先月のトスカーナ行きの最後は、10年ぶりのシエナ訪問でした。
久し振りのシエナの建物の高さと、はい、何せ田舎者で、ははは、
街の立地の高低差を改めて納得した部分があり、
そんな事も含めてご覧下さいね。
街に南東方面から近づき、予定していた駐車場に至る道では
シエナの古い高い城壁が続き、わぁ~お!でしたが、
グーグルのストリーロ・ヴューで集めた写真をどうぞ。
シエナの古い高い城壁が続き、わぁ~お!でしたが、
グーグルのストリーロ・ヴューで集めた写真をどうぞ。
まず街の門ポルタ・ピスピーニ・Porte Pispini、ここは通りぬけず
右に、城壁に沿ってカーヴが続く道を上ります。
右に、城壁に沿ってカーヴが続く道を上ります。
門の近くにあった要塞風の張り出し。
こうして見ると城壁はそう高くも見えませんが、
運転する車の中からは見上げる感じなのですよ!
マンジャの塔と中心部がちらっと見えますが、この部分は多分近年に
削ったのでしょう。
ここが「サン・フランチェスコの駐車場」と呼ばれる場所で、中心街北西部、
サン・フランチェスコ聖堂背後の城壁の外の位置に。
ここを選んだのは、宿をとったインディペンデンツア広場に10分程で、
ここからだと坂道を上らずに済むだろう、という思惑だったのですがぁ・・。
ここからだと坂道を上らずに済むだろう、という思惑だったのですがぁ・・。
ついでにシエナの駐車料金について言いますと、
駐車場に車を入れ宿泊した場合、宿で申し出て、QRコードというのを
貰います。
つまり宿側が事務所に申請し、コードの付いたのを印刷してくれるので、
それを駐車場から出る際、料金支払い機に駐車カードを入れ、その横の
スキャナーにQRカードをかざすと、一旦出た料金が割引した料金に変わり、
カードにその旨が印刷されて出てきて、それで駐車場から出れるという訳。
駐車場に車を入れ宿泊した場合、宿で申し出て、QRコードというのを
貰います。
つまり宿側が事務所に申請し、コードの付いたのを印刷してくれるので、
それを駐車場から出る際、料金支払い機に駐車カードを入れ、その横の
スキャナーにQRカードをかざすと、一旦出た料金が割引した料金に変わり、
カードにその旨が印刷されて出てきて、それで駐車場から出れるという訳。
という事で、shinkaiの場合は、最初44エウロと出たのが33エウロに。
もうちょっと安くなるかと思ったのですが、ははは、最大割引が25エウロ迄で、
今回はともかく、やはりこういう大都市は街だけを目当てに
電車で行くのが良いですね。
もうちょっと安くなるかと思ったのですが、ははは、最大割引が25エウロ迄で、
今回はともかく、やはりこういう大都市は街だけを目当てに
電車で行くのが良いですね。
駐車して、道を少し行った先左手にこんな入り口があり、
ここからエスカレーターが続き、サン・フランチェスコ聖堂の横に出ると。
つまりここから入ると、長~い高~いエスカレーターが5段続き、
街の城壁の下をくぐり、
街の城壁の下をくぐり、
このサン・フランチェスコ聖堂の左横に出て来るのですね。
この辺りまるで来た事が無かったのですが、まだ聖堂は開いておらずで。
教会広場のすぐ前にこの門ポルタ・オヴィーレ・Porta Ovileがあり、
ここをくぐって街中に。
あんな長いエスカレーターを5つも乗り継いで上って来たんだから、
中心のカンポ広場辺りには下り坂の道が・・、と思ったのが大間違い!
デイ・ロッシ通り・dei Rossiはそう急な坂道ではありませんが、坂道!
そしてこんな高い建物の間をくぐる道となり、ああ、シエナに来たぁ、の実感!
バンキ・ディ・ソプラ通り・Banchi di Sopraに出て、
そしてトロメイ広場・Piazza Tolomeiの、シエナのシンボル、ルーパ・雌狼。
迷う心配も無しに無事到着の、宿をとったインディペンデンツァ広場。
チェックインを済ませ、国立シエナ絵画館・ピナコテーカ・Pinacotecaに。
勿論訪問する気ではありましたが、最初になったのは、
市の博物館も、ドゥオモ博物館も、サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ博物館も
どこもが10時から開館で、ピナコテーカだけが9時開館だったのですね、はい。
で、確かまっすぐ行けばピナコテーカだったっけ、とカンポ広場から歩きますが、
いや、こんな道ではなかったと思いつつ、ははは、
坂道の急な小路の面白さに惹かれ進み、
人通りも少ない道でしたが、やっと出会った若者に尋ね、
横道に入った所で、はい、シエナのピナコテーカ前。
今は2階しか展示が見れないが良いかという事でしたが、
shinkaiには2階の展示だけでOKでして、はい、殆ど一人観客で、
ロレンツェッティ兄弟を始めとする作品を、大いにゆっくりと愉しみました。
また改めてご案内いたしますね。
shinkaiには2階の展示だけでOKでして、はい、殆ど一人観客で、
ロレンツェッティ兄弟を始めとする作品を、大いにゆっくりと愉しみました。
また改めてご案内いたしますね。
通ったのはカンポ広場から東側の道を辿って来たのですが、
ドゥオーモ広場からだと真っ直ぐの道だった訳で、一旦ドゥオーモ前に。
10年前に来た時のドゥオーモはどこか覆いがかかっていた気がしますが、
今回はすっきりの見事な美しさを見せてくれ!
切符売り場なども整備されていましたが、午後1番に予約していた
ドゥオモの上に上る「天国の門」の切符を貰い、
また内部の上から見る床の大理石の模様などご案内いたしますね。
ドゥオモの上に上る「天国の門」の切符を貰い、
また内部の上から見る床の大理石の模様などご案内いたしますね。
サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ元病院、現博物館の見学は後にし、
まず裏側に回り、複雑極まる建物構造の裏側を見ましたが、
これもまた博物館のご案内の時に詳細を。
そしてぐるっと上り道を辿って出て来たのがこの門の外側で、門の名は
出ませんでしたが、道はスタッロレッジ通り・Stalloreggiと言い、
まっすぐ行き左に折れると再度ドゥオモ前に戻る道。
門のすぐ内側の左手の建物の壁に、
こんな碑がかかっていて、
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ ジョットーの先駆者
この家で1308から1311年に ドゥオモの祭壇画
我らの聖母 の 板画を描いた
これ以降は意訳で
現在シエナ派と呼ばれる、当時の素晴らしい時代の
記念碑たる作品である
この家で1308から1311年に ドゥオモの祭壇画
我らの聖母 の 板画を描いた
これ以降は意訳で
現在シエナ派と呼ばれる、当時の素晴らしい時代の
記念碑たる作品である
ドゥッチョのどの作品かと言いますと、この板にテンペラ画、211x426cm、
「マエスタ・Maestà・荘厳の聖母」
1878年迄は他に移動などの変遷を経てドゥオモ内にあったのが、
現在はドゥオモ博物館に収蔵のもので
現在はドゥオモ博物館に収蔵のもので
シエナ派の先駆者であるドゥッチョの最高傑作とされるこの絵が、
この家で3年間かかって描かれた、というのですね。
この家で3年間かかって描かれた、というのですね。
こういう碑に出会い、へぇ~!と700年前の出来事、作品を偲べると
いうのが、古い歴史ある街の素晴らしい所ですねぇ!
いうのが、古い歴史ある街の素晴らしい所ですねぇ!
実は今に残る上の写真部分の上に、尖塔状の飾りパネルもあったのが、
1771年にカステルヴェッキオというシエナの中心部から南にある
教会に移され、その際に上部が切り取られたりで散逸したのだそう。
で、ドゥッチョの祭壇画は1795年には再度ドゥオモに戻ったのですが、
その無くなった部分をヴィジュアル的に再現した姿がこれで、
その無くなった部分をヴィジュアル的に再現した姿がこれで、
1311年6月9日に、教会関係者や市のお偉方、市民挙げての荘厳な
祭列が行われ、祭壇に収まった時の姿ですね。
祭列が行われ、祭壇に収まった時の姿ですね。
この背面にもやはり同等の大きさの絵が描かれており、
その密な仕事には驚くばかりの作品です!
聖堂への道を辿りながら、横丁を覗いたり、窓の景色を眺めたり、
これは聖堂前から横の坂道を下った、洗礼堂前の広場周辺の様子で、
そろそろ早めのお昼にしようか、どこで、と気になりかけの頃、ははは。
午後ドゥオモの上の見学を済ませ、S.M・デッラ・サルーテ博物館も見、
ついでに博物館の上のファッチャトーネと呼ばれる上にも上がり、
2度も狭いらせん階段をぐるぐると上ってかなり疲れ、ははは、
おまけに雨となり、ちょうど良いと宿に戻ってシャワーをし少し横になり、
晩御飯時の前に雨が止んだのを幸い食べに出て、その後カンポ広場に。
夕暮れの陽が市庁舎の上部を照らしだし、
でもまだ広場には大勢の人、光景を楽しむかのようなワン君も。
一旦引き上げ、フォンテブランダ・Fontebranda通りの上をまたぐ
ディアチェート・Diacceto通りのこの部分に、夕陽を見に。
ここだと、カンポ広場の外回りのヴィア・ディ・チッタ通りから出る
フォンテブランダ通りのちょうど上に当たり、正面にサン・ドメニコ聖堂。
夕陽を見るのにちょうど良いかと思ったのですが、
まさにサン・ドメニコの後ろに沈む時期で、残念!
ですが、少しは空と雲の色の変化が分かるでしょう?!
雨燕がちーちーと鳴きながら飛び交い、時にヘリコプターも飛んで行く、はは、
シエナの夕暮れの空。
シエナの夕暮れの空。
かなり暮れて来たので、再度カンポ広場を覗きに。
ほら、月が出た空に、たくさん燕達がまだ飛んでいるのが見えるでしょう?
今回のシエナ訪問で最初に気がついたのは雨燕の多さと、その鳴き声!
勿論北にも燕は飛んでいますが、こんなに数が多くなく、
改めて、シエナは何か燕にとって住みよい場所なのかいな?と、ははは。
勿論北にも燕は飛んでいますが、こんなに数が多くなく、
改めて、シエナは何か燕にとって住みよい場所なのかいな?と、ははは。
レストランはますます繁盛中で、
広場に座り込む人の数も余り減っておらず、
店の明かりが広場の煉瓦を照らし。 イタリアの夜は長いのです!
引き上げて出て来たヴィア・デ・チッタのロッジャ・デッラ・メルカンツィーア・
Loggia della Mercanzia.
昼は薄暗いロッジャなので、立派なロッジャ、と見て通り過ぎるだけですが、
夜は明かりが点いて中の美しさが見えるので、覗いてみると、
夜は明かりが点いて中の美しさが見えるので、覗いてみると、
なんと、素晴らしい天井装飾が見えました!
15世紀に造られた商人達のアルテ・同業組合の建物ですが、
この交差ヴォールトの天井は16世紀の物だそう。
この交差ヴォールトの天井は16世紀の物だそう。
でこの位置する場所は、カンポ広場を巡る東、北からの道バンキ・ディ・ソプラ、
バンキ・ディ・ソットと、
中世の巡礼道ヴィア・フランチェージナはここを通っていたというのも知り、
ここは南に行くヴィア・ディ・チッタとの交差点になるのだそうで、
バンキ・ディ・ソットと、
中世の巡礼道ヴィア・フランチェージナはここを通っていたというのも知り、
ここは南に行くヴィア・ディ・チッタとの交差点になるのだそうで、
当時の商人達の力、裕福さを示すロッジャなのでした。
で、すぐそこのインディペンデンツァ広場に戻り、宿に、というシエナの一日。
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色鉛筆+水彩画ブログには、
ピエンツァのヴィッラ 途中経過と、 ピエンツァのビチ(自転車)風景 を
アップしています。
見てやってくださ~い!
http://italiashinkai.seesaa.net/
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