・ n.3 ブレラ絵画館  ミラノ 再訪

暫く間が開きましたが、ミラノのブレラ絵画館の最終回をどうぞ!

ブレラ絵画館の今迄の記事は
n.1 http://www.italiashiho.site/article/470836924.html



さて24室・XXIV、広い部屋にブレラの至宝ともいうべき作品が3点あり、

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まずラファエッロ・サンツィオ・Rafaello Sanzio(1483-1520)の
「聖母の結婚」 板に油彩  170X117cm  1504年

額に収まった、shinkaiの撮ったものがピン甘でしたので、失礼

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こちらにサイトから拝借したものを。

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構図もぴちっと収まり、配色、とりわけ赤色の配分が効いていると思うのですが、
これは1504年に同じウンブリアの町であるチッタ・ディ・カステッロの
サン・フランチェスコ教会の礼拝堂に描いたもの。

実は彼は1501年に同じチッタ・ディ・カステッロのサン・タゴスティーノ教会の
礼拝堂に「バロンチの祭壇画」を描いており、この絵は現在数点の断片が
残るのみの様ですが、

ほぼ同年にサン・フランチェスコ教会の後援者となったフィリッポ・アルビッツィーニ・
Filippo Albizziniは多分ラファエッロの絵を見て、まだ若く勤勉で
優しい人柄にも惹かれたのでしょう。 ラファエッロにサン・ジュゼッペ礼拝堂の
絵を依頼します。

説明を読んでいて興味深い事が分かりました、というのも、

ラファエッロの最初の師でもあった彼の父親ジョヴァンニ・サンティ・Giovanni
Santiの没後ペルジーノ・Perugino、本名ピエトロ・ヴァンヌッツィ
(1448頃-1523)の弟子となった、というのが通説ですね。



で、師のペルジーノがペルージャの聖堂の聖アネッロ礼拝堂の為に同じ
「聖母の結婚」を描いているのですね。
板に油彩 234X186cm  1501-1504作

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ラファエッロに依頼したアルビッツィーニが、師のペルジーノと同様な、という注文を
出したのかどうか、マリーアとジュゼッペの位置が入れ替わり、背後でマリーアを
得そこなった若者が膝で棒を折っている位置も逆ですが、

人物像の頭の動かし方、余り一列に揃い過ぎていない事、背後の礼拝堂
または教会の建物も両脇のアーチの開きが広すぎない、階段に続く床面の
横線が綺麗に奥に目を導く事、背後の人物の纏まりも程よく、画面全体に
満ち渡る明るさなどなど・・、

つまり師の作品をしっかり下敷きにしながらも、ずっと見事に昇華した作品で、
いやぁ、こうして並べて見て呆れる程なのに驚きましたぁ。

こうして元は同じウンブリアの町に収められていた作品が、ナポレオンによって
押収され、ラファエッロの作品はミラノのブレラ絵画館に、そしてペルジーノの作品は
現在フランスのノルマンディのカンの美術館・Musée des Beaux-Arts,
Caenに。 

shinkaiはペルジーノの描く女性の顔が好きですし、ラファエッロのこの絵の
女性の顔が如何にもペルジーノ風なのにも微笑ましく思っていたのでしたが、
案外実態はもっともっと激しい競争心むき出しだったのかも、ですね。


所で父親の姓はサンティ・Santiと出るのですが、息子のラファエッロは
サンツィオ・Sanzioで、サンツィオの略がサンティとはならずで、
ラファエッロが自作の署名にサンツィオと記している事からの様子です。



そして同室に陳列のピエロ・デッラ・フランチェスカ・Piero della Francesca
の「ブレラの祭壇画」または「モンテフェルトゥロの祭壇画」と呼ばれる、至宝の一点。
板にテンペラと油彩 248X170cm 1472年作

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フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロ公のウルビーノの、サン・ベルナルディーノ教会に
あったのが、1811年にミラノに移されたものだそうで、

一見してすぐ分かるのが、右下に膝まずくモンテフェルトゥロ公の合わせた手の
描写がピエロではないという事ですが、ウルビーノ宮廷の画家ペドロ・ベルッグエーテ・
Pedro Berrugueteが1474年以降に手を入れたのであろう、という事。



聖母子の背後に見える壁龕の天井から下がる、なんとも見事な卵の空間。
静謐で、光りが清らかで、なんとも素晴らしい空間を感じさせます。

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自分が撮って来た写真を見ながら、画面を横ぎる線に気が付き、一瞬
焦ったのでしたが、聖母の額も光ってしまい、

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板にテンペラと油彩、とあるので納得です。 作品が大きいので一枚板ではなく、
横並べで継いであるのが理由なのですね。



聖母を挟み、左右に聖人達が居並びますが、左からサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・
洗礼者ヨハネ、聖ベルナルディーノ・ダ・シエナ、サン・ジローラモ・聖ヒエロニムス、
今日はライオンのお供なしで、

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右に移って、アッシジのサン・フランチェスコ、殉教者サン・ピエトロ、そして
福音者サン・ジョヴァンニで、後列は天使達。



さて同室にあるもう一枚は、ブラマンテ・Donato Bramante(1444頃-1514)の
「柱のキリスト」  板に油彩  93,7X62,5cm  1490年頃作

額入りの作品と、 部屋の灯が少し反映しているので、

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サイトからの物。

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常に描かれる「鞭打ちのキリスト」と違い、キリストが鞭打ちを受ける前の姿で、
左背後に開いた窓から外の風景が見え、聖体容器があるのは犠牲、献身の意と。

まだ傷のない体の色に比べ首から顔にかけてのちょっと異様な青黒い色が気になる
絵ですが、左から射す光が右側は陰、闇になり、キリストは左の暗さの先にある
彼を待つ「死」を見つめていると。



さて次の部屋にはカラヴァッジョの「エマオの晩餐」があり、

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博物館でも美術館でも、自分が好きな絵、事物はもちろんですが、そうでなくとも
良い絵、物というのはオーラを発散しているのか、すっと目がそこに行きますね。
そうなると他にもたくさん並んで掛かっている絵がどうでも良くなるというか・・!

作品の持つ力関係というのか、考えてみると恐ろしいような話ですが、
でも実際にそうだと思われません?



カラヴァッジョ、本名ミケランジェロ・メリージ・Michelangelo Melisi(1571-1610) 
キャンバスに油彩 141x175cm 1606年作 

ブレラにあるのは茶系の落ち着いた色使いの物ですが、

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ロンドンのナショナル・ギャラリーにあるという、同じ主題の作品はこちら。
139×1194cm  1601-02年作

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そして同じ主題でレンブラントも描いており、ブレラ絵画館で同時展示された時の
様子はこちらに。 さて、あなたのお好きな「エマオの晩餐」は?

ミラノ・ブレラ絵画館の、レンブラントとカラヴァッジョ
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/201902-1.html



アントニオ・ヴァン・ダイク・Antonio Van Dyckの1622年の作品

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未亡人の黒のドレス、とはいえ、腕輪、ネックレス、真珠のイヤリング、
高価な十字架、豪華なカーテン、という女性像。



ちょっと息抜きに、はは、素晴らしい壺を。 大理石なんだろうか?

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そして、ピエトロ・ロンギ・Pietro Longhi、18世紀のヴェネツィアで活躍し、
当時の世相、事柄、貴族社会のあれこれをちょっと皮肉っぽく描いていて、

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人物が軽く小さく見えませんか?



そしてカナレット、Giovannni Antonio Canal(1697-1768)の絵が何点か。

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穏やかな光と波と、決して暑さにあえぐヴェネツィアの夏ではなく、寒さに凍える冬
でもなく、ヴェネツィアの良き思い出が浮かぶような場面、絵作りなんだなぁ、と。



フランチェスコ・アイエス・Francesco Hayes(1791-1882)の絵が何点も。

こちらはヴェネツィア共和国の65代ドージェであるフランチェスコ・フォスカリ・
Foscariがドージェの罷免を受ける場面。

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少し軽率だった息子は陰謀により流浪の刑に付され、かの地で死亡、年老いた
父親はドージェを罷免され、ほどなく死亡、という。

n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html

フランチェスコ・フォスカリについては  
n.3 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464578987.html



気分を変え、はは、同じアイエスの女性像2点を。
まず「オダリスク」 1839年作  

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「オダリスク」のモチーフは多くの画家が描いていますが、女性が中近東の宮廷の
奥深いハーレムに連れ去られる、というのは、禁断の夢を誘う、
ヨーロッパの作家にとって格好のモチーフだったのだそうで、成る程ぉ。



そして「マリンコニーア・メランコリー」  

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収集家であり、パトロンでもある侯爵フィリッポ・アラ・ポンツォーニの依頼で描いた
かなり通俗的なモチーフでありながら、画家の力の凄さを見せつける作品ですね。
萎れかけた花、散る花びら、ね。



同じくアイエスのヴェネツィア共和国の大きな事件逸話、国家転覆のクーデターを
たくらみ、発覚した55代ドージェのマリーノ・ファリエーロの斬首場面。

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へぇ、この絵もブレラにあったのか、と思って撮ったのでしたが、

舞台となっている「巨人の階段」については、こちらに。

n.3 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464578987.html



最後のアイエスの作品は、かの有名な「バーチョ・キス」 油彩 
112X88cm 1859年

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中世的な面影もあるものの、もっとアイエスの生きていたオーストリア治世下の
雰囲気もある様な気がするのですが・・。

作品のサイズなどを調べていて、ちょっと面白い事も発見しましたので、
次のチャンスに。

それにしてもアイエスの作品は、下手をすると通俗的になるすれすれまで近寄り、
踏みこたえ、力量で魅せているなぁ、と今回もつくづく感じいりましたです、はい。 



このアイエスの「バーチョ」のある部屋がブレラの最後の陳列室で、お隣がバールの
フェルナンダで、バールを出ると中庭を囲む2階の回廊。

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まだ暑い程の日の午後でしたので、皆さんがゆっくり休憩を楽しんでおられ、
我らは帰途に向かいましたが、 

思い出に残る絵、もう一度見たいと念願した絵とも何十年後に再会したのに、
皆さんはちっともお変わりなく、お元気で、以前よりもっと強烈な印象で輝き、
自分の中での再発見の絵も何点もあり、なんとなぁ、凄いなぁ、と、
久し振りの充実感で、本当に楽しかった!!

また次のチャンスを楽しみに!


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