ・Villa Pisani.
  ヴェネト州に点在する数多くのヴィッラの内でも
  「ヴィッラの女王」と呼ばれ、現在は国立博物館、のご案内を。

  ピサーニ家はヴェネツィア貴族の内でも大変に裕福な家柄で、
  分枝もいくつかで、ヴィッラ・ピサーニというのはいくつもあり、
  ですからここのは、ヴィッラ・ピサーニ・ストラ・Straと呼ばれます。


  上は、上空からの素晴らしい写真を見つけましたが、

  前を流れるブレンタ川が、余りにも綺麗に半円を作っているので、
  どこにも書いたものが見つかりませんでしたが、
  きっとヴィッラを造るときに川の流れも変えたのだろうと・・。





  駐車場は屋敷の敷地東側にあり、
  こんな風に長く続く塀沿いに、所々の切れ目から中を覗きつつ、

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  屋敷脇の門、東側。

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  ヴィッラの前、敷地の芝生の切れ目を道路が走り、
  ガード・レールの向こうはブレンタ川、向こうに庶民の家並、はは。

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  ブレンタ川をやって来ての到着は、こんな具合にね。

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  正面の横に長い姿を撮ろうと、精いっぱい道まで下がりましたが、
  望遠18㎜でも全部が入らず・・!

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  正面部、ズーム・アップと、屋根の頂上の彫像。
  壮麗にして華麗!

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  横に広がる翼部分の屋根の上。  
  余りにもたくさんありすぎて、撮る意欲がなえます・・。

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  入口、そして脇の大彫像4体。

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  入口の彫像の脇、左右にある装飾。 これは向かって左。

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  正面入り口から入り突き抜けると、中央部の通りを挟み、
  左右に内庭が広がりますが、

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  通路にずらっと並ぶ様々な彫像。

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  こちらが、このヴィッラを造ったアルヴィーゼ・ピサーニ・
  Alvise Pisani(1664-1741)
  第114代ヴェネツィア共和国ドージェ(総督)1735.1.17から。

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  ドージェの選出選挙にアルヴィーゼは既に2度立候補しており、
  3回目のこの時巨額金を立候補しそうな41名に配ったそうで、
  立候補者は彼1名、満場一致の選出だったそう!

  ドージェ時代には、すでに退廃色の濃い当時のドージェ達に習い、
  祭りの華やかさにより手配を配るタイプの務めぶりだったようですが、
  幸いに外交的にも大事がなく、つつがなく。
  1741年5月疲れを癒す別荘行きに、ゴンドラに乗り込んだ所で
  気分が悪くなり、ドージェのアパートに運び込まれ、6月17日に他界。

  ピサーニ家は、確かな事は分からないのだそうですが、トスカーナは
  ピサの長官であったバッシ伯爵家・Conti Bassiの子孫といい、
  ヴェネツィアにやって来たのが804年とも905年とも、で、
  ピサーニという出身地を表す姓を名乗ったと。

  商人、銀行家でもあり、そして傭兵隊長として、のちには宗教面に
  おいても外交官としても、ヴェネツィア共和国内の中枢を占める
  位置で働き、大変に裕福な貴族であったと。

  時代を経ていくつかの分枝になりますが、その中でも一番が
  ヴェネツィアのサント・ステーファノの家系で、
  ドージェになり、このヴィッラを造ったのは、この家系のアルヴィーゼ。





  内庭を囲む建物の2階の壁のフレスコ画は、様々な人物像で、
  画家はジャンバッティスタ・ティエポロ・Gianbattista Tiepolo.

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  この、なんとも勇壮で、達者な筆使い!





  館全体の様子はこんな様子で、本館が1、それに向き合う形の
  奥15は厩舎、有名な植え込みの迷路は3で、右奥にはカフェ11。

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  現在国の博物館であるこのヴィッラは、1721年に建設が始まり、
  設計建築がジェローラモ・フリジメーリカ・Gerolamo Frigimelica、
  総面積は15平米、

  部屋数は建設当初114室、というのもヴェネツィア共和国の
  114代ドージェ就任を祝ったものだったのが、現在は168室と。

  最初の設計家フリジメーリカが1732年に亡くなり、当初はパドヴァ一帯
  の農地の管理と住居というイメージが主体だったのが、
  この後アルヴィーゼの夢はより壮大なものとなり、建築家も変わり、
  すべての建設終了は1756年、彼の没後。


  ガイド付きでも個人でも見学OKですが、いずれも2階の貴族住居部のみで、
  2度訪問し、写真禁止なのを2枚だけ内緒で撮っていまして、




  奥が舞踏室、を撮っており、

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  これが有名な、建物中央にある豪華絢爛の舞踏室で、

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  天井画はティエポロ作の、「ピサーニ家の栄光」。

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  他にもたくさんの美しい部屋があり、装飾はティエポロの他にも
  数名の名が挙がり、単なる美しい住居以上に、
  常に王のスタイルを模すのに拘ったアルヴィーゼで、

  余りにも壮大になり建築費がかかりすぎ、一家の経済にも深刻な
  問題を、というのがちょっと可笑しくもありですが、


  1797年ナポレオンによりヴェネツィア共和国が崩壊したのち、
  このヴィッラは1807年7月にナポレオンに、
  1,901,000ヴェネト・リーレで買い取られ、暫くここに居住を。
  う~ん、ヴェネト・リーラというのはどの程度の価値でしょうか? 


  という事で、これがナポレオンの寝室とベッド。

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  立派な天蓋付きではありますが、小さめのベッドですし、
  マットレスも今の方が格段に寝心地が良いであろうと思われ・・!


  という所で、次回のご案内に続きます。


 *****


  水彩+色鉛筆画ブログには、
  アップしています。    
  見てやってくださ~い!    



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・ トゥレヴィーゾ ・ 日本展と、パラッツオ・デイ・トゥレチェント n.2


  中心街にある、古いパラッツォのご案内に続きます。 どうぞ!


  さて、このパラッツォ・デイ・トゥレチェント・13世紀の館ですが、
  街の中心ピアッツァ・デイ・シニョーリに位置し、右に見えるのがそれで、

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  これが東側からの眺めと、上の広間への階段。
  ご覧の様に、壁に筋が見え、煉瓦の色も違う事にご留意を。

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  お昼を済ませ、どこかでカフェを、と裏側の広場に出てくると、
  階段上の扉が開いているのが見え、

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  あっ、あ、開いているよ! 行っておいで、とエレオノーラが言ってくれ、
  まだ出てこない仲間を残し先に階段を上りまして、ははは、
  まぁ、後からは仲間たちも皆上ってきましたが・・。

  何せ、来伊以来26年、初めて扉が開いているのを見たのです!!
  こんなチャンスを逃す手はありませんよね?! もちろん!





  入口から見た様子。

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  正面部。  ここは市議会場でもありますので北側半分がその会場、
  そしてこの部分にフレスコ画がしっかり残っております。

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  こちらが東側、階段からの上り口。

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  中央には、大きな書見台。

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  大広間の真ん中で、こんな作品の展覧会が開かれていて、
  おまけに5月1日の祭日なので、ここも開いていたという様子で、
  幸運でした!

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  壁にこんなパネルが3枚、パラッツォの歴史変遷の説明でしたが、

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  肝心の真ん中の写真が、なんとPCの不手際で開けず・・! くそメ。
  まぁ、資料は他にも見つけましたので、何とか大丈夫。





  最初の東側からの写真で見えた、建物の傷の線ですが、

  これがウィキから拝借の、1944年4月7日爆撃でやられた
  パラッツォの様子。  はい、ちょうど屋根からズドンと。

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  12世紀末に建設され初め、様々な組織の集会所であり、
  近くに監獄も備えたのが完成したのが1268年。

  市民の政治行政の中心であったこの建物の周囲にはたくさんの
  店も集まり、1546年の建物の下、ロッジャの部分だけで44軒の店、
  これらは5年毎の市から賃貸の形で、どんどん増えていったと。

  確かにトゥレヴィーゾの街は12~13世紀に大変な繁栄を遂げ、
  13世紀にはグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ(皇帝派)の争いもあり、
  近隣領主エッツェリーニ、コッラルト、ダ・カミーノ、スカリージェリ、
  の領有もありましたが、

  1339年に自らヴェネツィア共和国の元に下り、
  その後一時的にオーストリア、そしてダ・カッラーラの下にあったものの、
      
  1388年以降1797年まで400年間の平和と繁栄を享受し、

  現在も地元経済が大変に元気なのを感じる街の空気です。


       
  で、パラッツォは16世紀半ばに改装された様子ですが、
  19世紀から20世紀にかけ大きな改修が行われ、

  現在見る東側の大階段も、最初は建物西にあったのが東に移され、
  それも両側から連絡していたのが北側からだけに減らされ、
  建物の西側に残っていた急傾斜の階段も取り外され、
  今見る形に近い形に。

  爆撃の後、全部を建て直さなければかと心配されたのが、
  なんとか修復OKという見極めで、修復不全の壁のみ取り壊し、
  それで幸運にも以前の古い北側部分が残っているのだそう。

  ただ現在見る南と北面上部の尖がった形は、この時に決められ、
  周囲のレース飾り、煉瓦の小さな一連の尖がりも、この時にと。





  という事で、フレスコ画の様子をどうぞ。

  ぐるっと周囲を囲む紋章と、その下の名、年は、14~15世紀に
  かけてのポデスタ・執政長官の名と家紋で、
  一番上の部分にも、様々な物語が描かれているのが見えます。

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  北正面のフレスコ画装飾、まず左脇から、

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  正面左、

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  正面中央、聖母子の脇にいるのは、左にサン・ピエトロ、
  右の旗を持ったのがサン・リベラーレと。

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  聖母の顔が、ねぇ、残念・・。





  正面右側。

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  フレスコ画は16世紀後半のものとみられ、
  左側共に円柱の間に描かれた4女性は4つの主要な徳を表し、
  知恵、勇気、節度、正義なんですって。  ご存知でした?  

  騙し絵的な影が背後に付けられ、くっきり浮き出し。





  右の壁にあった、これは楽しいラクダの絵!
  壁画を描いた画家達は、ラクダを見た事なかったのね、ははは。

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  議会場側から見た南側。
  周囲に大きな3連窓がずらっと並び、大広間も明るい空間。

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  壁と屋根の高さ。

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  この広間、議会場と展示場は、
  2017年1月から土曜、日曜の14時半から18時まで公開中、
  入場料は、通常5エウロ、割引3エウロ、18歳未満と
  トゥレヴィーゾ市民は無料と。

  我らはこの日、労働者の祭日に当たり、無料でしたぁ!

  パドヴァのパラッツォ・ラジョーネの広さ高さ、フレスコ画の凄さには  
  ちょっと及びませんが、
  ずっと公開されていませんでしたし、やはりかなりの大広間ですから、
  トゥレヴィーゾに行かれ、お時間が合う方はどうぞご訪問を!





  広間を出て来て階段の上からの眺め、かなりの高さで、

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  下の広場の女性像が、こんな風に見えます。

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  shinkaiはずっとこの像を、どこかから吹き込まれたまま、へへへ、
  「イタリア像」と思い込んでおりましたが、
      
  今回これは独立広場・ピアッツァ・インディペンデンテにある、
  正式名は「独立の記念塔」なんだそうで! ご容赦を。

  1866年のオーストリアからの独立で戦い亡くなった、
  トゥレヴィーゾの愛国者達に捧げられたものだそうで、
  アスブルグ家の支配の鎖を踏みつけ、右手に槍を、
  左手に月桂樹の冠を持ち、像の高さは槍の先まで3,83m、
  全体で7,13mの高さ。
       
  説明にはご丁寧に、イタリア像とよく間違えられるが・・、とあり、
  へへ、それは私で~す。
       




  階段を下りてきた所で、綺麗な真っ白のワン君と出会い、
  撮らせてもらったのですが、肝心のワンは横向きで、ははは。
  でもこの若者、可愛いでしょう?!

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  シニョーリア広場のを囲む商店街。
  古い街並みによくある、中世の細高く、奥に長い建物群。

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  駅に向かって歩きながら見つけた、これは可愛いカフェのモカ。
  可愛い新作が出たようで・・!!

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  左のアルピーノのも可愛いですが、
  緑と赤のはお土産にも良さそうですねぇ!





  ショウ・ウインドウはすでに夏!

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  途中のカフェ・テラスで、一休み。

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  ちらは今回トップで見て頂いたシーレ河の、橋の反対側。
  白く見えるのは汚れではなく、花びらで~す。

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  駅正面を来た所にある小広場、新緑がとても鮮やか!

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  下の写真の左、彫刻のある後ろがコンティネンタル・ホテル。



  爽やかな日、楽しく思いがけないプレゼントのあった
  トゥレヴィーゾ行きでした。



 *****        
       
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・ トゥレヴィーゾ ・ 日本展と、パラッツオ・デイ・トゥレチェント n.1


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  5月1日メーデー、日本のゴールデンウィークに比べささやかですが、
  ははは、こちらは30日の日曜に続いての連休となり、
  仲間とトゥレヴィーゾに出かけてきました。

  トゥレヴィーゾには3月に印象派絵画展を見に出かけたばかりですが、
  「花咲く日本展」というのが開催中で、浮世絵が見れるから行こう、
  という仲間のお誘いで、

  浮世絵もかなりの数の展示で、着物や帯、履物の展示もあり、
  その都度の仲間の質問に答え、皆満足の展覧会見学でした。

  がそれよりも今回は、展覧会の後偶然に開いているのを初めてみた、
  はい、本当に!   
  街の中心シニョーリ広場の、パラッツオ・デイ・トゥレチェントの扉、
  内部も初めて見ることが出来たので、その様子をご案内いたしますね。

       
  上は、中心街の細い小路を彩る三色旗。





  先回のトゥレヴィーゾ行きは曇り空で残念だったのですが、

  今回は駅前から少し行って出会うシーレ河・Sile、
  -先日オアジ・チェルヴァーラで見て頂いたシーレ河が街中を流れ、
  綺麗に映りこむお天気。

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  朝まだ9時頃の到着でしたので、朝日が斜めに射し込み、
  人通りが殆どない道を中心に向かい、

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  途中の広場で出会った銅像のこの方は、マリーオ・デル・モナコ・
  Mario del Monaco.(1519-1982) 「アイーダ」のラダメス役と。

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  輝かしく重いドラマチックな素晴らしい声量の持ち主、容姿も素晴らしく、
  戦後イタリアの50年代60年代を代表するテノール歌手でした。

  彼は晩年をトゥレヴィーゾの北、ヴィッロルバ・Villorbaの彼の別荘で
  過ごしており、亡くなったのはメストレですので、彼の像がここに、と。

  生まれはガエータとか、フィレンツェとかいろいろ説があるのですが、
  ヴィッロルバというのもあり、晩年住んでいた事から考えると、
  両親がここの生まれで、住んでおられたのではないかと・・。

  第2回目のイタリア・オペラ日本公演で来日し、TV中継で聞いた
  「道化師」の彼の声、またプッチーニの「西部の娘」などが
  shinkaiにとってはまさにオペラの洗礼でしたし、
        
  こちらに来て後のサン・レモ音楽祭で、彼が歌った
  「こんなにも大きな愛・Un amore così grande」
  もTVで見て感激したのをよく覚えています。

  Youtubeで見つけましたので、どうぞ。





  街の中心、印象派絵画展を見たサンタ・カテリーナ博物館へ
  行くよりも少し手前で左に曲がり、

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  斜めに入り込むと、右手の奥に見えるのが今回の展覧会場
  カ・デイ・カッラレージ・Ca' dei Carraresi.

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  カ・デイ・カッラレージというのは、カッラーラ家の家という意味で、
  パドヴァの領主であったカッラーラ家がトゥレヴィーゾを領有した
  1384~88年代にも関係しているのでしょうが、

  博物館のサイトによると、それ以前1354年当時の記録では、
  ここは街中で有名なオステリーア・アッラ・クローチェ・
  Osteria alla Croceという食堂、宿であったそうで、

  北からの旅人や商人、ドイツやオーストリア、そしてフリウリを通って
  ハンガリアからの旅人がここで食べ休みしていたのだそうで、
  初代からの持ち主が変わっても1396年まで大変繁盛だったと。

  カッラーラ家の紋章、4つの輪が繋がった荷車を上から見た形、は
  正面の壁にあったのが、上から塗り消されていたそうですが、
  内部に残るフレスコ画に、いくらか面影を偲べるのがあるそう、

  という事で、ここは一時カッラーラ家の私的な住居でもあった様子。





  隣の今はカフェの建物、これは元々教会か礼拝堂ではなかったと。

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  これは北側の運河沿いの眺め。 
  右の切れたポスターは、今フランシス・ベーコン展も開催中で、     
  場所は先回に写真をご覧頂いた中之島の魚市場がある隣。

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  この日は5月1日の祭日、月曜にあたり、月曜休館か特別開館か、
  はたまた9時開館か、それとも10時か、
  どのサイトを見ても皆好き勝手なことを書いており、イタリア式、はい、
  電話をして開館は確実、と確かめて出かけたのでしたが、

  9時頃に到着したものの、やはり10時開館で、
  運河沿いのカフェで時間を稼ぐ間、お天気が良く新緑が見事なので、
  shinkaiはちょっと近所を。

  すぐそばの水車はゆっくりと回っており、

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  運河にしだれる柳の新緑、朝の陽に浮き出る橋。

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  博物館内から見える、
  先回ご案内の魚市場のある中の島と、運河沿いの様子、
       
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  会場の展示の様子をほんの少し。

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  北斎の「波越しの富士」を再度、
  「下界は雨、稲妻光る富士」は今回初めて、

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  先回もいくつか見た広重の東海道の宿場の何枚かもあり、       
  ですが、今回の出品作の方が格段に作品の保存が良く、
  浮世絵の職人の手腕も良く分かり、

  とりわけこの雨の描写には本当に感嘆した、彫り師と摺師の腕!

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  当時のヨーロッパの絵描きたち、印象派の画家に大きな影響を
  与えた浮世絵ですが、
  中には、ゴッホが自分の絵の中に描き込んだこれも。
   
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  浮世絵の中に書き込んである場所や名所の説明も何とか説明でき、
  仲間たちも大いに楽しんだ様子で良かったです。



       
  で、どこかで軽いお昼にしよう、前に行ったあそこは?という事で、

  細い小路を抜け、

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  パラッツォ・デイ・トゥレチェントの北側に出てきて、       
       
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  手前の家並の並びを入った所の小さなバールで、
  あれこれお任せのパニーノを。
  お昼の様子は、絵のブログの方に。



  という所で、後半はその2で!

 *****


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