先回に続き、ロンバルディーア州のカスティリオーネ・オローナ・Castiglione Oloa
訪問の2回目、今回は坂道を上った上にある教会、コッレッジャータ・Collegiata
という名で知られているデイ・サンティ・ステーファノ・エ・ロレンツォ教会を。
この内部は先回同様、マゾリーノ・ダ・パニカーレ・Masolino da Panicale と、
ヴィッキエッタ・婆ちゃん・Vecchietta の通称の方が有名な、
ロレンツォ・ダ・ピエトロの美しい壁画で埋められているのですね。
上の写真は、坂道を上り始めた所から見える鐘楼。
そして道脇にあった泉。
如何にも、の中世の顔なのですけど、石の色が少し新しすぎるかなぁ。
最後の家並みからアーチが張り出し、その下にあった道の名・枢機卿ブランダ通り、
と、祠風にした聖母子の絵。
この実物は教会博物館にあった16世紀のロンバルディアの画家、というのですが、
ご覧の通り、これも丁寧な、なかなかの作品でしょう?
かっての城の遺跡あとに、ブランダ枢機卿が1425年に建設した教会、と
いうのが納得できる坂道で、道の左側オローナ川が流れる谷を美しい黄葉が埋めます。
ちょうど教会の門の手前に大きなトラックが止まり、工事の残骸等を運び出し中で、
うんうん唸るモーター音や、大きな声が響いており、道の見通しがきかず・・。
近づいて見えてくる鐘楼と教会の建物。
で、道からはこれしか見えないのですが、
サイトで見つけた横の広さ、大きさをご覧ください。
コッレッジャータという名で知られる、と書きましたが、かってはコレッジョ・寄宿学校が
あったというのが良く分かる広さですね。
こちらが坂の上、教会横にある門。
この頑丈さから見て、これはかっての城跡の門を利用しているのではないかと。
教会正面。 15世紀のロンバルディーア様式と。
正面扉上の半円の像。 この中にブランダ枢機卿も居られるというので
買って戻った小冊子を読みましたら、子供のキリストが祝福を与えている、
その前に膝まづいているのが枢機卿で、両脇に膝まづいているのが
この教会が捧げられたサン・ロレンツォ、左と、サント・ステーファノ像、右。
聖母子の背後のお二人は、サンタンブロージョと、サン・クレメンテと。
上の薔薇窓の下にも修復の跡が見えますし、この半円の像も余りにも新しく見え、
取り換えたのかと思うほどでしたが、どこにもその記述が見つからず、
単に1428年作と。 修復がつい最近なのかも。
正面扉前の、敷石のモザイク。
教会と洗礼堂が開くのは2時半か3時、と聞いて来て、教会前の広場で待ちますが、
本当にぴったり2時半に係りの女性2名が来られ。
建物全体の大きさが良く分かるこの写真もどうぞ。
教会正面とその前広場、教会に並んで左に白いアーチの門が2つ、
そしてその手前にある建物が切符売り場兼ショップになっています。
教会の奥横に続く建物の一部が現在博物館になっており、
その左端の高い建物が、今回お目当ての洗礼堂で、
教会への入場は、係りの女性が鍵をもって来て内陣横の扉を開けてくれ、
扉の内側にあった、壁に埋め込み式の聖水入れ。
そして見る、内後陣とヴォールトの素晴らしい壁画!!
ヴォールト(天井部)の6画面はマゾリーノ作の、「聖母マリーアの生涯」。
受胎告知、
聖母戴冠、
マリーアの結婚、
3博士の礼拝、
一番左に「マリーアの誕生」があり、他は順不同のモチーフの並びですが、
如何にもマゾリーノ描く所の優しい顔立ち、姿と雰囲気、そして全体の彩の
柔らかな明るさ、が特徴ですね。
とりわけ「受胎告知」の場面がシンプルで、それでいて匂い立つような品が
あると思います。
それに、背後に見える壁の中の棚が開いているのが、とても微笑ましく。
フレスコ画が描かれたのは教会建設すぐ後の1428年なのですが、
その後18世紀に何故か、上から水漆喰の層で白く隠されていて、
再発見されたのは1843年の事なのだそう!
このマゾリーノの天井部分のみならず、内後陣全体が隠されていたのだそう。
壁の部分の壁画は、上部に半円形、そして下部の絵と別れますが、
左側がサン・ロレンツォのお話で、右側がサント・ステーファノ。
ヴェッキエッタの作品は左側(サン・ロレンツォ)と中央奥だそうで、
上部の半円形すべてと、右の壁の最初の場面はパオロ・スキアーヴォ・
Paolo Schiavo(Firenze 1397~1478 Pisa) という事で、
こうして見ると、ヴェッキエッタの左の壁の絵が殆ど見えなくなっていて残念ですが、
左下は、サン・ロレンツォの殉教と、その右中央に窓がある部分には
サン・ロレンツォの埋葬場面。
これは買って戻ったパンフレットにあったサン・ロレンツォの埋葬場面、
縦窓の左側ですが、
左側2人の人物像には、ヴェッキエッタの名前の由来を証明するように、
人物の頬の皺がかなりはっきりで、ははは、笑えます。
こちらは上部、パオロ・スキアーヴォの描くサン・ロレンツォの、
施しの場面と、皇帝デーチョの前のサン・ロレンツォ。
左の壁一番下にある、ブランダ・カスティリオーニ枢機卿の棺。
1443年93歳で亡くなられた枢機卿はここに眠られ。
中央から右側はパオロ・スキアーヴォ描く所のサント・ステーファノのお話で、
キリスト教徒の最初の殉教者であるサント・ステーファノの逸話の場面で、
縦窓右側には、石打ちの刑で殉教された場面。
窓脇の壁の深さに入り込む面にもしっかり描かれているのにも、今回目が行き、
その部分をいかに活用するか、画家は大いに考えたのだろうな、と。
こうして、とりわけヴェッキエッタの作品と並んでいると良く画家の個性の違いが
分かりますが、パオロ・スキアーヴォの方が伝統的というか固い作風で、
ヴェッキエッタの方が気持ちが赴くまま、というのか、とても個性的。
ちょっとエキセントリックな部分もある感じで、多分人柄もそんな風で、
若い画家のそんな個性をブランダ枢機卿は愛されたのだろうという気がします。
これら一連の壁画の下に、壁板部分というのかがあり、そこは色分けのみされて
いたのですが、一枚人物像があるのを撮っていまして、
これがちょっとピンボケで、アホがぁ、
たまたまウィキペディーアにあった写真を拝借してこちらに。
で、これがヴェッキエッタの自画像だとありました。
1435年頃にここの壁画の仕事をしていたヴェッキエッタですから、
シエナ生まれ1410年の彼は当時まだ25歳の若さで、流石に頬の皺もなく、ははは。
彼の描く人物像は手が小さいのですけど、自画像のこれもですね。
彼は画家として活躍の後、50歳くらいになって後彫刻も始め、後には建築や
軍の技術者としても働いた様子で、シエナで70歳で亡くなっています。
教会内は3廊式で、こちらは左側廊の祭壇部分で、像は砂岩に彩色。
窓枠部分の飾りが美しいでしょう?
そしてこちらは奥、右側廊奥の祭壇部分と天井画。
これは内陣と身廊部分を分ける上部のアーチ部、「聖母の旅立ち」がモチーフで、
これで一連のヴォールトの「聖母の生涯」のモチーフの完結ですが、
作者はマゾリーノではなく、パオロ・スキアーヴォであろうという事で、
ここも水漆喰の白い塗りで隠されていたのが、2003年に発見されたと。
教会入口側から見る内部全体の様子と、
一番内陣に近い天井画と、その中央。
説教壇。
そしてこれら身廊、側廊部分の壁画は、19世紀末に後期ゴシック様式で装飾
されたものだそうで、その優雅さと巧緻に魅せられましたので、様子をどうぞ。
床の石模様。
教会の見学を終え、奥の洗礼堂に向かって進みながら、
振り返ってみる教会入口と鐘楼。
という事で、今回はお終いで、
次回の洗礼堂のご案内、マゾリーノの素晴らしい壁画をお楽しみに!
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