・ 糸杉の道 2本 ・ シエナのクレーター と オルチャの谷と


今日のご案内は、トスカーナはシエナのクレーターとオルチャの谷に
ある2本の道、糸杉のある素敵な道を。
まず最初はこちら、シエナのクレーター域に含まれるこの道です。

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この1本の糸杉と脇に見える雑木、そして中程で一度カーヴしながら
緩やかに伸びる白い道。

これはもう何年も前からどこにあるのかと探していたのですが、
今年5月のトスカーナに行く前に見つけたのですよね。
ちょっとした執念ですが、はは、最近は探し物が分かっていると
ネットで見つけられる、という有難い時代になりましたものね。




地図をどうぞ。 シエナから南に延びるSR2・州道2号線はローマに
向かい、イーゾラ・ダルビア・Isola d'Arbia、ルチニャーノ・ダルビア・
Lucignano d'Arbiaと通る道はサン・クイリコ・ドルチャに向かう
中世の巡礼道ヴィア・フランチェージナでもあり、

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今回はモンテローニ・ダルビア・Monteroni d'Arbiaから西に、
ヴィッレ・ディ・コルサーノ・Ville di Corsanoの手前から、
ベッド印の赤い点が付いた所まで行く道が探していた道で、
赤い菱形を付けた辺りに、あの糸杉が。

シエナの南東に見えるアルビア・Arbiaからの道がアシャーノに向かう、
東側がシエナのクレーターの中では一番有名な一帯で、

こちら一帯は今迄余り頭になかったのですが、知ってみるとやはり
アシャーノのコムーネに含まれ、見所がある地なのでした。




衛星地図で様子をどうぞ。 モンテローニ・ダルビアからの道は
下に見えるSP23号線で、赤点で北に曲がり、少し大きな赤点の所で
右に、糸杉の天辺を丸く刈り込んだ並木道に入ります。

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すぐに右手にある建物群は、テヌータ・コルサーノ・Tenuta Corsano
と言うアパート形式のアグリトゥリズモで、
そこを過ぎて行くと、赤い四角で囲んだ位置に糸杉が見えてきます。




緩やかな下り坂なのですが、も少し高くからの眺めが欲しく、
右手に張り出していた丘の端っこに上り、こんな様子。

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道の左手に広がる波打つ平野。 

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こちらは右手で、奥に見えるのが2か所のアグリトゥリズモ。

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快晴の日のお昼。 この広さの中を行く白い糸杉の道!

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この道は奥の2軒のアグリトゥリズモを過ぎると行き止まりになる道で、
奥から戻って来る車がもうもうと白い土煙を上げているのも見ましたし、
そう、トスカーナのストラーダ・ビアンカ・白い道! で、

いつもなら先まで歩いてみようかと思うのですが、
この日のひどい暑さと、ここに着く前に朝からずっと辿って来た道で、
あっちこっちと撮りながら来たので、それも大変素晴らしい道だったので、
いささかの気分疲れと、既に光線が上からなので、歩く気になれず・・。

元の道に戻り、少し先のヴィッレ・ディ・コルサーノを通り、
こんな要塞風の名残も見えましたが、

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本当はも少し北に見つけていた、僧侶たちの丘・Poggio dei frati
という要塞風僧院の名残を見に行くつもりでしたが、ナヴィに出ずで、
ヴィッレ・ディ・コルサーノで道を北に取る所が西に曲がった様で・・!

通りすがりに見つけたバールでお昼を食べ、ゆっくり田舎道を辿りつつ
宿に戻ったという様子でした。

なので、またのチャンスには朝の内に出直し、「僧侶たちの丘」にも
再挑戦しないとね、ははは。




さて、2本目の糸杉の道は、オルチャの谷のピエンツァの町の南にある
「グラディエーターの道」と呼ばれる道で、
  
衛星地図をどうぞ。  上に右に囲った部分が、ピエンツァの旧市街で、
左上がピエーヴェ・ディ・コルシニャーノ・Pieve di Corsignanoという
ロマネスク教会のある位置。

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自分の生まれた村をルネッサンス風にと、理想の町づくりを目指した
教皇ピオ2世が洗礼を受けた教会でもあり、そこから辿る道の中程が
映画「グラディエーター」の中のシーンに、という訳。

「グラディエーター」は一度見たのですが、細部はまるで記憶になく、
ただ映画のテーマ曲はとても素晴らしいので何度もね。

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ヴィデオの中にも上のサイトの写真にも出る、下の道で妻子が待つのに
上の麦畑の中を歩いて下るシーン、麦畑が広く広がるのにご注目を。




このグラディエーターの道はサイトで見た時に即一目惚れで、はい、
春のトスカーナ行きでは2度通い、というのも初回は曇り空の午後で、
歩いている途中から雨が当たり始め、
何とかお天気の日に、と2日後にまた行ったので、
写真は殆ど2回目訪問時の物からです。


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教会脇から下り坂を行きますが、これが物凄い荒れた下り坂で!!
しかも結構長いのです。 行きには時にずずっと滑りそうになったり、
戻り道にははぁはぁ、ぜいぜいと、ははは。

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余りに道が酷く、初回には脇の畑の草ぼうぼうの脇を歩きましたが、
下って行くとこんな風に道が見え、おお! 

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この糸杉が下り道の最後にあり、

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shinkaiはそこから少し下った所から、脇の丘によじ登り・・。
はい、ここにもやはり先人達のつけた獣道ならぬ「ひと道」があり、
ここからだと、こんな風に奥まで真っ直ぐに見渡せ、

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畑の中に点在する糸杉。 この糸杉の近くには、小道があるかと
思っていましたが、畑の中で傍まで行けませんでした。

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道の中程の糸杉のかたまり。

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こうして見ると「糸杉」と言っても、色々な姿なのが分かりますね。




見晴らす、丘を行く道。 かなりの高低差があるのですよ。

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そして道が行きつく、アグリトゥリズモのテッラピッレ。

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道はこのアグリで行き止まりではなく、向こう側に下るので、
また逆方向からの眺めにもトライ出来たらなぁ、と。




丘の向こうに広がる、黄色い花が咲き乱れた畑と、緩やかに広り
波打つ丘、そして手前の畑のトラクターの跡。

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よじ登った丘の上は一面の草原で、あれこれ可愛い花が咲き、

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でもね、ここは映画のシーンの様に、広がる麦畑ではなかったのですよ。




下の道を結構たくさんの人々が行きかい、イギリス人観光客と
見える人々や、家族連れもあれこれ。

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shinkaiも丘を下って、道を歩きます。

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振り返って見る、教会脇からの下りの道と糸杉。
ほらね、左に見える高い場所が、よじ登った丘の上です。

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ピエンツァの聖堂辺りがこんな風に見え、

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道はカーヴしながら、上り、下り・・。
それにしても、畑によって本当に緑の色が違うでしょう?!

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脇には、こんな風にポピーが咲いている所もあり、

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振り返って見る、もう一つ西にあるアグリトゥリズモ。

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トスカーナ初日の夜だったか、一帯は大雨だったのですが、
その名残がまだこんな風に残っていて、

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家族と一緒に歩いたワンちゃんの跡も。

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一旦緩やかな道となり、奥に目的のアグリが見えますが、
お天気が変わりやすく、雲が結構動き。

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西の中程に見えるクレーター、カランキと呼ぶ尖った方。

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振り返った眺め。 教会脇から下って来た道、よじ登った丘、
糸杉のかたまりがこんな高低差で見えます。

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shinkaiがよじ登った丘に、今2人程ポツンと見えますが、
ほらね、あそこは幅が広くない草原で、麦畑ではないのです。
なので、映画の中ではどこか別の土地での撮影の合成でしょうね。




こんな風に目的のアグリが見える所までで、満足して引き返します。

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糸杉の存在感、丘のうねりなどを愛でながら、

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雲がまた濃くなりつつあり、こんな空に。

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最後にもう一度名残の、グラディエーターの道。

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ここの麦秋、麦刈りの季節に、また来れるチャンスがあります様に!!


*****

色鉛筆+水彩画ブログには、
ピエンツァのヴィッラ 仕上げと、 ドロミーティ便り 2 セルジョの写真 を  
アップしています。    
見てやってくださ~い!    
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・ 想い出のアッシジ  長谷部さんの写真で


皆さま、暑中お見舞い申し上げます!

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日本は連日の猛暑が続き、それも40度近い所もあるそうで、
どうぞご自愛くださいますよう、お見舞い申し上げます。

***

先月リグーリア州はチンクエテッレの美しい写真を提供して下さった
長谷部さんにお願いし、この度はアッシジの写真を。

彼女は既に4回ほどもアッシジに出かけられ、春のお祭りの
カレンディマッジョも2回ご覧になったほどにアッシジがお気に入りで、
快く写真を送って頂きましたので、
書いて下さった想い出と共に、季節関係なしに、shinkaiが
写真の並び順を構成しましたので、ご了承願います。

アッシジと聞き最初に思い浮かべるのはやはり、スバシオ山の山腹に
細長く広がる町の西端にある、白く美しいサン・フランチェスコ聖堂。

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イタリアの守護聖人でもある聖フランチェスコ(1182-1226)を祀った
聖堂で、フランチェスコは没2年後に列聖され、即この聖堂の建設が
始まり、約25年という短い期間で完成したもの。

当時の民衆、フランチェスコ会派、そして教皇庁を含めての熱気が、
7世紀を経た今も伝わり、イタリアのみならず世界各国からの
参拝者が後を絶ちません。

フランチェスコ聖堂についてはこちらに その1
https://italiashio.exblog.jp/21867590/

アッシジ全体のご案内はこちらに
http://www.italiashiho.site/article/451267477.html




こちらは町の東端にあるサンタ・キアーラ聖堂。 フランチェスコが
説法を初めて後の早い内に彼の元に駆け付け出家し、
女子の為の修道会を設立したキアーラ(1193-1253)を祀ります。

この写真は山上の要塞・ロッカからの物ですが、

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こちらは聖堂前の広場から下って来た所からの眺めで、
町の石の特徴である白とピンク色の石を使っての縞模様で、
大変清楚な印象を与えます。

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サンタ・キアーラ聖堂から南に2km程オリーヴ畑の中の道を行くと、
フランチェスコがお告げの声を聴き修復したという、サン・ダミアーノ教会
がありますが、長谷部さんはこの道がとても気に入った様子で、
道とオリーヴ畑の写真が何枚も届きました。

これは9月に行かれた時の物で、この秋は寒かったらしいのですが、
既に黄葉が始まっていたと驚き、いつもこんなに黄葉が早いのかと。

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そうですね、イタリアと日本との季節はほとんど同じですが、緯度が
高く、温暖な地中海に面しているのとでほんの少し違いがある様で。

夏が長い時もありますが、大体9月の末には既にダウンを着ますし、
ですが日中は脱ぎ気をして調節という感じで、
そうですね、9月の末となると黄ばむ葉を見ますね。




道の東側はこんな風に下り、風景が広がりますが、
羊の群れがいた!と嬉しく興奮したそうで、確かに白いのが、はは。

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そうですよね、日本だと羊の群れを見る事など無いですものね。




道の脇に咲き乱れるポピーの花。

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そう、道の脇、畑の脇に赤いポピーの花が咲き乱れ、時に畑全体が
赤くなっているのもたくさん見かけます。




午後にこの道を下ると、射しこむ西日に木の葉が煌き、とても美しく、
テンションが上がったと。 分かりますねぇ、あの雰囲気!

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ここはもう既に、サン・ダミアーノの建物の塀沿いで、

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サン・ダミアーノ教会前に到着。
右側正面の壁に、以前の建物の跡が窺えますが、これが
フランチェスコと弟子たちが修復した当時の物でしょうか?

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その後ここにキアーラとその姉、そして徐々に集まって来た尼僧たちが
住み、クラウズーラと呼ぶ、生涯引きこもりの修道院生活の会を作り、
キアーラはここに60歳で亡くなるまでを過ごします。




背後に続く修道院の回廊部分で、素朴質素な建物ではありますが、
長い年月の間にかなり大きな建物になっていて、

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内部のフレスコ画、聖母子像と右は聖フランチェスコと思いますが、
左はどなた、彼をずっと援助したグイド枢機卿かな?

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受胎告知の天使、百合の花の白が美しい。

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右が聖フランチェスコ、左が聖女キアーラ。

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フランチェスコが亡くなった時、挨拶の為に彼の遺骸をキアーラの元迄
葬列が運んだのだそうで、それを読んだ時彼らの長い宗教生活を思い、
ちょっとジンと来ましたっけ。




アッシジの町から東に山道を4㎞程、海抜791mの高さに「カルチェリ」、
フランチェスコとその弟子たちが祈りと瞑想の為に引きこもったという、が
あり、長谷部さんは歩いて行かれたそうで、

この角度からの写真は初めて見ましたが、素晴らしいでしょう?!
苔むす屋根瓦も、周囲の緑も、如何にも瞑想の場所の様子で美しい。


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「カルチェリ」とは監獄の事で、本当は「カルチェリの隠者」と呼び、
自然の洞窟が幾つもあるここは、初期のキリスト教の隠者達も
通った場所なのだそうで、



現在見るこの大きな建築物は1400年以降に増築されたものだそうで、
フランチェスコたちが祈りを捧げた小さな礼拝堂なども含まれていると。

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中世からの面影のままを保つ美しいアッシジの落ち着いた町の佇まいは、
平地に広がる美しい田園風景と共に、上から見ると素晴らしいパノラマ。

これは要塞から眺めるフランチェスコ聖堂で、

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これは町の上の通り、メタスタージオ通り辺りからかな。
南に向けて、ずっと緑の野が広がります。

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町のドゥオーモ、サン・ルフィーノ前から見上げる要塞・ロッカ。

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shinkaiが初めてアッシジに行った30年以上前の要塞は、
半ば遺跡の様で、上から覗くと薄暗い床などが見えましたが、現在は
すっかり修復され、内部見学もしっかり出来ます。




町の中の壁のあちこちに、フランチェスコとキアーラ関係のフレスコ画や、
フランチェスコ関連の逸話が幾つも描かれていますが、

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下の狼に説教する逸話は、グッビオではなかったかなぁ、ははは。
アッシジではやはり、小鳥にお説教する図にして頂きませんとねぇ。




春に行かれた時の写真には、やはり花鉢の美しいのがあり、
右上の白い花のアーチはジャスミンと思いますが、

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薔薇の見事なのもあり。

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西日の美しい、これはきっとコムーネ広場からの下り道でしょうね。

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これはサイトから拝借の、も少し西のサン・フランチェスコ通りにある
ロッジャ・デイ・マエストゥリ・コマチーニ。

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壁に建設用のコンパスや、犬、ライオンの彫りも残る13世紀の物で、
ロンバルディーアのコモ湖周辺の建築の棟梁たちが、フランチェスコ聖堂の
建設に関わるのにやって来て、ここに滞在していたというもの。




現在は1階が宝石やアクセサリーの店になっていて、2階部分が宿で、
ここに長谷部さんが泊まられたというので、写真を是非、とお願いし
届きまして、

キッチンへの扉。

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そして部屋全体。調度も素晴らしく、ゆったりの素敵な部屋ですねぇ!

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はい、shinkaiには眺めるだけのお宿、ははは。




そろそろ夕暮れの陽の色となり、

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サント・ステーファノ教会の辺り、小さな鐘楼が可愛い素敵な場所。

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サン・フランチェスコ聖堂にも陽が灯ります。

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右下に兵隊の検問所が見えますが、テロ対策で、
shinkaiが2015年に行った時から見かけます。
とはいえ1人づつの検問がある訳でなく、駐在しているだけで、
これは下の広場でも、門の近くに。




もっと暮れて、空の色が美しく見える頃。 上の広場脇からと、

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これは下の広場から、回廊の明かりも灯り。

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想い出に残るアッシジのご案内はこれで終わりですが、
最後は、おまけにと付けて下さった、サント・ステーファノ教会近くの
塀の上の猫ちゃん。 

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ちゃんとご挨拶してくれてますね、 また来てねぇ!!


長谷部さんの写真によるアッシジ、如何でしたか?
shinkaiの写真とはまた別の趣で、ご案内もまたちょっと違ったかも。

でも、アッシジはいつも素晴らしい! 風景も、残る想い出もね。

この夏には北イタリアにお出かけとの事で、また写真を、と
お願いしていますので、別の土地のご案内もお楽しみに!


*****

いつもブログご訪問、有難うございます!

日本の暑さは大変なようですが、こちらは定期的に雨や嵐が来て、
日中の外は暑いものの、我が家はまだまだ涼しく過ごしています。

が、昨夕これを半分以上書いた所で、家の方はまだ全然雨も雷も
無く、少し薄暗くなって来たなぁ位だったのが、

突然プシュッという音と共にPCが消え、電気も時計も止まり、
有難い事に暫くして電気は戻りましたが、
あ~あ、書いていたブログの記事が全部消え・・!!

そうなんですよねぇ、ブロッコ・ノートを使っているのが、
これは自動で記録してくれないのですよねぇ。

何度か痛い思いをしているのにもかかわらず、ついついその都度の
記録クリックを怠り、今回は半分以上も書いた所で・・、ああ~ん。

その内に雷が鳴り雨も降りだし、一度雷にPCをやられた経験から
全部消し、早めの夕ご飯、お風呂と済ませると、もうダメで、ははは。

今朝早めに起きたもののまた雨と雷で、一時はどうなるかと思いましたが、
昨日のうちに調べ物も済んでいるので、ネットに接続せずにOKで、
お陰様で何とか仕上げることが出来、ここに、はい。

皆さまも、雷の時のPC使用には充分お気をつけ下さいねぇ。

*****

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霧の朝 描き始めと、 ドロミーティ点景 セルジョの写真で を  
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・ 「天国の門」 ・ シエナのドゥオーモ


先回は「ファッチャトーネ」、14世紀のドゥオーモ増改築計画の遺物
上り、シエナの街を上から見た様子をご覧頂きましたが、
今回は「天国の門・ポルタ・デル・チエーロ」と呼ぶガイド付き見学で、
ドゥオーモの上に上った様子をご案内です。

ドゥオーモの側壁と鐘楼がこんな様子で見えますが、
見学順としてはまず上に上り、ドゥオーモ内部を上から見る前に、
鐘楼の横に見えるクーポラの外回廊からの眺めを見ます。

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79段という、こんな狭いらせん階段をぐるぐると上り、

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出て来た所からの最初の眺めがこのファッチャトーネが見える位置。

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思い返してどうしても繋がらない記憶の部分がありまして、

らせん階段はドゥオーモの見学入り口扉を入った正面右脇、
つまりあれこれ読んで分かったのは、ドゥオーモ正面右にある
彫像のあれこれついた、少し張り出しの塔の中を上る階段だそうで、
これは下る時も同じ階段を通ったので確かなのですが、

最初に見た外の景色は、ドゥオーモ脇の後陣に近い部分なので、
らせん階段を上ってから後陣側に移動した事になり、
その部分の記憶がすっぽりとないのですよね、へへへ。

はぁはぁとらせん階段を上った後の、半ば意識不明の時に後部に
移動したのでしょうが、廊下部分を通ったっけ、と思い出せず・・!  
衰えたなぁ!という感慨、ははは。



これがファッチャトーネから見たドゥオーモのクーポラ部分で、
あの2層になった回廊の下を通ります。

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下から見ると、こんな様子の所ですね。

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回廊からの眺めはこんな様子で、脇からの支え壁と、
カンポ広場の端っこがちょっと見え、

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少し進んで、マンジャの塔とコムーネ宮の上がちょっぴり。
やはりファッチャトーネの方が高い事が良く分かります。

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回廊から見上げる鐘楼の壁!

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そして正面、ファッチャータの後ろ側がこんな風に。

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とにかく回廊の幅が狭く、グループの人数は確か20名でしたが、
いっぱいになり、先頭の人々がなかなか動かないので進まずで、
後ろの我々は早く動いてくれぇ、と文句をね、ははは。




回廊を北側に進んだ所から見たサン・ドメニコ聖堂。

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shinkaiはドメニコ聖堂の、この手前に見えるスペースに
入った事がなく、現在は柵があって入れませんが、
絵の師で友人の二木さんは昔ここからドゥオーモの眺めを、
遮るものなしで眺めた、とのメールを頂きました。

大体同じ時期にシエナを訪れているので、大人しいshinkaiは
柵があったか閉まっていたかで入らずの所を、・・彼は入ったんだぁ!




回廊から引き返し、屋根裏の部分を通りますが、
ここはちょっとした博物館式になっていて、右側には雨樋の
水の捌け口、動物たちの口を通して流れ落ちるものが見えます。

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そしてドゥオーモの内部が見下ろせる、ステンドグラスの部分!

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こんな風に、ちょうどドゥオーモの真ん中部分の上から見下ろします。

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シエナのドゥオーモの床の大理石模様は素晴らしく大きな図柄で、
余りにも大きなので、実際に近くで見ると遠近が付きすぎで
その全体の素晴らしさも良く分からないのが実情でして、

こちらが2つ見える下側の物で、「ヘロデの追放」。
ですが、ちょっと読んだだけの今は主題の意味がまだ不明で・・。

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そしてこれがshinkaiが見た時はカーペットで覆われ椅子が並んで
隠れていた部分の模様で、本来はこんな様子なんですよね。
これが見れるのは夏、多分最盛期の頃なんだそうで・・!

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窓が開いて下が見える様になっていたのは2か所で、たったの!!

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正面に見える壁の様子と、ステンドグラス。

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こちらが少し位置をずらして覗いた所で、全体が見える
ともっと素晴らしかろうと!!
でもやはり、違う目線で、それも高所からの眺めは素晴らしく!

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こちらが上に見える、「嬰児虐殺」の場面。

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閉まっているステンドグラス窓を外側から。

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これが屋根の下、内陣を回り込んだ部分にある博物館式の、
かっての建設に使われた道具類などで、

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1208年と書かれた板の字と、ちなみにドゥオーモ建設は
1220年から1370年で、 ずらっと並んだ釘の大小。

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明り取りの部分から、上の回廊部分が見え。

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そして、ドゥオーモの上を渡ります。 高さは22mだそうで、
正面の祭壇が覗きこんでやっと撮れる、という状態です。

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26-DSC09706_GF.jpg

というのも、正面祭壇が見える側は外側にネットが張ってありまして、
そろっと手を伸ばしてネットの上から撮ろうとしましたら、
ガイド氏に小声でシニョーラ!とたしなめられまして・・、へへ。

正面のあのドゥッチョが下絵を描いたというステンドグラスも、全体が
暗いので、こうして撮るとまるで色が飛んでしまい・・。



ですが逆に天井の柄、青空がだいぶ剥げていますが、はは、
星が近く見えます。 

27-DSC09707_GF.jpg



そして反対側、入り口側の眺めで、

28-DSC09704_GF.jpg



で、その上部、クーポラの内側。

29-DSC09705_GF.jpg

30-DSC09698_GF.jpg

こうして見ると正面にも窓が見えますから、一般公開はしていませんが、
きっとあの部分にも通路があるという事ですね。
そうですよね、工事や管理の方々が使っている通路がね。




我らは外側が見える部分を窓から覗き、そして今度は北側部分を
通って正面の方に行きますが、
情けない写真ながら、ははは、ご容赦、正面の裏側で~す。

31-DSC09712_GF.jpg



そしてまさに正面、ファッチャータに出て来まして、見えるのが正面広場と
サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ博物館。

32-DSC09714_GF.jpg



通るのは、こんな風に正面のたくさんの彫像の後ろで、
これも天使像の羽はこんな風に付いていますを、なちゃけない写真で。

33-DSC09715_GF.jpg


外で風景を撮る時は一眼で撮りますが、内部の暗い場所では
コンパクトのソニーの方が断然威力を発揮する賢いのを承知で、ははは、
今回の内部もすべてコンパクトで撮っているのですが、

何せ見学が急ぎ足で、全部で45分らしく、ガイド氏がさっさと
連れて回るので、カメラを取り換える余裕もなく、
コンパクトのオートで撮ると、手前のネットにしっかりピントという事で・・。



なので手前にネットがないと、鷲の頭が撮れますです、ははは。

34-DSC09728_GF.jpg



細い通路の天井部にある花の飾り。

35-DSC09716_GF.jpg



正面の内側の中央部に出て来て、内部装飾もちらっと見える部分で、

36-DSC09717_GF.jpg



ここから中央手前の床模様が見え、

37-DSC09718_GF.jpg



奥の祭壇迄の様子。  我々が渡った部分はこうして見える天井部への
アーチの奥側、照明で光っている部分の上、という事になりますね。

38-DSC09721_GF.jpg



ちょうどの真ん中から覗きこみ、

39-1-DSC09723_GF.jpg



一番手前の、「雌狼の授乳」シエナのシンボルですね。

39-2-lupa-allatta.jpg



と、下から3つ目「丘、山道の学園」とでも? 
タイトルの由来事項を知りませんで・・。 

40-Colle della Sapienza_GF.jpg



肝心の祭壇部の写真がボケまして・・、ご容赦で~す。

41-DSC09725_GF.jpg

42-DSC09726_GF.jpg




正面背後の通路を通り、

44-DSC09729_GF.jpg




狭いらせん階段を降り、「天国の門」から下界に降りた我々でしたぁ!

46-DSC09731_GF.jpg


「天国の門」への見学参加は予約制で、当日でもOKなのでしょうが、
確か20人の人数限定なので予約した方が確実と。

私は電話で予約し、その時に予約番号をくれますので、
当日切符売り場の1番に行き番号を見せ、切符を買います、20エウロ。
これでドゥオーモ内見学、ドゥオーモ博物館、ファッチャトーネもOk.

私の時はshinkai以外すべて英語人種のグループでしたので、
イタリア語が一人います、と申し出て喋って貰いましたが、
通り道が細く長い列になるので、そんなに説明も無しでしたし、
英語のグループでも大丈夫と思いますです。

案内サイトは https://operaduomo.siena.it/it/porta_del_cielo/
こちらに時間の事、連絡電話、アドレスがあります。


見学時間が短く、ゆっくり見れなかったのが少し残念ですが、
それでも普段は見れないドゥオーモ内部の上からの眺めは
やはり格別でして、
時間の余裕のある方に、是非、とお勧めします。


*****

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それもご了承下さいませ。

・ シエナのドゥオーモ博物館 と ファッチャトーネの上から


美しいシエナのドゥオーモの正面・ファッチャータ・Facciata と
イタリア語で呼びますが、それをまずご覧頂き、

1-C27_4663_01_GF.jpg



上の写真右奥に切れて見えるアーチの横はこんな様子で、
茶色の壁が見える所は現在シエナのドゥオーモ博物館に
なっている事は皆さんも良くご存知、見学もされた事と思います。

2-Nave_Siena_01_GF.jpg



で、その奥に見える高い壁、煉瓦壁むき出しの所、既に大理石で
化粧済みの所が混ざっておりますが、
ここがファッチャトーネ・Facciatone・大きなファッチャータ、
大きな正面、と呼ばれるもので、

3-1-C27_4717_GF.jpg

シエナが現在に残るドゥオモの建設を始めたのが1220年頃、
完成が1370年頃ですが、1339年にドゥオモの増築を決めます。




つまり現在あるドゥオーモが両翼となる形に、本廊部分を
もっと大きな形で造り、ドゥオーモのクーポラの高さで繋ぐ、
という増築案ですね。

この図の右側が、新しく建設される筈の本廊部分の計画だった訳で、

3-2-Pianta-Duomo-Di-Siena.jpg

現在残る真っ直ぐの壁以外に、半円形の回廊付きの後陣部分があり、
そして放射状に礼拝堂も出来る計画だったと。


工事に取り掛かり、これが現在残るファッチャトーネの装飾ですが、
既に見事な装飾が施されているのですね。

4-C27_4749_GF.jpg

5-C27_4750_GF.jpg



こちらがカンポ広場から見えるファッチャトーネの上部と、

6-S28_4816_GF.jpg



サイトで見つけた斜め上方からの背後の様子。

7-Facciatone_di_Siena_02.jpg

当時のシエナは10世紀頃既にローマへの通商路に位置する重要な街で、
12世紀前半ますます繁栄するシエナは教皇領との関係も良好で、
シエナの銀行家達は、ローマ法王庁の権限許可にも関わる程の力を持つ
存在だった様子。

つまり経済的に大変力を持った街に発展していた訳で、建設中の
ドゥオーモの形が見えて来た時点での、増築決定だった訳ですね。




現在のドゥオーモに接するアーチ部分で、右に現博物館の入り口が見え、
左のアーチの下に見える通路口は、

8-Arcades_de_la_nau_inacabada,_catedral_de_Siena.jpg



こんな風に階段を下り、下の洗礼堂入り口に続く道で、
外側には既に脇扉の装飾も完成しており、

9-C27_4719_GF.jpg



上部の装飾はこんな様子。

10-UmbSienaBaptisterium2.jpg

つまり1339年に増築が決まり、着々と工事が進んでいた訳ですが、
1348年、1357年とペストの流行があり工事が中断、

この後街は徐々に衰退の道を辿り、工事が再開される事なく、
1555年4月にシエナ共和国自体が、フィレンツェと組んだカルロ5世の
元に下ったという事になります。




というファッチャトーネの概略をお話した所で、
ドゥオーモ博物館見学方々上に上ろうと思い、まずは博物館に。

暗い中に各彫像に光が当たっている展示で、目に故障を持ちいささか
鳥目の感あるshinkaiは暗いのが苦手ですが、

まずこちらが、ドゥオーモの薔薇窓のオリジナル。

11-DSC09838_GF.jpg

1287年から88年にかけての制作で、
ドゥオーモの祭壇画「マエスタ」を描いたドゥッチョ・Duccioのデザインと。


ステンドグラスの作り方は現在は色ガラスの発展で、元のデザインに合わせ
ガラスを切り、ハンダ付けをするという割と手軽なものも出来るらしいですが、
13世紀当時はなかなか大変だった様子で、

この直径5,6mの薔薇窓の画のデザインはドゥッチョが描き、
その後ガラス師のマエストロが仕上がり可能な画にし、その後
色付け前のグリザイユはドゥッチョ自身がしたのだそう。

グリザイユ、というのは油絵をされる方などご存じでしょうが、白から黒への
濃淡のみで描く事で、レンブラントのグリザイユというと有名ですが、

ガラスへの着色の前にこれをする事で、立体感や深みを与えることが出来、
その後着色、縁を付け接触する、そして色の焼き付け、という仕事順で、
当時はやはり大変な仕事だった様子ですが、
ドゥッチョが手掛けたステンドグラスの仕事はこれが唯一だそう。




ドゥオーモ正面の様々な彫像の原型がここに展示されており、

12-1-DSC09839_GF.jpg

12-2-DSC09842_GF.jpg

13-DSC09840_GF.jpg



一番奥にあるキリストと天使の像は、上で見て頂いた新しいドゥオーモ
建設の脇入り口の、外側の上部、階段で下の洗礼堂に連絡する
あの扉装飾のもの。

14-DSC09841_GF.jpg



ここには様々な素晴らしい絵画もたくさん展示されているのですが、
朝からあちこち見学して歩いたshinkaiはいささかぼーっとしながら歩き、
この祭壇画は誰のだったっけ、や、素晴らしい櫃などを見ながら、

16-DSC09843_GF.jpg

追記シニョレッリさんがコメントで、上の祭壇画はグレゴーリオ・ディ・チェッコ
(14~15世紀にかけてのシエナ派)の「トロメーイの祭壇画」と教えて下さいました。 
 シニョレッリさん、いつも有難うございます!

17-DSC09844_GF.jpg



この女性像の顔も素敵だと思ったのですが、
着色の青色の剥げ加減が、ちょっと艶めかしいなぁと思ったりで、ははは、

18-DSC09845_GF.jpg

多分この隣の部屋がファッチャトーネへの上り待ち部屋ったと思いますが、
そこで2回分待ち、30人ずつ15分の回転でして、



この写真はドゥオーモの「天国の門」へのらせん階段ですが、
よく似たこんな階段、つまり壁の厚みの中を行くらせん階段を上り、

20-DSC09731_GF.jpg

ですがドゥオーモの階段よりも狭く、正面を向いて上れず、常に目の前が
壁いう状態で、おまけに前も後ろも数珠繋ぎではぁはぁと・・!!
上に上ってから、一体何段あるのかと係りの女性に尋ねましたら、
130段!なんですって。




これはドゥオーモのクーポラの横から見たファッチャトーネの上ですが、
確かに、拡張を決めた時に意図した通り、ドゥオーモよりは高い!!

21-C27_4758_GF.jpg

22-C27_4763_GF.jpg



上から眺めるドゥオーモですが、右に延びる屋根が現在の博物館、
そして接続部のアーチの上になる訳で、
左側の壁は現在県庁の建物になっている様子。

23-C27_4783_GF.jpg

蛇足ながら、上のファッチャトーネの写真を撮ったのは、
正面に見えるクーポラの回廊部分、2層になっている下側から。




ファッチャトーネの上の幅ですが、ほら、ご覧頂くと分かりますが、
1m程でして、本当に狭く、ここに我らの時は見学者が多く30人でしたから、
自由に歩くのもやっと、という感じでしたね。

24-edb--siena-su.jpg



おまけに曇り空になって、写真の色の発色が鈍いのがとても残念ですが、
こちらが南側の足元。 ここは34年前、ははは、に一度上った時の記憶に
良く残っている場所で、

25-C27_4784_GF.jpg

26-1-C27_4785_GF.jpg



その右手。

26-2-C27_4789_GF.jpg



サン・クレメンテ・イン・サンタ・マリーア・デイ・セルヴィ聖堂・
San Clemente in Santa Maria in Servi、南東に見えます。

26-3-C27_4797_GF.jpg

名前も長いですが、1255年から建設、1537年に完成という様に、
ゴシック、ルネッサンス、ネオゴシックと拡張ごとの年代様式の違いが
混ざった、ちょっと面白い正面をしています。

内部はこれも何度か改装されたすっきりした様子ですが、
正面は次回またシエナに行くチャンスがあったら、眺めに行きたいと。




こちらは南西側、ファッチャトーネのすぐ足元で、
下の写真は隣の県庁舎の中庭の壁。

27-C27_4787_GF.jpg

28-C27_4798_GF.jpg



そして東に見えるカンポ広場とマンジャの塔。 やはり素晴らしい!

30-C27_4786_GF.jpg

31-C27_4790_GF.jpg

ここの眺めが午後遅めの陽を浴びる時にと、時間も4時過ぎを狙って
上ったのでしたが、それまでお天気だったのが曇り空となり・・! 
クヤチイ。




カンポ広場の外れから北方面に視線を動かすと、ドゥオーモの壁。

32-C27_4793_GF.jpg

33-C27_4794_GF.jpg



そしてドゥオーモ正面のサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ博物館と、
ドゥオーモの上部。

34-C27_4796_GF.jpg

35-C27_4795_GF.jpg


それにしても、これだけのドゥオーモを造りながら、
もっと大きな本廊部分を増築しようと考えた、
13、14世紀のシエナの人々の意気!

当時にあって多分世界で唯一だったろうという、市民自身の希望による
自由主義な政治体制を組んでいた、というシエナ。
経済発展がシエナ派と呼ばれる絵画の美しい流れも生み出し、
意気軒高たる町だったのでしょうねぇ!


今回の最後は、
shinkaiはこんなカンポ広場を撮りたかったんですぅ! ははは。

37-Siena12_2.jpg

15分という忙しいファッチャトーネ上り下りで、130段のらせん階段を
上るだけでもかなりの大手間なのにね、

で、降りて来た時はドゥッチョのかの祭壇画も、ロレンツェッティ等も
見るのをコロッと忘れており、ははは、

雨もぱらつき始めたので、さっさと宿に戻ったという一日でしたぁ。
また行かないとね!

そうそう、上からの展望は、グーグル・マップで「facciatone di Siena」
と打ち込み、出て来たマップで、右下からストリート・ヴューの人型を
引き出し塔の上に重ねると、360度の展望を見る事が出来ます。
お試しを!

*****

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葡萄畑 途中経過と、 モンティキエッロの猫たち その2 を  
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・ シエナのパリオ 2018.7.2 TV中継から


今日はこの2日に行われたシエナのパリオの様子を、皆様に。
久し振りにTV中継を見ながら写真を撮りましたので、
あれこれ話題を交えながらご覧頂きますね。
今回は写真が多くなりましたので、ご覚悟の上、はは、どうぞ!

まずはシエナのカンポ広場の様子を。
広場周囲の桟敷席のお値段は、今年は確か490エウロとかでして、
shinkaiが見た10年前は400と記憶しておりますが、値上がり!

1-DSC00231_GF.jpg

2-DSC00232_GF.jpg

広場の真ん中の囲いの中は無料ですが、一旦入ってしまうと、
パリオが済む迄出れません!
この写真では、コースは既に時代衣装を纏った各コントラーダ・地区の
行列が済み、いよいよ始まる馬の疾走を待つ状態のもの。

シエナのパリオ、のパリオ・Palioとは優勝した地区に与えられる
絹の幟の事でして、パリオと名の付くお祭りは各地にたくさんありますが、
余りにも「シエナのパリオ」が有名で、他が霞んでいますね。




所で各コントラーダの騎手と馬は毎年クジ引きで決まり、
これが馬のクジ引きの写真で、

3-siena_tratta-e1435592065523.jpg




ガラガラを回し、こんな風に各コントラーダの馬が決まるのですね。

4-DSC00194_GF.jpg

5-DSC00192_GF.jpg

で、パリオの当日までに、6回だったかな、試走が行われ、
馬と騎手が相通じる様に。




この7月2日のTV中継は18時45分からという事で、ほんの少し早く
晩御飯を食べ、何年かぶりに中継を楽しみました。

以前は5時頃から中継が始まっていたのに、この時間となると既に
殆どのコントラーダの行進が済み、最後の行進の時間でしたが、
それでも、なんとも早、いつもの様にゆっくりとゆっくりと進みます。

オンダ・波、のコントラーダ

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アクイラ・鷲

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これは多分、パンテーラ・豹

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セルヴァ・林

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ブルーコ・青虫

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ジラッファ・キリン

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現在のコントラーダは全部で17ありますが、かって存在したものの
今はないコントラーダも6つかあり、その甲冑姿の騎士たちも。

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こんな風にゆっくりと、旗振りの演技も繰り広げながら行進を。

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こちらはカンポ広場の北東側にある建物の内の一室から中継放送の
お二人で、暫く見ないうちに長年知った中継係も変わっておりました。

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4頭の大きな素晴らしいキアニーナ種の白い牛に惹かれた牛車の上、
この7月2日用の「パリオ」が掲げられ、この牛車が行進の殿を務め、

19-DSC00226_GF.jpg



これは牛車上の、旗竿の飾り。

20-DSC00204_GF.jpg



今ガイアの泉の横を通り、後ろ一列に手をつないで歩く子供達の後ろ、
既に箒を持って掃除して歩く係りが続きます。

21-DSC00225_GF.jpg





今回の中継を見て驚いたのが、このパラッツォ・コムーネの傾き具合。
これは少し遠近がきつく写っているとは思いますが、
正面側はまっすぐ、と思っていたのに、カーヴが付いているのを知った事!

訂正:これはパラッツォ・コムーネではなく、広場の東北側にある建物、
RAI中継のお二人が居た建物でした。
そしてやはりパラッツォ・コムーネも、左右両側への広がり部分が 
幾らかカーヴしているのを確かめました。

22-DSC00200_GF.jpg

そして、ちらっと見えますが、このレース飾りと呼ばれる後ろの通路に
たくさんの報道陣がいるのですね、上がれるんだね、あそこも!




そして早速に「カーナペ」と呼ばれる、馬のゲート用の2本のロープが
張られます。

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サン・マルティーノの礼拝堂前で牛車を降りたパリオは、こうして運ばれ、

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出走・ゴール場所の斜め前、広場への通路の上に設けられた臨時の
通路、市長などの臨席場所、の横の壁に掛けられ、

26-DSC00236_GF.jpg

この「パリオ」は毎回、描き手が指名され、絹地に手描きの物。




パラッツォ・コムーネの前では、各コントラーダの旗手達が並び、
一斉に旗を振り始め、
最後はどのコントラーダの旗が一番高く投げられるかを競います。

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市庁舎の隣の扉、マンジャの塔への登り口のある四角い中庭で、
出番を待つ馬たち。

28-DSC00249_GF.jpg



広場の物音がシンと静まり、そして牛の筋肉の筋を干して作ったという
ムチを受け取りつつ、馬と騎手が登場!

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コムーネ宮の右側の桟敷は、各コントラーダの行進に参加した人々の席で、
その前を通り、各コントラーダの声援を受け、

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32-DSC00255_GF.jpg



スタート地点に。

33-DSC00256_GF.jpg



こちらが今年のモッシコーネ・スターターで、

34-DSC00280_GF.jpg

2本のロープ、カーナペで仕切られた中に入る順番は
出走直前のクジ引きで決まり、モッシコーネに届けられ、
それによって一つづつコントラーダの名前が呼び上げられます。

今年のゲート順は、内側から 1.オーカ・家鴨  2.タルトゥーカ・亀
3.ルーパ・雌狼  4.ニッキオ・貝殻  5.イーストゥリチェ・針鼠
6.ジラッファ・キリン  7.レオコルノ・一角獣  8.ドラーゴ・竜 
9.ヴァルディモントーネ・雄羊  
そして外から走り込んでスタートを決める10.キオッチョラ・カタツムリ
だったのですが、



今後ろ向きになっている薄いピンク色の9.ヴァルモントーネと、
一番左にいる2.のタルトゥーカが、今年は散々にかき回し・・!!

35-DSC00258_GF.jpg



こんな風にモッシコーネが馬たちの緊張をほぐす為にも、
一旦ロープから出すのが、4回もあり!!

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すると騎手同士の駆け引きがこんな風に行われ、
赤、黄、青色は、今年のスタートを切る役の10.キオッチョッラ。

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そして取り消しスタートが2度もあり!!

39-DSC00291_GF.jpg



馬は鞍なしの裸馬ですので、長い待ち時間の間に汗をかきますから、
外に出た時に世話係が呼ばれ、汗を拭いたりしますが、

40-DSC00279_GF.jpg

41-DSC00278_GF.jpg

右の緑のポロシャツの女性にご注目を。 
8.ドラーゴの世話係が女性でして、この役の女性は初めて拝見!




これは4.ニッキオの旗手ですが、ほらね、多分下着のランニングの所以外、
汗でぐっしょりになっているのが分かります。

42-DSC00286_GF.jpg

それに裸馬の為、馬の肌に当たるパンツは、馬に良いようにビロード
なんですって! そりゃぁ、暑いですよねぇ!!




そんなこんなで馬たちが登場してから約1時間!待ちまして、
8時半過ぎ、遂にやっとスタートが切られましたが、長かったぁ!!

43-DSC00292_GF.jpg




ほら、8.のドラーゴが良い走りだしを。

44-1-DSC00312_GF.jpg



カンポ広場の地図が見つかりましたので、どうぞ。

44-2-pista-palio-di-siena-.jpg

左上に見えるモッサ・Mossaの、大小のテントが見えますが、
その中間位にスタート・ゴール位置があり、
時計回りに回って来た右下のサン・マルティーノ・San Martinoのカーブ、
ここが下り坂の上に直角に曲がるので、ここが一番の難所で、
左下のカーブは上りのカザート・Casato. 
一周が333mのこれを3周、つまり1㎞の競争ですね。




サン・マルティーニのカーヴはいつも問題の難所でして、
厚いマットをびっしりと貼ってありますが、
今年も1周目に既に3人の旗手、ニッキオとヴァルディモントーネ、
そしてキオッチョラが落馬!

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46-Il-palio-Piazza-del-Campo-Siena-Italy-Philipp-Arndt.jpg

この3人落馬の内の10.キオッチョラの旗手は、肋骨を3本折ったとかで
かなり重体の様子ですが、命に別状はないと。




で最初から飛び出したドラーゴが先頭のまま逃げ切り、

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今3周目、パラッツォ・コムーネの桟敷前を通り、

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カザートのカーヴを回り、ゴール!!

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最初に駆け寄ったのは、ドラーゴの馬ロッコ・ナイス・Rocco Niceの
世話係の女性!!

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騎手はニック・ネームがブリオ・Brioという、今回6度目のパリオの優勝者。

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実は彼は中継番組中に流されるインタヴューにも出ていましたから、
最強の旗手だったのかも。
お馬ちゃんの方は、今回がパリオに最初の参戦だったそう。

今回の疾走のヴィデオは 
https://www.youtube.com/watch?v=WuFt882fXE4

馬達がコムナーレ宮から登場してからの疾走迄の様子、ゲート内への
順番籤の様子なども、2013年8月のヴィデオで。 38分ありますぞ!
https://www.youtube.com/watch?v=iC_V0KfuqRk

この時のは馬の並びが大変に素直で、ははは、
旗手を統制するスターターの声も良く聞こえます。
オンダ・波が勝ち、それからも延々と広場での熱狂が続きますが、
歌っているのが聞こえるのは、オンダのコントラーダの歌。

パリオは2番目以下はまるで話題にも上りませんですが、ははは、
今年の2着はオーカ、shinkaiが好きで何度か通ったあの道の
コントラーダでした。




馬と騎手を囲んで盛り上がる、ドラーゴの地区の人々。

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56-DSC00310_GF.jpg




上から降ろされた今年の「パリオ」の幟が、全コントラーダの旗振りに
囲まれ祝福を受け、2018年7月2日のパリオは終わりに。

58-DSC00316_GF.jpg

が、この後8月16日に、もう1回パリオがある、という、シエナの夏!!

お馬ちゃんたちの疾走以外、カンポ広場全体の雰囲気を味わうのに、
2014年8月のですが、こちらを




所で、パリオが始まる前に恒例の、カラビニエーリ・軍警察の騎馬団の、
抜き身の剣を突き出した突撃体制で走る行事がありますが、

59-download (1).jpg

これは実際に目の当たりに見た時のみならず、TV中継で見ても、
すっと鳥肌が立つくらい素晴らしいのですが、




実はこの7月2日、最初の1周目の緩やかな行進の時に、最後列にいた
カラビニエーリの1人が馬が棹立ちになり振り落とされ、おまけに体の上を
馬がゴロンと転がった、という事件があったそうで!

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このカラビニエーリは意識朦朧のまま病院に運ばれ、命に別状はないものの、
右の肩甲骨に怪我をしたそう。




このニュースはネットで読んだのですが、様子を読んでいる内に、
こんな写真も見つかり、ちょっと不謹慎ながら可笑しく、ご覧に入れますね。
いつのパリオのか分かりませんが、どちらも怪我が酷くないと良いのですが・・。

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突撃行進は全速で走り、サン・マルティーノのカーブの手前の出口から
退場していくのですが、下り坂で勢いが付いたまま、前の馬との関係で
出口の位置を誤った様子で、
・・つい笑ってしまうほど、写真の瞬間迫力は凄いものですねぇ!!




で、もひとつ話題が続きますが、昨年7月2日のパリオから、
この騎手団団長に未だかってなかった女性団長が任命され、
中尉のファビオラ・ガレッロ・Fabiora Garelloさんが務めているそうで、

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本番前日のリハーサルはどうやら市民に開放されている様子で、
コムーネ宮前の桟敷には子供達が招待されているので、違いが分かります。

で、白いお馬ちゃんのお尻にご注目を!
カラビニエーリのシンボルである、羽の付いた帽子が見えます。


という様なシエナの夏、7月2日のパリオの様子でした。
久し振りにあの熱狂を思い出し楽しみましたが、
それにしても今回は、あのスタートまでが長かったぁ!!


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・ シエナの朝  カンポ広場からサン・ドメニコ聖堂へ


7月になりましたぁ! 早くも今年の後半に入る訳で・・!!
関東地方は既に梅雨明けし、真夏日が続いているそうですが、
皆さまどうぞ、暑さ負けされぬよう、ご自愛くださいませね。

今日は先回に続き、シエナ点描、シエナの朝の様子をご覧下さいね。

時間はまだ8時前のカンポ広場。
晴れてはいますが、この時間まだ雲の隙間からの光が射しこんでおらず、

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たくさんのアマツバメがチーチー鳴きながら飛び交い。

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ガイアの泉を覗きましたら、たくさんの鳩たちが集まっており、

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中には本格的に、朝の身づくろいにシャワーを浴びているのもいて、ははは。

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漸くにパラッツォ・コムーネに当たる陽。

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所でカンポ広場は、このパラッツォ・コムーネを底辺とし扇形、
というよりも貝殻状に広がりますが、
10年前のマンジャの塔に上った時の写真でご覧頂きますと、
こんな感じに広がり、 ・・マンジャの塔の影の中に集まる観光客、ははは。

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パラッツォ・コムーネの真ん中の位置が一番低く、左右に高くなりつつ広がり、
今見える正面の広い部分の中心が一番高くなる、という形。
ですから煉瓦が敷かれている広場に降る雨は、
すべてパラッツォ・コムーネの中心に向かって流れ下る訳で、




これが今回改めて見たパラッツォ・コムーネ前の、雨水の行方の穴。
結構ちゃんとした造りになっているでしょう?!

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とここ迄書いてきて、カンポ広場についてむくむくっと疑問が湧き、
いつ出来た、どの位の広さ?なんぞと、泥縄式で読んでみました、ははは。

最初に「カンポ・畑、広場」とシエナの歴史に出るのは1169年だそうで!
土地の購入が始まり、家畜や穀物類の市が開かれ、まさにここは市民たちの
集会に最適の場所だった様で、市としての使用が13世紀半ばまで続き、
1262年になり、広場周辺の改良についても対策が取られるようになり、

周囲の建物は、間を大理石の小柱で繋いだ2連か3連の窓を付けるのが義務付け、
テラスの建設は禁止、周囲から広場への12の連絡道の完全化などなど。
そうなんですね、既に13世紀に街の美化対策が考えられている訳で!

こうして13世紀末から14世紀の初めにかけて、現在広場の周囲に
見られる建物類が整えられて行き、

現市役所であるパラッツォ・コムーネが出来たのは1298年から1310年、
白く見える部分は大理石ですが、後はすべて煉瓦作り。
102mの高さのマンジャの塔の建設は1325年から1348にかけてで、
四角の角は完全に東西南北を指していると。

で、広場の煉瓦敷きは1333年から始まり翌年完成で、
所で広場は平たい石によって9つの細長い形に分けられていて、
これは当時の行政を司っていた「9の政府」にあやかっているのだそうで、
広場周辺の長さは333m、外側の舗装は1347年から48年と。

・・ふ~む、こんな事を読み書いている内に、だんだん明日行われる
7月2日のパリオが気にかかって来ましたぁ! 
ここ数年TV中継を見ていませんが、久しぶりに見て見ようかなぁぁぁ・・・。
パリオの前日 https://italiashio.exblog.jp/8296168/




広場東側から見た眺め。 陽が射し込み、行きかう人もまばら。
観光客はまだおらず、いや、ほぼshinkaiのみ、ははは。
こうして見ると、広場全体の傾斜の様子が良く分かりますね。

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広場周辺の西側を囲む建物類と、正面に見えるドゥオモの鐘楼、その右に
ドゥオモのクーポラの頂上、そして道の隙間にちらっとドゥオモの後陣の窓。

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そして左に、前日午後に上ったファッチャトーネの四角い細長い煉瓦の塔。

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ここは、広場の西端の道、ドゥオモへの道筋に当たり、パリオの日には
この道の上に渡り廊下式の橋が架かり、市長などの臨席場と。

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この日は広場を北西に抜けたのですが、建物の隙間から見える
マンジャの塔の背後、こうして見るとやはり高いですねぇ!

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バンキ・ディ・ソット通りを行きますが、何せ月曜日の朝8時過ぎ!
通勤通学の人々が忙し気に行きかう中をカメラを手にふらつくのは、
やはりいささかちょっとね、ははは。

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で、また通い慣れた、はは、この道迄やって来て、
朝日の当たるドゥオモの後陣窓、鐘楼と、手前の建物を見、

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開けた位置から見る、古い建物の重なりと、

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正面のサン・ドメニコ聖堂。  これからサン・ドメニコに向かいます。

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ベッケリーア・Beccheria通りを下りますが、いつもながら、この高低差!!

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ベッケリーア通りはすぐガルッツァ・Galluzza通りと名前が変わりますが、

嬉しい事に朝歩きへのご褒美か、朝日の射しこむ眺めを見れましたぁ。

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シエナ生まれの聖女、サンタ・カテリーナの生家跡。

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一旦道の一番低い所まで下り、そこから今度は上りになりますが、
カテリーナの生家跡は、手前の柵の見える所で、
この辺りから見えるドゥオモの眺め。

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辿って来た道はこんな感じ!

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そしてここで懐かしい煉瓦壁に再会。というのも、シエナへの3度目の訪問の
1990年夏に1か月間シエナに滞在した時、この壁をスケッチしたのですね。

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今見ると壁が洗われ明るい色になっていますし、右の大きなドアは新しく、
左に切れて見えるドアの内は、昔は無かった店になっておりました。
今見ると、なんでこの壁を描いたんだろ? ははは、と思うのですが、




古い28年前の写真を探したのがこれです、ね、壁が真っ黒でしょう?!
でも、左の細いドアは変わっておらず、

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右の大きなドアはこんな様子で、白く見える上部は薄い緑色の剥げかけで、
そんなのに興味を持ったのだと思います。扉前の煉瓦敷きは新しくなり。

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イタリア旅行は3度目でしたが、初めてスケッチ・ブックを持って歩き、
シエナ滞在の1か月間は午前中は語学学校に通い午後は街歩き、日曜は
バスで周辺の町を見て回り、その後の1か月少しをあちこち旅行し、

これがイタリアへの憧れに輪をかける事となり、ははは、
縁がありイタリア在住になった、という切っ掛けでもありました。




上の壁の前にこの建物の下をくぐるトンネルがあり、あの出口の端っこに
座ってスケッチをしたのでしたが、この壁も描きましたっけ、
懐かしい、ははは。

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この道はサン・ドメニコ聖堂へ続く道で、抜けるとこんな風に聖堂が見え、

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でも何もなかった道の右側はすっかり整備され、新しいモダンな
ピッツェリーアなどがオープンしておりました。




で、この道を上って行くと、この光景が開け!

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また少し進み、角度が変わった広いパノラマが続き、
この辺りの様子も少し絵の中に描きこんだことがありましたっけ。

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チッタ通りから眺めたフォンテブランダ・Fontebranda通りを逆に。

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朝日に浮かぶドゥオモの上部。 

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マンジャの塔方面。  左の高い塔はどこの?と探しておりますが・・。

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サン・ドメニコ聖堂の横からだと、位置としては申し分ないのですが、
残念な事にちょうどど真ん中に色杉が立ち塞がり・・!
で、横からドゥオモの正面部分のみを。

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今はシエナの長距離バスの発着はグラムシ広場に移っていますが、
昔28年前は、ははは、サン・ドメニコ聖堂脇の道が発着場となっていて、
フィレンツエに行ったり、戻った時はサン・ドメニコ聖堂脇から、
いつもこの素晴らしいパノラマを眺めたものでした。




サン・ドメニコ聖堂の壁に掲げられた、この地区の旗ドラーゴ・竜。

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ここ後また中心部サリンベーニ広場・Salimbeniへの道を辿りましたが、
やはり通勤の方々が足早に歩く様子に怖気付き、ははは、
カンポ広場に戻り、市博物館の切符売り場に並んだ、という様子でした。


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