一連のマゾリーノとヴェッキエッタの作品も、いよいよ最終回。
今回はこれらの最後を飾るに相応しい、マゾリーノの美しい壁画、
洗礼堂のご案内です。
教会入口から奥に、建物に沿っての小径が続き、
突き当りのこの小さなロッジャの、右側にお目当ての洗礼堂が。
ここは元々城跡の角の塔があったのを利用した建物なのだそうで、
今に残る壁画は1435年の作ですが、
19世紀には道具置き場として使われていた事もあったそうで・・!
中に入るとこんな様子で、一番奥の壁の壁画と、
中が狭くて全体の様子が撮れずで、こちらは小冊子から、
奥とその手前の右側の壁の壁画。
向かって左の壁は、残念ながら殆ど剥落していて見えずですが、
一連の壁画のモチーフは、洗礼堂にふさわしく、「洗礼者ヨハネの生涯」のお話。
マゾリーノ・ダ・パニカーレ・Masolino da Panicale(1383-1440)は、
ウンブリア州西部、トスカーナに近いパニカーレ生まれ、若い頃の記録がほぼ無く、
1422年すでに39歳、にフィレンツェに家を借り、翌年画家の組合でもあった
薬と薬草組合に登録、というのが残ります。
同じ組合にマサッチョは前年1422に加盟しており、そんな事からも一緒の仕事を
した様子ですが、マサッチョよりも18歳年上のマゾリーノは、
力量ある若いマサッチョとそりが合わず、描き方がやはり全然違いますし、
一緒の仕事はかなりの負担だった様で、影響もされつつ苦しみ、
若くしてマサッチョが1428年に26歳で亡くなった後は、
漸くに彼自身のスタイルを取り戻し、
このカスティリオーネ・オローナの仕事は彼の最高傑作となったと。
そしてその5年後、フィレンツェで57歳で亡くなっています。
最初の全体の写真でお分かりの様に、手前のアーチの所に、左右に渡る
鉄の棒があり、それがちょうど洗礼中姿のキリストの高さになるので、
これは床に座り込んで撮ったもの、
上部に洗礼者ヨハネから洗礼を受けるキリストの姿があり、
左に衣を持つ天使たち、そして右に既に洗礼を受けた新信者たちの姿。
奥の空の色はグレイに見えますが、これは酸化によるものだそうで、
実際は元は水色であったのだろうと。
中を流れるヨルダン川は、ずっと奥から左右の山と平野の間を手前まで流れ、
いわば少し上空から鳥の視点で眺めるような構図の中、
これは一緒に仕事をしていたヴェッキエッタとの関係もあるだろうと言い、
一方、手前右側の新信者の男たちの姿はかなりリアルですが、
これはマゾリーノがフィレンツェのブランカッチ礼拝堂(サンタ・カルミネ教会)で
一緒に仕事をしたマサッチョ・Masaccioの影響によるものであろうと。
細部を2枚。
見ると、水の流れの表現や、フレスコ画を描く時は、一日の分量を見積もり
その部分のみ下塗りをして描き上げますが、
下の写真など、とりわけその範囲も見えて興味深いです。
ずっと昔、はは、画集でこの洗礼を受けるキリストの絵を見た時に、
このエメラルド色の水の美しさ、透明度にすっかり魅せられ、
いつか必ず見たいもの、と念願していましたが、
図らずも今回漸く、何十年ぶりに見る事が出来たのでした!
この部屋の部分の天井画、父なる神と天使たち、と、
手前のアーチの部分には、東方教会の博士、の姿なんだそう。
これはアーチ上部に描かれた、美しい天使。
マゾリーノの、こういう天使像というか、女性は本当に美しいですねぇ!
下段の一番向かって右にあるのは、こんな様子で殆ど見えないのですが、
これは洗礼者ヨハネの父ザッカリーアが、大天使ガブリエーレから、
お前は子供を授かり、その子は偉大な者となるであろう、というお告げを受ける場面と。
ヨハネの母親の名がエリゼベッタというのは知っていましたが、父の名が
ザッカリーアとか、お告げを聞いた、という聖書のお話は知らずでしたので、
説明書の意味が良く分からず、聖書のお話の部分も読んで納得、という・・。
その左に続く場面で、右正面側は、ヨハネが説教をし、向こう側にキリストの顔も
見える、という・・。
ただこの山の中に、手前の人物が溶け込んでしまっていますね。
これも使った絵の具の種類による、経年の作用でしょう。
中央の窓を挟んでの右側。 背後から兵士が抱え込んでいるので、
ヨハネが捕らえられ、ヘロデ王の前に連れてこられた所と。
窓の手前の壁に牢内のヨハネが描かれ、・・この構図はちょっとした
アイディアですねぇ、そして扉を開けようとする兵士の姿。
マゾリーノは、光背や兵士の甲冑などに金属の薄片を使っているそうで、
オリジナルでは光輝く、かなりのインパクトもあった事でしょうね。
そして斬首。
こちらが手前の部屋、右側の壁全体で、
左側、ヘロデ王の宴会場面。
宴会にしてはテーブルの上が寂しいですが、ははは。
右側に立つ人物の一番手前に腕組みをした女性がいて、
これがヘロデ王の妻、サロメの母親ヘロディア。
はぁ、腕組みをして、酷薄そうな眼をしていますねぇ! ははは。
画面右側。 透視図法を使った長い回廊の手前、
この遠近感も素晴らしいですが、これもヴェッキエッタの協力があるのではと。
ヨハネの首を、サロメから受け取るヘロディア。 背後に恐れおののく侍女2人。
娘サロメはヨハネの首を所望したとは思えぬ純情そうな娘に見え、
一方の母親ヘロディアの、なんとも言えない妖艶な美しさ!
まさにこの場面も長年見たいと願っていたヘロディアの美しい顔で、
白色の下地に塗っているはずの緑色が透けて見え、ほんのりの頬のピンク色と
あいまって、本当に美しく、・・念願が叶いました!
ピサネッロが描く女性もそうですが、ミラノのボッローメオ邸に残る貴族女性とか、
shinkaiは昔からこの手の女性の姿に弱い、というか、好きなのですねぇ!
美しいけれども生身を感じさせない、という所が好みなのかも、ですが・・、はは。
こちらは背後の山の中に小さく描かれた、ヨハネの埋葬場面。
入口脇の場面ですが、これは説明書を読んでも出ておらず、分からず・・。
ただこの扉上にある町の風景、これはローマだそうで、
いくつかの建物が特定でき、パンテオンなども、とあるのでアップして見ましたら、
確かにちょうど中ほどに!
こちらは入り口側の部屋の天井画で、4福音者の像。
そして、洗礼盤。
一旦外に出て、ロッジャ部分を挟んでの左側の建物内にあった壁画で、
受胎告知の、天使と聖母。
この壁画は本来は洗礼堂の入口扉の両脇に描かれていたものだそうで、
1964年に剥がされて保存されているのだそう。
かなりの部分が剥落、残る絵の具もひび割れているのですが、
今なお朧に見える天使と聖母の美しさ!!
内部の壁画も美しく大満足だったのですが、これはも一つおまけに貰った
何とも言えない美しいもの、でした!!
最後にもう一度内部の壁画に挨拶し、
コッレッジャータのある坂道を下ります。
途中、右に下る石段道から見えた、下の町並み。
下の広場に着く前の道脇で出会った猫ちゃん。
どうだった、上の壁画は?という尋ね顔にも見え、ははは、
チッ、チッと舌を鳴らすshinkaiに応え、お腹を見せ、肉球パー!もの
カスティリオーネ・オローナの猫ちゃん。
ミラノからだと約1時間ほどの距離の小さな町、というより村のイメージですが、
ここにひっそりと埋もれている一つの教会と洗礼堂。
そして、パトロンであった枢機卿ブランダのお屋敷、
彼はそれまでの功績により1411年、61歳の時に枢機卿に任命されたのだそうで、
70歳を過ぎ、自分の家系の出身地であるこのカスティリオーネ・オローナの
地に目を向け、文化や恩恵を持ち込んだ跡が確かに今も残り・・、
実際、田舎のオアシスのようなイメージを受けました。
どうぞ、チャンスがありましたら、是非都会の喧騒を離れ、
この地に緩やかに流れる美しい空気を吸いに、お出かけをお勧めです!
3度にわたってのお付き合い、有難うございましたぁ。
◆ 追記 ◆
教会、並びに洗礼堂の開館時間
夏時間 4月1日~9月30日 火曜~土曜 10時から13時 15時から18時
冬時間 10月1日~3月31日 火曜~土曜 9時半から12時半 14時半から17時半
日曜と祭日 10時から13時 15時から18時
月の第一日曜 10時から18時
月曜 休館
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