・ n.2 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式


 先回からご覧頂いているトスカーナ州チェルタルド・Certaldo.
 麓に広がる現在の町の高台に、エトルスクの時代からの移殖地という
 長い歴史を持ち、中世からの建物がそのまま残っていて、

 そして14世紀のイタリアの大古典作家の1人、「デカメロン」を遺した
 ジョヴァンニ・ボッカッチョ・Giovanni Boccaccioの故郷でもある町
 なのですね。


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 今回は町の散策の様子をご覧頂きながら、坂道の途中にあった教会、
 小さな広場の奥の博物館の様子、そして結婚式でごった返す
 プレトーリオ宮の前庭を通り、いよいよ内部の見学に、をどうぞ!

 上の写真は、ボッカッチョの家の博物館を出て、坂道をプレトーリオ宮迄
 上って来て、振り返った所。
 目抜きのヴィア・ボッカッチョ通りの両脇に立ち並ぶ古い家々の感じが
 お分かりでしょうか?
 塔が幾つも見えますが、かっての時代の防御を兼ねた住宅でもあったのですね。


 右側の高い塔の奥側、あそこがボッカッチョの家博物館の塔で、
 上で我が友人mkちゃんがスケッチをしているのが見えます。




 プレトーリオ宮の前が道がT字型になり、小さな広場になり、
 一帯を古い建物が囲んでいますが、

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 まだプレトーリオ宮内は結婚式が済んでおらず、入れませんので、
 写真の一番左に見える通り、
 この一帯に集落ができ始めた当初からの一番古いリヴェッリーノ通り・
 Via del Rivallinoを行って見ます。

 壁に落ちる街灯の影。

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 壁の煉瓦の新しい部分と古い部分が見えますが、これは第2次大戦の
 爆撃でかなりやられた様子で、その修復の後なのですね。




 道は緩やかに下り坂で、古い道を猫ちゃんが急いで通り・・。

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 道の突き当りに古い町の門があり、そこを左に曲がりこんでいくと、
 町の中心通りの裏側に当たる部分に出て、

 古い造りのままの家々が並び、向こうにボッカッチョ通りの塔や鐘楼の先が。

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 ゆっくりと眺めながら進むと、雑木林の中にこんな小屋も見え、

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 これは町の南側の城壁沿いで、右に見える門がソーレ門・Porta al Soleで、
 一番左端が既にこの高台の町の西はずれに当たります。

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 ソーレ門はかっての中心的な門で、太陽門と呼ばれるのは南に面しているからで、
 上記したリヴェッリーノ門と共に南に向かう、から来る、門だったのですね。
 門の上はパトロール道も付いているのが見えますが、
 上に見える紋はメディチ家の6つ玉紋というので、(手振れご容赦!)
 このチェルタルドの町がフィレンツェの下に下って以降の物なのでしょう。




 こちらは城壁沿いの外の道に出て、近くまで行った所から見た門。

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 最初に下って来たリヴェッリーノ通りに戻り、ゆっくりとプレトーリオ宮の方に。
 共同の洗濯場の跡も見ながら行き、
 咲き乱れる窓べの花。

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 そして、古い道端に残る家の扉。

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 プレトーリオ宮が奥に見えた来た辺り、左に見える塔の家は13世紀の
 ルカルデージ・Lucardesiの塔。

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 これよりも坂道の下に幾つかの塔が残っていて、この通りが町で一番古い、
 というのも頷けます。




 まだ時間が早いので、ボッカッチョ通りを行き、中ほど右側にある教会、
 サンティ・ヤコポ・エ・フィリッポ・SS Jacopo e Filippo辺りに。
 ロマネスク様式の多分建設は12世紀の末とみられると。

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 shinkaiは中に入りませんでしたので、サイトからの内部の写真を。
 大変簡素なもので、ここに見える以外にもかなりの絵画装飾もあるようですが、

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 ここにはボッカッチョのお墓の碑が、見廊中央の通りにあるそうですが、
 ボッカッチョに敬意を表しての物で、19世紀から20世紀初めの物だそう。




 でshinkaiめは、この教会前の広場の奥にある、アゴスティーノ派の修道院
 でもあった、現在は聖美術博物館・Museo di arte sacraに。

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 回廊の円柱はこんな風に煉瓦を積み重ねたもので、それでも柱頭には
 中世風の質素な飾りも見られ、

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 この聖美術博物館の収蔵品がなかなかに素晴らしいものがあり!
 とりわけこの絵画部門ですが、

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 他に聖遺物類とか、祭祀の際の衣類とか、あれこれ・・。




 で地下にこんな部屋があり、かっての救急病院でもあった様子で覗きに。
 写真ではかなり明るく見えますが、実際にはたいへん暗くて、
 目に故障を持つshinkaiにはちょっと薄気味悪い位で、他の写真は手振れ!

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 で、隅に黒い衣装に黒頭巾(顔もすっぽり)の人形があったのですね、
 病人を運んでくる輿のようなものと一緒だったと思うのですが、
 暗い中にそれが見えた時、ぎゃぉえ~という感じで、ははは。

 出て来てから切符売り場のお兄ちゃんに、あの黒い衣装の人物は何?
 と聞きましたら、やはりかって緊急病人の運搬に当たっていた人々の衣服で、
 なぜ顔が見えないようになっているのかというと、
 運ばれて来た人が助からなかった場合など、お前が殺したんだろう、という
 親族の追及から逃れるために顔を隠していたのだと・・。

 で、確かフィレンツェの緊急移送に携わっているボランティアの服装が、
 現在もこんな黒子風だったのを思い出したのでした。




 陽の当たる外に出てきてホッと一息! ははは。
 細い坂道の間から、遥かに下の町が見えます。

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 再びプレトーリオ宮の前に戻ります。
 午前中この上の広場では何やら文学の授賞式のようなものが開催中で、
 たくさんの人々が集まり、挨拶やら拍手やら聞こえていましたが、

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 ちょうど結婚式が済み、出て来た新婚カップルを囲み、皆賑やかにお祝いを。

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 嬉しがりshinkaiは花嫁の左腕の刺青に喜び、ははは、
 そう、花嫁のお名前はアレッシアさん・Alessia。
 で、下右の見えない部分も後程見えましたので、お楽しみに、へへ。




 集まった中にいたワンちゃんも、ちゃんと結婚式にふさわしくリボンをつけて貰い、

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 でもね、このワンちゃん、ちょうど出会ったmkちゃんの話では、
 後ろの新婚カップル用の大きな黒塗り車のタイヤにおしっこをかけたそうで!
 連れていたシニョーレに怒られていたよ、って、ははは。




 結婚式も済んだし、ではプレトーリオ宮の見学OKね、という事で入ります。

 外壁に見えた彩豊かな紋章飾りも見事でしたが、内部はなお一層素晴らしく、
 この「キリストの復活」は入り口の間だったと思いますが、

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 とにかく壁一面、様々な紋章で埋めつくされ! 

 最初にこのプレトーリオ宮が建設されたのは、伯爵アルベルト家が領主として
 フェデリコ・バルバロッサに叙任された12世紀で、当時は居城でもあったのが、
 フィレンツェとの抗争が続き、徐々に力が縮小され、13世紀にはついにその下に下り、
 このプレトーリオ宮は代々の代理執政官の事務所、住居となります。

 チェルタルドは、下の平野を通るフランチージェナ街道・Via Francigena、
 中世の北の国々とローマとを結ぶ巡礼の道でもあり、通商道でもあった
 このフランチェージナ街道からの通行税の取り立て、
 そしてそれ以前からの農産物でも豊かだったのが徐々に町が栄える元となり、
 15世紀にはこの町の繁栄の頂点に達したと言われます。

 そしてこの一帯の司法の中心地ともなり、常に政治の中心でもあったのが、
 これがこのプレトーリオ宮の壁、天井を埋め尽くす紋章の数々なのですが、

 17世紀になり徐々に力を失い、ついに1789年には停止となり、
 これ以降この町の凋落が始まったのだそう。

 が、これはまた次回のご説明に。




 これは礼拝堂と思われますが、通常は代理執政官たちの私的な礼拝堂であり、
 そして死刑判決を受けた罪人たちの最後を過ごす部屋でもあったと。

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 この最後の夜には、上記した現在の聖美術博物館にかって併設されていた
 病院部門の信者会員たちが(あの黒い衣装の)付き添ったのだそう!




 今回プレトーリオ宮の内部説明をあれこれ読みながら、きちんと見ていなかった
 様々な事に気が付き、とても残念な気持ちなのですが・・!

 というのも、内部見学よりももっとわぁ~お!というのを見まして、

 この中庭なのです!!

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 皆さんに見て頂いて分かりやすいように、と写真の明暗を調節していますから、
 最初に一瞥した時の驚きの凄さが少し減るかもですが、

 この光と影に彩られた中庭の素晴らしさ、迫力は、本当に圧巻だったのです!!
 やはり数々の紋章が壁に埋め込まれ、屋根のある井戸があり・・。
 その見事さに驚きのため息が出たのでした。
 少しでもお伝えできると嬉しいのですが・・。

 という所で、また次回のご案内に続きます。



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・ n.1 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式


 漸くに写真整理を済ませ、へへ、3年め、トスカーナはチェルタルド・
 Certaldoの町を、今回から3回に分けてご覧頂きますね。

 行ったのはちょうど9月14日秋晴れの大変気持ちの良い日で、
 サン・ジミニャーノから出かけましたが、

 これがこの町チェルタルドを故郷とする14世紀(1313-1375)の
 イタリアの詩人・作家、ジョヴァンニ・ボッカッチョ・Giovanni Boccaccio.
 大古典として学校で教わった「デカメロン・Decameron」の作者の像。

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 この像は下町の駐車場近くにあり、道を横切ると
 上の町・アルトに行くケーブル・カーの駅。




 所でチェルタルドの町は何処にあるか、地図をどうぞ。
 フィレンツェから南西に約50㎞、車でも電車でも約1時間の距離。

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 懐かしい町々の名が出て来ましたので、北から
 レオナルド・ダ・ヴィンチの生地 ヴィンチ村・Vinci 
 そして、フィレンツェ・Firenze  




 で、こちらの薄いピンク色がチェルタルド市ですが、細長い区域を抜ける
 州道429号を挟み広がる平野の新しい街並みで、
 我らが目指すボッカッチョの故郷である旧市街は、四角く囲った小さな一廓、
 町の高台にある部分。

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 こちらがチェルタルド・アルト・高い町と呼ばれる城壁に囲まれた部分で、
 この一帯が中世のまま残っており、
 3.4 ボッカッチョの家 博物館、図書館
 6.7 サンティ・ヤコポ・エ・フィリッポ教会 ここにボッカッチョのお墓
 8.9 プレトーリオ宮・カステッロ   南隣にサン・トンマーゾ教会
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 10.11 町の一番古い通り、居住区で、塔の家がいくつか
 12の横 ポルタ・アル・ソーレ 町から南に向かう門
 2の南 アンヌンツィアータ広場
 F 図の左上 下町からのロープウェイの連絡駅 

 町全体の人口は約1万6千人ほどと言いますから、
 この旧市街の人口はさて・・?!




 さてケーブル・カーに乗り、上の町にほぼ到着の所。

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 上の町に到着し、町の東西を横切る目抜きのボッカッチョ通りに出てくると、
 緩やかな坂道が一直線に続き、一番奥にプレトーリオ宮・Palazzo Pretorioが
 見える、素敵な眺め!

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 下を振り返っての眺め。 突き当りの蔦の這う建物の所を右に曲がると
 ケーブル・カーの駅。

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 右手に広がるアンヌンツィアータ広場・Annunziata.
 一見何という事もない広場ですが、隅に庇屋根を持つ小さな泉があり、
 広場に射し込む光からか、本当に豊かなイメージを受けた印象が今も残ります。

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 広場から見るボッカッチョ通りの14世紀の建物。 

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 通りを右に曲がって行くと、ボッカッチョの家・Casa del Boccaccio、
 塔のあるこの建物があり、

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 入口の扉を入った所。

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 「ボッカッチョの家」と呼ばれ、かってボッカッチョが晩年を過ごし
 (多分ここで1375年62歳で)亡くなった、とされているこの家ですが、

 18世紀の初めに詩人の侯爵夫人カルロッタ・レンツォーニ・デメディチ・
 Carlotta Lenzoni de'Medici、ジャコモ・レオパルディやバイロンとも
 友人であった彼女が購入し家具なども揃え、ボッカッチョになぞらえたフレスコ画
 なども描かせたものなんだそう。

 多分メディチ家とも縁筋に当たる富裕な侯爵夫人、ボッカッチョに傾倒していた
 方が、土地でそういう謂れの残っていた家を買われた、というのかも知れませんが、
 大変大きな家で塔などもあり、
 まぁ、現在ボッカッチョ関係の事務所がここに、という事で。

 第2次大戦の時には、友軍の爆撃でほぼ壊滅状態になったのだそうですが、
 確かに建物の煉瓦は新しく、
 上記のフレスコ画は奇跡的に残ったそうで、後程お目にかけますね。




 ボッカッチョ関係の資料などの展示と共に、彼の肖像画も。
 左下の絵はフィレンツェの一連の裁判官や公証人を描いたフレスコ画の中に
 あるものだそうですが、彼の生前の物ではなく後年の物と。

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 ジョヴァンニ・ボッカッチョ、彼について書くのは私にとっては手に余り、
 たくさん書かれたものがありますので、ここではちょっと興味を持った
 彼の父親について少し。

 ジョヴァンニは1313年裕福な両替商であった父親ボッカッチョ(ボッカチーノ)・
 ディ・ケリーノ・Chellinoの庶子として、貧しいフランス人女性との間に。

 父親は兄のヴァンニ・Vanniが1297年から始めていた両替業に
 若くから携わり、共に職業柄長い旅に出る事が多く、パリにも足を延ばし、
 その活躍ぶりは美王フィリップの本の中にも見出せるほどで、
 ジョヴァンニの母親は貴族であるとか、ついには王の娘ジョヴァンニで
 あるとかの説も生まれた様子。

 が、実際は上記の通り貧しい生まれの気晴らしの相手だった様で、
 こんなことからパリで生まれた、という説も生まれた様子ですが、
 とにかく兄弟は1314年にはフィレンツェに戻り、
 1320年5月16日付けでジョヴァンニの市民権が得られます。

 父親ボッカッチョの生まれ故郷チェルタルドでは多分この事件の
 経緯から軽蔑され、地元税の支払いでももめた様子ですが、
 ジョヴァンニが7歳位までは父親の最初の妻が面倒を見た様子。

 その後父親は仕事を広げ、ナポリ、アンジュー家が統治していたナポリに
 1327年バルディ銀行から派遣という形で出かけ、ジョヴァンニも同行。

 当時は栄えているとはいえ一都市に過ぎなかったフィレンツェに比べ、
 世界各国の文化が入り込む混沌とした都であったナポリは
 ジョヴァンニの勉学にとっても大きな刺激になった事でしょう。

 父親は最初は自分の仕事の跡継ぎにしたかった様子ですが、好まず、
 法律を収めるのに学びだしても結局は文学の世界を目指し、

 その後フィレンツェに戻ったり、バルディ銀行の凋落、破産があり、
 1348年のペストの大流行で父親は亡くなった様子。

 時に既に35歳になっていたジョヴァンニは父親の2度目の結婚の子の
 面倒も見、学問の評判から外交官的な仕事もこなし、

 ダンテの「神曲・Divina Commedia」も、最初は単に「Commedia・喜劇」
 とのみだったのに、
 「神の・ディヴィーナ」とつけ呼びならわしたのは彼だと言いますし、

 師でもあり友人でもあったペトラルカから多くを学び、影響を受け、
 イタリア文学における3本の円柱と見なされるジョヴァンニ・ボッカッチョ。




 上階の陳列室。 周囲に見える本棚には世界各国から集まった
 ボッカッチョの作品、とりわけ「デカメロン」が集められており、

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 こちらは下の階でしたが、サルヴァトーレ・ダリの作品の挿入されたもので、

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 これは上階テーブルにあった池田満寿夫の挿絵のもの。

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 上記したメディチ家一縁の侯爵夫人が描かせたというボッカッチョの姿と。
 画家は18,9世紀のピエトロ・ベンヴェヌーティ・Pietro Benvenuti.

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 部屋の隅にあった椅子。 こういう古い家具は直接にかっての住人に関係なくとも、
 なぜかしら懐かしみを感じられません?

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 展示品は余りしっかり眺めませんでしたけど、へへ、上階から塔に上れる
 階段を見つけ、早速に。  高上り大好きshinkai。

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 さて、塔の上からの眺め。 町の目抜きのボッカッチョ通りの中ほどにある
 この塔から東側に当たる中央部、

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 そして北側、奥に見える小さな集落、そしてその奥の浸食地カランキ。
 手前に見えるポコポコ丸い木はオリーヴ畑。

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 真ん中から南側、中央奥のプレトーリオ宮から南に続く辺り、
 この町の一番古い居住区があったそうで、古い塔の建物がいくつか。

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 突き当りのプレトーリオ宮の前に大きな黒塗りの結婚式用の車が止まり、
 今花嫁が降りた所で、左にはやはり飾りつけされた小さなフィアット!

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 塔の上でスケッチをする、という友人mkちゃんと別れ塔を降り、
 博物館から出てプレトーリオ宮に向かって歩き出すと、

 なんと、先程見えた小さな可愛いフィアットが、花嫁とお父さんを乗せ。
 豪華な黒塗りの大型車も良いですけど、これはまた何とも微笑ましく!!

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 ボッカッチョの家の博物館に入る時、入り口の切符売り場で、
 今朝はプレトーリオ宮で結婚式が2組あるので、見学は・・時からと言われ、
 我らより先に来ていたカップルが、両方見学出来る切符の値段をまけろ、と
 ははは、長い間掛け合ったいたのでしたが、
 まさに結婚式2組のお目出度い日に行き合わせたのでした!




 道脇には、結婚式、披露宴に参加の人々、友人たちがあちこちにいて、

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 井戸のある狭い広場のシニョーレ。 左に見えるテーブルでこの後お昼ご飯を。

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 黒塗りの車を覗き込むシニョーレにつられ、shinkaiめものぞき込み、はは、

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 細い握りのハンドルに黄色い皮がかぶせてあり、細い丸いチェンジが
 ハンドルの軸から飛び出し、金属がピカピカ光るあれこれ丸い計器盤があり、
 丸い時計まで付いていましたっけ!




 さて、ついに坂道の突き当り、町の一番高所にあるプレトーリオ宮・
 Palazzo Pretorioに。

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 プレトーリオ宮、またはデイ・ヴィカーリオ宮・dei Vicario・代理者の、
 と呼ばれる、往時の執政官の執務所であり住居であった建物で、
 最初の記録が現れるのは1164年。
 フェデリコ・バルバロッサに領主としての任命があったアルベルティ伯爵・
 Albertiで、ここに居城として建設されたのだと。




 たくさんの15~18世紀にかけての執政官達の紋章の彩色陶板、
 フィレンツェのデッラ・ロッビア工房作が美しい彩を添え、青空に映えます。

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 という所で内部や町の様子などは次回のご案内に。



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・ n.2 レガータ・ストーリカの日の大運河 ・ ヴェネツィア


 ヴェネツィアの秋、9月の第一日曜に行われるレガータ・ストーリカのお祭り。
 今年はたまたま出かけ、大運河をヴァポレット・水上バスで行きながら
 お祭りを待つ街の様子や人々を撮りましたので、先回に引き続き 
 ご一緒にカナル・グランデ・大運河を下るおつもりでお楽しみくださいね。

 今回はその2、ほぼ大運河の出口に近いアッカデミア大橋からで、

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 shinkaiはヴァポレットの艫、後ろの席に座りましたので、
 これはアッカデミア橋をくぐっての姿で、左にアッカデミア美術館が。




 庭園を持つ優雅なお屋敷が左に見え、 テラスにはタイルの壁画も。

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 サン・ヴィオの広場・Campo San Vioの広場でお祭り開始を待つ人々。

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 いつもは無い金色の大きな円柱が後ろに見えますが、
 開催中のヴェネツィア・ヴィエンナーレ展の展示品。




 ムラーノ・ガラスのサルヴィアーティの店。 
 アール・デコ様式の装飾は居並ぶ大運河の館の中でも一際目につきます。 

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 アッカデミア橋を。 いつもいっぱいの人!

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 そして、ペギー・グッゲンハイム美術館。 

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 お隣のダリオ館は修復で覆われておりました。





 どこの館だったか、やはりここにもヴィエンナーレ展の展示品が。

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 真ん中のはともかく、右の窓に白い熊さんが見えるでしょう?
 で、左には赤い熊さんがいて、・・こういうのもアートなの?!





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 正面に回って来て、  ここもすでに待ちの人々でかなり満杯!

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 ドガーナの突堤。 ここにはいつも飾りをつけた応援の大型ボートが停泊し、
 手前側にも大きなボート、そして座り込んでお祭りを待つ人々。

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 大運河を斜めに横切りサン・マルコの停留所に向かいますが、
 この時にサン・ジョルジョ・マッジョーレをほぼ正面から。

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 大運河を見渡し、サン・マルコ停留所に上陸!

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 陸に上がった途端、晴れ上がった空に煌く鐘楼の大天使ガブリエルが見え、
 しかも今日は正面からなので、これは撮らずには・・!

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 久しぶりに杭の上のカモメ君とも目が会い、チャオ!

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 突堤から向こうを撮りたいのに、中国女性が先っちょで二人でセルフィー中で、
 あっちこっちと向きを変えつつなかなか動かず・・、

 仕方ないので、ははは、ゴンドラのお尻の並び、なんぞを。

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 ひとり岸辺に腰を下ろし遅めのお昼ご飯。
 どこかで買って来たと思われるアルミ箔のお弁当を黙々と。

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 通りすがりにちらっと見るとラザーニャでしたが、飲み物無しで大丈夫?
 う~ん、この日のヴェネツィアなら、缶ビールを一つ付けたいですねぇ!





 とにかくお天気が良く、でもどこか秋の気配があるのか空気が澄んでいて、
 明るく輝き過ぎる程のドゥカーレ宮の角と、有翼のライオン君のお尻、はは。

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 手前のサン・テオドーロの円柱とはみ出すワニの尻尾、奥の鐘楼。

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 そして、ここにもカモメ君。

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 幸せな シンクロ 2組!!
 左の男性のパンツは、ピエール・カルダン、ははは。

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 サン・マルコ小広場のカフェ、キオッジャのバンド。
 テーブル席、ピアノ前の若い男性の目つき! はは、shinkaiは覗き魔。

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 サン・マルコ広場で記念の一枚を、と思ったのですが、

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 我がレンズのこの歪の大きさ補正方法がどこかにあったっけ?
 調べてみないと・・。




 この後鐘楼に上って楽しんだり、思いがけずに考古学博物館も見学出来、
 6時頃までサン・マルコ広場にいたのですが、
 ヴァポレットは7時半まで通らないというので、歩いてリアルト橋に。

 既に橋の両脇は通行止めになっていて、真ん中しか通り抜け出来ず、
 ロープの近くまで寄って大運河の西側を。
 既に夕日色に近く、ほら、大運河のボートもゴンドラも皆
 レガータの競艇の通過に備え、脇に寄っています。

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 おっ、と思い東側に行くと、運のよい事に女子のボートがやって来る所で、
 橋に隠れる手前すれすれで一枚!
 後で結果を見ましたら、何とこの黄色・カナリンが女子の優勝組!

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 脇の一般人通行止めの所には、写真の左にちょっと切れて見えますが
 女子警官が警備中で、彼女達にはしっかり見えて応援中で、ははは。

 黄色に続いて、赤、そして紫とやって来て、

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 脇には審査員の乗ったボートが続きますが、
 大運河のこの辺りは既に西日で影になっていますね。

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 女子の組の後は、いよいよ最後の男子2人組のゴンドリーノの競艇が
 ありますがとても待てずに、

 リアルト橋の様子を1枚撮り、駅方面に向かい、

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 最後は駅前大橋からの眺め、左にサン・シメオン・ピッコロ教会。

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 レガータ・ストーリカ  TV 実況編

 レガータ・ストーリカの日 その1と2

 ヴェネツィアの以前のご案内は


 駅内の店で缶ビールとチーズ味のおつまみを買い、待っていた電車に。
 ジュリアーナが電話を2度もくれていたのを知りかけましたら、
 どこに内緒で行っていた? 急に決めてヴェネツィアに来たの。
 雨が降った? いいや、物凄く良いお天気だったよ。

 何ぞと喋りコネリアーノに戻りましたら、道が濡れており、
 埃をうっすらかぶっていた我が車はきれ~いに洗われておりました!
 フロント・ガラスの汚れが落ちる程でしたから、かなり強い雨だったろうと、ははは。
 ドアを開けて置いたら、中も綺麗になったかな?!

 という、おまけがたくさんついたこの日のヴェネツィア行きでしたぁ。



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・ n.1 レガータ・ストーリカの日の大運河 ・ ヴェネツィア


 毎年9月の第一日曜に行われるヴェネツィアのお祭りレガータ・ストーリカ。
 今年はお祭りを見るつもりなく出かけたのでしたが、
 それでも大運河をヴァポレット・水上バスで行きながら、様々な準備の様子、
 お祭りを待ち盛り上がる空気、開始を待ち構える人々の様子・・。
 そんなあれこれが快晴の秋晴れの下で繰り広げられているのを、
 楽しみましたので、皆さまにもどうぞ!!

 午後1番の電車でヴェネツィアのサン・マルコ駅に着き、ヴェポレットの切符を
 買うのに、サン・マルコ行きのヴァポレットはあと10分で出るのが最後、
 レガータが始まるから、と聞き、やれ良かった、乗り込むと、

 途端に聞こえてくる音楽、バンドを乗せ歌いつつ進むボートが後ろから!

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 派手なピンクのスパンコールのついた帽子とネクタイをつけ、黒シャツのバンドが
 乗り込んだのと、その後ろからもピンクの風船で飾り付けたボートが続き、
 我々のヴァポレットと後になり先になりしながら、大運河を行きます。




 右にカンナレージョへの曲がり角にある、サン・ジェレミーア教会・
 San Geremia、確かここにサンタ・ルチーアの遺物も祀られていたと。

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 余りにも良いお天気、青い空で気持ちがウキウキしてくるほど!
 お昼ご飯も済み、そろそろお祭りの開始に向け、ボートの行き来も自粛
 し始めているのか、大運河もかなり閑散としているなぁ、という様子。

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 カ・ペーザロ・Ca'Pesaro・国際近代美術館辺り、少年達のボートがいて、

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 その先には一家で出かけるボートも進み、

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 サンタ・ソフィーア・Santa Sofiaの大型ゴンドラの渡し場を過ぎた辺りで、
 また別のボートが出かけるのに出会い、
 これらはレガータ・ストーリカの幕開けにある、船の行進に参加するのだろうと・・。

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 後ろに見える手が建物を掴む像は、今年11月まで開催中の
 ヴィエンナーレ展の展示の一作品。




 裁判所の建物の運河側の広場、確か名前があったのが思い出せず・・、
 そこにはすでにたくさんの人々が集まり、お祭りの開始を待っていて、

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 大運河の角を曲がり、これはコルテ・デイ・コンテ・Corte dei Conteの
 建物の運河への張り出し部に座り込んだ人々で、
 左の影はリアルト橋の影。

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 リアルト橋は修復が済み、美しい姿を見せておりました!

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 先程の4人乗りのシニョーレ達のボートが追い抜いて行き、

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 この辺りはまだまだゴンドラが大運河の中を漕いでおり、
 橋の上にもたくさんの観光客。 ですがね、レガータが始まる前になると、
 橋の中央だけ通り抜けにOKなのですが、両脇の通路は通行禁止にね。

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 駅前から後先になって進んできたバンドのボートもやって来て、
 どうやらイェーゾロ・Jesoloからの応援組ではないかと察しがつき、

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 ええと、レガータ・ストーリカにはヴェネツィアからのみでなく、周辺の島、土地、
 からの参加もあるので、それの応援に来ているのではないかと。
 で、ピンク色はたぶんイェーゾロのチーム、ボートの色ではないかと・・。

 下の写真の背後の建物に見える垂れ幕、NO MAFIA VENEZIA E' SACRA
 は、今回初めて見たキャンペーン幕ですが、何かマフィアがらみの事件でも
 最近あったのかも。

 その上に見える緑の小さい垂れ幕には、Venezia é una vera città・
 ヴェネツィアは真の街。 
 この垂れ幕はあちこちに見えましたので、やはり何か事件があったのかもですね。




 こちらがバンドの後から付いてやって来たイェーゾロの家族の乗りこんだ船。

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 ああ、やっとリアルト橋の全体が入りましたぁ! 美しい橋ですよねぇ!!

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 ずらっと並ぶゴンドラ。

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 すでに準備済みの観覧席。 こういうのは大きな荷台の船に設置され、
 曳航されてやって来るのでしょう。

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 大運河の中央部、すでにかなり西の端にやって来て、

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 建物の窓やテラスから様子を見る人々。

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 窓に翻るヴェネツィア共和国の旗。

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 ヴァポレットのすぐ後ろから付いて進んでくるボートのシニョーレ。

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 これはキオッジャ・Chioggia辺りからの船、と思いますが、

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 あちこちから集まってくる様々な形、大きさの船が場所を取り始め、

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 手前の長いのには、ジュウデッカ島の名が。





 大運河がリアルト橋からの西端、現在ヴェネツィア大学の本部である
 カ・フォスカリ・Ca'Foscari 前の貴賓席も準備完了。

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 レガータ・ストーリカの競艇の出発点はヴェネツィア本島の、サン・マルコ広場から
 かなり東に行った所、ヴィエンナーレ展会場のあるジャルディーニの前辺りが
 出発点で、大運河に入り、サン・マルクオーラの折り返し点を回って戻り、
 この貴賓席前がゴール。

 あれは競艇のプログラムの最初にある、少年たちの部だったのでしょうね。

 そして最後の2人乗りゴンドラでは、昨年に続き見事15回目の優勝を
 ルーディとイゴール・ヴィニョット・Rudi e Igor Vignottoの従弟組が
 飾り、記録更新中、立派!!



 貴賓席に続き、TV中継のRAIの放送車がやはり運搬船の上に。

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 少年たちのボート、彼らにとって晴れの日の幕開けに向かい、

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 後ろからは15人乗りかな、時代衣装の行進に参加の、
 嬉しそうなシニョーレ達の本土側メストレからの大型ボート、
 も出発点に向かいます。

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 ヴェネツィアの以前のご案内は


 という所で、次回に続きます。



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・ n.2 アッシジ 点描 ・  朝から昼、そして夜

 アッシジのご案内、新しく整理した写真をご覧頂きたく、
 既にアップしたのは極力少なくお目に掛けますので、

 どうぞごゆっくり、中世からずっと変わらず続いているこの町、
 イタリアの守護聖人の町でもあるアッシジ・Assisiの様子を
 お楽しみください!


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 アッシジの町は前回ご覧頂いたように、スバシオ山の中腹に東西に細長く、
 で、町の通りは東西に延びる線がいわば平行に4,5本あり、
 それに連絡する縦、南北の道が建物の下をくぐる石段の道であったり、
 斜めに通る坂道であったりしますが、

 町の一番下側、南側を通る道がボルコ・サン・ピエトロ、
 サン・ピエトロ教会の横から東に向かって続く長~い坂道で、
 道の名が途中からヴィア・サンタッポリナーレ・Via Sant'Appolinaleと
 変わり、坂道の突き当りが左にカーヴします。で、

 上の小さなバラ窓はそのカーヴした道に見える、
 サン・ジュゼッペ修道院・Monastero di San Giuseppe.

 左側に見える建物、前からあった薔薇窓の建物に食い込んでいる形で、
 ずっと修道院の付属教会だと思っていたのですが、
 サンタッポリナーレ教会、というのを今回知りました。




 カーヴした坂道を上って行き、左手に見える入口の上、庇屋根の下の
 聖母子と聖人たちか天使に囲まれたフレスコ画。

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 建物はサン・クイリコ・クララ修道院・Monastero s.Quirico CLARISSE
 の標識が出ておりました。

 クラリッセ・クララ修道女、女子修道士というのは、聖フランチェスコに従った
 聖キアーラが起こした、フランチェスコ会派の女子修道士会ですので、
 ここアッシジにあるのも良く頷けます。




 また少し坂道を上ると、サンタ・マリーア・マッジョーレ教会・S.M.Maggiore、
 先回後陣の庇下の動物たちと鐘楼をご覧頂いた教会ですが、
 の前、駐車された車でいっぱいの広場に出て、細長い広場にはこんな泉。

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 なぜか珍しく感じたのは、アッシジの町にはこういうタイプの泉が少なく、
 コムーネ広場にあるような大きな立派な泉や、洗濯場を兼ねたのかな、
 と思う様なのが多いので、
 普通のこの形の泉が珍しかったのですね。




 道なりに進むと、こんな立派な壁のフレスコ画、ニッキ・壁龕も。

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 これは町の下から2番目の通り、ヴィア・フォンテベッラ・Via Fontebella
 通りの家。 道の南側にあり、地階は山の傾斜に沿っての建物と思われますが、
 家の前のテラスが以前よりももっと整備され、ちょっとした骨董店式に!

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 この家の右側の窓を以前描いた事があり、やはり懐かしく、通った時は見つめますが、
 ここも以前とはずいぶん変わりました。




 これが通りの名フォンテベッラ・美しい泉、の由来とではないかと思う
 美しい大きな泉。 背後のピンクの石にはフォンテ・マルチェッラ・
 Fonte Marcellaと彫り込みが見えますが、

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 昔スケッチを取っていた時に覗きに来たシニョーレが、盾の泉・フォンテ・スクード
 というのだと教えてくれたのを覚えています。
 確かにたくさんの紋章が見えますものね。

 中世そのものと思うアッシジも、時と共に変わっている部分もたくさんあり、
 shinkaiが昔スケッチをした頃はこの泉も水があふれ、鳩たちが入れ替わり
 立ち代わり水を飲みに来たり、朝は身づくろいしたりしていたものですが、

 その後行った時は修復中で柵があり、今回見た時は柵は無くなったものの
 周囲は駐車の車でいっぱいで、水の流れも止まっておりました。
 暫くの間の断水、だと良いのですが・・。




 お昼近くなると、客待ちで用意されたテーブルが目につくようになり、
 日よけのテントや木陰の席が如何にも心地よく、美味しい物が食べれそう・・!

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 以前スケッチしたり、絵にした場所はやはりひと際思い入れがあり、
 あの植木鉢の木が大きくなったね、とか、テラスに花鉢も置かれてる、と。

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 並行の東西の道と、それを繋ぐ連絡道の為、アッシジの町にはたくさんある
 こんな角の建物。 上の家は以前正面に扉があったのですね!

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 歩きながら、左右を見渡し、ははは、常にモチーフになりそうな場所を狙い、
 時間による影の位置が違うので、良さそうな場所はどんどん撮って行きますが、

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 こういう古い大きな窓も素敵でしょう?! 大きな古いお屋敷ですね。

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 これは町の目抜き通りサン・フランチェスコ通り・San Francescoにある
 ロッジャ・デイ・マエストリ・コマチーニ・Loggia dei maestri comaciniの
 建物、13世紀。
 ロンバルディーアのコモ湖周辺の石工の匠たちが、サン・フランチェスコ聖堂の
 建設のためにやって来て、滞在していた館なのだとか。

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 右に見える坂道はサンタンドレア小路で、サン・フランチェスコ聖堂の東からの
 正面が見える場所に出て行きますが、脇にこんなかわいい泉が。

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 こちらはコマチーニの建物の右側に張り出している部分ですが、
 ここにはこんな三つ丸の紋と上に1477の年号。
 小さな窓の上にはコンパスの浮彫がみえ、やはり建築に関わった謂れがありそう。

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 所でこの建物を調べていて、このコマチーニの建物の内部が現代風に改装され、
 アッシジ滞在のアッパルトメントとなっているのを知りました。
 内部写真もありますので、ご興味をお持ちの方どうぞ!




 東西に並行の通りもやはり坂道は大ありで、ははは、
 ここはコムーネ広場の手前のヴィア・ポルティカの坂道・Via Portica!!
 通る度に、いつもこの坂道を行き来するアッシジの人は偉いよなぁ、
 と思いましたっけ、ははは。

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 コムーネ広場の、正面がインフォメーション。昔は郵便局だったっけ。
 春のお祭りが素晴らしく、2度見に行きましたが、
 次回はお祭りのない時、
 平常の町の顔が見れる時期に行きたいな、としばし思う今日この頃。

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 コムーネ広場の東端で演奏していたグラス・ハープのシニョーレ。
 妙なる音が、バッハのトッカータとフーガを奏で、
 しばしの憩いのひと時を頂きましたっけ。

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 夕日の当たるサンタンドレア小路の上の泉を見たく、またやって来ました。
 今回はお祭りのために西側に臨時の仮扉が付けられ、その影が泉に延びて。

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 古いごつごつの石の壁、そして手彫りの石の水盤を見ていると、
 中世の人々の暮らしを思い、お祭りの面白さとは別に、
 当時の人々と対面しているような想いが時にします。
 嵐の後に停電したくらいでオロオロする今の時代の我々と比べ、
 なんとも根強かったのだろうな、という敬虔の想い、です。




 泉のすぐ横で、お祭りから戻られたシニョーレに出会い、写真をお願い。
 この衣装だと、かなり高位の方に扮されているのですねぇ・・。

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 町の東のサンタ・キアーラ聖堂前の広場から見る夕暮れ。

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 夕暮れ、というよりかなり遅くなっての、サンタ・キアーラ聖堂。

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 コムーネ広場に向かう東からの通りで。

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 赤の地区・下町地区の衣装を着けた太鼓隊の少年に出会い、1枚。
 この辺りは青の地区・上の地区の筈だけどなぁ。
 後ろですかさず自分もポーズをとる女の子! 

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 遅くまで賑わっているコムーネ広場。

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 細い小路を覗きながら、こちらも坂道を下りつつ宿に向かいます。

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 夜の青の中のサン・フランチェスコ聖堂。

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 そして、アッシジを後にする朝の、サン・フランチェスコ聖堂。

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 また必ずいつかね!!


 以前のアッシジのご案内は


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・ n.1 アッシジ 点描 ・  朝から昼、そして夜

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 アッシジの長閑な、中世そのままの町の佇まいの中の長閑さが恋しく、
 と言ってもやはり現代の町で、それも観光都市にはなっているのですが、
 他の町に比べるとやはりまるで趣が違い、
 人間の大きさにちょうど良い町の大きさ、広さと共に
 周囲に広がる緑の野、町の高さから眺める緑の野も懐かしくなり、
 アッシジ点描、と題して新しく纏めて見ました。

 今迄に既にご案内のサン・フランチェスコ聖堂とか、ご覧頂いた写真は
 なるべく除けて、改めて整理した写真ですので、
 アッシジに流れる時間の緩さで、どうぞごゆっくりお楽しみ下さいませ!


 トップは、まず春霞の中にアッシジ・Assisiの町が見えてきた所。


 そして、サン・フランチェスコ聖堂の西端、要塞かと見間違うほどの威容。

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 町からだらだらと坂道を下り、麦畑の中から町を見上げると、
 西から東にかけ、山の中腹に東西に延び、
 先回見て頂いた山上の要塞・ロッカの位置もよくお分かりかと。

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 西端のサン・フランチェスコ聖堂・Basilica di San Francesco
 の眺めから、東にかけて、

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 最後の写真は一番東端、上の鐘楼が少し切れ、丸いドゥオーモを持つのが
 サン・ルフィーノ聖堂・San Rufino、斜め下の一番端がサンタ・キアーラ聖堂・
 Santa Chiara.





 サンタ・キアーラ聖堂の前からの眺め、左から右に。

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 上の写真中央の教会の後陣と鐘楼は、サンタ・マリーア・マッジョーレ・
 Santa Maria Maggioreの物で、




 今回は教会の中も拝観、こちらは背後に回っての眺めで、
 後陣の軒下の小さなアーチには動物の顔が付いていて嬉しく眺めましたっけ。

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 この位置から逆に眺めるサンタ・キアーラ聖堂。

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 サンタ・キアーラ聖堂の前はかなり広い広場になっていて、
 周囲に広がる平野の緑、麦畑が、そして木々の並びがとても美しく。

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 朝、日の出前に起きて町のあちこちに。
 これはサン・フランチェスコ聖堂前から坂道を上った所のサン・ジャコモ門・
 San Giacomo.

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 町の門から出て眺める北には、こんな古い農家が見え、
 朝日はまずこちら、町の北側に射し、

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 そして徐々に町中に。 サン・ジャコモ門の向かいに見えるアーチに陽が。
 サンタンドレア小路の端になるこのアーチの下に小さな泉があり、
 泉に朝日が当たるかどうか見に行ったのでしたが、ははは、
 左手の建物の影になり、朝日は当たらない事を知りましたぁ。

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 アッシジの町はスバシオ山の中腹、南側に広がるため、朝日は山越に届き、
 町の東側の高い位置から斜めに陽が当たって行き、下界はまだ靄の中。

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 町の西端、町の中では殆ど下になるサン・ピエトロ聖堂に当たる陽。

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 町の中ほどのアーチから眺める平野は、すでに明るい陽の中に。

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 高台のサンタ・クローチェ小路・Via Santa Croce通りもまだ影の中で、
 ここも昔スケッチした思い出の場所ですが、すっかり修復され。

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 宿のすぐ近くの泉にも陽が射し込み、

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 隣のモンテ・フルメントーリオ・Monte Frmentorioの建物のロッジャの柱。

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 モンテ・フルメントーリオというのは、かっての農民向けの穀類を質草にした質屋で、
 一度中を見たいと思いつつ、この度もつい・・。




 近くに止められていた高級車なのですが、埃だらけで、
 LAVA MI!・私を洗って! と、いたずら書きが、ははは。

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 近くの上から眺める白鳩君。 見たかい?!

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 サン・フランチェスコ聖堂からだらだらと下り、町の門を出てカーヴする道を
 ぐるっと下って来ると地下駐車場があり、その先にバスの停留所が。
 アッシジの町をご存知の方、思い出して下さいね、
 で、その先の脇から階段で小路が下るようになっています。

 今回地図を調べていて、この小路にもちゃんと名前が付いていて、はは、
 パードレ・ジョヴァンニ・プリンチペ小路・Via Padre Giovanni]Principeと
 いうのだと知りましたが、

 こんな風に木がしっかり茂った小道なのですが、ここを下っていくと、

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 こんな立派な、素晴らしい泉があるのです!

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 この前を通る小路は、現在の広い車道を突き抜けて下っていくと
 アッシジの下の町サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ・
 Santa Maria degli Angeliにまで続く道なのですね。

 で、現在は殆ど使われていない道でも、かってはサン・フランチェスコ聖堂に
 参拝する人々の通った道で、それでこんな立派な泉が残っているのではないかと。

 この泉を見つけて、と言われたのは我が絵の師二木さんなのですが、
 この道を見つけるまでに2度も他の道をずんずん下ったりしまして、へへ、
 ですが、見つかった泉の素晴らしさにやれやれと安堵しましたっけ!




 坂道を下って行くと、こんな廃屋があったり、

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 風に揺らぐ麦畑の、麦の穂。

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 これは山上のロッカからの眺めでご覧頂いた、平野の道角に見えた
 大きな糸杉の下の祠のマリア像。  う~ん、格子が細かすぎて残念。

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 町に戻り、この角の壁のタイル壁画を覚えておいでの方もたくさんおいでかと。
 サン・フランチェスコ聖堂の下の院にあるピエトロ・ロレンツェッティの壁画、
 「夕日の聖母子」の中央部分ですね。

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 夕日の聖母子、というのは、ちょうど夕日の時にここに陽が当たるから、と
 むか~し訪問した時のガイドさんに聞いて覚えていたのですが、
 確かに金箔をはった美しい作品で、夕陽が当たるとさぞや見事だろうと!

 が、正式には「聖フランチェスコと福音者聖ジョヴァンニに挟まれた聖母子」と
 いうそうで、優しい命名は案外日本のガイドさんかな?




 こちらは町の壁の中から、我らに祝福を与える聖フランチェスコ。

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 という所で今回を終え、次回に続けま~す。


 以前のアッシジのご案内は



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・ アッシジの夕暮れ  ロッカ・要塞前の広場から

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 旅で訪問し心地よく、家に戻った後、暫くするとまた恋しく思い出す、
 そんな場所はどなたにもおありでしょう?!
 私にとっては、ウンブリアととりわけアッシジ、そしてトスカーナ地方。

 で、今回は2年前のまだ見て頂いてないアッシジの写真を整理し、
 山の上の要塞・ロッカ・マッジョーレ前からの、5月上旬の夕暮れをどうぞ。


 トップは要塞への道を辿る前の、サン・ルフィーノ聖堂・San Rufino。
 12世紀からの建設で、現在はサン・フランチェスコ聖堂と共に
 ユネスコの世界遺産。




 坂道、そして石段をはぁはぁと上って見えてくるロッカ・マッジョーレ。
 12世紀に建設の後、市民の抗争などで一旦破壊されたこともある様で、
 15世紀に再建されたものと。

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 1991年にアッシジに来た時は修復されておらず、裏側から回って
 中の暗い部屋などを覗き込んだ記憶がありますが、
 後2007年の訪問ではきちんと修復され公開されており、内部の写真も
 撮っているのを確かめましたが、当時は余り写真の数が多くなく・・。
 またのチャンスにちゃんとご案内をしたい、と思っています。

 今迄のアッシジのご案内は




 この日ロッカに上って来た時は、まだ下のコムーネ広場でのお祭りが
 済んでおらず、下からワイワイと騒ぐ音などが立ち上って来ていて、

 それでも少し夕暮れ間近の光に輝く、サンタ・キアーラ聖堂。

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 細長く山腹に広がるアッシジの町の東側をサンタ・キアーラ聖堂が締め、
 西にはサン・フランチェスコ大聖堂があります。




 左に鐘楼の見える教会は、サンタ・キアーラ聖堂から少し西下にある
 サンタ・マリーア・マッジョーレ教会と。

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 そして眺めをずっと西に寄せると、平野が広がり、麦畑が光ります。
 手前の左、三角に広がる畑の角、大きな糸杉が見えますが、
 あの下には小さなマリア像を祀った祠が。

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 そして逆光に浮かぶサン・フランチェスコ聖堂。
 右下から斜め上に延びる真っ直ぐの道と、右から蛇行してくる道の
 交差する辺りから眺めるサン・フランチェスコ聖堂の威容は凄く、

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 それを初めて見たのは、自分で車を運転してはるばるやって来た時で、
 その時の驚きと感激は今でも鮮やかです。




 ロッカ・マッジョーレ前の広場を行ったり来たり、これが広い、長いのです!
 そして奥の端の方まで行ったりで、

 これはそうやって北の下を覗いて見えた、夕日の長い影の光景。

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 そしてロッカの塔に見えた教皇冠と紋の碑。

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 下の碑にPIUS Pi・・  1409 と見え、調べましたら、

 真ん中の紋はピオ2世(ピウス2世1458-1464在位)のもので、
 1458年にアッシジの領主ヤコポ・ピッチニーノが北西の多角形の塔を建設させ、
 教皇ピオ2世がこの仕事を終わらせ、廊下からの壁とを連絡させ強固にした、
 というのが見つかりました。

 1409というのは別の関係なのかもで、一応ピオ2世の件が分かって納得。
 ほら、この教皇は自分の生まれた村をルネッサンス風の理想の町ピエンツァにすべく  
 奮闘したり、リミニの狼・パンドルフォ・マラテスタを目の敵にし、ははは、
 最後は時代外れ的な十字軍遠征に出かけるべく全軍到着を待ちつつ
 アンコーナで亡くなった、ちょっとエキセントリックな教皇様なのでした。

 シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ その1と2




 サンタ・キアーラ聖堂が見える東の方まで行き、
 黄昏の光線が先程よりも濃くなっているのを見、

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 サンタ・マリーア・マッジョーレ教会、その右下に見えるサン・ジュゼッペ修道院も
 光の煌きの中にひと際浮かび上がるのを見つめます。

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 ロッカの広場西側に戻ってくると、広場にいた若い女性達、アメリカからの
 様でしたが、オレンジの光線の中で楽しんでいて、

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 サン・フランチェスコ聖堂も、黄金色の光線の中に!

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 今やほぼ日没近くなり、

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 元気はつらつの若い女性たちも、皆素晴らしい黄昏に見とれます。

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 そして、日没。

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 静かに、少しづつ、黄昏後の色に靄って行き、

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 少しづつ薄暗くなり始め、あちこちの灯がともり始め、

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 まだ町の東側には明るさが残り、が、平野の奥は靄がかかり始め、

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 広場の西に戻ってくると、サン・フランチェスコ聖堂に点灯されており、
 美しい姿に!

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 ロッカにも点灯。

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 アッシジの平野の方にある、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリの町の灯。

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 ずっと誰か彼かが去っては来ていたロッカの広場も、もう誰の姿も見えず、
 薄暗く肌寒くなってくると、こんな山の上の静寂の中の
 しかも古いロッカの傍らに1人でいるのが正直怖くなり・・。

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 そろそろと引き上げようと、道を下りはじめ、

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 最後に見るサン・ルフィーノ聖堂と、サンタ・キアーラ聖堂の
 照明された姿。

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