・ n.3 シーレ川の航行 最終回 ルギニャーノ~、そしてブログのお休みを


先回に続き、シーレ川の航行のご案内3回目、今回が最後で、

地図右寄りに見えるルギニャーノ・Lughignanoから、
左下カジエール・Casierの先、錨の印の見える辺りまで行き引き返し、
カジエールの港で我らは下船、シーレ川の航行約3時間半が終了の様子を。

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右側にまた整備された庭が見えて来て、

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こちらはヴィッラ・バールバロ・ガッビアネッリ・Villa Barbaro Gabbianelli、
地図の9番。
川岸の木立に遮られ、なかなか全体がすっきり見えなかったのですが、
ここはシーレ川沿いのヴィッラの中でも一番古く、15世紀終わりの建設と。

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で現在のヴィッラの名は多分後の持ち主の名が残っているのでしょうが、

建設したのはヴェネツィア共和国の養女としてキプロス王に嫁いだ
カテリーナ・コルナーロ・Carerina Cornaro(1454-1510).
  
嫁いだ王が直に亡くなり、生まれた息子も亡くなった後、キプロスを
ヴェネツィア共和国に献上し、
自分はヴェネトのアーゾロの女王として余生を過ごしたという彼女が、

お気に入りの侍女フィアンメッタ・ブッカーリ・Fiammetta Buccariの
結婚のお祝いに贈ったものだそう!!

こじんまりとした可愛いヴィッラで、ヴェネツィア・ゴシック様式を踏襲したもの。
それにしてもねぇ、お気に入りの侍女の結婚祝いにヴィッラとはねぇ・・!




トゥレヴィーゾから続くシーレ川畔の自転車道。あちこちで出会います。

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少し太陽が隠れた薄曇りとなり残念ですが、

横幅も広いヴィッラで、番号8、ヴィッラ・ファーニオ・チェルヴェッリーニ・
Villa Fanio Cervellini.

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18世紀の建設だそうで、上階の3つのアーチを持つ窓などもシックで重厚。
左にずっと続く煉瓦塀もなかなかの趣を添えておりました。




右奥にまだ上のファーニオ・チェルヴェッリーニ邸の煉瓦塀が続きますが、
こちらは手前、川沿いにあったヴィッラ。
歴史的に名の出ない建物ですが、こういうのもなかなか素敵でしょう?!

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川沿いを、ワンちゃんを連れて散歩中のシニョーラ達。

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そして見えて来たサンテーレナの岸壁。 番号8のヴィッラのすぐ先。
川の港として大いに栄えたのでしょうが、現在もかなりの船が接岸中で、

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川岸で憩うカップル、

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レストラン、

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釣りを楽しむ人々。 我らの船から誰か釣れたか?と声を掛けたのに、
大きく首を振るのが見え、ははは。  真ん中の方は女性ですよねぇ?

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川幅がまた一段と広くなるのが見え、

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白鳥はいつどこで見ても優雅ですよねぇ!

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サギも!

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頭に黒い長い羽根を持つのが、抱卵中。
他にもあれこれ抱卵中を見ましたが、巣の周囲にあれこれ見えるゴミがね・・。

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見えて来た、かなり大きな、そして如何にも田舎風ヴィッラという感じの、はは、
ヴィッラ・バールバロ・ロマン・Villa Barbaro Roman 地図6番。

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建設は17世紀最後、かってはカ・ヴェッキア・古い家と呼ばれていたそうで、
農作業用、管理用のバルケッサは離れて造られているそう。




ちょうど川の湾曲部に位置して、左にも建物が見え、
くすんだ緑色の丸いのが見えますね。
間に生垣が見えるので、上のヴィッラとは別だと思うのですが、

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説明のシニョーレが言った事に皆がどっと笑うので、何かと尋ねましたら、
家を建てる、と息子が言うのに、姑がじゃぁ、どこかその辺の隅にでも
居る事にしよう、というので、息子は角や隅のない丸い家を建てた、と!ははは。

角とか隅の言葉をヴェネト訛りで(カントンだったっけ?)言ったので、
shinkaiには分からなかったのでしたが、ははは、やるなぁ!!




カジエールの鐘楼の先が見えて来て、

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ボート溜まり、

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カジエールの港。

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そして鐘楼と教会が見え。  で、この辺りで、あれっ、これは見た事があると。

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港の岸からかなりの人々が船が通るのを見送ってくれ、

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このヴィッラが見えた時に、そうなんだ、ヴェネトのヘミングウェイ紀行の時に
来て見たヴィッラと鐘楼の姿なんだと気が付き!

ヴィッラの名はヴィッラ・バールバロ-ヴァリエール・Villa Barbaro-Valier.
番号4. 16世紀中頃の建設だそうで、川岸からずっと玄関先まで
階段が続く素晴らしいアプローチなんだそうで、

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階段上部の両側には、ヴェネツィアのドージェ宮のカルタ門から見える階段に
両巨人像がありますが、あれを模した像があるそうで、
壁には現在は殆ど見えなくなっているフレスコ画が、多分パオロ・ヴェロネーゼの
弟のベネデット・カリアリ・Benedetto Caliari(1538-1598)の作が
あったのだそう。

で、なんでこのヴィッラの前でヘミングウェイに関係があると、あの時のガイド氏が
話していたのかが分かったのは、今回のガイド氏が
戦時中は軍病院として使われていた、と言った事からなのでした。
ヘミングウェイが負傷した時ここに運ばれたのかどうかまでは分かりませんが・・。

あの時はガイド氏はマイクを使わずで、細い岸辺の道に長く続いていた我らには
まるで話の内容が聞こえず、景色を見て暇をつぶしていたのでしたぁ、へへへ。

「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 その1と2
http://www.italiashiho.site/archives/20170409-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170410-1.html




ヴィッラに続く岸辺に残る大きな厳めしい建物跡はかっての製粉所で、
元々はトーゾ・デッラ・ストゥッキ・Toso della Stuky S.A  番号3.

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そうです、ヴェネツィアのジュデッカ島の西にある現在のヒルトン・ホテル、
ムリーノ・ストゥッキがこちらシーレ川にもあったのですね。
よく似た感じの建物なのがお分かりですね。

でその後1937年にキアーリ家、フォルティ家とモディオーリ家が買い取り、
イタリアで有数の製粉会社となったのだそうで、

現在は市との連携で、かってのこの地の工業の栄えた例としての博物館的
役割でここに残しているのだそう。




この辺りは大変広い川幅で、なぜか多数の白鳥が悠々と浮かんでいて、

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中にはヴェネツィア風景の様なカモメ君も杭の上におり、はは、

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少し先には、こんな風に土地のオステリーアもあり。
ガイド氏の話によると、かってシーレ川を使っての船の運搬に携わっていた
船員たちは、ここに家族を呼んで一緒に食事をしたのだそう。

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ヴェネツィアまでは2日の距離だったというので驚いたのですが、
帆を張り、所によっては馬などに曳かせ、時によっては10日から15日ほども
かかる事もあると聞いて、

陸の運搬よりも重量は大きいのが可能だったのでしょうけど、
やはりそれなりに大変だったんだろうなぁ、と。




そして番号2. かってシーレ川の運搬に使われていた船の墓場。

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1972年にシーレ川の運搬が終わりとされて以来、ここに古い船を
運んで来て放置、大きな運搬に使われた船の墓場なのですね。

上にご覧頂いたかっての大製粉所も、1970年代始めに船での運搬を止め、
陸上運搬にしたのだそうで、

ここに何世紀間も続いた、まさにアクイレイアの歴史もそうですが、
ローマ期からの川の港の遺跡が残っているのですが、
こうして川を航行する船での運搬が、20世紀に最後となったのでした。
  



まぁさか、と可笑しい、・・カモとアヒルのマンマとパパ?!

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だってね、この鴨のファミリーのマンマも、色が濃いでしょう?!
チビちゃんも柄のない黒いのがいるみたいだしねぇ、ははは。

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橋の上から見送ってくれるカップル。

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川船のクルージングも素敵だよ、やってみてぇ!!


という所で、長いお付き合い、有難うございましたぁ!
愉しんで下さいました様に!!


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shinkaiは分家の方で日程をお知らせしました様に
20日から28日までトスカーナのオルチャの谷とシエナのクレーター、
そして最後はシエナに、と出かけて来ますので、

ブログを今月いっぱい、お休みさせて頂きますので、
よろしくお願い致します。

しっかり、良い風景を見つけ、撮って、元気で戻れるよう、
そして雨でこんな風にならぬよう、願ってやってくださいませませ!!

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ではでは、行ってきま~す!


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色鉛筆+水彩画ブログには、
ピエンツァのヴィッラ 描き始め と、 動物たちの可笑しい姿! を  
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・ n.2 シーレ川の航行  カザーレ・スル・シーレ ~ サンテーレナ


先回に続きヴェネト平野を流れる、自然あふれる美しいシーレ川・Sile
の航行の様子、その2回目をごゆっくりご覧下さいね。

先回ご案内した通り、カザーレ・スル・シーレで一旦船を降り
カッラレージ家の14世紀の塔を見た後、

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近くの通りの奥にガイドさんに連れられ、修復中のヴィッラを外から。
で、表に見えた看板がこれで、
「ヴィッラ・コルネール・Cornerを改修中」と。

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外から見えるのはこれだけなんですが、

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shinkaiは扉の隙間から覗きまして、へへ、これを撮りました。
直に一人が来て、隙間を残して閉めましたが、ははは。

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というのもガイドさんが、このヴィッラでヘミングウェイが
「川を渡って木立の中に」を書いた、と言ったのですが、
以前TVで、ヘミングウェイは、ヴェネトのヴィッラでこの小説を書いた、
というのを聞いた記憶があったので、そうか、ここだったのかと。




所がこれを書く前に裏付けを取ろうとあれこれヴィッラ・コルネールで探しても
同名のヴィッラは見つからず、ヘミングウェイの方から検索してもダメ。
ひょっとしてガセネタだったのかと、半ば諦め、ブログに写真を載せまいか、と
思った所で、見つかりましたぁ!!

このサイトに。 
そして名前が違っており、コルネールではなく、
ヴィッラ・マリピエーロ-フレッツァ・Villa Malioiero-Frezzaと。

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古い修復に取り掛かる以前の写真ですが、窓の形、数、2階のテラスの
飾りのついた手すり、軒下の飾り、間違いないですよね?

説明によると、16世紀建設の物を17世紀に改築した、とあるので、
元々がコルネール邸だったのを改修し、2階の両脇の窓は元はアーチ付き
だったのを潰した跡も見えますし、マリピエール家が所有、後に婚姻により
今迄呼ばれていた名の、ヴィッラ・マリピエール・フレッツァとなったと。

で、今回修復するにあたり、2階の窓は元通り5つとも半円付きの窓とし、
元々の持ち主名ヴィッラ・コルネールとする、という事なのでしょうね。

やれやれ、こんな所で探偵もどきの探し物と推理をして回り、ははは、
でも、見つかって良かった良かった!!




さて町の主要通りに出て来て、すぐに目に着いたこの立派なヴィッラ。
ヴィッラ・ベンボ、カリアリ、トノーロ・Bembo, Caliari, Tonoloと
名前が並びますが、現在は町の図書館と。

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建設は17世紀以前の建設と見られますが、飾りつけは18世紀の物と。
ヴィッラの名にかのヴェネツィア貴族出身の枢機卿でもあり文学者であった、
ピエトロ・ベンボ・Pietro Bembo(1470-1547)の名があるのは、
1542から1547迄この町の教区を治めていたのだそうで。




が、ベンボがパオロ3世教皇により枢機卿となったのは1538年、
既に68歳の時。 これは1539年のティツィアーノの作、素晴らしい!!

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それまでは文学の研究と著作、各国の宮廷巡りをしており、
1502,03年頃にはフェッラーラ公妃ルクレツィア・ボルジャとの関係も
あったと言いますが、つまり俗生の人間だったわけで、

枢機卿になって以来はローマに住み、ローマで亡くなっていますので、
このヴェネトの地に住まわれていたのではありませんですね。

ベンボと当時の上流階級、文化の高い階級との交流ぶり、またその
有名なコレクションをうかがえる展覧会の様子はこちらに。

ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ
https://italiashio.exblog.jp/18746557/




そしてこのヴィッラの横には礼拝堂があり、グエルチーノ・Guercino作
というのから調べましたら、17世紀の物の様子。
多分ベンボ邸の方の後世の飾りつけも、この方の作なのでしょうね。

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と、礼拝堂前の泉。

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建物は多分、市役所だと思うのですが、アーチの影を楽しみ、

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シーレ川沿いにある教会、サンタ・マリーア・アッスンタ・S.M.Assuntaに。

正面上に見えるフレスコ画は、ガイド嬢によると、ティツィアーノ作という
説もある、との事ですが、 ・・ふ~ん。

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ティツィアーノが描く男性像の凄さはいつも襟を正す感じで見つめるshinkaiですが、
教会内に収められている彼の祭壇画には、時々?!という印象を受ける時があり、
画家としてより商才豊かな彼の素顔の一面が出たか、と思う時があるので、
まぁ、この頃は驚かなくなりましたですね、はい。





さて教会内部ですが、ご覧の通り18世紀建設の物で、

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天井画と祭壇画はジャンドメニコ・ティエポロ・Giandomenico Tiepolo、
ジャンバッティスタの息子の方、なんだそうで、光が射し込み見にくく済みません。
当時のこの小さな町、川の港で栄えていた様子も窺えるもの。

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という様子で船に戻ると、なんとテーブルの上にスプマンテとおつまみが出ており、
船のシニョーレの話に拠ると一テーブル5人の割で用意しているとの事で、
750cc÷5=150ccね、ははは、冷たく美味しいのを喜んで頂きましたぁ!

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久し振りに出会ったジャンナ。
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隣のテーブルも。

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てな事でちょっとお喋りしている間に、船はするすると出発していくので、
これはいけんとまた上のデッキの上り、ははは。
上天気となり、緑の素晴らしさ、風景の見事さがなおの事引き立ちます。

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水縁の家がこんな風に見え、どこもがとても広いゆったりした土地の様で、
こういう場所の生活はどんななんだろうと少し羨ましさも感じ・・!

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水鳥たちも広い川の中で自由に飛び回り、バシャバシャやっており、

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耕作された畑と、奥に広がる若い緑。

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奥に葡萄畑で、手前はトウモロコシかな?

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またすれ違う船。 良い光景でしょう?

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素晴らしく手入れされた感じの、広い広い庭園が見えて来て、

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お屋敷の方は前面からはまるで見えずで、遠く離れたあたりから。

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ここのお家の煙突の上に、コウノトリが巣を作っていたらしいのが、
先年嵐で落ちて、かなりの損害を被ったのだとか・・!
またコウノトリが戻って来ると良いですがね。




という所で、再度シーレ川の地図をどうぞ。
中ほど下に見えるコウノトリの写真の右上、14の番号の位置をどうぞ。

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こちらは左隣、番号13の、ヴィッラ・マントヴァーニ・オルセッティ・
Villa Mantovani Orsettiで、19世紀のネオクラッシック・スタイルと。
左には十字の付いた礼拝堂も見え、この一帯の農作管理の為の屋敷と。

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湿地というか、小さな池になっている場所も見え、

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これは地図真ん中上の右岸辺12、ヴィッラの説明が切れておりますが、
ヴィッラ・リーヴァ・Villa Rivaと言い、ヴェネツィアのリーヴァ家の物で
1650年建設。

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現在の持ち主はゾルジ家・Zorziというそうですが、これまでにも何代も
持ち主が入れ替わっており、




何人もの庭師が働いている姿も見える広い広い素晴らしい庭園も見ましたが、

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shinkaiが見逃した隣接のバルケッサ・元々は農作業用の別棟 には、
有名な音楽グループ「イ・プー」の1人、レッド・カンツィアンが
住んでいるそう。




ポプラの木も、こういう場所で見るとなおの事素敵ですよね?!
shinkaiはポプラの木を見るといつも「青春の樹」という言葉が
頭の中に浮かびますが、そう思われません?

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近づいてきて、急に旋回を始めたアホなボート。 
止まって待つ我らを横目に、

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岸辺に寄って止まり、我らに手を振ってくれましたが、ははは、
ワンちゃんも2人乗っておりましたぁ。

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こちらが船の案内役のシニョーレで、笑い話や昔話など飽きさせません。

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ね、長閑で、美しいでしょう?!

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そしてこちらが、番号10 ヴィッラ・ベンボ・グラデニーゴ・Bembo Gradenigo、
地図上方サンテーレナ・S.Elenaと見える左です、16世紀の物と。
広くシーレ川に面して開ける土地にあり、正面階段は上階の大広間に
続くものと見えます。

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またも出て来たベンボ家ですが、ヴェネツィア貴族でしたので、あちこちに
ヴィッラも持ち、ここは元々はベンボ家の物だったのが、グラデニーゴ家の
物となった、という事なのでしょうね。


ヴェネツィアからパドヴァに向かうブレンタ川に沿ってのヴェネツィア貴族
の多数のヴィッラも有名ですが、
ヴェネツィアの狭い街の夏の暑さを逃れる為、気晴らしに出かける為、
また所有する土地や農産物管理の為、はたまたペストなど流行り病から
逃れるためにも、内陸部にヴィッラを持った様子ですね。

ブルキエッロ ・ ブレンタ川を船でゆるゆると  その1と2
http://italiashio.exblog.jp/14714267/ 
http://italiashio.exblog.jp/14719479/

ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ 
http://italiashio.exblog.jp/14731966/

イタリアで一番素晴らしい 植木の迷路・ラビリントを
http://italiashio.exblog.jp/13657736/




広~く続く庭園で、手入れも良く行き届いている様子。

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赤いポピーが咲き乱れている場所もあり、

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これも同家の庭の一部なのか、かなり立派な礼拝堂が。
ヴィッラ・ベンボ・グラデニーゴ家の説明にあったので、多分間違いないと。

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緩やかな流れが、船の進行により光る波を作り・・。

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という所で、シーレ川の航行 その2を終わります。

最初は2回に分け、と思っていたのですが、やはりちょっと無理で3回に。
余り端折っても眺めを楽しんで頂けないでしょうと思い、はい。
あともう1回お付き合い願いま~す。


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スコミーゴ村の朝焼け 途中経過と、  トスカーナの旅行計画 を  
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・ n.1 シーレ川の航行  クワルト・ダルティーノ~カザーレ・スル・シーレ


皆さまには良いゴールデン・ウィークをお過ごしでしたでしょうか?
こちらは5月1日が労働者の日でお休みですが、後はカレンダー通り!
まぁ、shinkaiはいつも日曜日のような生活でもありますが、ははは、
が、グループでの半日ハイキングが2日にあり、シーレ川の航行に参加を。

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朝起きた時はざぁざぁ降りの雨であちゃぁ~と思ったのですが、
段々小雨となり、お昼前には晴れて薄日も射し始め、やれやれ。

という事でお天気に恵まれ、ヴェネト州の公園にも指定されている
シーレ川公園をゆるゆると行く素晴らしい船旅となりましたので、
その様子を2回に渡りご覧下さいね。
皆さまもどうぞ、ご一緒に船旅を楽しまれるおつもりでお楽しみを!

上の写真は、出発点のクワルト・ダルティーノで我らを待っていた船。



シーレ川・Sileの地図を。
いくつかの湧き水から生まれる川で、全長90,49㎞、川幅の最大60m
流れの速さ 2m/秒、 最後はアドリア海に注ぎます。

2-map sile.JPG

トゥレヴィーゾに行かれた方はご存知でしょうが、駅から街の中心に向かうと、
直に橋を渡りますが、あれがシーレ川ですね。
トゥレヴィーゾを通り抜けるシーレ川は川幅も狭く堰もあり、
観光の航行はカジエールのもう少し西迄、の様子で、

我らは四角く囲った右下のクワルト・ダルティーノ・Quarto d'Altinoから乗り、
カザーレ・スル・シーレ・Casale Sul Sileを通り、カジエール・Casier迄、
つまり遡る、約3時間の船旅。

この地図で見ると割とすんなり流れている様に見えますが、ははは、
トゥレヴィーゾの西に印をつけた「オアジ・チェルヴァーラ」のご案内は

オアジ・チェルヴァーラ ・ シーレ河の自然公園 n.1 と n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170424-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170425-1.html



もう少し詳細な地図はこちら。  ねっ、すごく蛇行しているでしょう?!
なので眺めが常に変わり、大変に興味深かったのですが、

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今日のご案内は、右上に見えるクワルト・ダルティーノから、中ほど下の
カザーレ・スル・シーレ迄で、ここで一旦下船してちょっと町の見学も。

カザーレ・スル・シーレからの航行は、あちこちに点在するヴィッラ・別荘も
なかなか見事でしたので、次回もお楽しみに!


さて出発。 ご覧の様に平地なので本当に流れが緩やかで、
川幅も広くなく、

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川に沿って、道脇の小さな集落も見え、

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奥は湿地帯だろうと見える川縁も。

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河骨が咲き。 もっと群生している所も何か所かあったのですが、
上手く撮れず・・。

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川沿いの道をワンちゃんとお散歩。

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川の深さはこの辺りはあまり深くない様子なのが分かりますね。
一番深い所で5m位なんだとか。
で、こんな風に蛇行していて、ここでは右に曲がって行きます。

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乗船してすぐに上のデッキに上がりましたが、一つも寒くなく、
うらうらとそそぐ陽射しがとても気持ちよく。





振り返ると、出発したクワルト・ダルティーノの町の鐘楼が見え、

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船は緩やかに進みますが、それでも川幅が狭くしょっちゅうカーヴするので、
カメラで狙うチャンスがすぐに逸れて行き、はは。

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カーブ毎にブッ、ブッと警笛を鳴らしながら船は進み、案内役のシニョーレが
マイクでずっとシーレ川の様子とか、かっての船での運搬の様子とか説明してくれ、
時に笑い話も交え、眺めと共に飽きる事なし!





何隻もすれ違った大小の貸しボートの一つ。

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古い水車小屋とか、レンガ工場跡が残っている所もあるのですが、
ほら、川に沿っての土手道が続いているのが分かりますね。
かってはここを馬とかロバを使って引き綱で船を引いた名残なのだそう。

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なので当時は土手には木が無かったが、船引が無くなり手入れもされず、
それで木が川に延びているのだそうで、
最後の写真の土手岸は何十年か前に整備されたものと。




今のこの時期、緑色がまだ新緑で柔らかい色で、一番美しい時期ですが、
こんな風に緩やかに続く平地の川沿いは本当に美しく、
レストランが点在するのも頷けます。

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鴨のマンマが、10匹ものチビ鴨を連れ!

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川沿いに何か所も見えた植林の林で、もっと広いのもいくつもあり、
林を通して見える奥の明るい畑が美しく!

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煉瓦工場の新しい建物。

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時に、うっそうとした深い林の様に見える川岸もあり、

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この辺りからだったっけ、急に川幅が広がり、





堰を造っての重量物の運搬らしく、説明されましたけど、へへ。

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白鳥もたくさん見かけ、

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緑、緑の中を進みます。

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shinkaiは上のデッキを前に行ったり、後ろを眺めに行ったり。

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これはかって、家畜たちに水を飲ませるために造った坂道なのだそうで、
牛たちは川を泳いで対岸に渡ったとか。

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前方に見える、川沿いの小さな礼拝堂。 16世紀の物だそうで、
サン・クリストフォロに捧げられたのだそうですが、
残念な事に近年屋根が落ち・・!

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サン・クリストフォロは巡礼者や旅人の守護神として知られ、
現在ではパイロット、水先案内、鉄道やトラック運転手の守護神と
いう事ですから、こういう場所に礼拝堂があるのも頷けますね。




こんな風に停泊して、食事やおやつを楽しんでいるカップルが何隻か。

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中には、我らの船が見えてから回転し始めるバカもおり、ははは、
船のガイドによると、船免許を持たずに貸しボートを借りるとか・・!




たくさん見かけた満開のニセアカシアの花。 これは戦時中のみならず
今も、ははは、天婦羅にして食べるのですよ。

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カザーレ・スル・シーレの町が見えて来て、

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教会脇の港で我らは一旦下船し、町の見物に。

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すぐ近くにイタ鴨ファミリーがやって来て、

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ぽわぽわの毛のチビちゃんたちの可愛い事!!
きびきびと素早い動きで、一瞬も休むことなく動き回ります。

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頭の大きさに比べ、嘴がデカいですねぇ!




広場の奥にはこんな家並があり、かっての川の港の繁栄の名残なのかも。

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町のガイドさんがやって来て。 この方、イタリアではあまり見かけない
超重量級で、歩くのも大変そうでしたが・・!

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川縁の道の柵の間から覗く、14世紀のカッラレージの塔・Carraresiと。

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私有地とはいえ、余りにも木が茂っていて足元しか見えず、
なんちゃらホイ、とshinkaiは、


川辺の眺めを撮ったり、 ここなかなか良いでしょう?

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黒く、青光りするイトトンボを見つけて撮ったりで、ははは。

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その後、ぐるっと回りこんでの駐車場から、漸くに塔の上部が見え、

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フレスコ画の残りも見えますが、カッラーラ家の紋章である車輪4つと
真ん中の棒、との事。

市のサイトにあった説明によると、パドヴァの領主でもあったカッラレージ家、
(カッラーラ家)によって1380年、要塞の一部としてシーレ川の見張りに、
通行税の徴収の為に建設された円筒形の塔で、
現在は私有物となっていて、公開されていないそう。

14世紀パドヴァのカッラーラ家がこんな所に?とちょっと驚いたのでしたが、
考えて見ればシーレ川はパドヴァのカステル・フランコの東から流れるわけで、
川沿いの防御となれば当然の事ですね。
ですが、この後1405年にはヴェネツィア共和国の元に下ったパドヴァでした。




左背後に見えるのは、サンタ・マリーア・アッスンタ教会の鐘楼。

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という所で、今回のご案内はお終いです。
後半部の写真をせっせと整理する事に致しま~す、はぁい。


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・ グリマーニ家の日祷書、 ヴェネツィア・マルチャーナ図書館の秘宝


今日ご案内するのは、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂の向かい側、
サン・マルコ小広場に位置するマルチャーナ図書館のお宝である、
グリマーニ家の日祷書(聖務日課書)・ブレヴィアーリオ・グリマーニ・
Breviario Grimani と呼ばれる物です。

1-1-marciana.jpg

これについては何も知らずにいたのですが、東京の個展の際に
模写していた「ベリー公のいとも豪華な時祷書」をご覧下さった
ペーシェクルード様が、こんなのがありますよ、と教えて下さり、

それから大いに興味を持ってあれこれ調べたのですね。
ペーシェクルード様、有難うございました!!




まさにマルチャーナ図書館のお宝というか、イタリアにあること自体が
素晴らしい豪華な細密画の作品を順にご紹介いたしますね。

1-2-Coperta.jpg

この写真に見えるのは実物ではなく、多分2009年に作られた複製本と
思うのですが、

大きさは280x215mm、100冊に及ぶ小冊子を閉じたもので、
赤ビロード布で覆われた厚板の表紙に、
表裏に別の銀に金メッキのメダルと飾りが付いています。





で、日祷書、聖務日課の書としては大変有名な
「ベリー公のいとも豪華な時祷書」があり、これは15世紀初頭の作で、
画家はランブール兄弟で、大きさは29cmx21cm。
で、これは時祷書内の大変有名なカレンダーの1月の部分。

1-3-sLes_Très_Riches_Heures_du_duc_de_Berry_Janvier.jpg





今回ご覧頂く「グリマーニ家の日祷書」にもカレンダーが最初にあり、
こちらは16世紀、1520年代フランドル地方の画家によるもので、
ベリー公のよりも約1世紀後の作品。

が、ご覧頂くとお分かりの様に、題材の取り方がほぼ同じで、
上部真ん中にはベリー公の構図の上部にある馬車に乗って走る
時を司る賢者?の姿(何と呼んだら良いのか・・)も見え、

当時すでに「ベリー公の時祷書」が画家にとっても、依頼主にとっても
大いなる熱望、同等の作が目標であったろう事が良く分かります。
1月から順にカレンダーをどうぞ。

1月 豪華な大宴会

1gatu-1-gennaio.jpg




2月 農家の様子 雪景色  遠くの町にロバを追っていく農夫、
   雪を冠った家の屋根、羊小屋、子供が家の敷居からオシッコを・・!

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3月 畑仕事の始まり

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4月 草原での婚礼の様子

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5月 春のお祭りの騎馬行き

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6月 干し草の刈り入れ

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7月 小麦の刈り入れと、羊の毛の刈り取り

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8月 狩りに出発する貴婦人と騎士たち

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9月 葡萄の摘み取り

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10月 畑の鍬入れと、種まき

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11月 ドングリを落とし豚に食べさせ、野ウサギを狩る

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12月 イノシシ狩り

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という事で、宮廷の貴族たちの生活と、農民の仕事との交互なモチーフ、
と言い、モチーフの内容と言い、
まさに「ベリー公の時祷書」を踏襲したのが良く分かりますね。

ランブール兄弟も、ベリー公も1416年に多分ペストで亡くなり、
時祷書制作も中途のまま何十年間か中断した様子で再開され、
カレンダーの9月以降の絵は違う画家が描いているのが分かりますが、

このお終いの4か月分の絵の持つ雰囲気に近いのが、
この「グリマーニ家の日祷書」と言えましょうか。

大変にエレガントでクールで洗練された、いかにもフランス風である
ランブール兄弟の作品に比べ、
こちらはフランドル風らしい趣、少しごつい、濃い、が特徴とでも。




でなぜこの「日祷書」がヴェネツィアのグリマーニ家のお宝となったか、ですが、

元々これは貴族からの注文で作られたものと見られ、その一人に名が
挙がるのがマーガレット・ダウストリア、またはマルグリット・ドートリッシュ・
Marguerite d'Autriche(1430-1530)と呼ばれる女性。

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オーストリアのマキシミリアン1世の娘で、フランス王シャルル8世の妃、
後2度の再婚の後ネーデルランドの総督を務めた(1507-1530)という方で、

この方の名は、実は「アルノルフィーニ夫妻の肖像(ヤン・ファン・エイク)」について
書いた時に、アルノルフィーニの没後2人目の所有者として名が出た方で、

「ベリー公の時祷書」を所有されておられた時期もあったのですね。

たくさんの絵や豪華な書物もお買い上げだったようですが、これは購入されず、




ヴェネツィア共和国第76代総督にアントーニオ・グリマーニ(1434-1523)
の第2子ドメニコ・Domenico(1461-1523)枢機卿の手に500ドゥカートで、
1520年頃には既に購入されたと。

14-1-domenico grimani.jpg

グリマーニ家というのはヴェネツィアの貴族、その裕福さで知られており、
ドメニコはパドヴァ大学を出た大変に教養ある男性で、34歳で枢機卿となり、
芸術を愛し、そのコレクションでも有名な方。

500ドゥカートの支払いというと、このような素晴らしい細密画日祷書としては
妥当な値段、とあるのですが、

当時の給料との比較は、はは、パドヴァ大教授の年給が150ドゥカーティ程度。
ヴェネツィア造船所のマエストロが約100ドゥカーティ、守衛は36とありますから、
やはりそれ相当のお値段だったわけですね。

コレクションとしては石像、大理石、発掘品、カメオ、金メダル、角製の物、
そしてフランドル絵画がお気に入りで、ボッシュやハンス・メムリンクの作品も
持っていた所に、この「日祷書」が加わった、という事になります。




ドメニコ・グリマーニが1523年に亡くなった後、この「日祷書」は他のたくさんの
芸術品と共に、甥のマリーノ・Marino・枢機卿の手に渡り、
彼の弟ジョヴァンニ・Giovanni・枢機卿を愉しませます。

とりわけジョヴァンニ(1506-1593)はドメニコ同様に芸術への深い愛情と
コレクションで知られた方で、

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アクイレイアの大司教でもあった彼のヴェネツィアの邸宅、
サンタ・マリア・フォルモーザ教会近くにあるグリマーニ邸は見事な物で、

16-1-Palazzo-Grimani-Santa-Maria-Formosa.jpg

現在博物館として公開されており、こちらでご案内を。
https://italiashio.exblog.jp/17382754/
https://italiashio.exblog.jp/17382717/


「グリマーニ家の日祷書」は実は購入者のドメニコ枢機卿の遺言で、
いずれヴェネツィア共和国に贈与される、という事になっていたのが、
暫くはグリマーニ家に留まる事を容認され、

1587年にジョヴァンニ枢機卿から、彼の大多数の古い200体を超す
彫像が共和国に贈られ、
「日祷書」は彼の亡くなった1594年に、サン・マルコ聖堂の行政官に、
そして聖堂の宝物館に、
1801年に現在のマルチャーナ図書館に渡された、という事です。




実はあれこれ調べ読むうちに、「日祷書」を購入したドメニコの父親、
ドージェにもなったというアントーニオの面白い逸話をあれこれ知り、
書きたくてたまらなかったのですけどぉ、

14-2-AntonioGrimani.jpg

・・脱線になりますし、今回は説明が多いのでまたの機会に、残念!





最初に有名なカレンダーが出て「日祷書」としての真価が後になりましたが、
つまりです、「日祷書」「時祷書」なるものは単なる細密画集ではなく、
きちんとした宗教的な「聖務日課書」でありますので、えへん、
最初の24ページにわたるカレンダーの後には、

死者へのお祈りや、聖人たちの事柄、旧約新約聖書のページもあり、

16-2-santi comuni e defunti.jpg




アダムとエヴァのお話、

17-adamo e eva.jpg




受胎告知、

18-annunciazione.jpg




キリスト生誕、

19-nativita.jpg




磔刑、などのページもあり、

20-crocifissione.jpg




テキストはこの様に、右のページに2列に書かれ、
左ページには、上のカレンダーの様に総ページの絵があり、

21-testi.jpg




文の初めの頭文字は飾り文字で、縁どりの絵も見事な物。

22-capilettera e bordure.jpg

23-fine.jpg




ドメニコ枢機卿の手に入った時は、赤いビロード布で覆われた厚板表紙
だった物に、16世紀の中頃に付けられたと見られる表と裏のメダルの装飾。

24-medaglia.jpg

銀に金メッキの縁と真ん中のメダルで、表にはドメニコ枢機卿の横顔があり、
裏側は彼の父親アントーニオ・ドージェになった、の横顔が。





カレンダーを始め細部の写真は、すべてマルチャーナ図書館の
サイトから引いたものですが、
他にもあれこれ余りにも見事なのが見つかったので見て頂こうと。

こちらは本の厚みの部分、全体は羊皮紙832枚にもなるという事で、
ご覧の様に綺麗に装飾されており、

25-grimani-breviary-facsimile-.jpg




開いた時の様子はこんな感じ。
繊細で洗練された細密画で、全面絵画が50ページ、小さな画面が18と。

26-Madonne.jpg




で、shinkaiの正直な感想を言いますと、カレンダー部分の絵には
余りにも「ベリー公のいとも豪華な時祷書」の絵が素晴らしく、好みで、
はぁ、模写まで始めた訳でして、
どちらかというと「ベリー公」に軍配を上げ加減なのですが、

カレンダー以外の絵、例えばこちら、諸聖人の項目にあるらしい
「改悛のマリア・マッダレーナ」とか、

27-Gerard-David-Grimani-Breviary-Mary-Magdalen-Penitent.jpg




これは上半身と、背後に斬首場面がうっすらと見えますが、どなたかな、
これなども多分上のマッダレーナと同じ画家の作と思いますが、

素晴らしく美しい、嫋やかな美が描かれていて、
如何にもフランドル絵画の美、北方絵画の素晴らしさ、良さを感じますし、

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また、上記の開いたページに見える左側のマリア達の図でも分かる様に
全体の装飾の見事さ、
そしてこの図に見える縁取り装飾の植物や昆虫にしても細やかで、
まさに豪華で繊細、細密画の見事な「日祷書」だと思います。

29-the-grimani-breviary-facsimile-edition-03.jpg


という様にご紹介して来ましたが、一般には通常非公開の様で残念です。

マルチャーナ図書館のサイトはこちらですが、


という「グリマーニ家の日祷書(聖務日課書)・ブレヴィアーリオ・グリマーニ」
のご案内でしたが、
上手くご紹介出来ました様に願っています!


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