ヴィッラ・ピサーニのご案内を続けます。 その2をどうぞ!
そしてナポレオンの後、彼の妻ジョセフィーヌの連れ子であった
ウジェーヌ・ボアルネ、イタリア王国の副王であった、とその妻の住居
となり、ヴィッラのかなりの部分が、新しい皇帝趣味に替えられたそう。

1814年ヴィッラの持ち主はオーストリアのハプスブルグ家に代わり、
王室の別荘であり、ヨーロッパ各国の王侯貴族を迎える場所となり、
スペインのカルロ4世、ロシア皇帝アレッサンドロ1世、
両シチーリア王フェルディナンド2世などが訪問しているそう。
後に漸く、はは、1866年ヴェネトがイタリア国に併合され、
ヴィッラ・ピサーニは国の所有となり、1884年に博物館になり、
1934年最初の公的な、ヒットラーとムッソリーニの会合の場にも。
という事で、以下のサイトで見つけた写真は、当初のヴィッラとは
いささか趣も設えも変わっているのをお考えの上、ご覧下さいね。


イタリアであちこち大きな邸宅、城、王宮などを見て気が付くのは、
廊下は必ず、大概、部屋の外側に一直線に通っており、
部屋の端を通り抜けながら隣の部屋に、という様子なのですね。

余りプライヴァシーはなかったのではないかと気になりますが、
そんな様子の廊下を一枚撮っておりまして、見える脚は管理の方。
ヴェネトのヴィッラのいくつかをご案内。
ラ・ロトンダ訪問
ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ
ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
ヴィッラ・エモ
ヴィッラ・コルデッリーナ
が庭園の眺めは撮れまして、庭越しの厩舎の眺め。

この庭園はフランスのヴェルサイユ宮殿を模したフランス式を、
ヴェネト風にしたものだそうで、ははは、
向かって左のこんもりした林は、ナポレオン時代にイギリス式庭園風に
増やされたものと。
細長く続く池は、20世紀初頭パドヴァ大学が水の研究で掘ったもの、
でもちょうど良い眺めになっていませんか? はは。
手前側の楕円部分には、水連が花を咲かせます。
それにしても、これが厩舎とは!
まぁ、高級車のガレージと運転手の住まい、と考えると納得ですが・・。



庭園側からの建物の眺め。 屋根の上の像以外はすっきりのデザイン。


この庭園は2008年「イタリアで一番美しい公園」に選ばれたそうで、
西側のこんもりとした林に対し、東側にはハプスグルグ家の当時に
植物園式が取り入れられ、ゆったりとした散策が楽しめるように。



そして、「イタリアで一番大きな美しいラビリント」で有名ですが、

植木による迷宮・ラビリントは、こちらでご案内。
黒歌鳥メルロ。 どこにでもいて、本当に良い声で歌います。

これはバラのトンネルだったか、他には藤のトンネルもあったと。

庭園のあちこちに彫像がおかれ、隠れ、


右奥のカフェ・ハウス近くには、あれこれの設備もあり、

これは氷室。 夏は涼しい空気が下から吹き上げ・・、優雅!

大木がうっそうと茂る部分もあり、根元は苔むすほど。


行ったのは5月初めの暑い日だったのですが、
木漏れ日のこんな光、広い庭はとても心地よく、素晴らしいものでした!

軒下のこんな顔や、灯に送られ、ヴィッラに別れを告げ、


駐車場に着いたところで、結婚式のカップルに。

花婿は2度目の結婚で、すでに小学校高年の息子がおり、
若く美人の花嫁は東欧女性の様で、既にお腹が少し大きく!
撮った写真を後日送りましたら、お礼のメールが届きましたっけ。
今も、今後も、どうぞお幸せに!!
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