・ ルッケッタ・Lucchetta  コネリアーノのワイン醸造所訪問

先回見て頂いたコネリアーノの野の道散歩の最後に、
ルイーザの案内でワイン醸造所ルッケッタの訪問が出来ました。

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今迄も何か所かプロセッコの醸造所も見学した事もあり、
トスカーナでもあちこち訪問したりで、その都度様々な事を知ると共に、
長年にわたり工夫を重ね、購入者の好みに添っての品質改良などなど、
マーケッティングについての研究も怠りない事を知らされます。

今回訪問したルッケッタはまだ創業120年に満たない、完全な家族経営の
醸造所ですが、貰って帰ったパンフレットを見ながら、撮って来た写真、
訪問時の印象などをも重ね、とても近しい気持ちというか、
今迄のそれぞれの醸造所とは違う気持ちも印象も湧き、

我がコネリアーノの素晴らしい丘の上にあるカンティーナ、しかも我が家から
かなり近い場所にある、という事もあり、しっかりご案内を、と、はい。

n.1 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526381.html

n.2 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526671.html



上の、道脇にある道案内の樽の矢印に従い緩やかな坂道を上り、

葡萄畑の畝の端に植えられている薔薇。 これも何度かご案内の、
葡萄の木と薔薇の木の性質がよく似ている事から、何か病気が葡萄に
発生する前に分かる、為のもので、美的な演出ではないのです。

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これを教えて貰ったのは、トスカーナの葡萄畑を回った時の事でした。

初めてのカンティーナ訪問 トスカーナ ・ シエナ南部、ヴァル・ドルチャ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460854939.html



今回貰って帰ったパンフレットから、ご案内にちょうど良い写真を拝借し、
これは丘の上にあるルッケッタの、左側が醸造所と直売所、そして右側が
住居類と思いますが、右側には行かずで。

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左側にカーブして下り、小さな木立のある所に、現在は最初の道案内の樽が。

この周辺一帯約50万ヘクタールの土地を持ち、その内の32万ヘクタールが現在
葡萄畑になっているそうで、少し丘の上、に葡萄畑が広がり、
これはトスカーナでも聞いた事で、葡萄の木は霧を嫌うからだそう。



坂道を上ってきた所で、奥に母屋がありますが、手前右に下る
砂利道の奥に直売所と醸造所が。

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分かりますか、金属の塀の内に黒いワンがいるのが?



この中型のワン君で、よく似た大きさのが、あっちにこっちに、全部で4匹ほど!

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この子は坂道の樽の近くでうろついていて、はは、その時に挨拶したのが、
坂道を上ってきたら先回りしていて、尻尾を振ってくれたのでした。
客引きの仕方を心得ているのね、ははは。



「ワイン直売所」の立て札の背後に見える、広がる葡萄畑。

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右端に切れる間際、丘の上の鐘楼と教会はカステル・ローガンツォーロで、
ここはかのティツィアーノの家のある所!

古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 n.2
https://www.italiashiho.site/archives/20170420-1.html

ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.1 
https://www.italiashiho.site/archives/20170404-1.html



パンフレットから。 母屋の手前を入って行くと、直売所と奥に醸造所。

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右上の、白葡萄の大きな房! ルッケッタでは全て手で収穫するとの事で、
これは各種の葡萄の熟す時期が違うので、それに合わせ摘むのだそう。



この一帯の丘の眺めは本当にとても美しく、これは東側。

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パンフレットにあった、四季それぞれの眺め。

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さて直売所の中に。 これは正面左奥の壁で、

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こちらは右側。 カウンターが設えてあり、左に見えるシニョーレはべピ・Bepi、
現在の経営者の1人、とルイーザ・Luisa.

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ルイーザの夫レナート・Renatoがこのルッケッタのワインを好み、
確かに美味しいのですもの! 買い出しにルイーザも付いて来ていて、
良く知っている間柄と。



で、真ん中の扉の奥に、この様に倉庫があり、おお!  1箱12本入り。

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向かい側の壁の上に掛かる夥しい賞状類。各地で、国際でも賞を取っている様子。

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真ん中のテーブルが実は大木の切り株、というのは写真を見て気が付きましたぁ。
何の木だろ?!



べピは、我らが入っていくと、即グラスにプロセッコを注いでくれ、ははは、
こうして見ると、既にかなり赤い顔をしているでしょう?! お昼前でしたが。

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最初は断ったのですけど、ジュリアーナが美味しそうに飲むのを見て欲しくなり、
ははは、では、と頂いたのでしたがぁぁ、 お・い・し・か・ったぁ!!



半分以上飲んだ所で、ははは、ワインのラベルと並べて。
アンジェロ・Angeloとあり、プロセッコのカルティッツェ・ナトゥラーレ、と。

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アレッサンドロ・Alessandroが案内してくれ、奥の醸造所を。
赤と白のはコンクリート製だそうで、内部は多分ステンレスのタンクですね。

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こちらはよく見るステンレスで、

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茶色に見えるのは、樹脂製、と言ったのではないかと。

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この高さのは8千リッターで、奥に1本高いのがあったのが1万リッターと。

タンクによる違いはあるのか、と聞きましたら、無いという事でしたが、
こちらには余り専門的に聞くだけの知識もなく、残念。



一番奥に大樽が2つ。

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コネリアーノにある 世界一のワイン樽製造所 ・ ガルベロットのご案内を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463849891.html



これは瓶詰め、栓打ちのラインと。

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隣の部屋には、びっしりとステンレスのタンクが両脇に並び、

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一番奥にこの小さな樽が。 これは干した赤葡萄・アパッシートが入っており、
水分を蒸発させて発酵させるため、濃い強い赤ワインが出来るのですね。

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こちらはほぼ天井を覆っただけの状態に置かれているタンクで、

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こんな風にずらっと並ぶ壮観さですが、

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夏の暑い時などどうするのか、と尋ねましたら、

ここのタンクは2重になっていて、ほら、上に繋がっているのが冷蔵装置だそう!

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勿論気温により自動的に調節するようになっているのでしょうが、
プロセッコの本場ヴァルドッビアーデネに行く道で見かけるカンティーナの
タンクが外にずらっと並んでいるのを見て、大丈夫なのかいなぁ!と、ははは、
他人事ながら心配していたのですが、安心しましたぁ。



ルッケッタのサイトは https://www.lucchettavini.com/

まず最初に如何にも美味しそうな、はは、美味しいプロセッコが注がれ、

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ルッケッタの歴史なども出ますが、ルッケッタ・マルチェッロという企業名の
マルチェッロ・Marcelloというべピのお父さんが1958年に起業したのだそうで、

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元々コネリアーノから北西にあるピエーヴェ・ディ・ソリーゴ・Pieve di Soligoで
伝統的なブドウ栽培農家だったのを、父親から受け継いだ葡萄畑を売り、
今のコネリアーノはカルペネ・Calpeneの丘に小さな基本となる土地を買ったのが
最初だそう。

この一帯のワインは有名で、一帯にヴェネツィア貴族の別荘が点在している、と
先回書きましたが、1431年にはヴェネツィア共和国のドージェ、
フランチェスコ・フォスカリがコネリアーノの執政官に、
いつもの美味しいものの荷でなく、一帯の美味しいワインを送ってくれるようにと
頼んだ記録もあるそうで!


当時はD.O.C・統制原産地呼称ワインだったプロセッコも、2009年から
D.O.C.G・統制保証付原産地呼称ワインとなりましたし、

マルチェッロと息子べピ、その弟マリオと、一家がブドウ栽培、醸造に働き、
現在はアレッサンドロ、マルコがパドヴァ大学でワイン醸造学、農学、
葡萄栽培学等を学び、国際的にも販売を広げる様に広告販売業もと、
一家の男性軍ががっちりとチームを組み、企業が育っている、という所でしょうか。

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この写真、パンフレットはいつのものか、べピもかなり若く見えますね!



一家全員。 如何にも農家の大家族の様にも見えますが、家業に誇りを持つ
跡継ぎがしっかりしていると、家族経営でもこれだけ発展するのですねぇ。

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こちらがルッケッタのワイン一覧。

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栽培している葡萄の種は(葡萄摘みの順に)
マンゾーニ・ビアンコ・Manzoni bianco、 シャルドネ・Chardonney、 
スーヴィニョン・Sauvignon、 リースリング・Rieisling、 グレーラ・Glera・
これがプロセッコになる種、 ヴェルディーゾ・Verdiso、クルティヴァール・ア・
バッカ・ロッサ・cultival a bacca rossaと。



案内して下さったアレッサンドロ氏。  肝心の写真がピン甘ですみません。

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礼を言って坂道を下る時、薔薇の花とジュリアーナ。

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丘の上に見えるのがルッケッタの建物で、この辺りもルッケッタの葡萄畑と。

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カンティーナの中を見学しつつ、何となく男所帯みたいだなぁ、と、ははは、
いう印象があったのでしたが、パンフレットを読み、大いに納得!!


後日談があります。 後日というよりも、当日の午後レナートが友人の
案内でルッケッタに連れて行ったのだそう。

すると、べピとアレッサンドロが訪問した我々について、大いに興奮し、
レナートに話したそうで、ははは。
とりわけ、ジュリアーナと話した男寡のべピがね!! 

ね、楽しい、良い締めくくりとなったでしょ?! きゃはは。


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・ 晩秋 快晴のコネリアーノ 野の道散歩

この19日快晴のお昼前、久し振りにルイーザ、ジュリアーナと一緒に
コネリアーノの東外れの野の道を散歩してきました。

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朝9時半にカフェの外で待ち合わせ、10月末にお誕生日だった
ルイーザに用意していたプレゼントを渡し、
その後近くの葡萄畑の中の野の道を散歩しようという事で、

ブログに載せれるよ、とジュリアーナ・Giulianaの殺し文句に乗せられ、はは、
彼女たちはこの道をしょっちゅう歩いている様子で、
その前にスマホで撮った写真を送って来たヴィッラ・マレージオも見れるよ、
というので出かけ、

お天気も良く、暖かくもあり、気持ちよく歩き、撮って来ましたのでどうぞ!



地図をどうぞ。 右端を通るSS51・国道51号線は北のコルティナ・ダンペッツォ
迄行く道で、コネリアーノから我が家への平野を通る下の道で、
左上にちらっとかすめる道が丘の間を縫う上の道。

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下に囲ったスーパー横のカフェで会い、東に行ったローターリーから北に、
赤印をつけた所の駐車場に止め、道に出て来て赤点を打った通りに進み、
中央上に囲った所がヴィッラ・マレージオ・Villa Maresio.



散歩だけだと、ここからぐるっと右回りに元駐車場まで戻れ、1時間弱、
という事だったのですが、
ルイーザ・Luisaが、shinkai疲れていなかったら、ルケッタ・Luchettaの
カンティーナに寄ろうか、という事で、左、西に進路を取りルケッタに寄り、

あれこれ美味しいルケッタのワイン、プロセッコもはいつもルイーザの家に
食事に呼ばれた時、我が家で何かある時レナート・Renatoから届くワインですし!

この辺りにある事も知らずでしたので、カンティーナを、というので喜んで歩き、
はい、あれこれ見せて貰い、プロセッコも一杯頂き、ははは、

とても素晴らしい散歩になり、予定を大幅に超す1時前に車に戻る、
という晩秋の秋の景色を堪能した午前でした。

で、今回は散歩の、秋の色、既にしっかり落葉した丘の風景、
次回にルケッタのカンティーナの様子をご覧頂く事に。



車を止めた一帯はちょっとした家並が続いたものの、じきに野の道に出て、
なだらかな道の脇の黄葉の木々、緩やかな丘の葡萄畑となり、
脇見をしつつ、撮りつつのそのそ歩くshinkaiの前を、
喋りながらさっさと歩く我が友2人。

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これは桑の木。 かっての日本と同様に養蚕大国であったイタリアの名残。

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こんな風に緩やかな丘が起伏し、葡萄畑の黄葉し、中ば落葉した畝が。

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黄葉した葡萄の葉。 黄ばんで残るのはもう僅か。

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なんとご主人と散歩中の秋田ちゃんに! 「きみこ」ちゃんで、ご主人は
素晴らしく歩き方が優雅で、と!   

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イタリアに住む秋田犬は多く、皆さん鼻高々で、きっとお高いのだろうなと。
それにとても性格も好かれている様で!



木々の隙間から見えたヴィッラ・マレージオ。 少し高台にあるのですね。

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殆ど落葉した葡萄畑と、農家の並び。

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道脇に木々が続くと、黄葉のヴァリエーションのカーテンみたいになり、

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トンネル状に続く道も。

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道を抜けて見える、丘の上のカンティーナ・マゾッピーノ・Mazoppino。 

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右に切っているのは何年か前に出来た大きな新しい建物で、コネリアーノからの
下の道から見ると丘の上に、大きなテント式みたいに、それも壁がヴェージュ色で、
壁と建物の一部が明るいブルーで凄く目立ち、美しくない目立ち方で!
この日も散歩中のシニョーレと立ち話の中で、評判が悪く。



この道はこんな風にカーヴを描きながら奥に続き、

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最後に右に入る小径が分かりますか? あの道を入りヴィッラ・マレージオに。



散歩中のワン君。 目が隠れていても、手を振ると即反応してくれ、はは。

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ヴィッラ・マレージオの前に行くには、今のこの傾斜道の一番下に鉄棒の
横断棒があり、その下を潜るか、脇の生垣の木の間にくり抜かれた隙間を
通り抜け、ははは、こうして少し傾斜を上ります。

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高みから見える東側の丘の眺め。 色も眺望も素敵でしょう?! 

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さて、ヴィッラの前に出て、こんな風に一番下に残っている石段部分。

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ヴィッラの両脇すれすれに石垣がぐるっと回り、前、南側は庭園に。

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ヴィッラ・マレージオと皆が呼ぶのですが、ウィキによると、ヴィッラ・ジェーラ・
アマーディオ・マレージオ・Villa Gera Amadio Maresioだそうで、
これは代々のこのヴィッラの所有者の名が並んでいる訳。

17世紀の建設ですが、元は中世の遺跡があった場所だそうで、
この一帯周囲にはいくつかのヴェネト貴族のヴィッラが点在します。

なだらかな丘陵が続き、気候温暖、周囲を葡萄畑、農業地に囲まれ、
ヴェネツィア貴族の別荘地でもあったのでしょうし、
そして今はそれらがカンティーナ・ワイン醸造所にも、という事なのでしょう。

ただこのヴィッラ・マレージオは今住む人もなく、閉じられたままで、
以前1度皆で歩きの時にオリアーノの方から歩いて来た事があり、

ニックネームの、パラッツォ・デッレ・アニメ・Palazzo delle Anime・魂の館
とは、土地の伝説が伝わっており、
ここに住んでいた若い女性が男性達に愛想をつかし、はぁ、地下に死ぬまで
閉じ込めて置いたのだそう。
で、愛人たちの叫びと彼らの閉じ込められた魂は、今もヴィッラの壁を通し
聞こえるそうで。 怖い! 明るい、暖かい昼間で良かった、はは。


建物の南側から見ると、4階分で、下から2階への階段が付いているのが見え、
ルイーザが、shinkai、私がスカートの長い裾を引いて、あの階段を上るのが
想像できるでしょう? というので、
うん、置いて行かないでぇ! と言いながらだろ? って、ははは。



という所で、我が親愛なる友人、ジュリアーナとルイーザ。

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で、こちらが北側で、説明を読んで分ったのは、こちらが建物正面で、
確かに正面前に花壇の植え込みも。

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確かに傾斜地ではあるのですが、1階分もの差があるんだね、と。



建物横の庭から眺めるオリアーノ村方面。 一番奥の丘の真ん中に教会の鐘楼が。

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木々の黄葉もそろそろ終わりかけかな。



こちらは東北方面で、見える鐘楼はカステル・ローガンツゥオーロのかも。
地図であれこれ探しましたが、この近くではオリアーノと、ここしかないので。

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草の間にまだ咲いている青紫の花。

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一旦ヴィッラの坂から下り、西に向って歩き、低い丘を越え、
まただらだらと下り道を行き、

これはかって草刈りの後にすいて集めた農具と。

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平地を南に向って進み、ルケッタのカンティーナへの案内樽、ですが、

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ルケッタのご案内は次回にし、散歩の写真を続けますね。



最後の行程で出会ったワン君。 白にグレイと茶の混ざった斑柄で、柵がねぇ。

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お隣の庭には羊が2頭いて、柵に寄って来てくれ。 

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イタリアに来てから始めて知った、羊やヤギの目の瞳孔は横向きだという事!
余りにも驚いたので、今もつい目を眺めるshinkai、ははは。



少し離れたお宅の庭には、日向ぼっこを楽しむワン君。

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本当に雲一つない、青い蒼い北の空。

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この高台の南側には長い、広い傾斜の葡萄畑が続きますが、
最後の素晴らしい黄葉の色をどうぞ。

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コロナの件でなかなか思う様に出かけられない最近でしたが、
久し振りの友人との散歩は、お天気と素晴らしい色の景色で、
おまけにカンティーナ訪問もあり、大いに楽しみ、満足した事でしたぁ。


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・ マルタン・ゲール  16世紀フランスの、有名な詐欺師のお話

私めは歴史の中のゴシップ話が大好きで、へへ。 今現在進行中ゴシップは
生臭いので、好きなような様にして下さいませ、ですが、
時にひょこっと引っかかる古い時代のゴシップには、ピッとアンテナが。

で、今回ご案内しようと思うのは、ご存知の方も居られるでしょうが、
16世紀フランスで起こった有名な詐欺師事件。
ナショナル・ジェオグラフィックのサイトで偶然見つけ読み、大変興味深く、
では他のサイトにも?と検索すると、あれこれ見つかりましたので、
  
ナショナル・ジェオグラフィックの
Il famoso caso dell’impostore Martin Guerre を主に、
ウィキペディアのイタリア版も参考に、日本版にも少し載っており、

技術が進んだ現在では到底起こりえないであろう謎の多い、矛盾だらけの、
逆に人間臭くもある、16世紀フランスの有名な詐欺師事件をどうぞ!

まず事件の最初の始まりは、
場所は南フランスはピレネーの村落アルティガル・Artigart.

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現在の村落の様子ですが、川辺の美しい写真も、凄い城塞もありで、
どれを選んだらよいのか分かりませんので、普通の集落地らしきものを。

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1538年に行われた結婚式から始まりますが、花婿花嫁はやっと14歳の2人で、
花嫁ベルトランド・ド・ロル・Bertrande de Rols、土地では裕福さで
知られた家の娘、

花婿はマルタン・ゲール・Martin Guerre、1527年にバスク地方から
移って来た一家で、この地で煉瓦、瓦の生産を始め栄えていたと。


村の結婚式の様子を描いた、17世紀のヤン・ブリューゲル・ヴェッキオの絵で、
村の教会前を行進する婚礼の行列の様子

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新婚の2人が子供を授かるのが遅いので、何かの呪いが災いしているのではと
村人の間に噂が囁かれ始めたものの、
司祭の4回のミサ、聖体のホスティアと祝福されたフォカッチャを食べたお陰で、
めでたくベルトランドは身ごもり、息子サンチ・Sanxiが生まれます。

が、マルタンが父親から(多分花嫁の父親と)穀物の袋をいくつか盗んだのがばれ、
1548年スペインに逃亡した事で、夫婦2人の幸せな生活は破綻に。



突然の帰還

そして8年間、ベルトランドも誰も、マルタンの何の知らせも無いままに過ぎた時、
1557年夏、村に現れた男が「自分はマルタン・ゲールである」と名乗ります。

身体的にも仕草もよく似ており、ほんの少し背が低いかな、という所で、
4人の姉妹と叔父のゲールの家族、村中の人間が彼の帰郷を祝います。



後の調査裁判官の1人ジャン・ドゥ・コラ・Jean de Corasが遺した記録では、

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妻ベルトランドは、「彼を見て、夫を取り戻す事に非常に興味を持った」
様子と言い、つまり妻も新しい男を「夫」と認めたのですね。



1982年のジェラール・ドパルドュー主演の映画「マルタン・ゲールの帰還」

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そして続く3年間、マルタンとベルトランドは「夫と妻として過ごし、食べ、飲み、
そして平生の通り眠った」と言い、

マルタンは良き夫として、父親としても申し分なく、再会した夫婦は2人の娘を得、
何もかもうまく行っている、と思われたものの、

マルタンと叔父のピエール・Pierreの間で、マルタンの父親の相続を主張し、
家族資産の管理についての喧嘩が起こります。



身元についての疑い

マルタンの叔父ピエールは、寡婦となっていたベルトランドの母と、マルタンが
行方不明となっていた間に結婚しており、その妻の援けもあり、
スペインから戻った男の素性を疑い始め、疑いは強くなる一方で、
 
ある日叔父と従弟が薪でマルタンを打ち殺そうとしたのを、自分の身を持って
盾となり、援けたのが妻のベルトランド!

1559年男の素性についての疑いはますます濃くなり、近くの者がマルティンを
農場に放火をしたと、そして身元横領で告訴するものの、
1560年に証拠不足で無罪に。

そして村に戻ってきたマルティンを、ベルトランドは「彼を夫として愛撫し迎えた。
彼の到着に白いシャツを用意し、彼の足を洗い、そして一緒にベッドに行った」と、
裁判官コラの記録に。


が、それに続く日、彼は逮捕され。  というのも、
ベルトランドは叔父ピエールの執拗な要請に負け、彼を詐欺師として訴え、
補償金2千リーレ払う様にと正義を求めたのですね。

1560年近くのリュー・Rieuxの町で行われた裁判は、事件の混乱を深めるのみ!

が、叔父ピエールは、マルタンは実はアルノー・デュ・ティル・Arnaud du Tilh
という男で、彼の故郷ではポンセッ・Pansetteというニックネームで知られていた、
という証言する証人を提出し、

真のマルタンと深い交際を持ったことから、彼の人生の特別な事すべてを知り、
身元を偽り家庭に入り込み、ゲール家の財産を横領しようと考えたのであろうと。

他の証人はまた、真のマルタンは戦争に行き、サン・クインティーノ・San Quintino
の戦闘で、片足を失ったと聞いたとも。

ベルトランドは、最初はその男が自分の夫であると本当に確信していたのが、
後になって彼がなりすまし物である事に気付いたと主張し、

一方の彼は、もしベルトランドが夫ではないと誓ったなら、喜んで処刑されただろう、
とも言い、聞くベルトランドは沈黙の中。

マルタンの姉妹など、現マルタンに好意的な証人たちは、結婚式に出席した
人々や訪問者たちの詳細な説明を提供し、
150人もの証人の後、情況の謎は深まるばかり。

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裁判所の判決

ベルトランドは、彼女の家族達に告訴しないと殺す、病院に閉じ込めると脅され、
誓言の下で夫ではないと申し立てたと言い、

裁判官は、当時の刑罰では夫婦間秩序の冒涜と婦女暴行であるとし、
死刑の判決を下しますが、

一方、被告側はトゥールーズの国会に控訴を。

Toulouse-square.jpg


こうして新たに繰り返しの尋問と新調査の実施の後、裁判官たちは自分達が
「大変にあやふやな、決断しにくい」状態である事に気づきます。

そして最初は被告者に共感の傾向にあり、つまりベルトランドが貪欲なピエールの
圧力の犠牲になったという見解で、新しい男の方を称賛する傾向があり、
先の宣告が覆るかという時に、衝撃のシーンが!

片脚が木の義足の男が現れ、自分がマルタン・ゲールであると主張し、
スペインに逃げた後軍に入隊し、フランドルに送られ、1557年8月10日の
サン・クインティーノの戦闘で片脚を失ったと説明。
その後何年か帰郷する前に僧院で過ごしたと言い、裁判中に戻った理由は
不明のまま。


2人のマルタン・ゲールが対立しますが、新しく現れた男よりも、控訴側、
つまり夫になっていた男の方がずっと上手い説明で立ち回り、

遂に裁判官たちは2人の男を主たる証人たち、ゲールの家族の前に立たせますが、
皆が木の脚を持つ男を本物と認め、ベルトランドもこの時点で即
「風に騒ぐ木の葉の様に震えながら」実の夫を涙と抱擁で認めます。

実のマルタン・ゲールは「ポンセッは彼の軍隊での仲間で、自分から多くの情報を、
極めて内密な妻の事、故郷アルティガルでの関係の事も引き出していた」、
と今迄の様子を語りました。


1560年9月12日アルノー・デュ・ティルは死刑宣告を受けますが、この時の
公衆の中に若き日のミシェル・ド・モンテーニュもいたそうで、

後年彼の「エッセー」に、この事件を引き合いに
「人間は確実さを獲得出来ない」と書いているそう。


4日後アルティガル村のベルトランドと過ごした家の前で絞首刑に付されましたが、
執行数分前に、アルノーは今迄の彼の嘘を告白したと。


完璧な共犯者

この事件は裁判官たちにとってはまるでパズルの様に謎が多く、次々に異常な
関心を引き起こし、大変にエキサイティングなもの!

さまざまな証言の交差点は、歴史のある瞬間において、虚偽が現実よりも
可能性が高いように見えることを意味しますし、

アルノーは偉大な俳優の才能も示しましたが、最も驚くのは妻ベルトランドの
態度で、分かっていてかどうか、妻は完璧な共犯者の立場に立ったのですね。

妻として、母としての汚点の無い評判を保つことが当時の社会において
生き残る道であることを知っており、

宗教戦争の後は勝った新教派ユグノーの女性だけが再婚する事を許されており、
それもあり、夫の帰りを辛抱して待ち続け、

新しい男が現れ、夫の名を名乗った時、悪く言えば自分の状況を変えれる
チャンスでもあり、それをやり遂げたのだ、という見方も出来ますね。

裁判官たちはベルトランドを如何なる犯罪からも無罪とし、子供たちをすべて
正当な子供として認めたのでした。


**

イタリア人、18世紀にヨーロッパ中を舞台に詐欺を働いて回った男は

サン・レオの城塞 と カリオストゥロ伯爵・conte di Cagliostroなる男
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938935.html



上に載せたように、このゲール事件は大変有名な事件として残り、
フランスで1982年にドパルドュー主演で制作されましたが、

アメリカで少し現代風に翻訳、1993年にリチャード・ギア、ジョディ・フォスター
主演で「ジャック・サマースビー」として、南北戦争後の物語として映画に。

134028_01.jpg

こちらも成り代わって家に戻り、その後の成り行きが少し複雑でしたが、
最後は絞首刑に、でした。


即世界中にニュースが写真入りで広まる現在と違い、時間がかかる分
人々の興奮度も増し、大きな事件となり残ったであろうことは想像でき、
はぁ、初めて知ったshinkaiも大変楽しんだのでした、はい。


*****

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・ n.2 新しく認定された 「6つのイタリアで一番美しい村々」

イタリアのコロナ感染者数は、13日に4万人を超えたものの、昨日14日は
37249人となり、タンポーネ検査に対しての感染者数がここ1週間ほど
大体16%程で収まっているので、少しは安心、というニュースです。

とにかく病院、集中治療室への収容が既に満杯の様で、

イエロー、オレンジ、赤の3段階の州ごとの規制が、6日、8日と変化し、
今日15日よりトスカーナ州、カンパーニア州(ナポリのある)が赤に。

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我がヴェネト州は奇跡的に!と、この地図を見た時本当にそう感じた程に、
イエローを保っており、

我がコネリアーノについて執拗に検索してみると、若い女性ドクターが感染し
隔離されている、という最近のニュース以外は、
感染者数が多いのはヴェローナ、パドヴァで、
トゥレヴィーゾの他の市の工場関係で何人か感染、と。

こちらで色毎の規制事項がお分かりになりますが、
https://www.it.emb-japan.go.jp/itpr_ja/covid_19_misureGAR.html

オレンジになると、市と州をまたぐ移動が禁止となり、赤では地域内の移動も
出来なくなり、つまり実質的に家から出れない状態になりますので、
私など出る必要は無いとはいえ、規制されるとやはり気分的に、ですね。

12月には店も開く、とコンテ首相は言ってますが、
クリスマスは一番の近親者のみと、と既にしっかり伝えられており、

OK、このクリスマスは1人で食い、飲み、DVD大会だ!と決めましたぁ。

めげずに、しっかり自衛を!!

日本も感染者数が増えているそうですが、皆さん、しっかり自衛をね!!


*****

という事で、今回も「めげずに」、いつか必ず訪れる筈の、解禁日を楽しみに
10月に新しく認定された「6つの、イタリアの一番美しい村々」の 
n.2のご案内を。

1-1-2-borghi_belli_italia_logo.jpg

今迄幾つか「一番美しい村々」に認定された町、村を訪問した事がありますが、
確かに様々な審査条件を満たしての事ですし、

認定され、観光客が増える、が住人にとって改めての認識を齎し、
更なる良さを目指す感じの、心地良さが感じられたものでした。

さて、n.2の3つの町は、

◆ バッサーノ・イン・テヴェリーナ・Bassano in Teverina

1-1-borgo-bassano1.jpg

ラツィオ州(ローマのある)のヴィテルヴォ県・Vitervoですが、殆ど東に
隣接のウンブリア州寄りに位置し、



くねくねと曲がる州境の線は、ローマに続くテーヴェレ河で、谷に臨む
300mの高さにあり、人口は1285人。

1-2-bassano in teverina .jpg

1-3-bassano 2Cattura.jpg

という事で最初の写真の町の傾斜度もお分かりでしょうし、はは、



古く、既にエトルスク期から住民が住んでいたという町の一番の高所、
旧市街に至る道はこの傾斜!

1-4-BassanoInTeverina.jpg



地図に見えるサンタ・マリーア・デイ・ルーミ・Santa Maria dei Lumi教会と、
時計塔。 向かい合う形で教会正面が見えませんが、余り特別ではないので・・

1-5-bassano torre e chiesa.jpg



が、ちょっと特殊な歴史を持っており、というのも、1100~1200年に建設され、
町が大きくなり、この狭い教会では間に合わなくなり、1855年に別の教会に
地区教会が移され、ここは1870年に廃止され、町の様々な使用に。

で1928年に修復、1929年に再度聖別され、1976~84年の修復の際に
12世紀にこの教会にも大きな鐘楼があり、それが教会から12m離れた、
今迄単なるルネッサンス期の時計塔と思われていた塔の中に埋もれていたのが
発見されたのだそうで。

それも鐘楼に使われている円柱が不思議な形、この様に人物の様なのや、
円柱がくねる、様なのも。

1-6-bassano campanile Lo-Spinario.jpg


教会は3廊式で、15~17世紀にかけてのフレスコ画も鑑賞できるそう。



◆ カゾーリ・Casoli  

2-1-casoli.jpg



アブルッツォ州・Abruzzoのキエーティ県・Chieti、アヴェンティーノ渓谷の
葡萄畑、オリーヴ畑の緑の傾斜地の自然保護地に位置し、
アドリア海も見晴らせる素晴らしい丘の上の中世からの町。

2-2-casoli .jpg

2-3-casoli 2.jpg

町の周囲の近くには特別大きな有名な町もなく、はぁ、折れ曲がった
町の形と、北側に一番の高台、旧市街があり、



猫ちゃんが番をする、はは、石段道が続きます。

2-4-casoli-4.jpg



旧市街にはかっての貴族の屋敷や教会があり、エレガントな雰囲気を持ち、
地図に見える、町のシンボル、カステッロ・ドゥカーレ・
Castello Ducaleがあり、

2-5-castello-ducale-di-casoli.jpg

2-6-ingresso-dopo-il-ponte.jpg



同じアブルッツォ州ペスカーラ・Pescara生まれの詩人ガブリエレ・ダヌンツィオ・
Gabriele D’Annunzioが何度も町訪問した時に自分のスタジオに使い
泊まっていたという部屋も。

2つの部屋の境の壁をくり抜いたもので、間には布を掛けていたそうで。

2-7-stanza d'anunzio nel castello .jpg



白い壁には鉛筆で書いた詩句が残り、現在では文学上の遺産だそうで、

2-8-fig3a3.jpg

1894年10月9日 忍耐は神経を強化させ、魂を回復させる不滅のネペンテである!

ネペンテとは「ネペンテス」、古代ギリシャ人が飲んだという苦痛を忘れさせる薬、で、
またお気に入りの村の床屋の看板の両端に、「金の櫛に」「美への礼賛に」と。


ダヌンツィオは詩人、という範疇に入りきらぬ、様々な政治活動もした人で、
ヴィスコンティの映画「イノセンス」の原作も彼の作品ですし、

北のガルダ湖畔に残した「ヴィットリアーレ・Vittoriale」も、
何とも形容し難い、彼の最後の遺産で、

ガルダ湖畔 ・ G・ダヌンツィオの家、 そして サロ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html


またダヌンツィオの事のみならず、   第2次大戦時にアブルッツォ州からの
軍組織「マイエッラ旅団・La Brigata Maiella」、一番長く広い範囲で
戦いつつ北上し、マルケ州からエミーリア・ロマーニャ州、そしてヴェネト州に
至った自由獲得の為の軍団の事などなど、

図らずも今回のカゾーリの町の検索からあれこれ知り、
未だ行ったことの無いアブルッツォ州についても、興味を。 いつか!



◆ モンテキアルーゴロ・Montechiarugolo

3-1-montechiarugolo ftl0057.jpg

トスカーナとエミーリアの間のアッペンニーノ山系の、最初の丘の上にある
パルマ県モンテキアルーゴロの村。 僅か87名の住民!



ミラノからの大動脈高速道路の、ピアチェンツァ、パルマ、レッジョ・エミーリア、
モデナ、そしてボローニャと続く沿線の南、パルマから16kmに位置し、

3-2-montechiarugolo1.jpg

3-3-montechiarugolo2.jpg

はぁ、町の地図もこの小ささで! モンテキアルーゴロの城を中心に。



城は12世紀初めの建設、勿論改修復されていると思いますが、
小さいながらなんとも見事な素晴らしい高さの城で、

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地図に印をつけたすぐ近くのトッレキアーラの城に似た感じも。

n.1 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の

n.2 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
https://www.italiashiho.site/archives/20181115-1.html



現在の持ち主は何代か続くマルキ家・Marchiで、家系の内からは
20世紀イタリア映画界で有名な監督アントーニオ・マルキ・Antonioがおり、
世界的に有名なベルナルド・ベルトルッチ・Bernardo Bertolucciもと。

現在城は3月から11月の間解放されており、庭園や内部も見れる様子で、

これは寝室と。

3-5-montech1-72.jpg



ピサネッロの弟子作とみられる「受胎告知」のフレスコ画もあり、

3-6-1-Pisanello_Annunciata.jpg



内部の壁はポンポーニオ・トレッリ・Pomponio Torelli、16世紀伯爵の
時代に装飾されたもので、この時代にまさに宮廷となり、
約千冊にも及ぶ個人図書館もあるそう。

3-6-2-castellomontechiarugoloIS21.jpg

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現在は結婚式会場、宴会にも使用されているそうで。

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所でこの城に伝わる「妖精ベーマ・Fata Bema」のお話を。 
何度も出て來るので興味を持ち読んでみましたので、お裾分けを、はは。

ベーマは1500年の末頃パルマの近くで生まれ、類まれな美しさに合わせ、
優しさと良さを持ち、それに加え魔法の力も。

3-9-fairy_in_forest.jpg

1593年5月ベータはモンテキアルーゴロにやって来ますが、パルマの公爵
ラヌッチョ・ファルネーゼ・Ranuccio Farneseがよくイノシシ狩りに来る
森の近くに小さな東屋を作り、公爵や宮廷出入りの貴族たちの将来を視る様に。

公爵は迷信的でもあり、美しいベーマに魅了もされ、ファルネーゼの領内を
自由に行き来出来るように許可を与えますが、
彼女の名声は力量ともなり、人々は彼女を「妖精ベーマ」と。

が、公爵はエゴイストで残虐、彼女を魔法の力で彼を魅了したと非難し、
自分が彼女に感じた魅力と彼の狂気の嫉妬を正当化し、他の求婚者達から
引き離すためにも、捕らえ、要塞の監獄に閉じ込める事に。

ベーマは長く厳しい監獄生活を送りますが、最後には彼女の精神の良さを
知っている人民の称賛により自由の身となり、
モンテキアルーゴロに戻った時には、トレッリ・Torelliの宮廷に
召使達の監督で召されます。

ポンポーニオ・トレッリとイザベッラ・ボネッリ・Isabella Bonelli伯爵夫妻には
息子ピオ・Pioがおり、彼とベーマは恋に落ちます、ジャンジャン。

が、ファータ・ベーマはこの愛が不可能である未来を知っており、
学問の仕上げにパルマの宮廷に送られるピオの愛を拒否します。

その間公爵ファルネーゼは彼に対する謀反を疑い、多くの家臣たちを
獄に入れ拷問したりで、嘘の告白を引き出しますが、

告発された中にベータの愛するピオ・トレッリもおり、他の不運な収監者たちと
一緒に斬首され、愚かな公爵に反抗する勇気ある如何なる人も怖がらすよう、
彼の首はパルマの裁判所前のグランデ広場にさらされ、

モンテキアルーゴロの城は公爵の兵士に占領され、ベーマは森に。
ピオの死に絶望したベーマは近くの小さな家に隠れ、貧しい人々や
病人の世話を始め、

「良い妖精」のその評判は途切れることなく、彼女がこの世を去るまで
人々は彼女を愛し続けました。

「妖精ベーマ」は、毎年5月19日に愛する彼と過ごした日々を思い出しながら、
森の中と城の部屋の中に戻って来る、と人々は語り継いでいます。

という伝説風なお話ですがぁぁ、



残虐な公爵ラヌッチョ・ファルネーゼ、という人物は実在します。というより、
同名の実在人物は若くから枢機卿になられた方で、(1530-1565)

兄のアレッサンドロ(1520-1589)も「偉大なる枢機卿」と呼ばれた方で、
2人は教皇パオロ3世の孫に当たります。

n.1 ファルネーゼ邸 カプラローラ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467879883.html

n.2 ファルネーゼ邸 カプラローラ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467880189.html

n.3 ファルネーゼ邸 カプラローラ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467880454.html


パオロ3世の息子ピエール・ルイージ・ファルネーゼ・Pier Luigi(1503-1547)
が初代のパルマ公爵、非情な冷酷者で知られ、最後は謀反により家臣たちに
刺され、広場に投げ落とされて死亡した、という人物で、

3-10-Pier_Luigi_Farnese_di_Tiziano.jpg

この辺り、当時の領主に対する正面切っての批判を避け、上手く綴妻を
合わせた伝説風かもで、最初読んだ時は驚きました。

モンテキアルーゴロの城の伯爵ポンポーニオ・トレッリ(1539-1608)も
上記通り実在の人物で、妻も同様、
今も城内に肖像画(のちの時代に描いた)が残ります。

息子のピオという人物については(1578-1612)モンテキアルーゴロの
最後の伯爵、という方がおりますが、この方が相当するのか、
またベーマなる美女の存在についても分かりかねま~す、はい。



所でちょっと最後に脱線ついでに、はは、この図を。

パルマ・ピアチェンツァ一帯(パルマ・ピアチェンツァ公国領)には
素晴らしい城が数多く残りますが、その位置で、

3-11-mappaHome.jpg

shinkaiの見たのはわずか3つのみで、ははは、お話にもなりませんが、
でも写真を見ただけで、おお!というのがたくさんあり、

https://www.castellidelducato.it/  でどうぞ、
その素晴らしさの片鱗でも味わって下さいませ、ませ。


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・ n.1 新しく認定された 「6つのイタリアで一番美しい村々」

イタリアはまだコロナの新感染者数が止まらず、亡くなる方、集中治療室への方の
数が増えて行くのが心配ですが、

先日より赤、オレンジ、黄色と、危険度の高さにより3段階に分けられ、
ロンバルディア州、ピエモンテ+ヴァッレ・ダオスタ州、カラーブリア州が
11月6日よりレッド・ゾーンに指定され、

オレンジ・ゾーンにはプーリア州、シチーリア州、その他の州は
イエロー・ゾーンと。

が、その後ボルツァーノ自治県がいわば自主的にレッド・ゾーンに入り、
病院施設が患者収拾に応じきれない状態だそうで、

本日11日からは、アブルッツォ州、バジリカータ州、リグーリア州、トスカーナ州、
ウンブリア州が、オレンジ・ゾーンに指定され、作動します。

1-1-italia.jpg

夜間外出禁止時間は22時~朝5時、また各地域によっての禁止事項、時間
が違い、自分の州の様子を知るのに精いっぱい!

詳細はイタリア大使館のホーム・ページでお知りになれます。
https://www.it.emb-japan.go.jp/itpr_ja/covid_19_misureGAR.html

我がヴェネト州も現在はまだイエロー・ゾーンですが、危険な状態の様で、
どうかこのまま行ってくれぇ、ザイア知事頑張れ! という所。


*****

現在の状態ではなかなか、イタリアの素敵さを知り、お出かけを!
いう記事が書きづらい状態なのですけど、はぁ、

それでも先日、この10月の末に新しく6つの村が「イタリアの一番美しい村々」
に選ばれたと知り、これはまた先の、いつかの予定に入れて貰えると良いかな、
と思い、3つづつ、2回に分けてご案内致しますね。

1-borghi_belli_italia_logo.jpg

イタリアで一番美しい村々」のサイトによると、
6 nuovi Borghi entrano a far parte dell’Associazione

今回の新しい認定により全部で315のコムーネになったそうで、
これは芸術的、歴史的、文化的遺産、環境保護、観光宿泊施設、地元の伝統
等に関しての審査条件を満たしているかどうかの査定を踏まえ、
名誉ある認定を受け、
更に観光地としてのユニークで特徴ある魅力により、豊かでより良い村に、
という事で、

という事で、まず3つの村のご案内を。

◆ トゥロペーア・Tropea  

3-1-centro-storico-Tropea.jpg



南イタリアのカラーブリア州・Calaburiaのヴィーヴォ・ヴァレンティア・
Vivo Valentia県に位置し、コスタ・デッリ・デイ・Costa degli Dei
に臨む、ティレーニア海の真珠と呼ばれる素晴らしい浜を持ちます。

2-1-tropea1.jpg

3-2-tropea2.jpg

下の地図左上に囲った「イーゾラ・ベッラ・Isola Bella」、イーゾラ・島と
呼ばれるには陸続きですが、



こんな感じで突き出し、石段を上って上の教会に辿り着く様子で、

3-3-Tropea-Michela-Mazzotti.jpg

4-Tropea-1.jpg

この教会はサンタ・マリーア・デッイーゾラ・Santa Maria dell"Isola.
トゥロペーアのシンボル。
コムーネは2022年のイタリアの文化首都に立候補しているそう。



最初の写真の、海辺から立ち上がる断崖絶壁の町の姿は驚きですが、
この奥には旧市街の古い曲がりくねった小路の町が広がるそう。

この町は戦略交通の要所にも当たりローマ期から重要な起点で、その後
アラブ人の占領の下、そしてノルマン人、スペインのアラゴン家と続いたそう。


このトゥロペーアは「イタリアの美しい浜」の6で、昨年ご案内しており、
こちらでどうぞ。
イタリアで一番美しい、10の浜辺  (Skyscannerによる)
https://www.italiashiho.site/archives/20190614-1.html



◆ モンテ・サンタンジェロ・Monte Sant'Angelo

7-Monte_Sant'Angelo2.jpg



南イタリアのアドリア海側、プーリア州・Pugliaのフォッジャ県・Foggia.
突き出している半島はガルガーノ・Gargano、素晴らしい自然に恵まれた場所。

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6-monte sant'angelo2.jpg

下の地図赤点の町の位置に重なり十字架が見えるのは、サン・ミケーレ・
アルカンジェロの聖地・Santuario di San Michele Arcangeloで、



大きな洞窟内全体が聖地となり、ユネスコの世界遺産でもあり、
既に6世紀からの巡礼たちの聖所。

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10-1-santuario_san michele arcangelo_grotta_gatta_1506351795315.jpg



また勿論美しい海と浜もあり、

8-borgo di monte sant'angelo1b50755d5dd387.jpg



国立公園ガルガーノの管轄の、フォレスタ・ウンブラ・ウンブリアの森の、
古代ブナの林でも有名で、こちらも世界遺産!

10-3-faggio-faggete-vetuste.jpg

近年あちこちで取り上げられ、有名になりつつあるモンテ・サンタンジェロだそう。



◆ モンテレオーニ・ドルヴィエート・Monteleoni d’Orvieto

13-monteleone-orvieto.jpg

14-Monteleone-d-orvieto-Todi-umbria.jpg



ウンブリア州のテルニ県・Terniにあり、フィレンツェ、アレッツォから
オルヴィエートへと高速を南に下る時、東にずっと続く山並みに次々と小さな町が
見えるその1つ、モンテレオーニ・モンテレオーニ・ドルヴィエート。

11-monteleone d'orvieto1.jpg

12-monteleone d'orvieto3.jpg

地図の南に突き出した位置がどうやら旧市街の高台で、



「緑に囲まれた赤い煉瓦の島」というキャッチフレーズで、住人1436人の
小さな村で、これは5月のお祭りの様子。

16-1-cosa-vedere-a-monteleone-d-orvieto-archivio.jpg

16-2-cosa-vedere-a-monteleone-d-orvieto-gruppo.jpg



デイ・サンティ・アポストリ・ピエトロ・エ・パオロ教会・dei Santi Apostli
Pietro e Paoloは、この一帯における一番美しいロマネスク教会と。

15-sant'agostino 683fabb.jpg



かっては境界線防御でもあった野生の自然に囲まれ、「イタリアの一番美しい村々」
に選ばれるのが如何にも相応しく思われる村には、こんな住人たちも!

17-cosa-vedere-a-monteleone-d-orvieto-cani.jpg


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・ ロシア20世紀初頭  ロマノフ王朝最後の大舞踏会の美しい女性たち

1903年2月11日、サンペトロブルグの冬の宮殿・現エルミタージジュ美術館
に於いて大仮装舞踏会が開かれました。

これはロマノフ朝の290年を記念し、皇帝ニコライ2世の治世下に行われた
最も豪華な舞踏会で、
ロマノフ家は当時ヨーロッパに於けるもっとも古い支配貴族の1つで、
そして多分ほぼ絶対的君主権を維持していた唯一の君主家だったのですね。

こちらはそのロマノフ朝最後の皇帝ツァーと、その家族の肖像写真。

1-image851.jpg



こちらが舞踏会に招待されたロシアの有力貴族たち約390名と、
ロマノフ家の10数名の参加者、つまり400名の記念写真。

2-Ultimo-Ballo-Romanov-04.jpg



この舞踏会に参加の貴族たち正装の姿はアーカイヴ写真に残されており、
勿論当時は白黒写真で、

それを現在のロシア人アーティスト、オルガ・シルニーナ・Olga Shirnina、
「Klimbim」と署名、が色付けしており、

最初にご覧頂いたニコライ2世とその家族写真、多分1013年頃、も
オリジナルはこの様に白黒写真。

3-imacge901.jpg



実は皆さんも良くご存知の様に、この大舞踏会の後ちょうど1年後には
我が国との日露戦争が始まり、1905年にはロシア革命が始まる、という
時期で、世界的な経済危機もで再度舞踏会が開かれる事はなく、

そしてこの大舞踏会の15年後の1918年7月17日、ニコライ2世とその妻、
子供達5人すべてが革命軍ボルシェビキの下に惨殺され、
ヨーロッパで大勢力を持っていた1つロマノフ家の消滅、という事態に。

この「皇帝一家の処刑」については、実はイタリアに来て間もなくの頃
TVでドキュメンタリー放映があり、その惨さと共に日本とは格別に違うと、
いわばカルチャー・ショックを受けた放送内容が、記憶に鮮明に残り、
当時は殆ど知らなかった事もその後折に触れ新しく知識を得る様に。
 
お知りになりたい方は、こちらのウィキに詳細が。



今回はたまたま見つけた、いわば「ロマノフ王朝、最後の大輪の花」とも思う、
大舞踏会に参加の美しい貴族女性の正装姿を載せたサイトを見つけたので、
それをご案内しようと。

当時のサンピエトロブルゴ、またロシア全土では一般民衆の貧窮、労働者蜂起の
機運も高まっており、それに対する抑圧も強く、

一方貴族社会においてはオペラやバレーの鑑賞、音楽会が世界の中心で、
ロシア語ではなくフランス語を話し、衣装や家具もすべてパリに注文し・・、
という様子だったのですね。


この舞踏会では参加者すべてが17世紀の衣装で、ロシア人芸術家
セルゲイ・ソロムコのデザインを元に宝石を散りばめた衣装で、と定められ、

まずは皇帝ニコライ2世とその妻アレクサンドラを。

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彼らの衣装は17世紀の皇帝アレクセイ・ミハイロヴィッチ(1629-1676)と、
その2番目の妻ナターリア・キリロヴナ・ナルイシキナ(1651-1694)の衣装だそうで、

皇帝ニコライ2世が着ているのは、金糸のブロケード・浮き織、
皇后アレクサンドラの衣装は銀のサテン、王冠には真珠とダイアモンドがちりばめられ、
衣類正面には目をむくほどの、はは、大きなエメラルド!!
この衣装は現在だと約1千万エウロに相当するであろう、と。

ニコライとアレクサンドラはこの舞踏会の9年前に結婚しており、当時上の娘4人
オルガ、タチアーナ、マリーア、そしてアナスターシャの両親であり、
最初の写真に見えた息子アレクセイは、この舞踏会の翌年に誕生。

一番下の娘アナスターシャは、映画やアニメでも取り上げられる、
ロマノフ一家の惨殺を免れ生き残こったとも言われる謎の人物ですが、
当時の様子を読むと、まず生き残る事はなかったであろうと思われます。

最後に生まれた、待望の男子であったろうアレクセイは遺伝の血友病持ちで、
これは出血が止まらない病気で、内臓の出血もありで、
両親は大変な心痛を抱え、外には内緒にしており、とりわけ母親アレクサンドラは
この為怪僧ラスプーチンへの帰依が深まり、問題が起こる程だったと。

アレクサンドラはドイツからのお輿入れで、当時大変な美人の誉れ高かったものの、
徐々に政情不安と共にドイツ人嫌いが高まり、一般民衆には好かれていなかったそう。


という様なあれこれ周囲のご説明の後は、麗しの美人たち、カラーで見ると
一際美しさも増す、衣装も素晴らしい溜息ものの写真をどうぞ。

ここに写っている女性たちはすべてロマノフ家の宮廷に集う貴族女性であり、
宝石を縫い込んだ衣装と、ココシュニックと呼ばれる被り物には一族の素晴らしい
宝石が飾られている物だそう。

但し、個人名については他のサイトと2人程食い違いがあるのを先にお断りを。

アナスターシャ・コルサコーヴァ嬢。

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エリザベッタ・オボレンスキー姫。

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肩書も発音も分らない男性、Cornette Kolioubakineと.
但し胸の双頭の鷲は、ロマノフ家の紋章でもあるので・・。

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男性たちは豪華な刺繍を施したカフタン・トルコの民族衣装から発生した長袖、
袷仕立て、長いゆったりとした前開きのガウン、を着用したそう。



この白黒写真、大公アレクサンダー・ミハイロヴィッチ、ニコライ2世の義理の兄弟。
革命時クリミアに家族と共に逃げ、1919年イギリス海軍戦艦マールバラに救出、亡命。

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確かに素晴らしい衣装で、これがカラーで見れないのが残念。



伯爵夫人ケラー。 生まれはシャホフスコイの姫と。 気品高く。

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男爵夫人エマ・ウラジーミロヴナ・フレデリクス。 

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クダシェヴァ姫。

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大公妃クセニア・アレクサンドロヴナ。

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オルガ・オルローヴァ姫。  煙った様な瞳といは、こんな目なのでしょうね!

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アレクサンドラ・タニーヴァ嬢。

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アレクサンドラ皇后の侍女タチシェヴァ。

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伯爵夫人エリザベッタ・ムーシン-プシュキナ。

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伯爵夫人フェルセン。 生まれはドルゴルキーの姫。

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最後は、著名貴族ジナイダ・ユスポフ。  少しピン甘が残念ですが、

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毛皮を取った、素晴らしい衣装、笑顔の写真も見つけましたぁ。 

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あの帝政ロシアの最後の大舞踏会の花たち、その後の彼らの人生は
どの様な変遷を辿ったのかと思いますが、

あぁ、本当に、夢の世界、夢幻の跡、ですねぇ。


*****

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・ イタリアの現状と、 shinkaiの(余り)変わりない日々

イタリアのコロナヴィールスの現状は、一旦感染者3万人を超えた
日が2日続き、そして一昨日、昨日と2万人台に落ちています。

3日の感染者数は28244人と何とか2万人台でしたが、
死者は353人と、じりじりと上がっています。

が、一昨日はタンポーネ検査数もグンと低くの事ですし、先日からは
ロックダウン反対運動、というよりも暴動に近い騒ぎもナポリ、ミラノ、
トリノ、ローマで続いており、

ニュースでも再封鎖かという声が聞こえ始め、昨日はコンテ首相と
各州知事の懇談もあったのが纏まらず、
今朝のニュースでは今日もう一度の懇談で、今夜か明日には新しい
方針が発表されるだろう、という事でした。

ただ今日の朝刊の幾つかに見えた、全土すべて同一に、というのではなく、
州ごとに3段階に分け、つまり赤、オレンジ、黄色(今のイタリアに緑の州は無く)
の3段階による封鎖内容の違い、になるかも。

ロンバルディーア州、ピエモンテ州、カラーブリア州、プーリア州などがひどく、
ヴェネトは幸いにオレンジかなぁ、という様な様子です。

と、夜18時以降は全土夜間外出禁止となる、という声も聞こえます。

とにかく12月のクリスマスには少しでも楽しめる様に、今我慢をで、
大丈夫、良い子してお家にいる事にしますです。

**

このコロッセオ、カンピドーリオ広場のローマ市役所の壁に映し出された顔は、
2日の朝、この日が80歳のお誕生日だったという未明に亡くなった
ジージ・プロイエッティ・Gigi Proietti氏の顔。

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Ci mancherai・チ・マンケライ・寂しくなるよ

イタリア国民に大変に愛された、喜劇俳優、という範疇に入りきらない方で、
こちらに来た当時はTVでもいつも顔を見ていましたし、TV放映の映画も
何本か。 喜劇俳優はたくさん居られますが、shinkaiはこの方の軽い、
底抜けに明るい持ち味、流ちょうな話しぶりが好きでした。

昨日の朝TVで訃報を知り、幾つもの作品からのシーンが流れましたが、
番組最後に流れた「CM撮影の様子」の場面を見ていると、
ウィスキー、モッキーだったかな、(ウィスキーのメーカーの名)、リスキ・危険、
の3つの言葉が何度もの試しの中でごちゃ混ぜになり、

最後に警官に扮したジージがカメラに向かってにっこり笑い、
モッキーのウィスキーでリスキなし・(車の免許無しでもウィスキー見せれば)大丈夫!
には思わず吹き出した そんな独特の持ち味で、

その前日のショーン・コネリーの訃報と言い、ほんと、チ・マンケライ!!

*****


shinkaiの余り変わらない日々」は、ほんと余り変わりありませんが、
最近ちょっとあれこれあったのでご覧に。

これは1日日曜にコンドミーニオ隣のドナート・Donatoが朝採って来た、と
持って来てくれた茸・キオディーニと呼ぶ、ナラタケ。

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これ、横幅30cm以上、奥行き25cm程の、びっしり重なった収穫で、
前日顔が会った時、「茸好きか?」「大好き!」にお返し。

余りの多さと見事さに驚き、わぁ~お、どこで?!と聞くと
カステッロ・ローガンツォーロにいっぱい出ているんだ、というので、
ティツィアーノの家がある所? から、あの教会の絵の事、泥棒みたいに
たくさんの代償を払わした事等々話が弾み、

彼はshinkaiがそんな事を知っているのに驚いて興味を持ったみたいで、
彼はあの近くに元住んでいた様で、多分お祖父ちゃんたちが小作人で、
半分以上の収穫を地主に取られて大変だったんよ、という様な話も。

ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.1 
https://www.italiashiho.site/archives/20170404-1.html

ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.2
https://www.italiashiho.site/archives/20170405-1.html

古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 n.2
https://www.italiashiho.site/archives/20170420-1.html

で、翌日の夕方は庭で焼いた熱々の焼き栗を、また頂きましたぁ!!

へへ、その前にはたくさん買って家用に小瓶に分けているらしく、
「ワイン飲むか?」「シー、シー」で、赤のカルヴェネを1本頂いているし、
ははは、shinkaiは「ノー」とは言いませんのでっす、がはは。

こんなにして貰って良いのかいな、と思うのですが、我が家の地下の物置を
半分彼に無料で使わせているので、多分その分だろうと、はは、
shinkaiもちょっぴり地主みたいな顔をしておるのでありま~す。

**

こちらは今年の我が窓に来ている越冬バッタ君。
4年ほど前から我が机の横の窓にバッタがやって来て、時に3匹、2匹と
越冬して行きます。

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3-DSC04944_01_GF.jpg

窓は2m40cm程ある高い窓で、半分下はガラスの外側に金属の格子があり、
その外側にプラスティックの不透明の板を張っているので、

大体11月前後かな、バッタがやって来て窓枠に留まっているのを見つけると、
そっとつまんで金属の格子に移してやり、そこで彼らは冬を過ごし2月の下旬頃迄。

冬のお天気の良い日はソロ~っと上に移動し、金属の幅広の縁の上で
日向ぼっこをしたりして過ごし、家主のshinkaiは何も食べなくて大丈夫かなぁと
気にかけつつ、夕方は一番外側に鎧戸を閉めるので、外よりも暖かろうと。

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という事で、今年はすぐ外の庭木を植木屋さんがツンツルに短く刈り込んでくれ、
これではバッタが来ないかな、と思っていたら、10月の末に1匹!

なぜか嬉しく、よしよしと金属の格子に移すと、気に入らないらしく
ガラス戸に移っているのですよね。 で、翌日は姿が見えなかったり、
でもまたちゃんとガラスに、という事で、
彼なりに様子見をして、この宿は大丈夫と見極めたらしく、
最近はちゃんと同じガラス窓の位置に。


ここでご覧頂いている写真は、まだ落ち着かないお天気の日、そろ~っと
ガラス窓をはい上り、お陽さんを浴びている姿です。

こうして写真で見ると、大きく見えますが、まだ若い、細身の雄で、
ははは、shinkaiはバッタの雄と雌が分かる様になって、
ガラス窓越しに身長を測ると5,5cmで、今迄はもっと太い大きな雌も。

ガラス窓越しに部屋の中を見渡す位置でじ~っとしていて、
「まだ同じ絵を描いてる、真面目に描いてるんかいな?」等とバッタ君が
私めの絵の進捗状況を観察しているんかいな、と、ははは。

はい、2月末まで同居を楽しみます。

**

昨日午後、ブィ~ン、ブィ~ンと煩いので、台所から覗いて見ると、
庭越しの前のお家の糸杉のお手入れ中で、

最初は鋸を手を伸ばした位置まで刈り込み、そして梯子に乗り刈り、
そしてついにこの上の位置まで!

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奥に見えるもう1本の中程上まで刈り込んであるのが見えますが、
梯子であの位置まで刈れるのですね。
こうして見ると、大丈夫かいな、と思うほど高く、支える棒が細い気もしますが!



このお家の手前にも2軒ほど並びがあり、奥にも何軒か並ぶかなり広い土地で、
今ここに見える赤い屋根の家まで、shinkaiが来た時は野原だったのですよ!

8-DSC04955_01_GF.jpg

ははは、30年前の事ですが、その頃は丈高い草が風になびく草原を、
子供達が遊びまわり、我が家からずっとオリアーノ村の稜線が見えましたが、
今糸杉を刈っているお家が建設された時、あとほんのちょっとの違いで
あの素敵な稜線の眺めが消えたのでした。

ですから、この糸杉は30歳、という事になりますね。
曇り日、夕方近くでちょっと残念ですが、黄葉が綺麗でしょう?



かなり薄暗くなり始め、でもまだブィ~ン、ブィ~ンが続くので見ると、
糸杉の方は2本とも済み、今はお隣の家との境のお手入れ中で、

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これでクリスマス前のお手入れがしっかりと。
このお家はクリスマスのデコレーションもしっかりされるので、楽しみです。
屋根の隙間にちらっと見えるのが、オリアーノの稜線。

**

先週水曜28日、本当に久し振りにアンナリーザ・Annalisa、
元私めのイタリア語の先生が我が家にやって来ました。

時々メールのやり取りで、会おう! カフェしよう!と言いながら彼女も忙しく、
前に会ったのは一体何年前か思い出せない程ですが、
それでも顔を見た途端にまるで前日にも会った様にお喋りが弾み!!

カフェを飲みつつ、お互いの近況報告から、彼女のお家の様子等
1時間ちょっと話し続け、少し前にメールで聞いていた、今はボローニャ大学の
演劇理論の方の学生でもある、という様子も聞きました。

とにかくいつも元気旺盛で、望む事したい事に突き進み、見事に着実に進んでいく
アンナリーザは、こんなイタリア人の友人を持つshinkaiめの誇りでもあり、
どこまで進むのか、傍で見るのも楽しく、そんな話を聞くとこちらも元気に!

大学を出てから学校の先生にはならず、いわゆる塾で教えながら、
shinkaiもそこで彼女に出会ったのでしたが、

演劇のサークルに入り活動、塾のトゥレヴィーゾ進出を手伝いつつ、
英語本の翻訳もし、実家の乗馬センターの世話、彼女自身の馬も持ち、
確かトリエステの大学の何かの講義も受けに行き、
今度はボローニャ大学の学生に。 

ねこ、ネコ、猫、馬、犬、そしてまた 猫
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/475300750.html


今の世状が逆に幸いとなり、大学の講義もオンライン、友人達ともラインで話し、
2年間だそうですが、今の試験のパス状態ではもっと短いかもと!!

塾の仕事は暫く前に辞め、翻訳に専念し、なんと月にに2冊程も!
アメリカの会社からのE-ブック用の本だそうで、前は子供達の演劇活動を
手伝っていたので半分づつの仕事だったのが、このコロナの影響で翻訳のみで、
しっかり稼いでもいる様子!

で、お家にはこんな家族がね。 夫のトーマス・Thomas、左長女の
ジョールジャ・Giorgia、中2、そして次女のアレッシァ・Alessia、小学5年。

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顔つきで分かる様に、ジョールジャは大人しやかな女の子で、
アレッシアは活発な子と。



もうそう手間はかからないとは言うものの、やはりトーマスの絶大な援助が
あると思います。

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一度彼女が当たった只券で、ミラノまでピカソ展を見に行きましたが、
その時も彼に「shinkaiと行くよ。あんた行きたいなら、一緒に行くけど」と
話したと聞き、こちらの方がキャという感じでしたっけ。

年明け早々の、ミラノの街 散歩
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460939254.html



ジョールジャとアレッシアには一度会っていますが、もうずっと前の事で、
今回長い間顔を見ていないから写真を送って、と送って貰った訳。

お家にもお邪魔した事があり、でもトーマスの顔も久し振りで、
「良い男になったと言ってると伝えて!」と、ははは。

この夏の南へのヴァカンス旅行で、マテーラなどで楽しそうな皆の顔!

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そうそう、夏に新しい曲を聞く助けになるかとアマゾンのアレクサを導入したと
書きましたが、結局アレクサで好きな音楽を聞くのは中途半端と分かり、
アレクサはアンナリーザが持って帰りました。

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で、Wifiに繋ぎ、皆で楽しんでいる、というメールに笑い話が。
アレッシアが、「アレクサ、おならをして」と言ったら、
「あんたの臭覚をダメには出来ないわ」と答えたそう! わはは。
きっとアレクサも今の状態の方が楽しめてる筈ね。

アンナリーザとはまた12月に会おう、出来たら日本レストランに行こう、と
話が出来ており、家での仕事で少しゆっくり余裕の彼女とはまた会えるし、
元気で活力ある彼女の元気も貰えますね。

彼女の右の手首には「志」という刺青が入っていて、そう、志保ちゃんの志
でもあり、彼女は「野望の意」と自認しており、

彼女のお母さんよりも年上で、でもまだせっせと絵を描いているshinkaiには、
彼女は話がしやすい様で、こちらにとっても得難い友人で有り難い事なので、
せっせと励ます、私にできる応援をこれからも!!


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