今回から3回にわたり、5月に行って来た南ティロルのメラーノ・Merano
の町のご案内、町散歩をご覧頂きますね。
トップは、町に着き中心に向かって来た所で、パッシーリオ川・Passirioに
渡る橋、旧市街に連絡する橋のひとつであるテアトロ橋の手前から。
この右手に眺めを移すと、見えるこの城がティロル城。
メラーノから北に7km程のティローロ・Tiroloにある11世紀に遡る要塞城で、
ティロル伯爵の所領地、居城だった所で、これがティロル地方の名の由来に。
メラーノの地もティロル伯爵の元で中世に大きな経済発展を遂げ、
13世紀「町」に昇格。 15世紀ティロル伯爵家の本拠はインスブルックに移りますが、
19世紀半ば迄、公的にはティロル家所領地の首都であったと。
サイトで見つけた写真で、現在博物館になっている様子の城の内庭。
見えるマスティオ・主塔の壁の厚さは、基礎で5m以上あるのだそうで!
この城は、1420年インスブルックに伯爵家が中心を移すまでの居城で、
現在見える建物群は19世紀に改修されたのだそうですが、
こちらは8~11世紀のものとみられる礼拝堂の扉部分、素晴らしいでしょう?!
これを見ただけで、次回のチャンスがあったら!と。
現在この城は歴史文化博物館となっていて、
月曜休館で、3月15日より12月の最初まで、10時から17時。
詳細はサイトに。 http://www.schlosstirol.it/it/home/
町の中心部の地図をどうぞ。
パッシーリオ川の最初の橋は地図の左端に赤点を付けた位置で、
我々は東のテルメ・Terme Meranoの前を通り、テルメン橋を北に渡り、
クアハウス・Kurhausの前、川沿いの散歩道を東に。
そして3番目の橋ローマ通りと出ているポスタ橋を南に渡り、赤点をつけた
サント・スピリト教会を拝観、再度橋を渡りパッシーリオ川沿いの散歩道を東に。
地図の一番右端よりも東で北への小路を辿り、古い住宅街を通り抜け
サン・ニコロ教区教会に。
その後教会前の道を西に辿り、中ほどで南に曲がりコルソ・デッラ・リベルタを通り、
最初のテアトロ橋に出てきた行程でした。
ボルツァーノとの連絡の鉄道駅は、コルソ・デッラ・リベルタを西に行った所に。
これは最初のテアトロ橋から東の眺めで、右に見える大きなモダンな建物が
温泉地メラーノの名を高める、テルメ・メラーノ。
プール、サウナ、そして各種のフィットネスも出来る様で、
サイトはこちら。 http://www.termemerano.it/it
メラーノは温暖で穏やかな気候から、もともとは中高年者向け療養観光地として
19世紀から有名だったそうで、冬などウィーンとは10度もの温度差があるそうで、
ハプスブルグ家皇帝一族も、とりわけ皇后シシーもこの地を愛し療養もで、
世界的にその名が知れ渡ります。
と後先逆になりましたが、メラーノはイタリアの一番北に位置する州、
トレンティーノ・アルトアディジェの自治県県都ボルツァーノ・Bolzanoから30km
北西に位置し、海抜325m、周囲を1500~3000m級の高山に囲まれ、
町の人口4万人弱。
メラーノは、中世の名残が残る美しく小さな町と聞き、一度訪れたいと
ずっと願っていたのでしたが、
中世の面影が残り小さな可愛い町、という話から想像していた町とは
かなりイメージが違い、明るく、そしてちょっとお洒落な保養地、という感じを受け、
町自体がツーリストの受け入れに積極的でイメージを保つ努力をしている、
という事を強く感じました。
ドイツ語・イタリア語の関係は、メラーノで約半数位という事でしたが、
ガイドさんはドイツ語圏の方でしたね。
南ティロルに関しては、単にドイツ語とのバイリンガルであるというだけでなく、
かなり複雑な事情がある様子ですが、これについてはまた次回にでも。
5月の中旬だったのですが、快晴の良いお天気で暑いほど!
川辺で子供たちが遊んでいる姿も見え、
我々はこのテルメン橋を北に渡りますが、
川の斜め向こうに見えるのがクアハウス・Kurhausで、文字通りケアの家。
最初のオープンは1874年11月、120以上のガス灯で、とあるので、
きっと煌びやかなものだったのでしょう。
当初は現在の西側の棟だけだったそうですが、後に灯も電灯に代わり、
新しい部屋も建設され、大変繁盛した様子で、
1911年ウィーンの設計家フリードリッヒ・オーマン・Friedrich Ohmannが
増改築改装に取り掛かりますが、第一次大戦の勃発で中断、
現在見える2階のテラスのある入口建物などは1914年12月にオープンを。
オーマンはユーゲント様式の設計家で、このクアハウスは、エレガントで
モダンな印象を与え、リバティー様式の傑作のひとつとされているそう。
正面入口の丸い建物部は、グーグルの発音ではクァザーイ・Kursaalと
聞こえますが・・、何の意味だろ? コロッサール?
◆ 追記 ミ~タさんがKursaalの意味を教えて下さいました。
クアハウスの、ホール、広間、という意味なんだそう。
で、近くでガイドさんの説明を聞いていると、
2階のテラスに正装の男性、男優が3人現れ、見上げる我々に手を振ってくれ、
ははは、
なぜ男優とすぐ分かったかと言いますと、前にチネテクニカと書かれた
大きなトラックが止まっておりましたものね。
それはともかく、如何にもアールヌーヴォーの装飾が屋根の上にも見えますが、
オーマンは単に建物の設計だけでなく、内部インテリアなどもしたそう。
現在は土地の滞在企業の事務所が国際的な催しに使っている、といい、
元々の療養治療の方もと思うのですが、13の部屋で千人収容OKと。
花壇にポピーが咲き乱れる川沿いの散歩道を行きますが、
橋の脇にもコンテナーにいっぱいの花が咲き、
これはも一つ先の橋、ポスタ橋脇の広場にあった花壇で、
見える紋章がメラーノの紋章・ティロルの鷲で、14世紀からのものと。
近くにあった遊具で子供達が遊んでいて、でもすぐ怖い先生がね、ははは。
その先に見える如何にも中世風の町の門・Bozener Tor・ボルツァーノ塔
(これもミ~タさんからのコメントで)と、
この名はここより南のボルツァーノに向かう道筋の旧市街の町の門なので、
と、左奥に見える塔は町の教会サン・ニコロの鐘楼で、
その先にはこんな大きな建物、ホテルと思うのですが・・。
◆ その後グーグル地図のイタリア語版を見ていましたら、向こう半分の位置に
INPS・全国社会保障保険会社(年金)と出ていましたので、少なくとも半分はその事務所。
パッシーリオ川の川音がかなり高く聞こえ、南に見えるのは郵便局。
ポスト橋、つまり郵便局橋ですが、向こうに古い由緒ありげな教会が見え、
shinkaiは早く傍に行きたくてたまりません!
ガイドさんはイタリア語がスラスラではなく、ゆっくりと話し、おまけにマイク、
イヤホンなしで少し離れるともう聞こえずで、プロ根性に欠ける、と
口うるさい小姑どもが離れた所でごちゃごちゃと、ははは。
ひょっとしてこのまま旧市街に向かうかもと、ゆっくりの説明を聞いて動かない
仲間達を睨みつつ、一人で先に橋を渡って撮りに行ったほどで・・。
が、ついに橋を渡り・・、 やったぁ! この橋にも花鉢が。
橋の上から見る北西の山々。
ポスト橋という名前についての標識が橋の袂にあり、橋についての最初の記録は
1271年で、当時橋の下に、上流からの木材が接岸する場所があり、
ここから運河を通って製材所に運んでいたと。
もちろん当時の橋は木製で、1889年になって鉄製の橋に架け替えられ、
現在の橋は1909年のリバティー様式の橋なんだそう。 ・・そうだった?へへ。
サント・スピリト教会。
13世紀に遡る、病院と共に建設された古い教会で、これが1419年に
パッシーリオ川上流にある湖の氾濫で、多分山崩れが原因と、
大破壊したのを1483年に再建された、この一帯のドイツ・ゴシック様式と。
病院も一緒に再建されていたのが、1905年町に新病院が出来、
元からの病人救済の役目が無くなり、1939年に取り壊されたと。
正面からの姿。 脇壁にも見られる扶け壁が正面にもあり、上に小さな鐘楼。
小さなバラ窓は1495年のもの。
入口の扉上の彫りが素晴らしいでしょう?!
木彫風にも見える重厚な彫りで、「三位一体」が真ん中に。
という所で今回のご案内を終わり、内部はその2に続きます。
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