・ トゥレヴィーゾ ・ 日本展と、パラッツオ・デイ・トゥレチェント n.2


  中心街にある、古いパラッツォのご案内に続きます。 どうぞ!


  さて、このパラッツォ・デイ・トゥレチェント・13世紀の館ですが、
  街の中心ピアッツァ・デイ・シニョーリに位置し、右に見えるのがそれで、

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  これが東側からの眺めと、上の広間への階段。
  ご覧の様に、壁に筋が見え、煉瓦の色も違う事にご留意を。

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  お昼を済ませ、どこかでカフェを、と裏側の広場に出てくると、
  階段上の扉が開いているのが見え、

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  あっ、あ、開いているよ! 行っておいで、とエレオノーラが言ってくれ、
  まだ出てこない仲間を残し先に階段を上りまして、ははは、
  まぁ、後からは仲間たちも皆上ってきましたが・・。

  何せ、来伊以来26年、初めて扉が開いているのを見たのです!!
  こんなチャンスを逃す手はありませんよね?! もちろん!





  入口から見た様子。

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  正面部。  ここは市議会場でもありますので北側半分がその会場、
  そしてこの部分にフレスコ画がしっかり残っております。

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  こちらが東側、階段からの上り口。

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  中央には、大きな書見台。

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  大広間の真ん中で、こんな作品の展覧会が開かれていて、
  おまけに5月1日の祭日なので、ここも開いていたという様子で、
  幸運でした!

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  壁にこんなパネルが3枚、パラッツォの歴史変遷の説明でしたが、

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  肝心の真ん中の写真が、なんとPCの不手際で開けず・・! くそメ。
  まぁ、資料は他にも見つけましたので、何とか大丈夫。





  最初の東側からの写真で見えた、建物の傷の線ですが、

  これがウィキから拝借の、1944年4月7日爆撃でやられた
  パラッツォの様子。  はい、ちょうど屋根からズドンと。

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  12世紀末に建設され初め、様々な組織の集会所であり、
  近くに監獄も備えたのが完成したのが1268年。

  市民の政治行政の中心であったこの建物の周囲にはたくさんの
  店も集まり、1546年の建物の下、ロッジャの部分だけで44軒の店、
  これらは5年毎の市から賃貸の形で、どんどん増えていったと。

  確かにトゥレヴィーゾの街は12~13世紀に大変な繁栄を遂げ、
  13世紀にはグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ(皇帝派)の争いもあり、
  近隣領主エッツェリーニ、コッラルト、ダ・カミーノ、スカリージェリ、
  の領有もありましたが、

  1339年に自らヴェネツィア共和国の元に下り、
  その後一時的にオーストリア、そしてダ・カッラーラの下にあったものの、
      
  1388年以降1797年まで400年間の平和と繁栄を享受し、

  現在も地元経済が大変に元気なのを感じる街の空気です。


       
  で、パラッツォは16世紀半ばに改装された様子ですが、
  19世紀から20世紀にかけ大きな改修が行われ、

  現在見る東側の大階段も、最初は建物西にあったのが東に移され、
  それも両側から連絡していたのが北側からだけに減らされ、
  建物の西側に残っていた急傾斜の階段も取り外され、
  今見る形に近い形に。

  爆撃の後、全部を建て直さなければかと心配されたのが、
  なんとか修復OKという見極めで、修復不全の壁のみ取り壊し、
  それで幸運にも以前の古い北側部分が残っているのだそう。

  ただ現在見る南と北面上部の尖がった形は、この時に決められ、
  周囲のレース飾り、煉瓦の小さな一連の尖がりも、この時にと。





  という事で、フレスコ画の様子をどうぞ。

  ぐるっと周囲を囲む紋章と、その下の名、年は、14~15世紀に
  かけてのポデスタ・執政長官の名と家紋で、
  一番上の部分にも、様々な物語が描かれているのが見えます。

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  北正面のフレスコ画装飾、まず左脇から、

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  正面左、

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  正面中央、聖母子の脇にいるのは、左にサン・ピエトロ、
  右の旗を持ったのがサン・リベラーレと。

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  聖母の顔が、ねぇ、残念・・。





  正面右側。

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  フレスコ画は16世紀後半のものとみられ、
  左側共に円柱の間に描かれた4女性は4つの主要な徳を表し、
  知恵、勇気、節度、正義なんですって。  ご存知でした?  

  騙し絵的な影が背後に付けられ、くっきり浮き出し。





  右の壁にあった、これは楽しいラクダの絵!
  壁画を描いた画家達は、ラクダを見た事なかったのね、ははは。

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  議会場側から見た南側。
  周囲に大きな3連窓がずらっと並び、大広間も明るい空間。

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  壁と屋根の高さ。

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  この広間、議会場と展示場は、
  2017年1月から土曜、日曜の14時半から18時まで公開中、
  入場料は、通常5エウロ、割引3エウロ、18歳未満と
  トゥレヴィーゾ市民は無料と。

  我らはこの日、労働者の祭日に当たり、無料でしたぁ!

  パドヴァのパラッツォ・ラジョーネの広さ高さ、フレスコ画の凄さには  
  ちょっと及びませんが、
  ずっと公開されていませんでしたし、やはりかなりの大広間ですから、
  トゥレヴィーゾに行かれ、お時間が合う方はどうぞご訪問を!





  広間を出て来て階段の上からの眺め、かなりの高さで、

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  下の広場の女性像が、こんな風に見えます。

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  shinkaiはずっとこの像を、どこかから吹き込まれたまま、へへへ、
  「イタリア像」と思い込んでおりましたが、
      
  今回これは独立広場・ピアッツァ・インディペンデンテにある、
  正式名は「独立の記念塔」なんだそうで! ご容赦を。

  1866年のオーストリアからの独立で戦い亡くなった、
  トゥレヴィーゾの愛国者達に捧げられたものだそうで、
  アスブルグ家の支配の鎖を踏みつけ、右手に槍を、
  左手に月桂樹の冠を持ち、像の高さは槍の先まで3,83m、
  全体で7,13mの高さ。
       
  説明にはご丁寧に、イタリア像とよく間違えられるが・・、とあり、
  へへ、それは私で~す。
       




  階段を下りてきた所で、綺麗な真っ白のワン君と出会い、
  撮らせてもらったのですが、肝心のワンは横向きで、ははは。
  でもこの若者、可愛いでしょう?!

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  シニョーリア広場のを囲む商店街。
  古い街並みによくある、中世の細高く、奥に長い建物群。

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  駅に向かって歩きながら見つけた、これは可愛いカフェのモカ。
  可愛い新作が出たようで・・!!

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  左のアルピーノのも可愛いですが、
  緑と赤のはお土産にも良さそうですねぇ!





  ショウ・ウインドウはすでに夏!

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  途中のカフェ・テラスで、一休み。

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  ちらは今回トップで見て頂いたシーレ河の、橋の反対側。
  白く見えるのは汚れではなく、花びらで~す。

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  駅正面を来た所にある小広場、新緑がとても鮮やか!

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  下の写真の左、彫刻のある後ろがコンティネンタル・ホテル。



  爽やかな日、楽しく思いがけないプレゼントのあった
  トゥレヴィーゾ行きでした。



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