・ ヴィッラ・ピサーニ  ・ リビエーラ・ブレンタの、ヴィッラの女王  n.1

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  先先回見て頂いたヴェネト州リビエーラ・ブレンタ・
  ブレンタ川沿いにある大小さまざまなヴィッラ・邸宅の内でも、

  とりわけ素晴らしく美しく、壮大なヴィッラ・ピサーニ・Villa Pisani.
  ヴェネト州に点在する数多くのヴィッラの内でも
  「ヴィッラの女王」と呼ばれ、現在は国立博物館、のご案内を。

  ピサーニ家はヴェネツィア貴族の内でも大変に裕福な家柄で、
  分枝もいくつかで、ヴィッラ・ピサーニというのはいくつもあり、
  ですからここのは、ヴィッラ・ピサーニ・ストラ・Straと呼ばれます。


  上は、上空からの素晴らしい写真を見つけましたが、

  前を流れるブレンタ川が、余りにも綺麗に半円を作っているので、
  どこにも書いたものが見つかりませんでしたが、
  きっとヴィッラを造るときに川の流れも変えたのだろうと・・。





  駐車場は屋敷の敷地東側にあり、
  こんな風に長く続く塀沿いに、所々の切れ目から中を覗きつつ、

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  屋敷脇の門、東側。

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  ヴィッラの前、敷地の芝生の切れ目を道路が走り、
  ガード・レールの向こうはブレンタ川、向こうに庶民の家並、はは。

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  ブレンタ川をやって来ての到着は、こんな具合にね。

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  正面の横に長い姿を撮ろうと、精いっぱい道まで下がりましたが、
  望遠18㎜でも全部が入らず・・!

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  正面部、ズーム・アップと、屋根の頂上の彫像。
  壮麗にして華麗!

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  横に広がる翼部分の屋根の上。  
  余りにもたくさんありすぎて、撮る意欲がなえます・・。

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  入口、そして脇の大彫像4体。

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  入口の彫像の脇、左右にある装飾。 これは向かって左。

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  正面入り口から入り突き抜けると、中央部の通りを挟み、
  左右に内庭が広がりますが、

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  通路にずらっと並ぶ様々な彫像。

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  こちらが、このヴィッラを造ったアルヴィーゼ・ピサーニ・
  Alvise Pisani(1664-1741)
  第114代ヴェネツィア共和国ドージェ(総督)1735.1.17から。

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  ドージェの選出選挙にアルヴィーゼは既に2度立候補しており、
  3回目のこの時巨額金を立候補しそうな41名に配ったそうで、
  立候補者は彼1名、満場一致の選出だったそう!

  ドージェ時代には、すでに退廃色の濃い当時のドージェ達に習い、
  祭りの華やかさにより手配を配るタイプの務めぶりだったようですが、
  幸いに外交的にも大事がなく、つつがなく。
  1741年5月疲れを癒す別荘行きに、ゴンドラに乗り込んだ所で
  気分が悪くなり、ドージェのアパートに運び込まれ、6月17日に他界。

  ピサーニ家は、確かな事は分からないのだそうですが、トスカーナは
  ピサの長官であったバッシ伯爵家・Conti Bassiの子孫といい、
  ヴェネツィアにやって来たのが804年とも905年とも、で、
  ピサーニという出身地を表す姓を名乗ったと。

  商人、銀行家でもあり、そして傭兵隊長として、のちには宗教面に
  おいても外交官としても、ヴェネツィア共和国内の中枢を占める
  位置で働き、大変に裕福な貴族であったと。

  時代を経ていくつかの分枝になりますが、その中でも一番が
  ヴェネツィアのサント・ステーファノの家系で、
  ドージェになり、このヴィッラを造ったのは、この家系のアルヴィーゼ。





  内庭を囲む建物の2階の壁のフレスコ画は、様々な人物像で、
  画家はジャンバッティスタ・ティエポロ・Gianbattista Tiepolo.

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  この、なんとも勇壮で、達者な筆使い!





  館全体の様子はこんな様子で、本館が1、それに向き合う形の
  奥15は厩舎、有名な植え込みの迷路は3で、右奥にはカフェ11。

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  現在国の博物館であるこのヴィッラは、1721年に建設が始まり、
  設計建築がジェローラモ・フリジメーリカ・Gerolamo Frigimelica、
  総面積は15平米、

  部屋数は建設当初114室、というのもヴェネツィア共和国の
  114代ドージェ就任を祝ったものだったのが、現在は168室と。

  最初の設計家フリジメーリカが1732年に亡くなり、当初はパドヴァ一帯
  の農地の管理と住居というイメージが主体だったのが、
  この後アルヴィーゼの夢はより壮大なものとなり、建築家も変わり、
  すべての建設終了は1756年、彼の没後。


  ガイド付きでも個人でも見学OKですが、いずれも2階の貴族住居部のみで、
  2度訪問し、写真禁止なのを2枚だけ内緒で撮っていまして、




  奥が舞踏室、を撮っており、

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  これが有名な、建物中央にある豪華絢爛の舞踏室で、

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  天井画はティエポロ作の、「ピサーニ家の栄光」。

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  他にもたくさんの美しい部屋があり、装飾はティエポロの他にも
  数名の名が挙がり、単なる美しい住居以上に、
  常に王のスタイルを模すのに拘ったアルヴィーゼで、

  余りにも壮大になり建築費がかかりすぎ、一家の経済にも深刻な
  問題を、というのがちょっと可笑しくもありですが、


  1797年ナポレオンによりヴェネツィア共和国が崩壊したのち、
  このヴィッラは1807年7月にナポレオンに、
  1,901,000ヴェネト・リーレで買い取られ、暫くここに居住を。
  う~ん、ヴェネト・リーラというのはどの程度の価値でしょうか? 


  という事で、これがナポレオンの寝室とベッド。

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  立派な天蓋付きではありますが、小さめのベッドですし、
  マットレスも今の方が格段に寝心地が良いであろうと思われ・・!


  という所で、次回のご案内に続きます。


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