あっという間に10月に入り、こちら北イタリア、我が村は
朝夕とても涼しく、というよりも肌寒いほどに感じるほどで、
日中の温度も予報では19度以下の日が並び始めました。
木々も色づき始め、落葉を始めているのもあります。
近いうちに暖房を付けるようになるのではないかと・・!
「デカメロン・十日物語」の作者ボッカッチョの故郷、のご案内を続けます。
プレトーリオ宮のこの中庭の雰囲気が素晴らしかった、
と先回申し上げましたが、
建物自体も素晴らしいですが、内部が市博物館になっていて、
エトルスクの文化に始まりローマ期の物なども様々な陳列があり、
ここでは陶器類、そしてエトルスクの石棺などを。
説明を気を付けて見ておらず、これがとても残念なのですが、
建物1階部分には先回写真を載せた礼拝堂などの他にも、
陶器などの陳列室は元の一般市民用の監獄だったそうで、
壁にはたくさんの落書きとか、日付を数える為の線の並び等も見れるそう!
とか、裁判所に使われていた部屋とか、騎士の部屋とか、かっての拷問の部屋、
これは現在何も残っていないそうですが、などもあったのだと。
監獄は中庭の奥から狭く低い廊下を通り入る、塔の基礎の下にあったそうで、
ご想像を! ここにもたくさんの(見て哀しい)落書きがあると。
内庭からこの階段を上りますが、
階段が分かれ、正面の建物と奥の建物に行けるようになっていて、
奥の階段を上った部屋は広い長方形の部屋で何も装飾が無く、
一方こちらは正面側の建物の上階になるのだと思いますが、
代理執政官の儀式の部屋とか、私的な部屋があったのが、
現在は大きな部屋になっているそうで、これら壁画の部屋がそうと・・。
上から覗く中庭の様子。
こちらは中庭の奥から入口側に向いて。
チェルタルドの町は、群馬県の甘楽町と姉妹提携を結んでおり、
その記念の碑と、
その記念にと贈られたものと思われる茶室が奥の庭にありました。
覗けるようにはなっているのですが、ガラスが嵌められていて反射しますし、
記念碑の横に、茶道についての説明書もありましたが、
実際に茶室が使われることがあるのかどうか、
ちょっと勿体ないなぁ、という気が・・!
中庭では結婚式を挙げたカップルが記念写真を撮っている最中。
こちらではお式の後、遅めに始まる披露宴会の間に
カップルが記念写真を撮るのが普通で、
プロのカメラマンの指図に従い、あれこれとポーズを取りますの、はい。
で、shinkaiめもあれこれ撮らせて頂いたのですが、はは、
この写真に花嫁アレッシアさんの右腕の刺青が写っていたので、はい。
なんと「芸者さん」の刺青でありましたぁ!
入口のアーチの様子と、出口と。
という事で、我らはお昼を食べに、坂道を少し行った所の
サンティ・エ・ヤコポ教会の後陣の後ろの隙間の席に。
写真の右側の建物の色が少し変でしょう? 余りにも日光が強く、
カメラのセンサーがちょっとマヒしたみたいで・・!
道の向かい側にあるカフェ・レストランの出店の様で、
mkちゃんは上のお皿、多分豚のアバラ肉で、shinkaiは左下のナスの
パルミッジャーノというグラタン、これはいつも美味しい!
そして2人で野菜のグリルを一皿。
青い空、パラソルの下で頂くお昼は、本当に美味しい!!
お昼を食べて後、人がすっかり引いたプレトーリオ宮に戻りましたら、
ほら、階段の下にカップルが見えるでしょう?
このカップルで、彼女はサン・ジミニャーノの市役所の方で、
あの上まで登れるトッレ・グロッサの上に居られたのですね。
で、確か別の場所でも会って覚えていて下さり、やぁ、シニョーラ!と。
写真を撮った時は気が付かなかったのですが、彼が着ているTシャツの胸に
白文字が見えますね。
UNOTTOSEI PARACADUTISTI とあるのに気が付き、調べましたら、
落下傘部隊フォルゴレ(稲妻)186連隊、シエナ、だと知りました。
第2次大戦で北アフリカのエル・アラメインでも戦った由緒ある部隊だそうで、
残念、それが先に分かったらねぇ!
見逃していたプレトーリオ宮の前にあるロッジャを見に行きます。
一見すると、簡素で、ちょっとした納屋式に見えるのですけど、はは、失礼!
幅も広く、たくさんの壁画が描かれていて、
上の写真の一番奥に見えるのは、ライオンとフィレンツェの紋章で、
アップにするとライオンの顔もしっかり見えるのに、残念。
このロッジャは町の目抜きのボッカッチョ通りに面し正面に当たる位置、
15世紀半ばに既に建設済みで、実際このロッジャでは執政官たちが
市民に公開の儀式をするのに用いられ、
住民に対して姿が見えるように、声も聞こえるように、という位置なのだそう。
所でこのプレトーリオ宮は18世紀後半まで代理の執政官たちの執務、居住と
して用いられていたのが、1789年には制度が取りやめになり、
始めは家具調度類などが持ち出され、その後に個人の住居として、
各2~3部屋の15区画に分けられ売り出されたのだそう! ロッジャも!!
それが19世紀の末に市が買い取り、このバカげた破壊行為からの修復が
始まり、建物の再評価が行われるようになったのだそう。
壁画なども良く残ったものですね!!
これはロッジャの横下に並ぶ、つまり町で一番古いリヴェッリーノ通りに面した
サンティ・トンマーゾ・エ・プロスペーロ教会・SS.Tommaso e Prospero
13世紀のロマネスク-ゴシック様式。
つまり教会もこのチェルタルドで一番古い教会という事になりますが、
ここは既に教会の儀式などは出来なくなっており、つまり市の持ち物で、
市の博物館という位置づけなのだそう。
これは正面上部、古い屋根の位置がかさ上げされた位置に見える飾りの陶器皿。
ちょうど薔薇窓の位置とでもいうのか、それにするとちょっと小さいですが、はは、
古いこの時代の飾り付けによく見られる絵付け、色の陶器皿の活用ですね。
ここも中には入れずでしたので、サイトから内部の写真を。
正面のニッキ・壁壁龕の中の絵はベノッツォ・ゴッツォーリと弟子作だそう。
ロッジャから見る町の目抜きのボッカッチョ通り、まさに正面に位置します。
通りで見かけた「メルカンティア・Mercantia」というポスター。
これは町の通り、広場で繰り広げられる夏7月の、国際大道芸人のお祭りで、
サイトはこちらに。 www.mercantiacertaldo.it
上右のカテゴリのGALLERYをクリックすると、お祭りの写真が見れます。
中世の町のあちこちで繰り広げられる様々な芸、
トリックなどはさぞかし楽しい事でしょう!
坂道を下りケーブルカーの駅に向かいますが、結婚式の披露宴の騒ぎが
漏れ聞こえてくる中に、ひっそりと広場で待つ可愛い車の姿がありました。
名残にプレトーリオ宮を遥かに眺め、
長閑な中世の佇まいから、平野に広がる現在の町に戻ります。
まさに現代に引き戻されたのは、駐車していた車のワイパーに
駐車違反の切符が挟んであり、禁止時間外に止めていた筈なのにぃ、
家に戻ってから、悔しく払い込みをしたのでありましたぁ。
が、3回にわたりご覧頂いたチェルタルドの様子、
皆さまにはお楽しみいただけましたように!
まさに中世がそのまま残っているというか、「珠玉の町」の名に恥じない
町の大きさも小振りで、ちょうど歩き回るのに、味わうのに良く、
深い趣のある町でした。
トスカーナにお出かけのチャンスには、時間を取って是非お出かけ下さいね!
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