・ クワランテーナ・40日の隔離期間 と ラッザレッティ・隔離病院

ヨーロッパは現在コロナヴィールスの第2波の真っ最中なのか、
イタリアの昨日10日の新感染者は1616人 死者が10人というニュースで、
フランスは1万人に届きそうな数、スペインは12183人、
ドイツ1484人、という数が発表されています。 

数は毎日小さなジグザグを繰り返しながら、イタリアは今少し上がり気味で、
世界中の様子を知るにつけ、この先どこまで?!と気になりますが・・。


という現在、ニュースに良く出る言葉が、クワランテーナ・quarantena.
クワランタが40の意で、クワランテーナは40日間の隔離期間を現しますが、

現在のニュースではヴィールスに感染していると分った人々が自主隔離する事も
含め使われていて、こちらは40日ではなく2週間ですが、
隔離期間を、という意味になっているのですね。



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ラッザレッティはラッザレットの複数形で、ヴェネツィアのラグーナにかっての
新旧の2つの隔離病院が残っているのを示し、
いつ、どのようにペストなどの伝染病に対したか、という記事で、

ラザレットがあるのは呼び名程度で知っていたので、ちょうどのチャンスと読んで
みましたので、泥縄の知識を、ははは、皆さんにも。



この40日間の隔離期間、伝染病を打ち負かす為に感染者達を引き離す、という
政策が世界で一番最初に執られたのが、1377年7月27日現クロアチアの
ドブロヴニクで。

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ドゥブロヴニク ・ Dubrovnik ・ アドリア海の真珠
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473864472.html


当時はラグーザと呼ばれ、ヴェネツィア共和国の下に1204年からあり、
ヴェネツィアから海運国の整理整頓をしっかり習った後1358年に独立を
果たした所。

1301年にはヨーロッパで初めて、市民全体の健康サーヴィスを無料で、を保証した
国で、ペストや伝染病が流行すると医者を探しまわり、報酬も高かかったと。

12世紀頃の医者や程度の低い外科医の殆どはヴェネツィアで、ナポリ王国で、
マルケ州で教えられ、
評価される程の医者の多くはボローニャやパドヴァの大学出だったそうですが、

とはいえ、14世紀の初期頃までは固定報酬を受ける公的な医者の殆どが、
例外的にサレルノ大学出で、
これはヨーロッパで最初の重要な医者の伝統だったそう。

サレルノ医科大学について少し n.1 サレルノの街、ちょっぴり旧市街とドゥオーモ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468060215.html



で、1347年に黒ペストが流行し、ヨーロッパ全体の3分のⅠの人口に当たる、
3千万人(桁が間違ってませんように)が亡くなったそうですが、
ラグーザでは感染患者を町から離れた島に少なくとも4週間隔離し、
乗り切ったそう。


隔離期間の元々は1か月で、トゥレンティーノ・trentinoと呼ばれ、
これはまさに30日間を示しますが、

15世紀にヴェネツィアが期間を延期し40日間となり、quaranta giorni・
クワランタ・ジョルニが、ヴェネト訛りでクワランテーナと呼ばれる様に。


でなぜに40日間か、というと、これはギリシャ人医者・ヒポクラテスの考案で、
彼は自然科学から発展し、医学の父と呼ばれる人物ですね。

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「40日」という数字はバビロニアの天文学者が唱えるチグリス・ユーフラテス河の
氾濫時期とも合致するシンボル的な数字であり、

ユダヤ人にとっても、40年が一時代とみなされ、約束の土地に辿り着くまで
40年砂漠を放浪した、エジプトの罰された期間が40年間、等など・・。

旧約聖書にも40にまつわる逸話は多く、大洪水は40日40夜続き、ノアはさらに
40日待って箱舟を出た、モゼは神の「十戒」を受けるのに40日40夜、
そしてキリストは荒野で40日間断食、復活して後40日後に天国に、
謝肉祭の後に40日間摂食し、復活祭になる、という具合なのですね。

はぁ、こうして並んだのを読むと、へぇ~、そうなの?というお話ばかりで、へへ。
実際に40日間必要、というよりは、古代からの様々な事柄から定めた40日間、
なのだろうと思います。



という所で、ヴェネツィアに結び付くラッザレット、伝染病に感染の人を収容し
隔離すると定められた場所、病院についてですが、
ラッザロ・Lazzaroというのは聖ラッザロ、キリストにより死から蘇り、感染患者の
守護神となったあのラッザロですね。

で、1423年に伝染病に襲われていた地区からヴェネツィアに戻って来た船の
船員たちが、伝染を恐れた市民により強制的にサンタ・マリーア・ナザレ島・
Santa Maria di Nazarethに留められ、

この島はナザレット・nazarettoと呼ばれていて、ラッザロの名に似ている事から、
感染患者を収容する場所をラッザレットと呼ぶようになった、というのですね。

で、ヴェネツィアには今に残るラッザレットが2つあると上記しましたが、
その古い方、ヴェッキオ・vecchioと呼ばれるのが、このサンタ・マリーア・ディ・
ナザレ島で、ヴェネツィア本当にとても近い、リド島の西沿岸にあり、

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最初は隠修師たち、とりわけアウグスト修道士会隠修士を指すようですが、
彼らが住み着き、サンタ・マリーア・ディ・ナザレ教会を建設し、1249年、
聖地巡礼たちの世話をしていた、というのですね。



今に残る島内の建物群、

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建物内部。 ヴェネツィアに近いので、現在はビエンナーレ展時の会場にも
使われている様子。

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島からの眺め。 収容された人々からは、近くて遠い眺めだったでしょうね。

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そして1468年、病人を受け入れていた事から島自体が感染したのではないかと、
疑われ、ラッザレット・ヌオーヴォ・新しいラッザレットが建設され、
そちらで収容する事になったのだそう。

新しいラッザレットはサンテラズモ島・Sant'Erasmoの近くにあり、

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中世にはベネデッティーノ会派の修道院もあったのが、1468年に上院が
ラッザレットにする事を決め、感染予防に務める事になったのだそうで、
倉庫はペストなどに感染したかもと疑われる荷を調べるにも使われ、

1576年にはやはり人間に感染したかという事で、病人を調べ、感染している
事が分かると、すぐにラッザレット・ヴェッキオの方に移されたそう。



ラッザレット・ヴェッキオも、ヌオーヴォもどちらも修復改修するプロジェクトが
進んでいて、ヴェネツィアと、その干潟の、国の重要な考古学博物館が
出来るそうで、

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この記事では一日も早く訪問できるように、と結んでありましたが、
他の記事やサイトで見る写真では、訪問観光客や子供たちの様子も見え、
考古学発掘の様子も見られました。

こちらでヌオーヴォの写真がご覧になれます
https://www.metropolitano.it/venezia-lazzaretto-nuovo/



ラッザレット・ヌオーヴォの様子と、

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下に見える黒い衣装と鼻の尖った面は、カーニヴァルではなく、はぁ、博物館の
展示の一部で、医者の衣装、尖った鼻の中に香料を入れ、悪臭を防いだ、と
いうものと。



博物館内と、

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多分壁に残る収容者達の落書きと、祈りの印かも。

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サン・マルコのシンボル、有翼のライオンが彫り込まれた井戸。

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最後は、ラグーナ・干潟に現れた粘土質、または砂の尾根、が描く文様を。
これはバレーネ(複)・Bareneと呼ぶそう。

19-foto-_Barene.jpg

こんな様子を早く自由に見学できるようになる事を願いましょう!!


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