・ n.2 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の

先回に引き続きパルマのトッレキアーラの城、5世紀を経て今もその美しさと堅固さ、
そして城に秘められた中世の愛人たちの物語が語り継がれる城のご案内を。

先回は東南の塔の2階に位置する有名な「金の寝室」の半ばでお終いになりましたが、
まずは部屋の全体が想像出来るこれを見て思い出して頂き、

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壁の下部は陶板5種類の柄で装飾され、その上部が半円形で、2人の姿と
なれ初めからのお話を物語る4面のフレスコ画で、

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その上部が帆型というのか、十字に天井部のボールト部分に続き、絵柄は4面とも
ビアンカ・ペッレグリーニ (1417-1480)が、ピエール・マリーア・デ・ロッシ2世
(1406-1468) の持ち城を巡礼姿で訪ねて回る、という物なんですね。

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ビアンカの姓がペッレグリーニ・Pellegrini、つまり「巡礼」を表す事からでしょうが、
杖を持ち、幅広い帽子を背に、マントを纏い、貝殻も見えるそうで、まさに巡礼姿で、
ピエール・マリーアを求めて彼の城を訪ねて回る姿。

描かれている城はその細部の状況からよく特定できる様子で、16城が描かれ、
いずれも背後の奥にはアッペンニーノ山脈が見え、そこから川が平野に流れ、
農業が盛んな様子や植物群なども詳細に描かれていると。



フレスコ画の中央の2人の姿や城も素晴らしいのですが、shinkaiにはボールトを
支えるこの肋骨というのか、この部分の細工の繊細さと豪華さにも魅せられました。
大変に手の込んだ細工が施され、色も大変鮮やか!!

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これは先回も見て頂きましたが、中央部の2人の姿の脇には愛のキューピッドが遊び、
各背後にもピエール・マリーアの城が描かれており、この場面はトッレキアーラで、

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ベネデット・ベンボによって描かれた壁画の2人の姿と城ですが、これはとりもなおさず
ピエール・マリーア・デ・ロッシ2世の、素晴らしい勢力をも示されている訳です。

後16世紀末に城自体の改築も行われた事は先回に書きましたが、他の部分も
あれこれと後の幾多の城の持ち主による現在の姿への改築の変遷にもかかわらず、

この「金の寝室」のみは改装されず、20世紀の初めまで手つかずで残っていたと
いうのですね。 つまり出来の素晴らしさは誰もが認めたという事で。

所が1911年に国の記念物に指定される直前の1909年、当時の持ち主であった
トルローニア公爵・Torloniaが国に売り渡すまえに、調度品一切を持ち去り、
陶板から金箔を取り除いたのだそうで・・! せこい!

という事は先回書いた様に、単に陶板の重なるハート部分に金箔が張られていた、と
いうよりもっともっと多くの部分に金箔が使われていた、という事なのかも、ですね。
いやぁ、少しは金箔が残っているかと、結構目を近づけて眺めたのですが、ははは、
本当にピカッというかけらも残っていませんでしたから、長年の間にやられたのかと
思っていたのでしたが・・! 



この扉から、西に続く各部屋に連絡しますが、なんとも厚い壁で!

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ここから西には大きな部屋が4つ続き、フレスコ画は16世紀の末の物とみられ、
つまり2人の後の時代の物ですね。

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「金の寝室」から順に、暁の間、

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真昼の間

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黄昏の間

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そして、夜の間と続きます。

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剥落が酷かったりする部屋もあったですが、残った部分に見える人物の動きが
面白かったりしましたが、一応の様子を見て頂き、



部屋の扉、やはりこれも後の時代の物と。

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2階の内庭に面してのロッジャート、廊下部分で、

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内庭にある井戸を見下ろし。 井戸の深さは66mと。

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で、一番西端の部屋を出て、ぐるっと内側に回り込むように入った所からテラスが見え、
ガラス扉があったのでちょっと押してみると、なんと開いて! テラスに出れ、

「金の寝室」の外にもテラスが見えたものの、出れるとも思わず試しもしませんでしたが、
このテラスに出れたのは嬉しかったですねぇ。

ご覧の通り広いテラスで、

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快晴の、東から西への眺めを楽しみました!

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これは西の外側の城壁を修理している様子。

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東側のもう一つのテラスがこんな風に見え、

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あの内側に「金の寝室」が。



見下ろす、城の坂下からの入り口の門。

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2階の西側からはこんな風に細めの階段が1階に続き、

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途中でまた「金の寝室」を見に戻ったりしたものの、すっかり満足して、ははは、
階段を降りて後は厩舎を見て後、素直に来た道を戻り、城外に出たのでしたがぁぁ、



実は1階部分に見ていない部屋、大広間がたくさんあったようで!!

これは今回ブログの為に調べていて分かった事でして、ははは、
でもね、どこにも入口らしきものが見えず、扉にも入れそうな印も見えずで・・!
夏の、見学者が多くいて、出入りする姿が見える時期なら分かったのかもですが、
我らは見ずに帰った部屋の写真を少し。

台所もあり、これは1階の台所の様ですが、地下にも台所があり、召使たちの住む
部屋もあるのだとか。

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そして、勝利の広間の天井画。

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蔓棚の広間。

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紋章の広間。

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風景の広間、と呼ばれるグロテスク模様の部屋。

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これらはいずれも天井部が樽型と呼ばれる形の部屋で、後の時代の装飾ですね。

まぁ、負け惜しみかも知れませんが、shinkaiは城の守備態勢の見事な構造と
佇まいの美しさ、そして「金の寝室」を見れただけでも本当に満足でしたので、
残念とは思っとりませんで~す、はい。



さてこちらは城から下って来て、坂下からの最初の門を入っての東側にある、
ふるくからの村落部、または家臣たちの住居だったのかもの古い住居の固まりで、
道が2本通る家並が残ります。

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ハム類や土地のお菓子を売る店が一軒店を開いており、他はワイン販売店の
様なのもありましたが閉めていて、



可愛い猫ちゃんが一人、ご挨拶を。

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集落から見上げる、お城の東南の塔。 あのテラスの内側に「金の寝室」が。

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所で、ピエール・マリーア・デ・ロッシ2世がトッレキアーラの城を建設したのは1446年
からで完成は1460年、単にビアンカとの愛の巣の為のみではなく、パルマ一帯の
敵対する領主たちに対する守備堅固な、14年間をかけての城建設だった訳ですが、

実は1440年頃ミラノのスフォルツァ家の宮廷で知り熱愛し始めたビアンカを、
ピエール・マリーアがパルマの自分の領地に連れて帰り、トッレキアーラの城建設の
後に造った城、ロッカビアンカ・Roccabiancaという城があります。

地図をどうぞ。 一番南にトッレキアーラの城があり、

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こちらロッカビアンカは北のポー河に近い所にあり、デ・ロッシ家の本拠である城もある
サン・セコンド・San Secondoからそう遠くありません、10km程でしょうか。

この地はピエール・マリーアの一番の敵であったパッラヴィチーノ家に対する要所であり、
彼をお気に入りだったフランチェスコ・スフォルツァから1449年に改めて領地に拝領し
築いた要塞・ロッカで、1450年から1465年にかけて建設。

トッレキアーラの城建設の1446~1460年に重なる訳で、デ・ロッシ家の財政の
豊かさも想像できますが、
ロッカビアンカという名は、そこに住むようになった愛人のビアンカからとも、
要塞の外側をピエール・マリーアが白く塗ったからだとも言われますが、はは、

こちらです。

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ビアンカはこの城で冬を過ごし、トッレキアーラは夏の住まいだったのだそうで・・!
トッレキアーラの方が寒いから、というのではないと思うのですね。 
なにせポー河の近くですから、マントヴァの様に霧が発生し、寒かったのではないかと。
となると、本城に住むピエール・マリーアから近いからとか?と・・。



そしてこちらがデ・ロッシ家の本拠の城、サン・セコンドの城。

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以前、まだ城訪問前に書いたトッレキアーラの記事に、当時読んだままに、どこで
読んだものか今回探しても分からなかったのですが、

ピエール・マリーアの妻、7歳年上のアントーニア・トレッリは良く出来た妻で、夫が
ビアンカを連れて戻ると、自分は修道院に引きこもった、という様に書いていますが、
今回読んだ所ではこれは無かった様で、すぐ近くに愛人の住む城がある、という事にも
よく耐え、最後までサン・セコンドの城に住んだ様子で、1468年62歳で亡くなります。

彼女の慎重さと忍耐を讃えた唄もある様で、ピエール・マリーアが戦傷した時なども
しっかりと傍らで尽くした妻だった様で、彼女が亡くなった後も愛人のビアンカとは
結婚せずのままでしたから、その辺りは若い頃とは違い、熟年となった後の2人の
それぞれの気持ちは、後年の我々は勝手に想像するばかりですが・・。


ビアンカは、ピエール・マリーアと知り合った時、23歳、既に既婚で2人の子があり、
3人目の男子オッタヴィアーノは多分ピエール・マリーアとの子であると言い、
後にフランチェスカ・Francescaが生まれていて、1480年頃63歳でトッレキアーラで
亡くなり、城内の教会に葬られます。

一方ピエール・マリーアの運命、またデ・ロッシ家の運勢は、ミラノ大公であった
フランチェスコ・スフォルツァが亡くなり、長男のガレアッツォ・マリーア、残忍な圧政者として
知られ後に暗殺、の後まだ幼いジャン・ガレアッツォ・マリーアの摂政の1人ともなる程の
重要人物になりましたが、

ジャン・ガレアッツォ・マリーアの叔父ルドヴィーコ・イル・モーロが実権を握ると大きく変わり、
イル・モーロはピエール・マリーアと敵対する側と手を組み、1480年遂にミラノ公となると
デ・ロッシ家は反逆者とされ、1482年スフォルツァの軍がサン・セコンドを取り囲み戦争に。

ピエール・マリーアは既に69歳、健康状態も良くなく、が息子のグイドともに良く戦い1年間
持ち堪えます。 そしてロッカビアンカの要塞が落ちた後秘密の抜け道から担架に乗り
武装兵に囲まれてトッレキアーラの城に移った後1482年9月に亡くなり、
城内の教会に既に葬られていたビアンカの傍らに。


デ・ロッシ家の子孫のその後ですが、当然反逆戦争で負けた後は財産没収、
追放となりますから、主として戦ったグイド・Guidoなどはヴェネツィアに逃げ、
これが可笑しいのはピエール・マリーアはかって5度もヴェネツィア共和国との戦争に勝って
いますが、彼らがミラノ公国を相手に戦い始めると、国境線の問題となりますから、
ヴェネツィア側は大っぴらには軍を出さないものの、財政的にずいぶん助けたのだそうで、
ヴェネツィアに逃げたグイドは貴族の位も与えられますが、1490年に亡くなります。

先回サン・セコンド侯爵ピエール・マリーア・デ・ロッシ3世の、パルミジャニーノ描く肖像
ご覧に入れましたが、ちょっとややこしい話ですが、
この方はピエール・マリーア2世の長男ジョヴァンニの、父親と意見が合わず喧嘩も多く、
長男ながら父親から廃嫡追放され、フランス王に仕えていたのが、
イル・モーロが失脚した後ルイ12世から領土を返却して貰い、サン・セコンドに戻り
1502年に亡くなった、その孫に当たり、つまりピエール・マリーア2世のひ孫に当たる方。

12世紀に始祖を持ち、パルマ一帯に散らばるたくさんの領土を持っていたデ・ロッシ家
ですが、一番長く続いた直系に当たる家系も1825年に、他にもペルージャ、ナポリ、
ラヴェンナ、マンドヴァ等に散っていたロッシ家もすべて消滅しているとの事。

という、戦乱の時代を傭兵隊長として戦い、生き、また大いなる愛の人生を生き抜いた、
とshinkaiは思いますが、ピエール・マリーア・デ・ロッシ2世とビアンカ・ペッレグリーニ、
そして妻のアントーニア・トレッリのお話、
そしてその舞台となった、美しいトッレキアーラの城のお話でした。



最後は、お城を出てから少し下った下の道を行き、見上げた姿を。
同じ道の先にやはり同じような撮影のための車が2台止まり、撮っておりました。
これはねぇ、もう見えたら撮らずにはおれませんよねぇ!

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そしてサイトから、照明された姿と、夜の写真をどうぞ。

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今回はあれこれ読む資料が多く大変でしたが、知る事がとても楽しかったです。
長いお付き合い、有難うございました。 楽しんで頂けました様に!
そしてチャンスがありましたら、是非お出かけ下さいね!!

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s図書館はがき両面.jpg

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応募、そしてその入選経験も度重なり、どんどん発展しつつある味埜さんの
初めての個人での昨品発表会です。

どうぞお知り合いの方にもお勧め頂き、お出かけご覧頂けるよう、
私からもお願い申し上げます。

 
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記録庫ブログには、  
シエナとその周辺 を 7記事  スコミーゴ村 を 2記事
アップしております。
ご訪問よろしくお願い致しま~す。

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色鉛筆+水彩画ブログには、
猫ちゃん の絵の手直し と、 イワシのサオール、ヴェネツィア風レシピ を  
アップしています。  
見てやってくださ~い!    
http://italiashinkai.seesaa.net/

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