・ n.3 ヴェネツィア行き ・ サン・マルコ広場 その1

漸くにヴェネツィアに行った様子を、本人も楽しみつつ見て頂いてます。

大運河を通り、サン・マルコ広場からリド島に行くヴァポレットの
「サン・マルコ」の停留場はかなり手前にあり、そこから岸沿いを通り
サン・マルコの小広場に出る事も出来ますが、

この時は一旦戻る形でハリーズ・バーの角まで行き、そこから北向きに
小路を辿り、サント・ステーファノ広場からサン・マルコに連絡する道にでて
サン・マルコ広場に向かいました。

で、今サン・マルコ広場の南西角から、そろっと覗いた所!

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まだ朝10時半前で、広場には人が少なく、手前の政庁舎の建物の影、
そして鐘楼の影が長く伸び、ああ!



回廊に添い、少し動き、ほぼ正面からサン・マルコ聖堂の前景を。

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この日、実はヴェネツィア行きの目的の一つが、コッレール博物館に行く事。

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昨年に見た「カナレット展」以来の念願でもある、彼が使ったという
「カメラ・オブスクーラ」を一度見たかったのですね。
サイトで開館時間も調べ大丈夫、では先に見学するかはその時の様子で、
と思っていたのでしたが、



なんと、こんな張り紙が張ってあり、コロナヴィールスの影響の為、臨時休館と。

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何でやねんなぁ、ならサイトにも断りを出さんかいやぁ、と思ったものの、
まぁ、またヴェネツィアに来る目的が出来た、と優しく思う事に。

まったくねぇ、サイトを見て時間を確かめ、行くと閉まっている公的事務所が
幾つかあり、なんでサイトに断りを出さないのか、と思う事がしばしばで、
はぁ、こういうのもイタリア事情の1つなんでありますぅ。



回廊の下の灯を。 アーチにも彫りが施され。

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広場の北の回廊の様子を。 す~っと回廊が奥まで、つまり時計塔の
下まで見渡せる様子を。

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回廊の脇から北に抜けた所のゴンドラ溜まり迄。
いつもはゴンドラの出入りで賑わう場所ですけど、ひっそりと。

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南側の回廊迄戻り、恨みの、はは、コッレール博物館の壁を。
洗われて綺麗に白くなっている壁、柱が煌きます。

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そして南側の政庁下の回廊。 ここもすっきりと奥まで見渡せるのも、
まだ殆ど店が閉まっているのですね。

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今回初めて、床装飾が北の回廊と違うのに気が付き、へへ。



広場側に並ぶ角柱のアーチの装飾。

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そして、広場のカフェ・フロリアーンのテラス席。 営業中。

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向かい側のカフェ・クワードリのテラス席も営業中で、

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シニョーレが1人、ウェイターの給仕を受けているのが目に留まり。



フロリアーンの店の前まで行くと、店の方は扉が開いているのが2か所、
つまり店内は開いておらず、テラス席のみ営業中なのですね。

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この朝の時はまだバンドが演奏していませんでしたが、お昼前にもう一度
ぐるっと岸寄りの道を辿って歩いて戻って来た時、音楽が聞こえ、タンゴ、
広場越しに北の回廊から撮ったのがこれ。ヴァイオリンと、オルガンの2人組でした。

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Mさん、営業再開していますからね、ご安心を!



で、今回初めて気が付いた、か、以前は無かったのが、もう1つのカフェ!
鐘楼のすぐ脇近くで、ブルーの椅子。 昨年春に来た時は無かったのを確認。

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こんな感じで、ジェラートの方はやっていましたが、店内はまだ。

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で、いつから出来たのかと検索して出て来たのが、悪口の数々で、ははは、
高い! コーラが8エウロ! ベッリーニというカクテルを注文したら、バーで
瓶を開けて注いでいるのが見えた、ならスーパーで買うのと同じ!
ウェイターは中国人とか外国人で、イタリア語が通じない! 等々。
ひょっとして中国人華僑の買い取り営業かもしれないな、と。

ヴェネツィアの品位を下げる、というのがどのサイトでも見つかりましたので、
皆さん、ヴェネツィアに行かれた時は、この「アウローラ」には行かないでね!!



広場から見ての、奥の白いのがフロリアーンで、手前がアウローラ、ですよぉ!

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でもね、カフェ・クワードリの横、つまりアウローラの向かいにも、テラス席の
椅子は積んだままでしたが、別のカフェが出来ているのも見ましたので、
広場には都合4つのカフェが、という事に。

一度カフェ・クワードリに座った時に、ウェイターがチップの要求をするのに出会い、
興ざめした事を覚えていますが、まぁ、今回のコロナヴィールスの影響で、
真っ当な店が正しく残る事を願いましょう!



サン・マルコ聖堂の正面中央を。 一番手前の赤い若い女性にお目をね。
ぐんぐんとアップで。

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何年か前友人達と一緒に夕暮れ時に聖堂内を通り抜けた事があったものの、
もう長い事、20年以上はサン・マルコ聖堂内にはお邪魔しておらずで、
今回もまたあまりにもの長い行列待ちで、遠慮してしまいましたが、

考えてみると、ヴェネツィアに1時間の距離に住んでいるのだから、
朝早く一番にでも来るようにしたら良いのよね、といささか反省。

ですが、内部は写真禁止なのが、やはり残念なのですよね。
昔はOKだったのですが。
ですが、コッレール博物館ともども、再度のトライを考える事に!



こちら時計塔、今聖母の横の時計が10時45分を指していますが、

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さて上から順にアップでご覧頂きますね。



まず一番上の2人のムーア人。 15世紀末に出来た時計塔ですが、 
右の髭のある方がヴェッキオ・年寄り、左の髭なしがジョーヴァネ・若者と。

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そしてその下、サン・マルコのライオン君。 少し左に寄って見えるのは確かで、
これは時計塔を造ったドージェ、膝まずくアゴスティーノ・バルバリーゴ像が
あったのが、ナポレオンによって打ち壊されたのだそうで。

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まぁ、ライオン君が残って良かった。 時にライオン君が壊されて、
というのもありますけんね。



で、ライオン君の下にあるのが、半円のテラスを前にした聖母子像。
そう、ヴェネツィアでは聖母子と言えども、サン・マルコのライオン君の下にね。

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ほらね、今時計は10時50分。 そう、ちょうど良い位置を探して撮るのにね、
2度上から順に撮っていて、これは2度目の写真なので~す。



そして、この美しい時計! ブルーの濃淡と白、金塗りの星座表、24時間の
時間表示。 そう、10時50分、正確です。

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大変興味深かった  時計塔探訪 ・ ヴェネツィア、サン・マルコ広場
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463622959.html



こちらは聖堂の南側側面で、2つのアーチを順にアップすると、

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左側の上には、秤と剣を持った正義の女神が中央にいて、

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右側には、あれ、この方は何を? 動物? とアップすると、

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動物が立ち上がり甘えている姿で、頭、顔の辺りが良く分からない物の、
たてがみがしっかり見えるので、はぁ、ライオン君だろうと。

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ライオンがなつくのはヒエロニムスだけかと思ってましたが、ははは、どなただろ?



2つの間の部分にもしっかり装飾が施され、上のキリストの顔の部分も
モザイクだろうと。 古い様式に従っての後世の物かもですね。

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ドゥカーレ宮との境の辺りから見る鐘楼の上。 一番上の大天使ガブリエレ像
の翼がちょうどの光線に眩しく照り返し、

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3画屋根の下に、剣を持った女神像と、両脇にライオン君。

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天使像をアップして見ましたら、翼を繋ぐ線が幾つも見え、はは。

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3層になった床石の部分、一番下の両脇に何か草の様なものが見えますね。
あれ、草が生えているのか、と思いましたら・・。



こちらは小広場の方から撮った大天使ガブリエレ像。
まだ横向きですが、大きな長い翼も、手に持つ百合の花も見えるので、
今回はこれでご勘弁を。

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上の写真で3層の台石に見えた草の様な物がここにも見えるので、
装飾の1つという事で納得。 でも何を現すの?
 
この像は風見になっていて、風向きにより方向が変わるので、次回には!
という所で、ヴェネツィア、サン・マルコ広場のn.1をお終いに。

ヴェネツィア全体のご案内はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835393.html


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・ n.2 ヴェネツィア行き ・ カナルグランデをヴァポレットで その2

13日久し振りの快晴の日に出かけて来たヴェネツィア。
コロナヴィールスでの封鎖ほぼ全面解除、の2日前だったのですが、
久し振りの、しかも大快晴のヴェネツィア!
まだ人出も少なく、のんびりゆっくり楽しみ、久し振りにたっぷり撮って、
そちらの不満解消も晴らして来ましたので、はは、

今日はカナルグランデ行き、リアルト橋からサン・マルコ迄の様子をどうぞ!


こちらはリアルト橋を過ぎ、右手に見える細長い広場と建物。
サン・ポーロ広場を過ぎ、もうそろそろリアルト橋、という頃に右手に
曲がって来ると出る場所ですね。

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今回のカナルグランデの写真は、ヴァポレットの中の席が社会的距離で
座れる場所が少なく、乗った乗降口付近にいる事になり、自由に動けず、
ずっと進行方向に向かい右側にいましたので、写真は運河の右側を、と
思い込んでいましたら、

建物の名を探すのに見つけたサイトで、なんとこちら側は大運河の左側
つまりサン・マルコ広場から見て、左側、という事になるのを知りましたぁ!


4階のテラスの垂れ幕を見ましたら、アンティーカ・ロカンダ・ストゥリオン・
Antica Locanda Sturion、つまりホテルですね。

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外から見るのとは違う内部の様子はこちらで。 日本語もありまする。
https://www.locandasturion.com/it



こんな風に、リアルト橋を振り返り。

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ほら、驚きの大運河の眺め!! 突き当り角のカ・フォスカリ、現ヴェネツィア大学
前まで、船は端っこのヴァポレットとモーター・ボート一艘のみ!

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こんなに広々の大運河は、30年の滞在にして初めてで~す!!



大運河の右側、もとえ左側の、近くのパラッツォ・ドナ・Palzzo Donà.
16世紀末に建設されたもので、ヴェネト・ビザンティン様式の5連の美しい窓と、
大理石の窓の周囲に埋め込まれたイコンと。

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パラッツォの名に見えるドナ家・Donàというのは大変に古い家柄で、
9世紀の初め頃にリアルト島に新しいヴェネツィアを建設した時にも多分
含まれていたろうという家柄だそうで、現在もご健在との事。



これはパラッツォ・ベルナルド・Palazzo Bernardo.
こちらも大変古いヴェネツィア貴族の家柄で、あちこちに名を冠した
建物が残ります。

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このパラッツオには1442年に、ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァが
ヴェネツィア訪問の折に滞在したそう。

19世紀にどうやら跡継ぎが欠けたのか、暫く後に最終的に持ち主を
替える様にという遺言を残したそうで、この辺り、意味がよく分かりませんが、
この後あれこれと問題が起こった様子。



運河に面した左側の船着き場。 ボートが見えるのでお住まいなのですね。

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我らのヴァポレットの後ろからくる、サンドロと呼ぶ舟の変わったシニョーレ。
あれこれ飾り付けていて、これで客引きをしているのかも!

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振り返ってみるリアルト近辺。 カナレットの絵で、このモチーフがありましたっけ。

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少し下って来て、サン・トマの渡し・San Tomà. 

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奥に見える橋の、もう1つ奥の橋の右脇にカルロ・ゴルドーニの生家博物館
があり、橋の左にはサン・トマ教会が。

ヴェネツィア ・ ゴルドーニの家博物館、サン・トマ広場周辺
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330953.html

カルロ・ゴルドーニの家博物館 ・ ヴェネツィア
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20190307-1.html



サン・トマのヴァポレットの停留所の窓に映る、大運河のパラッツォの並び!
本当に良いお天気でしたものぉ!

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そして大運河の西の曲がり角、手前にある白い大きなパラッツォ・バルビ・
Palazzo Balbi.  16世紀末。

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2階の窓の間に見える大きな紋章とか、上の2本の角(建築用語では何と?)
とか、如何にもですが、はは、
現在このパラッツォは、ヴェネト州の行政府となっていて、
ほら、停泊中のモーター・ボートのお尻にも「Regione Veneto」とね。



さて、大運河の西の曲がり角、右側がカ・フォスカリ・Ca' Foscariと、
左に続くのはパラッツォ・ジュスティニアン・Palazzo Giustinian.
左のは2つに見えますが、同じジュスティニアン家のパラッツォ。

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フォスカリ家も、ジュスティニアン家もいずれも著名なヴェネツィア貴族で、
この様に大運河に並ぶ様子は、色も素晴らしく、優美で、その大きさからも
如何にも大運河に魅力的な趣を添えていますね。



これはカ・フォスカリの3階部分の浮彫装飾。

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所で今回このパラッツォ・ジュスティニアンについて読んでいて、大変に興味深い、
好奇心を刺激するお話を知りましたので、皆様にもお裾分けを。

ジュスティニアン家のパラッツォというのは、あちこちに分家のも含め存在しますが、
この並びの分は1452年に当時ヴェネツィア総督であったフランチェスコ・フォスカリが
買い取り、1457年にここで亡くなりますが、2世紀後1699年に、その同じ部屋に
ポーランド女王マリーア・カシミーラ・Maria Casimiraが滞在したそうで。
つまり、それ位の御もてなしが出来る部屋だったという事ですね。

というのはさて置き、ジュスティニアン家のニコロ・Nicolò Giustinianについて。

ヴェネツィアの著名裕福な貴族ジュスティニアン家ですが、1171年には一家の
男性陣すべてビザンティン皇帝との戦争で、ペストで、亡くなったのだそうで!
で、1人だけ残ったのが、修道院に、つまり僧籍に入っていたニコロで、

彼は時の教皇アレッサンドロ3世に、貞節の誓いを免除してもらう事を嘆願し、
許され俗世に戻り、時のドージェの娘アンナ・ミケーレ・Anna Micheleと結婚。

はぁ、めでたく子をもうけ、しかもです、9人の男子、3人の女子、という!!
見事ジュスティニアン家が絶える事を防ぎ、子供たちが成長し家系が上手く
継続するのを見届け、ニコロはまた修道院に戻り!
奥方のアンナは、彼女自身が創設した修道院にと。 可哀そうに!

こういうお話は、はぁ、厳粛というか、お偉いというか、どこか可笑しいというか、
感想を述べるのに困りますので、興味あるお話という事で、はい。



さて、カ・レッツォーニコ・Ca'Rezzonicoの前に。 18世紀に出来たパラッツオで、
現在18世紀当時の芸術作品をメインとした美術館に。

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ここには様々な著名人達が滞在した事でも有名ですが、ロバート・ブラウニング、
コール・ポーターなど、以前内部見学で、素晴らしいティエポロの天井画とか、
その息子のフレスコ画をみた、大変見所のあるパラッツォだったと。



この建物の名が分からず残念ですが、こじんまりとした大変可愛い建物で、
如何にもヴェネツィアのパラッツォで、少し大運河から引っ込んでいるのも良いですね。

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何のニッキ・壁龕かと思いましたら、ドラゴン退治のサン・ジョルジョで、
窓枠の装飾、小さな碑とか、大変に心のこもったパラッツォのイメージですね。

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お隣はパラッツォ・ロレダン・デッランバシャトーレ・Palazzo Loredann
dell'Ambasciatore、15世紀後半。

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ゴシック建設の後半、ルネッサンスのイメージが始まっている建物だそうで、
カ・フォスカリに似た優雅なイメージもあり、2階の美しいテラスの脇に、窓の間に
挟まれている像、従者、盾持ちの像は15世紀のロンバルディア風なんですと。



大運河が大きく再度左にカーヴを切る所にある小運河、奥に辿ると、
ヴェネツィアで唯一残るというサン・トロヴァーゾのゴンドラの製作所・
Scuero di San Trovasoがある運河。

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少し時間差の違いで、へへ、右奥に見える赤い建物が良く見えませんが、ここは
ペンシオーネ・アッカデミア・Pensione Accademia、そう、映画「旅情」で、
キャサリン・ヘップバーンが宿泊した宿で、綺麗に修復されているのが見えました。



アッカデミア美術館の、元サンタ・マリーアデッラ・カリタ教会・修道院の
建物正面がこんな風に見えて来て、 ああ、また正面で何か工事中だぁ!

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こちら正面の白い建物が美術館の入り口になりますが、

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考えてみると、もう何年も修復でいつも教会側も覆われていて、入り口も変わったりで、
それで、カリタ教会の建物が珍しく目に入った事に気が付きましたぁ!



美術館前のアッカデミア橋の下から見える、サンタ・デッラ・マリーア・
デッラ・サルーテ聖堂。

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橋を渡る人もまだ少なく。

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アッカデミア橋の袂にあるカフェ、そして岸に停まるゴンドラ。

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そしてサン・ヴィオ広場・Campo San Vio. 正面の建物の間に挟まっている
小さな教会はヴェネツィアに唯一ある英国国教会セイント・ゲオルグ。

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大運河に面して華やかなモザイク画の正面が見えるパラッツォ・バルバリーゴ・
Palazzo Barbarigo. 16世紀建設の物ですが、現在は19世紀末から
ヴェネツィアとムラーノの硝子とモザイク制作業者の協同組合の事務所に。

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という訳で、その素晴らしい見本でもあるモザイク画が正面にあり、
2階に見える左の絵はこちらで、神聖ローマ帝国皇帝カルロ5世が
ティツィアーノのアトリエを訪問した所。 
元の絵はジューリオ・カルリーニ・Giulio Carlini(1826-1887)が描いたものと。

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そう言えば、カルロ5世が、ティツィアーノの工房で、ティツィアーノが落とした
筆を膝まついて拾った、というエピソードが、子供向けの図鑑に載っているのを
読んだ事がありましたっけ。

で、上の写真に見える右の場面は、フランスのアンリ3世がドージェの
アルヴィーゼ・モチェニーゴに伴われ、ムラーノのガラス工房を見学している所と。

はい、このアンリ3世についての面白い逸話はこちらに。
ちょっぴり歴史に名が残る、 我が町コネリアーノの様子を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467229891.html



続いて並ぶパラッツォの、窓から顔を出している方。
凄い場所に住んでおられますねぇ!

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そしてペギー・グッゲンハイム・コレクション、パラッツォ・ヴェニエール・
デイ・レオーニ・Palazzo Venier dei Leoni.

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そう言えば、大運河に面してライオン像が2頭いたっけ、と思い出し。



そしてもう1つ、正面にモザイク画を持つパラッツォ・サルヴィアーティ・
Palazzo Salviati.

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19世紀にガラス制作のマエストロ、著名なサルヴィアーティ家の
展示会場として建設されたのだそうで、1924年2階が増築された時に、
現在の正面のモザイクが作られたものと。



前を行くゴンドラ、家族連れがのんびりと。

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大運河もそろそろお終いに近づき、デッラ・サルーテの渡しのゴンドラが
横切って行きます。

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サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂が見え始め、
手前に見える大きな煌びやかな建物はパラッツォ・ジェノヴェーゼ・
Palazzo Genovese.

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1892年に建設されたネオ・ゴシックで、ジェノヴェーゼ家の住居として、
背後にあったサン・グレゴーリオ教会の第2の礼拝堂を潰しての
大きなもので、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテの大運河からの
景観を見えなくし、この一帯のバランスを壊したと。

はぁ、まぁ、そう言えばそうですねぇ、ははは。

正面真ん中あたりのデザインは、まさにゴシック・ヴェネツィアーノで、
ドゥカーレ宮や、パラッツォ・フランケッティを彷彿とさせます。



大運河の建物の影を抜け、

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正面扉。  右にちらっと見えるのが、サン・グレゴーリオ教会の後陣。

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上部。  ここの渦巻き模様が大好きで。

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税関・ドガーナの先端と、正面に見えて来るサン・ジョルジョ島と聖堂。

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ドガーナの上の金色球体の上の風見鶏の女性。

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ヴァポットと家並の隙間に見えた、サン・マルコの鐘楼。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ島と聖堂前を横切り、
サン・マルコ広場に到着ぅ!!

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ああ、久し振りにヴェネツィア、サン・マルコにやって来ましたぁ!!  
嬉しぃぃ!  皆さま、ヴァポレットの1時間、ご苦労様でしたぁ!

空気の澄んだ快晴のヴェネツィア、海の煌く色、風のそよぎを
感じて頂けると嬉しいです。

という事で、次回はサン・マルコ広場の様子を。


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・ n.1 ヴェネツィア行き ・ カナルグランデをヴァポレットで その1

先週土曜13日、こちらイタリアは15日からほぼ封鎖解除、後は映画館
とか劇場、ディスコ、大集会などを残すのみになっていますが、

3月からの厳しい移動制限も既に溶けているのと、久しぶりのお天気に
なりそうな土曜日なので、ではヴェネツィアに行ってこようと何日か前から
計画を立て、出かけて来ましたぁ!

まだまだ観光客が少ないものの、漸くに人々の姿を見れたヴェネツィア、
少しづつ動き出している姿、久しぶりの快晴の空の下の様子をご覧下さいね。

カメラのシャッターを押したくて、ははは、むずむずしていた指の運動も兼ね、
しっかり撮って来ましたので、暫くはヴェネツィア・シリーズをご覧頂きたく、
今回は大運河をヴァポレットでサン・マルコまで行ったその半分、はぁ、
リアルト橋までを見てやって下さいね。

電車がヴェネツィア・メストレ駅を出てラグーナが見え始め、小舟でトレーニングの
人々が見え始めると、やはり撮れずにはおれませんで、へへ。

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コネリアーノを8時半の電車で出ましたが、駅の切符売り場は閉まっていて、
自動販売機が何台か動いていますが、売店で切符を買います。

この売店の女性はいつも感心するのですけど、本当にプロというか、
物凄く計算が早く、行先と枚数、往復かどうか言うと、即お釣りが出て来て、
こちらは戻りで、こちらは行きの切符と教えてくれるし、
自動販売機よりも何倍も速く買えるよね、と感心する次第!

電車は既にホームで待っていてくれ、乗り込むと、2人掛けの席のひとつは
座らない様、赤い紙に「社会的距離の為」と印刷したのが張ってあり、
気持ちよくゆっくりと座れ、人込みを心配する必要なく、はは、
込んでも居らずで、こういうのは逆に良いなぁ、と。

1時間ほどでヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅に到着、駅前のヴァポレットの
切符売り場でサン・マルコ迄の片道を買い、待つうちにヴァポレットが。

ですが、停留所の建物内には皆が入らず、適当に距離を開けて、というので、
外で待ち、ヴァポレットが着いてから、ぞろぞろと乗船。

ヴァポレット内の席も全部が座れない様になっているので、必然的に
乗った場所の開いている所で立つようになり、「社会的距離」も余りね。


余り動けずで、人の隙間から駅前のスカルツィ大橋を渡る人の姿と、

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駅前の、サン・シメオン・ピッコロ教会の上を。 

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ヴァポレット出発。 

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今回は乗った反対側の乗降口の横に場所を取ったので、大運河の右側
の写真が多く、いつもよりも数が多めになりましたけど、
「快晴のヴェネツィアの久し振りの大運河行き」を皆さんも楽しんで下さいね。

サン・マルクオーラのトラゲット、大ゴンドラによる渡し船、の乗降場。

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久し振りのお天気のお出かけ、久しぶりのヴェネツィア、というので、
何でも撮りたくなるものの、ははは、余りカメラを持っている観光客も居らずで、
なぜか少しばかり自分のカメラのシャッター音が気になったりで、はは。

こんな事が気になるのも、コロナウィールスの自粛が長かったからでしょうね。

古びて剥げ落ちたドアの色、そして閉まったままの窓。

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この家はずっと昔に「ボイアの家・Casa del boia・死刑執行人の家」と
教えられて以来、素直に信じていたのですが、はは、

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こんな駅に近い場所から死刑が行われたというサン・マルコ小広場迄通ったのかなぁ、
まぁ、毎日ずっと仕事がある訳でもないだろうけど、なぞと撮りながら考え始め、
今回漸くにイタリア滞在30年近くなって調べました、はい。

で、この近くにあるのは確かというのと、他にもサンタ・マルゲリータ広場とか、
別にかなり詳しいサイトも見つかりましたので、またご報告を。



振り返って眺める駅横の、スカルツィ教会・Scalzi.

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人の姿の見えない小路。

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元のトルコ商館・Fontego dei Turchi、現在は歴史自然博物館・
Museo di Storia Naturale. 

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内部を覗くのも興味がありますが、まだ見た事がありません。



横の小運河で、ほらね、かなり奥にも長いのですよ。

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隣のフォンダコ・デル・メージョ・Fondaco del Mewgio. メージョとは
ミーリオ・miglio、粟とかキビの事で、その貯蔵庫だったそう。

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ここの上のサン・マルコのライオン君を見ると、ホイっと右手を上げて
挨拶してくれている様でいつも可笑しくなりますが、
現在ここは小学校に使われているそうで!



そして少し先にある、サン・スタエ教会・San Stae. 

V13_9556_GF.jpg

左奥に見える小さな教会風建物は、



これですが、スクオーラ・デイ・ティーラオーロ・エ・バッティオーロ・
Scuola dei Tiraoro e Battioroの職人組合、集会所、教習所だったのですと。

V13_9559_GF.jpg

ティーラ・オーロとか、バッティ・オーロの意味が分からず、が金に関係ある
のは分かるので調べましたら、運よく大運河の建物一覧のサイトを見つけ、
それに載っていて、

ティーラ・オーロというのは、織物に織り込んだり、貴金属の細工用の
細い金線を作る事、
バッティ・オーロとは所謂金を薄く叩き伸ばした金箔、これは芸術作品や、
かのカ・ドーロの正面に貼られていたという金箔もこれなんですと。

説明で笑ったのは、たとえ貴重高価な金を扱っていたにしても、
組合自体は裕福でなく、それどころかこの建物を作るのに大きな借金を、
というのがあり、ははは。

今いくつかの関連する建物が何かの集会とか催しに使われたり、
ホテル式に宿泊もできる様で、サイトをどうぞ。
https://www.scolettabattioro.it/it/



先に進みながら、大運河に面した建物や、運河に面した入り口を
眺めて行きますが、

V13_9561_GF.jpg



明らかにロシアからだろう、と思われる観光客がゴンドラに。
これはかなり装飾にお金がかかっているゴンドラですねぇ!

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やはりまだゴンドラが動いているのが少なく、見ると何となしにホッとし、はは。



カ・ペーザロ・Ca'Pesaro. 19-20世紀の現代美術、彫刻のコレクションと、
東洋美術のコレクションも。 ここで日本の素晴らしいコレクションを見ましたっけ!

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水面近くに並ぶ、魔よけの顔の数々!

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こちらはカ・コルネール・デッラ・レジーナ・Ca' Corner della Regina.

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レジーナ・女王、という言葉は、勿論コルネール家出身のカテリーナ・コルネール・
Caerina、15世紀に生まれ、キプロス王に嫁ぎ、じきに夫国王と生まれた息子を
失い、その後にキプロスをヴェネツィア共和国に献上した彼女を指し、
この館は18世紀初めに前のゴシック式の建物を取りこわして建てられたものだそう。



ここにもやはり魔よけの顔が並びます。

V13_9568_GF.jpg

カテリーナ・コルネール アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.2
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693935.html



そしてその隣、こじんまりとしたヴェネツィアの館は、ホテル・カ・ファヴレット・
Ca'Favretto.

V13_9570_GF.jpg



大きなゴシックの館は、パラッツォ・モロジーニ・ブランドリン・
Morosini Brandolin.

V13_9571_GF.jpg

内部は改修されたりしている物の、ヴェネツィア・ゴシック様式の素晴らしい例と
して残されているのだそう。



魚市場が見えて来て、

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彩の美しい、大きく頑丈な運搬船も停泊していて、

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魚市場前の広場に連絡する小さな橋。 右の建物の屋根に並ぶ煙突、
ヴェネツィア式の煙突が可愛いでしょう?

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魚市場の隣は野菜市の屋台店が並ぶ広場。 

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いつもならこの辺りは、買い物に来る市民でにぎわっているのですけど、
やはりまだまだ人出が少ないですね。



魚市場と向かいを結ぶ大きなゴンドラの渡しが横切って行きます。

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今回は大運河の右側のみが見える位置で撮っていて、カ・ドーロは
魚市場を過ぎてからやっと斜めに!

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n.1 カ・ドーロ ・ ヴェネツィアの館
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740863.html

n.2 ヴェネツィアの館 ・ カ・ドーロ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741340.html



快晴の土曜日でもあり、トレーニングに励む年齢さまざまな人々が行きます。

V13_9583_GF.jpg



リアルト橋を北に渡った所の教会サン・ジャコモから運河沿いに抜けた、
三角の細長い広場、何となく閑散としたイメージで。

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パラッツォ・カメルレンギ・Camerlenghiの建物の角を曲がり込み、
見えて来るリアルト橋。

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何度も繰り返す様ですけど、いつもよりずっと人が少ないので、いつもだと
まるで目に留まらない、へへ、橋のこちら側の像も見えたりし。

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リアルト橋の下を抜け、

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ゴンドラ溜まり。

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後からやってくる、トレーニングの2人。

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ゴンドラ。 ゴンドリエーレ達が人待ち顔で立っているのですけどねぇ。

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ヴァポレットの乗客も、朝のこの時間の駅方面行は本当に少なく。

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通り過ぎたリアルト橋。 少し寂しいイメージかな?

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でもね、本当にお天気がずっと不安定な日が続いていたので、
この快晴の空の下のヴェネツィアがとても美しく見えました!

いつもはモーター・ボートが突っ走って行ったり、ヴァポレットが停留所前で
蛇行したりの、あれこれの騒音も少なく、一昔前のヴェネツィアの
イメージなのかも、と思ったりした事でした。

という所で、大運河行きのその1を終え、次回はサン・マルコ迄。


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・ ナルニの 「聖母の戴冠」図  ギルランダイオ作

随分前からの自分への宿題となっていた、ウンブリアはナルニ・Narni
のエローリ・Eroli博物館所蔵、ギルランダイオの1486年作
「聖母戴冠図」のご案内を。 上手く纏まります様に!

1-1-Domenico_ghirlandaio,_incoronazione_della_vergine_di_narni.jpg

1486年頃 板にテンペラ画 金箔を貼った黄金背景 330x230cmの大作

2段に分かれた構成で、上部中央にキリストと聖母マリーアが周囲を
合唱や楽器を奏する天使たちに囲まれ、冠を受ける聖母の姿と、
一番上に天蓋を捧げる天使が左右に。

下部には昇天、戴冠するマリーアを見守る22人の聖人たち、

下の台座部は3つに分かれ、左から聖痕を受けるサン・フランチェスコ、
中央に埋葬されたキリストの蘇り、聖母と福音記者ヨハネが描かれ、
右には「砂漠のヒエロニムス」という構図。

ナルニに行った時に見て、博物館内に単に展示されているだけでなく、
ヴィデオによる細部も鑑賞でき、確か説明もして頂いたと記憶していますが、

細部がそれぞれ見える、という素晴らしさ、凄さは、単に作品を見つめる以上に
印象が深く残り、ギルランダイオの美しく見事な作品にもすっかり魅せられ、
いつか皆さんにも、という自分の宿題になっていたのでした。


この作品はナルニ出身の枢機卿ベルナルド・エローリ(1409-1479)により
ギルランダイオに、ナルニ近郊のサン・ジローラモ教会・修道院の為に依頼され、
作品が出来た、またはナルニに届いた1486年には、既に枢機卿は
亡くなっておりましたが、



枢機卿の作品の注文意向は、どうやら当時としては既に30~40年前の作品である
フラ・アンジェリコのこの「聖母戴冠図」の様な、という事だった様で、
1434年作 112x114cm 黄金背景 板にテンペラ

1-2-Fra-Angelico-The-Coronation-of-the-Virgin.jpg

つまり黄金背景で、光線、後光が中央から周囲に広がる形で、上部は天使たちが、
下部には諸聖人たちが見守る、という構図ですね。

この図は1825年以来フィレンツェのウッフィツィ美術館収蔵になっておりますが、
元々はサンテディージョ教会・Sant'Edigioにあったものの様子で、

フラ・アンジェリコは当時従来の祭壇画の形から外れ、(たくさんのパネルで
構成された形の事と思いますが)、
四角や長方形の構図で、遠近法を使った広さも試みていた様子。

確かにこうして眺めると、手前の聖人たちの位置から、奥の天使、そして
中央のキリストと聖母マリーアの位置は離れて見えますね。

という注文主の依頼を受けたギルランダイオの祭壇画「聖母戴冠」ですが、
黄金背景、諸聖人たち、周囲を囲む天使達、という点はしっかり応えておりますね。
一体幾ら位の代金だったのか、ちょっと興味がありますが・・!



さて、ナルニで絵を見た後、すっかり感嘆したshinkaiめは絵のガイドブックを買って
戻りましたので、今回はヴィデオはないものの、たくさん載っていた細部写真を
スキャンしましたので、それでご覧頂きますね。 とサイトから拝借の写真もありです。

2-img20200611_15301077.jpg

マリーアの鼻の頭にぽちっと黒く見えるのは、虫食いの後で~す。



中央はこんな様子で、キリストの腕の下に見える黄金の球形は太陽を現し、
その光線が周囲に広がります。

3-1341298266-720x0-c-default.jpg

かってナルニ近郊のサン・ジローラモ教会の祭壇に会った時は、薔薇窓から入る
光線のみで、何に何度かその光線がこの球体に当たる時は素晴らしい効果を
示し、それを見る為に巡礼が後を絶たなかったと。 美しさのご想像を!



「聖母戴冠」というのは、キリストが昇天して後に、キリストから、または父なる神から、
または3人が揃っての聖母マリーアの戴冠、で現わされるキリスト教美術の主題で、
篤い「聖母マリーア信仰」があるのも、この様に若く美しいマリーアの姿が
大いに貢献していると思われません?!
 
4-img20200611_15441563.jpg



聖母の腕は胸の前で敬虔に組まれます。 そして衣装の素晴らしさ!

5-img20200611_15353475.jpg


一応ギルランダイオ作、となっていますが、勿論工房の助手、弟子達の手が
大いに働いている様で、この細部の仕事を見ると大いに頷けます。
が、どの部分の出来が良くない、という様な感じがまるでないのが、
ギルランダイオの工房の共同者、助手達の腕の良さ、の様で。


キリストの顔。 こうして細部を見ると、本当に良い仕事をしているなぁ、と感嘆のみ!

6-img20200611_16191984.jpg



合唱、楽器を奏する天使達、左側。

7-img20200611_15535584.jpg



そして右側、 と細部。

8-img20200611_15550533.jpg

9-img20200611_15561750.jpg



中央2人の頭上には、両側から天使の支える天蓋があり、それに描かれた文字は、
"VENI ELECTA MEA, ET PONA[M IN TE THRONUM MEUM]"

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これは古い合唱隊の応答歌の、聖母に捧げられた一節との事で、
ラテン語で翻訳を掛けましたがぁぁ、出た訳では納得できず、よく分かりませ~ん。 
「聖母マリーア」を褒めたたえ、天国に迎える言葉であろう、という事でお許しを。



天蓋右の天使のアップを。 透明の天蓋なのですよぉ!
白い薄物の襞なども、簡単にチャチャっと描いていますねぇ。

11-img20200611_15482312.jpg



下部の聖人たち、全体の様子。

12-img20200611_15523003 - Copia.jpg



下部の聖人22人の中心のこちら向きが、アッシジのサン・フランチェスコで、

13-1-img20200611_16205782.jpg



右手と、右胸の聖痕跡、そして合わせた左掌にも釘の跡が。

13-2-img20200611_16221350.jpg



半分づつ、どなたがどの聖人かの名前の説明図があるので、
左側から、簡単に名前と年代を。

14-2-img20200611_16043599.jpg

1.サン・ピエトロ・S.Pietro(前1世紀 - 64-67) 初代の教皇に
2.福音記者サン・ジョヴァンニ・San Giovanni Evangelista(10-98)
3.サンタンドレア・Sant'Andrea(前6-60)左から3番目の赤いマント
4.サン・トマーゾ・ダクイナス・San Tommaso d'Aquino(1225-1274)
5.殉教者フランチェスコ・martire francescano
6.サン・ルドヴィーコ・ダ・トローザ・San Ludivico dA Tolosa(1274-1297)
7.ハンガリアの聖エリザベス・Santa Elisabetta d'Ungheria(1207-1231)
8.サン・べラルド・San Berardo この顔が多分注文者枢機卿ベルナルド・エローリと。
9.サン・ブオナベントゥーラ・San Bonaventura(1217-1221-1274)
10.サン・ベルナルディーノ・ダ・シエナ・San bernardino da Siena(1380-1444)



右側

15-img20200611_16071129.jpg

1.サント・ステーファノ・Santo Stefano(・・ -36)
2.サン・ロレンツォ・San Lorenzo(225-258)
3.サン・パオロ・San Paolo(5-10 - 64-67)
4.マリーア・マッダレーナ・Maria Maddalena・キリストの妻という説もあり
5.サンタントーニオ・ダ・パドヴァ・Sant'Antonio da Padova(1195-1231)
6.サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・San Giovannni Battista(前1世紀末-29-32)
7.サンタ・モーニカ・Santa Monica(331-387)
8.サン・ジローラモ・San Girolamo・ヒエロニムス(347-420)
9.サンタゴスティーノ・Sant’Agostino(354-430)
10.サン・フランチェスコ・ディ・アッシジ・San Francesco d'Assisi(1181-82-1226)



細部を。左から 左の10.サン・ベルナルディーノ・ダ・シエナ
    右10.サン・フランチェスコ・ディ・アッシジ、 
    右9.サンタゴスティーノ・Sant’Agostino

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左1.サン・ピエトロ・S.Pietroと、 3.サンタンドレア・Sant'Andrea

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上、左の6.サン・ルドヴィーコ・ダ・トローザ  9.サン・ブオナベントゥーラ

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左の6.サン・ルドヴィーコ・ダ・トローザ、この若く清潔な横顔に惹かれたshinkai!
だってほら、どの聖人も皆お年に描かれているのでね、気が付いたのでしたぁ。

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肩の小マントには、玉座のキリストの刺繍が描かれ、
ブルーのマントには、フランス王家アンジュー家の百合の花。

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彼の生涯についてはこちらに。 



左から、天使の顔、左の10.サン・ベルナルディーノ・ダ・シエナ
そして、7.ハンガリアの聖エリザベス 奥の横顔はフランチェスコ派の殉教者と。

21-img20200611_16232403.jpg


左枠 9.サンタゴスティーノ、 7.サンタ・モーニカ
中枠 6.サン・ジョヴァンニ・バッティスタ、 4.マリーア・マッダレーナ
   5.サンタントーニオ・ダ・パドヴァ

22-img20200611_15523003.jpg



左から 4.マリーア・マッダレーナ、3.サン・パオロ、1人置き2.サン・ロレンツォ
    間に重なる2人はフランチェスコ派の殉教者。
    手前5.サンタントーニオ・ダ・パドヴァ

23-img20200611_15502511.jpg


という様に簡単にご覧頂きましたが、何せ一応どんな聖人かを読みましたが、
ご説明するとなると・・、ですので、ご容赦頂き、
性格を現す顔、風貌、凝視する目の描きようをご覧下さいませぇ。

皆が上のキリストと聖母の様子を見つめているのに、1人だけこちらを見ているのが、
8.サン・ジローラモ・San Girolamo・ヒエロニムスで、

聖人の表現には大体お決まりの約束事、衣装とか、何を持つとかあるのが、
この絵の中では殆どそれが無く、ヒエロニムスも猫代わりのライオンがおらずで!


という所で、ナルニの祭壇画のご案内を終え、

こちら真ん中奥からからこちらを見ている人物が、ギルランダイオ・Ghirlandaio
の自画像で、ギルランダイオは家業からのニックネームで、
ドメニコ・ビゴルディ・Domenico Bigordi(1448-1494).

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長男ながら家業の彫金を継がずに画家の道に入り、ルネッサンス期メディチ家の
ロレンツォ・イル・マニーフィコの時代にはフィレンツェの画家の主役の1人となり、
その引き立ても大いにあった様子。



フィレンツェ駅前のサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のトルナヴオーニ礼拝堂・
Caooella Tornabuoniのフレスコ画は大変素晴らしく有名ですが、

25--ghirlandaio-cappella-tornabuoni-nativita-della-vergine.jpg

フレスコ画は、色が沈み落ち着いた雰囲気もある代わり、いわゆる早描きの絵で、
重ねて描き込む事が出来ず、
レオナルド・ダ・ヴィンチは多分それを嫌って
油彩を使ったりし、ミラノのスフォルチェスコ城の樹々の間とか、フィレンツェの
ヴェッキオ宮の500人広間の「アンギアーリの戦い図」、はたまた
「最後の晩餐図」もですが、
フレスコ画技法との併用が上手く行かず、しっかり残っていない訳で、



ギルランダイオは逆に、既に油彩画がかなり広がっていた時代に、
板にテンペラ、という手法で描いているのですね。

テンペラだと色が美しく出ますし、描き込みが出来るのが彼にとって
魅力だったのだろうと。

これも同じトルナブオーニ家のジョヴァンナ・Giovannnaを描いたもので、
この顔や髪、衣装の艶と輝きは素晴らしいと思われません?!

26-Ghirlandaio-Giovanna_Tornabuoni_cropped.jpg

27-Ghirlandaio-Giovanna_Tornabuoni_cropped - Copia.jpg

これは以前、車の検査で待っていた時に雑誌で見つけ、その美しさに驚き、
持って帰りたくて、ははは、気持ちがウロウロした事をよく覚えています。
ギルランダイオはまだ若い46歳で亡くなっているのを今回知りましたが、
も少し長生きしていたら、どんな作品を? と少し残念です。



絵はまず全体を見て、良いなぁ!と思ったら傍に近寄り、細部を見ますよね?
ですが、実際にはなかなか細部を見れるチャンスがなく、そんな事もあって、
自分が気に入った絵の細部もご覧頂きたいと思った事からのご案内でした。

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・ 「聖母戴冠」 または 「聖母被昇天」図のあれこれ

先回ご案内したヴェネツィアのサンタルヴィーゼ教会・Sant'Alvise
が捧げられているのは、聖ルドヴィーコ・ダ・トローザ・San Ludovico
da Tolosaという聖人で、

かなり以前からこの聖人について関心を持ったのは、ウンブリアのナルニで
見たギルランダイオ・Girlandaio描いた「ナルニの祭壇画」と呼ばれる
「聖母被昇天」に描かれている聖人の1人、若く清潔な趣の聖人に
興味を持ったのが始め、と書きました。

で、「ナルニの祭壇画」は大変に美しいのでナルニで買って来た画集のご案内を、
と思ったのですが、載っているあれこれの画家の「聖母戴冠図」を眺めていて、
どんな画家がどんな「聖母戴冠図」を描いているのかと、はは、
また横道の好奇心に惹かれ調べ、集めて見ましたので、

「ナルニの祭壇画、聖母戴冠図」の前に、今回はあれこれの戴冠図を
ご覧下さいね。 実際本気で調べたら、物凄い数になるのだろうと思いますが、
一応ルネッサンス期の有名な画家、という事で見つけた物を。

まずは、フラ・アンジェリコ・Fra Angelico(1395頃-1455)の作品3つ
・フィレンツェのウッフィツィ美術館収蔵の 「聖母戴冠」
 1434年作 112x114cm 黄金背景 板にテンペラ

1-Fra-Angelico-The-Coronation-of-the-Virgin.jpg

黄金背景でもあり、大変に煌びやかで、荘厳なイメージを受けますね。
ウフィッツィには2,3度行っているのに、余りちゃんと見ていないのを反省!



・パリのルーブル博物館収蔵 「聖母戴冠」
 1434年-35年作 213x211cm 板にテンペラ

2-beato-angelico-incoronazione-della-vergine-museo-del-louvre.jpg

「聖母戴冠図」は空中に浮かんだ構図で描かれているのが多いのですが、
これは周囲をたくさんの聖人、聖女に囲まれ、高い玉座の上での戴冠図。

テンペラ特有の玉虫色、というのか、影色が暗くならず美しく、
きっと絵を眺める人は天国に誘われた心地になった、なる事でしょう。



・フィレンツェのサン・マルコ美術館のフレスコ画の「聖母戴冠」
 189x159cm

3-Angelico,_incoronazione_della_vergine_1440-1441.jpg

上の2点に比べ、大変に涼やかで美しい作品と思い、サイトで見つけた時は
ほっと溜息が洩れるような感じがしました。

上記の2点は注文を受け(お金を貰い)、それがたとえ教会の祭壇画であろうと、
注文主の希望を聞いて描いた絵ですが、
サン・マルコ教会の各個室、廊下、広間に描かれた絵は、彼の生活拠点の、
祈りを捧げる修道士の生活の中から生まれる絵で、いわば彼の精神生活
が窺える、その違いでしょうね。

最初に訪れた時、階段踊り場の上に見えた「受胎告知図」の、
あの美しさに驚いた事は今も記憶にしっかり残ります。



さて、フィリッポ・リッピ・Filippo Lippi(1406-1469)の2点を。
・フィレンツェ・ウッフィツィ美術館収蔵 「聖母戴冠」 または
 「マリンギ・Maringhiの戴冠」図とも呼ばれるそう。 
 1441-1447頃の作  200x287cm  

4-Filippo_Lippi_Incoronazione_Vergine.jpg

リッピの描く人物像は、とりわけ女性の顔が丸みを帯び、これは
フラ・アンジェリコの描く人物像にも感じる、清純さ、ですね。

穏やかで、優しい雰囲気が漂う一方、両脇のアーチの内部の白薔薇の
背景はブルー濃淡の斜め縞で、その斬新さにも驚かされます。



フィリッポ・リッピの自画像、が上の画面に描かれていて、

5-Fra_Filippo_Lippi_007.1.jpg

見つかりましたか? 左下手前に、頬杖を突き、こちらを眺めています、はは。



スポレートのドゥオーモの祭壇画「聖母の生涯」の中の天井部分に。
 1466-1469年作 

6-Medieval_fresco_on_Duomo_of_Spoleto.jpg

リッピの最後の作品で、彼が60から63歳の作品になり、下の聖母の生涯の
逸話部分は静かな落ち着いた色使いですが、



丸天井部分の「戴冠図」は、大変に鮮やかな色使いで、と言っても
各色が派手ではなく、白の衣装の色、そして虹と青い雲の色が画面を
より素晴らしく引き立て、リッピの画家人生最後の力を見る思いです。

7-5137_esterna.jpg

8-lippi_15400579.jpg

内陣奥にあるので、普通は余り良く見えませんが、灯のつくミサの時など
その素晴らしさに息をのみます。



フィリッポ・リッピの弟子としても有名なボッティチェッリ(1445-1510)の作品2点
フィレンツエ、ウッフィツィ美術館所蔵 「聖母戴冠」
 サン・マルコ教会の祭壇画とも。
 1488-1490年作  378x258cm  板にテンペラ

9-Botticelli,_incoronazione_della_vergine_480.jpg

彼の作品としては、同じウフィッツィに素晴らしく、そして有名作品が何枚か
あるので、これは見ていないのを白状いたしますが、へへ

上部の花を散らした丸い三角形が、どこかリッピの虹の円にも似ている様で、
微笑ましい思いも。

聖母と冠を与える神の間に天使が見えますね?



で、こちらを。 この天使なのですが、上から降り注ぐ金の光の向こうに、
というこの表現なのを今回知りました、凄いなぁ、流石ぁ!

10-1ohJZkW09L.jpg



消えていたボッティチェッリの「幻の聖母戴冠」図が、2世紀後に戻りました!
 ナポレオンの修道院廃止制作により持ち去られ、その儘になっていたのが、
 現在フィレンツェ大学の博物館システムの一部となり、セスト・フィオレンティーノの
 ヴィッラ・ラ・クイエーテ・Villa la Quieteに保管されているそうで、
 元のモンテヴァルキ・Montevarchiの町で展覧会が開かれたそうで。
 
こちらです。
下部に聖人たち、上部には天使達という構図。 15世紀後半の作品と。

11-Montalve-Sandro-Botticelli-Incoronazione-della-Vergine_imagefull.jpg 

12-incoronazione_vergine_santi_botticelli_2019_04_25.jpg

聖人たちの脚元に広がる草原の、野草の花が如何にもボッティチェッリ
ですが、どちらの作品にも彼独特の優美さが少し影をひそめている様で・・。
何年位が彼の作品にとっての最良な時期だったんだろう、という疑問も。


 
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ・Gentile da Fabrianoの
 「聖母戴冠」図 1400-1410年  157,2x79,6cm 板にテンペラ 金箔

13-gentile da fabriano.jpg

この作品はヴァッレ・ロミータ・Valle Romitaの祭壇画、と呼ばれる祭壇画の
中心にあり、全体の大きさは280x250cm 現在はミラノのブレラ絵画館収蔵。

同じ15世紀でも先に後半の作品が出て来ましたので、時代の作品の流れが
よく分かりますね。

ですがこの絵によって、shinkaiの疑問、戴冠させるのは神か、キリストか、の
疑問が少し解けました。 というのも最初のフラ・アンジェリコの2作の、
冠を与える方はまだ若いのですが、最後のフレスコ画では白い髭ですし、

それ以降のフィリッポ・リッピにしろ、ボッティチェッリにしろ、髪も髭も真っ白で、
戴冠させるのは神なのか、キリストなのかと調べたのですが、
戴冠の玉座に、神の前に導くのはキリストである、という説明が見つかり、
ではやはり神が冠を授けるのであろう、とは思ったもののもイマイチね。

ですが、このファブリアーノの絵には、神の前にキリストと聖母がいて、
キリストが冠を授けているでしょう? 
なので、聖書の中には聖母の意味付けはない、と読んだ事でもあり
その辺りは画家の裁量によるのかなぁ、という気も。

皆さんはどう思われますか?



・同じジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「聖母戴冠」
 1420年作  87,5x64cm  ロサンジェルスのゲッティ・センター像
 板にテンペラ、金箔

14-Gentile_da_Fabriano_-_Coronation_of_the_Virgin.jpg

大変に可憐で美しく、素晴らしいですねぇ。 装飾柄も美しく、こういう絵は
如何にもコレクター好みかもですね、と余計な事を、はは。

天使に囲まれ、そうか、この場合は真ん中上の白い鳩が神を現しているのですね。



ロ・スパニョーラ・lo spagnora(1470-1528) 「聖母戴冠」
 430x305cm・全体  板にテンペラ 

15-Giovanni_di_Pietro_(detto__Lo_Spagna_)̠_Incoronazione_della_Vergine_.jpg

ウンブリアのあちこちで彼の名を見かけますが、本名ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・
Giovanni di Pietroと言い、ニックネームの由来は元々スペイン出身からと。
 
彼の絵の師はピエトロ・ヴァンヌッチ・Pietro Vannucciで、彼の有名な
弟子で名が挙がるのがピントゥリッキオ・Pinturicchio、そしてラファエッロ!
なので、少し隠れ気味ですが、丁寧な絵と思います。

この絵は、モンテファルコのサン・フランチェスコ博物館に収蔵だそうですが、
他にも同じ主題、構図を見つけましたので、注文を裁いていたのかも!



ラファエッロ・Raffaelo Sanzio(1483-1520)の「聖母戴冠」
 オッディの祭壇画・Pala degli Oddiと呼ばれ、ヴァティカンの絵画館に。
 1502-1503作  163x267cm  板に油彩
  
17-raffaello oddi.jpg

説明によると、板に油彩で描かれたのがキャンヴァスに移された、というのですが、
分かり易く言うと、描き直された、という意味でしょうね?

下半分には12使徒が白い花の咲く空の棺を囲み、上部にキリストが聖母に
戴冠を、という構図で、

「オッディの祭壇画」と呼ばれるのは、元はペルージャの貴族デッリ・オッディ家が
ペルージャのサン・フランチェスコ教会の家の礼拝堂の為に注文したものだそうで、
ナポレオン軍に持ち去られていたのが、ヴァティカンに戻されたのだそうで、はぁ。



という様にあれこれ「聖母戴冠図」をご案内してきましたが、次回に備え、はは、
ギルランダイオ・Ghirlandaioの2点を。

ドメニコ・ギルランダイオ(1488-1494)「聖母戴冠」 
 チッタ・ディ・カステッロの市美術館収蔵  板にテンペラ  寸法分からず

20-Domenico_ghirlandaio,_incoronazione_della_vergine_di_città_di_castello.jpg

ギルランダイオと助手の作、とあります。 色も明るく、上部の水色の輪の中に
天使とキリスト、聖母、 下部は白い背景に聖人たちと、メリハリの利いた構図。
そうか、ギルランダイオは製作が早く、好まれた、というのも、工房の助手の手が
大いに働いていたのかもですね。



・そしてこちらが、次回に細部も含めてご覧頂こうと思っている
 「ナルニの聖母戴冠図」と呼ばれる作品で、1486年頃の作 330x230cm
 板にテンペラ 金箔  ナルニのエローリ博物館蔵

21-Domenico_ghirlandaio,_incoronazione_della_vergine_di_narni_01.jpg

金箔にノミで線を刻んだりで、その輝きとの対比で絵が暗く写っていますが、
大変に美しく威厳のある作品で、ギルランダイオの力量を感じたものでした。

という事で、次回をお楽しみに!


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・ サンタルヴィーゼ教会 ・ ヴェネツィア

暫く前にふっと思い出したヴェネツィアのサンタルヴィーゼ教会・Sant'Alvise
そう言えばまだ写真がそのままだった、と落穂ひろいを思いつきました。

が、どんな教会だったっけ、とウィキを読み、サンタルヴィーゼ教会は
聖ルドヴィーコ・ダ・トローザ・San Ludovico da Tolosaに捧げられた教会で、
ヴェネツィアではサンタルヴィーゼ(教会)と言い慣わされている事を知り
少し驚き、というのも、

このサン・ルドヴィーコ・ダ・トローザという聖人の名はもう何年も前から
頭に残っており、いつかどんな聖人なのか知りたいと思っていたのですね。

という訳で、こちらがそのサンタルーヴィーゼ教会。

1-1-G31_2701_GF.jpg



ヴェネツィアはカンナレッジョのカンポ・サンタルヴィーゼに位置します。
Campo Sant'Alvise, 3205

1-2-Cattura.jpg

サイトはこちらに  http://www.santalvise.venezia.it



教会前はかなり広い広場になっていて、手前の運河を渡る橋も
サンタルヴィーゼ橋という名で、

2-G31_2702_GF.jpg



入口扉の上の像が、教会が捧げられている聖ルドヴィーコ・ダ・トローザで、
トローザというのは南仏トゥールーズの事で、ここの司教様だったのですね。

3-1-G31_2703_GF.jpg



こちらがピエロ・デッラ・フランチェスコが描いた聖ルドヴィーコ・ダ・トローザ。

3-2-San_Luigi_di_Toulouse_PieroDellaFrancesca.jpg

長年どんな聖人なのか、という疑問があったのですが、ウィキを読んでみると、
なんと1274年2月生まれ、亡くなったのが1297年8月19日、
つまり23世の若さで亡くなっている方で。

ナポリ・シチーリア王であるアンジュー家のカルロ2世の次男として生まれ、
戦争で負けた父王の自由を得るための人質として1288年から7年間、弟2人と
共にスペインのカタロニア地方の城をあちこちさせられながら過ごします。

この間の彼の教育はフランチェスコ会派の神学者が施し、秘密裏に
「小さき兄弟会」に入会したのだそう。

両親の元を離れ、弟たちと一緒とはいえ、14歳の時から7年間、青春を
人質生活でというのが、どんな感慨を彼の内に呼び起こしたものか、
想像に難くありませんね。

で、1294年にフランスはリオンの大司教に任命され、宗教界で働く様に
なりますが、1295年に父親の跡を継ぐべき長男が亡くなった時、
彼は兄の後を継ぐ権利、王の称号と領土を放棄し、そのまま宗教界に。

そして1297年8月に亡くなった兄の為のミサを捧げた後病気となり、
僅か14日間でこの世を去った、という方で、
自由となって後3年間の短い人生、精神世界の内に、という
その生い立ちと共に、周囲の人々に哀惜の思いを引き起こしたものと。


なぜ彼の名をしっかり覚えていたかと言うと、ウンブリアのナルニに行った時
ギルランダイオ描く「聖母被昇天」の素晴らしい祭壇画を見て、
その中に登場している聖ルドヴィーコ・ダ・トローザの横顔の美しさに、
本当に清潔な若さ漲る美しさに魅せられたからでして、はぁ、
いつか調べないと、と思っていたのでした。

という事で、これもチャンスという事で、「ナルニの祭壇画」と呼ばれる
素晴らしい画面も近いうちにご紹介いたしますね。



教会前にあるサンタルヴィーゼ教会の案内板、
設立14世紀、ジャン・バッティスタ・ティエポロの絵などなどがあると。

4-G31_2704_GF.jpg

教会は1383年に、アントーニア・ヴェニエール・Antonia Venier、
ヴェネツィア貴族の内でも有名なヴェニエール家の女性と思いますが、
夢の中に現れた聖人によって指示された通りに建設され、
隣接して修道院も一緒に。
修道院は修道女の為の物で、彼女自身もここに隠棲したそうで。



17世紀になり、内部の大きな改修が行われたそうですが、
内部の様子をどうぞ。

身廊のみの、そう大きな教会でもなく、何となく身近な教会のイメージで、
我々仲間3人が行った時は正面の内陣部分がすっぽりと隠され、修復中で、
こちら手前のみ拝観した、という様子でした。

5-57677_991105.jpg



これは上の写真の右手に見える壁、南側の壁の大きな素晴らしい色大理石の
祭壇で、やはり中央におられるのが聖ルドヴィーコ・ダ・トローザと。

6-1-G31_2742_GF.jpg



教会内、南側の作品展示の案内図で、中央が上の祭壇で、

6-2-G31_2746_GF.jpg



こちら2枚が(図のa、b)G.B.ティエポロのキリストの生涯最後を
描いた3枚の内の、左が「茨の冠の戴冠」と、右が「鞭打ち刑」。

7-G31_2738_GF.jpg



こちらが、覆われていた内陣の壁にある「カルヴァーリオの丘の上り道」

8-1-unnamed.jpg

ティエポロの絵を見るといつも思うのですが、なんとも勇壮で、
余計な部分を描かずに済ませるのが本当に上手いなぁ、と!
上の作品と共に、1737年から1740年の作品と。



北窓からの光りの入り方が強く、油彩画が光ってしまい、ご容赦を。
こちらはジローラモ・ダ・サンタクローチ、16世紀半ばの作品、
「最後の晩餐」

8-2-G31_2737_GF.jpg



そしてこのサンタルヴィーゼ教会の言わば一番の特徴というのか、目を引くのが
天井のフレスコ画で、ピエロ・アントーニオ・トッリ・Piero Antonio Torriと、
ピエトロ・リッチ・Pietro Ricciによる1674年の作と。
とりわけ水色が鮮やかで、騙し絵の構図で、天井いっぱいに広がります。

9G31_2734_GF.jpg

10-G31_2733_GF.jpg

11-1-G31_2748_GF.jpg

本当のフレスコ画、天井壁に描いたフレスコ画ではなく、板に油彩で描いた
物を繋げているのではないか、という気もしますが・・。



中央の部分など、下から見上げると、かなり凹凸がある様に見えるのですが、
こうしてサイトで見つけた内陣からの写真を見ると、天井が平らなのが分かります。

11-2-chiesa-di-sant-alvise_2461_1_zoom.jpg



教会入口側には、この様に2本の円柱に支えられた中2階部分があり、

12-G31_2741_GF.jpg



上部はこんな感じ。 つまりここにミサに修道院の尼僧たちが座ったそうで、

13-G31_2740_GF.jpg



尼僧たちの顔が見えない様に、こんな風に仕切りの鉄の柵が。
使用法はともかく、はは、美しいデザインでしょう?

14-G31_2745_GF.jpg



この作品は、図gの、ピエトロ・ダミーニ作のサン・ルドヴィーコが
トローザの司教に叙任された時、の様子と。

15-G31_2743_GF.jpg



この作品は、入り口扉の横並びにあった作品で、何を現しているのか、
説明が見つからず。

16-G31_2751_GF.jpg

とにかくそう大きくもない教会の壁に、あちこちいっぱいに作品が掲げられ、
ティエポロの作品はともかく、何となくあるもの全部を飾って、という感じで、
ははは、失礼! その感じが親しみが持てる内部の様子なのでした。



隣接して修道院があると書きましたが、上空からの写真で見ると、
やはり大きいな建物ですねぇ、内庭が3つもあります。

17-unnamed (1).jpg



こちらは教会の外、北壁の部分で、見えるのは多分、外の民衆の為の
説教壇だろうと。

18-G31_2708_GF.jpg



で、教会の外壁に接して、この小さな可愛い建物があるのですが、
気が付かれましたか、ちょっとおかしな所があるのに?

19-G31_2706_GF.jpg

20-G31_2707_GF.jpg

この時は写真仲間のジョヴァンニと一緒だったのですが、彼がほら、と。
扉が歪んでいるでしょう? というか、扉の外枠が歪んでいて、
それに合わせての扉なのかもしれませんが、ははは。



こちらが教会前に架かるサンタルヴィーゼ橋。

21-G31_2753_GF.jpg



2月のお天気の良い公園に散歩にやって来たワン君2人。

22-G31_2755_GF.jpg



そして、広場の旗掲揚棒の上の、サン・マルコの有翼のライオン君で、

23-G31_2727_GF.jpg

サンタルヴィーゼ教会のご案内をお終いに。

かなり外れの位置になりますが、興味深い教会ですし、駅前からだと
ムラーノ島、ブラーノ島に渡るヴァポレットも近くに停まりますので、
チャンスに是非どうぞ。


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・n.2 カステッロ・ディ・ドンナフガータ・逃げた女の城 ・ シチーリア、ラグーザ

先回に続きシチーリアはラグーザ・Ragusaにあるドンナ・フガータの城
何とも素敵な地名「ドンナ・フガータ・逃げた女」という、オリージネは古い物の、
19世紀にシチーリアの貴族、上院議員が買い取り拡張、
見事に貴族趣味の改修を加えた城のご案内を。

先回は「ドンナ・フガータ」という名の由来や、shinkaiはその名から、
同じく貴族のジュゼッペ・トマージ・ランペドゥーサが著した「山猫」に
登場の避暑地の地名かと思い調べた、という事からご案内したのでしたが、

今回は修復を経て公開されている現在の城のご案内の続きと、
広大な庭園の様子をご覧頂きます。 では、どうぞ!

こちらは「ドンナ・フガータ・逃げた女」の伝説となったという、
「ビアンカ・ナヴァッラ女王の部屋」と呼ばれる部屋!

5-img-9774.jpg

白の大理石に、先回ご紹介した「シチーリアの黒」と呼ばれる
ピエトラ・ぺーチェの床模様が素敵ですが、
部屋の名の由来は、伝説からの観光客向けのお誘いの様で、はは。


お客用の部屋も勿論たくさんあるそうですが、特別に華美装飾ではなく、
それぞれの部屋との連絡も勿論あるものの、直接に抜け道を通っての
召使との連絡が出来る様になっているそうで!

召使部屋との連絡は、部屋にある帯・紐を引くと召使部屋のベルが鳴り、
そのベルからどの部屋でのお呼びかが分かるようになっているのは、
映画でも皆さん良くご存知と思いますが、
即呼ばれた部屋に行く召使の為の裏階段、抜け道などが城や貴人の邸宅には
しっかり造られていた、という事なんですね。



で、お客人の為の部屋はすべて同格か、というとそうではなく、はい、

こちらは「司教の部屋・Stanza del Vescovo」で、寝室のみではなく、いわゆる
アッパルタメント、ホテルのスィートという広い造りで、

6-1-img-9796.jpg

6-2-img-9795.jpg

壁紙は手描きの「刺繍のレース」で、部屋に合う様に、つまり見た目には本物で
あるかの様に描かれているそう。

部屋にあるドアの2つの1つは個人の部屋に、そしてもう1つは司祭の賄い女の部屋に。
はい、「司祭の賄い女・ペルペートゥア・perpetua」という言葉があるのを今回知り、 
司祭様はちゃんとお付き女と一緒に、お出ましだったのですねぇ!

こうしたたくさんの部屋には城の元の姿、男爵が買い取り改修する以前の姿を描いた
作品が飾られているそうで、勿論その意図するところは明確ですね。



一番大きな素晴らしい部屋は、「紋章の間・Sala degli Stemmi」で、

7-1-castello_di_donnafugata_3_1546874833.jpg

7-2--img-9808.jpg

ここに見える紋章は、シチーリア全体の貴族の紋章なんだそう。



紋章の間からドアを抜けると、「図書室控えの間」があり、そして「図書室」に。

8-1-img-9814.jpg

8-2-img-9815.jpg

男爵の蔵書6000冊以上が収められ、近年一般公開も。



ベルサイユ宮殿の「鏡の間」の広さには及ばない物の、素晴らしい「鏡の間」とか、

9-castello-donnafugata-sala-degli-specchi.jpg


「青の間」、「赤の間」、「ビリヤードの部屋」等々。
 
「ビリヤードの部屋」には勿論中央にビリヤード台があり、周囲の壁には海辺の海岸の
東屋らしき物が描かれ、高くなった椅子が設えられ、つまり客人たちはビリヤード競技を
高い位置から眺められるようになっているそうで。

上流階級の社交場として集まる様々たくさんの客人を楽しませるためのアイディアも
備えている城、男爵の居城という事になりますね。



部屋数は先回ご案内の様に全部で120室ほどあるうちの、現在は20室ほどが
公開されているそうで、内部見学の後は庭園の散策に。

11-1-Castello_di_donnafugata_(vista-parco).jpg



庭園図をもう一度どうぞ。

11-2-piantaparco.jpg


植え込み装飾は、当時の図面に従い再建されたそうですが、この図柄を描くのは
ローズマリーノと、ラヴェンダなんですと。 散策すると香りが漂い、素敵でしょうね。

12-1-Cattura (2).jpg

12-2-castellodonnafugata.jpg



城内の見学が済むと、この緩やかな広い階段を降りますが、階段両脇の上には
スフィンクスの像があり、下にはこのライオン像が。

13-IMGP0597.jpg

14-1-img-9819.jpg



この素晴らしく大きな樹はインド・ゴムの樹だそうで!

14-2-cd6eee47f1eb2ae90e7b167bfa.jpg

ランペドゥーサの「山猫」には、シチーリアの強烈な太陽の下で大樹となり、
庭園の薔薇の花も何もかも、濃厚に香る様子が描かれていたのを思い出します。



庭園全体の広さは約2ヘクタールあり、所々に日陰を選んで
こんな石のベンチが設けられており、散策が楽しめる様に。

15-Cattura (2).jpg



こちらはコーヒー・ハウスで、手前には小さな天使のいる泉もあり、

16-Cattura.jpg

17-Cattura.jpg

丘の上には東屋・ガゼボ・gazeboや、人工の洞窟があったり、男爵の遊び心を
反映し、機械仕掛けのマネキン人形が散策の人を驚かせたり、
偽のお墓にはやはり死人のマネキンが隠れていたり、椅子に座ったりすると
水が降りかかる、という様な仕掛けもあるそうで、ははは。



こちらは先回ご案内の「イタリアのラビリント・迷宮」ご案内の最後にも登場した
石造りの迷宮で、入口の小さな橋を渡って入る様に。

18-1-Castello di Donnafugata, Ragusa-.jpg

18-2-Cattura.jpg

こうして見ると、石の壁造りの様で素っ気なく見えますが、かっては薔薇園で
覆われていた様で、そうなるときっともっと迷宮を抜けるのが難しかったろうと。



庭園側からの城の眺め。

19-ragusadon02.jpg


この城は現在ラグーザ市の持ち物で、男爵の子孫はどうなったのかと調べましたら、

コッラード・アレッツォ男爵・Corrado Arezzo de Spuches di Donnafugata
(1824-1895)と、妻コンチェッタ・アレッツォ・ディ・トゥリフィレッティ・
Concetta Arezzo di Trifilettiは、1人娘ヴィチェンツィーナ・
Vicenzinaを得ますが、

彼女は16歳でジュゼッペ・アルヴァーロ公爵、(余りにも敬称が長く、大幅に省略)
と結婚したものの上手く行かず、鬱状態そして健康を害し、パリで1888年に没。

公爵との間に2人の娘を設け、上のクレメンティーナ・Clementinaが母親の
称号と領土、父親の称号も受けますが、男子の継承者を残さずに亡くなり、
公爵側の王女と男爵夫人が継承し、1982年にこの城を10億リーラで
ラグーザ市に売り払ったのだそうで。

栄枯衰勢は世の習い、とはいうものの、はぁ、なんとも・・。



入口、午後遅めの日を浴びる正面の様子をもう一度どうぞ。

20-donnafugata_castello_visita_guidata-1024x1024.jpg

shinkaiは未だシチーリアに行った事が無く、いつか行けるチャンスがあれば
見たい城で、そして「山猫」の筆者ランペドゥーサの育った地も訪問したいものと、
今回あれこれ調べ、改めて興味を持った事でした。
行けると良いなぁ!!


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・n.1 カステッロ・ディ・ドンナフガータ・逃げた女の城・シチーリア、ラグーザ

以前偶然に「カステッロ・ディ・ドンナフガータ・Castello di Donnafugata」
の記事を見つけ、ピンとアンテナが立ち、はい。

1-1-img-9823.jpg

今回参考にしたサイトは  
Il Castello di Donnafugata



ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーザ・Giuseppe Tomasi di Lampedusa
(1896-1957)、イタリアの作家であり、貴族である彼の書いた
「山猫・Gattopardo・ガットパルド」をご存知の方はたくさんおいでと思いますが、

1-2-unnamed.jpg



ルキーノ・ヴィスコンティ・LuchinoViscontiが1963年に映画化し、
国際的評価も受けた素晴らしい作品で、

s1-3-Cattura.jpg



作品に登場の、サリーナ公爵一家が夏の避暑に出かける別荘が
「ドンナフガータ」にある事になっており、
実は私めはその「ドンナフガータの城」かと思ったのでしたぁ、はぁ。

日本にいる頃に読んだ「山猫」は余りピンと来なかったのが、こちらに来ての
再読ではすんなりと溶け込め大変興味深く、ずっと頭に残っていたのでしたが、

ん?!と思いつつサイトの記事を読み、あれこれ探し、ランペードゥーザの
描いた「ドンナフガータ」なる土地は彼のイメージの産物であると知り、
あれま。



ランペドゥーサ自身が手紙に「ドンナフガータはパルマの様な村、建物は
サンタ・マルゲリータの様な」と書いているのも知り、
パルマ・Palmaとは、パルマ・ディ・モンテキアーロ・Palma di Montechiaro、
父方の祖先が領有していた土地で、

これはパルマの修道院で、如何にもの雰囲気が漂いますし、

1-5-Monastero_Palma_Montechiaro.jpg

サンタ・マルゲリータ・ディ・べリーチェ・Santa Margherita di Beliceは
母方の土地で、子供の頃の幸せな想い出に繋がる事も。



地図をどうぞ。 シチーリア島の南東部分になりますが、
アグリジェント寄りにあるパルマ・ディ・モンテキアーロの位置と、
今回ご案内の「ドンナフガータの城」のあるラグーザ・Ragusaの位置を。

1-4-mappa Cattura.jpg

ラグーザからだと約20kの距離で、電車駅から約4,500mの距離と。

サンタ・マルゲリータ・ディ・べリーチェはアグリジェントからもっと北西に、
西海岸のマルサーラ・Marsaraとの中間あたりに位置します。



所で「ドンナフガータ」とは、「逃げた女」という素晴らしく詩的な言葉の
地名で!! 何に由来するのかと思うでしょう?!

伝説では、ビアンカ・ディ・ナヴァッラ・Bianca di Navarra(1387-1441)

1-6-Blanca_I_de_Navarra.jpg

ナヴァラ王国のビアンカ1世女王が、ラグーザ近くのモーディカ・Modicaの領主
ベルナルド・カブレーラ・Bernardo Cabrera(1350-1423)、戦術には
優秀でも、狡猾冷酷で、パレルモの王も手を出せなかった程の男、に誘拐され、
城に監禁されていたのを地下道を抜けて逃げ出した所が、シチーリア言葉で
Ronnafugataと呼ばれる場所で、
つまり「donna fuggita=donnafugta=逃げた女」となったというのですね。

ですが歴史的にはナヴァラ女王のビアンカが城に足を踏みいれた事はなく、
つまり当時この城はまだ存在していなかった、という事でして、はい、
土地の名から独り歩きした伝説の様ですね。

もう1つの謂れは、かってこの地を支配していたアラブ人、アラブ語の
Ayn al-Ṣiḥḥat・健康の泉、の発音がRonnafuata・ロンナフアータ、
ドンナフガータとなった、と。

ランペドゥーサが作品の中に使った「ドンナフガータ」の描写は、彼のイメージの
果実としても、名前はどこかで聞いたか、はたまた彼も訪れた事があるか、
素晴らしい名と思い、使ったのであろうと想像します。



いずれにしても現在残る「ドンナフガータの城」は、19世紀に、男爵にして
イタリア王国の上院議員であるコッラード・アレッツォ・Corrado Arezzoが購入、
約2500平米に渡る建物に拡張、優美な住居として改修したもので、

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ラグーザから電車の連絡が、と上記したのも、彼が上院議員としての力を大いに
活用し、城から4~500mの位置に駅を造らせたのだそうで、ははは、
当時この一帯に於ける上流社会の華やかな交際の場の1つとして、大いに栄えたそう。

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という所で、城と庭園の図をどうぞ。 下側真ん中に開けた道を行き、
真ん中の黒い部分が城、屋敷の建物部で、前から左にL字に続くのが
テラスで、右下に庭に続く広い階段、中庭が四角と矩形の2つ。

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庭園の左上が果樹園で、100本のミカンの木があり、灌漑用水も完備し、
建物の両脇と奥の、ヤシと棕櫚、模様を描く庭園、花壇部が、正式な庭園。
この部分は以前のオリジナル図面により再建されたそう。

それ以外の東側と北に開ける部分は、樹木の種類も様々、地面の形も
定形でない事から、内輪の庭園とでも。
ここには英国庭園、コフィー・ハウス、松林、迷宮・ラビリントなどなどが。



では、内部に参りましょうか。 この正面部は道からも見えるそうで、
ヴェネツィア風ネオ・ゴシック調。 人の姿で入口が分かりますね。

2-1-Castello-di-Donnafugata.jpg

道の両脇に並ぶ建物類は、男爵の農園の管理者や小作人が住んでいた
長屋で、現在は店やカフェになっているそう。



上部のテラスの装飾部分。 如何にもヴェネツィアの雰囲気でもあり、
またアラブの空気も感じるような・・。

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下のアーチ型の窓の、円柱上の飾り。

2-3-img-9831.jpg



2階のテラス部。 左側にも曲がって続き、

2-4-Cattura.JPG



テラスの両端に、小さな見張りの円柱の塔があり、

2-5-Terrazza-castello-Donnafugata-il-Viaggio-in-Sicilia.jpg



テラスの欄干に並ぶ植木鉢のあれこれ。

2-6-img-9827.jpg



こちらは3階部に上っての、内庭の眺めですね。

2-7-img-9823.jpg



そうそう、サイトに「広い内庭を通り、ピエトラ・ぺーチェ・Pietra Peceの
階段を上り、床が濃いのでとても暗く、それに内庭からの光が差し込み、
殆ど目がくらみそう」なる説明があり、

ピエトラ・ぺーチェとは何かと思いましたら、この「シチーリアの黒」
と呼ばれる優雅で高価な黒い石と。

2-8-p-pece3.jpg

床もこんな黒い床、階段もとなると、優雅ではあっても、脚元が暗いでしょうね。

モダンな現代的な家では大変シックに見える黒い床、階段で、
洗面台とか、鉢にも使われたりしている様子。



3階のテラスの円柱の並び。 少し高い柵がないのが気分的に気になりますが。 

2-9-colonnato.jpg

入口道の両脇の元使用人の家が良く見えます。


屋敷部は2階に分かれ、つまり住居部は2階以上が貴人のお住まいで、
全部で約120室あるそうですが、約20室の上階部の20室ほどが
公開されているそうで、

家具、電灯、壁紙、床、調度品のすべてが時代物といい、
男爵アレッツォ自身が念を入れ、イタリア国内、外国の有名な城の
趣味に準じる様に選んでいるのだそうで。

これは喫煙室で、壁紙もパイプと葉巻と、部屋の用途に合わせており、

3-img-9763.jpg



音楽室には何台かの型の違うピアノがあり、壁の装飾はパレルモの
テアトロ・マッシモと同様な装飾と、

4-1-img-9772.jpg



植物園の絵と、騙し絵的な周囲の壁紙装飾ですね。

4-2-img-9778.jpg

4-3-img-9775.jpg

貴族の上等な趣味と財力、そしてその使い方の良さ、とでもいうのか、
まさにヴィスコンティの映画の貴族社会を覗く思いの
ドンナフガータの城の、素晴らしい内部です。

という所で今回のご案内を終え、次回に。


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