先回に引き続き、友人たちと訪れたパドヴァの南、コッリ・エウガネイの
温暖な素晴らしい土地に位置するアルカ・ペトラルカの地のご案内、
今回はその2をご覧ください。
中世14世紀の詩人、イタリアの古典作家でもあるフランチェスコ・ペトラルカ・
Francesco Petrarcaがその人生の最晩年4年間を過ごした家は
現在博物館になっているのを先回ご覧頂きましたが、
現在はというよりも、彼が亡くなって後この家は常に
詩人や彼の賛美者たちの巡礼の地でもあった様子で、
彼が亡くなった後、愛した娘婿に渡り、その後ヴェネツィア貴族の手を経て、
枢機卿シルヴェストゥリから、住まいとしては使わぬこと、という但し書き付きで、
1875年にパドヴァ市に寄贈されたのだそう。
つまりペトラルカが亡くなった後の改装も、詩人の名を高め伝えるものとしてで、
今も15世紀当時の様子を良く保っていると。
家博物館の開館は
09:00 - 12:30 / 15:00 - 19:00 3月1日-10月31日
09:00 - 12:30 / 14:30-17:30 11月1日-2月28日
休館日 月曜(祭日は開館) クリスマスと翌日 元旦 5月1日
tel. e fax +39 0429 718294
アルカ・ペトラルカの以前の訪問については
さて博物館を後に、お昼をどこでと近くの広場まで戻り、
ここは、ヴィカーリオのロッジャ、つまり村の執政官の役場のロッジャとでも。
ロッジャを抜けて出る右手にある塔と建物は、サンティッシマ・トゥリニタ・
SS.Trinitàの礼拝堂。
ここから右手上に坂道を辿ると、小さなこんなトラットリーアがあり、
行きに下の道で看板を見て、ここ、美味しそうね!と言っていた店。
入り口を入るとバールと、テーブルが並んだ細長い部屋があり、
そこを通り抜けるとこんな感じの外の席。
我らが座るとともにどんどん他の席も埋まり、やれやれ!
テラスの向こうは崖となっていて、そこに特産のジュッジョレ・ナツメがいっぱい!
飲み物を頼み、これは友人mmさんの頼んだジュッジョレのスプリッツと、
前のお皿にはおつまみ風のパンにトマト・ソースと、小さな丸いクラッカー。
エレオノーラとshinkaiは、前日栗祭りのコンバイで飲んだ地のビールが
濃厚でとても美味しかったので、ここでも地ビールと書いたのを頼みましたが、
前日のが濃厚で美味しかった!残念。でも、地ビールはとても強いのですよ。
野菜のグリルが届き、
これが良さそうと、初めから皆が狙った「茸とポレンタ、グラーノ」
グラーノというのは、パルミッジャーノ・チーズで、
これとポレンタ一切れを友人のお皿に載せましたが、
茸の量も多く、これでお腹いっぱいに。美味しかったぁ!!
青空の下、外のテーブルで頂くお昼は本当に美味しい!
茸も美味しくたっぷり、でしたぁ。
これはエレオノーラのお皿で、彼女はハムをちょっと載せて、と頼んでこれ。
mmさんの頼んだラザーニャ。
ジュリアーナは白ワインを頼み、家のワインのXXだというのが出て来ましたが、
名前を聞いても分からずで、ワインに詳しいルイーザの夫にメッセージを送り、
どんなのかと尋ねると、聞いた事が無いけど、多分地元ワインのミックスで
あろうとの事。
ジュリアーナは、とても美味しい!と言い、味見したshinkaiは並みよ。
彼女はすぐにまたレナートにメッセージでそれを伝え、
やり取りするうちに段々エスカレート。
mmさんの、shinkaiがレナートはとても良い男だと言っているので、
お会いしたいです、というメッセージもジュリアーナはせっせと送り、
shinkaiは、そうそう、とても良い男。 ルイーザ、包丁を持たないで!
ははは、もうお腹満腹、アルコールでほろ酔いの我々はわやくちゃ、大笑い。
誰かが頼んだデザートの、ジュッジョレのトルタ。
はぁ、この地ではなんでもジュッジョレなのですね、ははは。
甘いジュッジョレのジャムが載っていましたが、少し甘すぎ、でも美味しかった。
隣の席にいたダックスフンド君、しっかりエレオノーラを見上げます。
満足して店を出て、ちょっと坂道を上り、この壁の顔に挨拶し、
戻って、礼拝堂脇の石段道を下り、
ぼちぼちと下の町に向かい坂道を下って行きます。
どこもがしっかりと積まれた古い石垣、古い壁の町アルカ・ペトラルカ。
途中の店の前に出ていた、2017年版イタリアで一番美しい村々で
2番目に選ばれた、という看板。
1番目はフリウリのヴェンゾーネ・Venzoneだそうで、
2度ほど行った事がありますが、あそこは平野だからもう一つ趣に欠けると
思う、という仲間の意見に賛成のshinkai。
はい、地震から完全に復興してとても良い町ではあるのですけど・・。
こちらでヴェンゾーネの様子、2位以下の村の名もご覧になれます。
で、この看板が出ていたのはジュッジョレ製品を売っていた店で、
mmさんが入ったので我々も一緒に、皆がブロード・ディ・ジュッジョレを味見、
看板の下から3行目、を頂き、彼女が2瓶買ってくれたので、まぁ、良いよね、と
ははは。 これはジュッジョレのブランデー漬けで、なおの事ほろ酔いに。
お昼過ぎで、一段と賑やかさを増した坂道の往来。
今朝来た時は、靄で真っ白だった景色も、今は緑色の美しさ。
村の家並も美しい姿を見せます。 閑静で素敵でしょう?!
坂道を下って来ての家並と、
見上げる家並。
レストラン脇の小さな席も、今はいっぱいの観光客。
下の広い広場前には多くの屋台店が並び、
栗焼きが始まる店と、
秋の果物と、焼き栗売りの店。
ペトラルカのお墓が前にあり、彼のお葬式も行われた教会
サンタ・マリーア・アッスンタ。
そしてこれがペトラルカのお墓。
1371年ヴェネツィアの友人宛に彼が書いたのは、
終身刑を受けた身の様に町から逃れ、小さな村に孤独に住むことを選ぶ。
オリーヴの木と葡萄畑に囲まれた優美な小さな家、
そこで日々をまさに平穏の内に落ち着いて過ごす、
喧騒から、騒音から、出来事から遠く、
読み続け、書く事を続けながら。
こうして彼が終の棲家に選んだ村、家がまさに彼の理想であった事が、
今回見て頂いた皆さんにもよくお分かり頂けたと思います。
自分が今の年になった事もあるのでしょうが、
老年を大変穏やかに、自分の満足できる環境の中で過ごせた様子、
の彼の姿が、以前よりもいっそう心に響きます。
サンタ・マリーア・アッスンタ教会の前の広場から見下ろす所に
彼が毎日通ったと言われる泉が右下に。
で、この日の最後のオチになりますが・・、
この横の公園式の広場に、こんな彫刻が置いてありまして、
下の駐車場からの坂道にも同じ作家の大きなのがあったのですが、
はぁ、もうこういうスタイルの像を見ると、ついむらむらとなるshinkaiで、
幾らアートとは言え、です、こういうのを公衆の目前に置いて頂くとですねぇ、
品性卑しいshinkaiめは、もう冗談の止めどが無くなりまして・・!
ジュリアーナも笑いが止まらなくなり、ついでに降りて行って記念写真も撮りましたぁ。
ははは、ご容赦願いますで~す。
このパドヴァ在住という作家のサイトはこちらに。
という、秋の心地良い日、桃源郷にも似た趣のアルカ・ペトラルカ再訪でした。
バス便が悪く、調べて見るとパドヴァあたりからも難しい土地ですが、
チャンスがありましたら是非のご訪問をお勧めいたします!
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