今日ご案内するのは、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂の向かい側、
サン・マルコ小広場に位置するマルチャーナ図書館のお宝である、
グリマーニ家の日祷書(聖務日課書)・ブレヴィアーリオ・グリマーニ・
Breviario Grimani と呼ばれる物です。
サン・マルコ小広場に位置するマルチャーナ図書館のお宝である、
グリマーニ家の日祷書(聖務日課書)・ブレヴィアーリオ・グリマーニ・
Breviario Grimani と呼ばれる物です。
これについては何も知らずにいたのですが、東京の個展の際に
模写していた「ベリー公のいとも豪華な時祷書」をご覧下さった
ペーシェクルード様が、こんなのがありますよ、と教えて下さり、
ペーシェクルード様が、こんなのがありますよ、と教えて下さり、
それから大いに興味を持ってあれこれ調べたのですね。
ペーシェクルード様、有難うございました!!
まさにマルチャーナ図書館のお宝というか、イタリアにあること自体が
素晴らしい豪華な細密画の作品を順にご紹介いたしますね。
素晴らしい豪華な細密画の作品を順にご紹介いたしますね。
この写真に見えるのは実物ではなく、多分2009年に作られた複製本と
思うのですが、
思うのですが、
大きさは280x215mm、100冊に及ぶ小冊子を閉じたもので、
赤ビロード布で覆われた厚板の表紙に、
表裏に別の銀に金メッキのメダルと飾りが付いています。
赤ビロード布で覆われた厚板の表紙に、
表裏に別の銀に金メッキのメダルと飾りが付いています。
で、これは時祷書内の大変有名なカレンダーの1月の部分。
今回ご覧頂く「グリマーニ家の日祷書」にもカレンダーが最初にあり、
こちらは16世紀、1520年代フランドル地方の画家によるもので、
ベリー公のよりも約1世紀後の作品。
こちらは16世紀、1520年代フランドル地方の画家によるもので、
ベリー公のよりも約1世紀後の作品。
が、ご覧頂くとお分かりの様に、題材の取り方がほぼ同じで、
上部真ん中にはベリー公の構図の上部にある馬車に乗って走る
時を司る賢者?の姿(何と呼んだら良いのか・・)も見え、
上部真ん中にはベリー公の構図の上部にある馬車に乗って走る
時を司る賢者?の姿(何と呼んだら良いのか・・)も見え、
当時すでに「ベリー公の時祷書」が画家にとっても、依頼主にとっても
大いなる熱望、同等の作が目標であったろう事が良く分かります。
大いなる熱望、同等の作が目標であったろう事が良く分かります。
1月から順にカレンダーをどうぞ。
1月 豪華な大宴会
2月 農家の様子 雪景色 遠くの町にロバを追っていく農夫、
雪を冠った家の屋根、羊小屋、子供が家の敷居からオシッコを・・!
雪を冠った家の屋根、羊小屋、子供が家の敷居からオシッコを・・!
3月 畑仕事の始まり
4月 草原での婚礼の様子
5月 春のお祭りの騎馬行き
6月 干し草の刈り入れ
7月 小麦の刈り入れと、羊の毛の刈り取り
8月 狩りに出発する貴婦人と騎士たち
9月 葡萄の摘み取り
10月 畑の鍬入れと、種まき
11月 ドングリを落とし豚に食べさせ、野ウサギを狩る
12月 イノシシ狩り
という事で、宮廷の貴族たちの生活と、農民の仕事との交互なモチーフ、
と言い、モチーフの内容と言い、
まさに「ベリー公の時祷書」を踏襲したのが良く分かりますね。
と言い、モチーフの内容と言い、
まさに「ベリー公の時祷書」を踏襲したのが良く分かりますね。
ランブール兄弟も、ベリー公も1416年に多分ペストで亡くなり、
時祷書制作も中途のまま何十年間か中断した様子で再開され、
カレンダーの9月以降の絵は違う画家が描いているのが分かりますが、
時祷書制作も中途のまま何十年間か中断した様子で再開され、
カレンダーの9月以降の絵は違う画家が描いているのが分かりますが、
このお終いの4か月分の絵の持つ雰囲気に近いのが、
この「グリマーニ家の日祷書」と言えましょうか。
この「グリマーニ家の日祷書」と言えましょうか。
大変にエレガントでクールで洗練された、いかにもフランス風である
ランブール兄弟の作品に比べ、
こちらはフランドル風らしい趣、少しごつい、濃い、が特徴とでも。
ランブール兄弟の作品に比べ、
こちらはフランドル風らしい趣、少しごつい、濃い、が特徴とでも。
でなぜこの「日祷書」がヴェネツィアのグリマーニ家のお宝となったか、ですが、
元々これは貴族からの注文で作られたものと見られ、その一人に名が
挙がるのがマーガレット・ダウストリア、またはマルグリット・ドートリッシュ・
Marguerite d'Autriche(1430-1530)と呼ばれる女性。
挙がるのがマーガレット・ダウストリア、またはマルグリット・ドートリッシュ・
Marguerite d'Autriche(1430-1530)と呼ばれる女性。
オーストリアのマキシミリアン1世の娘で、フランス王シャルル8世の妃、
後2度の再婚の後ネーデルランドの総督を務めた(1507-1530)という方で、
後2度の再婚の後ネーデルランドの総督を務めた(1507-1530)という方で、
この方の名は、実は「アルノルフィーニ夫妻の肖像(ヤン・ファン・エイク)」について
書いた時に、アルノルフィーニの没後2人目の所有者として名が出た方で、
「ベリー公の時祷書」を所有されておられた時期もあったのですね。
書いた時に、アルノルフィーニの没後2人目の所有者として名が出た方で、
「ベリー公の時祷書」を所有されておられた時期もあったのですね。
たくさんの絵や豪華な書物もお買い上げだったようですが、これは購入されず、
ヴェネツィア共和国第76代総督にアントーニオ・グリマーニ(1434-1523)
の第2子ドメニコ・Domenico(1461-1523)枢機卿の手に500ドゥカートで、
1520年頃には既に購入されたと。
の第2子ドメニコ・Domenico(1461-1523)枢機卿の手に500ドゥカートで、
1520年頃には既に購入されたと。
グリマーニ家というのはヴェネツィアの貴族、その裕福さで知られており、
ドメニコはパドヴァ大学を出た大変に教養ある男性で、34歳で枢機卿となり、
芸術を愛し、そのコレクションでも有名な方。
ドメニコはパドヴァ大学を出た大変に教養ある男性で、34歳で枢機卿となり、
芸術を愛し、そのコレクションでも有名な方。
500ドゥカートの支払いというと、このような素晴らしい細密画日祷書としては
妥当な値段、とあるのですが、
妥当な値段、とあるのですが、
当時の給料との比較は、はは、パドヴァ大教授の年給が150ドゥカーティ程度。
ヴェネツィア造船所のマエストロが約100ドゥカーティ、守衛は36とありますから、
やはりそれ相当のお値段だったわけですね。
コレクションとしては石像、大理石、発掘品、カメオ、金メダル、角製の物、
そしてフランドル絵画がお気に入りで、ボッシュやハンス・メムリンクの作品も
持っていた所に、この「日祷書」が加わった、という事になります。
そしてフランドル絵画がお気に入りで、ボッシュやハンス・メムリンクの作品も
持っていた所に、この「日祷書」が加わった、という事になります。
ドメニコ・グリマーニが1523年に亡くなった後、この「日祷書」は他のたくさんの
芸術品と共に、甥のマリーノ・Marino・枢機卿の手に渡り、
彼の弟ジョヴァンニ・Giovanni・枢機卿を愉しませます。
とりわけジョヴァンニ(1506-1593)はドメニコ同様に芸術への深い愛情と
コレクションで知られた方で、
コレクションで知られた方で、
アクイレイアの大司教でもあった彼のヴェネツィアの邸宅、
サンタ・マリア・フォルモーザ教会近くにあるグリマーニ邸は見事な物で、
サンタ・マリア・フォルモーザ教会近くにあるグリマーニ邸は見事な物で、
現在博物館として公開されており、こちらでご案内を。
https://italiashio.exblog.jp/17382754/
https://italiashio.exblog.jp/17382717/
https://italiashio.exblog.jp/17382754/
https://italiashio.exblog.jp/17382717/
「グリマーニ家の日祷書」は実は購入者のドメニコ枢機卿の遺言で、
いずれヴェネツィア共和国に贈与される、という事になっていたのが、
暫くはグリマーニ家に留まる事を容認され、
1587年にジョヴァンニ枢機卿から、彼の大多数の古い200体を超す
彫像が共和国に贈られ、
彫像が共和国に贈られ、
「日祷書」は彼の亡くなった1594年に、サン・マルコ聖堂の行政官に、
そして聖堂の宝物館に、
1801年に現在のマルチャーナ図書館に渡された、という事です。
そして聖堂の宝物館に、
1801年に現在のマルチャーナ図書館に渡された、という事です。
実はあれこれ調べ読むうちに、「日祷書」を購入したドメニコの父親、
ドージェにもなったというアントーニオの面白い逸話をあれこれ知り、
書きたくてたまらなかったのですけどぉ、
・・脱線になりますし、今回は説明が多いのでまたの機会に、残念!
最初に有名なカレンダーが出て「日祷書」としての真価が後になりましたが、
つまりです、「日祷書」「時祷書」なるものは単なる細密画集ではなく、
きちんとした宗教的な「聖務日課書」でありますので、えへん、
最初の24ページにわたるカレンダーの後には、
死者へのお祈りや、聖人たちの事柄、旧約新約聖書のページもあり、
アダムとエヴァのお話、
受胎告知、
キリスト生誕、
磔刑、などのページもあり、
テキストはこの様に、右のページに2列に書かれ、
左ページには、上のカレンダーの様に総ページの絵があり、
左ページには、上のカレンダーの様に総ページの絵があり、
文の初めの頭文字は飾り文字で、縁どりの絵も見事な物。
ドメニコ枢機卿の手に入った時は、赤いビロード布で覆われた厚板表紙
だった物に、16世紀の中頃に付けられたと見られる表と裏のメダルの装飾。
だった物に、16世紀の中頃に付けられたと見られる表と裏のメダルの装飾。
銀に金メッキの縁と真ん中のメダルで、表にはドメニコ枢機卿の横顔があり、
裏側は彼の父親アントーニオ・ドージェになった、の横顔が。
裏側は彼の父親アントーニオ・ドージェになった、の横顔が。
カレンダーを始め細部の写真は、すべてマルチャーナ図書館の
サイトから引いたものですが、
他にもあれこれ余りにも見事なのが見つかったので見て頂こうと。
こちらは本の厚みの部分、全体は羊皮紙832枚にもなるという事で、
ご覧の様に綺麗に装飾されており、
ご覧の様に綺麗に装飾されており、
開いた時の様子はこんな感じ。
繊細で洗練された細密画で、全面絵画が50ページ、小さな画面が18と。
繊細で洗練された細密画で、全面絵画が50ページ、小さな画面が18と。
で、shinkaiの正直な感想を言いますと、カレンダー部分の絵には
余りにも「ベリー公のいとも豪華な時祷書」の絵が素晴らしく、好みで、
はぁ、模写まで始めた訳でして、
余りにも「ベリー公のいとも豪華な時祷書」の絵が素晴らしく、好みで、
はぁ、模写まで始めた訳でして、
どちらかというと「ベリー公」に軍配を上げ加減なのですが、
カレンダー以外の絵、例えばこちら、諸聖人の項目にあるらしい
「改悛のマリア・マッダレーナ」とか、
「改悛のマリア・マッダレーナ」とか、
これは上半身と、背後に斬首場面がうっすらと見えますが、どなたかな、
これなども多分上のマッダレーナと同じ画家の作と思いますが、
これなども多分上のマッダレーナと同じ画家の作と思いますが、
素晴らしく美しい、嫋やかな美が描かれていて、
如何にもフランドル絵画の美、北方絵画の素晴らしさ、良さを感じますし、
また、上記の開いたページに見える左側のマリア達の図でも分かる様に
全体の装飾の見事さ、
そしてこの図に見える縁取り装飾の植物や昆虫にしても細やかで、
まさに豪華で繊細、細密画の見事な「日祷書」だと思います。
全体の装飾の見事さ、
そしてこの図に見える縁取り装飾の植物や昆虫にしても細やかで、
まさに豪華で繊細、細密画の見事な「日祷書」だと思います。
という様にご紹介して来ましたが、一般には通常非公開の様で残念です。
マルチャーナ図書館のサイトはこちらですが、
という「グリマーニ家の日祷書(聖務日課書)・ブレヴィアーリオ・グリマーニ」
のご案内でしたが、
上手くご紹介出来ました様に願っています!
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