先回ドロミーティはアウロンツォの湖のエメラルド色を見て頂きましたが、
その時の地図を見て、そういえばロンガローネ・Longaroneの新しい写真が
そのまま、と思いだし、整理してご覧頂こうと。


ダム出水で飲み込まれたロンガローネの町の大災害についての以前のご案内は
多くご覧頂いておりますが、
私自身があの辺りを通るといつも思い出すので、
もう一度以前の記事の不足も補い、纏めたいと思ったのでした。
上の写真はサイトから拝借の現在のロンガローネの町で、
電車の窓からも、車で通っても新しいコンクリート造りの大きな建物が並び、
つまりダムからの出水で壊滅的被害を受け、町は完全に新しく
造り替えられているからで、
現在の町の姿自体には美的な魅力を感じませんで、
こちらは新しい教会、この地下は博物館式に災害の遺品の展示も
あります。

で町から見るダム、というのが町の下を流れるピエーヴェ河超しの対岸、
こんな風に狭い谷の奥、

一番奥に小さく三角にコンクリートの地平線が見える部分がダム、
ヴァイヨン・Vajon川を堰き止めてのダムなのですね。

地図で位置関係をどうぞ。
ロンガローネの町は東を流れるピアーヴェ河の高台に位置し、その東に
ヴェネト州とフリウリ・ヴェネツィアジューリアの州境があり、
道路をご覧になっても分るように、つづら折りのひどい傾斜の道を上った所に
ダム・Diga del Vajontがあり、
北にあるカッソ・Casso、そしてエルト・Ertoの村が被害の大きかった一帯で、
南にあるモンテ・トック・Monte Tocの北斜面がダムに崩れ落ちたと。
ダムの横に出てくると、少し上に駐車場があり、そこから下って来た所に、

慰安礼拝所があり、

この一角に、左の碑 9 OTTOBRE 1963 ore 22.39
1963年10月9日 22時39分 とあり、

右の碑は1983年に追加されたもの。
ここから見えるダムはこの様子で、下のダムの位置まで道が付いており、

ダムの上には渡れませんが、多分予約でガイド付き見学と、
柵のある近くまで行け、
崩れ落ちた山の土、現在は木々が生え育っているのが見えます。


ダムの深さと、落ち込んだ土の膨大さが分かりますね。
この狭い谷にダムを造って電力を、というのは既に1900年代初頭から
案が出ており、ただこの一帯の土地の脆弱さが常に問題だったのが、
30年代から60年代にかけ様々なプロジェクトが生まれ、
建設許可が出たのが1943年10月、
ついに1957年工事が開始され、1959年に完成。


垬門の高さ261,6m、この種の物として当時世界一の高さ、
現在でも無条件に2番目のものなんだそう。
1960年に試験運転の開始で、水で埋められます。

がすぐに様々な危険信号、木々が傾く、土地や家にヒビが入る等などが
あちこちに見られ始め、大災害が予知できたと言い、
技術者たちの心配や、ジャーナリストのティーナ・メルリン・
Tina Merlinが控訴したことも。
1960年11月4日にはかなり大きな土砂崩れがあり、
モンテ・トックの山の上部にはM字型の輪郭線が現れ、
将来の剥がれが考えられたものの、
誰もその膨大さと崩れのスピードが予想出来なかったのだそうで、
一切対策が取られず、勿論住民の避難も考えられなかったのだそう。
ダムに落ち込んだ岩山土砂の写真がサイトで見つかり、
多分これが1963年10月9日の後と。

これは雑誌フォーカス・ストーリーの物だそうで、右上の白い大きな矢印が、
モンテ・トックの北斜面から剥がれ崩れ落ちた土砂、2kmの幅で
2億6千万立方の土砂がダム湖に落ち込んだのを示し、

この土砂量はもし100台のトラックで運ぶとすれば、一日に一回とすると
なんと7世紀間もかかる量なのですと!
ダムには約三分の一の貯水があり、落下の衝撃で波の上がった高さは
ダムの高さと約同等の240mで、その波、流れは2方に分かれ、
ひとつは250mの高さに上り北の斜面にあるカッソの村を襲い、
その高さにあった家々は浚われ、
これはカッソよりも奥にあった村エルトも同様で、たくさんの家が襲われ、
もう一方の流れはダムを乗り越え、70mの高さ、時速70~100kmの速さで
流れ下り、谷の対岸にあったロンガローネの村を襲ったのです。
この大波がロンガローネの村を浚い、谷を流れ下るまでの時は4分間だったと。
この狭い谷、高いダムから見えるロンガローネの町、
どんな勢いで大波が流れ下ったかをご想像ください。

根こそぎにされたロンガローネの当時の写真。



亡くなった方の数は1910名、その内ロンガローネに含まれる死者は1450名、
一家族全てが亡くなったのも数知れずで、
ロンガローネのみならず、一帯の村々でも数多くの被害でした。
ダムの高さの横から見る礼拝所で、こうして見ると落下した山の土砂の高さが
良く分かります。

グーグルのストリート・ヴューで、ダムのすぐ北面にあったカッソの村の様子を
見る事が出来ますので、写真を何枚か集めました。
これは現在の村の入り口で、これより下にあった家々は今ありません。
以前行った時の記憶にあった道端の祠があり、
この高さまで波が上がったと説明がありましたっけ。

同じ場所から見る南のモンテ・トックの剥がれ落ちた斜面。
M字型に今も跡が残り、手前は落ちた土砂。

村の中は、上記したようにこの一帯の地盤の脆弱さからの土地崩れの
問題で、住人は少ない様で、



上の写真に見える「小マーケット」と書いた食料品店が1軒。
お年寄りの住民たちの為にも存在している様子。
以前行った時、10数年前にはこの店は無かったですね。
以前エルトの村、ダムの溢れた水を横から受けた、カッソよりも東にある村
ですが、歩いた事がありました。
家は残っているのですがそのまま放置され、新しい村は現在上方に存在し、
下の村は半ばゴーストタウンで、恐ろしい程の印象でした。
この一帯を通り抜ける時、エルトの村の上方を通り過ぎて後、
今は穏やかな村の姿を見て、ほっと一息つくshinkaiです。

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