・ サンタ・マリーア・デッレ・ピエーヴェ教会 ・ アレッツォの古寺巡礼


トスカーナはアレッツォのロマネスク古寺、サンタ・マリーア・デッレ・ピエーヴェ教会・
Santa Maria delle Pieveのご案内を。

アレッツォのご案内は既に2回しておりますので、こちらから。
アレッツォ生まれの著名人の家、とその周辺

「真の十字架伝説」・ アレッツォのサン・フランチェスコ教会


はぁ、クリスマスも近い事ですし、・・というのは関係ありませんで、はは、
このロマネスクの素晴らしい古寺、12世紀、と、その祭壇画が好きでして、
写真整理は以前に出来ていましたので、ちょうど良いと・・!

再訪したのは4年前の秋ですが、ちょうど街の最大のお祭りである
ジオストラ・デル・サラチーノ・Giostra del Saracinoが済んだ翌日で、
このお祭りについては、こちらに。 http://italiashio.exblog.jp/21236743/


ピアッツァ・グランデは組まれた桟敷の取り外しの真っ最中で混雑しており、

グランデ広場から見た教会の後陣の姿は、サイトから拝借を。

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グランデ広場はこんな風にかなり傾斜していますが、その北面の下側に
美しい後陣と、高い鐘楼が見えます。




近寄って見る後陣の、2層のロッジャ。 屋根の上に何かぽわぽわ見えますが、
ははは、これは屋根に生えている雑草で~す。

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この教会には2度通いまして、撮った時間帯とお天気により写真がかなり
違っていますが、どちらか良く見える方を選びましたので、
見えようの違うのはそのせいで、ご了解願います。



下のロッジャのアーチの円柱と、柱頭飾り。 
1本柱がこんな風に折り曲げたようになっているのがあり、目を引きますね。 
重心は大丈夫なのかと思いますが・・!

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柱頭の飾りは、どれもがかなり手の込んだ中世の香りが濃いものですが、

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上階の梁を支える形の円柱の柱頭は、幾何学模様が多いような・・。
そしてこの階はロッジャはありますが、窓は開いていません。

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という事で、教会左に通っている狭い緩やかな下り坂を下り、正面に向かいますが、
教会脇に、こんな車除けというか馬車除けが並び、

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ちょうど中程に脇の入口扉があり、扉上の半円の飾りはオリジナルの、
初期ロマネスクの柄なんだそうで、リボンを編んだような形で、
中には十字や葡萄の葉があり、上部真ん中には人間の顔も。

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まぐさ石の部分には、紐を編んだ形と、下側の両脇にはドラゴンも。

扉脇の柱の柱頭には、左側にはライオンと戦うサムソン、だそうで、




右側は摩耗が酷く、人間の顔と後ろ足で立つライオンの足元のみが。

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で、こちらが正面に出てきた所ですが、面する道、コルソ・イターリアの傾斜が
いかに凄いか、これでよくお分かりでしょう?!
この高低差を利用して、向かって右角にはちゃっかりとお店も入っています!

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通りの上側から見るとこんな感じで、教会入口には階段を上がります。

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見上げる正面、そして鐘楼。 威容でもあり、何とも素晴らしい!!

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所で、正面の上部3層に立ち並ぶ円柱ですが、何本あるか、
はいshinkaiが数えましたら全部で68本!ありました。

鐘楼は教会の上に立ち上る感じで、5層の面にそれぞれ2連の窓が2つずつ、
つまり全部で40の窓、という事で、重量軽減のための工夫でしょうが、
呼び名は「100の穴・Cento buchi」ですって、ははは。




一番下の階を含め全部で4層をなすアーチの階ですが、
それぞれの円柱はみな装飾が違っており、上の写真に見える様に
一番上の階の柱、左から3本目の様に人物像、というのも見られます。

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こちらが1階部分で、真ん中の主扉の引っ込み部分が、ロビー式に深く、
両脇に他に2つ入口が。

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こちらが真ん中の主の扉で、

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扉上の半円には、祈る聖母と両脇に天使像があり、
天井部分には歴月の寓意を語る人物像が左右に。

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ご覧の通り彩色された像で、
こちら右側の下の段の右から、1月、前後に顔を持つヤヌス神の様で、
事の初めと終わりを司どり、門や入口の守護神でもあるそう。
内側に、2月植物を運んでいて、 3月笛を吹いている。

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上の段内側から、10月種まき、 11月蕪の収穫
12月豚の屠殺、これは冬に備えての行事だった様で、歴月シーンに欠かせませんが、
ここのはちょっと可笑しく、豚のお腹に白い帯が見えるでしょう?
つまり、チンタ・セネーゼという種の豚ちゃんであることを示しているのですね。




そして左側の上段左から、7月麦の穂の刈り取り、 内側に、8月樽の用意
9月葡萄摘み で、彼の後ろにはイチジクの実が熟れている、と。

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内側から、4月正装した男が手に花を持ち、戸口の前かな、つまりプロポーズに。
5月騎乗の騎士、盾を持って武装している、  6月刈り入れの時。

つまり右側の下段から内側に1.2.3月と続き、扉の左側の内側から外に
4,5,6月となり、上段の外から中に、そして右側に移り内から外に、という歴月ですね。

◆ 追記 ◆
上の歴月の寓意像の内、12月に出てくる「チンタ・セネーゼ」という豚ちゃんを
主人公にした絵本のご紹介をこちらに。http://italiashio.exblog.jp/8458796/

ここに出てくるシエナのプッブリコ宮の壁画は、アンブロージョ・ロレンツェッティ作。
この教会の祭壇画を描いたピエトロの弟です。




中央扉上の左右にこの飾りがあり、これは左側で、中に髭の男と動物で、

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写真はありませんが、右には、真ん中に取っ組み合いする男二人と、
周囲に渦巻きの植物柄、が。




こちらは左側の扉で、現在はここが入口扉になっていて、
装飾は葡萄や葉の渦巻きで、ご覧の様に塞がれたアーチの支えの円柱の柱頭は、
かなり消耗したもののあるもののコリント式と。

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左扉の上にある人頭像、下側が欠けた様ですね。

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で、こちらが右側の脇扉で、半円には洗礼中のキリストとヨハネ、
両脇には衣類を捧げ持つ天使たち。

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道からはかなり高く嵩上げされている入口扉ですが、
階段上の壁の足元辺り、7世紀を経た石の減り具合はこんな様子。

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ついでに、入口扉にあった開館時間を。

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では、中にどうぞ!  内部、内、後陣に向かって。

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内部に居て見るには全然感じませんが、こうして平面図を見ると、
かなり中心がよじれているのが分かりますね。

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この教会が出来たのは12世紀中頃というのは上記しましたが、
どうやらそれ以前に既に1008年に記録に残る、聖母に捧げられた元の教会があり、
それに代わって新しく建設されたのが現在残る教会ですが、

町の一番の高所、今のコルソ・イターリアをずっと遡って行った左にある街のドゥオーモが、
いわゆるヴァティカンからのお墨付きというのに対し、こちらの教会はアレッツォのコムーネ、
街の議会が負けじと司教勢力の向こうを張って建設した、という様なのを読みました。

13世紀になって正面壁も現在の形に新しくなりますが、これも新しいドゥオーモが
出来たのちに市議会で決めた事で、後陣の模様替え、そして内部もゴシック式に新しく、
という様な変革を辿ります。 で鐘楼が出来たのは1330年。

この後16、17,18世紀と次々と内部の模様替えが続き、最終的にはバロック様式に
なっていたのを、19世になり大掛かりな修復が行われ、
全ての後の装飾替えが取り除かれ、元のロマネスク様式に戻されたのだそう。




行った時は、高くなっている内、後陣の下にあるクリプタが工事中で幕が張って
ありましたが、
サイトからの写真で、下部のクリプタの様子をどうぞ。

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で、上の写真でも見える様に、両脇に階段があり、上の内、後陣部分に上りますが、

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こちらがピエトロ・ロレンツェッティ・Pietro Lorenzettiが描いた祭壇画、
293x309cm 1320年 板に黄金背景のテンペラ画

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ピエトロ・ロレンツェッティ(1280/85-1348)はシエナ生まれの画家で、
弟のアンブロージョ・Ambrogio・ロレンツェッティと共にシエナ派の画家として
有名ですが、どちらかというと弟のアンブロージョの方が腕が上の様ですが、

この祭壇画に関しては大変に素晴らしく、shinkaiはアンブロージョ作かと
思っておりました、失礼をば。

真ん中下に聖母と子供のキリストがいて、その上に受胎告知の場面、
そして周囲を各聖人たちが取り囲む構成。

ピエトロは最初は、内、後陣の壁にフレスコ画を描く注文を受け、
聖母の生涯12面を描いたのが大変に評判が良く、
それで祭壇画の注文も受けたのだそう。

現在はこの壁画は完全に残っておらず、祭壇画は、台座部が無くなっているものの
残っている部分は良い状態と。

彼が40代になるその前後の作、という事で、弟アンブロージョの良い影響も受け、
円熟した作品と言えましょうか。




内陣側から見る身廊の様子と、

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正面入り口部分の壁と窓。

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正面扉右側に見える碑は、



これです、3博士の礼拝の様で、14世紀の物でしょうか? 

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天井の木組み、そして、身廊部分の柱の収束にある柱頭飾り。

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窓から射しこむ光の線。

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柱頭飾りのあれこれ。

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側壁の丸窓の内部彫刻。

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正面壁に近い部分の柱はこんな風にごっつく束ねられていて。
今考えると、この上に鐘楼が乗っている部分でしたぁ!

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グランデ広場の桟敷は最初の夜はまだ残っていて、後陣の下が見えませんが、
上のロッジャ部分に夕方灯が灯りました。
この時はまだ空が明るかったのですが、
暮れていく空を背景にとても美しかったのを眺めつつ、晩御飯を頂きましたっけ!

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アレッツォはフィレンツエから近くですので、是非お出かけいただきたく、
その時は、このロマネスクの古寺の見事さも、素晴らしい祭壇画もじっくりと!

アレッツォのご案内は、まだ街中のあれこれが残っていますので、
また写真整理が出来ましたら、ご覧頂きたいと思っています。



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