・ ロンガローネ、54年前のダム出水大災害の纏めを


  先回ドロミーティはアウロンツォの湖のエメラルド色を見て頂きましたが、
  その時の地図を見て、そういえばロンガローネ・Longaroneの新しい写真が
  そのまま、と思いだし、整理してご覧頂こうと。

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  ダム出水で飲み込まれたロンガローネの町の大災害についての以前のご案内は
  多くご覧頂いておりますが、

  私自身があの辺りを通るといつも思い出すので、
  もう一度以前の記事の不足も補い、纏めたいと思ったのでした。

  上の写真はサイトから拝借の現在のロンガローネの町で、
  電車の窓からも、車で通っても新しいコンクリート造りの大きな建物が並び、
  つまりダムからの出水で壊滅的被害を受け、町は完全に新しく
  造り替えられているからで、
  
  現在の町の姿自体には美的な魅力を感じませんで、
  



  こちらは新しい教会、この地下は博物館式に災害の遺品の展示も
  あります。

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  で町から見るダム、というのが町の下を流れるピエーヴェ河超しの対岸、
  こんな風に狭い谷の奥、

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  一番奥に小さく三角にコンクリートの地平線が見える部分がダム、
  ヴァイヨン・Vajon川を堰き止めてのダムなのですね。

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  地図で位置関係をどうぞ。
  ロンガローネの町は東を流れるピアーヴェ河の高台に位置し、その東に
  ヴェネト州とフリウリ・ヴェネツィアジューリアの州境があり、
  道路をご覧になっても分るように、つづら折りのひどい傾斜の道を上った所に
  ダム・Diga del Vajontがあり、

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  北にあるカッソ・Casso、そしてエルト・Ertoの村が被害の大きかった一帯で、
  南にあるモンテ・トック・Monte Tocの北斜面がダムに崩れ落ちたと。





  ダムの横に出てくると、少し上に駐車場があり、そこから下って来た所に、

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  慰安礼拝所があり、

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  この一角に、左の碑  9 OTTOBRE 1963  ore 22.39 
  1963年10月9日 22時39分 とあり、

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  右の碑は1983年に追加されたもの。




  ここから見えるダムはこの様子で、下のダムの位置まで道が付いており、

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  ダムの上には渡れませんが、多分予約でガイド付き見学と、
  柵のある近くまで行け、
  崩れ落ちた山の土、現在は木々が生え育っているのが見えます。
  
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  ダムの深さと、落ち込んだ土の膨大さが分かりますね。




  この狭い谷にダムを造って電力を、というのは既に1900年代初頭から
  案が出ており、ただこの一帯の土地の脆弱さが常に問題だったのが、
  30年代から60年代にかけ様々なプロジェクトが生まれ、
  建設許可が出たのが1943年10月、
  ついに1957年工事が開始され、1959年に完成。

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  垬門の高さ261,6m、この種の物として当時世界一の高さ、
  現在でも無条件に2番目のものなんだそう。
  



  1960年に試験運転の開始で、水で埋められます。

15-diga-vajont-1963_GF.jpg

  がすぐに様々な危険信号、木々が傾く、土地や家にヒビが入る等などが
  あちこちに見られ始め、大災害が予知できたと言い、
  技術者たちの心配や、ジャーナリストのティーナ・メルリン・
  Tina Merlinが控訴したことも。

  1960年11月4日にはかなり大きな土砂崩れがあり、
  モンテ・トックの山の上部にはM字型の輪郭線が現れ、
  将来の剥がれが考えられたものの、
  誰もその膨大さと崩れのスピードが予想出来なかったのだそうで、
  一切対策が取られず、勿論住民の避難も考えられなかったのだそう。




  ダムに落ち込んだ岩山土砂の写真がサイトで見つかり、
  多分これが1963年10月9日の後と。

16-diga.jpg 



  これは雑誌フォーカス・ストーリーの物だそうで、右上の白い大きな矢印が、
  モンテ・トックの北斜面から剥がれ崩れ落ちた土砂、2kmの幅で
  2億6千万立方の土砂がダム湖に落ち込んだのを示し、

17-1-Storia-anteprima-del-numero-..jpg

  この土砂量はもし100台のトラックで運ぶとすれば、一日に一回とすると
  なんと7世紀間もかかる量なのですと!

  ダムには約三分の一の貯水があり、落下の衝撃で波の上がった高さは
  ダムの高さと約同等の240mで、その波、流れは2方に分かれ、
  ひとつは250mの高さに上り北の斜面にあるカッソの村を襲い、
  その高さにあった家々は浚われ、
  これはカッソよりも奥にあった村エルトも同様で、たくさんの家が襲われ、

  もう一方の流れはダムを乗り越え、70mの高さ、時速70~100kmの速さで
  流れ下り、谷の対岸にあったロンガローネの村を襲ったのです。

  この大波がロンガローネの村を浚い、谷を流れ下るまでの時は4分間だったと。
  




  この狭い谷、高いダムから見えるロンガローネの町、 
  どんな勢いで大波が流れ下ったかをご想像ください。

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  根こそぎにされたロンガローネの当時の写真。

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  亡くなった方の数は1910名、その内ロンガローネに含まれる死者は1450名、
  一家族全てが亡くなったのも数知れずで、
  ロンガローネのみならず、一帯の村々でも数多くの被害でした。




  ダムの高さの横から見る礼拝所で、こうして見ると落下した山の土砂の高さが
  良く分かります。  

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  グーグルのストリート・ヴューで、ダムのすぐ北面にあったカッソの村の様子を
  見る事が出来ますので、写真を何枚か集めました。

  これは現在の村の入り口で、これより下にあった家々は今ありません。
  以前行った時の記憶にあった道端の祠があり、
  この高さまで波が上がったと説明がありましたっけ。

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  同じ場所から見る南のモンテ・トックの剥がれ落ちた斜面。
  M字型に今も跡が残り、手前は落ちた土砂。

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  村の中は、上記したようにこの一帯の地盤の脆弱さからの土地崩れの
  問題で、住人は少ない様で、

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  上の写真に見える「小マーケット」と書いた食料品店が1軒。
  お年寄りの住民たちの為にも存在している様子。
  以前行った時、10数年前にはこの店は無かったですね。




  以前エルトの村、ダムの溢れた水を横から受けた、カッソよりも東にある村
  ですが、歩いた事がありました。
  家は残っているのですがそのまま放置され、新しい村は現在上方に存在し、
  下の村は半ばゴーストタウンで、恐ろしい程の印象でした。

  この一帯を通り抜ける時、エルトの村の上方を通り過ぎて後、
  今は穏やかな村の姿を見て、ほっと一息つくshinkaiです。

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