・ n.2 ベルガモ行き 世界遺産の街 ・ まぐさ市場~コッレオーニ礼拝堂

先回は突然の日本行きの件で、始めていたベルガモ行きの様子が中断しましたが、
お陰様で引きかけていた風邪も何とか大丈夫となりましたし、
1週間途絶えていたお絵描きもやみくもに再開し、夕方には草臥れ果て、
夕食の後は即ベッド行きの日が続いていたのですが、そんないわば禁断症状からも
無事抜け出し、以前の通りの平常生活の様子となりました。

お陰さまです、有難うございました! 今後ともよろしくお願いいたします。

で、今回はベルガモ・Bergamoの2回目、元のフランチェスコ修道院、地図13の
ベルガモ歴史博物館から、南にある「まぐさ市場・メルカート・デル・フィエーノ・
Mercato del Fieno」に。

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広場の周囲を取り囲む建物類は時代を示す古い家並なのですが、とりわけこの北側に
3つ並んだ塔の建物はひと際目を引きます。

高台に町が開け、周囲を城壁で取り囲み一層要塞化されると、増える住民たちの家を
確保する為にどうしても高くならざるを得ず、という所で、
右が4階までの様ですが、真ん中の塔に至ってはひょっとして6階か、7階にも
なったのではないかと!



町の地図をもう一度どうぞ。
下真ん中の太い緑線で囲った、ケーブルカーの駅から14の要塞へ、そして13の歴史博物館
迄を先回ご案内しましたが、13の前の左側に付けた緑の点2つが「まぐさ市場」の位置で、

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7の横に見える高い塔の横を通り、2、3、4、1辺り、ベルガモ・アルタの中心地に向かいます。



道はずっとこういった丸石舗装の、写真素材には良くとも、はは、歩きにくい道が続き、

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「まぐさ市場」は一旦建物でくびれ、また隣の広場に続きます。
左奥に見える高い塔が地図7にある塔で、道は少し上り道に。

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道の十字路、見事に十字が決まっているでしょう?! ここがローマ期の縦横碁盤目の
道が残っている所なのだそうで、直線が向こう側ヴィア・サン・ロレンツォ・
Via San Lorenzo、手前側がヴィア・ゴンビト・Via Gombitoで、左右に横切るのが
ヴィア・マーリオ・ルーポ・Via Mario Lupo.

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右側に見えるのが、



この高い塔で、トッレ・デル・ゴンビトと呼ばれ、現在はここに町のインフォメーションが。

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12世紀に建設の、この古い町の中世には中心であった通りの角で、名前のゴンビトの
由来はラテン語で十字路、ベルガモ訛りでゴーミト・gomito、肘の意味になるのだそう。

幾世紀にも渡る間に塔の所有者はたくさん変わったそうですが、常の塔の様に
所有者の名で知られるのではなく、存在する通りの名に関してが通称となっている、
というのも、もともとが町の重要な位置にあったからなのでしょうね。

かって町には30以上もの貴族の持つ塔があったそうで、勿論闘争防御の為で、現在の
高さ51,6m、元は64mあったのが19世紀に倒壊の危険から切り取られたそう。
19世紀に街に贈られ、長い修復の後2010年から一般公開されていて、
263段の石段を上ると、街で一番高い塔の上からの眺めが楽しめるそうで~す。



こちらがマーリオ・ルーポ通りの上り坂で、一番上に張り出して見える半円筒形が、
現在のベルガモのドゥオーモの後陣部。

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ちょうどこの4つ辻の所、高い家並が取り囲み、小さな広場は陰になるのですけど、
その分、こんな風にフレスコ画の残る2階の窓に、向かい側の空が煌いて映り込み・・。

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街のドゥオーモ、中心広場に続くマーリオ・ルーポ通りの家並。

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ゴンビトの塔の隣、少し高くなった所にかっての共同洗濯場・ラバトイオがあり、

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既に今は使われてはおらずですが、街のシンボルの一つ、観光の目玉となっている、
大理石の2列になった槽が並び、屋根も鉄薄板のリバティー風のモダンな物。

かって19世紀末にあった古い水道施設が老朽化し、1884年にチフスが蔓延した時に
新しい水道施設にすると共に、1891年衛生的な共同洗濯場を設けたのだそう。




さて坂道を上り切り、この半円の後陣部を回り込むと、

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こんな風に、サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の素晴らしい後陣部と鐘楼が見え、

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右側に続く長い壁が、街のドゥオーモの脇壁である事などまるで頭に浮かばず、はは、
早く前に進みたいばかりで、ガイドさんが説明している前を一応遠慮姿勢であちこちと!

後陣手前に見えるのは、確か貯水槽と。



奥のこんなくびれた小路を右に抜けると、

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サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の脇入り口があり、 右奥に見えるのは洗礼堂。

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正面に回ってくると、美しい聖堂主入り口の柱廊式玄関・プローティロがあり、1353年、
一番下の円柱の下にいるライオン像、ヴェローナ産の赤い大理石のライオン像に因み、
レオーニ・ロッシの扉・Porta dei Leoni rossi と呼ばれ、
その横にコッレオーニ礼拝堂が並びます。

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この入り口はドゥオーモ広場に面している、聖堂の左脇の位置ですが、常の正面入り口側に
司教館があるので、ここが主の入り口役をしていて、南西側にもう一つの入り口が。



柱廊式玄関は3層になっていて、一番上に真ん中に聖母子像と、サンテステーリア・
Sant'Esteriaとサンタ・グレータ・Santa Greta.

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中の層、中央に騎馬像のサンタレッサンドロ・Sant'Alessandoro、ベルガモの守護聖人、
そしてサン・バルナバ・San Barnabaと、サン・ヴィンチェンツォ・San Vincenzo
またはサン・プロイエッティツィオ・San Proiettizio だそう。

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下の天蓋部分の天井と円柱飾りの様子。

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一番下の両脇の円柱を支える、ヴェローナ産大理石のライオン像。 口元などかなり
擦り減り、お尻も長年さすられたかで、赤い色が良く見える様に!

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このサンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の内部も午後拝見し、外側のロマネスク様式
とはまるで違う、デコデコのバロック様式になっているのに驚きましたが、
これは次回にご覧頂きますね。



で、今回とても楽しみにしていた、「コッレオーニの礼拝堂・La Cappella Colleoni」.
写真も勿論自分が撮ったのがあるのですが、買って戻ったパンフレットに素晴らしく美しい、
光線を上手く使い、浮彫具合が良く分かるのがありましたので、それをご覧下さいね。

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このコッレオーニの礼拝堂と呼ばれる霊廟は、当時ベルガモの領主であった
バルトロメーオ・コッレオーニ・Bartolomeo Colleoni(1395-1475)が自分と娘の
霊廟とし、聖バルトロメーオ、聖マルコ、そして洗礼者ヨハネに捧げた礼拝堂として、

1472年から1476年にかけ、つまり彼の晩年に建設にかかりますが、亡くなった後も次々と
豪華な装飾を重ね、ジョヴァンニ・アントーニオ・アマデーオ・Giovanni Antonio Amadeo
の設計によるルネッサンス様式の素晴らしい傑作と言われる物。



四角な建築物の上部には、八角形の丸天井部分が重なり、

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正面の菱形の装飾は白と赤、黒の大理石、真ん中に薔薇窓があり、

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「幸運の輪」を現す薔薇窓の、周囲の細やかな装飾にも目を見張ります。

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これは薔薇窓の上部の左右にあるメダルの中の人物像で、シーザーと、こちら右は
トライアヌス帝だそうで、傭兵隊長として成功した彼の目指す人物でもあったでしょうか。

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それにしてもこの人物像の表現、首がぐっと長く大変モダンな感覚の物で、後世に
加えられたものにせよ、この礼拝堂の不思議さにも思えます。



さて内部は写真禁止でしたので、買って戻ったパンフレットの写真でどうぞ。

正面入り口を入ると四角な部屋があり、その真正面上部にコッレオーニの騎馬像の姿、
木製に金を塗ったもので、礼拝堂の中で一際目を引く素晴らしい物で、
この写真を撮れずにパンフレットを買ったのでしたぁ。

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騎馬像の下に見える石棺にはバルトロメーオの遺骸はなく、どこに?とあれこれ憶測が
あったようですが、1969年11月21日に、床下に安置されていたのが見つかっています。



これは正面に向かっての左手の壁にある、お気に入りの娘メデーア・Medeaの廟で、
1470年3月16日15歳没、と言うと、バルトロメーオが60歳の庶出の娘だった様ですが、
如何にも清らかな優しい少女だった様子が窺えます。
 
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こちらは礼拝堂の右に張り出した祭壇部分。

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そして霊廟部の天井の装飾で、1732年から33年にかけては
ジャンバッティスタ・ティエポロ・Gianbattista Tiepoloも加わっての物で、

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バルトロメーオが如何に豪華な霊廟を望んだかが良く分かる建築物に。



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所でこのバルトロメーオ・コッレオーニなる傭兵隊長ですが、ベルガモ近郊の生まれで、
既に彼の生まれた当時一帯では名の通った家柄、傭兵隊長の家系だった様子で、
ソルツァ・Solzaの城で生まれています。

が彼が9歳の時に父親パオロは従弟たちに殺害され、幼い時から苦労し、とはいえ、
14,5歳の騎士見習いから始めた軍事の仕事でメキメキ頭角を現し、遂には
ヴェネツィア共和国に雇われ働く様になり、後一時ヴィスコンティ家でも働いたものの、
やはりヴェネツィアの元に。

名声と共に大変豊かにもなり、遂には10万ドゥカーティを寄贈する代償に
サン・マルコ広場に自分の騎馬像を、と要求するまでになりますが、
ヴェネツィア政府は上手く丸め込み、同じくサン・マルコの名前を持つ
「スクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ」の本部がある
カンポ・サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場に設置する事に。

この広場に、かのレオナルド・ダ・ヴィンチの師匠ヴェロッキオ作の
「コッレオーニ将軍騎馬像」があるのは皆さんも良くご存知の事と。


所で「コッレオーニ・Colleoni」という姓ですが、もともと一族の姓であり、
コリオーネ・Coglioneと名乗っていた事もあり、これはまさに、ええとです、
お玉ちゃんの事でして、へへ、

彼はこの姓を大変誇りにし、兵たちにも戦の際に怒鳴らせ、敵を恐れさせたり、
複数系にしてCoglioniとなると、バカとか間抜けの意味にもなるのですが、

彼バルトロメーオはお玉を3つ持っていた、という事でして、はぁ、

礼拝堂の前面にある鉄柵には彼の家紋がはめ込まれているのですが、
家紋には3つのお玉と、上にある百合の花はアンジュー家の百合で、

お玉ちゃんの部分が「幸運を運ぶ」と皆に撫でられ、ピカピカに光っていて! あはは。

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こちらは前に位置するベルガモの街のドゥオーモですが、この様に改装され新しい正面で、
正面の石段には遠足の中学生たちがたむろし、

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その横には一階部分がロッジャになったラジョーネ宮・Palazzo della Ragione、
かっての政治の中心、があり、左に見えるアーチを潜るとベルガモ・アルタの
中心にあるベッキア広場・Piazza Vecchiaに抜けます。

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ヴェッキア広場側から見る、トッレ・チーヴィカ・市塔への上り階段と、塔。

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そしてヴェッキア広場の真ん中にある泉、コンタリーニの泉・Fontana Contarini.
周囲を鎖をくわえたライオン像と、ぐるっと巻き付く、何の動物かな、に
取り囲まれたスフィンクス。

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ラジョーネ宮に向かい合う形の白い大きな建物は、市の図書館アンジェロ・メイ。

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で最後は、ちょっと駆け足になりましたが、広場の石畳に映るカフェの席を。

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という事で、もう一度次回、ベルガモのn.3を続けま~す。


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・ 飛行機の旅 ・ 急な日本行き

いつも定期的にブログを更新していますので、今回3日ほど遅れているのを
!?と思われた方もおいでの事と思いますが、実は日本に行っておりました。

月曜18日の午前プールに行き、戻ってお昼ご飯、そして2時頃PCをつけましたら、
淡路島の姉がお世話になっている市の関係の方からメールが入っていて、
突然亡くなられたのでご連絡くださいとの事で、即連絡を取り、
お葬式が20日である事も知り、では飛行機の切符を取り、行きます、で、
翌19日の早朝ヴェネツィアを発ち、パリ経由で20日の朝関西空港到着の切符を。

関空を使ったのは出発に1度だけで、到着して淡路に行くにはどう行くのかを調べ、
鞄に荷を詰め、近い友人に事情を話し、お金を下ろし、駐車場の予約とバタバタし、
朝6時20分発のパリ行きに乗るために、朝まだまだ暗い3時20分に出発し、
いつも利用している駐車場に車を入れ、そこから空港まで送って貰い、チェックインを。

という様な事での突然の日本行きではあったのですが、旅は旅で、コンパクトカメラで
撮って来た、ちょっとした飛行機の旅の写真をご覧下さいね。

ヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港は徐々に工事が進行しており、出発ゲートも移動
していますが、一応ゆったりの時間で自分の出発ゲートにまで行き、

まだ夜明け前の飛行場の色。

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席は窓際。 搭乗し、そろそろと動き出し、

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ぐぅい~んと飛び上がって見えた、教会の塔の傾きからブラーノ島と分かる島。

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そして、ヴェネツィアのラグーナ・干潟。

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振り返って見るヴェネツィア方向へのラグーナ。

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ウィーンへのオーストリア機はプロペラ機なので、ゆっくりとラグーナの上を移動しますが、
パリ行きのエール・フランスはジェットで、あっという間にラグーナの上を飛び、

目の前にアルプス連峰が迫って来て、

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雲の上に出て暫く飛ぶうち、雲が滝の様に落ち込むのも見たり、なんでこうなるの?

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アルプスの山はいつ見てもやはり凄い!

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アルプスを越え、暫くして緑の平野が広がり始め、

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多くの車が忙し気に走る道も見え始め、

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これはシャルル・ド・ゴール空港間近。

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8時15分に着地し、ゲートに向かって進み、

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あの鉄骨の尖ったゲートの先は、外から見るとこうなっている、という・・。

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ちょうど1年前の東京行きでは恨みの残る、空港内2Fから2Eへの移動でしたが、
今回は端っこに止まったせいか、地下連絡道ではなく高架の通路で移動もすんなりで、
エール・フランスのすっきりのデザイン機が並ぶのも余裕で眺め、ははは。

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空港では5時間近くの待機があり、ヴェネツィアからは確かスナックが出たと思いますし、
13時10分出発の後暫くすれば食事が出るとは思うものの、

ちょっと見えにくいのですが、yo!活 と出た看板見えますか?
あの前を通った時、海苔巻きやらお寿司やラーメンの丼が並んでいるのが見え、
これは時間潰しにも、ちょっと生き返るにも必要だなぁと・・、へへ。

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中で調理に働いている女性は皆肌の黒い方々で、2人程フランス人が見え、
カウンター席の中には細い小さな回転が回っていて、
目の前を動いて来た、右がサーモンの刺身で、左が海藻の甘いポン酢のかかったもの。

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メニューを見ると日本のビールがあり、サッポロと頼むと、大きな缶ビールしかなく、
小さいのを頼むと出て来たアサヒの瓶で、ああ!と一息つきましたです。

メニューに写真入りであった、手巻きのサーモンとアボガドを頼むと、
今ないというので、これでお終いにし、
広い窓の外の通りがかる飛行機の写真を撮りつつ、時間潰しをし、



いよいよゲートが開き、乗り込む飛行機に向かい、

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隣の足元に見えた、赤と白黒の斜め格子。 必要な色分けなのでしょうけど面白く。

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エール・フランスのお昼ご飯。 右下からイモサラダ、左は魚の味噌煮、と
書いてありましたが、味噌がどこに、というお味で、嬉しかったのは
上真ん中の実なしの味噌汁! エール・おフランスでも味噌汁が出る! ははは。

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朝食が出て、左下、ホウレンソウらしきものが入った卵焼きと、その上が
飲むヨーグルト、右下の緑色はリンゴのムースでした。

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関空到着、席が前方ですぐに出られ、預けた荷物もなんとじきに回って来てOK、
すんなり空港を出て、両替をしJRの電車乗り場に。切符売り場は満員の列が少しづつ
前に動き、やっと買えると思い値段表を見ると、神戸以降は切符売り場にどうぞと!

うん、もう! 入口の列に並んでいると、この列は団体のお客様で、どちらに?と
尋ねてくれ、明石まで。 ではそちらに、と言われ行くと、緑の窓口となっていて、
係りの物凄いテキパキ女性に、緑ではなく明石行きを、と言うと、7~9の窓口で、と。

じきに番が来て切符も買え、調べていた時刻の電車に乗れ、大阪で乗り換え明石まで。
明石に着き港まで歩き、12時20分発の岩屋行きに。 昔中学の頃夏に遊びに来ていた
岩屋迄は1時間近く掛っていたのが、現在は13分! 取りあえず市役所まで行くと、
そこにお世話になっていた係りの男性が待っていてくれ、葬儀場まで。

到着すると既に親戚の方々が来て下さっていて、お上人様も。
我が家は日蓮宗なので、それが分かってから最初は別の宗派にお願いしていたのを
替えて下さったのだそうで、有難い事でした。

小さい頃から8つの年の差で余り親しくなかった姉との仲で、最近でこそちょいちょいの
電話でしたが、長く離れて暮らしており、でもやはりお棺の中の顔を見た時は
ちょっとほろっと・・。 苦しんだ顔ではなく、私とは違い色白でふっくらと。
ちょうど3月4日に誕生日を迎えた80歳で、年にも不足はなかったと思います。

デイ・サーヴィスに行って戻った夜に突然倒れての死だった様で、翌日夕方に発見され、
警察の検屍もあったのですが、異常な事件性はない、という事で、掛かりつけの
お医者様の死亡診断書も書いて頂き、死亡届、焼却許可も出て、順調に。

トレーナー・スタイルで出かけ、せめてズボン位は、と替えを持って行きましたが、
時間もなく、そのままお上人様と今後の事も打ち合わせをし、お葬式も即始まり、
焼き場迄運んで後の骨上げまでの時間を、車で市役所の打ち合わせ等に連れていかれ・・。

骨上げで出て来た姉の真っ白な骨を見た時、骨ってこんなに白いのか、と驚いた程で、
まぁ、病気はしていなかったという事よ、と皆さんが言って下さり、
小さな骨壺を抱いて、お上人様の御寺まで行き、秋の納骨迄本堂にあずかって頂く事にし、
それから集まって下さった皆さんと一緒に会食もさせて頂きました。

お願いしていた生前後見人の方、市役所関係の方の大変なお力添えで一応のお葬式も
お陰様で無事に済み、私の宿題も一つ済みホッとしています。

後まだ細かい手続きも、2日で何とか片付く筈が、思いがけない書類が必要な事も分かり、
秋の広島での個展の際に、という事で間を置く事になりましたが、

急な出発で宿も探して頂いたものの見つからず、岩屋からは少し離れている後見人さんの
お宅、ご自宅近くの空いている大きな素晴らしい日本家屋を提供して頂いたりで、
本当に感謝の、突然の姉の死に伴う日本行きでした。



戻り23日は朝11時の関空発のKLM便でアムステルダムに。 そしてパリと2回乗り換えで、
最後はエール・フランスでヴェネツィアに。

KLMの朝ご飯。 下が魚とご飯の上には何か肉も乗っていて、上がサラダと、
チョコレート・ケーキ。

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お昼ご飯、ブレご容赦。 上にチーズがかかったピラフ風と、上にサラダとフルーツ。
たまにはと、赤ワインを頼みましたら、一口飲んで顔をしかめる程美味しくなく、
いつも飲んでいる我が家の安いワインの方がよほどましなお味で。

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アムステルダムで乗り換え、パリ行きに。 隣が凄い大きなお腹を抱えた中年シニョーレで、
shinkaiが真ん中で、窓際が空き。 扉が閉まるのを待って窓際に移動し、
少しでも間が空いて良かったと思う間もなく、彼は後ろを向きスペイン語で何か言い、
ありゃと思う間もなく、これまた真ん丸中年シニョーラが来て真ん中の席に!!

この時は小さな可愛い紙箱に入った、ハムを挟んだ小さなパンと、クリームを挟んだ
これも小さなウェハース、お水とセットになっておりました。


17時45分発で、窓の下にはこんな風に蛇行する運河? 道が見え、

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ぐ~っと方向転換で機が傾いた時に見えた、夕陽に光る翼の下のエンジン部と、雲の流れ。

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パリ上空を通り、

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シャルル・ド・ゴール空港近くから、飛行場の上。

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そして到着。 同じヨーロッパ圏なので2F内での移動で、まるで問題なし。

F30のゲートで、グーンと伸びる一番奥が搭乗口。 

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2時間20分程の待機で、近くの半地下にあったネイチャー・キッチンなる所に。
後はバールと、ウィーンのケーキとティーのお店なので、shinkaiにはここしか無し。

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で、スコットランドの朝食という、サーモンの切り身と下は茹で卵を切って混ぜた物、
結構いけました、そしてハイネッケンのビールを。

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上の一枚と共に天井部の鉄骨のデザインが良いなぁと思うのですが、

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開いた部分、暗い空を背景に、下が映り込み、

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F30のゲートは一番奥で、これは逆に見た入り口方向。

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それにしても2Fのゲートは、ヨーロッパ内を飛ぶ小型飛行機が主で、大陸間のジャンボと
違い乗客も少ないとはいう物の、一つのゲートに用意されたスペースがとても狭く、
椅子も少ないので座る席もなく、若い人など床にじかに座っていて、歩くにも不便な程!

待っていて、ゲートが開いたのを幸い、飛行機内で待った方が楽と、うっかり乗ろうとすると、
へへへ、チューリッヒ行きで、コードをちゃんと読んでくれた器械が止めてくれましたぁ。



ヴェネツィア行きの飛行機。 これでやっとお家に帰れる、やれやれ。 乗ってすぐ、
機体が動き出さない前に意識不明となり、途中で寒くて目が覚めコートを体にかけて、
再度意識不明に。 

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1時間40分の飛行を終え、23時にヴェネツィア着。 駐車場まで運んで貰い、
自分の車で我が家に1時15分に到着。
という、急な日本行きの飛行機の旅の様子でした。


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・ n.1 ベルガモ行き 世界遺産の街 ・ ロッカ、ベルガモ歴史博物館

今日から2回、または3回になるかも、先日グループで行って来た
ベルガモ・Bergamoの様子をご覧下さいね。

撮ってきた写真は650枚ほどあり、まだ全部整理できずにいますが、
まずは2回分には充分な整理は出来ましたので、へへ、
様子も調べながらご覧頂きます。

まずは朝7時に我が町コネリアーノを出発、一路高速を西に走り始めた所。

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地図をどうぞ。 コネリアーノ・Coneglianoからベルガモ迄高速で2時間半、
途中で1度朝食休憩を取りますから、まぁ大体10時過ぎには到着という予定、

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だったのですが、途中で8kmに渡って高速が停滞、というニュースが入り、
ヴェローナ北・洋梨形のガルダ湖の東、オレンジ色の高速が交わる所で
高速を降り、西のブレーシャに向かって地道を迂回し始め、
所が同じように迂回する車が多くノロノロ運転となり・・、

結局ベルガモには予定より1時間ほど遅れ、11時過ぎに到着となり、
滞在時間が短くなったのが残念でしたが、
大変良いお天気に恵まれ、風は強いものの、大いに楽しむ事が出来ました。

ベルガモは2回目の訪問ではあるのですが、28年前はどこをどう歩いたものか、
中心の広場辺りは記憶がありますが、まぁ、初めての訪問と同じですね。



コネリアーノと南西側のかっての国境、ピアーヴェ川・Piave、この冬は雨が
50%ほども少なかったそうで、その為もあり、河原だけのピアーヴェを渡り、

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春の気配が増してきた畑の中の農家、木立を見つつ、

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ヴェローナの手前、ソアーヴェ・Soave、白ワインで有名なソアーヴェの
城壁と城を見ながら、

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ヴェローナ・Veronaの手前、北の山並みに見える雪。

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ちょうど迂回しつつ、ガルダ湖が垣間見える一帯は雲が厚く、がっかりでしたが、
高速に戻って西に抜けるとまた良いお天気となり、皆にこにこで、

ブレーシャ・Brescia辺り、畑仕事も始まっている様子が見え、

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遂にベルガモが見え始め。 ベルガモはブレーシャから北西に45kmに、
ミラノからは北東に46kmに位置するそう。

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そうそう、ベルガモ空港があり、名をカラヴァッジョ空港、というのをすぐ傍を通り
知りましたが、我らのバスのすぐ上をグイーンと。



ベルガモに到着し、平地に位置するベルガモ・バッサ・新市街を抜け、
歴史、観光の中心ベルガモ・アルタに行くのにフニコラーレ・Funicolare駅に。
途中、信号で止まって見えた満開の白い花。

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フニコラーレ駅の前で待っていたガイドさんと会い、早速にケーブル・カーに。
可愛い赤い2両繋ぎが左右交互に、ベルガモの上の町と下の街を連絡し、

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現在は上の町・アルタには住民以外の車の乗り入れは出来ずですから、
このフニコラーレか、駅前を通るバスを使用し、アルタに向かいます。



出発。 2両の最後尾にいち早く場所を取り、眺めを堪能しつつ上ります。

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このフニコラーレは既に128年も運転していて、傾斜度は何と52%ですって!



ベルガモ・アルタは完全に城壁に囲まれ要塞化されており、1428年から
この地を支配したヴェネツィア共和国によって一層強化された城壁、
ムーラ・ヴェネツィアーネ・Mura venezianeが聳えているのを、

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こんな風に潜り、  一層高くに、

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何分間かの短い時間で上のアルタに到着し、駅を出て来ての広場。

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広場の名は「メルカート・デッレ・スカルぺ・Mercato delle Scarpe」で、

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この現在フニコラーレの駅となっている建物が、かってスカルぺ・靴の組合の
建物だったのだそうで。

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3角形の広場の南東端から、下の街に下る道が見え、我らも戻りはこの道を
途中見学しながらフニコラーレの下の駅迄、景観を楽しみながら歩きました。

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アルプスの麓、上の坂の町とあって、冷たい風が吹きつけて来るのに、
ガイドさんは日陰で最初の説明を始め、しかもマイクなしで傍に寄らないと
聞こえずで、文句垂れの連中は徐々に日向に移動し、余りプロ意識がないねと、
ははは、言いながら、待ち時間潰しにあちこちを覗き見し。

細い小路の坂道。

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広場の石畳。 

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ここは煉瓦敷きですが、アルタの町は殆ど丸石舗装で、お天気が良いので
光と影の面白さから、今回何枚も舗装道を撮っておりました。



広場の北側のロッジャのカフェ席。

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アルタの地図をどうぞ。 下側の太い緑線で囲った所がフニコラーレの駅と広場で、
まず14.のロッカ・要塞に。  そして13.のベルガモ歴史博物館、ここは元の
フランチェスコ派の修道院で、

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メルカート・デル・フィエーノ広場・Mercato del Fieno・干し草市場を通り、
7.のトッレ・ディ・ゴンビート・Torre di Gombito、現在インフォメーション本部、
それから2.ドゥオーモの横を通り、ドゥオーモ広場に。

ここに3.サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂・Santa Maria Maggiore、
そして隣4.にコッレオーネの礼拝堂・Capella Colleoni、

そこを北に抜けるとアルタの中心のヴェッキア広場・Piazza Vecchiaで、
ここでお昼の解散で、午後にフニコラーレの駅前広場から東に下りつつ
教会2つを見学し、城壁の道を歩いて下った、という行程でした。



フニコラーレの駅前のメルカート・デル・スカルぺ広場から東の小路・
ヴィア・アッラ・ロッカ・Via alla Roccaに入り、
両脇に立ち並ぶ高い建物の間の細い小路を辿り、

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壁にあるこんな顔も見、

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ロッカ・要塞に到着。  

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地図で見ると、東西に延びるアルタの中心近くなのですけど、実際に行くと、
要塞が位置するサンテウフェーミア・Sant'Eufemiaの丘から東はぐっと低くなり、
かっての戦術的位置が良く分かります。

1331~36年にかけて建設されたものの様で、



入口が見える場所で我ら不良組は、ははは、いつ中をちらっとでも見れるかと、
階段がかなり高く目立つので自粛し、待ち構えていましたが、はは、

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赤シャツの姿が見えるのは、19世紀イタリア統一戦争のガリバルディに率いられた
1000人隊参加者がベルガモから大変多かったそうで、その展示があった様子。

で、結局ガイドさんの話だけで引き返す事になり、なんだ、勝手に覗きに行けば
良かったねぇと。 ジュリアーナ・ミランは、娘さんにあそこは良かったから是非、と
言われたから今日来たのに、と残念がり、

そう、ガイドさんの話も時に有効なのですけど、聞いていると他に見れず、撮れずで、
最近は殆ど勝手に動く様にしています。



要塞前からの、パノラマを。  右に花が咲いているのが見えますか?

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ベルガモの人口は12万人位で、断然下のバッサの新市街が大きいのですね。



歩いて少し下る間に見えた、どこかの頂上部の金色の人物像。

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後に分かったのは、これはドゥオーモのクーポラ上にある像、聖堂が捧げられた
聖アレッサンドロ・Sant'Alessandoro、町の3世紀の聖人、と知りました。



小路を辿り、古い立派な入口アーチを持つ建物の前も通り、

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古い城壁の名残りと。

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で、ベルガモ歴史博物館・Museo delle storie di Bergamoに。
下に見える展示の様子は、ここに写真博物館も含まれている様子で、
この博物館は無料です。

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建物は元フランチェスコ派の修道院の大きな建物、13世紀の物で、
すぐ回廊が見え、広い中庭には井戸がないのですが、

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回廊の壁龕や壁にはかなりのフレスコ画が残っており、

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円柱に残る天使の顔。

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回廊を一周ぐるっとした端に暗い階段があり、

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上の回廊を振り返り、

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下るとそこにもう一つ小さな回廊があり、こちらには井戸が。

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回廊から外れ、北の境の石塀から見える、かっての城壁内ではありますが、
一段と低い北区域の眺め。 遠くに見える一帯がバッサの街で、城壁外に。

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西側はまた一段と高い丘になり、 点在する木々の白い花が満開!

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こちらは博物館前広場から、西の眺め。  南側に一段と高くなり、
黄土色の建物の屋根に並ぶ、たくさんの、しかもそれぞれに形の違う煙突!

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建物は大体が4階建てで、時に5階にもなり、狭いアルタの地区に住む為の
工夫の様子が窺われます。

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という所で、ベルガモのN.1をお終いにしますが、



次回には、サンタ・マリーア・マッジョーレ教会、外側は12世紀建設の古い姿で、
中はギンギンのバロック様式で驚き!

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そして28年前の訪問時には修復中で覆いがかかり見れなったコッレオーニ礼拝堂を
初めて見る事が出来た事、など等のご案内を。

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・ カナレット と ヴェネツィア展 ・ ドゥカーレ宮 ヴェネツィア

先月末に出かけて来たヴェネツィアのドゥカーレ宮で6月9日まで開催中の展覧会
カナレットとヴェネツィア展」は、大変素晴らしい内容で、とりわけカナレットの
作品を纏めて見たいと願っていた私には願ってもないものでした。

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主題通りヴェネツィアの18世紀、繁栄を極めたヴェネツィア共和国の最後の世紀における
ヴェネツィア絵画と呼ばれる実り、色、光と影、そして装飾性を極めた、
新古典主義が始まる前の絵画、

主としてカナレット、そしてジャンバッティスタ・ティエポロ、フランチェスコ・
グアルディ、ピエトロ・ロンギなどなどたくさんの作品がありました。

展覧会のYouTubeがこちらに。 https://youtu.be/IfZsy3SgQrA

10年ほど前にトゥレヴィーゾで大カナレット展があった時に見逃しており、
後にとても残念に思っていた私にとって、今回は自分の中での見たい希求とが重なり、
多分私にとってはじっくり見れる一番良いチャンスだったのかも知れません。

会場の作品のヴェネツィアからの出品、または出品先からOKのある作品には、
名札にカメラのアイコンが付いており写真も撮れたので、それでご覧頂き、
撮れなかった作品は買って戻ったカナレットの小冊子に載っていたのをスキャンしたり、
サイトで見つけたりしたものでご覧頂きます。



「カナレット・Canaletto 1697-1768」、本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナール・
Giovanni Antonio Canal、父親ベルナルド・Bernardoも舞台装飾を手掛ける画家。
それで息子は小カナール、という意味から「カナレット」と呼ばれたと言いますが、
または彼が背が低かったから、とも。

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所でこちらでよく言われる冗談で、どこかカナレットの絵の前でシニョーレが2人、
このカナレットの絵は・・、と言っていると、後ろで聞いていた女中が
「いえ、あれはグラン・カナーレ・大運河ですよ」と。


多分かなり裕福な家柄出身で、父親を通して絵を始め、仕事を手伝い、
アントニオ・ヴィヴァルディの幾つかのオペラ作品の舞台も受け持った様子で、
21~23歳にかけ、父親と兄のクリストフォロとローマに出かけ、スカルラッティの
仕事をしたり、

またローマではアントーニオにとっては初めてのヴェドゥティスティ・Vedutistiと
呼ばれる画家たち、自然や街の景観を眺め・ヴェドゥーテ、描いた画家達の作品に出合い、
これらから大きなきっかけと多くの示唆を受け、それと共に自身の技術を磨きます。

18世紀に起こったこうしたヴェドゥティズモ・Vedutismoの流れですが、
とりわけヴェネツィアに於いて大きな隆盛を見た、というのは、運河の水の色と光、
影の遊び、そして建物類の魅惑的な眺めがあったからと言われますが、
つまりはそれをとらえた「カナレットの見る目と、描く技術」があったからと思います。



会場の第一室にはこの一点、ジャンバッティスタ・ティエポロの・Gianbattista Tiepolo
の「ヴェネツィアに富を捧げるネプチューン」 135x2750cm ドゥカーレ宮蔵

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ヴェネツィアを現す海の女神に、海神ネプチューンが豊穣の角に溢れる富を捧げる図で、
こうして近くから見るとそれはまた一段と力強く印象に残るもの。

ティエポロの作品はこうした油彩画よりも、各地で見かけるヴェネツィア貴族のお館や、
教会の大天井画、勇壮で壮大、広い画面をいっぱいに使ったロマンあふれる装飾美を
見慣れていますが、これはまた第一室に相応しい彼の実力溢れる作品で見惚れました。


第一室にあったのはこの作品と、ガラスのケースに入った60cm程もあったか、
ブチントーロ・ドージェのお召し船、の金色模型で、ふと思い出し、ちょうど近くに
おられた係りの方に、ブチントーロの復現が進んでいると何年か前に読みましたが、
あれはどうなっていますか、と尋ねると、

莫大な費用の為に、市の方は一切タッチしておらず、私的プロジェクトとして
始まったものの結局スポンサー集めの段階で止まっているようですよ、との事でした。 
残念ですねぇ。



そして今回の展覧会のテーマ画として登場した、カナレットの「大運河の眺め
バルディ邸からリアルト橋方面」 1029x720cm カ・レッツォニコ収蔵

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大運河がリアルト橋方面から西に来て、ここで左にカーヴを切り、アッカデミア美術館
方面に行く角を描いた素晴らしい作品で、



ちょうど角の光と影の位置に差し掛かった舟の、赤いテントが大変に効果的で、
この水の色、ちょっと緑がかった、でも決して濁ったり汚れているわけではない水の色が、
ヴェネツィアの運河の色なのですね。

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向かい側の北岸の建物類。 手前のゴンドラが溜まっている場所は、現在ヴァポレットの
停留所になっている場所で、その奥の小運河が入り込む角は現在渡しの大ゴンドラが
対岸とを繋ぐ場所で、ここを入って行くとカルロ・ゴルドーニの生家博物館が。

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建物の古さも良く描かれており、こうして見ると奥側の建物に遠近の窓の線を決める筋が
残っているのも、絵を描くものにとってはにんまりと!



突き当り方面のリアルト橋一帯を何枚か撮りましたが、皆ピンボケで残念です。
確かに見る目には、きちんと大雑把に描かれていて、凄いなぁ!と。

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これは空の影色の雲の色がちょっと目を引き、写したものです。



所で会場はドゥカーレ宮の3階の、ドージェのアパート、ヴェネツィア総督の居住区で、
普段なら素晴らしい装飾も見えるのでしょうが、部屋全体がほぼ真っ暗にされ、
作品にのみ光が当たる様になっていて、どちらもとはいかずで、はは、
何とか見える暖炉部分のみをいくつか撮りましたので、どうぞ。

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またチャンスを見て、ゆっくりドージェのアパートを見に行くのも良いなぁ、
と思った事でした。



これはティエポロの「ジュピターとダナエ」 41x53cm ストックホルムから

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余りにも豊かな、見事なお尻の美で、はい。 



カナレットの「サン・マルコ流域、東に向かい」 124,5x204,5cm ボストンから

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以前やはりカナレットの絵で、この絵の右手に描かれているサン・ジョルジョ島を主題に、
その手前の海、運河を描いた、大変に明るい絵に見惚れた事がありますが、
これは少し暗く見えるものの、逆に大気、空の輝きが感じられる素晴らしい作品で、

サン・マルコ湾のドック、船の修理や造船の為の、というタイトルも見かけますが、
かってはこの辺りにドックがあったのも知りました。



雄大で、素晴らしい描写をどうぞ! 全く、良くぞ描いたり!!と言いたくなる程で。

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最後の写真で良く見えますが、カナレットの波の描き方は小さな波紋が見えるものの、
大波は無い、すら~っと広がる静かな湾で、
現在のモーター・ボートが走り回り、ヴァポレットがかなりの波を引き行き来するのとは
かなり感じが違いますね。



こちらは小冊子とサイトからご覧頂く、カナレットの「サン・ヴィダルの石工工房
124x163cm ロンドン・ナショナル・ギャラリーから

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この作品は景観を描いた見事さだけでなく、描き込まれた仕事に従事する職人の姿、
近くで遊ぶ子供たちの姿、家庭内の仕事をする主婦の姿など、日常生活も感じられる
その細やかさに見惚れました。

サン・ヴィダルというと、アッカデミア橋を北に渡った所で、未だ橋の姿はなく、
向こうに見えるサンタ・マリーア・カリタ教会と鐘楼が見え、この鐘楼は1741年に
倒壊し、現在はここがアッカデミア美術館になっているのですね。



この作品は写真が撮れずで、手前の子供たち、主婦の姿などご覧に入れられず
残念ですが、

これは運河の向かい側の教会前の建物で、窓から乗り出す女性の姿や、運河沿いの
様子などが見え、カナレットの見つめる目を感じます。

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カナレット「大運河、リアルト橋、南から」 45,5x62.5cm 個人蔵

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この作品はちょっと変わっていて、パッと見に、橋と建物群の色に張りがないなぁ、と
思ったのでしたが、銅に油彩、とあり、どういう意図からか分かりませんが、
色を乗せ定着させるのにどうしたのだろう、表面を荒く磨いたのかなとも考えたり・・。

カナレットのは余り絵の具の盛り上げは見えないのですが、これは珍しく
空の白さの中に盛り上げを見ました。



そしてこの手前の帆布の白さ、薄いブルーの縞入りですが、これが何とも引き立ち、
見事で、光と影の使い方が本当に素晴らしいなぁと思った作品です。

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奥に見える大きな赤い布と金色のブチントーロが目立つ中くらいの大きさの作品で、題名分からず、
同等の構図、同じ大きさで描かれた甥のベルナルド・ベロット・Bernardo Bellotto、
カナレットの妹の子、の作品と並んでおりましたが、

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ブチントーロ・ドージェの御座船を描いた大作の華やかな作品は、他にいくつも。



こちらはサイトからで、「フランス大使のドゥカーレ宮到着」 181x259cm 
ロシア、エルミタージュより

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こちらも同じ主題の絵が何枚かある様子ですが、会場にあったのはこの作品で、
手前のパーリア橋からゴンドラが出てくる場面が右下端に。

雲の大きな影が海側の船にも、ドゥカーレ宮にも落ちているのが特徴で、
そういったその日の天候状態も良く分かるのが、彼の絵の特徴ですね。



これは小冊子からで、「ウォルトン・ブリッジ」 48,8x76.7cm イギリスから

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少し暗い空と周囲の風景の中に、はっきりくっきりと浮かぶ白い木組みの橋で、
カナレットがイギリスに滞在した時代の作品だそうで、会場で目立ちました。

甥のベロットの作品も北ヨーロッパでの仕事が多かった様子で、ヴェネツィア風景は
似た感じでも、やはり土地の雰囲気、空気が違う少し暗い感じの絵が多かったのを
覚えていますが・・。



こちらも小冊子から、「サン・マルコ聖堂内」 サイズ見つからずですが、大きくなく、
カナダのモントリオールからと。

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ほぼ茶色が全体の色なのですが、金色のモザイクが光るのが分かる、という言い方は
おかしいですが、筆力を感じる作品でした。



ピエトロ・ロンギ・Pietro Longhiの作品も3点あり、柔らかい印象で、当時の風俗を
描いており、

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下がよくサイトでも見かける「犀の見世物」。 カーニヴァル期の様子が分かりますね。



ティエポロの作品で「ヒュアキントスの死」 287x232cm スペインから

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ギリシャ神話に登場の美少年で、アポロンの投げた円盤が頭に当たり死に、流れる血から
咲いた花がヒヤシンス、というお話だそうで、



右下にヒヤシンスの花の手前に、テニスのラケットと球が見えて撮ったのでしたぁ、へへ。

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こちらはアレッサンドロ・ロンギが描いた「カルロ・ゴルドーニの肖像」サイズ分からず。

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カルロ・ゴルドーニの家博物館の中庭に写真があり、ブログで取り上げたので、
会場で見かけた時は既知の方に出会った様で、ははは。

画家のアレッサンドロ・ロンギは、名前から想像した様にピエトロ・ロンギの息子と。

ヴィヴァルディ・A.Vivaldiと、ピエトロ・ロンギ・P.Longhi
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461262801.html

ヴェネツィア ・ ゴルドーニの家博物館、サン・トマ広場周辺
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330953.html



こちらはちょっと異質ですが、大理石像で、「ヴェールを被った女性像
アントニオ・コッラディーニ・Antonio Corradini(1668-1752)の作だそう。

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正面側よりもこちらの方が美しいので。

ナポリで、やはりヴェールを被った像を見ましたが、あれは凄かった!!
こういう技術の凄い作品は、時に技術の方が見えすぎると困る事になりますが。



展覧会の最後を締めるのがアントニオ・カノーヴァで、この石膏の弔碑、大作と、
小さなのが出品されておりました。

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ドージェのアパートの天井装飾2点と、

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出口の扉の重々しさ。 

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カナレットの作品を主にご覧頂きましたが、他にも色々あったのが写真が撮れず、となると
出品作品のカタログも無かったのでタイトルを覚えておらず、たくさんの作品も頭から
消えてゆきます。 まぁ、記憶の強かったのはサイトや本で探しましたが。


会場に展示は無かったのですが、やはりカナレット描く、「サン・マルコ広場
68.6x112,4cm アメリカ、マサチューセッツのケンブリッジ、フォッグ・アート、
を最後にどうぞ。

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こちらもいくつもバリエーションがある様ですが、中には広場の敷石がまだ、
という様子のもサイトで見ました。

当時の姿をこうして見ると建物自体にはあまり変化がなくとも、点在する人間の姿、
服装が違い、船もしかりで、また全体を包む空気がやはり違いますね。

会場で彼の作品が他の画家の風景画と並んでいるのを見た時に最初に感じたのは、
すっきり、きりっとした空気、の違いで、これが今回の大きな収穫でもありました。


カナレットはまた「カメラ・コン・ヴェドゥータ・Camera con Veduta」と呼ばれる、
いわゆる現在のカメラの原型とでもいう器具を使いスケッチを取った事でも有名ですが、
そのスケッチなどもサイトで探していてたくさん見つかり、
またカナレットのみでなく、同様にカメラ・コン・ヴェドゥータを使ったとみられる
画家の名もたくさん見つけました。

ですがそのスケッチ類も、えっ、この程度なの?と思う一番の基本線のスケッチで、
それらから今残る彼の作品の出来具合を想像するのも難しいほどで、

光、空気のきらめき、人物像の動き等など、やはり彼自身の技量の凄さと思いますので、
そんな事もまた調べ、ご覧頂きたいと思っています。


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・ n.2 久し振りのヴェネツィア行き! お天気で、カルネヴァーレが始まり・・

先回に続き、ヴェネツィアのドゥカーレ宮に「カナレットとヴェネツィア展」を見に
出かけて来た様子をご覧頂きますね。

サン・マルコ広場から北に、リアルト橋に向かい、
街中で見かけた展覧会のポスター、ですけど、並んだ4枚が皆色違いで・・!

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横に並ぶ、右からカナレット展、タンゴ・モナムール、インテルプレーティ・
ヴェネツィアーニ演奏会、と、こうして見ると各種ごちゃまぜ様々な催しのお知らせ。

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「コンパニーア・タンゴ・ブルーホ」のサイト
https://it-it.facebook.com/compagniatangobrujo/

「インテルプレーティ・ヴェネツィアーニ」のサイト。今年10月、日本で演奏会がある様子。
https://www.interpretiveneziani.com/



少し靄があるものの、陽が射してきた運河を越え、

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向こうから来るゴンドラにカメラを見せると、手を振ってくれ、こちらも手を振り1枚。

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で、ふっと思いつき、へへ、もう一度ファインダーを覗き1枚。 彼はニヤッと。
shinkaiはグイっと親指を立てましたぁ、綺麗な彼女は気が付かず、ははは。

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リアルト橋の手前で、なにやら得体のしれない怪獣が。 お供に仮面ライダーがいてね。

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お昼ご飯はリアルト橋から南に少しのカンポ・サン・リオ・San Lioのオステリーア、
・ロランデーゼ・ヴォランテ・osteria L'olandese Volantèで。

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サン・リオ教会の北前、サン・マルコに通じる道脇に細長い広場があり、店の前にも
椅子、テーブルが出ていて、我らは中で食べたのですが、落ち着いた店でしたよ。
店の様子はこちらで。 



ジュリアーナは、ジェノヴェーゼのパスタで、

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shinkaiは久しぶりにイカ墨のパスタと、サラダ。 美味しかった!

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生ハムを除けて貰ったら、真ん中が空いていましたね、ははは。



ジュリアーナのデザート、クレーマ・カタラーナ。 

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入った時は広場の席も空いていて、店内には先客が一組だったのですが、
広場の席も店内もドンドン混んできましたが、美味しかったし、値段も適当で、
ゆっくりと食事をしたい時にはこういう店が良いなぁ、と思った事でした。

ちなみになぜこの広場に行ったかと言いますと、以前ご紹介したチョコレートの店
「ヴィツィオ・ヴィルトゥ」がグーグルのストリート・ヴューに出ないので、
確かめに行ったのですが、
何の事は無い、このサン・リオ広場脇の道を行き、橋を渡った右の角、と確認を。

店を確かめに行く時にこのオステリーアを見かけ、戻ってここでお昼をという事で、
チョコレートの味見は致しませんでしたぁ。 次回に!



リアルト橋の上から。 靄が少しかかり、お昼時のせいか、ゴンドラも余り見えず・・。

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リアルト橋北詰めの隙間から覗く、元のドイツ商館、現ファッション・ビルとなっている
屋上テラスには、大運河の流れを上からの見物客が大勢。 この記事の引っ越しがまだで。

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サイトを覗くと、一階の中庭部分にはカフェと軽食の店ができた様子で、
お洒落にちょっと食べたい方は、覗かれては如何でしょうか。
様子はこちらで



リアルト橋を渡り北詰めから、西にサン・ポーロ広場に向かいますが、

途中のサン・タポナール教会・Sant-Aponal. 入り口前が囲われ、修復中かな?

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西に向かい渡る橋からの眺め。

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小路が狭く、こんな横広がりのスカートの方は横向きにしか通れずで、ははは。
ご丁寧に頭にランプみたいな大きな飾り迄!

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後ろに続く方、賑やかな衣装と、小物がいっぱい!

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素敵な衣装、色と、オリエンタル風の帽子を幾つも重ねた中年男性。
化粧しているのが見えるかな。

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お連れは、韓国風の黒い衣装と幅広の帽子で、う~ん、ぐぐっと近しい間柄かな?

やはりこういう衣装を着けると、背景にはサン・マルコ辺りの風景がしっくりしますよね。


所で、聞く所によると、カーニヴァル幕開けの「天使の飛翔」を見たくて出かけたのが、
到着時間が少し遅く、リアルト橋の手前で足止めを食い、23000人以上は現在ブロックで、
彼女たちはサン・マルコ広場には行けなかったとか!

幕開けは日曜ですし、初日なので混雑したのでしょうが、ヴェネツィアはこの夏頃からの
入島税に加え、観光客の制限を、というので、どこで、どのように、と
思っていましたが、リアルト橋の所なんだそうで。

でも、ヴァポレットで直接にサン・マルコという場合はどうなんだろう、とか、
リアルト橋の南詰めでもブロックしているのだろうか、とか、未だ程度が不明です。

ヴェネツィアへの勤め人、学生等は枠外だそうですが、これからの観光シーズンに加え、
何かお祭りごと、また日曜祭日に重なる時は、早めの時間にお出かけ下さいね!

以前のカルネヴァーレのご案内は
n.1 カルネヴァーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462199577.html

n.2 カルネヴァーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462199762.html



フラーリ広場の近くで見かけた、歴史的衣装の店のショウ・ウインドウが素敵で。

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こちらはマスケラ・仮面の店ですが、迫力ある仮面の数々。

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で、ショウウインドウの隅に見えた、懐かしい方の顔、ルトガー・ハウアー。
はぁ、shinkaiは「レディ・ホーク」でこの方に魅せられまして・・。

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「ゴルドーニの家博物館」前を通った時、ジュリアーナがまだ見ていない、というので、
では見ようと。 入場料割り引き3,5エウロは彼女もち、ははは。

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以前に見た時と展示物の趣がかなり変わっておりましたので、今回の絵のサイトの方に、
様子を載せます、ご覧下さい。

フラーリ広場近くで、面白い店を発見。 模型店で、型に切った薄い木のキットで、
動く模型のあれこれさまざまを揃えていて、大きな丸い地球儀から、ヘリコプター、
自動車、単純に歯車で動く模型などもあり、光線と熱で動くそうで、
あれこれ見惚れていてジュリアーナがいない事に気が付くと、
店の主人が、シニョーラはお友達に見捨てられましたよ、って、ははは。



駅まで戻り、朝同様、改装されて大変モダンになったバールとスナックの店で一服。
斜め前に座っていた、若く大変美しい女性に見惚れ、堪らず内緒で。

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ちょっとジュリア・ロバーツに似た目と、アン・ハサウェイみたいな唇でしょ。
こんな美人もいるのねぇ!



帰りの電車内から。 ラグーナの夕暮れ近く。

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コネリアーノに戻り、駅構内も様子がすっかり変わり、エレベーターが付いているのを発見!

駐車場に行く時に見た赤い名残りの夕陽。

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楽しく、ゆったりと見て、遊んだ、久しぶりのヴェネツィアの一日でした。
また行くべ!

*****
   
記録庫ブログには、 ヴェネツィアを 7記事
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色鉛筆+水彩画ブログには、
カルロ・ゴルドーニの家博物館 ・ ヴェネツィア を  
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・ 久し振りのヴェネツィア行き! お天気で、カルネヴァーレが始まり・・

この26日に久し振りに友人のジュリアーナとヴェネツィアに出かけて来ました。
早めに到着をと朝7時半の電車ですので、つまり私めは家を6時45分に出て、

8時半前に到着のヴェネツィアは曇り空でしたが、

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駅前から西周りのジュウデッカ経由のヴァポレットに乗り、



ローマ広場前の、カラトゥラーヴァ設計の橋を潜り抜け、

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ジュウデッカ島との間に出る頃には、少し陽が射し始め、

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ヴェッチャ・年寄りの、ははは、ジュリアーナは船内に座り、shinkaiは最後尾の
外の席に座り、久しぶりのヴェネツィア到着の空気を吸いつつ・・。



すぐ傍を行く幅の狭い、細長~いクルーズ船の後尾に、「ミケランジェロ・ストラスブルグ」

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ストラスブルグのミケランジェロ?!  なんだ、これは? と思っていると、



ヴァポレットはジュデッカ島の幾つかの停留所に止まりつつ、止まると抜かれる
のですけど、運転手は馬力をかけ、並ぶとまた追い越しで、ははは、
並んだ時にこんなのが見え、

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Croisi Europeで検索を掛けましたら、でましたです。
https://www.croisieurope.com/

つまりフランスのストラスブルグに本拠を置いた、河のクルーズ船の会社で、
26隻の船があるんだそう。 1976年創業で、従業員は1350人と。

サイトを見ると、ヨーロッパの運河、河のクルーズ、またアジアの方でもクルーズが
ある様なので、このミケランジェロ君がストラスブルグからとは思いませんが、
どこかの港を基地に、ヴェネツィアかも、この一帯をクルーズしているのでしょうね。



船尾に一斉に飛び交うカモメたち。

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ムリーノ・ストゥッキ・現ホテル・ヒルトンの前も通り過ぎ。 段々陽が射し、

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サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂の後ろも通り過ぎ、

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三角のとっぱしのドガーナ辺り、金色の球の上の風見の女性像も過ぎ、

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そうなんですね、この駅前からジュウデッカ経由のヴァポレットの眺めは、
余り観光的ではないのですが、大運河経由よりも断然早くサン・マルコ広場に
到着できるのですね。



ジュウデッカ島最後の停留所ツィテッレ・Zitelleから見えるサン・マルコの鐘楼、
奥に丸いドゥオモの屋根、手前にドゥカーレ宮の優雅な姿。

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ここから斜めに大運河を突っ切り、サン・ジョルジョ島の前を通り、
舳先が見えるのが、ストラスブルグのミケランジェロ君、
我らはサン・ザッカリーアの停留所に到着、9時頃で計画通り。

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ドゥカーレ宮に向かいながらも、やはりこんな斜めに陽が射しこむ溜息橋もね、
幾ら前がカップルで混んでいるとはいえ、初めてなので撮りませんとね。

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で、ドゥカーレ宮の内庭に。 ここも少し弱気の太陽が斜めに射しこみ、
観光客もまだ少なく、閑散と。 ビンゴ!

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で、今回のヴェネツィア行きは、朝早く出て来たのも、実はこの展覧会が目的で、 
カナレットとヴェネツィア展・Canaletto & Venezia

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ドゥカーレ宮は朝8時半からオープンしているので、shinkai一人でしたら、
もっと早くの7時の電車で来たのですが、ジュリアーナが一緒なのでちょっぴり遠慮を。

が、結果として、展覧会の内容も良かったですが、ゆっくりと人の少ない時間に
見れ、係の人にも質問したり、教えて貰えてで大変良く、
電車の時間を最初知った時のジュリアーナの?!の反応も、見事解消、
良かったぁ!となったのでした。

展覧会の様子はまた別にご覧頂きますね。



我々は展覧会会場のみの切符を買い、会場は「ドージェのアパート」、つまり
かってのドージェ達、ヴェネツィア総督たちの居住区内のみの見学で、当日11エウロ、

11時頃に見終えて出てくるとすぐ脇にこの16世紀の豪華絢爛「金の階段」

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展覧会場に行く時は、内庭のも一つ南寄りの大階段でしたが、戻りにはここを下り、

展覧会のみの切符を買っているとはいえ、やはり何度見てもドゥカーレ宮は美しく、
通る範囲の物は知っていても改めて撮りますよね、へへ。

考えて見ると、ルネッサンスの華麗な都のフィレンツェのヴェッキオ宮も厳ついし、
ピッティ宮は装飾もやはり素晴らしいですが、外側は特別でもなく、
やはりこのヴェネツィアのドゥカーレ宮は、開放的な明るさ、美しさ、
装飾の見事さとで、やはり特異な存在ではないかと思いましたです。

2階の回廊に出て、建物越しに、サン・マルコの鐘楼上部と大天使ガブリエル像。

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内庭北端にあるアルコ・フォスカリ・Arco Foscariの手前側が上部で、
奥に見える丸屋根2つは、すぐお隣のサン・マルコ聖堂の物。

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巨人の階段・Scala dei Gigantiの上部にある巨人像2つの、左側、
こちらは後姿がどうも「まわし」を絞めたみたいで・・!

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こちらが右の若者の方。

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2人で上から出口を見て、ひひ、下界は混んでいるねぇ!と。

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到着した朝とは違って、陽の光も強く、すっかり明るくなっている奥の
アルコ・フォスカリと巨人の階段部分。

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アルコ・フォスカリのアーチ越しに見える、サン・マルコ聖堂の窓。

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巨人の階段。

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出口から振り返る、巨人の階段。

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そして、階段の象嵌模様。

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出口の外に警官がずらっと並んでおり、何かあるん? と言っていると、
す~っと通って行かれたのは、ヴェネツィアの枢機卿様、でした。

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サン・マルコ小広場の先の、2つの円柱。

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で、サン・マルコの有翼のライオンの頭の上に、カモメ君。

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朝サン・ザッカリーアに到着の時は橋の上がいっぱいで、デッラ・サルーテの姿が
撮れず、帰りに撮ろう、と言っていたのが、この時点ではすっかり忘れており・・!



鐘楼に上る入口前には、ずら~っと列が出来ており、

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その角で、大声で鳴き交わすカモメのカップル。 世界に愛を叫ぶ、かや?



何やらズンズンと賑やかな音楽や、喋りまくる声が聞こえ、見ると
カーニヴァル用の舞台が出来ていて、その上で何か・・、

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如何にも英語風のアクセントをつけ、大袈裟に喋りまくる女性とゲスト達。



やはりお約束事の時計塔の写真と、

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サン・マルコ聖堂は撮りませんとね。

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正式のカルネヴァーレの行事は、今年は3月3日からですが、既にその気分の
方たちが結構おられ、
何を勘違いしたか、今年のカーニヴァルは2月16日から3月5日まででした!
自分で記事を書いたのにねぇ、へへ、お恥ずかしい。
訂正して、お詫び申し上げます。

n.1 カルネヴァーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462199577.html

n.2 カルネヴァーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462199762.html


このカップル、マンマとかな? それとも燕君とか?

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あまりお金のかかっていない風衣装ですが、彼の靴がねぇ、まるでダメねぇ。
古くとも良いけど、ちっとは磨こうという気持ちも無いのねぇ。



う~ん、まぁまぁでしょうか。

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黒く決めたカップル。

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我が絵の師二木さんから、カフェ・フロリアーンの壁を洗った後の偵察を、と
指示があり、見に行きますと、外側は円柱も白くなり、どこやらスッキリと。

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いつもは広場に出ている椅子・テーブルも、カーニヴァルの人出対策か、
積み上げられており、上に見える番号札は、多分カーニヴァルの催しの為と。



ここで初めて、壁の上部横線部分に、Piazza di ・・ S,Marco と
掘られた文字に気が付き、真ん中にはゴンドラが2艘。

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フロリアーンの店の前はいつもの通りですが、こちら廊下側にある席も無く、

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回廊下に下がっている豆電球が黄色で、とても綺麗!
クリスマス前からずっとなんだろうか?

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反対側の回廊を歩いていて見つけたショウウインドウ。 2人で、おお!と。
ガラスへの反射が多く済みませんですが、右奥にご注目を!

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という様子で、サン・マルコをもう一度北側から撮り、我らはお昼を食べに
リアルト橋方面に。

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という所で今回はお終いに、次回に続きます。

***

◆ お知らせ ◆  
リンクさせて頂いてます「クリスさんのトラベラーページ」で、先週末にお戻りの
シチーリアの旅行記が始まりました。

クリスさんは専攻を中世にしようか、ギリシャ・ローマにしようかと迷われた程
なんだそうで、今回初めてのシチーリア旅行で、
マーニャ・グレーチャのあちこちを回られた様子です。

写真も多く楽しく、是非、ご訪問下さいね!

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記録庫ブログには、イタリア全般、番外編に 3記事、イタリア中部地震について 
アップしております。
ご訪問よろしくお願い致しま~す。

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トスカーナの丘の風景と、 ポンペイ遺跡の新発掘の壁画 を  
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