・ n.2 アルカ・ペトラルカ再訪 ・ 中世詩人の穏やかな地、家、骨董市


先回に引き続き、友人たちと訪れたパドヴァの南、コッリ・エウガネイの 
温暖な素晴らしい土地に位置するアルカ・ペトラルカの地のご案内、
今回はその2をご覧ください。

中世14世紀の詩人、イタリアの古典作家でもあるフランチェスコ・ペトラルカ・
Francesco Petrarcaがその人生の最晩年4年間を過ごした家は
現在博物館になっているのを先回ご覧頂きましたが、

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現在はというよりも、彼が亡くなって後この家は常に
詩人や彼の賛美者たちの巡礼の地でもあった様子で、
彼が亡くなった後、愛した娘婿に渡り、その後ヴェネツィア貴族の手を経て、
枢機卿シルヴェストゥリから、住まいとしては使わぬこと、という但し書き付きで、
1875年にパドヴァ市に寄贈されたのだそう。

つまりペトラルカが亡くなった後の改装も、詩人の名を高め伝えるものとしてで、
今も15世紀当時の様子を良く保っていると。

家博物館の開館は
09:00 - 12:30 / 15:00 - 19:00  3月1日-10月31日
09:00 - 12:30 / 14:30-17:30   11月1日-2月28日
休館日 月曜(祭日は開館) クリスマスと翌日 元旦 5月1日
tel. e fax +39 0429 718294

アルカ・ペトラルカの以前の訪問については




さて博物館を後に、お昼をどこでと近くの広場まで戻り、
ここは、ヴィカーリオのロッジャ、つまり村の執政官の役場のロッジャとでも。

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ロッジャを抜けて出る右手にある塔と建物は、サンティッシマ・トゥリニタ・
SS.Trinitàの礼拝堂。

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ここから右手上に坂道を辿ると、小さなこんなトラットリーアがあり、
行きに下の道で看板を見て、ここ、美味しそうね!と言っていた店。

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入り口を入るとバールと、テーブルが並んだ細長い部屋があり、
そこを通り抜けるとこんな感じの外の席。
我らが座るとともにどんどん他の席も埋まり、やれやれ!

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テラスの向こうは崖となっていて、そこに特産のジュッジョレ・ナツメがいっぱい!

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飲み物を頼み、これは友人mmさんの頼んだジュッジョレのスプリッツと、
前のお皿にはおつまみ風のパンにトマト・ソースと、小さな丸いクラッカー。

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エレオノーラとshinkaiは、前日栗祭りのコンバイで飲んだ地のビールが
濃厚でとても美味しかったので、ここでも地ビールと書いたのを頼みましたが、
前日のが濃厚で美味しかった!残念。でも、地ビールはとても強いのですよ。

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野菜のグリルが届き、

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これが良さそうと、初めから皆が狙った「茸とポレンタ、グラーノ」
グラーノというのは、パルミッジャーノ・チーズで、
これとポレンタ一切れを友人のお皿に載せましたが、
茸の量も多く、これでお腹いっぱいに。美味しかったぁ!!

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青空の下、外のテーブルで頂くお昼は本当に美味しい!
茸も美味しくたっぷり、でしたぁ。




これはエレオノーラのお皿で、彼女はハムをちょっと載せて、と頼んでこれ。

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mmさんの頼んだラザーニャ。

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ジュリアーナは白ワインを頼み、家のワインのXXだというのが出て来ましたが、
名前を聞いても分からずで、ワインに詳しいルイーザの夫にメッセージを送り、
どんなのかと尋ねると、聞いた事が無いけど、多分地元ワインのミックスで
あろうとの事。
ジュリアーナは、とても美味しい!と言い、味見したshinkaiは並みよ。
彼女はすぐにまたレナートにメッセージでそれを伝え、
やり取りするうちに段々エスカレート。

mmさんの、shinkaiがレナートはとても良い男だと言っているので、
お会いしたいです、というメッセージもジュリアーナはせっせと送り、
shinkaiは、そうそう、とても良い男。 ルイーザ、包丁を持たないで!
ははは、もうお腹満腹、アルコールでほろ酔いの我々はわやくちゃ、大笑い。




誰かが頼んだデザートの、ジュッジョレのトルタ。
はぁ、この地ではなんでもジュッジョレなのですね、ははは。
甘いジュッジョレのジャムが載っていましたが、少し甘すぎ、でも美味しかった。

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隣の席にいたダックスフンド君、しっかりエレオノーラを見上げます。

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満足して店を出て、ちょっと坂道を上り、この壁の顔に挨拶し、

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戻って、礼拝堂脇の石段道を下り、

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ぼちぼちと下の町に向かい坂道を下って行きます。

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どこもがしっかりと積まれた古い石垣、古い壁の町アルカ・ペトラルカ。




途中の店の前に出ていた、2017年版イタリアで一番美しい村々で
2番目に選ばれた、という看板。

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1番目はフリウリのヴェンゾーネ・Venzoneだそうで、
2度ほど行った事がありますが、あそこは平野だからもう一つ趣に欠けると
思う、という仲間の意見に賛成のshinkai。 
はい、地震から完全に復興してとても良い町ではあるのですけど・・。

こちらでヴェンゾーネの様子、2位以下の村の名もご覧になれます。

で、この看板が出ていたのはジュッジョレ製品を売っていた店で、
mmさんが入ったので我々も一緒に、皆がブロード・ディ・ジュッジョレを味見、
看板の下から3行目、を頂き、彼女が2瓶買ってくれたので、まぁ、良いよね、と
ははは。 これはジュッジョレのブランデー漬けで、なおの事ほろ酔いに。




お昼過ぎで、一段と賑やかさを増した坂道の往来。

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今朝来た時は、靄で真っ白だった景色も、今は緑色の美しさ。

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村の家並も美しい姿を見せます。 閑静で素敵でしょう?!

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坂道を下って来ての家並と、

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見上げる家並。

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レストラン脇の小さな席も、今はいっぱいの観光客。

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下の広い広場前には多くの屋台店が並び、

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栗焼きが始まる店と、

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秋の果物と、焼き栗売りの店。

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ペトラルカのお墓が前にあり、彼のお葬式も行われた教会
サンタ・マリーア・アッスンタ。

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そしてこれがペトラルカのお墓。

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1371年ヴェネツィアの友人宛に彼が書いたのは、

 終身刑を受けた身の様に町から逃れ、小さな村に孤独に住むことを選ぶ。
 オリーヴの木と葡萄畑に囲まれた優美な小さな家、
 そこで日々をまさに平穏の内に落ち着いて過ごす、
 喧騒から、騒音から、出来事から遠く、
 読み続け、書く事を続けながら。

こうして彼が終の棲家に選んだ村、家がまさに彼の理想であった事が、
今回見て頂いた皆さんにもよくお分かり頂けたと思います。

自分が今の年になった事もあるのでしょうが、
老年を大変穏やかに、自分の満足できる環境の中で過ごせた様子、
の彼の姿が、以前よりもいっそう心に響きます。




サンタ・マリーア・アッスンタ教会の前の広場から見下ろす所に
彼が毎日通ったと言われる泉が右下に。

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で、この日の最後のオチになりますが・・、
この横の公園式の広場に、こんな彫刻が置いてありまして、
下の駐車場からの坂道にも同じ作家の大きなのがあったのですが、

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はぁ、もうこういうスタイルの像を見ると、ついむらむらとなるshinkaiで、
幾らアートとは言え、です、こういうのを公衆の目前に置いて頂くとですねぇ、
品性卑しいshinkaiめは、もう冗談の止めどが無くなりまして・・!
ジュリアーナも笑いが止まらなくなり、ついでに降りて行って記念写真も撮りましたぁ。
ははは、ご容赦願いますで~す。

このパドヴァ在住という作家のサイトはこちらに。


という、秋の心地良い日、桃源郷にも似た趣のアルカ・ペトラルカ再訪でした。

バス便が悪く、調べて見るとパドヴァあたりからも難しい土地ですが、
チャンスがありましたら是非のご訪問をお勧めいたします!


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・ n.1 アルカ・ペトラルカ再訪 ・ 中世詩人の穏やかな地、家、骨董市


 少し長いお休みを頂きましたが、今回からまたブログ復帰しますので、
 宜しくお願い致します。

 日本から友人が来伊し、こちらの我が仲間とも一緒に、秋晴れの
 暖かな一日、パドヴァの南コッリ・エウガネイ・Colli Euganeiに位置する
 アルカ・ペトラルカ・Arquà Petrarcaに行って来ました。

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 確か私には3回目の訪問になりますが、「イタリアで一番美しい村々」の
 2017年版で第2位に選ばれた村でもあり、

 穏やかな気候温暖でも有名なコッリ・エウガネイの地にある、
 中世詩人、作家、哲学者のペトラルカが最晩年を過ごし亡くなった家が
 博物館として残されており、

 たまたまサイトで調べるとこの第3日曜には骨董市が開かれている、との
 ニュースもあり、ではと、日本からの友人、そしてこちらの友人2人も交えた
 4人で出かけ、大変に素晴らしく楽しい一日を過ごしましたので、
 その再訪記をご覧下さいね。

 上の写真は、村の下の大駐車場から見上げる教会サンタ・マリーア・アッスンタ・
 Santa Maria Assuntaで、この教会前にペトラルカのお墓があります。

 アルカ・ペトラルカ訪問については一度こちらでご案内を。




 アルカ・ペトラルカの村はどこにあるか、地図をどうぞ。
 パドヴァの中心からだと車で約40分、23Kmの位置。

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 近くにはモンセーリチェ・Monseliceや、エステ・Esteの町、
 そして地図からは外れましたが、エステの西にモンタニャーナ・Montagnana 
 またパドヴァからは南西の位置にあるプラーリア修道院・Abbazia di Praglia
 も、ここコッリ・エウガネイの温暖な土地に含まれます。




 駐車場から坂道、石段を辿り、教会前の広場にいたる道。

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 まずはバールに入り、カフェをし、一息いれます。
 ここアルカ・ペトラルカはジュッジョレ(複)・giuggiole・ナツメで有名で、
 そのソルベがあり味見を。

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 香りのよい美味しいソルベを味見し、写真を撮ろうとすると、
 バールの主人が隣にジュッジョレのブランデー漬けや、リキュールを並べてくれ、
 ははは、ではと、彼もいっしょに。

 それにしてもこの写真はどこにもピントが合っておらず、ははは。




 村の中は緩やかな坂道がず~っと続いており、閑静な村が山腹に広がります。

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 上の写真の坂道を上って来た所から見る、最初にご覧頂いた教会。
 つまり既にこれだけ上って来たことになりますが、はい、
 ここからまた坂道を辿り、ペトラルカの家に向かいます。

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 コネリアーノから高速を走って来た時はお天気だったのですが、
 パドヴァから南に下り高速を降りる頃から靄がかかり始め、運河沿いの国道、
 そして西に曲がって州道を通る頃には前方が真っ白になり、
 わぁ~お~! 忘れられないアルカ・ペトラルカになりそう! などと言いつつ
 先頭の車に続いてそろそろ走るうちに徐々に晴れてきて、
 町の標識が見える頃には太陽の光が眩しいほどのお天気になりました。

 が、まだこうして下の平野を見ると、遠方は靄で真っ白!




 見下ろす村の家並。

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 この日は「骨董市」が開かれている、というのでそれも楽しみにしていたのですが、
 家具などの骨董市ではなく、実質的に「職人仕事市」とでもいう様子で、

 これは椅子の座張りの仕事のシニョーレ。

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 たまたま手を休めた時に材質を聞きましたら、竹、という事で、
 イギリスやフランスでこの手の仕事をしているのが多い、と話してくれ、
 ついでにデザインの写真ブックも見せてくれました。

 それを見ていて、こういうデザインは元々はアラブから来たのか、と尋ねると、
 そうだ、との返事。
 材質の竹、という事から子供の頃小学校の帰り道に竹仕事の家があり、
 座って長い丸竹から次々に割って、細い竹にしていくのを飽かずに眺めた
 思い出も蘇り、そんな話をしながら、

 手の指の中に刺さったりしないか、と聞くと、気が付かないうちに手首に細いのが
 10㎝ほども入っていた事があった、と左の手首の傷跡を見せてくれました。
 聞くだけでぶるっと身震いが来ますが、
 こういう仕事ぶりを見るのが大好きなshinkai。




 こちらはそのお隣の木工での趣味的な仕事を並べていた方で、
 真ん中の丸い穴の開いたのは、隣の窪みにスマートフォンを立てかける様
 にしていて、穴から音楽も聞こえる、というやつ。

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 穴の開いている位置により音楽の聞こえ方が違う、というのも見せてくれ、
 その横で見つけた梟の軽いイヤリングをジュリアーナと折半でお土産に。
 もうじき友人のルイーザのお誕生日があるので、プレゼントの一つにね。




 二人で話しながら買っていると、そこの若いお兄ちゃんが私に、
 おや、あんたはこの近くの人ね、と話しかけ、ははは、ついでに写真も。

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 その辺りからまたまた坂道を上って来た所。
 家の壁の角にあるサンタントーニオ・Sant'Atonioの祠の感じがとても良い場所
 なのですけど、
 前にある、あの赤丸に白の横線・進入禁止の標識が、本当に目ざわり!!

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 最後にかなりの急坂を上り小広場に出ますが、日曜とあって
 かなりの観光客で賑わっていて、

 こんな見事に熟れたザクロの実とか、

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 一番右端がここ特産のジュッジョレ・ナツメの実。

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 広場からペトラルカの家への小路を辿ると、この様に見事にカボチャが飾られ!

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 そしてペトラルカの家博物館。

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 この像は以前にもご覧頂いてますが、1階のアーチを入った所にあったと。
 古い像ではなく、博物館に置く為に、という像ですね。

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 1階部分は壁や陳列ケースに資料が置かれていて、
 古い家の中の様子をざっと見て回ったのみで、写真も以前のと重複するので
 省きましたが、

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 外階段から2階に上がり、この部屋はヴィデオを鑑賞できる部屋。

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 この西に開いた窓からは、周囲の穏やかな風景も望まれ、 

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 こちらは北側に開けたテラスで、見事な緑の庭。

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 そしてこの部屋はガラス戸で入れないようになっていましたが、
 箪笥と椅子の置かれた部分で、部屋の上部の飾り。

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 以前の記事にshinkaiめは、このタンスは衣装箪笥、と書いたと思いますが、
 今回また少し資料を読み、これは本箪笥、ではなかったかと思います。
 というのも、ペトラルカの持っていた蔵書類は大変なもので、
 個人としては当時ヨーロッパでも最高クラスだったそうですので。

 そしてこの写真では、格子目で隙間があるように見えるのですが、
 実際にはその格子の小間は細かい模様の入った木目で埋めれており、
 空気は通り、でもネズミなどは入り込めない、という様子なので、
 大事にしていた蔵書類の箪笥の一つではなかったかと。




 これは実際に彼が使ったのかどうか不明ですが、古く多分壊れていたのを、
 不足部分を新しく加え修復したと見られる、細かい装飾柄の入った椅子。
 素敵でしょう?!

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 これが古い時代の物と思われる像で、入り口の間のよりも素敵でしょ?!

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 フランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarca(1304-1374)は
 アレッツォ生まれ、両親に従って当時教皇庁が移っていたフランスの
 アヴィニョンにも行き、ボローニャで法学も学んでおりますが、
 次第に古典文学に傾斜し、ラテン語での文筆活動を始めた、という事ですが、
 この手の事は私目の手にお負えませんで・・。

 経済的な理由から書記の仕事もしたり、後に詩人として哲学者として
 名を立てた後は各地の賛美者から客人として招かれたりで、
 各地を旅行して過ごしますが、

 1361年の6月ミラノのガレアッツォ2世ヴィスコンティの世話になっていた
 ミラノから、ペストを逃れるためパドヴァに移り、
 やはり同じ理由で1362年にヴェネツィアに。

 既に彼は58歳、ヴェネツィア共和国は彼を迎え、スキアヴォーニ河岸にある
 パラッツォ・モリンを使う事を許可しますが、
 それは彼の蔵書類を、彼の死後共和国に譲る事が条件だったのだそう。

 この家をペトラルカは大変好んだそうで、多分ここで最晩年を過ごす気で、
 当時としては個人蔵書としてはヨーロッパで最大の内、と言われる蔵書も
 自分の死後譲る気だったのでしょう。

 所が4年後にアヴェロエス説信奉者達から(と、読んだまま書いておりますが)
 非難とかなり暴力的な攻撃を受け、それに対するヴェネツィア人たちの無関心さ、
 冷淡さに苦い思いを味わい、ヴェネツィアを離れ、ヴェネツィア共和国との約束も
 ホゴにし、再度各地に短い旅に。

 そして彼を高く評価していた当時のパドヴァ領主フランチェスコ1世ダ・カッラーラ
 からパドヴァへの招待を受け、1368年春にパドヴァに。

 最初はドゥオーモの裏に家を与えられ、翌年にこのアルカの家も受けたのだそう。




 2階の部屋部屋に描かれた、彼の詩作の内で一番有名な「カンツォニエーレ・
 Canzoniere」をモチーフに描かれた物と、彼の顔。

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 そしてこちらは多分「アフリカの間」と呼ばれる、これも彼の詩作をモチーフの
 暖炉の上の絵は、クレオパトラが毒蛇に乳首をかませて死ぬ姿、
 右上は、死にゆくルクレーツィア。 

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 天井の格子柄。

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 という具合に、2階の部屋の方が如何にも「大詩人の住まい」としての趣が
 あるように思うのですが、
 実際は2階への外階段、そしてロッジャ、中の部屋々の壁画などなど、
 これは彼が亡くなった後に備えられ、描かれたもので、

 実際に彼と家族、庶子であった娘フランチェスカとその夫たちが住んだのは、
 建物の1階部分で、
 確かに、かなり痛んでいたらしいこの家に手を入れ、移り住んだのは
 1370年の3月の事、彼が66歳になった年なのですね。

 普通は1階部分は召使たちや倉庫などに使われ、2階が主人たち、というのが
 一般的なのですが、彼の年から考えても1階部分に住んだのでしょう。

 庭にも手を入れ、外で過ごすのを好み、パドヴァの家とも行き来し、
 このアルカの家に彼の知人、賛美者達の訪問を受けるのを喜び、
 今迄の詩作、とりわけ「カンツォニエーレ」には最後亡くなるまで手を入れたと。

 この家から遠出したのはただ一度、家を寄贈したフランチェスコ・ダ・カッラーラと
 ヴェネツィア共和国との調停役で出かけた時のみだそうで、
 人生の最後4年間をこの家で過ごし、

 1374年7月18~19にかけての夜、意識不明となり亡くなったそうで、
 70歳になる誕生日の前夜だったと。

 お葬式は7月24日に村の教会サンタ・マリーア・アッスンタにおいて、
 フランチェスコ・ダ・カッラーラをはじめ、たくさんの著名人や教会関係者の
 参列があったそう。

 お墓の中の調査では、本人の頭蓋骨ではなかった、とかもあるのですが、
 shinkai個人としては、
 旅から旅と過ごしてきた詩人が、この閑静で穏やかな土地で最晩年を過ごし、
 それも大変に喜ばしい時を過ごされ亡くなった様子に、
 こちらも単純に嬉しい満足感、親密感を受けます。

 彼が飼っていた猫ちゃんの事、管理人の方の話では、
 蔵書を齧るネズミたちを近寄らせず、またペトラルカの足を温めた、
 という猫ちゃんについて、
 彼が猫ちゃんの身になって書いた詩があるのを、

 アレッツォ生まれの著名人の生家

 に、ヴァザーリに続いて載せていますので、興味のある方どうぞ。




 2階のロッジャから見る家の庭と入り口部分。 

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 この方は入り口付近にいた管理人で、我らのペトラルカについての質問に
 いとも軽々と答えてくれた方で、ええ、中年のなかなかのハンサム殿、ははは。

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 我らはこの後、トラットリーアの庭の席で大変美味しいお昼も
 頂きましたが、
 それは次回のお楽しみという事で!


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・ シロールのお祭り 「山から動物たちが戻ってくる」 ・ ドロミーティ


 先日日曜にヴェネツィア・メストレのセルジョ・Sergioの家に寄りましたら、
 9月末にシロールの山の家から戻って来た二人からあれこれ話を聞かされ、
 近くの村のお祭りに出かけた様子の写真のあれこれも見せて貰い、
 ではと、写真を全部キーに入れて持ち帰りました。

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 セルジョの山の家に出かけた時の様子は既にご覧頂いていますが、
 というのが彼らにはとても嬉しかった様子で、
 今度は自分の撮った写真もブログに、と、ははは、
 私が戻った後にあったお祭りの写真を張り切って撮っていまして、はぁ、
 それがなかなか良いのがあるのですね。

 セルジョ、良いじゃない! というと、あんたの為に撮ったんよね、と
 完全にブログ掲載が目的だった様で、ははは、

 という事で、今日はセルジョの写真で、シロールのお祭り
 「山から動物たちが戻ってくる・Desmontegar・デズモンテガル」
 をご覧くださいね。

 先回のはお天気が良い日だったのが、今回は途中で雨になり、
 ブレたり発色が悪かったりするのもあるのですが、
 いつもは携帯で撮るのに、私の為に一応カメラで撮った、と
 いう可愛い所もありますので、ははは、

 それに最後に大笑いしたオチもあり、
 このブログの後ちょっとお休みを頂くこともあり、大サーヴィスで50枚!!
 ははは、じっくりゆっくりお付き合い、お楽しみ下さいませませ。

 上の美人の笑顔は、7月末にあったお祭りの時の物で、



 こちらもその日の、草刈り競争の図。
 定められた区画内の草を早く、綺麗に刈り取る競争なんですと。

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 お祭り参加の、伝統衣装でのシニョーラ達。

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 シロールの村に到着し、広場に入ってくると目につく、shinkaiが行った時も
 勿論あった「山から動物たちが戻ってくる・Desmontegar・デズモンテガル」
 の大宣伝! 手造りでしかも手が込んでいるでしょう?!

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 さて当日、9月24日の始まりは、まず楽隊の行進から!

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 振り返って指を4本立てているでしょう?
 あれで4,3,2,1とやって、楽隊の演奏が始まるのですね。
 日本では、いちに~のさん、で始まりますけど、所変われば品変わる、です。




 で、シロールの村の人々の行進が始まり、

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 近隣の村々からも参加があるので、どこのか、とプラカードを持って。

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 以前の掲載は、と見直しましたら、やはりこのぶちのお馬ちゃんの写真が!
 元気で今も現役なんですね、いい子だ!

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 頭に花飾りをしたこれらの若者、プラカードに ”99” が見えますね。
 これは1999年の事で、この年生まれの若者が今年18歳、成人なんですね。
 花飾りはこの一帯、アルトアディジェ、ティロルの成人式の風習なのです。

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 こちらは成人からかなり経ったカップル、はは。

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 イメール・Imèrという町の「ミスターとミス・カネーデルロ2017年」
 のカップル。
 イメールの町では毎年9月初めにカネーデルロ・パンを潰し、その中に
 スペックなどを入れ団子にしたもの、のお祭りがあり、
 今年のお祭りのシンボルのお二人。
 彼の髪形ご覧になりました? 両横を刈り上げ上だけふさふさ、ははは。

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 イメールの町は行った事がありますがご紹介しておらず、
 サイトで探しましたら、今年のカネーデルロのお祭りで、
 ギネスの世界記録を軽く更新したという、77㎏、6時間半の調理、と
 いうYoutubeが見つかりましたので、どうぞ。 




 セルジョは可愛い女の子も、グラマーな熟女も大好き男で、ははは。

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 雨降りになった村の中、子供たちがロバの子を引いて行きます。

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 あれこれたくさん飾り付けたトラクターも通り、

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 合間合間に、綺麗に飾りつけをして貰った牛たちが次々と。

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 これはちゃんと頭の上に飾りがありますけど、目が見えなくなっているのもあり・・!

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 綺麗なぶち牛、単色の牛、こうして見ると本当にいろいろ!

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 いぇ、この子は牛の子ではなく、ははは、でも既に頑固そうな口元で、
 何となくよく見かけるお婆ちゃんみたいで、笑いましたぁ!!

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 まだまだ馬たちが日常生活の中で働いているのが良く分かる、登場率。

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 頭の飾りだけでなく、ベルを付けている首輪も綺麗な牛たち。

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 この立派な素晴らしい角を持つのは水牛だそうで!

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 そして最後を締めたのは、何と4千頭の羊たち!! 見事でしょう?!

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 祭りの行進が済み、シロールと隣村トルナディーコの間の草原に
 放された牛たち。 どうやら雨も止んだようで彼らものびのびと。

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 イメールのお祭りを探している時に、偶然この日のデズモンテガルの
 Youtubeも見つけました。 あれこれ飛ばしていますが、とにかく牛たちが
 カランコロンと首のベルを鳴らしながら更新していく様子、こちらでどうぞ!

 この場所はシロールから2kmほど下ったフィエラ・ディ・プリミエーロの
 町の入口の橋部分ですが、この辺りまで行くのは知りませんでした。
 雨にもかかわらず、多くの見物人だった、と書いてあります。

 山から動物たちが里の村に戻って来る時は、かっては村ごとに
 お祭りをしたりだったんでしょうが、
 現在のは近隣一帯の村々、人々が参加して、村おこしの為に、
 そして自分たちも楽しむ、という感じの強いお祭りになっている様子ですね。

 それでもたくさんの若者たちの参加を見ると、熱気が感じられ、
 山村の大変な村の伝統的な仕事も次々と受け継がれているのだろうと
 思い、とても良い事だと思います。




 そしてお祭りの後はテントの下での食べ物、飲み物に皆が集まり、
 和気あいあいと。

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 夏の間は近隣一帯で順繰りにお祭りが開かれ、その度に行進や
 出店などでお互いに参加し、盛り上げる様子で、

 山の人々のかっての生活は、・ 夏祭り その1と2
 上に出ました「草刈り競争」の様子は、リンク先の2の方に。




 という所に、例の水牛君がやって来て、

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 素晴らしく横に伸びた角に触ったり、流石の山の男たちも
 これほどの角は珍しいらしく写真を撮ったりで!

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 そうなんです、セルジョの山行きの写真の中にも水牛の写真がありましたが、
 大概は闘牛の牛の様に横から前に曲がっているのですよね。




 でトルナディーコのバールにセルジョ達が行きましたら、
 今年成人のグループたちもワイワイとやっていて、

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 で、何とバールの中に大きな牛が連れられて入って来たのですって!
 カランカランと首のベルを鳴らしながらね、ははは。

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 皆が喜んで笑ううちに、牛が退散し、

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 すると今度はあの水牛が連れて来られて、ほら、飼い主ではないのが
 綱を引いているでしょう?

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 で、バールの中では大騒ぎ!! 角だけ見えますが、ははは。

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 ウXチなぞしなかった? いや、大丈夫だった。
 それにしてもねぇ、日本だったらすぐ警察や保健所が
 飛んでくるでしょうにね、ははは。





 で、この水牛君もバールから出て行き、ははは、
 よくもまぁ、あの角で扉が通れたもの!

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 この後、写真が無いのですけど、最後はロバが入って来たのですって!!ははは。
 バールの主人は、水牛が入って行ったのにはさすが驚いた様子ですが、
 やはり動物の匂いがこもるので、窓を開けて、対処ね。

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 という様な、おかしなオチのついた
 「山から動物たちが戻ってくる・Desmontegar・デズモンテガル」でした。

 最後は如何にもドロミーティ、という綺麗な写真で〆を。

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 ◆ お知らせ ◆

 明日、日本から友人がやって来て、あちこち近場を回る予定で、
 ブログを2回ほどお休みさせて頂きますので、
 よろしくお願い致しま~す!

 またヴェネトの秋の様子をご覧頂きますね。


*****

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・ オルサンミケーレ教会 ・ フィレンツェ


 今日のご案内は、ルネッサンスは花の都フィレンツェの
 オルサンミケーレ教会・Orsanmicheleを。

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 フィレンツェの旧市街の中心、花のサンタ・マリーア大聖堂横すぐから 
 南に向けて抜けるカルツァイオーリ通り・Via dei Calzaioliを行くと、
 ヴェッキオ宮・Palazzo Vecchioのあるシニョリーア広場よりも手前の、
 右手にある大きな四角い建物で、 
 一見あまり教会らしくない、でも大変美しい装飾の教会。

 1階部分には、大きな3連の窓と、周囲を全部で14のニッキ・壁龕の聖人像と、
 それらの聖人を守護聖人とする各職人組合のシンボルを描いた彩色陶板が
 囲み、
 2階、3階部分には2連の窓が囲む四角い建物で、
 1階部分が教会で、2,3階部分は博物館になっているそうで、
 shinkaiはまだ博物館は見た事がありません。

 クーポラの上からの街の眺めの写真を整理していた時に、この大きな建物の
 屋根に気が付き、博物館もあるのを知り、それ以来いつか、と気になっており、
 以前に撮っていた写真も見直して、改めてあれこれ調べたのでした。




 上の写真で見える右側がカルツァイオーロ通りに面したいわば正面で、

 その真ん中にある上部の円形陶板はフィレンツェのシンボルの百合の花。
 陶板は残っている殆どが、デッラ・ロッビア工房の物で、
 この写真は以前に撮っていた、朝日の当たるお気に入り。

2-1-DSC_0167_GF.jpg

 市の商人達の裁判所の円形メダルの下の壁龕には、ヴェロッキオ作の
 疑いを持つサン・トンマーゾが、キリストの胸の傷に触ろうとする姿が。




 という所で、まず最初にオルサン・ミケーレ教会の平面図をどうぞ。
 上側がカルツァイオーロ通りで、上でご覧頂いた部分は中央部分で、
 全体の壁龕の聖人たちの名前も分かりますね。

2-2-s7a43713677074b.jpg

 入口の印が隣にありますが、下側の入り口からも入れます。

 で、この図の左下に、主柱の中をくり抜いた様な形が見えますが、
 この位置に、というのをご記憶に。




 到底全部はご紹介できず、shinkaiは自分の好きなのを撮っていますので、
 へへ、こちらは建物北側の通りを入って来ての3番目と4番目の部分。
 3番目左のニッキの上には、斧のシンボルが見えますが、これは石工と木工職人の
 組合のシンボルで、

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 4人の聖人は3世紀頃の石工木工の親方たちで、殉教した方たちと。

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 で、下にある裳裾というのか、この右に木工職人、左に石工職人、
 を表した小さい浮彫がお気に入りですが、

 あ、そうそう、これらの聖人たちの像はすべてコピーでして、
 本物はこの建物の上の博物館に収まっているそうでして、
 後程上の博物館に行く方法も。




 そしてその横にある、ドナテッロのサン・ジョルジョ像。
 これは高校の美術教室の横に収められていて、デッサンをした、させられたので
 何となく昔からの知り合いのような、ははは、像でして、

6-F24_8647_GF.jpg

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 今回これがどの職人組合の物なのか、古い写真から探したのがこれ。
 というのも、ウィキの説明では組合名がCorazzaiとあり、ここだけ記事が無く、
 でもこの裳裾部分は明らかにサン・ジョルジョがドラゴン退治の場面で、
 両横に甲冑が見えますね。 それで、ああ、甲冑造りの職人たちなんだ、と。

8-DSC_0161 - Copia_GF.jpg

 これらのニッキ・壁龕の聖人像たちは、フィレンツェの各職業組合が
 それぞれの守護聖人像を彫らせ、ここに取り付けたという事なのですが、

 最初に市にこの申し込みをしたのが、1359年の絹の組合、と言っても単に
 絹織物に限らず、商人、貴金属の細工師、帽子、靴下、胴着などなども
 含まれる大きな組合だった様子で、

 申請が通ったのが5年後の1404年で、既にいくつかの組合は準備を
 済ませていたり、どこにどの組合の物が来るか、とかの討議も勿論あり!
 まだの所は10年以内にというお達しにもかかわらず、実際はかなりの年月が。

 ご覧の様に、これらの聖人像を造った彫刻家たちの内には、
 サン・ジョルジョ像の様にドナテッロがあり、最初に名の出たヴェロッキオや、
 他にブルネッレスキ、ギベルティ、ナンニ・ディ・バンコなどの名も挙がります。

 大概の像は建物上の博物館に収蔵されていますが、
 このサン・ジョルジョ像は、バルジェッロ博物館に。




 そしてこのオルサンミケーレ教会の向こう側には、ラーナ組合、羊毛組合の
 建物があり、

9-F24_8646_01_GF.jpg




 間の道をぐるっと回って来た南側からの眺めで、2つの建物の間にアーチ型の
 橋が架かっているのが見えますね。 この橋は16世紀後半の物。
 これが現在オルサンミケーレ博物館、2階に上がる時に使われている橋で、
 入口は羊毛組合の左側が入り口になっているそう。

10-DSC_0171_GF.jpg

 shinkaiは気を付けて見なかったのと、この写真の部分はかなり擦り減って 
 分かりにくいですが、壁龕の上に見える横線、
 ここには麦の穂と葡萄の枝が彫られているのだそうで、なぜかは後程に。




 で、端に見える聖人は、ヴェネツィアでお馴染みの、はは、サン・マルコ像で、
 こちらもドナテッラ作で、ちゃんと有翼のライオン君がお供を。

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 どの組合のかと思いましたら、麻織物、その商人、そして古物商の組合と。




 そして最後のご紹介は南側の壁カルツァイオーロ通りからだと2番目、
 サン・マルコの次の次の「薔薇の聖母・マドンナ・デッラ・ローザ」と呼ばれる
 美しい聖母子像。

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 で、上にはやはりデッラ・ロッビア工房の聖母子像で、
 これらは薬と香辛料の組合の物。




 これがどの聖人像の裳裾の物か覚えておらず、見つけられませんでしたが、
 どなたか聖人の斬首場面!、というようなのもありますです。

15-DSC_0174_GF.jpg




 という事で、いよいよ内部に入って頂きますが、
 たくさんの観光客がいて、すっきりの内部写真はサイトから拝借を。

 ご覧の様にちょっと普通の教会の内陣、祭壇、後陣という形とは違い、
 長方形の建物の内部の真ん中に角柱が2本あり、2廊式になっていて、
 その右側にオルカーニャ作の素晴らしい礼拝壇・タベルナーコロがあり、
 左側にも小さめの像のある礼拝壇が。

16-68344906.jpg

 所で上に「礼拝壇・タベルナーコロ」と書きましたが、礼拝壇とは勝手にshinkaiが
 書いたもので、実際にはタベルナーコロ・Tabernacoloというのが正解で、

 ほら、街中の建物の角とか、壁に聖母子像の像とか絵が入った壁龕を見かけた事が
 おありでしょう?
 あれをタベルナーコロと呼び、何かの願いの願掛けをして叶った場合のお礼とか、
 また田舎の道脇にある旅人の無事を願う道祖神的役割のものも含めますが、
 元々はこんな教会内の聖画や像を収めた物をタベルナーコロと言います。


 という所で、この教会の生まれ、由来ですが、あまりにも有名なので
 ご存知の方もたくさんおいでとは思いますが、

 この教会の名前オルサンミケーレ・Orsanmicheleというのは、
 元がSan Michele in Orto・サン・ミケーレ・イン・オルトから来ていて、
 オルトは菜園の事で、当時ここに女子修道院があり、その畑、菜園が広がり、
 その礼拝堂でサン・ミケーレを祀っていたのだそう。

 1240年頃教会が潰され、穀物蔵のロッジャが1290年に建設されたのが、
 1304年の火事で大きな損害を受け、再建設が1337~1350年にされ、
 これが現在の形になるのだそう。

 穀類の市、としてのロッジャが続きますが、もともとが教会であった事が
 やはり忘れられておらず、ついに15世紀になって元の教会に戻り、
 というので、このちょっと異質な教会の建物なのですね。

 上のサン・マルコ像の壁龕の所で書きました、壁龕の上の横の線に
 麦の穂と葡萄が彫りこまれている、というのも、こういう訳なのです。
 そうそう、葡萄というのは、ワインも貯蔵されていたからと。

 それにしても、今のフィレンツェの一番の目抜き通りの位置、
 それが当時は広い菜園が広がっていた、というのも愉快ですね!




 こちらがオルカーニャ・L'Orcagna作の大理石の素晴らしい礼拝壇・タベルナーコロに
 納まったベルナルド・ダッディ・Bernardo Daddiの聖母子と諸聖人の
 黄金背景のテンペラ画。

19-F24_8649_01_GF.jpg

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 ベルナルド・ダッディの祭壇画は、もともとあった祭壇画が1304年の
 火事で被害を受けたので取り換える為の物で、1347年頃から取り掛かり、
 1349年のペストの流行での中断があり、1360年から再度取り掛かり、
 1366年ごろの完成かと。

 オルカーニャの大理石の礼拝壇は、1359年に注文を受け、
 どうやら出来上がったのが1386年頃と。

 とにかくどちらも素晴らしい作品で、本当に綺麗、美しい!!




 これは礼拝壇の上の天井のフレスコ画。

21-1-F24_8657_GF.jpg




 礼拝壇の細部が見えますが、肝心の撮ったつもりの、ははは、
 周囲に立つ天使像がピンぼけ・・!

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 天井の交差アーチと壁画、

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 そして左側の祭壇にある、聖母子と聖アンナ像。

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 聖アンナという方は聖母の母、つまりキリストの祖母になる方で、
 毎年の7月26日がこの聖アンナの日と、カトリックのカレンダーに
 定められていますが、

 1343年の7月26日にフィレンツエから、専制的なアテネ公国の
 グアルティエーリ6世・ディ・ブリエンネというのが追放され、
 市民にとってはホッとした日なんだそうで、
 ・・と、読んだ言葉を並べていますが、チンプンカンプン!
 で、その感謝を込めて、ここに聖アンナ像があるのだそう、で~す。




 天井と、柱のフレスコ画装飾、

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 外側からは単純に窓の形しか見えないのですが、中から見るステンドグラスは
 色とりどりで本当に美しいのです。
 そして壁の隅から隅まで装飾が施されているのも見えます。

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 所で、これはサイトから拝借の写真で見て頂く、内部の左端にあるという、
 かっての建物の様子を残す、
 上の貯蔵所から投げ下ろされた小麦の受け取り口なんですって!
 次回のチャンスにはしっかり探して見ないとね。

31-interno,_buca_per_le_granaglie_01.jpg




 こちらが表向かいにある羊毛組合の建物から入り、連絡の橋を渡って入る
 オルサンミケーレ博物館の、2階と3階の展示室。
 壁壇に収まっている聖人像の本物がこちらにあるわけですね。

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 黒い像がある、見えるのは、像が黒ずんできたのをブロンズ像の様に
 見せるために黒く塗ったのだそうで、・・何をかいわんや!

 で、この高さからだと、実際かなり高いのは、ひょこっと飛び出している
 街のパノラマが楽しめるのではないかと!
 そう思って写真を探しましたが、皆さん真面目なのか、残念、見つからず・・!


 オルサンミケーレ教会は毎日10時から17時までオープンしていますが、
 こちら博物館は月曜のみの、10時から17時、
 予定を合わせてお出かけ下さいね。

 ああ、次のフィレンツェ行きはいつになるかなぁ・・!!




 最後は、なかなか上まで撮った写真が無いので、
 夜間の写真でどうぞ。

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 以前のフィレンツェのご案内は



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・ ブログ総目次  n.1


  このブログの総目次を作りましたので、ご訪問宜しくぅ!
   
  古い記事でも、宜しかったらコメントをお願い致しま~す。



      2017年

    12月

  27日 忘れられない映画を、もう一度!  DVDで再度の楽しみを!

  21日 ヴェンゾーネ ・ 2017年イタリアで一番美しい村、古い写真で  

  17日 アレッツォ点描  古い下町散歩

  12日 サンタ・マリーア・デッレ・ピエーヴェ教会 ・ アレッツォの古寺巡礼

   6日 戦国明暗二人妃(渡辺一夫) ・ フランソワ1世 ・ ピッツィゲットーネ

   1日 スコミーゴ村 晩秋、 いや、初冬の色



    11月

  26日 n.2 チヴィダーレ・デル・フリウリ再訪 ・ ロンゴバルドの小寺院

  21日 n.1 チヴィダーレ・デル・フリウリ再訪 ・ ドゥオーモとその博物館

  16日 4世紀を越えての、水車小屋 ・ モリネット・デッラ・クローダ

  11日 n.3 カスティリオーネ・オローナ、 マゾリーノとヴェッキエッタに会いに

   6日 n.2 カスティリオーネ・オローナ、 マゾリーノとヴェッキエッタに会いに

   1日 n.1 カスティリオーネ・オローナ、 マゾリーノとヴェッキエッタに会いに


    10月

  27日 n.2 アルカ・ペトラルカ再訪 ・ 中世詩人の穏やかな地、家、骨董市

  22日 n.1 アルカ・ペトラルカ再訪 ・ 中世詩人の穏やかな地、家、骨董市

  12日 シロールのお祭り 「山から動物たちが戻ってくる」 ・ ドロミーティ

   7日 オルサンミケーレ教会 ・ フィレンツェ

   2日 n.3 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式


     9月

  28日 n.2 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式

  24日 n.1 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式

  20日 n.2 レガータ・ストーリカの日の大運河 ・ ヴェネツィア

  16日 n.1 レガータ・ストーリカの日の大運河 ・ ヴェネツィア

  12日 n.2 アッシジ点描 ・ 朝から昼、そして夜

   9日 n.1 アッシジ点描 ・ 朝から昼、そして夜

   4日 アッシジの夕暮れ  ロッカ・要塞前の広場から


     8月

  31日 n.2 ボローニャ・チェントロ ・ 市役所見学と、マッジョーレ広場

  28日 n.1 ボローニャ・チェントロ ・ 市役所見学と、マッジョーレ広場

  24日 n.2 ドロミーティ 2000m級の高地の散歩 カティナッチョ連山

  19日 n.1 ドロミーティ2000m級の高地 カティナッチョ連山

  15日 ドロミーティでの夏休み ・ ロッレ峠を越えて

   7日 イタリア中部大地震から1年  その後の復興状況は


     7月
      
  30日 トスカーナの野に虹、 ヴァル・ダッソの白い道散歩

  27日 ロンガローネ、 54年前のダム出水大災害のまとめを

  24日 暑中お見舞いを! ドロミーティの山、アウロンツォの水の色

  21日 n.2 ヴェネツィア散歩  リアルト橋、ゴンドラ溜まり、バレテッリ橋

  18日 n.1 ヴェネツィア散歩  駅からリアルト橋に向かって

  15日 n.3 メラーノの町散歩 ・ サン・ニコロ教会(ドゥオーモ) ヴィア・ポルティチ

  12日 n.2 メラーノの町散歩 ・ S.スピリト教会 冬の散歩道 サン・ニコロ教会

   9日 n.1 メラーノの町散歩 ・ クアハウス パッシーリオ川 S.スピリト教会

   6日 スコミーゴ村、夏の緑 ・ 葡萄畑、果実の色  n.2

   3日 スコミーゴ村、夏の緑 ・ 葡萄畑、果実の色  n.1


     6月

   4日 サン・マルコ広場点描 ・ ヴェネツィア n.2

   3日 サン・マルコ広場点描 ・ ヴェネツィア n.1 


     5月

  31日 グロレンツァの町 ・ 「イタリアで一番美しい村々」の一つ n.2

  30日 グロレンツァの町 ・ 「イタリアで一番美しい村々」の一つ n.1 

  25日 南ティロルの風景と、小さな町ナトゥールノ n.2

  24日 南ティロルの風景と、小さな町ナトゥールノ n.1

  20日 メラーノ行きで食べた旨いものと、 美味しくなかったもの n.2

  19日 メラーノ行きで食べた旨いものと、 美味しくなかったもの n.1 

  15日 ヴェネツィアの新名所 ・ コンタリーニ・デル・ボーヴォロ の階段 n.2

  14日 ヴェネツィアの新名所 ・ コンタリーニ・デル・ボーヴォロ の階段 n.1 

  10日 ヴィッラ・ピサーニ  ・ リビエーラ・ブレンタの、ヴィッラの女王 n.2

   9日 ヴィッラ・ピサーニ  ・ リビエーラ・ブレンタの、ヴィッラの女王 n.1 

   5日 トゥレヴィーゾ行き ・ 日本展と、パラッツォ・デイ・トゥレチェント n.2

   4日 トゥレヴィーゾ行き ・ 日本展と、パラッツォ・デイ・トゥレチェント n.1 


     4月

  30日 ブレンタ川沿いの、ヴィッラ・ヴェネタ  ほんの少し n.2

  29日 ブレンタ川沿いの、ヴィッラ・ヴェネタ  ほんの少し n.1 

  25日 オアジ・チェルヴァーラ ・ シーレ河の自然公園 n.2

  24日 オアジ・チェルヴァーラ ・ シーレ河の自然公園 n.1 

  20日 古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 n.2

  19日 古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 n.1

  15日 サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2

  14日 サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1 

  10日 「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.2

   9日 「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.1 

   5日 ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.2

   4日 ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.1 



     3月

  31日 運河沿いの春 ・ トゥレヴィーゾ  n.2

  30日 運河沿いの春 ・ トゥレヴィーゾ  n.1 

  25日 印象派絵画展 ・ トゥレヴィーゾ行き 

  21日 エンリコ・トーティ ・ イタリアの英雄、潜水艦と、その運搬 n.2

  20日 エンリコ・トーティ ・ イタリアの英雄、潜水艦と、その運搬 n.1

  17日 ヴァイオリン博物館・クレモーナと、ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ n.2

  16日 ヴァイオリン博物館・クレモーナと、ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ n.1

  11日 クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さと時代毎の改装 n.2 

  10日 クレモーナの聖堂と鐘楼と洗礼堂 ・ 中世の典雅さと時代毎の改装 n.1

   6日 夜明けのスコミーゴ村 ・ 朝歩き再開 

   2日 クレモーナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編 n.2

   1日 クレモーナ行き  街のご案内ほんの少しの、予告編 n.1



     2月

  24日 ある傭兵隊長のお話と、 名画に描かれた、または名画の謎 
      https://www.italiashiho.site/archives/201702-1.html      

  19日 古城ホテルへの滞在はいかが?! n.2

  18日 古城ホテルへの滞在はいかが?! n.1

  15日 ガエータ ・ 要塞化し繁栄してきた、陽光明るい海辺の町 n.2

  14日 ガエータ ・ 要塞化し繁栄してきた、陽光明るい海辺の町 n.1 

  10日 テッラチーナ ・ ローマ期の遺跡と香りが色濃く残る街 n.2 

   9日 テッラチーナ ・ ローマ期の遺跡と香りが色濃く残る街 n.1 

   3日 15世紀 ミラノの貴族のお遊びは、 ボッロメーオ邸 



     1月

  30日 冬枯れの丘、色  オリアーノ村散歩 
      
  26日 プラーリア修道院 ・ パドヴァ その2

  25日 プラーリア修道院 ・ パドヴァ その1
   
  21日 春5月 シエナのクレーターの道を行く その2

  20日 春5月 シエナのクレーターの道を行く その1
     
  12日 n.3 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ 

  11日 n.2 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ 
      https://www.italiashiho.site/article/451137634.html      

  10日 n.1 カステルヴェッキオ 城(博物館)と橋 ・ ヴェローナ 

   6日 サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ その2

   5日 サンタナスターシャ教会 ・ ヴェローナ その1
      
   3日 新春のお楽しみは・・、 映画とDVD! 


      

・ n.3 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式


 あっという間に10月に入り、こちら北イタリア、我が村は
 朝夕とても涼しく、というよりも肌寒いほどに感じるほどで、
 日中の温度も予報では19度以下の日が並び始めました。
 木々も色づき始め、落葉を始めているのもあります。
 近いうちに暖房を付けるようになるのではないかと・・!

 さて先々回先回と続いて最終回、トスカーナはチェルタルド・Certaldo、
 「デカメロン・十日物語」の作者ボッカッチョの故郷、のご案内を続けます。

 プレトーリオ宮のこの中庭の雰囲気が素晴らしかった、
 と先回申し上げましたが、

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 建物自体も素晴らしいですが、内部が市博物館になっていて、
 エトルスクの文化に始まりローマ期の物なども様々な陳列があり、
 ここでは陶器類、そしてエトルスクの石棺などを。

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 説明を気を付けて見ておらず、これがとても残念なのですが、
 建物1階部分には先回写真を載せた礼拝堂などの他にも、
 陶器などの陳列室は元の一般市民用の監獄だったそうで、
 壁にはたくさんの落書きとか、日付を数える為の線の並び等も見れるそう!

 とか、裁判所に使われていた部屋とか、騎士の部屋とか、かっての拷問の部屋、
 これは現在何も残っていないそうですが、などもあったのだと。

 監獄は中庭の奥から狭く低い廊下を通り入る、塔の基礎の下にあったそうで、
 ご想像を! ここにもたくさんの(見て哀しい)落書きがあると。




 内庭からこの階段を上りますが、

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 階段が分かれ、正面の建物と奥の建物に行けるようになっていて、

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 奥の階段を上った部屋は広い長方形の部屋で何も装飾が無く、

 一方こちらは正面側の建物の上階になるのだと思いますが、
 代理執政官の儀式の部屋とか、私的な部屋があったのが、
 現在は大きな部屋になっているそうで、これら壁画の部屋がそうと・・。 

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 上から覗く中庭の様子。

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 こちらは中庭の奥から入口側に向いて。

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 チェルタルドの町は、群馬県の甘楽町と姉妹提携を結んでおり、
 その記念の碑と、

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 その記念にと贈られたものと思われる茶室が奥の庭にありました。

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 覗けるようにはなっているのですが、ガラスが嵌められていて反射しますし、
 記念碑の横に、茶道についての説明書もありましたが、
 実際に茶室が使われることがあるのかどうか、
 ちょっと勿体ないなぁ、という気が・・!




 中庭では結婚式を挙げたカップルが記念写真を撮っている最中。

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 こちらではお式の後、遅めに始まる披露宴会の間に
 カップルが記念写真を撮るのが普通で、
 プロのカメラマンの指図に従い、あれこれとポーズを取りますの、はい。




 で、shinkaiめもあれこれ撮らせて頂いたのですが、はは、
 この写真に花嫁アレッシアさんの右腕の刺青が写っていたので、はい。
 なんと「芸者さん」の刺青でありましたぁ!

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 入口のアーチの様子と、出口と。

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 という事で、我らはお昼を食べに、坂道を少し行った所の
 サンティ・エ・ヤコポ教会の後陣の後ろの隙間の席に。

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 写真の右側の建物の色が少し変でしょう? 余りにも日光が強く、
 カメラのセンサーがちょっとマヒしたみたいで・・!




 道の向かい側にあるカフェ・レストランの出店の様で、

 mkちゃんは上のお皿、多分豚のアバラ肉で、shinkaiは左下のナスの
 パルミッジャーノというグラタン、これはいつも美味しい!
 そして2人で野菜のグリルを一皿。
 青い空、パラソルの下で頂くお昼は、本当に美味しい!!

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 お昼を食べて後、人がすっかり引いたプレトーリオ宮に戻りましたら、
 ほら、階段の下にカップルが見えるでしょう?

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 このカップルで、彼女はサン・ジミニャーノの市役所の方で、
 あの上まで登れるトッレ・グロッサの上に居られたのですね。
 で、確か別の場所でも会って覚えていて下さり、やぁ、シニョーラ!と。

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 写真を撮った時は気が付かなかったのですが、彼が着ているTシャツの胸に
 白文字が見えますね。  
 UNOTTOSEI PARACADUTISTI とあるのに気が付き、調べましたら、
 落下傘部隊フォルゴレ(稲妻)186連隊、シエナ、だと知りました。

 第2次大戦で北アフリカのエル・アラメインでも戦った由緒ある部隊だそうで、
 残念、それが先に分かったらねぇ!




 見逃していたプレトーリオ宮の前にあるロッジャを見に行きます。
 一見すると、簡素で、ちょっとした納屋式に見えるのですけど、はは、失礼!

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 幅も広く、たくさんの壁画が描かれていて、

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 上の写真の一番奥に見えるのは、ライオンとフィレンツェの紋章で、
 アップにするとライオンの顔もしっかり見えるのに、残念。

 このロッジャは町の目抜きのボッカッチョ通りに面し正面に当たる位置、
 15世紀半ばに既に建設済みで、実際このロッジャでは執政官たちが
 市民に公開の儀式をするのに用いられ、
 住民に対して姿が見えるように、声も聞こえるように、という位置なのだそう。


 所でこのプレトーリオ宮は18世紀後半まで代理の執政官たちの執務、居住と
 して用いられていたのが、1789年には制度が取りやめになり、
 始めは家具調度類などが持ち出され、その後に個人の住居として、
 各2~3部屋の15区画に分けられ売り出されたのだそう! ロッジャも!!

 それが19世紀の末に市が買い取り、このバカげた破壊行為からの修復が
 始まり、建物の再評価が行われるようになったのだそう。
 壁画なども良く残ったものですね!!




 これはロッジャの横下に並ぶ、つまり町で一番古いリヴェッリーノ通りに面した
 サンティ・トンマーゾ・エ・プロスペーロ教会・SS.Tommaso e Prospero
 13世紀のロマネスク-ゴシック様式。

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 つまり教会もこのチェルタルドで一番古い教会という事になりますが、
 ここは既に教会の儀式などは出来なくなっており、つまり市の持ち物で、
 市の博物館という位置づけなのだそう。




 これは正面上部、古い屋根の位置がかさ上げされた位置に見える飾りの陶器皿。
 ちょうど薔薇窓の位置とでもいうのか、それにするとちょっと小さいですが、はは、
 古いこの時代の飾り付けによく見られる絵付け、色の陶器皿の活用ですね。

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 ここも中には入れずでしたので、サイトから内部の写真を。
 正面のニッキ・壁壁龕の中の絵はベノッツォ・ゴッツォーリと弟子作だそう。

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 ロッジャから見る町の目抜きのボッカッチョ通り、まさに正面に位置します。

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 通りで見かけた「メルカンティア・Mercantia」というポスター。
 これは町の通り、広場で繰り広げられる夏7月の、国際大道芸人のお祭りで、

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 サイトはこちらに。 www.mercantiacertaldo.it
 上右のカテゴリのGALLERYをクリックすると、お祭りの写真が見れます。
 中世の町のあちこちで繰り広げられる様々な芸、
 トリックなどはさぞかし楽しい事でしょう!

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 坂道を下りケーブルカーの駅に向かいますが、結婚式の披露宴の騒ぎが
 漏れ聞こえてくる中に、ひっそりと広場で待つ可愛い車の姿がありました。

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 名残にプレトーリオ宮を遥かに眺め、

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 長閑な中世の佇まいから、平野に広がる現在の町に戻ります。

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 まさに現代に引き戻されたのは、駐車していた車のワイパーに
 駐車違反の切符が挟んであり、禁止時間外に止めていた筈なのにぃ、
 家に戻ってから、悔しく払い込みをしたのでありましたぁ。


 が、3回にわたりご覧頂いたチェルタルドの様子、
 皆さまにはお楽しみいただけましたように!

 まさに中世がそのまま残っているというか、「珠玉の町」の名に恥じない
 町の大きさも小振りで、ちょうど歩き回るのに、味わうのに良く、
 深い趣のある町でした。

 トスカーナにお出かけのチャンスには、時間を取って是非お出かけ下さいね!



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