クリスマスには、最近はジュリアーナと午前中に近くの町、村に
ちょっと出かけ、お昼は我が家で一緒にご飯、というのが恒例と
なっていますが、
昨年のクリスマスには、コネリアーノからだと17kmほど東にある
サチーレ・Sacile に出かけました。

コネリアーノからだと東に約10kmほどでフリウリ州になるのですけど、
フリウリの一番西の町、とでもいう位置にあり、
北から蛇行して流れるリヴェンツァ川を引き込んだ運河が町の中を流れ、
歩いていると何度も橋を渡るようになる、
とても心よい穏やかな小さな町なのですね。
昔は自転車で何度も出かけたりしたのですが、暫く行っていないのと、
サチーレはどう?とジュリアーナに聞くと、彼女も長い事行ってないから、
と即話がまとまったという訳で、その時の様子をご覧くださいね。
クリスマスの朝、車が少ない道を出かけましたが、
少し曇り空で、着いて最初の水辺の写真が上ので、残念。
町の名の由来などもありますので、どうぞ。
これは北側の眺めで、後に陽が射して来てからの物。

見ていると昨年初夏に生まれたらしい、まだまだ体の小さな鴨たちが
せっせと泳ぎ、潜りしていて、健気さが伝わってくるような・・!
橋の横の三角の土地に、今もこれと同じバールがあるのですが、

バールの前に古いバールの前での写真があり、いつ頃のでしょうか、
第2次大戦後なんだろうと思いますが、にっこりのサチーレの男たち。

横に小さな札があり、それには誰、という名前が書き出してあり、
氏名不詳が何人かのみで、さすが小さな町。
バールのあるアーケードはこんな風に中心広場に続きますが、
クリスマスの朝とあって、人通りも少なく、店は全部閉まっており、

アーケードのアーチの一つに残っていた古いフレスコ画。
聖母子と、右にサン・セバスチャンも見えます。

中心のポポロ広場。 右に見えるでっぱり部分がサチーレの市役所で、

広場には回転木馬とか、いくつかテントが張られ様々な催しがあった様子が
見えるのですが、この日は全部お休み!
ジュリアーナは中学の頃と言ったか、東隣のポルデノーネに住んでいて、
サチーレの学校に通っていた事があるそうで、
こうして歩いている内に段々当時の通学の道を思い出した様で、
やはりかなり懐かしかった様子。
テントの後ろに見える、テラスのある古い美しい建物。
軒下にはフレスコ画の名残が。

広場にあるバールで唯一開いていたバールに入り、幸い一番奥の
広いソファー式の席が空き、そこに。
細長い店ながら、どっしりとした木の内装の素敵な店で、
奥側の天井にはこんなガラス装飾で、ちょっとレトロなイメージも。

店の中は満席。 そしてクリスマスの朝とあって、どこか晴れの日の雰囲気も。

我らの隣向いの席に3人のお年のシニョーラ達が座っていて、
ジュリアーナ、我らの将来の姿だよ、と。 ははは。
shinkaiはココアの生クリーム乗せ、ジュリアーナはココアだけ。
生クリームをすくいながら熱いココアを飲み、すっかり体も温まり、

ゆっくりして出てくると、嬉しい事に陽が射し始めていて、

広場の東の方に向かい、また渡る橋の北の眺め。
陽が射すと、やはり水の色も綺麗に見えて嬉しい。

橋の袂にある大きな建物、現在市の図書館になっていますが、
その壁にある弾痕に目が行き、

建物の角にある標識を見ましたら、
建物の名はパラッツォ・ラガッツォーニ・Ragazzoniといい、
1917年11月6,7日、第4歩兵部隊・ベルサリエーレの
ピアーヴェ河への撤退の際、町の最後の粘り強い戦闘時の
機関銃の痕、なのだそう。
全ての戦争への訓戒としてこの壁の傷跡を残す、と。
で、建物の内庭に抜ける道の、扉を通り抜けましたら、
この写真は扉を振り返る位置から撮っていますが、
ははは、ご覧の様に両側ずらっと一杯飲み屋の屋台が連なり!
寒い夜の為に、たくさんのストーブも設置され、

建物の南側は公園になっているのですけど、そこの川岸もご覧の通り!

一帯何軒の屋台なのか、ははは、一見して数えられない程の数でして、
こうしてメニューを見てもかなりかすれている事から、1週間かそこらの
期間ではなく、かなり長い間開店している様で、ははは、
メニューを見ると、スナック類、そしてワイン!

屋台街を抜けて来て渡る木の太鼓橋から見る、図書館の建物と川岸。
この長さにずらっ~と一杯飲み屋が続いているのですよ、笑いましたぁ!!

橋の上で、にっこりのジュリアーナ。

橋の向こう側。 この辺り、以前は鶏たちが歩き回ったりののんびりで、
右側の家も古かったのですが、すっかり整備され、鶏も既に見かけず。

右奥にまだ一件だけ、古いまま閉まった家が残り、
こんな様子。
ここも何年か後には買い取られ、綺麗に整備される事でしょう。


町の教会サン・ニコロの鐘楼。


こんな風に建物は整備され綺麗になっていますが、
造り自体は古い構造であるのが良く分かりますね。

アーチの続く建物類も整備され、住人達が戻っている様子。

ジュリアーナは学校への往復の道だけを真面目に歩いていた様で、
ははは、こんな裏通りはまるで知らず、しきりに良いなぁ、と感心を。
そう、shinkaiちゃんは普通のイタリア人よりこういう場所は良く知ってるの!
横に折れてパイプの橋を渡りますが、ここの眺めも素敵でしょう?!
川岸には新しいバールも出来ていましたね。

川沿いのお家の窓辺には、こんな飾りつけも。

一番上の水鳥は何という名だろ? 体も大きく、どぎつい顔!

中心広場から少し外れた道に出てきて、
左の店の並び、ミラーの横のテントの出た店、あそこは手芸品や
毛糸を売っている店で、何度か毛糸やコットン糸を買いに来ましたっけ。

上の写真の通りから右に折れ、もう一か所好きな場所に向かいますが、

この道の家並も修復され、新しい店が何軒か出来ていましたが、
こういう古い門構えのお屋敷も。

病院に続く橋なのですが、道が濡れているでしょう?
きっと朝の内は霜が降りていたのが、陽が射して来て解けたのでしょうね。

この橋の上からの眺めがのんびりとして好きなのですが、
新しい足漕ぎボートがいるのを発見!

反対側の眺め。 川岸が木で埋もれているのが良いですよね。


これもまだ若い小さめの鴨。 せっせと泳いで。

しっかり12時半近くまで散歩し、水辺を見て心地良くなり、
駐車した場所まで戻りますが、

久し振りに行ったサチーレの町の新しい発展振りも感じ、
気持ち良かったです。
以前は少し寂れた感もあったのがそれが殆ど消えておりました。
サチーレにはいわゆる博物館とか美術館が無いので、
ガイドブックには載らないのだそうですが、
町自体はこじんまりと、ご覧の様に心地良い雰囲気。
フリウリにお出かけの折には、チャンスを見てご訪問を!
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今朝はちょっと可笑しな事があったので、そのお話をすこし。
我がコンドミーニオは1階の我が家と、階段式に半階づつの差で
都合5軒入っていて、我が斜め上はドナートとヴェネリタの夫婦で、
3人の子供も一番下のニコが既に頬、顎に髭を生やした良い若者に。
で、彼ら2人は家の近くに畑を借りて家庭菜園をしているのですが、
2年ほど前にたまたま作業中に横の道を通りかかり、それ以来時々
我が家に野菜が届きます、ははは。
昨夕ドナートが来て、菜園の土地の持ち主かがこの春日本に行くので
様子を話してやってくれるか、というのでお邪魔し、
イザベッラという、建築家だという彼女と4人であれこれ暫く談笑を。
建築関係とか、ミラノのブレラ絵画美術学校の舞台美術の先生や
学生たちも参加するそうで、日程を聞くと毎日びっしりの見学で、
それも博物美術館、歌舞伎、能舞台、寺、神社、日本家屋の見学!!
東京3日間、高山、金沢、永平寺、白川郷、そして京都という事で、
奈良に行くか姫路城か、というオプションで最後なんですと。
白ワインを一杯頂きながら楽しく過ごし、イザベッラが帰った後、
ドナートが背中、腰を痛めた、という話になり、
何か良く効く秘薬はあんたの国にないの?というので、
あるある、と買い込んで持ち帰っているサロンパスを一袋持って行き、
使用方法を説明。
代金は、というので、いつも野菜を貰っているから要らない、と
戻ったのですが、
だって、茸は好きか、というのでウンというと、
どっさり採って持って来てくれたりするのですものね、
で今朝10時頃、冬野菜の美味しいラディッキオを2玉持って来てくれ、
サロンパスが物凄く効いた!と大喜び、一夜で痛みが消えたそう、ははは。
20枚入りの小袋ですから、まだしばらくはあれこれ使えるでしょうし、
これでまたちょいちょい野菜が届く、という訳で、ははは、
日本のサロンパスがイタリア野菜に化ける、というお話でしたぁ。
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