・ フィレンツェがイタリアの首都だった時 → ローマ・ポルタ・ピアの割れ目

ええと、今回のタイトルがピンと来ない方がたくさん居られると思いますが、
はぁ、shinkai自身もこうなるとは思っておりませんで、へへ、

かってフィレンツエがイタリアの首都だった時、つまりローマに首都が移る前
1865年~1871年の6年間、フィレンツエがイタリアの首都だった時、
フィレンツェの街は大きく改造され、中世からの壁を取っ払って幅40mの
道路が造られたり、

現在のレップブリカ広場・共和国広場と呼ばれる、レトロなイメージの
メリーゴーランドが回っている広い広場が造られた、という事で、

1-Piazza_Repubblica_Firenze_Apr_2008_1-Piazza_Repubblica_Firenze_Apr_2008.jpg



このレプッブリカ広場という名も、1946年にイタリアが共和国・レプッブリカと
なって以来の名で、それ以前は1890年から「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場」
と呼ばれていたというのですね。

でそれ以前は「メルカート・ヴェッキオ広場・Piazza del Mercato vecchio・
旧市場広場」と呼ばれ、旧市場が混在する場所で、それが首都になった時の
大改造で取り払われ、ついでに隣にあったユダヤ人のゲットーも無くなり、

2-m-vecchio-for-blog-copy.jpg

現在の街の真ん中にどんと広がる、カフェがテントを張り出し、メリーゴーランドが
回り、時に土地の物産展が催されたりの、観光客の一休みに、家族連れの
散策にも良い広場となっていますが、



かってのメルカート・ヴェッキオ時代の写真や絵画のサイトをいくつか見つけ、
中世の面影を残していたフィレンツェが、これで大いに変わった、という位置付けで、
興味を持ち、それをご案内しようと思っていたのでしたぁ。

3-img902-vi.jpg

4-distruzione-Piazza-del-Mercato-vecchio-Firenze.jpg



所がフィレンツェにたったの6年間の首都移転で、その後ローマに移ったのは
いつ?なぜ?!と疑問を持ち、あれこれ芋づる式に読み、知り始めると止まらず、
ははは、だって知らない事、言葉ばかり出て來るのですものぉ、

おまけに国王ヴィットリオ・エマヌエレ2世の愛人まで出て來ると歯止めが効かず!
ははは、これは次回のお楽しみに。

ローマに首都移転となった突破口「ポルタ・ピア・ピア門の割れ目・ブレッチャ」
なる言葉、意味、そしてその奥に大きな問題として残っていた教皇、教皇領に
ついても改めて、ああ、そうだった、となり、

つまり今回のタイトルはshinkaiの知る過程、思考経過を示し、
「フィレンツェがイタリアの首都だった時 → → ローマ・ポルタ・ピアの割れ目」
となった、という事なのでありま~す。



という事で、「フィレンツェの首都期間」の方が年代的には先なのですけど、
先に知ってしまった「ローマのポルタ・ピア」、なぜ一時的にフィレンツェに
首都を置かなければならなかったか、についてのご案内からで、宜しくぅ。


ええと、イタリアのピエモンテ地方からフランスにかけて領土を持っていた
サヴォイア家が1720年にサルデーニャ島も領土にした後にサルデーニャ王国と名乗り、
トリノに首都を置き、1861年まで。
イタリア統一運動後1865年まで、イタリア王国の首都として存在しました。

こちらがトリノの王宮。

5-Torino_palazzo_reale.jpg

但しこの時のイタリア王国は、ローマとヴェネト州を除くイタリア国だったのですね。
つまりヴェネト州はオーストリアの下にあり、ローマはローマ教皇の教皇領だったので。

そして1865年にイタリア王国はフィレンツェに首都を移します。
はい、幾らトリノの街が素晴らしく、工業都市であったにしろ、イタリアの首都と
名乗るには端っこ過ぎますものね。

そしてイタリアの首都としての熱に浮かされ、あちこち街の大改造も手掛け、
財政金庫がからっぽになった、という程だった様子ですが、



1870年9月20日イタリア王国のベルサリエーレ軍・Bersaglieriが
ローマのポルタ・ピア・ピア門の裂け目から突入、遂にローマは陥落、
イタリア王国の首都と、古代以来ローマは常にイタリアの首都でしたから、
「永遠の都」の位置に戻った、と言うべきか、になったのでした。

こちらが現在のポルタ・ピアの様子で、

6-porta_pia.jpg



位置はここに。 16世紀半ばに造られたもので、当時ミケランジェロが設計したと
言われますが、実際の設計図通りだったかどうかはと。

s7-porta pia.jpg



で当時は、今も、ローマをぐるっと囲む3世紀に造られたアウレリアヌス城壁があり、

s8-05345982e9ede030c0_XL.jpg



ポルタ・ピアの古い絵葉書がこれで、右側に城壁が崩れているのが見えますね。
あそこが「ラ・ブレッチャ・ディ・ポルタ・ピア・ポルタ・ピアの裂け目」
と言われる部分。

s9-breccia-ppia.jpg

ですが、現在はこの城壁は横を道が通っている様子で。 それにしてもローマ人は、
3世紀にこんな頑丈な、そして長~い城壁を造ったのですねぇ!!



で、1870年9月20日、ピア門から約50m西の位置で、イタリア王国の砲兵隊が
4時間の大砲攻撃の後に、工兵隊の突撃が功を奏し、約30mに渡る城壁が崩れ
裂けめが出来、そこからベルサリエーレ兵(狙撃兵部隊)と歩兵が突入、
教皇軍と戦闘が行われたと。

10-cropped-breccia_porta_pia.jpg

11-unnamed (2).jpg

s12-Porta_Pia_Pagliari_Vizzotto-1024x654.jpg

日本語版ウィキには、「ピア門から十数メートル西に大砲の砲弾が当たってできた
城壁の裂け目があった。 これを "Porta Pia breach" と呼ぶ。
1870年9月20日、そこからローマにベルサリエーリ(狙撃兵)部隊が侵入し、
イタリア統一が完成した」とあり、

これだけ読むと、元々城壁に裂け目があった所からするっと侵入した様で、
無血入城みたいに思えますよね?

が朝5時15分に始まり、10時5分になり教皇軍が白旗を掲げたという激しい戦闘で、
イタリア王国軍は4名の士官を含む49名の死者、9名の士官を含む
141名の負傷者、
教皇軍側は1名の士官を含む19名の死者、68名の負傷者、という数字。



こちらは多分新聞記事と思いますが、「Roma è italiana・ローマはイタリア」
とあり、教皇領でなく、イタリア国なんだよ、という喜びの声に聞こえません?!

13-unnamed (3).jpg

下にベルサリエーレの12と41分隊がポルタ・ピアの裂け目から街に入った、
とあり、城壁の裂け目に矢印が。



こちらは多分後日の、見物人たち! のんびり感が漂いますねぇ。

14-breccia_di_porta_pia.jpg



1932年にムッソリーニが門の前の広場に、ベルサリエーレの記念銅像を設置
しての現在の姿。

15-unnamed (1).jpg



こうしてローマの街はイタリア王国軍に占領され、同年1870年フィレンツェから
ローマに首都が移されます。

が、ローマ教皇は一切認めず、「簒奪者たちを破門」にしたものの、
10月2日の住民投票では「ローマのイタリア王国への併合」が圧倒的に
賛成、可決となります。

で、翌1871年5月王国側は「教皇保障法」なるもの、教皇の地位と宗教活動
には保証を与えたものの、世俗的権利を否定、ヴァティカンとラテラーノ両宮殿を
除く旧支配地を没収し、国と教皇側の対立が続きます。

この方が時の教皇ピオ9世。

16-375px-Pius_ix.jpg



で、当時の教皇領の広さの地図はこちら。
ローマ周辺の薄いグレイの色から、右上アドリア海側をさかのぼり、ポー河の辺り、
ロマーニャ州迄の一帯が含まれる土地迄で、

17-Papal_States_Map_1870.png

これに加え、領土内の執政、裁判の大権利も握る位置におられたわけで!



教皇自身が自らを「ヴァティカンの囚人」と呼び、カトリック信者が議会選挙に
投票する事を禁じたりで、この「ローマ問題」と呼ばれた対立は1870年から1929年
までの3代に渡る教皇の間で続きますが、

こんな近代社会の自由や近代思想、文化を否定するピオ9世教皇に対して反発が
強まり、教皇自身がローマを離れたり、その間にローマ共和国が成立したり、
ecc、ecc、

1878年2月7日に31年7ヶ月の長い在位期間の後に死去された時は
葬儀でデモが起こり、棺に泥を投げつけたり、テーヴェレ河に投げ込もうとする
騒ぎもあったりの、人民とまるでかけ離れた教皇生活を終えられた方だった様子。



1929年になりピオ11世の時代に政府とヴァティカンの間で和解が模索され、
遂に世界最小の独立国「ヴァティカン市国」が成立し、現在に至ります。

18-5181633_1235_vaticano.jpg

全世界に広がる20億人ですか、の頂上にあるヴァティカンで、その長の教皇様
となると、目に見えない物凄い力をお持ちと思いますし、

かってその力を思い通りに行使できた時代の教皇様方、やはり一旦握った
力は離したくない様で、宗教人とは別の次元の人間におなりなのかも、ですね。


そうそう、ヴェネト州がイタリア王国に入るのは第一次大戦後、
オーストリアに勝って後の事になります。


トリノ、フィレンツェ、ローマへのイタリアの首都変遷は知ってはいたものの、
成り行きはまるで知らずでいたので、今回大変興味深く、楽しみました。

次回は少し後戻りし、「首都フィレンツェ」について、旧市場の様子もろもろ、
もどうぞお楽しみに!


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・ イタリアの黄葉・紅葉は  秋の色を愛でる5つの土地

この週末イタリアでは国会議員を減らすかどうか、という国民投票があり、
何せイタリアは国会議員が1000名ほどもおり、それを600人程にする、に
シーか、ノーか、だったのですが、勿論大多数約70%がシーに投票!
shinkaiなど、国会議員自身とその家族一同がノーの投票を
したのではないか、と、ははは。

ついでに行われたいくつかの州の州知事と市長選挙で、ヴェネトの
ルーカ・ザイア州知事・Luca Zaiaは、77%程のダントツの信任を受け
3度目の再選!  
彼の活躍ぶりは、これはもう勿論、という感じでしたけど、やはりね。

これは10年前にヴェネツィアの葡萄畑でshinkaiが撮ったルーカ・ザイア氏。
髪も真っ黒でしたけど、現在はかなり額が後退し、かなり白いのが見える様に
なっていますが、そう、男は(女も、と言いたい!)顔だけではないのだよ、きゃはは。

1-1-016_GF.jpg

n.2 ヴェネツィア共和国時代のワイン復活を目指し
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463332411.html


暫く前にイタリアの政治家で信頼できるのは、という世論投票で、
1位は欧州中央銀行総裁を昨年まで務めたマリオ・ドゥラーギ・Mario Draghi,
政治家ではなく経済学者ですが、 で、2位は現首相のコンテ・Giuseppe Conte、
そして3位にルーカ・ザイアが入っていたのですね。

いつも喧嘩腰のイタリアの政治家の中では1位、2位は声も荒げず鎮静タイプ、
ザイア氏は大声でヴェネト訛りの喋りですけど、はは、信頼されているのが
良く分かる世評で、逆にこういう政治家が如何に少ないか、という事ですね。


ヨーロッパのコロナ禍がかなり酷い状況になっていて、フランスも引き締めに入り、
国境を接するこちらイタリアは、毎朝のニュースをハラハラしながら見ていますが、
タンポーネの検査の数も増え、今朝は感染者数が少し増え1600人超え。

とにかく自制しつつの生活、自分の出来る範囲を守るしかありませんね。
年内には少しトンネルの先の明るさが見える、となるのを願っています。


***

先週辺り、我が家一帯の葡萄摘みシーズンが済み、ここ2,3日雨模様、
という様子で、そろそろ黄葉が始まるなぁ、という空気が漂います。

余り気楽に動けずの毎日ですけど、でもね、という事で見つけた

イタリアの秋の色を感嘆できる5つの場所
5 luoghi dove ammirare i colori dell’autunno in Italia

日本の様に鮮やかな紅葉が余りないイタリアですけど、黄葉のバリエーションが
素晴らしく、黄葉が進んで遂には赤茶色にもなる、
そんな秋の葉の色をフォリアージェ・foriageと呼ぶ、様子をお楽しみ下さいね。

1. まず北のピエモンテ州、スイスに近いヴァル・ヴィジェッツォ・Val Vigezzo.

朝の光かな、斜めの光線を受けて霧に浮かび上がる見事さ! 
樫の木、楓、ブナ、栗、そしてモミ、カラマツの林で、秋には色の爆発になると。

1-foliage-8.jpg



地図をどうぞ。  西に見えるドモドッソラ・Domodossola、ここはスイス、フランス
へのイタリア最後の駅で、そこから東のスイスのロカルノ・Locarnoに連絡する
この谷がヴァル・ヴィジェッツォ。

2-val vighezzo.jpg



で、ドモドッソラからロカルノの間を走る電車がこれ! 窓が広く、しっかり
眺めを楽しめる電車なんですって! 

3-treno-foliage-vigezzina.jpg

4-treno-foliage-vigezzina-centovalli.jpg

チャンスのある方、是非どうぞ! 新緑もきっと美しい事でしょうねぇ!!



2. ドロミーティ・Dolomiti

ヴェネトからトレンティーノ・アルト・アディジェ州はどこでも
フォリアージェが楽しめますが、

5-foliage-1.jpg



選ぶとなると、まずヴァル・ディ・ノン・Val di Non.

6-val di non.jpg

7-Val_di_Non_BENINCASA_.jpg



ヴァル・ディ・ノンは、とにかくリンゴが有名ですけど、
リンゴ畑の黄・紅葉の写真は無く、はは、花盛りのリンゴ畑の写真のみ!

8-aprile-dolce-fiorirecolora-la-val-di-non_original.jpg

ほらね、日本のリンゴ畑と感じがまるで違うでしょう?! shinkaiも昔
最初に見た時は驚いた、まるで盆栽みたいに枝を広げたリンゴの木で、
う~~ん、効率は良いでしょうけど、何となく、リンゴが可哀そう、という気もね。



そしてヴァル・ディ・ヴェノスタ・Val di Venosta、単純にヴァル・ディ・
ヴェノスタで検索を掛けたら、こんなに谷沿いにずらっと出て!

9-val venosta.jpg

一番谷の東側にメラーノ・Meranoがあり、ずっと西奥のグロレンツァの町まで
通ったヴァル・ディ・ヴェノスタの緑の様子はこちらに。

グロレンツァの町 ・ 「イタリアで一番美しい村々」の一つ n.1 
https://www.italiashiho.site/archives/20170530-1.html



ヴァル・ディ・ヴェノスタのリンゴ収穫写真はたくさん見つかりましたぁ。

10-Raccolta-Gala-Val-Venosta.jpg



そしてボルツァーノから南に下って、東側に入るヴァル・ディ・フィエンメ・
Val di Fiemmeの、パノヴェッッジョ・Panoveggioの自然公園

11-parco paneveggio.jpg

ヴァル・ディ・フィエンメの赤モミの木は、ヴァイオリン作りに最適で、
木が共鳴するのだそうで、ストラディヴァリも使ったと。



が、秋色のちょうど良い風景が見つからず、秋、愛の季節の牡鹿を、はは、どうぞ。

12-panoveggio.jpg

ヴァル・ディ・フィエンメの風景 ドロミーティでの夏休み ・ ロッレ峠を越えて
https://www.italiashiho.site/archives/20170815-1.html



3. トスコ・ロマニョーロのアッペンニーノと、カゼンティーノ

さて南に下り、エミーリア・ロマーニャ州とトスカーナ州の山越えの秋の色で、
ここは色の種類、つまり木々の種類が多いそうで、

13-1-autunno-sull-appennino-tosco-emiliano.jpg



国立公園カゼンティーノの森林・Parco Nazionale delle Foreste
Casentinesiと、その下に見えるカマルドーリ・Camaldoliを。

13-2-appennino tosco romagnolo.jpg

グレイの点線が、トスカーナとエミーリア・ロマーニャの州境。



信仰の場所の1つ、アレッツォの北の位置にあるカマルドリの修道院

14-eremo_di_camaldoli-780x470.jpg

15-elemo di camaldoli.jpg



ともう1つ、ラ・ヴェルナ・La Vernaの聖所・Santuario de La Verna.
ここは1224年9月16日にアッシジのサン・フランチェスコが聖痕を受けた、と
されている場所で、

16-il Santuario de La Verna_n.jpg

17-la verna.jpg

素晴らしく大きな修道院もある様子ですが、崖の凄さにも驚き!

カマドーリの修道院ともども、計画に半ば入れつつ未だ果たしてない場所ですが、
秋に訪れるのが良さそうですね。



カゼンティーノの森林国立公園をもう1枚どうぞ。 美しい。

18-Parco Nazionale delle Foreste Casentinesi .jpg

こういう奥深い場所に隠棲する僧侶たち、かっては、だったのですねぇ!



4. ウンブリアに下り、モンティ・シビッリーニ公園・Parco Monti Sibillini

19-foliage-3.jpg



まさに、2016年の夏と秋のイタリア中央山岳地一帯地震の地図と重なりますが、

20-monti sibillini.jpg



4年後の今もはかばかしく回復が進まず、今のコロナ禍で再びそのまま、という事で、
美しい風景の中の人々の、重い心を偲びます。

21-Il Parco dei Monti Sibillini.jpg



5. 最後はイタリア半島の踵まで下り、シーラ国立公園・Parco Nazionale
  della Sila.

未だ行った事が無く、地名を聞いてもどこにあるかまるでピンとこない一帯ですが、

23-parco della sila.jpg



多分シーラ川に沿っての一帯なのでしょうね。 美しい風景が広がります。

22-Parco Nazionale della Sila.jpg

24-foliage-6.jpg

25-Parco Nazionale della Sila2.jpg


という様に、北イタリアから中部までを中心にした、秋の風景が美しい土地の
ご案内でした。 即動けないのが残念ですが、皆さんもね、
でもいつかチャンスがあった時の心覚えにどうぞ。



最後は今回最初のヴィジェッツォの谷、アルプスの見える青空の秋色を!

26-Val Vigezzo.jpg


先回の「ヴェローナ・ロマーナ、地下遺跡ツァー」のご案内は、
まるで思いがけずにたくさんの応援クリックを頂き、驚き、嬉しかったです!
有難うございましたぁ!!

また何か「これは?」という様なヒント、ご質問等など、何か反響が頂けると、
結構サーヴィス精神に富んでいて、必死に読んだり、探したりしますので、
はぁい、宜しくお願い致しま~す。 かしこ。


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・ ヴェローナ・ロマーナ にご案内 ・ タイム・マシーンの旅にも似て

今日は古き、旧き、2000年前のヴェローナにご案内を!

1-1-verona romana.jpg

しかも単に「ローマ期のヴェローナ」の遺跡のみならず、中世も顔を出す、
そう、タイム・マシーンの旅にも似て、ヴェローナの街が辿った歴史の変遷が
ヴェローナの地下に層をなす、かってのヴェローナを辿る、
ちょっと異質な「地下の旅」にご案内致しますね。

この記事を見つけたのは先回のヴァルポリチェッラの葡萄畑の下に眠る
ローマ期の住宅跡のモザイク記事について検索していた時で、

まぁ、イタリアのあちこちからローマ期の遺跡のあれこれが見つかりますし、
ローマ期のモザイクの凄いのもあれこれ見物していますが、

n.1 リミニ ・ モザイクの魅惑と、外科医の住居
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468933292.html


今回のこれは、中世のあれこれがとても良く残っているヴェローナの街の
地下に層をなしている、まさに中世と隣り合っているという事実に、
shinkaiもとてもロマンも感じ、皆さんにもご案内を、と。

で、上の「ヴェローナ・ロマーナ」の図ですが、今の旧市街に、ぴょこんと
アディジェ河に飛び出した位置にローマ期の街があり、

城壁に囲まれた町に入る右に見える門が今も残る「ボルサーリの門・
Porta Borsari」で、 ボルサーリ、つまり税徴収の門だった訳ですね。

1-2-Porta-Borsari.jpg



で、城壁の外にある大きな丸いのが、ご存知、野外闘技場アレーナ・Arena.

1-3-teatro.it-Arena-di-Verona-opera-festival-2020-Foto-Ennevi.jpg

夏のオペラから、ロック・コンサート、冬はスケート場にも変身しつつ、
2000年を経て未だに大健在の、恐るべき「ヴェローナ・ロマーナ!」



「ローマ期のヴェローナ」にロマンを感じる方は多いと見え、今の街の地図に
ローマ期の地図を重ねて見せてくれる、奇特な方も居られ、感謝感謝!

2-1-dis3.jpg

赤い線がローマ期の地図で、当時と比べ地勢が少し変わっていて、
上に飛び出している部分が少し現在よりもへずられ、その分川向こうの
テアトロ・ロマーノの姿、現在がせせこましい姿になっている理由も分かりますね。

そして右側が現在はかなり削られていて、アディジェ河が外に膨らみ、
中の島もあった事が分かります。

真ん中にピンクで囲まれているのが、現在のピアッツァ・エルベ・Piazza Erbe、
ローマ期には政治経済の中心となるフォーロ・foroがあった場所で、
現在のちょうど倍の広さだったのですね。



こちらが現在の姿のピアッツァ・エルベで、右側の建物はローマ期の物の上にか、
中世の姿が残ったもので、左側は中世に建てられたものですね。

で、この下にローマ期の遺跡の凄いのが眠っていた、という訳です。

2-3-piazza-delle-erbe-verona-2.jpg



で、shinkaiも釣られ、ははは、簡単に分かる様に線を引いて見たのがこれで、
緑の街の中程を西から東に抜ける緑の線が一番主要な通りで、
アディジェ河を渡る橋が当時あったのが分かり、

3-1-verona.jpg



北側でアディジェ河を、ポンテ・ピエトロ・Ponte Pietro、紀元前1世紀、
で渡り北に向かうのが、先回ご案内のクラウディア・アウグスト街道ですね。

3-2-32133447d33247d3838343733353537.jpg

青い線で訂正したアディジェ河岸に楕円を造ったのが、ここにチルコ・circo、
競馬場、映画「ベン・ハー」みたいに戦車競走もしたのかも!、があったのも知り、

そこから斜め左上、黄土色のトラットリーアの印の上辺りに現在ドゥオーモが
あるのですが、ここには大きなテルメ・浴場があったのも知りました!
そう言えば、ドゥオーモ見学の時、何か施設跡の説明があったっけ、と、はは。



アディジェ河に囲まれていない街の南側に城壁があり、赤色、フォーロから
来る道が城壁を抜ける場所に、このポルタ・レオーニ門・Porta Leoni。

3-3-60602144.jpg



フォーロからの道は「ジュリエッタの家」の前を通るいわば繁華街の道ですから、
通られてご存知の方も多いと思いますが、
このポルタ・レオーニ門の近くには、80年代に発掘されたローマ期の遺跡が
こんな風に現在の道の下に顔を出しており、

4-290.jpg

これは最初にヴェローナに行った当時に見て、わぁ~お、凄いなぁ!と、
その頃は歴史の変遷も知らずのままで、単純に驚いたままに過ぎ、へへ。



で、上の地図に赤い丸印が付いているのがピアッツァ・ノガーラ・Piazza Nogara
のバンカ・ポポラーレ・Banca Polpolareという銀行のある場所で、

5-1-banca popolare palazzo scarpa.jpg

ン?! 銀行の建物にしては、と思ったのが、はぁ、かの有名な建築家
カルロ・スカルパ・Carlo Scarpaの設計だそうで、というのは蛇足で。


カルロ・スカルパの  トンバ・ブリオン ・ そして、お盆
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693503.html

ヴェローナ ・ 夏の夜の 野外オペラ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462245377.html

ヴェローナ ・ 旧地区 探訪
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417582.html

ヴェローナ ・ 中心をちょっぴり
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465494072.html


ここから今日のご案内の本編の始まりで、はい、
ヴェローナ地下ツァー・Verona sotteranea tour、という事になります。
  
参考にしたのはこちら  Verona Sotterranea と、
同じタイトルの、こちら  です。


上の銀行のご案内をしたのは、実はこのヴェローナの地下巡りツァーに重要な
場所で、地下2~4mの場所に、この様にローマ期の住宅跡の遺跡を見る事が出来、

5-2-tour-verona-sotterranea.jpg

写真の上辺には、現在の銀行内と思われるのが見え、



これは見事な幾何学模様の多彩色のモザイクですねぇ。

6-1-tour-verona-sotterranea-mosaico.jpg



こちらがこの住宅の図面で、ローマ貴族の屋敷で、天水を受ける槽、屋内の
円柱を持つ礼拝堂、床や壁の暖房・2重になっていてフォルノからの熱い空気を
通す暖房装置もあるのだそう!

6-2-domus romana presso banca popolare di piazza nogara.jpg

この住居は紀元前1世紀の後半に建設されたもので、紀元後6世紀まで
様々な改修を受けつつ住居として機能していたのだそうで!


そうなんですよねぇ、たとえ重要な遺跡が発見されたとしても、それを公開するには
見学者達が通れる、見れるようにする、その為の保存、設備が必要な訳で、
一般の店の下や住居で発見されたとしても、なかなか難しい問題なのでしょうね。



で、ここからごらん頂くのは現在のピアッツァ・エルベの地下発掘で、場所は
ヴェローナ観光のまさに一番中心地、まぁ、ローマ期でも一番の要だった地で、

ここの有名なレストランの地下に発掘されたのがカピトリウム・capitolium、
ローマ期に於ける町の一番主たる寺院で、紀元前1世紀のジョーヴェ・Giove、
ジュノウ・Giunone、ミネルヴァ・Mineruvaの3人を一緒に祀った寺院で、

最初に見つかったのが1975年で、その後も80年代に続き、たくさんの考古学遺跡
が見つかったのだそう。

写真は地下6mに見つかったカピトリウムの円柱と基礎。

7-itinerari-verona-sotterranea.jpg

8-tour-verona-sotterranea-campidoglio.jpg

テンピオはフォーロの短辺、ヴィア・ポストゥーミア・Via Postumia・ジェノヴァから
ピアチェンツァ、ヴェローナを通り、アクイレイアに連絡した街道、に添っていて、

つまりボルサリーノ門を抜け、街の中心を西から東に通る道に添う、という事は、
フォーロの北辺、現在の優雅なパラッツォ・マッフェイ・Palazzo Maffeiのある位置、
という事で良いのかな?

建物は長方形で、入り口の前廊部に3本の円柱があり、現在の道路よりも
2mの高さに広い人工のテラスがあり、柱廊に囲まれていたそうで、
現在は9mの地下になるのだそう。



同じくエルベ広場にはクーリア・Curiaと呼ばれる建物の発掘があり、クーリアと
いうのは、言葉が正しいかどうか、宗教的な公共の建物で良いのかな、

写真の奥に見えるのがクーリアの基礎部で、多分紀元後1世紀の前半と見られ、
手前側と真ん中に開ける道は舗装されたローマ期の道で、
クーリアの建物に添っての道は、広い歩道で、中央に下水道がずっと続くそう。

9-tour-verona-sotterranea-curia.jpg

左側は中世の塔の家の基礎部で、建材はローマ期の物から集められた物と。
ですが、こうしてローマ期と中世の物が並んでいる、というのが凄いなぁと。

他に、多分皇帝の崇拝物と見られる建物の37mに及ぶ外側の壁も保存。

この地下発掘はエルベ広場の著名レストランの地下になるそうで、確かに
エルベ広場の北東角にカーザ・マッツァンティ・カフェ・Casa Mazzanti Caffè,
創作料理、シックなレストランというのが見え、
写真に見える発掘についてのたくさんの説明資料や役立つモデルを提供して
くれているそう。 



こちらはカピトリウムの柱廊側を通る、舗装された歩道。

11-verona-sotterranea-sgarzerie-3.jpg



長い期間の発掘、そして補強作業の後2014年1月から公開されているのが、
コルテ・ズグラツェーリエ・corte Sgrazerieと呼ばれれる、
カピトリウムの一群の建物に含まれる地下の柱廊玄関・クリプトポルティコ・
criptoporticoの左側部分で、

この部分の発掘は、大きな価値を実際に与えるもので、
柱廊玄関というのは、天井が覆われた廊下で、大きな寺院自体を実際に支える
役目をするもので、
登記台帳の書類や、法律の文章、法令などの記された碑や青銅の板が
保存されていたそう。

コルテ・ズグラツェーリエの角柱やアーチがしっかり見分けられそうで、
高い位置にある窓のひとつからは廊下部分にうっすらと指し込む光りも見えるそう。


幾つかの場所、岩屑、砕屑の層には明らかに火災の跡が識別され、
ローマ帝国の崩壊時とも思われ、一方、中世初期の氷室と見られる建物も
見つかっており、

ここの発掘遺跡は、ローマの共和国時代、帝国後期、そして中世初期に
至る時代の層が重なり、また交差している
まさにタイム・マシーンでの旅に似て、大変に特徴あるものと見られます。



この写真は本当に不思議というか、shinkaiはかなり考えましたが、はい、
手前にローマ期の住居内のモザイクがあり、左に見えるのは中世の井戸、

12-tour-verona-sotterranea-negozio.jpg

そして左奥に見えるのはローマ共和国時代の城壁で、見える店は現在の
衣料品店で、これ全て地下にあるのだそう!

店が先に地下街にあったのが、その外側に遺跡が見つかり発掘された?!
それにしても、ここにも歴史が層をなしているのですねぇ。



所で、大きな発掘が長年にわたって続けられ、このエルベ広場の東にある
ピアッツァ・シニョーリを南に抜けた所の地下一帯が、
スカーヴィ・スカリージェリとして80年代に続けられ、
90年後半に一般公開されていたものの、現在続きの発掘も停止され、
公開されていた「スカリージェリ発掘の、国際写真センター」
という名称の博物館は、残念ながら現在閉じられたままになっているそうで。

こんな風に広場に天窓の様に地下が覗け、見た事がありますが、

13-tour-verona-sotterranea-scavi.jpg



地下は天窓の下がこんな感じで、モザイクもあり、

14-scavi-scaligeri.jpg

15-scavi-scaligeri-mosaico.jpg



かなり広大な広さで、ローマ期の道の直角に交わる位置も見られ、

16-spec-Verona-3-scavi-scaligeri-4.jpg

1956年まで実際にヴェローナの街で使われていた下水装置も見られると!



世界的な写真家の展示場になっていたそうで、ロバート・キャパの写真も
展示された事があったそう。

17-scavi scaligeri verona centro internazionale di fotografia.jpg

18-images.jpg

数年前から閉鎖されたままになっているのが残念ですね。

という様なヴェローナの街の地下遺跡のツァーのご案内でした。

個人、団体の予約を受けてくれる様で、半日、または一日も、という事で、

☎: +39 333 2199 645    info@veronissima.com に
とにかく連絡を下さい、という事です。

とにかく今のコロナの時期を乗り越えての事ですけど、見たいものです!!


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・ ローマ期の住宅跡のモザイク発掘 ・ ヴァルポリチェッラ、ヴェローナ

この春届いた日本の友人からのメールに、ヴァローナのヴァルポリチェッラの
地下からローマ期の住宅跡のモザイクが発掘されたよ、とあり、
写真も添付されていたのですけど開かず。

コロナヴィールスの影響がまだまだ大きい時で、ついそのままになっていたのが、
先日改めて思い出しサイトをあれこれ調べ、たくさんの記事を見つけました。

モザイクの写真も何枚か見つけたのですが、発掘のあったコムーネ、
ネグラール・Negrarが一括管轄し、発掘地もその後再度埋められた様で、
同じものしか見つかりませんでしたが、

今迄の発掘経過や、赤ワインで有名なヴァルポリチェッラ・Valpolicellaの
ローマ期からの発展経過などもあれこれ興味深いのでご案内致しますね。

ヴェローナから北西に10km程、車で約30分の位置にあるネグラールで、

1-negrar Cattura.jpg



こちらがかの有名なヴァルポリチェッラ・valpolicellaのワイン生産地と
ワインの種類の地図で、上の地図と比べて見て下さいね。
見事にヴェローナの北の丘陵地に添って東西に広がるのが分かり、

2-blogger-image--136722956.jpg



一口にヴァルポリチェッラと言っても、こんな感じの丘陵地もあり、

3-valpolicella_cs.622x0-is.jpg



緩やかに広がる平地もある様で。

4-Vigneti in Valpolicella, Recioto produzione e caratteristiche organolettiche.jpg



さて今回ローマ期の住宅跡、部屋のモザイクが見つかったという
ネグラールですが、 町の教会のある中心地、

5-Negrar_pieve-386-View.jpg



モザイクが発掘されたのは葡萄畑の中。

6-100650235_1505862866246917_1673875534095843328_o.jpg

7-image.jpg



実はこのローマ期の住宅跡が、というのは、既に100年前の1920年代に
知られており、1922年、そして1975年にも引き続き発掘作業が行われたものの
結果が芳しくなく、イタリアの常の例で資金不足でそのままになり。

で、2019年の夏に幾つかの場所でコア・ボーリング・岩石標本採取が行われ、
地下何メートルにモザイクの施された床がある、というのが分かったのだそう。
それ以前に使われた地中レーダはまるで役に立たなかった、とか。

で今年次の段階に進む、という所でコロナヴィールス禍で中断、5月に再開で、
幾何学連続模様のモザイク、青と赤、そして白の鮮やかな床模様、
大変に保存状態が良いのが発掘された、という事だそう。

8-Scavi-archeologici-a-Negrar-di-Valpolicella-Foto-Facebook-Comune-di-Negrar-di-Valpolicella.jpg

9-Cattura.jpg

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写真でご覧の様に塹壕というか溝状に、かなり今迄の地道な発掘研究で
確実に確信が持てた土地を、

つまり高価なワインを産する葡萄畑の中なので、どこでも掘れるという訳でなく、
そのあたり研究者、発掘者も大変だったでしょうが、
この下には確実に、という場所、葡萄の畝の間を溝状に掘った様子ですね。

深さは1~2m位でしょうか、写真で見てもあまり深くないですね、
本当に見事に幾何学模様が残っており、色も鮮やかで素晴らしいもの!


こういった柄から、研究者たちにはこれが紀元後3世紀のローマ人の住宅で、
全体の構造、広さも推定できるそうで、

これから市を始め、文化財保護省、考古学者達、そして土地の持ち主を
含め、住宅全体の発掘、そして今後の博物館、一般公開、観光推進に向け、
様々な検討があり、資金調達も勿論ですが、はは、

前向き状態での折衝を経て全体発掘となる様ですが、時間はかかりそうと!
まぁ、これはイタリアの常で、皆さん慣れておられるし、待つ方もね、ははは。


それにしても葡萄の木というのは、そんなに深く根を張らないものなんですね。
木の根が深ければ、こんなに見事に残ってはいなかったでしょうしね。

こんな事からも、以前我が家から近い丘陵地の大雨被害で川が溢れ、
何人もの死者が出た時、周囲全体が葡萄畑で、土が留まらないんだ、
という非難意見が多く出たのを思い出したりでした。



この「ヴァルポリチェッラのワイン」と言うと、既にローマ人に
“Vinum bonum laetificat cor hominis”
良いワインは人々の心を喜ばせる、と言われ、

11-amarone della valpolicella docg AC_SL1500_.jpg

12-scriani-valpolicella-uva-vigneto.jpg

ガルダ湖周辺一帯の温暖良好な気候も好まれ、クラウディア・アウグスタ街道
も通り、ローナ人の入植があり、たくさんのヴィッラや寺院跡も残ります。



ちらっと読んだネグラールのカンティーナ・醸造所のサイト記事では、
58000平米の葡萄畑、220の参加農家、10000000Lのワイン、
1時間に最高6000本の瓶詰め、
年に産する平均6000000kgの葡萄から、800万本以上のワイン製造、
なんぞと数字が飛び出し!

この記事の数字には、個別に醸造、瓶詰めをする大手が含まれるのか
どうか、その辺りはshinkaiの手に負えませんが、
このネグラール以外にもたくさんのコムーネがヴァルポリチェッラにある訳で、
天文学的な数字になるのだろうと思われます。

今はどこの醸造所も多角経営で、単にワイン醸造所でな無くなっていますし、
この地域の持つ経済効果は物凄いのだろうなと。



所で上に出たクラウディア・アウグスト街道・Via Claudia Augustoは
紀元前15年に建設が始まり、ヴェネツィア東に位置する現アルティーノ・Altino、
今のヴェネツィアの前身の町があった事でも知られますが、
とヴェローナの南、ポー河に面した現オスティーリア・Ostigliaの2か所を起点とし、

東からはフェルトゥレを通り、南からはヴェローナを通り、現トレントで合流。 
そしてボルツァーノを通りアルプスを越え、現フュッセンやアウグスブルグを通り、
ドナウ河に面したドナウヴェルト付近まで連絡した街道と。

13-tav01a_schema_claudiaugusta.jpg


いつもイタリアのみならず、ヨーロッパの北の端にまで届くローマ期の街道に
ついて読むと、2000年以上前に、舗装した軍需用街道を造った、という
ローマ人になんとも感嘆するのみですが、



これは東のアルティーノからの街道が、フェルトゥレを過ぎラモン・Lamon、
ここはインゲン豆で有名な所で、はは、息子の夏の家に行く時に通り、
いや、この道ではないですが、

これはラモンに残るクラウディア・アウグスタ街道のローマ期の橋なのですと。

14-photo0.jpg

「ローマ期の橋」として残っているのはあちこちにあり、我がコネリアーノの
西に出た所にもある、と友人のジュリアーナから聞いているのですが。



で、ヴェローナを経て、この街道はちょうどネグラールのコムーネ、地図に記した
トンマージ・Tommasiのカンティーナのすぐ傍を通っていたのだそう。

15-tommasi Cattura.jpg

元々ここに街道脇の見張り塔があり、その後修道院になっていたのが、
カンティーナとなり、今このトンマージとなっているそうで、歴史の変遷は全くね!



で、イモずる式にあれこれ読んでいる内に見つけたのが、
「クラウディア・アウグスタ街道にようこそ!」というサイト!!

16-claudia-augusta-top.jpg


サイクリング愛用者に、車で旅を、という方々に、計画の立て方、宿などの
情報提供サイトで、なんとまぁ、と驚き喜んだshinkaiです。

クラウディオ、アウグスト皇帝も地下で、ほら、みろぉ!とお喜びの事と、ははは。



とか、敷地内に湧き水のあるヴィッラ・モスコーニ・ベルターニ・Villa Mosconi-
Bertani、このヴィッラはネグラールではなく、ヴァルポリチェッラの東にある、
17世紀のヴィッラがカンティーナになっている素晴らしいものですが、

17-px-Villa_Mosconi_Bertani_2013.jpg

ここの湧き水がヴェローナに水道橋を使い運ばれていた事が、1888年、
ヴェローナからガルダに向けての鉄道建設の時の発掘で分かったそうで、
ヴェローナの現在のガリバルディ橋の所まで行っていたとか。

このカンティーナのサイトは一見の価値ありですので、是非どうぞ。
クリックし開くと、直に勝手にヴィデオが始まり、勝手に消せません! はは。


という様な、あれこれたくさんのローマの遺産が残っている事を改めて知り、
驚いた今回でしたが、

何年か先、葡萄畑の中の紀元後3世紀の屋敷のモザイクが公開され、
周囲の美しい風景を愛でつつ美味しいワインも、となる日をお楽しみに!


マルケ州で偶然見学出来た、ローマ期の発掘された家
ドムス・デル・ミート ・ サンタンジェロ・イン・ヴァード
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/470813954.html



もう少しすると、葡萄畑の色はこんな色になり、

18-Vigneti_a_Negrar_in_autunno1.jpg



そしてその後こんな風に赤茶の葉の色となり、冬に向かいます。

19-vigneti_4.jpg

この夏はヴェローナ周辺に自然災害が多かったので、葡萄にも被害が大きく
及んでいない様に願っています。


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・ クワランテーナ・40日の隔離期間 と ラッザレッティ・隔離病院

ヨーロッパは現在コロナヴィールスの第2波の真っ最中なのか、
イタリアの昨日10日の新感染者は1616人 死者が10人というニュースで、
フランスは1万人に届きそうな数、スペインは12183人、
ドイツ1484人、という数が発表されています。 

数は毎日小さなジグザグを繰り返しながら、イタリアは今少し上がり気味で、
世界中の様子を知るにつけ、この先どこまで?!と気になりますが・・。


という現在、ニュースに良く出る言葉が、クワランテーナ・quarantena.
クワランタが40の意で、クワランテーナは40日間の隔離期間を現しますが、

現在のニュースではヴィールスに感染していると分った人々が自主隔離する事も
含め使われていて、こちらは40日ではなく2週間ですが、
隔離期間を、という意味になっているのですね。



1-venezia-1068x601.jpg

ラッザレッティはラッザレットの複数形で、ヴェネツィアのラグーナにかっての
新旧の2つの隔離病院が残っているのを示し、
いつ、どのようにペストなどの伝染病に対したか、という記事で、

ラザレットがあるのは呼び名程度で知っていたので、ちょうどのチャンスと読んで
みましたので、泥縄の知識を、ははは、皆さんにも。



この40日間の隔離期間、伝染病を打ち負かす為に感染者達を引き離す、という
政策が世界で一番最初に執られたのが、1377年7月27日現クロアチアの
ドブロヴニクで。

2-dubrovunik.jpg

3-vista-dubrovnik-croazia.jpg

ドゥブロヴニク ・ Dubrovnik ・ アドリア海の真珠
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473864472.html


当時はラグーザと呼ばれ、ヴェネツィア共和国の下に1204年からあり、
ヴェネツィアから海運国の整理整頓をしっかり習った後1358年に独立を
果たした所。

1301年にはヨーロッパで初めて、市民全体の健康サーヴィスを無料で、を保証した
国で、ペストや伝染病が流行すると医者を探しまわり、報酬も高かかったと。

12世紀頃の医者や程度の低い外科医の殆どはヴェネツィアで、ナポリ王国で、
マルケ州で教えられ、
評価される程の医者の多くはボローニャやパドヴァの大学出だったそうですが、

とはいえ、14世紀の初期頃までは固定報酬を受ける公的な医者の殆どが、
例外的にサレルノ大学出で、
これはヨーロッパで最初の重要な医者の伝統だったそう。

サレルノ医科大学について少し n.1 サレルノの街、ちょっぴり旧市街とドゥオーモ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468060215.html



で、1347年に黒ペストが流行し、ヨーロッパ全体の3分のⅠの人口に当たる、
3千万人(桁が間違ってませんように)が亡くなったそうですが、
ラグーザでは感染患者を町から離れた島に少なくとも4週間隔離し、
乗り切ったそう。


隔離期間の元々は1か月で、トゥレンティーノ・trentinoと呼ばれ、
これはまさに30日間を示しますが、

15世紀にヴェネツィアが期間を延期し40日間となり、quaranta giorni・
クワランタ・ジョルニが、ヴェネト訛りでクワランテーナと呼ばれる様に。


でなぜに40日間か、というと、これはギリシャ人医者・ヒポクラテスの考案で、
彼は自然科学から発展し、医学の父と呼ばれる人物ですね。

4-ippocrate (1).jpg


「40日」という数字はバビロニアの天文学者が唱えるチグリス・ユーフラテス河の
氾濫時期とも合致するシンボル的な数字であり、

ユダヤ人にとっても、40年が一時代とみなされ、約束の土地に辿り着くまで
40年砂漠を放浪した、エジプトの罰された期間が40年間、等など・・。

旧約聖書にも40にまつわる逸話は多く、大洪水は40日40夜続き、ノアはさらに
40日待って箱舟を出た、モゼは神の「十戒」を受けるのに40日40夜、
そしてキリストは荒野で40日間断食、復活して後40日後に天国に、
謝肉祭の後に40日間摂食し、復活祭になる、という具合なのですね。

はぁ、こうして並んだのを読むと、へぇ~、そうなの?というお話ばかりで、へへ。
実際に40日間必要、というよりは、古代からの様々な事柄から定めた40日間、
なのだろうと思います。



という所で、ヴェネツィアに結び付くラッザレット、伝染病に感染の人を収容し
隔離すると定められた場所、病院についてですが、
ラッザロ・Lazzaroというのは聖ラッザロ、キリストにより死から蘇り、感染患者の
守護神となったあのラッザロですね。

で、1423年に伝染病に襲われていた地区からヴェネツィアに戻って来た船の
船員たちが、伝染を恐れた市民により強制的にサンタ・マリーア・ナザレ島・
Santa Maria di Nazarethに留められ、

この島はナザレット・nazarettoと呼ばれていて、ラッザロの名に似ている事から、
感染患者を収容する場所をラッザレットと呼ぶようになった、というのですね。

で、ヴェネツィアには今に残るラッザレットが2つあると上記しましたが、
その古い方、ヴェッキオ・vecchioと呼ばれるのが、このサンタ・マリーア・ディ・
ナザレ島で、ヴェネツィア本当にとても近い、リド島の西沿岸にあり、

5-lazzaretto vecchio.jpg

6-unnamed.jpg

最初は隠修師たち、とりわけアウグスト修道士会隠修士を指すようですが、
彼らが住み着き、サンタ・マリーア・ディ・ナザレ教会を建設し、1249年、
聖地巡礼たちの世話をしていた、というのですね。



今に残る島内の建物群、

7-difese-locali-isola-lazzaretto-vecchio-prima-dei-lavori-giu2004-05.jpg

8-lazzaretto-vecchio-venezial--690x1024.jpg



建物内部。 ヴェネツィアに近いので、現在はビエンナーレ展時の会場にも
使われている様子。

9-vecchio-650eaff737bd.jpg



島からの眺め。 収容された人々からは、近くて遠い眺めだったでしょうね。

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そして1468年、病人を受け入れていた事から島自体が感染したのではないかと、
疑われ、ラッザレット・ヌオーヴォ・新しいラッザレットが建設され、
そちらで収容する事になったのだそう。

新しいラッザレットはサンテラズモ島・Sant'Erasmoの近くにあり、

12-lazzaretto nuovo.jpg

13-lazzaretto nuovo 1.jpg

中世にはベネデッティーノ会派の修道院もあったのが、1468年に上院が
ラッザレットにする事を決め、感染予防に務める事になったのだそうで、
倉庫はペストなどに感染したかもと疑われる荷を調べるにも使われ、

1576年にはやはり人間に感染したかという事で、病人を調べ、感染している
事が分かると、すぐにラッザレット・ヴェッキオの方に移されたそう。



ラッザレット・ヴェッキオも、ヌオーヴォもどちらも修復改修するプロジェクトが
進んでいて、ヴェネツィアと、その干潟の、国の重要な考古学博物館が
出来るそうで、

14-dal-pontile-bragozzo-piero-iii_15813027754_o.jpg

この記事では一日も早く訪問できるように、と結んでありましたが、
他の記事やサイトで見る写真では、訪問観光客や子供たちの様子も見え、
考古学発掘の様子も見られました。

こちらでヌオーヴォの写真がご覧になれます
https://www.metropolitano.it/venezia-lazzaretto-nuovo/



ラッザレット・ヌオーヴォの様子と、

15-6477c158a34d3dc7909968794d.jpg

下に見える黒い衣装と鼻の尖った面は、カーニヴァルではなく、はぁ、博物館の
展示の一部で、医者の衣装、尖った鼻の中に香料を入れ、悪臭を防いだ、と
いうものと。



博物館内と、

16-1Lazzaretto nuovo_museo.jpg



多分壁に残る収容者達の落書きと、祈りの印かも。

17-lazzareto-nuovo-03-1000.jpg



サン・マルコのシンボル、有翼のライオンが彫り込まれた井戸。

18-il-pozzo-con-il-leone nuovo.jpg



最後は、ラグーナ・干潟に現れた粘土質、または砂の尾根、が描く文様を。
これはバレーネ(複)・Bareneと呼ぶそう。

19-foto-_Barene.jpg

こんな様子を早く自由に見学できるようになる事を願いましょう!!


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・ ピエンツァ 秋の色  荒野の風景を

大型台風の接近という事で、災害が恐れられていた台風10号は、
接近しての威力が低下した事、また以前の対策も功を奏し、
大きな被害が出なかった様子で安心しましたが、
これからは台風接近が多い時期ですので、今後ともご無事で、
被害を受けられることの無いように願っています。


こちらイタリアは、コロナヴィールスの感染者が9月に入ってぐんぐんと増加、
4日には1700人を超す数字となり、暗澹とした気持ちになりましたが、
徐々に下降し、一昨7日は1108人にまで下がりやれやれ。

9月7日までとなっていた緊急事態は1か月延期、10月7日迄となりました。

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写真はイタリア首相ジュゼッペ・コンテ氏

shinkaiは余り政治に直接興味はなく、遠くから眺めている、と感じですが、
政党出身のどろどろ、がつがつの感じではなく、地味ながら誠実なイメージで、
この難しい時期をよく頑張っておられると思います。
元気で、続けて欲しいものです。

8月中旬過ぎに再封鎖されたディスコテーカと、サッカーの試合の観客無し、
マスク着用、社会的距離などは同様に延期されますが、
春以来の緊急事態で、少しこちらも慣れて来た様な・・。

お隣フランスの感染者の大増加、1日で7000~9000人近い数字にはハラハラ
しますし、、スペインの1万人越え!には、地続きのヨーロッパの恐ろしさも思い、
イタリアは今の調子で再増加しない様にと願いますが、さてどうなりますか・・。


私めの来年3月に予定していた東京駅地下のギャラリー八重洲での個展は、
再来年2022年3月21日から27日に延期となりました。

img-sample168_w_GF.jpg

いつも会場日程がぎっしり詰まっているので心配したのでしたが、なんとなんと
ちょうどこの3月21日からの1週間が空いていて、私にとっては嬉しい驚きで!

広島の個展から2年半の間が空く事になりますが、今年は目の問題も抱えてで、
焦らずにじっくり描け!という天の声かとも思い、再来年の個展が実現できるよう祈りつつ、
じっくり我慢で頑張るつもりです。

目の問題については、記事の最後にまた。

*****

さてこちらはすっかり秋の気配となり、毎日の温度も25度、26度程度、
朝夕は15~17度ほどで肌寒い程に。

今年はどこにも出かけられず、いささか鬱屈気味ですが、
今の時期になると6年前に出かけた秋9月のトスカーナ風景、とりわけ
オルチャの谷で見た荒涼とした波打つ大地が思い出されます。

春に出かける事が多いトスカーナですが、この時は秋の風景をあちこちで見、
いつも見ていた緑滴るオルチャの谷とは別の、なんとも荒々しい風景に心奪われたのが、
2,3枚ご紹介したまま整理もせずおいていた写真を改めて整理しましたので、
見てやって下さい。


多分皆さんも良くご覧になるトスカーナ風景は、緑溢れる春から夏の色でしょうが、

これはオルチャの谷のピエンツァ・Pienzaの町で、
麦刈りが済んで暫く置いておかれた土地も鋤き返され、こんな土の色が広がります。

1-P10_6080_GF.jpg

2-P10_6085_GF.jpg

ピエンツァの町中から周辺をあちこちしたこの日、最初はこんなお天気で。



ピエンツァの町の南側は、一気にグンと下る傾斜に対し城壁があり、
そこからの眺めが素晴らしいのですが、

この1枚は東に向かっての城壁から、隣のモンティッキエッロ・Monticchielloとの
間の谷風景で、こんな白いカランキも顔を出し。

3-P10_6007_GF.jpg



南に広がる大地の、見える道は「グラディエーターの道」と呼ばれる、映画に
登場した道で、見えるアグリトゥリズモは「テッラピッレ・Terrapille」

4-P10_5972_GF_01.JPG

刈り取った麦の丸い筒状の詰み藁、と呼んでよいのかな、も片付けられ、
トラクターで鋤かれた畑が広がります。

糸杉の道 2本 ・ シエナのクレーター と オルチャの谷と
https://www.italiashiho.site/archives/20180726-1.html



こちらはこれよりも西にある農家で、土の色が違うのが興味深いでしょう?

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この糸杉の道は、ピエンツァから西に約10k程離れたサン・クイリコ・ドルチャ・
S Quirico d'Orciaに続く、畑の中を通る道。

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南に向かって広がる、この雄大に波打つ大地。 トラクターの筋目も。

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その内に空模様が少し変わり、南の空が覆われ始め、見える風景の色が一変!

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ピエンツァの町から下り、坂道の途中から見るテッラピッレの建物と、
間に広がる荒土の畑の色。

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これは南西に向かい、背景の山の頂上に見えるのはロッカ・ドルチャ・
Rocca d'Orciaの要塞の塔。

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カスティリオーネ・ドルチャ ・ Castiglione d'Orcia
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363281.html



ピエンツァの城壁からも見える特徴ある山の姿、ちょうど頂上にオリーヴ畑があり、
いつもは山の上に点々と可愛く並んで見えるのですが、
今は手前の畑の荒い茶色が迫力で迫ります。

11-P10_6030_01_GF.jpg



また少し移動し、ピエンツァの町から坂を下った所から東に畑道を上り、
上の写真の山がこんな風に見え、手前に広く、荒々しく、土色の風景。

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まさに荒涼とした色の畑が広がり、暫し呆然としながら風に吹かれ、
西に広がる風景に見惚れ、こんなオルチャの谷を見れた事に感激!



遥か南を見晴るかし、

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そしてやはり南西の、ロッカ・ドルチャの塔がはるかに。

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こうして見ると、ちょっとした日本画、墨絵の世界にも近く感じますね。

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少し空が晴れて来て、縞目に見える丘の色。

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起伏が重なりながら、奥に続きます。

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近くにあったオリーヴ畑。 鋤かれた土のゴロゴロと大きなのが直ぐ傍まで。

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丘の上から東の谷を。 いったん下り、隣のモンティキエッロ・Monticchielloの
町に連絡します。  渋くて素敵な土の色でしょう?!

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モンティッキエッロ再訪 ・ トスカーナの小さな村
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462396557.html



これは少し道を南に辿った所にある、廃墟の農家。 最初にトスカーナの刈られた
麦畑を描いた時のモチーフの家。

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脇の畑の、刈られた麦、というよりも、麦茎の詰み藁。 正しい言葉は?!
冬の間中、牛たちがせっせと食べるのでしょうね。

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ピエンツァの町に戻るべく坂の下まで来た所で見つけた、傑作を狙う若者。

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一時、嵐が来るのかと思ったほど暗い空が町を覆ったのでしたが、

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実際ピエンツァから西に向かう時に大雨が来て、糸杉の林の所で退避したほどの
凄さだったでしたが、

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到着したサン・ジミニャーノで見た虹の美しさも!

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***

上記した目のその後ですが、7日に待ちに待った眼科クリニックの検査に行って来ました。

で、検査後のドクターの話では、他に悪くはなっておらず、今の状態なら
新しい眼鏡で十分良く見える筈なので、即レーザー手術をするほどの事はなく、
様子を見てもし調子が良くなかったら検査に来なさい。 
そうでなければ7~8か月後、つまり来年春に検査しましょう、という事で、

検査後に両目の新しい眼鏡のリチェッタを下さり、やれやれ、やっとだぁ、と即
その足で眼鏡屋に回り、注文して来ました。 

10日後位には届くでしょう、というので、ああ、ああ、やっと! 右目の手術、
コロナの封鎖で眼鏡店も閉じ、網膜の奥に水が溜まる、2か月後に良くなったものの
再度霞み始める、左目の手術、こちらは順調、という経過だったのが、
漸くに7か月目にして、新しい眼鏡が使えそうです!!

最近は春に作った右目のみの眼鏡が役に立たず、絵を描くにも気力が無くなる程に
余りにも見えずで、今は居直り、療養期間、と思う事にしてゆるゆると過ごす事に。


所で、7日に眼科に行く前に寄ったガソリン・スタンドでお笑いがあったので、それを。

その2日ほど前にガソリンが切れるよ、の赤ランプがついたのにうまく寄れず、
忘れていたのがキーを回した途端ピーっと鳴り、予約時間スレスレだったのですが、
途中に店がないので家の近くのスタンドに。

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で、青い上着と黄色いズボンの若いお兄ちゃんが前に留まっている車に
ガソリンを入れている最中。  まるで店のユニホームの様な色で、
完全に店の若い人と思い込み、こちらを向いた時に「満タンでお願い」と。

すると傍にやって来て、「自分はここで働いていないよ」と言い、
ポカンとしているとまた同じ事を言うので、
やっと、ああ、店は閉まっていてセルフ・サーヴィスなんだと気が付き、きゃはは、
「ごめんなさい。 ではどうやるのか教えて下さい」と頼み、ははは、

彼は教えて呉れながら自分でお札を入れたり、ポンプの番号を押したり、
最後にポンプを握るのに、ガソリンか?と聞くので、シー、と言うと、
「シクーロ?・間違いないか?」と。

イタリア語では日本語のガソリンはベンジーナ・benzinaと言い、
ガソリン・gasolioは、ディーゼル燃料を指します。

日本で「ベンジン」というと、ほら、服の汚れを取るのに使うベンジンでしょ。 
で今でも、ベンジーナというと即あのベンジンが頭に浮かぶアナログ頭で、ははは、

で「シクーロ?」と聞かれて、一瞬パッとポンプのひっかけ口についている名前を
読み直したり、きゃはは、ついでそんな自分が可笑しく笑いだし、
「怖がらせないでぇ!」
済んで、ごめんなさい、と再度謝ると、彼も笑いながら、問題ないよ、
と去って行きました。

やれやれ。 セルフになっているサーヴィス・ステーションは多いし、
日頃は人がいても日曜はセルフ、というのも多いのですが、店によりポンプの
使い方が色々で、大体覚える気もないので、へへ、店員のいる店に行きますが、
ここも前はおられたのが、コロナの影響で全部セルフになったようで!
困ったもんだ、まったく!!

という様な、何年イタリアに住み、何年車に乗っているのか、というお笑いでしたぁ!


*****

色鉛筆+水彩画ブログには、 
ナルニの小路 途中経過と、 ロール・スクリーンの取り付け始末
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・ 映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」  そして アーミッシュ・キルト

いつも友人のジュリアーナに、あんたのイタリア語はひどい!と言われており、
自覚もしているので、はは、2月頃から少しはマシになる様にと、イタリア語の本を
音読するようになり、何冊か読んだ所で、5月頃からだったか、キンデル版に移行。

これだと文字の大きさも変えられるし、辞書を引いた言葉は5種類の蛍光ペンで
印も付けられ、そうすると少しづつでも覚えられる、という事もあり、はは、
何よりも本を探すのも、購入するのも、店に行く必要もなくPCの前に座って出来、
クリックすると即本が届く手軽さ、速さで、

手に取っての本の美しさやあれこれは、もちろん否定するものではありませんが、
とにかく音読が目的の読書ですから、キンデル版で十分なのですね。

で日本の本もこれで簡単に読める!と喜んだのもつかの間、国際間の
キンデル本はダメ、と分かり、これは残念でしたぁ!  でも何でダメ?!

で、8月にアマゾンのサイトで本を探している時に、下の方に出るお勧めの帯の中に
映画「Wittness-Il testimone」 日本版「刑事ジョン・ブック 目撃者」の
DVDの宣伝があり、

なぜこの映画がshinkaiへのお勧め、に出たのか、幾ら好みを知っているにしても! 
誰が?! でしたが、ははは、長い間忘れていた、それも良く記憶に残っている映画
だったので即注文し、懐かしく見たのでした。

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1985年制作 米
監督 ピーター・ウィアー
主演 ハリソン・フォード ケリー・マクギリス 



ペンシルヴェニア州のランカスター郡に住むアーミッシュの母子が、バルティモアの
姉の所に行く途中フィラデルフィア駅構内で、少年が駅のトイレで殺人事件を目撃、
警察署で犯人捜しの写真を見ている時に、実は警察官が殺人犯だったと判明。

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刑事ジョン・ブックは自分が撃たれ怪我をするものの母子を助ける為に、彼らの家迄、
アーミッシュ達の住む村に送り届け、そこで逆に治療され、村人たちとの付き合いもあり、
最後は乗り込んできた悪徳警官たちを・・、という荒筋で、なかなか良い映画で。


映画のテーマ音楽はモーリス・ジャールで、こちらで村の様子も見れます。
麦畑が一斉に風に揺れてそよぐ様子は本当に美しいですが、
色がyoutubeではイマイチかな。
https://www.youtube.com/watch?v=dTl99NWmpUw



映画「トップ・ガン」でトム・クルイーズの教官だった美しい彼女と、
隣はバレー・ダンサーから映画に、というアレクサンダー・ゴドノフ、
既に亡くなった様で。

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ここからの写真は、ランカスター郡のアーミッシュの家に5泊した様子、の記事
あった写真と、サイトから集めたもので、

美しい農村風景と、現在も電気を使わず、電話も公衆電話のみ、車も使わず、
馬にひかせる小さな馬車を使い、

4-amish-boy-horse-team-field-lancaster.jpg

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映画の中にも出て来た、家や納屋を建てる時は村中の男たちが集まり腕の力のみで、

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また女性たちが一緒にキルトを刺す、という場面もありました。

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18世紀にヨーロッパから移って来たプロテスタンの再洗礼派の人々で、一口に
「アーミッシュ」と言っても、現在はそれぞれが信じる教義によって幾つにも分かれ、
車も使用できるとか、換金の為のタバコ栽培もOKとか、そんな違いもある様で、

一番古くからの伝統にしたがい、独特の衣類を用い、電気を使うのも
トラクターのみとか、様々な規制ある生活を送っている人々、オールド・オーダーに
したがっている人々を「アーミッシュ」と呼んでいる様で、
ペンシルヴァニアとかオハイオ州にかなりの人々が住んでいる様子。

電気が無い、という事は携帯は勿論、家の中にPCもテレビもなく、映画の中でも
音楽が禁止、というのも出て来ましたが、これはshinkaiにはきついなぁ!
と、家長夫制で、女性はとにかく従属、というのも難しそう、へへ。


自転車も禁止で、派の中にはOKの所もある様ですが、
この様な足漕ぎのスクーターを使ってもいる様で、

9-colorful-amish-scooters-lancaster-county.jpg



上の写真の、一列に並んで道を歩く一家の子供たちは裸足で、5人いるのに
気が付かれましたか?

こちらには7人の子供達!の写っている写真もあり、

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アーミッシュの人口増加が大きい、というのは、勿論教義による産児制限なし、と
いうのもある様ですが、TVも家に無く、夜の家の中に電気もない、
ソーラー電気で使う小さなランプのみ、というのも関係しているのかも!



上記したサイト記事にあった写真に、こんな屋根付きの橋もあり、

11-covered-bridge-lancaster-amish-country.jpg

最近キンデルで「マディソン郡の橋」を読んだ所だったので、とても懐かしく、皆さんにも!



所で今回アーミッシュについて日本語のサイトを探した所、今年になって
アメリカの「コスモポリタン」誌と「Type Investive」の共同取材による、
アーミッシュ共同体内部の今迄は表に出なかった数々の闇が、

今迄は古い伝統を守り、自然の中で、ほぼ自給自足の生活を送っている、という
アーミッシュに対する美しい憧れの様なものだけだったのが、
隠されていた闇が暴かれた、とりわけ性的な問題が、というもので、

検索するとサイト記事はたくさん出ますが、

アーミッシュ、35年目にしてわかった事柄ー 映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』
ではわからなかったこと
https://www.esquire.com/jp/mensclub/a30803410/in-amish-with-the-thought-of-witness-true-witnessed/
こちらには、アーミッシュについてかなり詳しく書かれていますので、どうぞ。



ただshinkaiは、映画の中にもちらっと出た、はっきりした色使いの鮮やかなキルト、
「アーミッシュ・キルト」に昔から興味を持っているので、今回それを見て頂きますね。

以前キルトに凝っていた時があり、手縫いでモチーフを繋ぐのではなく、ミシンで繋ぎ、
全体のキルトをミシンで、また手縫いで、という方法でしたが、
アメリカに住む友人にも頼んで本を送って貰ったりして、あれこれ作ったのでした。


アーミッシュの女性たちが作るキルトは、最初は古い布端から作った自分達用の
必需品だったのでしょうが、現在は観光客向けの品、現金収入にもなる為の目的で、
大変に鮮やかで、と言ってもやはり昔からの伝統モチーフの匂い、色柄が残り、

これは古い単純な構成ですが、色選びが独特で、

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古いキルトとの説明で、実際にあれこれ端布の様ですが、鮮やかでしょう?!
子供用キルトかも。

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黒色との対比、黒の色使いが大変素晴らしいと思う物で、

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こうして店で売られてもおり、

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下の写真に見えるキルトの鮮やかさ、そして女性のいるこの雰囲気が素敵でしょう?!



この蛇行する流れのモチーフ、これは今回初めて見たもので驚き!

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これはもうかなり熟練の手を想像しますが、


繊細な仕上げの芸術的キルトにならず、単純素朴なモチーフと、色の対比での
力強い印象のキルト、がアーミッシュ・キルトの原点、現在もの姿、の様で好きです。



映画「目撃者」に登場した家、左の木立に半ば隠れている家は、現在土曜に
ガイドによる、少数の見学を受け入れている、という様な記事も見つけました。

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そうですね、到底自分には我慢、対応できる生活では無いと思うものの、はい、
でもどこかに憧れの気持ち、静かで質素な生活に対する憧れがあるのかも、ですね。



これは昔やはり日本の友達に頼んで送って貰った本 
菅原千代志著 アーミッシュ・キルトと畑の猫  丸善ブックス

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アーミッシュ家族の経営する宿に泊まっての、内側から見たアーミッシュの
人々の生活が描かれている、良い本と思います。 
少し詳しくお知りになりたい方にお勧めの本です!


そうそう、冒頭に書いた、イタリア語習得対策にキンデル本を音読、の成果ですが、
何せ独り暮らしで喋る相手がいないので、上達はまるでですが、ははは、
それでも読むのが早くなったのは確かで~す。 そう少しはね、良い事も無いとね。

という様な、これらも夏休みの総括の1つでしたぁ。


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ルーコラとプチ・トマト  をアップしています。


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・ 夏休みが終わり、 イタリアの様子 そして shinkaiの身辺あれこれ

皆さまお久し振りです! 良い夏をお過ごしになりましたか?
shinkaiも1か月間の夏休みを終え、無事に、はは、
ブログ復帰です。  どうぞまた宜しくお願い致します!!

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無事とはいえ、この夏はやはりコロナヴィールス対策で、外に出かける事も
スーパーへの必要品の買い出しのみで済み、3日に1度の外歩きも早朝なので
陽に焼ける事もなく、雨戸も殆ど閉めての薄暗い中で過ごすゴキブリ生活で、はは、
ニュースで見る様に40度近いという猛暑も感じず、
結局クーラーは1度もつけずのまま済んでしまった、例外の夏休みでした。

それに最近1週間ほどはとりわけ北イタリアは豪雨に襲われ、ヴェネト州の
ヴェローナ周辺、アルト・アディジェも昨日は山崩れなどの被害があり、
私の住む一帯はそこまでひどい被害はありませんが、毎日のように雨、嵐があり、
雷ゴロゴロ、停電もたびたび、そのたびにインターネットの接続を止めたりで、
秋の気配が漂う、とても涼しくなっている今日この頃です。


イタリアは9月7日まで緊急事態が続いており、9月14日から学校が始まる、
というので、現在その対策ニュースがあれこれ報道されています。
何せ3月最初からの緊急事態なので、先生達の手配も大変な様子。

コロナヴィールスの新感染者は8月中頃までは大体300~400人程で収まって
いたのが、夏のヴァカンスが済んでギリシャやスペインから戻る人達でどんと増え、
それに続いてサルデーニャ島から戻る感染者がまた増え、
夜のディスコテーカでの人々の接触、マスク無し、というのが問題となり、
即ディスコテーカの再度閉鎖、夕方6時から翌朝6時までマスクの義務付けも!

フランスやドイツ、スペイン、イギリスの感染者増加が問題になる中、
イタリアは割と頑張っているなぁ、と思っていた矢先、1週間ほど前からどんと
1000人を超え1400人台にまで上り、
フランスの7000人越え、4500人等とニュースで聞き心配したのですが、
何とか現在は1400人を下り、タンポーネの検査も10万人近くの数なので、
もうこれ以上増えてくれるな、と願っている状態です。

追記 8月31日の感染者数は、996名との事、やれやれ!


フランスは再度の封鎖も検討していると言いますが、イタリアは現在の所
再度の封鎖は無い、という空気の様で、
9月7日以降の緊急事態がどうなるか、それを気にしつつ、待っている状態です。



2年前の8月14日に多数の死者を出し崩壊落下したジェノヴァのモランディ橋ですが、
工事が無事済み、8月3日朝に新しくサン・ジョルジョ橋と命名され、開通しました。

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当日は雨だったのが、コンテ首相も列席の開通式の直前になり雨がやみ、
なんと、綺麗に放物線を描く虹が掛かり、コンテが感嘆して振り仰ぐ姿も。

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新しい名のサン・ジョルジョはジェノヴァの守護聖人の名で、相応しいですよね。

ジェノヴァにかかる新しい橋 と、 レンツォ・ピアーノの美しい作品あれこれ
https://www.italiashiho.site/archives/20190106-1.html



で、ここからshinkaiの身辺雑記になりますが、

8月4日に、待っていた左目の白内障の手術を受け、こちらは大変順調で、
嬉しく過ごしています。

が、2月末に手術を受けた右目は、網膜の後ろに水が溜まっている、というのも
2か月間の目薬点滴が済み、一旦は大変綺麗に見える様になったものの、
じきに再度霞み始め、8月4日の術後検査の時に話しましたら、即見てくれ、
後発の白内障だという事が分かり、
これはレーザーで簡単に手術が出来るから、かかりつけの眼科医に渡しなさいと、
診療書を書いて下さり、9月7日の診療予約日を待っています。


白内障の手術の時に、近視を矯正する為にレンズを入れて下さったのが、
その為に遠くは大変ハッキリ綺麗に見えるようになり、何十年来の近視からは
解放されたものの、逆に近くが見えなくなりました!

今は車を運転するにも眼鏡が要らない程で、家の中では眼鏡なしでも
大丈夫ですが、肝心の絵を描くのがもう大変!!
 
つまり細部が見えずで詰めが出来ず、とにかく9月7日に新しい眼鏡の処方箋、
右目は次のレーザー手術後まで待ちますが、
左目用の眼鏡、とりわけ近くを見る為のレンズの処方箋を、首を長くして待っています。

なので、コロナヴィールス感染者の激増で再度の国内封鎖、店が閉鎖、という
事態にだけはならないで欲しいぃ!!と。



と、来年3月に予定し、3年前に予約済みの東京八重洲地下の画廊での
個展開催ですが、

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現在は日本到着後に2週間のホテル自粛が課されており、これでは到底
無理だなぁ、と諦めた状態で、一応9月7日の後の様子を見て、
来年の秋か、または再来年の春か、画廊との話合いで決める心算です。

ミラノの領事館にも、画廊にも、そして絵の師でもあり友人の二木さんにも
電話してあれこれ事情を聞いたり、8月に個展をした友人からのメールでも
あれこれ日本の実情を知ったり、
また現在の自分の目の状態も含めて考え、来春は無し、と決めたのですが、

さて、ではいつになったらOK?!という判断がまるで出来ず、
今の所この答えはどなたも無理でしょうしね、待つしかなく、忍の一字、はぁ。
まぁ、視力がOKになるのを待ち、しっかり描きつつ待ちましょう!!



所で皆さん、イギリスの歌手トム・ジョーンズという名前を憶えておいででしょうか?!
60年代頃から活躍で数々のヒットがあり、あの素晴らしい声量とセクシーな動きとで
大変有名な歌手でした。

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その後聞かなくなったなぁ、と思っていたら、「セックス・ボンブ」という大ヒットで、
イタリアのTVにも出たのを覚えていたのですが、その後まだ歌っていて、あの声量も
衰えていない、というのを知ったのは、彼のロンドンの野外公演に、
結婚前のハリー王子が座っているのをYoutubeで見たものの、そのまま忘れ・・。



で、この8月Youtubeであれこれ音楽を探して見ていた時に、「ザ・ボイス」という
新人歌手発掘の番組のイギリス版に、審査員というか、私がこの歌手にアドヴァイスを、
という事らしいのですが、座っているのを見つけ、

そのまま新人歌手と一緒に歌い出すのを聞き、なんとまぁ、声の高さはかってより
少し低くなったものの、あの魅力的な声量はほぼ変わらずで、しかも80歳!!
になったのを知り、驚くやら、感嘆するやら。

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彼の元気さとウィット、長年の経験からの凄さ、迫力もどうぞ!
The Very Best Of Sir Tom Jones | The Voice UK 2018

このyoutubeをご覧になると、きっと右にあれこれ出るでしょうから、
懐かしく思われる方、そこからもあれこれお楽しみ下さいね!



若い頃の脂ぎった感じが薄れ、逆にとても良い感じでもあり、はは、失礼!
今もこの声量で歌える、という、やはり才能以上の努力があるものと、
こちら迄元気を貰える、励まして貰っている気持ちで、とても嬉しかったのでした。

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来年7月のウンブリア・ジャズの開催に合わせての、ペルージャでのイタリア公演も
決まっているという事で、
現在はサー・トム・ジョーンズでもある彼の、この先の活躍も愉しみに!!



音楽の話題をもう1つというか、先月にアマゾン・エコーを購入、音楽を聞く様に。

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PCで何かを調べたり書く時、本を読む時は音楽は余計なのですが、
絵を描く時は必需品で、大体午前中はバロック音楽、午後は何でも!

あ、いや、厳密にいうと日本語と、オペラは別としてイタリア語の歌、は歌詞が
分かるので邪魔、他にハワイアンはダメですが、

CDと、以前Youtobeから引いて変換、USBキーに入れたのを何本も持っていて、
それをその日の気分により聞きながら、聞き流しながらのお絵描きですが、

昨年暮れ以前かな、MP3変換ができるオンライン・ソフトが軒並みアウトになり、
聞きたい曲も聞けなくなると、なんとも歯がゆく、自分の持ち曲以外の新しいのも
聞けるようにと、アマゾン・エコーを始めたのでした。

聞ける曲はこの手のサイトで最高の6500万曲以上、という宣伝にも惹かれたのですが、
いざ使い始めて見ると、どんな曲でもOK、という方には良いのでしょうが、
自分の好みがある、それも結構狭い、ははは、となるとですねぇ、

例えば「アレクサ、モーツァルトの曲をお願い」と頼むと、大概ヴァイオリン協奏曲の
3番、5番の第1楽章が流れ、ピアノ曲は第21番の第2楽章、で全部は聞けない、
そういう有名な曲が、勿論奏者は違うものの何度も流れる、という訳で、

ヴィヴァルディを頼むと、いっつも「四季の春」なんですよぉ。「秋」「夏」「冬」
は無し! つまりどれもが有名な曲のさわりだけ! おさわりだけで、突っ込みが無い。
「ソフト・ロック」となると曲数が多いのでそれはありませんが、朝からはねぇ。

それに可愛い丸いスピーカーが1つというのも、やはりバロックやクラシックを聴くには、
持っている同じCDに比べ、こんなに違って聞こえるのか、という驚きの発見もあり、
大体午後は手持ちのUSBキーに詰めているあれこれをね。

はぁ、そんなこんなで、「ラジオを試してみたら」とアレクサが教えてくれるのですが、
ラジオはねぇ、余計なCMがあるしねぇ、という事で、・・その内に倦怠期かも、へへ。



最後に「ラジオ体操始めました!」を。  冷やし中華も始めています、きゃはは。

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コロナヴィールスのお陰で、ちょうど2月の白内障手術後でしたが、プールが閉鎖となり、
その後9月中頃から再開され、ジュリアーナなどは通い始めたのですが、
もう14年目かな、で少し飽きも来て、猫同様濡れるのが余り好きでもないしで、
秋からヨガにでも通おうか、と思ったものの、ちょうど良い教室が上手く見つからず。

で思いついたのが、小学校以降ずっとしてきた、いや、させられてきた「ラジオ体操」
というのがあるじゃん、あれはちゃんとすると結構良い運動になるんだと聞いたっけ、
と調べ、日本アマゾンでDVD付きの本を買う事に。

NHKのはイタリアにお届けできません、と出るので、上の写真の分を注文し、
はい、本代よりも送料の方が高くつきましたが、はは、9月1日にお届け、が、
なんと8月27日、5日も早く届き、早速28日の朝から始めています。

第1と、第2をすると、はぁ、まだ正直 ふ~ぅ!となる程で、ははは、
踵を立てて腕を振ったりすると、ふくらはぎが重く感じますです。
はぁい、始めて良かったです!!

なので、もっと楽に動けるようになったら、イタリア・アマゾンで
「ズンバ」のDVDを買おう! と既に決めていて、
これでプールにも、ヨガにも通わずに済むしね、きゃは。


所で、ラジオ体操には第1、第2の他に、第3、第4、第5というのもあるのを
ご存知でした?!        
今回知って驚いたこの発見、おまけに第3はともかく、 第4が凄いの、なんの
中国曲芸団の人が準備体操にでもするの?!という程の凄まじさで!!
第5は見る気も失せ、ははは。
下に続く皆さんのコメントを読んでも、ガハガハ笑えました、皆さんもどうぞ!


という様な今年8月夏休みの総括でしたぁ。
 
2年間掛かった記録庫の引っ越しも無事済み、少しホッとし、
本家ブログの総目次も、絵のブログの第2部の記事目次もちゃんと埋めましたし、
これからは少し気楽にまた皆さんのブログ訪問にも出かけられそう。

元気回復し、またしっかり楽しんで貰える様なブログを続けたいと思っています。
どうぞ、これからも宜しくお付き合いお願い致しま~~す!!


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記録庫ブログは、お陰様で無事引っ越しを終えました
 
今後ともの皆様のご訪問を、よろしくお願い致しま~す!

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当ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!




    s2019誕生日 - Copia.jpg

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