・ n.1 久し振りに訪問の ポルデノーネの街 ・ フリウリ州

今回から2回に渡り、12月25日、はい、クリスマスの午前中に訪問した
フリウリ州はポルデノーネの街の旧市街の様子をご覧下さいね。

ポルデノーネ・Pordenoneは、我が町コネリアーノから東に約35km程に
位置し、以前は何度も訪れ写真も撮っていたのが、なぜかブログでは一度
載せただけで、最近はずっとご無沙汰になっていました。

でこのクリスマスの前に、午前中お天気の様だしどこに行く?、と例により
クリスマスのお昼を一緒に我が家での友人ジュリアーナと相談すると、
彼女が、最近ポルデノーネのビットリオ・エマヌエレ2世通りが整備され、
改めて評価されているらしい、というので、では久し振りだし行ってみようという事に。

距離的にもそう遠くありませんが、ポルデノーネの駅から旧市街の通りには
すぐ近い事もお互いに知ってますので、では電車で行こう、という事になり、
ちょうど30分足らずで行けますし、25日の朝早めに出かけました。

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古い古いご案内 夏の夕、ベルサリエーレの吹奏楽演奏会 ・ ポルデノーネ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462967431.html

フリウリ・ヴェネツィア=ジューリア州全体のご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834526.html

天気予報通り快晴のお天気となり、おまけにイタリア全土が、はは、祭日の為
町中もひっそり、電車もガラガラ! 気持ちよくゆったり座り景色を眺め、お喋りを。


上の写真同様、北の平野の向こうにくっきりと姿を見せる山の姿。
これはモンテ・カヴァッロ・Monte Cavallo、アルプスの山の流れで標高
2251mの高山で、お天気だとヴェネツィアからもアドリア海からも見えるそう!

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平野に残された大きな農家の廃屋。 

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背後の山の中腹に村落が長く続いて見えますが、どこだろ?



あっという間にポルデノーネの駅に到着し、これは駅前から真っ直ぐ出てきた所。

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この道は、記憶には真ん中が確か地道だった記憶がありますが、
綺麗に煉瓦が敷かれ、薄い色の柄が入り、まるでちょっとした公園の様。



ポルデノーネの街の地図をどうぞ。 左に国鉄駅があり、まっすぐ駅前から東に
ヴィア・ジュゼッペ・マッツィーニ通り・Via Giuseppe Mazziniが通り、
突き当りの4叉路を右に。 この通りがコルソ・ヴィットリオ・エマヌエレ・セコンド・
Corso Vittorio Emanuele IIで、ポルデノーネ一番の繁華街。

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一般車は通行禁止で、ゆっくり散策が楽しめ、一番突き当りに街の一番の
聖堂サン・マルコがあり、その斜め前に見える筋の入った広場が大きな駐車場。

駐車場の位置に、ピアッツァーレ・フィランダ・マルコリン・Folanda Marcolin
と見えますが、かってはこの位置に紡績工場があったようで、

下を流れる川がノンチェッロ川・Nondello. この川はも一つ東から流れ下る
メドゥーナ川・Medunaと合流し、再び下りリヴェンツァ川・Livenzaと合流し、
フリウリ平野を流れるリヴェンツァの大河となり、アドリア海に注ぎこみます。

かってのポルデノーネの繁栄は、この川を使っての運搬の港としてだそうで、
ローマ期からずっと続いていた様子。

ゴルガッツォの湧き水 ・ フリウリ、リヴェンツァ川の水源は
http://www.italiashiho.site/archives/201808-1.html

聖所と、リヴェンツァ川湧き水の流れ
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20180911-1.html



さて駅前からの真っ直ぐの道を右手に、ヴィットリオ・エマヌエレ2世通りに。
この通りの名前は、初代イタリア王国の国王の名が冠せられていますが、

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写真は振り返っての眺めで、奥の赤い建物が駅からの道角で、
こんな風に道の両側にずっとポルティチが続き、古いロマネスク、ゴシック様式の建物
が続き、1階は殆どすべて店が入り、クリスマスの祭日とあって店は閉まり。



これは大学に卒論を提出し、遂に学士号を獲得、卒業した、のお知らせ。

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詳しくは知りませんが、日本の様に期日までに卒論提出、とかいう事はないのかな、
各自それぞれの目安なのか、指導教授の期限なのか、一斉に卒業というのは
ない様で、OKとなるとこんな風に友人達が描いたりの似顔絵付きのお知らせが
張り出されます。



ヴィットリオ・エマヌエレ2世通りの左右に並ぶ古い由緒ある建物は数が多く、
名前やそれぞれの由緒が記された市の優秀なサイトを見つけました。

西側と東側とに分けて、赤枠で囲い、付いている番号をクリックすると、
説明の各ページに飛びます。
https://www.comune.pordenone.it/it/citta/scopri/facciate-del-corso/esiti/corso-vittorio-emanuele-ii

という事でshinkaiも大いに利用させて貰いまして、

このゴシック風の窓2つ、真ん中にしっかり紋が入った家は、カーザ・シモーニ・
Casa Simoni.

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こちらは東側、左がカーザ・ベルナルディ・Casa Bernardiですが、
2つの建物が一緒にされていて、15世紀の物に左の屋根に見える建て増しは
19世紀末の物だそうで。

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見えるフレスコ画装飾は、2004年に修復された時に壁の下から見つかった物で、
紋章入りの盾の断片、多分市民の紋章と、赤と白の縞の紋章はオーストリアの
物だろうと。

その隣の細高い白の建物は不詳で、
隣の全体が茶系の幾何学模様装飾のは、パラッツォ・デ・ルベイス・
Palazzo De Rubeis、元は中世の建物で、装飾柄は絨毯柄。



こちらにルベイス邸をアップで。  アーチの間の装飾は交互に人間と動物の
幻想的な姿が描かれているのだそう。 

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という事で、市のサイトに載っていた写真から細部を1枚、どうぞ。

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これは動物たちが翼を持っている物ですが、顔が人間の物もあり。



曲がりながら、上り下がりしながら緩やかに続く道の先、建物の上に突き出す
街の聖堂サン・マルコの鐘楼。

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化粧品店は閉まっていたのですが、ショウウインドウには灯が点いていて、
ディールの口紅の宣伝とか、

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暫く前からTVのCMで見る、ディオールの香水ジュー・ド・ロウ。

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この名は俳優のジュー・ド・ロウと同じで、以前彼をCMに使い、
男性用の香りも売られていた様で! 彼がとても若く、いつの事?!

今のこれは、女性用ですよね?! どなたかおせ~て。



アックワ・ディ・パルマ。 人間用香水ではなく、部屋の香りみたいですね。

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今年のクリスマス前からずっと流れていた、シャネルの5番。

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道の両脇の建物の下は、ずっとこんな風にポルティチが繋がり、どこも柱の形は
違っても幅が同じですから、かなり昔からの都市計画の一部だったのでしょうね。

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西側の大変に大きな建物で、パラッツォ・コルトーナ・オーヴィオ・フロレアーノ・
Palazzo Cortona-Ovio-Florenano、正面に植物柄の装飾。

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shinkaiは撮らず、目も行かなかったのですが、へへ、1階部分のポルティチの
3本の柱の内、2本は花柄の間に紋が刻まれた柱頭で、右側の柱頭には
子供の頭がフレスコで描かれているそう。



東側の、カーザ・ピッティーニ・Casa Pittini. ちょうど通りの中程にあり、
元はゴシック様式だったのが、歴史経るうちに上が増築されたのが17世紀。
フレスコ画装飾は壁の幾何学模様と、ゴシックの窓周囲の花柄。

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これも東側の建物に出ていた碑で、ジュゼッペ・ガリバルディがこの館に逗留し、
敵と戦った、という記念碑。

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緩やかに通りが曲がりつつ進みます。

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ポルデノーネの街は、元々川の港として既にローマ時代から農作物や商品の
集散地として栄えたと上記しましたが、お隣に接するスラブの文化も受け、
オーストリアの貴族、後にハプスブルグ家の治世下にありましたが、

16世紀初頭になり、ヴェネツィア共和国の傭兵隊長であったバルトロメーオ・
ダルヴィアーノ・Bartolomeo d'Alvianoによりオーストリアから奪取し、
暫くの間彼が統治、その後息子の代まで続きますが、やがて直接統治に。

ヴェネツィア共和国は新しく港を建設したり、製造業を強化させたりで
街の繁栄を築いたと。

バルトロメーオ・ダルヴィアーノについてはこちらに。
ある傭兵隊長のお話と、 名画に描かれた、または名画の謎 
http://www.italiashiho.site/archives/201702-1.html


今回こういう事を改めて知ると共に、電車で来た時に感じた事、どこか街が
すっきりと整い、例えば駅のトイレの清掃なども我が町コネリアーノ等よりずっと
行き届いていた事などなど、町の人口もコネリアーノの3万5千人に比べ、
5万1千人と多く、繁栄している、という言葉が良く理解できたのでした。

何となしにフリウリの街としては皆さんの頭にもウーディネ・Udine、そして東の、
イタリアの端でもあるトリエステ位しか頭に浮かばないだろうと思うのですが、
つまり何となしに「田舎」という雰囲気がすると思うのですが、

地味に見えるものの、実際の富の蓄積はかなりの物ではないかと、言う気がします。
何せ駅からこの通りに曲がるまでの直線3,400mだと思う通りに、なんと幾つもの
銀行があり、ジュリアーナと2人で驚いたのでした!

実際、堅実な働き者という評判のフリウリの人々ですものね、ははは。
そういえばジュリアーナもフリウリの北、トルメッツォ・Tormezzoの出身ですが、
長い事ポルデノーネに住んでいた事もあり、懐かしがっていましたが、
そう、そういえば、やはり堅実ですねぇ!   とちょっと脱線でしたぁ。



これは西側の建物で名前が見つかりませんでしたが、如何にもクリスマスらしい
可愛い飾り付けが気に入ったので撮ったもの。

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これも見つからずの建物ですが、古い紋が2つ見え。

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東側の中程、パラッツォ・ティンティ・palazzo Tinti. この高い細長い入口風の
塔の建物に続き、右に大きな建物が続きますが16世紀の物と。
ティンティ家というのはベルガモ辺りから17世紀頃にポルデノーネにやって来た家系、
といい、どうやらその後この建物を購入したもの。

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東側、パラッツォ・クレシェンドロ・ミラーニ・Palazzo Crescendlo-Milani.
クレシェンドロという家系はポルデノーネで既に1447年に貴族となった家系が、
既にずっと前に絶えていると。

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名の並ぶミラーニ家は信頼される商人家で、説明に「かってのティンティ家の
小路を発見し、正面壁のフレスコ画や装飾品を発見した」とあるので、
建物を購入した、という事かと。



西の、建物の間を抜け、谷の様に低くなり、林の続く住宅街に出る道で、
この一帯は再開発されたか整備されたかで、かってとまるで様子が変わっていると、
ジュリアーナの言葉。

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一方こちらは東側の建物の間を抜ける小路で、なかなか良い雰囲気だったので。

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我らはこの日旧市街の通りを1本通り抜けただけですが、西にも、とりわけ東側に
新市街が広がります。



西側の大変大きな18世紀頃の建物でしょうか、ふ~んと思って撮ったのでしたが、
サイトでは名が見つかりませんでした。  

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大分陽が射してきているでしょう?



西側、カーザ・グレゴーリス・バッサーニ・Casa Gregoris-Bassani.
装飾は色の美しいダマスコの織柄と3つの帯装飾。
上の壁の真ん中に見える白黒の紋章はグレゴーリスの物で、リボンで壁の釘に
結ばれたようになっている。

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というので、サイトにあった写真でお確かめを。

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ポルティチの上に見える帯状装飾に見えるのは、マスケラ・仮面、イルカ、シレーナ・
人魚、トリトン、ヒッポグリフィ・馬体にグリフィンの頭と翼を持った怪物。

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コルソ・ヴィットリオ・エマニエル2世通りの突き当りにあるコムーネ宮・
市役所が見えてきた所。

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西側の、パラッツォ・マンティーカ・Palazzo Mantica. 左に続くもう一つの
建物と一緒になっているそうで、3階の中は広いスペースになっていると。

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窓の間に描かれたフレスコ画は2人の騎士の戦闘場面で、ヴァレーリオ・コルヴィーノ・
Valerio Corvinoがガッロ・Galloを殺害する場面。 

ポルデノーネ出身の16世紀の画家、ポルデノーネの発想だそうで、
彼については次回に。



東側、パラッツォ・ヴァルモ・ポーモ・palazzo Varmo-Pomo.カーザ・デイ・
カピターニ・Casa dei Capitaniと命名されたもので、通りが横切る角にある。
壁のフレスコ画は絨毯柄で埋められ、交互に盾形の大きな紋章があり、
3つ目の物はサン・ダニエーレ・ディ・ヴァルモの貴族であることを示す。



カーザ・デイ・カピターニというのは、治世官、ヴェネツィア共和国から
遣わされる代々の治世官が済み、統治する館の事ですね。

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角を曲がり道に面する側には煙突の形が見え、北国のイメージのあるテラモン像・
男性像がある。  これは多分煙突のでっぱりの下にあるものと。



で、サイトより、テラモン像を。

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また少し進んでの東側、こちらも交差する通りに面しての壁画が良く残った、
パラッツォ・ポラッコ・バルバリケ・スカラムッツァ・Palazzo Polacco-Barbariche・
Scaramuzza. 元は14世紀の建物で、現在残るのは修復後の16世紀の姿と。

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フレスコ画は花柄の帯状装飾と、中世に使われた煉瓦状のもので全体が
埋められている。 色も優しく美しいものでしたよ。



これは西側の建物の下を抜け、少し下って行く道。 素敵でしょう?!

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という所で、一休み。 このクリスマスの日に、この通りで店を開けていた2軒の
バールの内、市役所の斜め前の古くからの歴史を持つバールに入りカフェを。

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いや、shinkaiはカフェではなくオルゾで、クロワッサンを一つ食べました。
大きなというか、幾つもの部屋が繋がっているバールで、お馴染みのお客が
次々と入って来て、皆クリスマスの挨拶を交わしておりました。

という事で、次回にサン・マルコ聖堂などのご案内を。

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