先回に続き、ウンブリア州のモンテファルコ・Montefalcoの町のご案内を。
「ウンブリアの露台」と称される、平野の中に突出する472mの高さと、
ベノッツォ・ゴッツォーリの素晴らしい壁画の残る教会博物館、
そして美味しいワインとオリーヴ油やら様々の土地の産物で有名な町です。
まずは上空からの町の眺めですが、これは西からの眺めで、
中央に見える門が、先回最初に見て頂いたサンタゴスティーノ門で、一直線に
見える坂道を上って行くと中心の、町で一番高いピアッツァ・コムナーレ広場に。
ご覧の様に、旧市街は周囲を見事に13世紀建設の城壁に取り囲まれて
いるのが良く分かります。
町の地図をどうぞ。 先回は2のサンタゴスティーノ門から入り、中心の広場、
そして現市役所を見て頂きましたが、
今回は11のサン・フランチェスコ教会博物館・Chiesa Museo di S.Francesco、
図ではPinacoteca・美術館、となっておりますが、施設の充実で市博物館に。
そして、城壁の門、小さな教会などをご覧頂きますね。
10のピアッツァ・コムナーレから北東に下る緩やかな坂道を行くと、
すぐの建物の裏側に、こんなかっての連絡階段だったと見れるのが残り、
おお!と喜んで撮ったのが、はは、13年前!
ですがね、新しくあれこれ写真を探していると、やはり同じ姿の写真が
見つかり、おお、未だご健在なんだと、ははは。
ブログ名の入っているのがshinkaiの撮った物で、後はサイトから拝借です。
そしてすぐ下に、この11のサン・フランチェスコ教会博物館が。
実は、町の門を入ってのサンタゴスティーノ教会をサン・フランチェスコ教会と
間違えて記憶しており、内部の壁画も大きさも違う、と焦って探し回ったのでした!
当時、素晴らしい壁画を見て、ついでに小グループがガイドさんの説明を聞いて
いたのに混ぜて貰い、しっかり堪能した教会の、当時はまだ修復中だったのが、
そうか、あれが博物館になったのだと気が付き、納得した次第です。
で、内部は修復中でしたし、他所のグループで説明を聞いたりしたので、
遠慮して写真も撮っておらずで、今回の写真はサイトから拝借しましたが、
内部はこんな様子で、
正面に見える内陣の様子と、その細部を。
内部は長方形の身廊で、内陣が5角形、両脇に長方形の礼拝堂があり、
フレスコ画装飾は14~16世紀にかけての物で、
ベノッツォ・ゴッツォーリ・Benozzo Gozzoli(1420-1497)、そして
ペルジーノ・Perginoの壁画が残ります。
この元サン・フランチェスコ教会は、1335年から1338年にかけ、モンファルコーネに
移植していたフランチェスコ会派の、日本語を調べると「小さき兄弟会」と呼ばれる
フラーティ・ミノーリの僧侶たちによって建設されたもので、
内陣に残る「サン・フランチェスコの生涯」の一連の壁画の注文由来も分かりますし、
当時この教会には神学者、伝道者のフラ・ヤコポ・Fra'Jacopoという方が
おられ、彼がサン・フランチェスコの生涯についてのモチーフの選定を助言したものと。
教会は1863年まで続き、そしてモンテファルコの市に所属が移り、1895年から
博物館になったのだそうで。
shinkaiが行った当時は、内部はがら~んとして、あちこち修復中だったのを
よく覚えていて、このベノッツォ・ゴッツォーリの壁画の素晴らしさに驚いたのの
1つに、フレスコ画にありがちの継ぎ目がまるで見えない事にも!
ご存知の様に、フレスコ画というのは、新鮮な、という元々の言葉が示すように、
下図を作り、その日に描けるだけの、というよりは、壁の下塗りが乾かないうちに
描けるだけの広さの下塗りをして描いていくもので、
その下塗りの継ぎ目が見えるのが殆どなのですね。
なので同じ面積の部分でも、描いた日が別だと、絵の具を溶く手加減も違い、
それによって色が違っている事もよくあるのですけど、
ここの壁画はまるでそれが無いのに驚き、ガイドさんに尋ねると、
そう、まるで継ぎ目が見えないの、下塗り自体の技術も凄く上なのよね、と。
今も良く記憶に残っているのは、こうした壁画は下の層の左から始まり
右に続き、そして上の層にお話が続く、というもので、今もshinkaiのお役に。
これは内陣壁画の一場面で、背後に見えるのがモンテファルコの町で、
サン・フランチェスコが祝福を与えている場面で、
左側に、先回ご案内したべヴァーニャの町外れで小鳥に説教する逸話があり、
これも背後遠くに見えるのがべヴァーニャの町かも。
そしてこちらがちょっと可笑しい、悪魔祓いの図。
ベノッツォ・ゴッツォーリはフィレンツエ郊外南西のスカンディッチ・Scandicciの
生まれで、父親兄弟ともに羊毛の梳毛職人だったのが、画家を志し、
最初に絵描きとして歴史に名が残るのは、ロレンツォ・ギベルティ・
Lorenzo Ghibertiの共同仕事者としてで、1444~1447年、
その後フィレンツェ・ルネッサンスの15世紀最初の偉大な画家フラ・アンジェリコの
やはり仕事共同者としてで、これが彼にプロ画家になる為の大きな教えとなった物と。
一緒にヴァティカンに、オルヴィエートに赴き、仕事をし、1447~1449年、
そして独り立ちした画家として1450年にモンテファルコに呼ばれ、
サン・フォルトゥナート修道院、そしてサン・フランチェスコ教会と続き、
1452年6月27日付の、ゴッツォーリ自筆のフィレンツェのミケーレ・ブランカッチ・
Michele Brancacci宛の手紙、今はモンテファルコを離れられない旨の手紙が
5世紀を越えてモンテファルコに戻り、現在博物館に展示されているそう。
ブランカッチ家というと、サンタ・マリーア・カルミネ教会に有名なマザッチョ・
Masaccioの壁画が残る礼拝堂が残る一家で、何か仕事依頼があったのかもですね。
アーチに残る壁画と、脇にも、
説教壇。
そしてこちらは地下にあるカンティーナ・ワイン醸造所で、2006年に発見され、
現在一般公開になったものなんだそう。
勿論フランチェスコ派の僧侶たちがワインを作っていた場所で、古い桶や
葡萄の圧搾絞り機も完全に残っており、
1692年の市の記録には、このカンティーナでの売買についてと、「モンテファルコに
おいて一番大きい」という記述があるそう。
この教会博物館では、毎日12時、15時半、(17時半・夏季のみ)に、3エウロで、
20分間のベノッツォ・ゴッツォーリの絵についてのガイドが行われているそうですから、
お時間が合えば是非どうぞ!
言葉が分かるかどうかよりも、絵をそのつもりでじっくり見るチャンスと思いますので。
町中の小路を辿りつつ、
植木鉢でいっぱいの前庭で寛ぐ白い猫ちゃんと出会ったり、
如何にも古いロマネスク造りの小さな教会を見つけ、上に小さな可愛い鐘楼を持ち、
扉が開いていたので中に入ると、この壁画の残りがあり、聖女の肩の上に
「S LVCIA」と見え、左手の上に「目」を載せているので、聖女ルチーア、
上の写真の教会前の標識にも「S・Lucia」とあったので間違いないとは思いつつも、
余りにも小さな教会なので、町の地図にも載っておらず、
どこにあったのか場所が分からず、こうなると意地になって探し回り、ははは、
遂に奇特な方が、多分モンテファルコか、その近辺の方と思われる方のサイトに
記述があるのを見つけました!
12世紀の教会で、最初に記録があるのは1220年4月で、モンテファルコでも
最も古い教会の1つで、1295年以来ずっと放棄されていたので屋根が落ち、
1916年に最初の修復が始まり、1977年の保存の為の修復でも、
内部の14世紀のフレスコ画、shinkaiが見つけたのと、もう1つある様ですが、
それが救われただけなのだそう。
これはサイトで見つけた、1927年と記された修復の碑と。
で、サイトにあった住所から位置が分かり、上に載せた町の地図の右下に記した
赤い印にSanta Luciaと書いた場所です。
車が通れない場所なので、地図にも載らないのですね。
で、もう1つ今回モンテファルコについて書くのに探し回ったのは、町の門です。
最初に町に入るサンタゴスティーノ門は立派ですし、すぐ位置も姿も分りますが、
こちらが町中から見たサンタゴスティーノ門で、
他に自分が見つけて写真を撮っていた門が何門か、どこにあるのかですね。
で、これも奇特な方のサイト、はい、こういう方がおられるので助かりますが、はは、
「町の門」というサイトに4つ載っており、
まずこれは大きいので分かり易く、地図の南面の中程にサン・バルトロメーオ教会
の右に見える、フェデリコ2世門・Porta Federico II.
上にファルコ・鷹が向かい合わせについている碑は、1244年に彫られたものだそう。
こちらは、カミアーノ門・Porta Camianoと。カミアーノ村に向かう道にある門、と
いう説明で、地図のサンタ・ルチーア教会の角にある門と。
町の古い城壁の古い門で、13世紀の初めの造りで、上に見えるのが町の
古い紋章、ほら鷹が、3つに分かれた山の上に留まっている姿で、この形が門に
付いているのは3つしかないのだそうで!
神聖ローマ帝国皇帝フェデリコ2世の名が続けて出ましたので、先回単純にご説明した
「町の名のモンテファルコは、フェデリコ2世が大変に愛した「鷹狩り」に
敬意を表し、ファルコ・鷹、の名が入っている」に追記を。
モンテファルコという町の名は、かってはコッコローネ・Coccoroneという名だったのが、
この名は多分ローマ期にここに屋敷を持っていたローマ貴族コロナエ・Coronaeから、
というのですが、
若き日のフェデリコ2世が1240年、この近くに滞在していた折、大変可愛がっていた
鷹が逃げ、この高い位置のコッコローネが気に入ったか留っていたのを村人が捕まえ、
フェデリコの元に持って行き、村を攻めないでくれと頼んだのだそう。
で、その承諾を得て、村の名を「モンテファルコ」と改めた、という伝説があるそうで。
かってはこの一帯には鷹がたくさんいたのが次第に少なくなっていたのを、
2007年7月にチョウゲンボウ・gheppio、鷹の種で明るい茶の羽、のカップルを
放した所、大変成果が上がっているそう。
という寄り道からまた町の門の話に戻りますが、
サン・フランチェスコ教会博物館前の道を下って行った所には、ポルタ・デッラ・ロッカ・
Porta della Roccaがあったのが、これは20世紀に打ち壊されたそうで、
今は左右の門柱のみに。
そしてもう1つ記載されていた門は、サン・レオナルド門・Porta San Leonardo。
この姿で、旧の町中ではなく、16世紀以降に造られた城壁にある門で、
現在もサン・レオナルド修道院の、クラウズーラと呼ばれる生涯隠棲生活を送る
尼僧の為に利用されているのだそうで! 地図の一番下に延びた部分に。
という所で、この町の有名産物のご紹介を。
まずはサン・フランチェスコ教会の壁画にも、多分このワインをほのめかしている、と
見られる姿がある、モンテファルコを始めとしてこの一帯でのみ産されるDOCGの
サグランティーノ・ディ・モンテファルコ・Sagrantino di Montefalcoで、
まずこのお祭りの写真を見つけ調べましたら、テッレ・デル・サグランティーノ・
サグランティーノの土地・Terre del Sagurantino」というお祭りがあり、
2020年は4月11日から13日に、というのが分かりました。
写真で、ほら、手前に簾を敷いた上に黒葡萄が乗っているのが見えますね。
こんな風に収穫したブドウを干し乾燥させ、甘みを増したのを絞って作る、
というワインで、
ワインのお祭りとしては少し時期が変わっているのも、干して乾燥させて、という
事から、秋には間に合わないお祭りなのでしょうね。
濃いルビー色で、時に紫色にも輝き、味は乾いた香味があるといい、
熟成させたチーズ、肉のグリル、シチュー、とろ火の煮込み、猟の獲物に
ぴったりのワインなんだそうで。
で、こちらが、その葡萄。 大きな房ですねぇ! サグランティーノというのは、
確か中近東のシリア辺りからの種だと読みましたっけ。
勿論、あの辺りまで布教に行ったフランチェスコ派の僧侶のお持ち帰りだそうで。
で、お値段がどの位かを好奇心から調べましたら、最初に出たのがこれで、
24エウロと。 少し高めですけど、特別にお高くはなく。
そして、この剣の見えるラベルのは、なんと、110,4エウロ!!
はぁ、どんな味なのか、想像しようもないですねぇ、shinkaiめにはぁぁぁ。
そして先回たくさん見て頂いた、町の周囲に広がるオリーヴ畑から
簡単にご想像がつくと思いますが、オリーヴ油ですねぇ。
これはワインと違って、オリーブ油のメーカー名を知らずで、
こんな搾りたての緑色を。
そして、トリフもたくさん採れ、
こんな写真も見つかり、はは、つまり、豚肉製品も美味しいのがたくさん、と。
という事で、夏の夜の一時を皆が市役所前の広場に集まり、食べ、飲みして
楽しんでいる写真で、モンテファルコのご案内をお終いに。
ウンブリアの可愛い、目の保養もしっかり、そして美味しい物も、の
珠玉の町モンテファルコに、どうぞチャンスを見てお出かけ下さいね!
長いお付き合い、有難うございました!
ご訪問よろしくお願い致しま~す。
*****
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!

*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。