・ N.3 イタリアの美術・博物館 ランキング 2019 ◆重要追記◆

◆ 朝のニュース  4月27日 ◆

コロナヴィールスの感染者は、計198000人、死亡者は+260名の
計26644人、治癒された方は64928人、となりました。

が一番大きなニュースは、5月4日から封鎖を解き再開する、という事で、
既に今日27日から手工業などは再開していて、

5月4日から全体の再開、ただし店は11日から、教会のミサはまだ、
お葬式も15人以下はOKとなり、レストランは持ち帰り用のみで、
1人でのスポーツはOKと。

移動公共機関は再開されても、乗る人数、間引き運転などまだまだ
以前のようにはならずで、

美術館などは確か5月18日から開館となり、学校は9月に伸びそうです。
バールは6月1日からとなり、美容院なども6月1日から。

他にも様々細かい制限がたくさんあり、それもかなり変わるので、
気を付けて見ないといけませんが、漸くに! です。

但しコンテ首相は、この再開でまた感染者が増えるであろう、との事で、
でもこの2か月間の封鎖で、様々な弊害が大きくなり、遂に
コロナヴィールスと共存する形で、という様子だろうと思います。

当分の間はマスクを付け、距離を開けての様子となり、
今迄通り自衛する事が大事な状態です。

**********


先回に続き、イタリアの美術・博物館の入場者数ランキング2019
第3回目を。 単に入場者数のランキング、に興味を持ったのではなく、

やはり時の経緯というのか、観客の興味の推移にもあるだろうという思い、
と共に、あちこちイタリアの町村を回っている私には、
いやぁ、この博物館、美術館もランキングに入った、という様な、
再会の嬉しさ、もありです、はい。

またイタリアに来られる時の、街訪問の目途にでもして頂けるよう望みます。
では、21位から30位までをどうぞ。

最後の追記を見て下さいね。

21. ヴェネツィアの国立考古学博物館・Museo Archeologico di Venezia
   訪問者数 316461人   前年比 -20661人

ヴェネツィアのサン・マルコ小広場、ドゥカーレ宮と運河に面した広場にあり、
ギリシャ期からローマ期に至る彫像や、細工品など、ヴェネツィア貴族の
コレクションが主となっている、内容の素晴らしさに実は見学して驚いたのでした。

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ヴェネツィアの考古学博物館ちょっぴり n.1
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20170912-1.html

ヴェネツィアの考古学博物館 n.2
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20170916-1.html


住所 San Marco 17/52 (Piazza San Marco) Venezia

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22. シルミオーネのスカラ家の城・Castello Scaligero di Sirmione
   訪問者数 308459人  前年比 +1327人

ヴェローナ領主のスカラ家がガルダ湖の畔、シルミオーネに築いた13~14世紀の
要塞で、ガルダ湖に迫り出す見事な物で、内部の見学も見ごたえあるもので、
かって織田信長が琵琶湖の畔に築いたという安土城を思い重ねた物でした。

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シルミオーネ ・ ガルダ湖の青い、蒼い、碧の水
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417128.html


住所  Piazza Castello 34 Sirmione BS

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23. ミラマーレの城歴史博物館・Museo storico del Castello di Miramare
   訪問者数 307177人   前年比 +29640人

トリエステの西、ミラマーレの海に面し、ハプスブルグ家のマキシミリアンが
1856~1860年に築いた中世風を模したバロック様式の城で、城内の部屋は
すべて海に面した素晴らしさと共に、背後に広大な植物庭園があります。

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トリエステ ・ ミラマーレ Miramare
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460993347.html


住所 Viale Miramare 34151  Trieste

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24. ヴェネツィア・アッカデミア美術館・Gallerie dell'Accademia di Venezia
    訪問者数 304999人   前年比 +16498人

18世紀から開館のヴェネツィア絵画の宝庫の絵画館。ジャンバッティスタ・ティエポロ、
ジョルジョーネ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、カルパッチョ、チーマ・ダ・
コネリアーノ等々、広い展示室でゆっくり鑑賞でき、常時展示ではない物の
レオナルド・ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図も収蔵。祭壇画、彫像も。

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住所 Campo della Carità, Dorsoduro Venezia

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25. ナポリ王宮・Palazzo Reale di Napoli
   訪問者数 272061人  前年比 +27703人

1600年から1858年に建造の、かってのナポリ王国はブルボン家の王宮で、
前面に広いプレビシート広場を望み、見学は庭園と、サン・カルロ劇場が含まれる。

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住所 Piazza del Plebiscito 1 Napoli

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26. カステル・デル・モンテ・Castel del Monte
   訪問者数 269794人  前年比 +2144人

プーリア州のアンドゥリア・Andria郊外にある、13世紀にローマ皇帝の
フェデリーコ2世によって築かれた八角形の城で、世界遺産に指定されている。
軍事目的でも居城でもなかった様で、美しい形、丘の上にぽつんと立つ、
高さ23m、ロマンと謎を誘う城でもありますね。 見たい城ではありますがぁ。

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住所 Strada Statale 170  76123 Andria  BT

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27. サンテルモ城・Castel Sant'Elmo
   訪問者数 266895人  前年比 +41984人

ナポリの山上にある14~16世紀にかけて建設の城で、元は10世紀の城で、
サン・マルティーノ修道院に隣接。 現在は城内見学と共に、
「ナポリ1910-1980」博物館がある。

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サン・マルティーノ修道院、当時は城と聞いたですが、は見学した事があり、
サンテレモ城は知らない、事が今回判明し、
いずれにしても素晴らしい眺めを持つことは確か!



住所 Via Tito Angelini 22  Napoli

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ナポリの歳末風景 ・ プレゼーピオ、そして下町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462598189.html

n.1 ナポリ街歩き、 そして周遊バスの上から
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464224566.html

n.2 美しきナポリ、 周遊バスの上か
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464224793.html



28. マルケ国立美術館・Galleria Nazionale delle Marche
   訪問者数 265575人  前年比 +71476人

ウルビーノの美しいドゥカーレ宮内の美術館で、ドゥカーレ宮自体と、絵画展示。
ルネッサンス文化を取り入れた宮廷として有名で、モンテフェルトゥロ公の書斎も。

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ウルビーノにはラファエッロの生家も残り、静かな佇まいが心地良い博物館に。

ラッファエッロの生家、そして、殺人的坂道のウルビーノ!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304481.html

ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304758.html


住所 Piazza Rinascimento 13  Urbino

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29. カラカラ浴場・Terme di Caracalla
   訪問者数 258486人  前年比 +25396人

コロッセオの遺跡の南西に130000m²の広さを持つ、212年~216年にかけ
建設された大浴場跡で、名前が示す通りカラカラ帝の治世中のもので、
2000~3000もの浴槽があり、アッピア街道から400mの距離に。
単に浴場というよりは、現在のレジャー施設であったわけで、ここにも
ローマ期の文化の高さが分かりますね。

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様々な公演会場が設置されるので名前だけは良く知っているのですが、
今回遺跡の写真を見て、その広大さ、巨大さに驚きました。
次回にローマ訪問のチャンスがあれば、必ず見に行きたいものです。


住所 Viale delle Terme di Caracalla  Roma

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30. カポディモンテ博物館・Museo di Capodimonte
   訪問者数 252723人  前年比 +64401人

この博物館の目玉となっているコレクションはファルネジーナ家、スペインの
王家にお輿入れしたファルネジーナ家のエリザベッタが、長男カルロに相続させ、
カルロがナポリ王となってこのナポリに残った、素晴らしいコレクションで、
絵画、彫刻を始めあらゆるものに及ぶそうで。

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ナポリ カポディモンティ博物館のご案内ちょっぴり
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468061515.html


住所 Via Miano 2  Napoli

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という様な、2019年のイタリアの美術・博物館ランキングを元にご案内
して来ましたが、最初に書きました様に様々な変化が起きており、

コロッセオ、ウフィッツィ美術館、ポンペイ遺跡は、イタリアのスーパー・スターで、
毎年ずっと観光収入の稼ぎ頭なんだそうで!

そしてかっては上位にあった、フィレンツエのピッティ宮の絵画、博物館、
ボーボリ庭園、メディチ家の礼拝堂は30位のランキングからは姿を消しています。
と言って、まるで無くなった訳でなく、観光の目玉が様々に広がって来た、
という事なのでしょう。

その代わりナポリはポンペイ以外にも、博物館2つ、王宮、城と4つも入る、と
いう健闘ぶりで、これはマルケ州のドゥカーレ宮も!

私個人としてはトリエステのミラマーレの城や、マントヴァのドゥカーレ宮、
ガルダ湖のシルミオーネの要塞などの名を見つけ、とても嬉しかったですし、

ああ、あそこはやはり見たい、という場所もあれこれ出来、目的に。
皆さんにも、そんな目的の場所が見つかったなら、嬉しいです!

◆ 重要な追記を ◆
 
いつもあれこれ教えて下さるシニョレッリさんからコメントを頂き、このランキングは
国の美術・博物館のみで、市立は含まれていないのではないかと。

最初即頭には「ヴァティカンが入っていないなぁ、まぁ、別の国だから」
と思ってはいたものの、市立美術・博物館の事はピンと来ていなかったのですが、
そう言えば仰る通り、ミラノのスフォルツェスコ城も、ヴェネツィアのドゥカーレ宮も
皆市立なのですね。

という事で大急ぎで調べましたら、やはり市立美術・博物館は含まれて
いないのが分かり、 なぜ?! 訪問者数も多い、大きな美術・博物館の
訪問者数を調べたのを追記いたしますね。

ヴァティカン市国、でイタリア国ではないですが、一応ローマに位置する
ヴァティカン美術館 2018年度 約6756000人  世界第4位で、
 イタリアで言うとn.1のコロッセオの 7554544人に継ぐ第2位に!

 ですが「コロッセオ」は考古学公園という事だからか、世界の美術博物館の
 ランキングには入っておりませんが、数のみで言うと第3位の位置に!

 序に書きますと、世界ランキングのn.1は、そう、やはりパリのルーブルで、
 n.2は北京の博物館 n.3はニューヨークのMet・メトロポリタンで、
 フィレンツェのウッフィッツィ美術館はn.27と。

ヴェネツィアのドゥカーレ宮は、2017年の数しか分かりませんでしたが、
 1405439人で、市立博物館としてはイタリアでトップに当たり、
 イタリア全体でn.5の位置に!! イェイ。

ヴェローナのアレーナは、2015年度の数で、約849000人、
 ですから、2019年に900000人として、n.6の位置に。

ミラノのスフォルツェスコ城は、2019年度に587070人の記録を作ったそうで、
 これはレオナルドの生誕500年記念のお陰もあったものと。 n.12.

パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂は、2017年の数で、300000人超と言い、
 350000人として、n.18に。

再追記を
・シエナの市立、パラッツォ・プッブリコ宮は、2018年度で、161317人、
 そして別にマンジャの塔に148533人という事で、
 合計して309850人という数、350000人としても、第18位ですね。

・同じくシエナの国立絵画館は、20847人という、シエナ派の素晴らしい
 作品の宝庫なので、ちょっと勿体ない感じがして、

シエナ好きのshinkaiとしては、少し残念です。
フィレンツェにお出かけの時は、是非足を延ばしてシエナにもどうぞ!!


現在の観光省大臣の、ダリオ・フランチェスキーニという方が4年前から
大変に文化財の保護、観光業などに力を入れておられ、美術・博物館の
運営が自営となったようで、その成果が大変に上がっているそうで、
その分も含め、現在のコロナヴィールス禍は大変残念ですが、
今後ともの発展を願いましょう!

シニョレッリさん、大変有難うございました!!


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・ N.2 イタリアの美術・博物館 ランキング 2019

◆ 4月24日 朝のニュース ◆

コロナヴィールスの感染者数は、前日+3033人 計106848人
死亡者は、+464人 計25549人 治癒の方 計57576人。

未だに感染者が多く、亡くなる方も400人を超えていますが、

5月4日から再開する、とのニュースに勢いがついていて、
危険度の少ない事業の再開は、ひょっとして来週月曜からになるかもで、
いずれにしても5月4日から再開になると。

同州内での移動には問題が無くなり、公共移動機関は数が規制を受け、
マスク着用、距離を置く事などで、大変難しい問題が様々。

店の開店は5月11日からになる様で、これも店の種類により、客の距離、
マスク着用、等など、
バール、レストランなどは5月18日からで、これも客の距離、等など
様々な条件が課せられます。

映画館、劇場、ディスコテーカ、コンサートなどは、余りにも問題が多く、
まだいつから、という事は示されておりません。

いずれにしても問題山積ですが、それでもトンネルの先が見えて来た様で、
少し気が楽になっています。

**********


先回に続き、イタリアの美術館、博物館の2019年のランキングのご案内
ですが、これは単にどこがどう、というのではなく、
まるで知らなかった博物館を知るとか、今までの傾向とは違って来ている
のも知り、大変興味深く感じています。

ローマのコロッセオが、毎年ダントツの1位だというのも、成る程なぁ!と
思ったり、それ以下の順位が動くのも、すでに以前見た所ではなく、
新しく興味を持って見に出かける、という、個人旅行者が増えているのかな、とも。

いずれにしても、11位以下20位までの様子、5,6年前にはリストに無かった
名前がかなり上がって来ていますので、ご覧下さいね。

11. バルジェッロ博物館・Museo Nazionale del Bargello
   訪問者数 644569人  前年比 -5631人

かっては監獄、兵舎だった建物で、見た目も厳めしい建物ですが、1865年から
美術館となり、ここにはゴシックからロマネスクにかけての彫刻の収蔵が多く、
ミケランジェロ。ドナテッロを初めとする名作が、そして陶器やタペストリー、
様々な当時の細工物の展示の数には驚くばかり!

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住所 Via del Proconsolo 4  Firenze

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12. ボルゲーゼ美術館・Galleria Borghese
   訪問者数 572976人  前年比 -36447人

ローマの街中ボルゲーゼ公園にあるボルゲーゼ美術館で、ルネッサンス、
バロック期を中心としたボルゲーゼ・コレクションを中心の収蔵品。
ティツィアーノ、コレッジョ、カラバッジョなど、そしてベルニーニの彫像でも有名。

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shinkaiは未だ訪問した事なく、残念。


住所 Piazzale del Museo Borghese 5  Roma

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13. エルコラーノ考古学公園・Parco archeologico di Ercolano
   訪問者数 558962人  前年比 +24634人

400平米に及ぶ広さの、ポンペイ同様西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火で
埋まった町の遺跡で、世界遺産に登録は、ポンペイ・エルコラーノ、トッレ・
アヌンツィアータの遺跡地域と。

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ポンペイ遺跡の素晴らしさは、我らまるで素人にも、手に取る様に当時の
様子が想像出来るほぼ完全な形で残っている事で、
おまけにその文化の高さにも驚かされます。

エルコラーノには行ったかとタクシーの運転手さんに尋ねられ、
あそこも凄いですよ、と聞かされて以来、いつかまた訪問したいものと。


地図に見える駅が、ナポリから連絡の駅。

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14. トリノ王宮博物館・Musei Reali di Torino
   訪問者数 492049人  前年比 +10897人

トリノにある、かってのイタリア国王サボイア家の王宮、庭園、図書館、武器庫、
絵画館、博物館などが一緒になった博物館で、2016年から再発足の物。
これはきっと見ごたえのあるものと!

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住所  Piazzetta Reale 1  Torino

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15. ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」・Cenacolo Vinciano
   訪問者数 445728人  前年比 +19977人

レオナルド・ダ・ヴィンチがサンタ・マリーア・デッレ・グラツィエに1494~98年に
描いた「最後の晩餐」図、460x880cmの壁画。 
テンペラやワニス、油なども使ったテクニックで描かれ、かっての保存が悪いためもあり、
かなり破損していますが、やはりその見事さは群を抜き、現在の我々も魅了します。

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我が友ジュリアーノはまだ見た事が無いというので、予約を調べたものの、
何か月分も満杯で! 初めてイタリアに来た1984年当時はまだ修復が済んでおらず、
足場が組まれた状態で見ましたので、いつか必ず再訪したいものと。


住所 Piazza di Santa Maria delle Grazie 2 Milano

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16. パエストゥム考古学公園・Parco Archeologico di Paestum
   訪問者数 443451人  前年比 +161112人

カンパーニア州サレルノにある、紀元前550年頃からギリシャ移民による神殿建設
が始まった大きな植民都市で、古代ギリシャ、古代ローマ遺跡が残っている物で、
世界遺産に登録されている。

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住所 Via Magna Graecia 917/919 Paestum  Salerno

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17. ブレラ絵画館・Pinacoteca di Brera
   訪問者数 417976人  前年比 +31561人

1809年に美術館として開館のブレラ絵画館で、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、
ジョヴァンニ・ベッリーニ、マンテーニャ、ラファエッロ等々、ほぼ北イタリアの
名品を収蔵している。  広い館内でゆっくりご覧になれますから、是非一度!

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n.1 ブレラ絵画館 ミラノ 再訪   ・ 個展のお知らせ
http://www.italiashiho.site/archives/20191012-1.html

n.2 ブレラ絵画館 ミラノ 再訪
http://www.italiashiho.site/archives/20191018-1.html

n.3 ブレラ絵画館 ミラノ 再訪
http://www.italiashiho.site/archives/20191126-1.html

F.アイエスの 「接吻・バーチョ」 ・ 周辺事情あれこれ
http://www.italiashiho.site/archives/20191201-1.html


住所 via Brera 28 Milano

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18.マントヴァのドゥカーレ宮・Palazzo Ducale di Mantova
  訪問者数 346462人  前年比 +22784人

このドゥカーレ宮は14世紀初頭から、マントヴァの領主ゴンザーガ家の居城と
なり、増築を重ねた、大変ややこしい構造になっていて、500近い部屋数と。

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1457年マントヴァに家を与えられ宮廷画家となった、マンテーニャの描いた
「結婚の部屋」1465~1474年の壁画には、ゴンザーガ家の家族や
四季が偲ばれる物。

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マントヴァと一緒に世界遺産指定のサッビオネータのご案内は
n.1 マントヴァ・Mantovaと、サン・ベネデット・ポー・San Benedetto Po
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464089512.html

n.2 マントヴァ・Mantovaと、サン・ベネデット・ポー・San Benedetto Po
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464090033.html

n.1 サッビオネータ  ルネッサンス期の理想の町、世界遺産登録
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464880831.html

n.2 サッビオネータ  ルネッサンス期の理想の町、世界遺産登録
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464881437.html


住所  Piazza Sordello 40  Mantova

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19.ローマ国立博物館・Museo Nazionale Romano
  訪問者数 323750人   前年比-25514人

ローマ・テルミニ駅すぐ近くにある考古学博物館、というものの、まだ未訪問で、
他にもアルテムス邸・Palazzo Altemus,Piazza di Sant'Apollinare 46
や、ここは彫像などを収蔵で、4つほどの博物館が含まれます。

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住所 Largo di Villa Peretti 00185  Roma

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20.オスティア・アンティーカ考古学公園・Parco archeologico di
   Ostia Antica
   訪問者数 322089人  前年比-11936人

紀元前7世紀から中世前期まで栄えたローマの港町遺跡で、1500000m²
に及ぶ広さで、訪問した友人たちは皆、想像していたよりも良かった、凄かった、
という感想を述べます。
きっとポンペイ遺跡と同じ高さの文化程度の町だったのだろうと。

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住所 Viale dei Romagnoli 717  Roma

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いやぁ、こうして調べると尚の事、イタリアが保存している文化遺産の凄さと
数に改めて驚かされ、訪問できるチャンスがある様に願います。

そしてまた皆さんに1日も早く、イタリアにお出かけ下さ~い!!
言える日が来るのを心待ちにしています!


で、最初は1~20位までのご案内を、と考えていたのですが、リストには
20位以下30位にもそうだ、そうだ、というのが並びますので、
もう一度続けてご案内したいと思います。 よろしくどうぞ!


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それもご了承下さいませ。

・ n.1 イタリアの美術・博物館 ランキング 2019

◆ 4月21日 朝のニュース ◆

コロナヴィールスの感染者数は、前日+2256人 計108237人
死亡者数+454人 計24114人  治癒の方+1822人 計48877人。

前日カンパーニャ州(ナポリのある)では、1人の感染者も、死者もなく、
サルデーニャ島でも死者が無かった、という嬉しいニュースもあり、

コンテ首相は5月4日から再開する、ただし州と県による違いが出るで
あろうという発表をしました。

この日曜から、今までは家から200m以内、と決められていたのが、
マスクをして、少し遠出もOKとなり、早速に嬉しく歩き始めました。

所で今朝のニュースの時、東京からの特派員の報告があり、
一番目はまず北朝鮮のキム総理の安否ニュースになりましたが、

とりわけ東京でコロナヴィールスの状況が進んでいて、病院がその対応に
追われ、一般の患者を受け付ず、事故した方を受け入れる病院を探し、
80回ほども電話して回り、受け付けてくれたのは何十キロも離れた病院
だった、という様な報告をしておりました。

その彼のいる公園では子供たちが何人も、マスクをせず遊びまわる姿、
声も聞こえる程で、親も付かず、これは日本の安全さでもありますが、
子供たちはマスクもせず本当に大丈夫なのかと、見ていて気になりました!

どうぞ、世界の状況をご覧になり、しっかり自衛して下さるようお願い致します!!

**********

さて今回から2度に分けて、イタリアの美術・博物館のランキング 1~20位
2019年度 をご覧頂こうと思います。

で、こういうランキングは、20位から始め1位に行くのが本当ですよね?!
はぁ、そう思って用意していたのですが、なんと書き始める前に確認のため
イタリア観光省のサイトを覗きましたら、はぁ、

10位以下の順位が大幅に入れ替わっており!、私の見たサイトは少し古い
記事ではありましたが、中には30位にも入らないのがあったりで、はぁ、
これはイケンと、準備し直しという事に。

で、今回は10位から1位までのランキング、確実な奴をご覧頂く事にし、
次回に11位以下、という事で宜しくお願い致します。

皆さんは一体幾つの美術、博物館をご覧になられたか、
このランキングと比較してみて下さいね。

そして5位、4位は2018年度と変わらず、2位、3位は入れ替わっていますが、
1位はず~~っと不動だそうで、さてご想像が当たりますかどうか。
ではどうぞ!

10.ナポリ、考古学博物館・Museo Archeologico Nazionale di Napoli
  訪問者数 670594人 前年度比+53716人  

そう、このポンペイ遺跡で発掘された美人が、ここで皆さんをお待ちしているし、

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この博物館には、本当に見たいものがたくさんあるのですがぁ・・。


住所 Piazza Museo Nazionale 19 Napoli

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9.ヴィッラ・デステ・Villa d'Este ティボリ・Tivoli
 訪問者数 7201988人 前年比-3816人(数はヴィッラ・アドリアーナも含め)

ローマの東約30kに位置するティヴォリにある、エステ家出身の枢機卿イッポリートが
建物の周囲に大庭園を造り、見事な噴水をあしらったもので、世界遺産指定。

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ティヴォリはまだ行った事がなく、ヴィッラ・アドリアーナも知らずで残念。


住所 Piazza Trento 5 Tivoli

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8.レッジャ・ディ・カゼルタ・Reggia di Caserta
 訪問者数 728231人 前年比-116900人 

18~19世紀にかけて建設されたナポリ王国の王宮で、現在世界遺産の、
ヨーロッパでは18世紀に建設の一番大きな宮殿と。 高さ42m 5階建て。

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団体旅行に参加しナポリに行った時に、見学した事がありますが、
王宮自体も素晴らしかったですが、ここの庭園は下の写真で見える様に、
大変広く見事で。


住所 Viale Douhel 2/A Caserta

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7.ラ・ヴェナリーア・レアーレ・La Venaria Reale
 訪問者数 837093人 前年比-121000人

17世紀後半に建設の、サボイア家のカルロ・エマヌエレ2世が建設の王宮で、
ピエモンテ州ヴェナリーア・レアーレにあり、現在博物館。

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ここはまるで名前も知りませんでしたが、上のカゼルタの王宮同様、
こういった王宮の内部の豪華絢爛さと、広大さには驚かされます!


住所 Piazza della Repubblica  Venaria Reale

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6.エジプト古代博物館・Museo delle Antichità Egizie
 訪問者数 853320人 前年比+4397人

トリノの、カイロのエジプト考古学博物館に次ぐ規模の素晴らしい博物館で、
世界において、ヨーロッパの博物館の中でも大変評価されているもの。

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随分昔ですが、一度訪問した事があり、その収集品に驚いたものでした。


住所 Via Accademia delle Scienze 6  Torino

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5.カステル・サンタンジェロ・Museo Nazionale di Castel Sant'Angelo
 訪問者数 1197008人  前年比+83700人

ローマのヴァティカン市国の近くにある、135年からハドリアヌス皇帝が
自分の廟として建設したもので、かっては教皇の要塞でもあり、
円形平面の美しい形で、テーヴェレ河を渡る橋と共に賛美される。

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5-2-Roma-Castel-Sant'Angelo-La-Cagliostra.jpg

現在博物館ですので、こんな部屋も見れるのでしょうが、
なかなかサイトでは見つけられませんでしたぁ。


住所 Lungotevere Castello 50  Roma

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4.フィレンツェのアカデミア美術館・Galleria dell'Accademia di Firenze
 訪問者数 1704776人  前年比-14869人

なんと言ってもここの目玉は、1873年にヴェッキオ宮の前から損傷を防ぐ為に
移されたミケランジェロの「ダヴィデ像」で、素晴らしい威圧感。

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建物自体は特に目立つものではないですが、いつも入り口には
観客者が列を作っているので、すぐ分かります。


住所 Via Ricasoli 58-60  Firenze

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3.ポンペイ考古学公園・Parco archeologico di Pompei
 訪問者数 3937468人  前年比+156538人

660000m²の広大な敷地内に、18世紀半ば以降今なお発掘が続く、
紀元前9世紀から79年のヴェスビオ火山の噴火による埋没迄栄えた
ポンペイの街がそのまま残る何とも素晴らしい遺跡で、
単に考古学的見地からのみでなく、美的、芸術的にも大変優れた
世界遺産認定。

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n.1 ポンペイ遺跡 ・ 劇場二つ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465222138.html

n.2 ポンペイ遺跡 ・ 野外闘技場と、店あれこれ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465222417.html

n.3 ポンペイ遺跡  ・ パン屋、ルパナーレ、フォーロ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465222646.html

n.4 ポンペイ遺跡  ・ アポロ神殿、テルメ、牧神の家
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465223066.html

n.5 ポンペイ遺跡  ・ 秘儀荘 その1
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465223446.html

n.6 ポンペイ遺跡 最終回 ・ 秘儀荘 その2
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465223960.html



2.ウッフィツィ美術館・Gallerie degli Uffizi
 訪問者数 4391861人  前年比+254168人

イタリアのみならず全世界において、ルネッサンス絵画収蔵で有名な美術館で、
質、量ともに群を抜き、フィレンツェ歴史地区の一部として世界遺産に。

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16世紀頃からメディチ家のコレクションは一部公開されていたものの、
美術館として一般公開されたのは1769年からと。


住所 Piazzale degli Uffizi 6   Firenze

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1.コロッセオ考古学公園・Parco archeologico del Colosseo
 訪問者数 7554544人  前年比-95975人

じゃ~ん、コロッセオがダントツで、毎年イタリアで一番の訪問者数を
誇っているのだそうで。  72年から建設が始まり、523年迄使われたという、
15世紀以上を経て今なお、イタリア経済に貢献し続ける偉大さ!!

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ちなみに切符の値段を調べましたら、16エウロ! 
700万人として、はぁ、112000000エウロ、shinkaiは読む桁が分からず!!

随分長い事内部訪問はしておらずですが、この記事を読み、
16エウロを御喜捨しに行きたくなりましたぁ。 

n.1 駆け足ながら、 ローマの休日!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462596986.html


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・ 麦畑の色 ・ シエナのクレータ、 トスカーナ

追記 4月19日  朝7時のニュース ◆

コロナヴィールスの感染者は+3491人 ほぼ昨日と同じで、
計22745人 死亡者+482人 昨日よりも100人ほど少なく、
治癒された方は+2200人、これは記録の様。

ヨーロッパ全体の死者の数は、100万人を超えたそうで、
各国それぞれ、今後の対処方針が違ってくる様子です。

***

まだ午後6時の感染者や死亡者の数の発表がないので、
取りあえず、今の様子を。

ヴェネト州を含め北の3州は、ここ2週間続いて各数が下がっているので、
5月4日からの第2段階に向けての議論が盛んになって来ています。

学校はどうやら5月の末になりそうですが、
先程のジュリアーナとの電話で、ヴェネトは今日、家から200m以内、と
決められていた散歩など、もっと遠くまでマスクをしてOKになったといい、
ずっと遠慮していたshinkaiも、漸くに明日の朝から歩く事に。 嬉しい!

5月4日に眼鏡店が開く様に願っていますが、美容院などは5月末に
なる様子で、既に3か月以上髪を切っておらず、先日剃刀の刃で
ジョリジョリと自前で。

DVDも2本e-beyで購入、ついでに考え、アマゾンでKindelのアップを
PCにダウンロードし、e-bookを2冊。
早速に読み始めていますが、即届き、お安く、読みやすくで、
大いに気に入りました。 今後はこの手で行こうと!

という、少し元気が出ている現在です。

**********


先回に続き、もう一度トスカーナの緑色を見てやって下さいね。

但し、今回はオルチャの谷よりも北になる、シエナのクレーターと
呼ばれる位置にある麦畑の色。
5月下旬だったのですが、すでに畑によっては麦秋の色に
なりかけていたのですよ。

まだ緑の麦畑、麦の穂は先っちょがほんの少し黄土になっていますが、

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シエナのクレータ、というのは、中世においては「砂漠」と呼ばれ、
不毛の地だったようですが、現在は余程でないと丹念に耕作された
麦畑が広がっていて、

地図をどうぞ。
シエナから南に下り、南東のアルビア・ArbiaからSP438・県道438号線
が南東に下りアシャーノ・Asciano迄連絡しますが、
この道一帯がシエナのクレータと呼ばれる地域で、素晴らしい風景が
広がります。

1-2-m1.JPG

シエナから下って来る道の真っ直ぐの方、イゾラ・ダルビア・Isola d'Arbiaを
囲った道はかってのローマへの巡礼道ヴィア・フランチージェナで、
ブオン・コンベントを通り、サン・クイリコに続く道。



で、今日ご紹介するのは東を通るアルビアからのSP438号を、町から
外れてすぐ左に分岐する地道、ストゥラーダ・デッレ・メダーネを行く様子で、

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ずっと先に進むと、西を下る元フランチジェーナの道に合流します。



まだ殆どの麦畑は、こんな風に緑色。

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道を辿り少し上って来ると、県道を挟んでの向こう側の丘が見えますが、
この日は靄がかかり、おまけに大快晴で、まったく色が出ずで。

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少し先に進んで見れた上の糸杉の並木道。

5-C26_4318_GF.jpg


トスカーナは麦秋の色、 刈り入れの季節
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460855556.html

トスカーナ・シエナのクレーターの麦秋と、 アシャーノの町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461452913.html

みどり、緑のトスカーナの春に ・ シエナのクレーター
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461453262.html



いつもご覧頂く時は、大体自分が進んだ行程の写真で見て頂いてますが、
今日は麦畑の色を、という事で、後先関係なしに色のみで分けましたので
ご了承を。

廃屋となった大きな農家。 こういうのが結構あり、見るのは寂しいもの。

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ほらね、手前の畑は既に黄土色に変わりかけた麦畑! 

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青い空の下、草むらに咲き誇る野草の赤い花。

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こんな風に地道がカーブしながら奥に続き、坂を上ったり下りたり・・。

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少し高台だとと、麦畑がこんな風に広がるのが見え、色が少し変わり始め。

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ここは県道から入り込んで直の所でしたが、この丘が切れると、

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こんな風に、奥にシエナの街が見えるのです!

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そう、マンジャの塔と、ドゥオーモの鐘楼の高さが遠くから見ると同じ高さに。



遠くに糸杉の並木を持つ農家。 多分ここもアグリトゥリズモと。

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麦の穂の色。 ほらね、こんな風に微妙に緑色が残っていて。

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色違いの畑が層になり。

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先回見て頂いたピエンツァ近くの畑が黄色に埋まっていたのは、
この花なんですけど、名前を知らず。

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麦畑の隅に赤く揺れるポピー。

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殆ど黄黄土色に変わっていますが、それでもまだ緑色を感じるでしょう?

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という、「シエナのクレーターはメダーネの道」ご紹介でしたぁ。

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・ オルチャの谷、 緑の春を偲びつつ

◆ 4月15日 イタリア、コロナヴィールス ◆

4月15日夕方6時の発表では、新しい感染者が1127人、
計165155人となり、 死亡者は+578人 計21645人、
治癒された方962人 となり、死亡者は遂に2万人を超えました。

依然としてミラノの状態が良くならずで、懸念されます。
医師の死亡は121人となりました。

工場、店の再開もあれこれ取り沙汰されておりますが、
スポーツ界も同様、サッカーの開始も待たれていますが、さて。

自転車のジーロ・ディターリアは、9月の世界選手権の後の
10月に延期され、トゥール・ド・フランスは8月29日~9月20日と
正式に決まった様子。

下降線をたどっているとはいえ、やはり再開の機運が高まるにつれ、
本当に大丈夫なのか、と逆に心配になったりしています。

**********


パスクワ・復活祭も済み今年2010年の春も今たけなわ!
例年パスクワの翌日の月曜はパスクエッタと呼び、祭日で、
この日はハイキングに出かけ、外で皆でお昼を食べたりするのが
恒例なのですが、今年は3月から家に封鎖状態!

陽が煌く頃となり、窓の外に見える木々が新芽を吹き出し、
と思ううちに花が咲き始め、今は既に新緑に囲まれた毎日ですが、
窓から空気を吸いつつ、眺めるだけ!!

という事で、未だ整理していなかった、へへ、2年前の春に出かけた
トスカーナはオルチャの谷と、シエナのクレータ一帯の写真を整理し、
ああ、綺麗だったよなぁ! また行きたいなぁ! という事で、
皆さんにもご覧頂きますね。 

今日ご覧頂くのは、ピエンツァの町の城壁から見た平野の緑と、
ぐるっと南を回りつつ見た広がる平野、5月下旬の緑をどうぞ!

ピエンツァの町は海抜491mに位置し、下から緩やかな坂道を来て、
この先に見える曲がり角を曲がった途端に急傾斜となる位置から。

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真ん中左にピッコローミニ邸のテラスが見え、右に聖堂と鐘楼、隙間を
抜けると聖堂前の広場に。



逆に、町の外を囲む城壁の中からは、こんな風に平野が見え、
奥に、そして右に左に緩やかな平野が広がります。

2-S21_2596_02_GF.jpg



これも城壁から見える奥のこんもりの丘。 ちょうど上に葡萄畑があり、
遠くからだと稜線に点々を打ったように見えるのですよね。

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町から一気に坂道を下って来ると、この道に出て来て、カーヴを幾つも
曲がりながら下って行きます。 うららかな春の陽射し。

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ほら、道が切れる位置の左右に路肩が地道になっている所がありますね。
あそこから、睥睨するようなピエンツァの町が見える所で、
車で訪問する人の為のカメラ・ポイントです。



畑の状態に寄りますが、ちょうど黄色い花が満開になる時期で、
真ん中に黄色が光っているのが、あそこが本当に満開の畑でした。

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こんな感じ! 

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雲の切れ間から光が射したり、影ったりすると、畑の色と様子が一変し。

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下の写真の奥に見える建物が、テッラピッレ・Terrapilleのアグリトゥリズモで、
糸杉の道をもっと右(西)に行くと、グラディアトーレの道。

映画「グラディエイター」の道
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20180302-1.html

糸杉の道 2本 ・ シエナのクレーター と オルチャの谷と
http://www.italiashiho.site/archives/20180726-1.html



ピエンツァの町から下って来て、一連の急な坂道、カーヴを過ぎた所。
写真を撮っていると、下から自転車のご夫婦が上って来て、先に到着の奥方が、
イェーイ、勝ったぞ!とでもいう笑顔で手を叩いてご主人を迎える所、ははは。

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お2人とも、かなりのお年ですが、お元気で、このはつらつさ、結構ですねぇ!
この先がきつい坂道だから、頑張ってね。



で、この道の西側が、こんな感じで、奥に見える町がサン・クイリコ・ドルチャ。

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緑の色が畑によって違うのですよねぇ、これが不思議。

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サン・クイリコ・ドルチャから南周りに辿ってくる道。 一番奥に見えるピエンツァ。

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起伏する丘の流れと、こぼれる雲間の光。




ほぼピンツァの下辺りまで来て、東の眺めを。

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流れる起伏する丘。

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そしてピエンツァの町。

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一番奥に小さくピエンツァ。 この広い空と幾つもの丘。


今、オルチャの谷の小さな町、村はどんな様子なんだろ?
観光客がまるで、というのは生活問題だろうし、それも気になります。
またあの一帯を訪れる事の出来る日が、早く来ます様に!!


*****
  
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・ 復活祭・パスクア 2020 おめでとう!

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◆ 4月12日 朝のニュース ◆

コロナヴィールスの感染者は、前日+4694人 計152271人、
死亡者+619人 計19468人  治癒の方 24時間で2079名、
集中治療室の方はー116人 となっています。

まだまだ感染者が多く、なかなか予断を許しません。

5月3日までと封鎖期間が延び、既に1か月を経過しているので、
少しばかり気分が、という所もありますが、とにかく頑張らなければね!!

今日はパスクワ! 昨日のマッタレッラ大統領のお話の中にも、
私も1人でパスクワを過ごします。 頑張りましょう!と。

***


そんなこんなで、常にないパスクワの様子をどうぞ!

いつもだとパスクワの日は、ヴァティカンの広場はこんな風に信者が
詰めかけ、ぎっしり満員となりますが、

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先程見つけた、今朝のからっぽの広場の様子を。
教皇様はお一人で広場でお話され、その様子が中継で伝えられます。

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パスクワ前の金曜日は、「ヴェネルディ・サント・聖金曜日」と呼ばれ、
受難したキリストを偲び、ゴルゴダの丘を十字架を背負っていくキリストの
行程を模しての、夜の祈りの行進が行われます。

いつもはコロッセオを中心に、集まる大勢の信者と共に行われるのが、
今年はこんなからっぽの広場で、

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教皇様と、少数の信者による行進が行われました。

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朝7時のTVニュースをいつも見るのですが、暫く前から番組の初めに
ミサをされている教皇様の姿とお声が少し聞くことが出来ます。

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昨夜のサン・ピエトロ聖堂の中もこのようにからっぽで、
教皇様と少数の司祭により、前夜のミサが行われていました。

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今日のローマは晴れ、24°C との事。
お部屋の窓から教皇様が見られる広場はこんな感じなのでしょう。

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パスクワの写真を探していて、こんなカードを見つけました。

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ブオナ・パスクワ。 
人々を看取っている人、その環境にある人に。
疲れているけど、投げ出さない人に。
苦しんでいる人に。 微笑む勇気を持っている人に。
過去よりも良い未来を考える人に。
  
一昨日のお医者さんの死者は109人、看護婦さんは28人、と
ありました。 感謝を込めて、ブオナ・パスクワ!!




いつもパスクワには、こんな煌びやかな紙に包まれた、卵型をした
チョコレートで店先が賑わいます。 今年も勿論見ますが、でもね・・。

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パスクワというと、クリスマスのパネットーネの生地と同じお菓子、
「コロンバ・鳩」と呼ばれる、到底飛べそうにない鳩の姿のお菓子が伝統で、

12-colomba-di-pasqua-ricetta-facile-mandorlata.jpg



他にサイトで見つけた伝統料理は、パスクワのブロード、と呼ばれる、
スープに溶き卵を流し、パンの小片をフォルノで焼いて浮かべた物、

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これは、羊のもも肉のローストとポテト。

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パスクワのトルタ、と呼ばれる、ホウレンソウとリコッタ・チーズ、
ウズラの卵を詰めた、甘くないトルタ。 

15-torta-pasqualina-foto_2-crop-4-3-489-370.jpg

ほうれん草とリコッタのトルタは平常でも作りますが、卵を入れた所が
パスクワでしょうか。 卵と羊肉がやはりパスクワの主役の様ですね。



という事で、常にないパスクワとなりましたが、
皆さま、ブオナパスクワ!!

16-476953eb-5256-4aaa-8543-911d60bc3df3.jpg



そしてこの非常時の中でもジェノヴァの橋の架け替え工事は進んでいて、
既にかなりの、4月6日の映像をどうぞ! イタリアは屈しません、の証に。

s18-.jpg



ジェノヴァにかかる新しい橋 と、 レンツォ・ピアーノの美しい作品あれこれ
http://www.italiashiho.site/archives/20190106-1.html


分家ブログの方では、皆の連帯を呼びかけ、音楽家、合唱団が
それぞれ自宅から参加しての演奏や、皆でイタリア国歌を歌う模様、
世界中からイタリアに応援を送ってくれている3色のイルミネーション、
等などをご覧頂いてますのでどうぞ!。 

17.jpg


*****
  
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イタリアから、 皆で一緒に頑張り、やり抜こう! 
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・ イタリアは ・ n.5 シエナのプッブリコ宮 内部の2

◆ 4月9日 朝のニュース ◆

コロナヴィールス感染者は、全体で28485人となり、前日より-233人、
集中治療室には3693人、-99人、 死亡者は542人、-65人、
計17669人、 治癒された方は1555人、と今迄で最高に。

明らかにカーブが下降線を辿っており、関係者もホッとしている様子が
見えますが、まだまだと気持ちを引き締めている所でしょうか。

医師の死亡が96人となったそうで、なんともお気の毒です。 感謝を!

12日がパスクワ・復活祭ですが、様々な儀式はすべて行われず、
家の中で、と言われており、
多分パスクワ後も暫くは今の封鎖状態が続くものと思います。

ロンバルディーア州に続き、トスカーナ、アルトアディジェ州もマスクの
使用が義務付けられ、収まった様子の後もあと1か月位は着用する事と。

北から南に緊急状態が移っている様で、ナポリのあるカンパーニャ州では、
8番目の市がレッド・ゾーンとなったとか。

アメリカが今大変な状態になっており、明日、明後日にもイタリアの記録を
抜くのではないか、と今朝のニュースにありました。

日本が大変に、と一昨日の朝こちらのニュースに出てすぐ、7都市ですか、
緊急事態宣言が出されたというのを知りましたが、

封鎖ではなく、自粛を求めるという感じの様子で、これではなかなか
難しいのではないかと、イタリアの状況を顧みて心配しています。

どうぞマスクと手袋を必ず着用し、手洗いを!!
そして、これ位は大丈夫、と思わずに、とにかく緊急の外出以外は
避ける様に、くれぐれもお願い致します!!

**********


シエナのプッブリコ宮のご案内、今日は5回目になりますが、内部のその2、
プッブリコ宮1番の見所の広間、世界地図の間を。

1-sala-mappamondo-siena.jpg



内部の地図では、9.に当たる大広間ですね。

2-cartina.JPG



こちら北の壁にあるのが、シモーネ・マルティーニ・Simone Martini描く、
1312~1315年作とされる「マエスタ・Maestà」 壁画 763x970cmの大作。

3-Maestà_di_simone_martini,_siena_palazzo_pubblico_1315-1321.jpg

今回再会した時の印象は、あれ、こんなに暗かったかな、と思ったのですが、
以前は開いていたカンポ広場側の窓に覆いがかかっているのが分かり、
私の写真も少し暗いので、これはウィキから拝借を。

「マエスタ」とは玉座の聖母子を中心に天使、聖人を配した作品を言い、
画家の主要な作品というのみでなく、14世紀のイタリア絵画においても
主要な物で、画家自身(1284-1344)がシエナ派の大家の1人、
唯一ジョットに並ぶ画家と評されている画家ですね。

画家が30歳前後の作品という事で、力に満ちた素晴らしい作品で、
壁一面の大きさにもまして、威厳に満ちた聖母子がこちらを見下ろしている、
そんな印象を受けます。

ちょうどシエナの街が繁栄を遂げている時代の、政府も街の人々も欲し、
大いに自慢できる「聖母子像」だったろうと軽く想像できますね。



同画家の、フィレンツェのウッフィッツィ美術館の「受胎告知」の黄金背景の
煌びやかな美しさ、恥じらいに身をよじるマリーア像は、皆さんもよくご存じと。

3-Simone_Martini_and_Lippo_Memmi_-_The_Annunciation_and_Two_Saints_-_WGA15010.jpg

shinkaiは今回初めて南仏アヴィニョンで亡くなっている事を知りました。
アヴィニョンの教皇庁宮殿で彼の美しい壁画が何とか残っているのを
見たのをよく記憶していますし、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂にも彼の
壁画がたくさん残ります。

n.1 アヴィニョンの教皇庁宮殿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518302.html

n.2 アヴィニョンの教皇庁宮殿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518604.html



こうして細部を見ると、たくさんの金箔が使われているのも良く分かりますが、
他に金属片やガラスも使われているそう。

4-DSC09930_01_01_01_GF.jpg

5-DSC09931_01_GF.jpg

子供のキリストが右手に持つ紙には「DILIGITE IUSTITIAM QUI
IUDICATIS TERRAM・世を裁くあなた方には正義があります、とでも?



左右に分かれての、天使像と諸聖人像。

6-DSC09933_01_GF.jpg

7-DSC09932_01_GF.jpg



そして「マエスタ」の向かい側の壁には、この様に上と下に分かれて壁画があり、

8-DSC09925_01_GF.jpg



よく分かるのを、これもウィキから拝借し、こんな様子。
一番上にこれもシモーネ・マルティーニ描く「グイドリッチョ・ダ・フォリーニョの
モンテマッシの攻略・Guidoriccio da Fogliano all'assedio di Montemassi」 
340x968cm  1328年作。 

9-western-wall-in-palazzo-publico-siena-235.jpg

1330年作とも言われますが、絵の下に入れられた
A(N)NO D(OMI)NI M.CCC.XXVIIIでは、1328と読め、戦闘の年かも。

その下真ん中に「ジュンカリコの掌握・Presa di Giuncarico」
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ・Duccio di Buoninsegnaの作であろうという物、
そして両脇にソドマ・Sodomaの描く2聖人、1530年作があります。



一番上のマルティーニの作品は、シエナで多大な働きをした傭兵隊長、名に
フォリーニョ・Foglignoとウンブリアの町の名がありますが、元々はフォリーニョ出身
の一族だったのでしょうが、彼はレッジョ・エミーリアの生まれで領主(1290-1352)。
シエナ共和国のために働き、

これはトスカーナ西部のマレンマ・Maremmaと呼ばれる海岸一帯にあるモンテマッシの
城攻撃の姿を描いたもの。 ですが、1977年に元の絵のデッサンが見つかり、
現在の絵と違うので、15世紀に変えられた、とみられるのだそう。

10-DSC09940_01_GF.jpg

グイドリッチョは1327年からシエナ共和国に雇われ働き、このモンテマッシの攻撃は
1328年で、900の騎士、6000の歩兵を持って7か月の包囲の末、
ピサ勢を破った闘いですが、

シエナ共和国は当時マレンマ地域を自国領とすべく戦っていたので、1327年にも、
そしてモンテマッシの戦闘勝利の後にも他の勝利お有りで、大いに意気が上がり、
それでプッブリコ宮のこの壁に、将軍像をシモーネ・マルティーニに描かせたものと。

1331年、1332年にもグイドリッチョは勝利を挙げていますが、1333年にシエナから
追放されます。 契約違反である、という事でですが、結局は余りにも彼の勢力が
強くなったのを恐れたのであろうと。

彼と弟のジベルト・Gibertoはその後ヴェローナのスカリージェリ家に仕えたりしますが、
最後はシエナに呼び戻され、翌年亡くなり、現在サン・ドメニコ聖堂に葬られていると。



そしてこの下の絵ですが、ジオットーの師とも言われるドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ、
(1255頃-1318,19)ではなかろうか、という説が大半と言われ、1314年作、
この絵がプッブリコ宮で一番古い壁画であると。

11-DSC09947_01_GF.jpg

ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャについて シエナ点描  小路と、黄昏どき
http://www.italiashiho.site/archives/20180626-1.html


背後の城はやはりマレンマ地方のジュンカリコの城である、という事で。
この説もご説明すると大変長く、それも興味深い当時の誘拐監禁事件が
絡まりますので、またのチャンスを見まして、はい。


所で、この広間は「世界地図の間」と呼ばれていると書いていますが、
何でこの名?と不思議に思われた方、はい、shinkaiも実は。

で、ほら、絵の下に何か黒いものが付き出しており、絵の周囲、上と下に
円が描かれているのが見えますね。

で、これはきっと昔のフレスコ画、教会によくある地獄図的な物と簡単に
考えていたのですが、なんとここに世界地図が描かれていたそうで、

真ん中に見える黒い場所は、あそこに針が止められていたそうで、
針が回るようになっていたんだそうで・・!
時計の様にか、それとも手動で動かせる様にかが分かりませんが。

で、この絵は1980年にこの壁の修復が行われた時に偶然に発見された絵と。



「世界地図の間」と左に広がる部屋の間を仕切るアーチのある壁の
一面に描かれた戦闘図、勿論シエナが勝った戦争で、ははは、
右から左に、バーント・シエナと呼ばれる赤茶色一色の絵で、

12-DSC09943_01_GF.jpg

13-DSC09942_01_GF.jpg

14-DSC09945_01_GF.jpg

右がフィレンツェに勝ったポッジボンシの戦闘図、1480年
左がリッポ・ディ・ヴァンニ・Lippo di Vanni 1363年作の
ヴァル・ディ・キアーナの戦い、

と書きつつ、ひょっとして左半分を描いた所で、次の勝利戦争を描くのに、
右側を開けて17年間待っていたのか、と可笑しくなり、ははは。

2枚目のアーチに見える聖人、紋章を掲げた方がサン・ベルナルディーノ。
プッブリコ正面の上の壁に、同じモノグラム、白と黒がある方ですね。



そしてn.10の部屋、「世界地図の間」の隣にある、「9の間」または
「平和の間・Sala della Pace」と呼ばれ、
アンブロージョ・ロレンツェッティ・Ambrogio Lorenzettiが描いた
「良い政府と悪い政府の寓意図」(1338-39)のある部屋。

撮った写真があまり良くないので、こちらもあちこちから拝借で、

部屋全体の印象を見て頂くのに、

15-0bccd345d4189695a687d54f77.jpg



で正面は、裁きの神たちが正面上段に座り、下に裁きを受ける者たちが。

16-Ambrogio_Lorenzetti_002.jpg



で、良き政治、良き政府があると、このように町は栄え、

17-Lorenzetti_Ambrogio_1337.jpg



農村も緑豊かに、耕され、町への物資も豊かに運ばれるが、

18-Ambrogio_Lorenzetti_011.jpg

色の出が悪い写真ですみません。



悪い政府、悪い政治が行われると町は寂れ・・、という寓意図。

19-effetti-del-malgoverno-in-citt.jpg


ちょうど9人の執政官に政治が任され、彼らは市民の中から能力の
あるものが選ばれ、貴族ではなく、専任で自分たちの街の為に、
休みの日にのみ家に戻れる、という生活をしつつ、2か月間
このプッブリコ宮に寝泊まりし、上のロッジャで体操したりで息抜きをし、
頑張った、という、

1287年から1355年にかけての「9・ノーヴェ政府」のモットーでもあったろう
寓意図で、一番シエナの街が繁栄した時代の誇りの図でもあったのでしょう。

この寓意画を背景の絵本を。
トスカーナのスキャンダル ・シエナの子豚「チンタ」の冒険談
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466790646.html



という所で、shinkaiもいささか息切れで、やれやれ、
これで一応駆け足でしたが、シエナのプッブリコ宮のご案内を終えます。

20-439_GF.jpg

皆様、長いお付き合い、有難うございましたぁ!


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・ イタリアは ・ n.4 シエナのプッブリコ宮  内部の1

◆ 4月6日 朝のニュース ◆

コロナヴィールス感染者は、前日+4316人 計128948人
死亡者+525人 計15889人  治癒された方 +819人 となり、

19日以降、緩やかな下降が見られるとして、ほんの少しの希望が!
集中治療室に入る方も-の傾向となっています。

が、ロンバルディーア州ではまだまだ危険という事で、口と鼻を覆う事、
つまりマスク、またはスカーフなど布で覆う事が義務つけられ、
これはトスカーナでもそうなる様子。

依然大都市、ジェノヴァ、ナポリ、パレルモなどでまだ街を出歩く人が多く、
これは市の規制がなく、街路に屋台の店が出ている事にも寄るでしょうが、
と、子供たちを家に引き留める事が難しい、孫の顔を見たがる、等などで
出歩くのが問題になっていて、罰金を科される人も増えており、
これらも一層の引き締めがされる様子です。

学校閉鎖が続いていますが、落第は一切なし、長引く様であれば遠隔での
授業の仕方、そして高校生の大学受験検定試験をどのように、
というのもあれこれ考えられている様子。

イギリスのボリス・ジョンソンも熱が下がらず再度の入院の様ですが、
エリザベス女王陛下の国民への、頑張って、この危機を乗り越えよう、
とのTV放送もされたそうですね。

とにかく、13日迄の封鎖、パスクワ後がどうなるか、様子見の最中です。

日本の友人からのメールでは、こちらを心配して下さるのですが、
読むと逆に日本ののんびりさが、本当にこれで大丈夫なのか、と
気になります!
 
決して嫌味で言うのではありませんで、どうぞ、世界の状況をご覧になり、
気持ちを引き締め、ご自分の身を護る自衛手段をどうぞお取りになる様
心からお願い申し上げます!!

**********


シエナのプッブリコ宮のご案内4回目となりますが、今日はいよいよ内部に。

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ブログ名が入っている写真がshinkaiで、無いのはサイトから拝借の物です。



ここが市博物館の切符売り場のあるコルティーレ・デル・ポデスタ・執政官の内庭。
カンポ広場に面し左側、礼拝堂の脇にある入口を入ります。
正面下に切符売り場で、

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内庭から見るマンジャの塔

3-1-C27_4735_GF.jpg



サイトからで、上から見るとこんな様子の内庭と、切符売り場。

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こちらが市博物館内部の図で、番号を打ちました。
1. コルティーレ・デル・ポデスタ・内庭、切符売り場
2. マンジャの塔 内庭から上れます。 外に突き出すのが、礼拝堂。

4-cartina.JPG

グレイの色部分が、上階の博物館部分で、
3. イタリア統一運動の広間・Sala del Risorgimento
4. バリーア広間・Sala di Barìa
5. 会議室控えの間・Anticamera del COncistoro
6. 会議室・Sala del Concistoro
7. 礼拝堂控室・Anticappella
8. 礼拝堂・La Cappella
9. 世界地図の間・Sala del Mappamondo
10. 平和の間・Sala della Pace

で、今日のご案内は1~9の入口迄、という事で、よろしくお願い致します。



内庭から階段を上がり上階に行った廊下で、なぜか今回も撮っている、はは、
小さな鐘ですが、ひょっとしてこの鐘の事かな、という説明が見つかりました。

5-DSC09899_01_GF.jpg

1260年9月4日にシエナの東、地図上の直線距離にして約8kmに位置する
マンタペルティ・Mantapertiという所で、お互いギベリン派に先導された
シエナとフィレンツェ勢が闘い、シエナ勢が勝ち、これがトスカーナにおける
ギベリン派の支配となった、というのですね。

その時に鳴らされた有名な鐘、なんですと! はい、7世紀間を通し、
シエナ市民に大事に守られてきた鐘で、

手前に見える鉄の箱は、シエナ共和国の金庫、なんですと。
こういう鉄の箱の中の仕掛け、は素晴らしく密で美しいのですよ!



そして今回shinkaiは初めて見た、3. イタリア統一運動の広間。

6-DSC09900_01_GF.jpg

前もあったんだろうか?!と、本気で考えましたが、どうなんだろ?
廊下の反対側ですから、まるで気にせずに通り過ぎていたのかも。
で、この部屋のみでなく、内庭を囲むぐるっと一回りに、所謂近代絵画、
シエナの画家たちの絵が展示の様子で、まるで見ておりまっせん。

「イタリア統一運動」というのは、1815~1871年にかけて起こった、
各小国に分かれていたイタリアの国が統一を目的とした政治社会運動で、
1848年以降にはオーストリアに対するイタリア独立戦争ともなり、
徐々にサルデーニャ王国への併合が進み、
そしてガリバルディの活躍からイタリア王国の建国となり、
最終的には1918年の第一次大戦での勝利で、イタリア国となった訳ですね。



天井画、そして周囲の壁に描かれている統一戦争の戦闘図。

7-1-DSC09901_01_GF.jpg

7-2-palazzo-pubblico-siena-italia-81191067.jpg

これらの壁画は実際に壁に描かれているのだそうで、多分油彩と思いますが、
イタリア国王となったヴィットリオ・エマヌエレ2世の歴史絵巻というか、
絵画の歴史でもあり、描いたのは19世紀末の画家達で、名前を聞いても
まるで存じませんが、素晴らしい技術の雄弁な賛美的絵画です。



素晴らしいガラス窓。 板ガラスの技術が未だ、の時代の物。

8-DSC09902_01_GF.jpg



4. バリーアの広間。 バリーア・Barìaというのは司法官を示すそうで、
1455年から1555-1559年のシエナ共和国の終わりまで、政治の中心
だった場所と。

9-DSC09905_01_GF.jpg

描かれているフレスコ画は、シエナ出身の教皇アレッサンドロ3世・
AlessandroIII(1105-1181、在位1159-1181)の生涯で、
神聖ローマ帝国皇帝との対立で、何と2度もローマから追放され戻り、
ですが、3度目の追放では遂にローマに戻れず亡くなった教皇様と。

下の画面真ん中の冠を被っているのが、教皇アレッサンドロ3世。
画家はスピネッロ・アレティーノ・Spinello Aretinoと、息子の
パッリ・スピネッリ・Parri Spinelli、1407年作、14面あり、
どこかジオット的な趣も。



それぞれの逸話が描かれていますが、

10-DSC09906_01 - Copia_GF.jpg



こちらが教皇の前に膝まずき、許しを請う神聖ローマ帝国皇帝の
フリードリッヒ1世。

11-1-ssottomissione-Barbarossa-ad-Alessandro-III.jpg



そして、左下に上の膝まずく画面が見え、正面に広がる海戦場面を。

11-2-alexandc.jpg



こんな感じで、大変生き生きと描かれており、画家はスピネッロと。

11-3-DSC09904_01_GF.jpg

11-4-118.jpg

この画面がshinkaiには、海から遠いシエナでなぜに海戦場面が、と
大きな謎で、海戦がヴェネツィア共和国と神聖ローマ帝国との戦い、
1167年のサルヴォーレの戦い・Salvore、またはプンタ・サン・
サルヴァトーレの海戦・punta San Salvatoreと呼ばれるもので、
ヴェネツィア共和国が勝った、と知っても、なんでここにこんな壁画が??と。

で、あれこれ読んで、やっとアレッサンドロ3世がローマ追放になったのが、
神聖ローマ皇帝との対立で、この海戦でヴェネツィア共和国が勝ち、
そのとりなしもあり、皇帝は許しを請い、教皇はローマに戻れた、という背景!
はぁ、shinkaiも粘り勝ちで納得、やれやれ。



5. 会議室控えの間・Anticamera del COncistoro、
または枢機卿の間。

12-DSC09911_01_GF.jpg

ここにある壁画は他所の部屋から移されたものだそうで、
それで少し趣が違いますが、



こちらは小さな祭壇用の板絵、画家はグイドッチョ・コッツァレッリ・
Guidoccio Cozzarelli(1450-1517) 「聖母子と天使」
素晴らしい絵と思いますが、残念、若くして亡くなったのですね。

13-.jpg



これは何方がお座りになったのか、枢機卿かな、の素敵な椅子。
ピンがブレていて、ご容赦を。

14-DSC09912_01_GF.jpg



8. 礼拝堂・La Cappella. 15世紀初頭。 プッブリコ宮の中でも
魅惑的な場所とあるのに、何せ間に挟まる部屋で暗く、ハッキリしない写真で
申し訳ありませんで~す。

15-DSC09915_01_GF.jpg

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画家はタッデオ・ディ・バルトーロ・Taddeo di Bartolo(1362-1422)
シエナ派の画家で、トスカーナ一円にたくさんの作品が残ります。



これは隣の9.世界地図の間・Sala del Mappamondoとの境のアーチ部で、
真ん中に見えるのは「聖女シエナのカテリーナ」と。

16-1-DSC09923_01_GF.jpg

右のアーチの向こうは礼拝堂の壁で、左は7.礼拝堂控室・Anticappella、
見える大男は聖クリストフォロ。

サンタ・カテリーナの生家跡は  シエナの古い坂道を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466796466.html



「世界地図の広間」から見える「礼拝堂、礼拝堂控室」の様子と、

16-2-2932c053478ebb41530bd5b3f7dd5f48.jpg



部屋の反対側の眺めと、シモーネ・マルティーニの「マエスタ・Maestà」像。

17-1-sala-mappamondo-siena.jpg

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そう、この部屋と作品ををもう一度見たく、プッブリコ宮に来たのでしたが、

ご案内は次回に!


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・ イタリアは ・ n.3 シエナのプッブリコ宮 と カンポ広場

 ◆ 4月3日 朝のニュース ◆ 

コロナヴィールスの感染者は、前日+4668人 計115242人、
死亡者は+760人 13915人 治癒の方 +1431人 計

一応峠を越えたかに見えるのですが、それでもロンバルディーア州は
感染者が前日よりも1292人、死者が367人と増加しており、
全世界での感染者が100万人を超えたとか!

家に蟄居が長引くにつれ、経済的に、また食料の補給にも問題が
出る方が増えており、その対策もあれこれ取られ始めていますし、
一方現在は開いているスーパーも、週末には閉める、という様子も。

パスクワ後の4月13日からひょっとして、と小さな望みを持っていましたが、
5月1日はまだ家に、多分5月16日頃からは、というニュースで、

いささか憂鬱な気分になりそうですが、元気で居れることを考えれば、
文句は言えず、しっかり閉じこもるばかりですね。

とにもかくにも、終息を願うばかりです。

**********


シエナのプッブリコ宮のご案内を続けておりますが、今回はまずシエナの街、
上空からの眺めからで、多分夏の朝、右側が北になります。

1-siena-dall-alto_368e7900ce.jpg

真ん中にポッコリとカンポ広場が開け、斜め上、白く見えるのがドゥオモ。



そして貝殻状に広がるカンポ広場と、その元締めの位置にあるのが、
プッブリコ宮・Palazzo Pubblicoで、現市役所であり、市博物館。

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カンポ広場を囲む建物の流れに沿ってぐるっと通る道バンキ・デイ・ソット・
Banchi dei Sottoがちょうど写真下あたりで、ヴィア・ディ・チッタ・
Via di Cittàと変わり、街を通り抜け南に下る、ローマへの巡礼の道
ヴィア・フランチージェナ・Via Francigenaでした。



そしてカンポ広場が、夏7月2日、8月16日と満員の人で埋まるパリオの日!

3-campo.jpg

既に時代衣装の各コントラーダの行進も終わりに近く、4頭の白い牛に
引かれた牛車が、パリオの旗を掲げて進むのが見えます。



カンポ広場に行くには、貝殻の上辺に当たる位置からはどこの通り口も
下り坂で、狭い通路を抜けます。

4-S28_4821_GF.jpg



広場の傾斜具合、なだらかにプッブリコ宮に向かって下る感じがお分かりと。

5-S28_4812_GF.jpg

今見える広場の右角に開いた道が、ドゥオーモに続く道で、



奥に見えるヴィア・デイ・ペッレグリーニ・Via dei Pellegriniを行くと、
洗礼堂の前に出て、左横の急石段を上るとドゥオーモの横に。
一番奥の上に見える角のついた壁がドゥオーモの壁です。

6-S28_4815_01_GF.jpg



逆にドゥオーモから下って来て見えるのは、こんな様子。

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所で今回は、プッブリコ宮内部のご案内の前に、こうして見える建物の
あれこれについて、今までは単に眺めていたのが、結構あれこれ意味を
持っている事に気が付き、そのご案内をと思ったのでした。

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シエナの朝  カンポ広場からサン・ドメニコ聖堂へ
http://www.italiashiho.site/archives/20180701-1.html



で、先回マンジャの塔についてあれこれ書きましたが、

今見える時計、これについては塔が建設完成の1348年、つまり12年後の
1360年に時計が設置され、時を知らせる鐘突き男が必要なくなったと
いうのでしたが、こちらをどうぞ。

何年の写真か分かりませんが、かなり後年になってのものですよね?
こんな可愛い天使のフレスコ画が描かれていたのを知りました!

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で、時計自身が時を告げる鐘を自動的に鳴らすようになった1780年には、
鐘突き男を模した人形というか、像もお役御免になったというのでしたが、
これについて興味深い、
1786年2月7日、初めてマンジャの塔の時計が12時を鳴らした
というサイト記事を見つけました。

つまり既に1750年1月1日から、1日を午前と午後の12時間に分け、
真夜中からカウントを開始する事を、トスカーナ大公が確定した、と
いう物なのですね。

ちょっとややこしいのですが、というのも初めて知る事なので、へへ、
当時は1日の24時間を昼と夜の時間に分け、1日のカウントを始めるのは
日が沈んでからで、勿論論理的に冬と夏の時間の長さが違っていた訳ですね。

そしてその基本は、教会の時間のカウント方法に従っていて、夜明け前、
朝6時頃、9時頃、12時頃、15時頃、日暮れ時、眠る前、という具合。

そして1日を12時間の2回に分け、時間をカウントする開始も、それ以前は
3月25日だったのを1月1日に決める事により、
大変実践的で、一定の時間が定まる事で、現在の我々の様に
未来の見通しもでき、仕事上でも他の国とも時を定める事が出来る様になったと。

江戸時代の日本でも、冬と夏の時間の長さが違っていた、というのは
知っていましたが、やはりどの国でも同じ様な事だったのや、
それが変わったのは、西洋では18世紀だったのだと知ったのでした。



こちらが今のマンジャの塔に見える時計で、時計自体は変わっていませんが、
見える窓の数字、これは日付を示すもので、
これは現在も人手によって、架け替えられているのだそうで。

9-2--Orologio_torre_del_mangia.jpg



プッブリコ宮建設は1297年から1310年にかけてで、上階のロッジャの時に
出た「9人の執政官による、9人政府」の時代ですね。

で、こちらプッブリコ宮の真ん中の高い部分ですが、一番高い所に翻る
シエナの旗は白と黒で、真ん中の階の窓のアーチ部に見える盾形にも
白と黒が見えますが、これについては後程。

10-sParticolare_Palazzo_Comunale,_Siena.jpg



で、上階に見える丸い円盤状の物は、

こちらで、サン・ベルナルディーノ・San Bernardinoのモノグラム・名前の
頭文字の図案、花押、というのも初めて知り、
というよりも、見てはいても気にもかからなかった、というのが本当の所で、へへ。

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サン・ベルナルディーノ・ダ・シエナと呼ばれる聖人で(1380-1444)、
両親ともシエナ出身の貴族の生まれで、幼くして孤児となり、裕福に伯母の手に
より育ち、教育も受け、若い頃より大変清廉潔白な生活で、説教師から
始まり、後にフランチェスコ会派に入り、という方で、
死後数年にして聖人となられた方と。

フィレンツェのヴェッキオ宮のロッジャ側の入口上にも、サン・ベルナルディーノの
モノグラムが付いていますから、当時は大変有名な、敬いを受けた聖人だったものと。


建物の上には、ギベリン党寄りに見えるメルレット・レース飾りがついていますが、
両側の尖がりがないので、少し柔らかめに、という事でしょうか。

シエナでも皇帝派のギベリン党と、教皇側のグエルフ党の戦いが激しかったと
言い、ギベリン党の方が優勢だった、というのも読みましたが、
街の主導権争いは街の発展のためにならない、という意識もあったのかと。



そして、十字に見えるのには、シエナのシンボルのルーパ・雌狼、
ほら、おっぱいが大きいでしょう?!

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いやぁ、何気なく撮っていた写真ですが、ちゃんとルーパが付いているのを知り、
ちょっと驚いたのでした。



シエナのルーパ、これはサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ、元病院、現博物館
前の円柱のものですが、

13-siena 08.7.1 152.jpg

シエナの街を建設したと言われる伝説の雌狼の話は、ローマの街建設と同じく
ロムルスとレムス、雌狼のお乳によって育ったという双子の兄弟の話と同じで、

ただシエナの伝承では、叔父の所から2頭の馬に乗って逃げだし、
シエナまで来て、この街を建設したという物。

で、この2頭の馬が白と黒だったので、シエナの街の紋章、旗の色となり、
ローマのルーパの形と違うのは、ローマのは頭を横に振っているのに対し、
シエナのはまっすぐ前を向いている事で、
ルーパ像はシエナの街中あちこちに、そしてこのプッブリコ宮にもしっかりたくさん!



プッブリコ宮の建物、上階の両脇にも。

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先回見て頂いたガイアの泉にいるのも、たくさんのルーパでした。



こちらは中の階の真ん中にある、王冠を頂いたメディチ家の6つ玉と、
両脇にシエナの白と黒の紋章があり、その脇にやはり王冠を頂いた
ライオンの後ろ足立ちの姿。

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正面から見るとあまり建物の曲がり具合や、王冠の丸さが分かり難いですが、
ほらね、かなりのものでしょう?

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そして既にパリオの桟敷席が組まれた後ろに入り込んで行って撮っていた
シエナのルーパの円柱像と、手前のドアの上のアーチを。

19-siena 08.7.1 093_GF.jpg

プッブリコ宮の入り口扉は3か所にあるのですけど、ここのが一番立派で、



こんな風に真ん中に白くと黒で縁取られた中に後ろ足立ちのライオンで、
王冠が見えるので、上のメディチ家脇のもやはりシエナの紋で、
色が消えたのでしょうね。

20-StemmaCapitanoeLupePalazzoPubblicoSienaAgostinodiGiovanni1.jpg

そして両脇にやはりロムルスとレムスの兄弟、そして少し痩せ型のルーパ。



プッブリコ宮の正面左脇にある、サン・マルティーノの礼拝堂。 
見事な彫りの柱が前に2本で、厚さ、幅をご覧下さい。

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正面から。 建設は1352年からと。

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ちょうどマンジャの塔が出来た1348年に街はペストに襲われたそうで、
何度か変更をしつつ、出来上がったのが1376年、
屋根が葺かれたのは、約90年後の1461年と。

そう、既にルネッサンス期に差し掛かっていたのでした。



プッブリコ宮の前に広がるカンポ広場は、貝殻の形で、9つに分けられ、
これも「9人政府」を現しているのが分かりますが、
なだらかな傾斜を雨水が流れ下り、ちょうどこの真ん中にある排水口に。

23-S28_4885_GF.jpg



カンポ広場のなだらかな傾斜、煉瓦が敷き詰められ、どこかのんびりさを誘い、
子供たちも、大人も、犬も、のんびりと遊び、休み、

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それは夜になっても同じで、寝そべっている人もたくさんいる、

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シエナのカンポ広場と、プッブリコ宮の姿、ご案内でした。

シエナ点描  小路と、黄昏どき
http://www.italiashiho.site/archives/20180626-1.html

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・ イタリアは ・ n.2 マンジャの塔 シエナ

◆ 3月31日 朝のニュース ◆

コロナヴィールスの感染者は、前日+1648人 計75528人、
死亡者+812人 計11591人  治癒の方+1590人 計14620人。

ですが、亡くなった方の数と感染者数が減り、とりわけロンバルディーア州、
ウンブリア州、フリウリ州で初めて感染者の数の減少が見られたと。

お医者さんの死亡が66名となり、まだまだ治療に当たる方の数が不足で、
先日アルバニーアから30人の応援団が駆けつけてくれています。

今朝の新聞では、4月12日の「復活祭は、家で!」というタイトルが
幾誌か見られ、本格的な再始動は5月3日からだろう、というのも。
ですから4月3日迄封鎖となっている現在の状況が少なくともあと2週間、
復活祭後迄は続くものとみられ、

昨日shinkaiは眼科のクリニックで検査を受け、新しい眼鏡レンズの処方を
貰ったのものの、あと半月は店が開くのを待たないといけない事になりそうです。
でも、少しでも先が見えそうかも、というのは嬉しい事です。

日本の皆さんも、辛抱して、頑張りましょうね!!

**********


シエナのプッブリコ宮・Palazzo Pubblicoについてご案内し始めたのが、
昨日も今朝もクリニック、病院に行ったりで落ち着かず。

では未だ見て頂いていなかったマンジャの塔からの写真なら、楽ちんかも、
と写真整理はしたものの、その後wikiを読み始めたら、これが大変!
にゃに?!という様な鐘と「マンジャ」なるものの説明が飲み込めずで、
はぁ、楽ちんどころか、はは、大いに時間と小さな脳を絞られる羽目に。
まぁ、何とか納得できましたので、やれやれで、ご案内致しますね。

1-siena 08.7.1 068_GF.jpg


写真は2008年7月の、はは、パリオを見に行った時のもので、カンポ広場周囲には
しっかり土が入れられ、柵も桟敷席も作られ用意万端。 試走も2度ほど見れ、
絵画館に行っても外を通る太鼓の音が響き渡る、という、
はぁ、こう書いていても、またあの日の興奮が蘇りますです。 楽しかったなぁ!

こちらで見てやって下さいませませ。
n.1 シエナのパリオ ・ 2008.7.2
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466779099.html

n.2 シエナのパリオ ・ 2008.7.2
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466779309.html

n.3 シエナのパリオ ・ 2008.7.2          
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466784900.html

マンジャの塔に上った様子は、こちらにほんの少しを。
シエナのパリオ 2008.7.2 ・ その前日
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462678205.html



カンポ広場の西の端にまで伸びる、マンジャの塔の影。

2-siena 08.7.1 087_GF.jpg



ここはプッブリコ宮の内庭、パリオの時には、広場を行進して来た馬達がここに入り、
競馬が始まるのを待つ内庭で、いつもは煉瓦敷きですが、馬たちの為に土が入り、
シニョーレたちが整備中。

3- siena 08.7.1 095_GF.jpg

4-siena 08.7.1 096_GF.jpg

上の写真、正面に2つ見えるアーチの左に、茶色に見えるのが平日のプッブリコ宮の
切符売り場で、その斜め上にはシエナの街のシンボルである「双子に乳を与える雌狼・
ルーパ」の像が。で、マンジャの塔には、左のシニョーレの内側に上り口があります。



狭い暗い階段を400段以上上り、

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はぁはぁと、こんな古い壁を見ながら一息入れ、上ります。

7-1-siena 08.7.1 131_GF.jpg



で、このマンジャの塔・Torre del Mangiaは、建設が1325年~1348年、
塔の基礎の一番下には凝灰岩の大きな石が埋められ、後はすべて煉瓦、
白く見える部分は大理石ですね。

7-2-scampana-torre-mangia-siena - Copia.jpg

高さは88m、あれっ、103mとか書いた覚えがあったっけ、と探し回り、はい、

88mというのが、最上階の「メルレット」と呼ばれる塀の高さまでで、
その上に鐘があり、避雷針の先までで102mになるんだそう!

イタリアの古い塔の中では4番目で、1.クレモナのトラッツォ 112m. 
2.ボローニャのアジネッリの塔 97,2m  3.フィレンツエのアルノルフォの塔 94mと。

アルノルフォの塔、ってご存知ですか?  覚えが無い者はまた探しに走り、はは、
なんだぁ、あのヴェッキオ宮の上にある塔がそうなんですと! 



で、マンジャの塔の「マンジャ」なる名の由来は、良く言われるように、
最初の鐘付き男の1人であるジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ・Giovanni di 
Barduccio が浪費癖の、とりわけ食に関しての悪癖から
「マンジャガダーニ・Mangiaguadagni・給料食いつぶし」とか、単純に
「マンジャ・食べる」というあだ名で呼ばれ、
それが塔の名の由来になったというのですね。

で当時は鐘が時刻毎に打たれ、市民に時を知らせていたのが、
1360年には自動時計が設置され、鐘付き男は必要無くなった訳で、
でも鐘の横に、手に槌を持ち、鐘を突く仕草をする突き男を模した人形というか、
像というかが取り付けられていたのだそう!

こちらが1578年のスケッチで、マンジャの塔の上、鐘の横に姿が見えるのがそれで、

7-3-Siena_Piazza_del_Campo_c1578.jpg

そうですね、鐘付き男はヴェネツィアの時計塔にも、トリエステの市庁舎にも
ウーディネにもいますが、ですが、このマンジャの塔には今は見えずで、
かっての事を知らずですし、意味が分からず驚いたのでした。

像も最初は木製だったのが、布製に替わったり、最後は石で戦士の様な大男、
それが何年の時か、地震の際に塔の上で激しく揺れるのを、いまにも落ちるかと
市民が恐ろしく見つめていたとかで、はは、

で、時計自身が、時を告げる鐘を鳴らすようになった1780年にはお勤めを解かれ、
その後の変遷を経て、現在は上で見て頂いた「ポデスタの内庭・Cortile
del Podestà」に置かれているそう。



で、現在取り付けられている鐘はカンパノーネ・大鐘と呼ばれる大きなもので、
1344年の最初のよりもっと大きなのが1349年に鋳造され、1366年まで活動、破損、

1665年に再鋳造され、53人の男が2日かけて引き上げたと言い、
当時この鐘はイタリアで一番大きいもので、高さ2,34m、直径1,98m、
重さ6764kだそう。

大司教に祝福されたこの鐘の名は、マリーア・アッスンタ・Maria Assunta、
つまりシエナの聖堂のサンタ・マリーア・アッスンタから頂いた名で、
市民達から「スント・sunto」と呼ばれ親しまれている鐘なのだそう。

ですが、この鐘は1831年に大きな損傷を受け突けなくなり、新しく鋳造するには
莫大な金額が必要で、遂に修理し、悪い箇所を削る妥協案を取ります。
ご覧の様に、ほら、裂け目が見えますね。 この事を言っているのと思いますが、

7-4-ItaliaSienaTorreMangiaCampana.jpg

この欠陥から鐘の音は曖昧な音、ハスキーな音となるのだそうで。
ですが、中に下がる打ち金を手で打つとこの欠陥は弱まるそうで、
パリオの日だけ、手で打っているのだそう。

そうなんですよね、TVでパリオの中継を見ると、耳にイヤホーンを当てた男性が、
鐘の下で打っているのを見た事があるので、納得です。

そして年間で鐘の音の必要な他の日は、鐘の外に取り付けられている自動ハンマー
によって打たれていると。
カレンダーもあって見ると、パリオの日以外に外のハンマーで打たれるのは、
4月25日の戦争解放の祭日と、5月1日の労働の祭日ですね。
ご存知パリオは、7月2日と8月16日で~す。



やれやれ、漸く基礎のご案内が済みましたので、塔の上からの眺めをどうぞ!

こちらは先回のロッジャで見て頂いた、プッブリコ宮の裏のメルカート広場の
右手で、 谷に添って奥に行く道の先に見えるのは、

8-siena 08.7.1 099_GF.jpg



サン・ピエトロ・アッレ・スカーラ教会・San Pietro alle Scaleと、
すぐ横にあるシエナ国立絵画館の固まりと分かりました。

9-siena 08.7.1 108_GF.jpg



こちらは、プッブリコ宮の並びが伸びる南角で、パリオ用の作が作られているのが
「カザートの角」と言われる急角度のカーブで、ここから最後の上り坂でゴール。

10-siena 08.7.1 105_GF.jpg



そして同じ角から上に視線を移すと見える、シエナのドゥオーモ。 この時は
修復で上部が覆われていましたっけ。

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カザートの角から西を辿り北西となり、左上に見えるのが、サン・ドメニコ教会・
San Domenico.

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ぐるっと、カンポ広場の貝殻状の上辺を辿り、ここから下り坂になる角。

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こんな風にカンポ広場が見え、

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上辺にある、ガイアの泉・Fonte Gaia.  アップして。

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カンポ広場に落ちる、マンジャの塔の影と、影に集まる観光客、はは。

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郊外の緑と、広がる平野を見晴らして頂き、

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塔の脚元に見える、中世がそのまま残るシエナの家並。

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一番上まで上れ、これは一段下にある鐘。

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途中の窓から覗き見し、

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やはり途中の階から見るドゥオーモと、左に飛び出すファッチャトーネ。

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こちらでも、シエナのパノラマがご覧になれます。
シエナのドゥオーモ博物館 と ファッチャトーネの上から
http://www.italiashiho.site/archives/20180711-1.html


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