◆ 4月6日 朝のニュース ◆
コロナヴィールス感染者は、前日+4316人 計128948人
死亡者+525人 計15889人 治癒された方 +819人 となり、
死亡者+525人 計15889人 治癒された方 +819人 となり、
19日以降、緩やかな下降が見られるとして、ほんの少しの希望が!
集中治療室に入る方も-の傾向となっています。
が、ロンバルディーア州ではまだまだ危険という事で、口と鼻を覆う事、
つまりマスク、またはスカーフなど布で覆う事が義務つけられ、
これはトスカーナでもそうなる様子。
つまりマスク、またはスカーフなど布で覆う事が義務つけられ、
これはトスカーナでもそうなる様子。
依然大都市、ジェノヴァ、ナポリ、パレルモなどでまだ街を出歩く人が多く、
これは市の規制がなく、街路に屋台の店が出ている事にも寄るでしょうが、
と、子供たちを家に引き留める事が難しい、孫の顔を見たがる、等などで
出歩くのが問題になっていて、罰金を科される人も増えており、
これらも一層の引き締めがされる様子です。
これは市の規制がなく、街路に屋台の店が出ている事にも寄るでしょうが、
と、子供たちを家に引き留める事が難しい、孫の顔を見たがる、等などで
出歩くのが問題になっていて、罰金を科される人も増えており、
これらも一層の引き締めがされる様子です。
学校閉鎖が続いていますが、落第は一切なし、長引く様であれば遠隔での
授業の仕方、そして高校生の大学受験検定試験をどのように、
授業の仕方、そして高校生の大学受験検定試験をどのように、
というのもあれこれ考えられている様子。
イギリスのボリス・ジョンソンも熱が下がらず再度の入院の様ですが、
エリザベス女王陛下の国民への、頑張って、この危機を乗り越えよう、
とのTV放送もされたそうですね。
エリザベス女王陛下の国民への、頑張って、この危機を乗り越えよう、
とのTV放送もされたそうですね。
とにかく、13日迄の封鎖、パスクワ後がどうなるか、様子見の最中です。
日本の友人からのメールでは、こちらを心配して下さるのですが、
読むと逆に日本ののんびりさが、本当にこれで大丈夫なのか、と
気になります!
決して嫌味で言うのではありませんで、どうぞ、世界の状況をご覧になり、
気持ちを引き締め、ご自分の身を護る自衛手段をどうぞお取りになる様、
心からお願い申し上げます!!
読むと逆に日本ののんびりさが、本当にこれで大丈夫なのか、と
気になります!
決して嫌味で言うのではありませんで、どうぞ、世界の状況をご覧になり、
気持ちを引き締め、ご自分の身を護る自衛手段をどうぞお取りになる様、
心からお願い申し上げます!!
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シエナのプッブリコ宮のご案内4回目となりますが、今日はいよいよ内部に。

ブログ名が入っている写真がshinkaiで、無いのはサイトから拝借の物です。
ここが市博物館の切符売り場のあるコルティーレ・デル・ポデスタ・執政官の内庭。
カンポ広場に面し左側、礼拝堂の脇にある入口を入ります。
正面下に切符売り場で、
カンポ広場に面し左側、礼拝堂の脇にある入口を入ります。
正面下に切符売り場で、

内庭から見るマンジャの塔。

サイトからで、上から見るとこんな様子の内庭と、切符売り場。

こちらが市博物館内部の図で、番号を打ちました。
1. コルティーレ・デル・ポデスタ・内庭、切符売り場
2. マンジャの塔 内庭から上れます。 外に突き出すのが、礼拝堂。
グレイの色部分が、上階の博物館部分で、
3. イタリア統一運動の広間・Sala del Risorgimento
4. バリーア広間・Sala di Barìa
5. 会議室控えの間・Anticamera del COncistoro
6. 会議室・Sala del Concistoro
7. 礼拝堂控室・Anticappella
8. 礼拝堂・La Cappella
9. 世界地図の間・Sala del Mappamondo
10. 平和の間・Sala della Pace
で、今日のご案内は1~9の入口迄、という事で、よろしくお願い致します。
内庭から階段を上がり上階に行った廊下で、なぜか今回も撮っている、はは、
小さな鐘ですが、ひょっとしてこの鐘の事かな、という説明が見つかりました。
小さな鐘ですが、ひょっとしてこの鐘の事かな、という説明が見つかりました。

1260年9月4日にシエナの東、地図上の直線距離にして約8kmに位置する
マンタペルティ・Mantapertiという所で、お互いギベリン派に先導された
シエナとフィレンツェ勢が闘い、シエナ勢が勝ち、これがトスカーナにおける
ギベリン派の支配となった、というのですね。
その時に鳴らされた有名な鐘、なんですと! はい、7世紀間を通し、
シエナ市民に大事に守られてきた鐘で、
シエナ市民に大事に守られてきた鐘で、
手前に見える鉄の箱は、シエナ共和国の金庫、なんですと。
こういう鉄の箱の中の仕掛け、は素晴らしく密で美しいのですよ!
こういう鉄の箱の中の仕掛け、は素晴らしく密で美しいのですよ!
そして今回shinkaiは初めて見た、3. イタリア統一運動の広間。

前もあったんだろうか?!と、本気で考えましたが、どうなんだろ?
廊下の反対側ですから、まるで気にせずに通り過ぎていたのかも。
で、この部屋のみでなく、内庭を囲むぐるっと一回りに、所謂近代絵画、
シエナの画家たちの絵が展示の様子で、まるで見ておりまっせん。
シエナの画家たちの絵が展示の様子で、まるで見ておりまっせん。
「イタリア統一運動」というのは、1815~1871年にかけて起こった、
各小国に分かれていたイタリアの国が統一を目的とした政治社会運動で、
1848年以降にはオーストリアに対するイタリア独立戦争ともなり、
徐々にサルデーニャ王国への併合が進み、
そしてガリバルディの活躍からイタリア王国の建国となり、
最終的には1918年の第一次大戦での勝利で、イタリア国となった訳ですね。
各小国に分かれていたイタリアの国が統一を目的とした政治社会運動で、
1848年以降にはオーストリアに対するイタリア独立戦争ともなり、
徐々にサルデーニャ王国への併合が進み、
そしてガリバルディの活躍からイタリア王国の建国となり、
最終的には1918年の第一次大戦での勝利で、イタリア国となった訳ですね。
天井画、そして周囲の壁に描かれている統一戦争の戦闘図。


これらの壁画は実際に壁に描かれているのだそうで、多分油彩と思いますが、
イタリア国王となったヴィットリオ・エマヌエレ2世の歴史絵巻というか、
絵画の歴史でもあり、描いたのは19世紀末の画家達で、名前を聞いても
まるで存じませんが、素晴らしい技術の雄弁な賛美的絵画です。
イタリア国王となったヴィットリオ・エマヌエレ2世の歴史絵巻というか、
絵画の歴史でもあり、描いたのは19世紀末の画家達で、名前を聞いても
まるで存じませんが、素晴らしい技術の雄弁な賛美的絵画です。
素晴らしいガラス窓。 板ガラスの技術が未だ、の時代の物。

4. バリーアの広間。 バリーア・Barìaというのは司法官を示すそうで、
1455年から1555-1559年のシエナ共和国の終わりまで、政治の中心
だった場所と。

描かれているフレスコ画は、シエナ出身の教皇アレッサンドロ3世・
AlessandroIII(1105-1181、在位1159-1181)の生涯で、
神聖ローマ帝国皇帝との対立で、何と2度もローマから追放され戻り、
ですが、3度目の追放では遂にローマに戻れず亡くなった教皇様と。
AlessandroIII(1105-1181、在位1159-1181)の生涯で、
神聖ローマ帝国皇帝との対立で、何と2度もローマから追放され戻り、
ですが、3度目の追放では遂にローマに戻れず亡くなった教皇様と。
下の画面真ん中の冠を被っているのが、教皇アレッサンドロ3世。
画家はスピネッロ・アレティーノ・Spinello Aretinoと、息子の
パッリ・スピネッリ・Parri Spinelli、1407年作、14面あり、
どこかジオット的な趣も。
パッリ・スピネッリ・Parri Spinelli、1407年作、14面あり、
どこかジオット的な趣も。
それぞれの逸話が描かれていますが、

こちらが教皇の前に膝まずき、許しを請う神聖ローマ帝国皇帝の
フリードリッヒ1世。
フリードリッヒ1世。

そして、左下に上の膝まずく画面が見え、正面に広がる海戦場面を。

こんな感じで、大変生き生きと描かれており、画家はスピネッロと。


この画面がshinkaiには、海から遠いシエナでなぜに海戦場面が、と
大きな謎で、海戦がヴェネツィア共和国と神聖ローマ帝国との戦い、
1167年のサルヴォーレの戦い・Salvore、またはプンタ・サン・
大きな謎で、海戦がヴェネツィア共和国と神聖ローマ帝国との戦い、
1167年のサルヴォーレの戦い・Salvore、またはプンタ・サン・
サルヴァトーレの海戦・punta San Salvatoreと呼ばれるもので、
ヴェネツィア共和国が勝った、と知っても、なんでここにこんな壁画が??と。
ヴェネツィア共和国が勝った、と知っても、なんでここにこんな壁画が??と。
で、あれこれ読んで、やっとアレッサンドロ3世がローマ追放になったのが、
神聖ローマ皇帝との対立で、この海戦でヴェネツィア共和国が勝ち、
そのとりなしもあり、皇帝は許しを請い、教皇はローマに戻れた、という背景!
はぁ、shinkaiも粘り勝ちで納得、やれやれ。
神聖ローマ皇帝との対立で、この海戦でヴェネツィア共和国が勝ち、
そのとりなしもあり、皇帝は許しを請い、教皇はローマに戻れた、という背景!
はぁ、shinkaiも粘り勝ちで納得、やれやれ。
5. 会議室控えの間・Anticamera del COncistoro、
または枢機卿の間。
または枢機卿の間。

ここにある壁画は他所の部屋から移されたものだそうで、
それで少し趣が違いますが、
それで少し趣が違いますが、
こちらは小さな祭壇用の板絵、画家はグイドッチョ・コッツァレッリ・
Guidoccio Cozzarelli(1450-1517) 「聖母子と天使」
素晴らしい絵と思いますが、残念、若くして亡くなったのですね。
Guidoccio Cozzarelli(1450-1517) 「聖母子と天使」
素晴らしい絵と思いますが、残念、若くして亡くなったのですね。

これは何方がお座りになったのか、枢機卿かな、の素敵な椅子。
ピンがブレていて、ご容赦を。
ピンがブレていて、ご容赦を。

8. 礼拝堂・La Cappella. 15世紀初頭。 プッブリコ宮の中でも
魅惑的な場所とあるのに、何せ間に挟まる部屋で暗く、ハッキリしない写真で
申し訳ありませんで~す。
魅惑的な場所とあるのに、何せ間に挟まる部屋で暗く、ハッキリしない写真で
申し訳ありませんで~す。



画家はタッデオ・ディ・バルトーロ・Taddeo di Bartolo(1362-1422)
シエナ派の画家で、トスカーナ一円にたくさんの作品が残ります。
シエナ派の画家で、トスカーナ一円にたくさんの作品が残ります。
これは隣の9.世界地図の間・Sala del Mappamondoとの境のアーチ部で、
真ん中に見えるのは「聖女シエナのカテリーナ」と。
真ん中に見えるのは「聖女シエナのカテリーナ」と。

右のアーチの向こうは礼拝堂の壁で、左は7.礼拝堂控室・Anticappella、
見える大男は聖クリストフォロ。
見える大男は聖クリストフォロ。
サンタ・カテリーナの生家跡は シエナの古い坂道を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466796466.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466796466.html
「世界地図の広間」から見える「礼拝堂、礼拝堂控室」の様子と、

部屋の反対側の眺めと、シモーネ・マルティーニの「マエスタ・Maestà」像。


そう、この部屋と作品ををもう一度見たく、プッブリコ宮に来たのでしたが、
ご案内は次回に!
ご訪問よろしくお願い致しま~す。
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